2008年11月15日

もののあわれ326

二条の院におはして、うち臥し給ひても、なほ「思ふにかなひ難き世にこそ」と思し続けて、軽らかならぬ人の御程を、心苦しとぞおぼしける。


二条の院に、お帰りになり、お休みになっても、理想通りの女は、いないと、誰、彼を思っても、身分いやしからぬ、姫君ゆえに、気の毒に、思われた。



思ひ乱れておはするに、頭の中将おはして、中将「こよなき御朝寝かな。故あらむかし、とこそ思ひ給へらるれ」と言へば、起き上り給ひて、源氏「心やすき独寝の床にてゆるびにけりや。内裏よりか」と宣へば、中将「しか。罷で侍るままなり。朱雀院の行幸、今日なむ楽人・舞人定めらるべき由、よべ承りしを、大臣にも伝へ申さむとてなむ、罷で侍る。やがて帰り参りぬべう侍り」と、忙しげなれば、源氏「さらば、もろともに」とて、御粥、強飯召して、客人にも参り給ひて、引き続けたれど、ひとつ奉りて、中将「なほいと眠たげなり」と、とがめ出でつつ、中将「隠い給ふ事多かり」とぞ怨み聞え給ふ。事ども多く定めらるる日にて、内裏に侍ひ暮し給ひつ。




思い悩んでいるところに、頭の中将がやってきた。
ひどい、朝寝ですね。訳がありそうだと、中将が言う。
君は、起きて、気楽な独寝のため、気を許していた。御所からかと、言う。
中将は、そうです。今、退出してきたところです。
朱雀院の、行幸、今日は、その楽人や舞人を、決定すると、昨夜、承りましたが、父の大臣にも、伝えようと思い、退出したのです。すぐまた、参内せよとのことです。と、急ぎの様子。
源氏、それでは、一緒にと、御飯や、強飯を、お取りせよになり、頭の中将にも勧めて、車は、二台並んでいるが、一台に同乗されて、中将は、まだ、眠そうですねと、咎めつつ言う。
隠していらっしゃることが、沢山あるのですねと、お怨み言を言う。
多くのことが、取り決められる日で、一日、御所にいらした。



御粥は、現在のご飯である。
ひとつに奉りて
乗るという、最高敬語である。

二人は、仲が良い。
とがめ出でつつ
咎めることを、言いつつである。

隠い給ふ事多かり
隠していることが、多いのでしょう。

中将は、何を隠しているのか、知りたいのである。
それほど、源氏のことを、思う。

義理の兄弟とはいえ、随分、軽い口をきくのである。
源氏の身分は高いし、しかも、義兄である。
どうしても、ここに、二人の関係の深さを感じる。




かしこには文をだに、と、いとほしくおぼし出でて、夕つ方ぞありける。雨降り出でて、所狭くもあるに、笠宿せむ、と、はたおぼされずやありけむ。かしこには、待つ程過ぎて、命婦も、いといとほしき御様かな、と心憂く思ひけり。正身は、御心の中に恥づかしう思ひ続けて給ひて、今朝の御文の暮れぬれど、なかなか、咎としも思ひわき給はざりけり。




常陸の宮には、後朝、きぬぎぬの手紙だけでもと、思い出せば、気の毒で、夕方になり、手紙があった。
丁度、雨が降り出して、立ち寄ろうとも、思わなかったのである。
あちらでは、後朝の、文が来る時刻が過ぎたので、命婦も、残念だと、悲しく思っていた。
姫本人は、きまり悪く思いつつ、朝来るはずの手紙が、夕暮れになって、届いても、怒ることもない、心境である。

姫が、怒らないのは、それを、知らないということもある。
そんなにことは、初めてのことで、誰も、教えなかった。

男が、女の元から、帰ると、文が、すぐにやってくる。
後朝の文の礼儀である。



源氏
夕霧の 晴るるけしきも まだ見ぬに いぶせさ添ふる 宵の雨かな

雲間待ち出でむ程、いかに心もとなう」とあり。おはしますまじき御けしきを、人々胸つぶれて思へど、「なほ聞えさせ給へ」と、そそのかしあへれど、いとど思ひ乱れ給へる程にて、え形のやうにも続け給はねば、「夜更けぬ」とて、侍従ぞ例の教へ聞ゆる。



源氏
夕霧は、晴れず、あなたは、やさしくない。
そこにこの、雨です。私の気持は、いぶせさ添ふる、滅入るばかりです。

晴れ間を待っていますが、いつになるのでしょう、とある。
お越しにならない様子と、知り、皆は、たまらない気持である。
でも、お返事をと、口々に勧めるが、姫は、益々と、煩悶する様子で、型通りの、返事もできないようであるから、夜が更けてしまいますと、侍従が、いつものように、教える。


結婚の初めは、男は、三日続けて、来るのが、礼儀であるから、皆が、焦ったのである。

つまり、結婚と、同じ扱いに考えたのである。

源氏は、姫との、関係で、余りにも、姫が、気の毒と、思ったのは、秘め事を知らなかったといえる。
何が、どのようなことが、交わりなのかと、知らないという、様子だったのだ。
源氏は、それで、気の毒に思い。さて、どうしたのであろうか。
その行為を、知らない女を、前にしたとき、男は、どうするのか。



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2008年11月16日

もののあわれ


晴れぬ夜の 月待つ里を 思ひやれ 同じ心に ながめせずとも

口々に責められて、紫の紙の、年へにければ灰おくれ古めいたるに、手はさすがに文字強う、中さだの筋にて、上下ひとしく書い給へり。見るかひなううち置き給ふ。いかに思ふらむ、と思ひやるも、安からず。
「かかる事を悔しなどは言ふにやあらむ。さりとていかがはせむ。我はさりとも心長く見はててむ」とおぼしなす御心を知らねば、かしこにはいみじうぞ嘆い給ひける。





晴れない夜の、月を待つ、私の心を、知ってください。
焦がれる思いは、同じではないとしても。

口々に促されて、紫の紙の、年が経て、古くなっているものに、文字は、さずかに、力強く、中古風の書であり、上と下を、揃えて、お書きになった。
しかし、君は、御覧になり、面白くなくて、そのまま、下に置かれた。
姫君は、どう思っているのかと思うと、心が穏やかではない。
こういうことを、悔しいと、言うのだろうか。だからといい、どうしようもないこと。自分は、それでも、気長に、最後まで、面倒を見ようと思う。と、考えた。
その心を知らず、あちらでは、大変、嘆いていたのである。


我はさりとも心長く見はててむ
それでも、私は、姫を、気長く、面倒みようと思う心が、好色、好き者の、根性である。
はい、さようなら、ではない。
最後まで、面倒を見ることが、好色者の、粋なのである。


姫の書がもまた、源氏を、うんざりさせた。
当時の女性の、書は、流し書きである。
ところが、姫は、力強く、しっかりと、昔風に、書いたのである。

これでは、恋心も、冷める。



大臣、夜に入りて罷で給ふに、ひかれ奉りて、大殿におはしましぬ。行幸の事を興ありと思ほして、君達集まりて宣ひ、おのおの舞ども習ひ給ふを、その頃の事にて過ぎ行く。物の音ども、常よりも耳かしまがしくて、方々いどみつつ、例の御遊びならず。大篳篥・尺八の笛などの、大声を吹き上げつつ、太鼓をさへ高欄のもとにまろばし寄せて、手づからうち鳴らし、遊びおはさうず。御いとまなきやうにて、切におぼす所ばかりこそ、ぬすまはれ給へ、かのわたりには、いとおぼつかなくて、秋、暮れはてぬ。




左大臣が、夜になって、退出されるのに、つられて、君も、大臣邸にいらした。
行幸の楽しさを期待して、若様方が、集まって、お話をされ、めいめいの舞の、数々を習うのを、その頃の仕事にして、月日が過ぎてゆくのである。
楽器の音なども、いつもより、喧しく、皆様、競争での、練習である。
いつもの、音楽の催しとは、違うのである。
大篳篥、おおひちりき、尺八の笛などが、大きな音を立てて、高く吹き上げ、太鼓までも、高欄の傍にころがして、若様方自身が、打ち鳴らし、合奏する。
この有様であるから、君も、暇を見つけられず、是非にと思う所だけは、何とかして、都合をつけて、お出かけになるのだが、あの姫君の所は、ご無沙汰のままである。
そうして、秋が、終わってしまった。

太鼓は、本来、楽人が叩くものだが、今回は、貴族も、縁側近くで、叩くのである。
合奏は、舞のための、音楽である。




なほ頼み来しかひ無くて、過ぎ行く。行幸近くなりて、試楽などののしる頃ぞ、命婦は参れる。源氏「いかにぞ」など、問ひ給ひて、いとほしとはおぼしたり。有様聞えて、命婦「いとかうもて離れたる御心ばへは、見給ふる人さへ心苦しく」などね泣きぬばかり思へり。心にくくもてなして止みなむ、と思へりし事を、くたけていける、心もなくこの人の思ふらむをさへおぼす。



姫君の方としては、頼みにしていたことが、そのままに、月日が過ぎてゆく。
行幸が、近くなり、試楽、音楽会などて、騒いでいる頃に、命婦が、参上した。
源氏が、どんな様子かと、お尋ねになる。
気の毒ではあると、思っている。
姫君の様子を、申し上げて、命婦は、こんなにまで、捨てておかれましたら、お傍の者さえ、辛いことです。などと、泣かんばかりの様子である。
床しい人と、思わせる程度で、止めようと、思っていたのであろうと、命婦の気持を、思う。
その計画を、駄目にしたのは、思いやりが無いと、命婦は、思っているだろうと、思う。
そこまで、源氏は、気にする。


御心ばへは
その心の有様である。


心にくくもてなして
心にくくと、思えばである。

くたいてける
くたしての音便であり、計画を駄目にした。
予想を台無しにしたのである。
砕いてしまった、とも言える。

思ふらむをさへおぼす
相手の思うことを、想像するのである。


正身の、物は言はでおぼしうづもれ給ふもいとほしければ、源氏「いとまなき程ぞや。理なし」と、うち嘆い給ひて、源氏「物思ひ知らぬやうなる心ざまを、懲さむと思ふぞかし」と、ほほえみ給へる、若う美しげなければ、我もうち笑まるる心地して、「わりなの、人に怨みられ給ふ御齢や、思ひやり少なう、御心のままならむも道理」と思ふ。この御しそぎの程過ぐしてぞ、時々おはしける。

その心の有様である。




本人が、物も言わずに、塞ぎ込んでいる様を、思うにつけ、気の毒で、源氏は、あまりに、幼い姫君の、心根を、懲らしてあげようと、思うと、笑って言う。
そのお顔が、若々しく、可憐で、命婦自身も、つい、微笑んでしまいそうになる。
女に怨まれるのも、仕方のない年頃。女に同情がなく、我がままをなさるのも、無理が無いと、命婦は、思う。
源氏は、この行幸の、忙しい準備の時期を、過ぎてから、時々、通うようになった。

いとかうもて離れたる御心ばへは
特に、離れた心、つまり、女を、振り向きもしない心。


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2008年11月17日

もののあわれ328

かの紫のゆかり尋ねとり給ひては、そのうつくしみに心入り給ひて、六条わたりにだに、かれまされり給ふめれば、まして荒れたる宿は、あはれにおぼしおこたらずながら、もの憂きぞわりなかりける。所狭き御物恥を見あらはさむの御心も、殊になうて過ぎ行くを、また「うち返し見まさりするやうもありかし。手さぐりのたどたどしきに、あやしう心得ぬ事もあるにや。見てしがな」と思ほせど、けざやかにとりなさむも眩し。



あの紫、藤壺のゆかりの姫君を、手に入れてからは、その人を、可愛がるのに、夢中で、六条あたりにさえも、次第に足が遠のくのである。
まして、荒れ果てた、宮邸の事は、可愛そうだと、常に気にかけているものの、何とも、気が進まないのは、仕方のないこと。
むやみに、恥ずかしがる人の、正体を見極めようという、気持も、格別に思わずに、日が過ぎてゆく。
それとは、別に、うち返し見まさりするやうもありかし、反対に、見直すところも、あるのでは。いつもは、暗闇の手探りだから、変に、おかしなところもあるのだろう。きちんと、見たいものだ、とも、思う。
だが、はっきり見る手立てるのも、きわりが悪いのである。


けざやかにとりなさむも眩し
けさやか
はっきりと、明確に。
とりなさむも眩し
取り成すことは、眩しい、つまり、気恥ずかしい、きわりが悪い。



うちとけたる宵居の程、やをら入り給ひて、格子の間より見給ひけり。されど、自らは見え給ふべくもあらず。凡帳など、いたく損はれたるものから、年経にける立処変らず、おしやりなど乱れねば、心もとなくて、御達四五人居たり。御台・秘色やうの唐土のものなれど、人わろきに、何のくさはひもなくあはれげなる、罷でて人々食ふ。隅の間ばかりにぞ、いと寒げなる女房、白き衣のいひしらず煤けたるに、きたなげなるしびら、引き結ひつけたる腰つき、かたくなしげなり。さすがに櫛おし垂れて挿したる額つき、「内教坊・内侍所の程に、かかる者どもあるはや」と、をかし。



女房たちと、寛いでいる宵の頃、源氏は、そっと、姫の寝殿に入って、格子の間から、内を覗いてみた。
しかし、姫からは、見えるはずがない。
凡帳などは、酷く痛んでいるものの、長年置いてある場所は、変わらず、動かしていないので、姫は、見えず、物足りないが、女房が、四、五人いる。
お膳には、青磁らしい舶来物が見えるが、不体裁で、料理など、風情もなく、粗末なものを、くさはひもなく、おかずもないのである、御前から下げて、食べている。
隅の方で、酷く寒そうにした女房が、白い着物の、言いようもなく煤けたものに、汚れた、しびら、上着を、結び付けている、腰恰好は、ぎこちなく、見苦しい。
それでも、櫛だけは、垂れ加減に挿している。その額の有様は、内教坊や、内侍所に、こんな者たちがいると、おかしく思う。


姫の貧しい生活を、源氏は、見た。
見られている者たちは、まさか、貴人である、源氏に見られているとは、知らないのである。



かけても、人のあたりに近うふるまふ者とも、知り給はざりけり。女房「あはれ、さも寒き年かな。命長ければ、かかる世にも逢ふものなりけり」とて、うち泣くもあり。女房「故宮おはしましし世を、などてからしと思ひけむ。かく頼みなくても過ぐるものなりけり」とて、飛び立ちぬべくふるふもあり。様々に人わろき事どもを憂へあへるを、聞き給ふもかたはらいたければ、たちのきて、ただ今おはするやうにてうちたたき給ふ。



貴人が近くにいることを、知らずにいるのである。
女房は、本当に、寒い年だこと。長生きすると、こんな辛い目にも、遭うものですと、泣く女房もいる。
宮様が、いらした時代を、どうして、辛いと、思ったでしょう。こんな心細いことでも、暮らせば、暮らせるものでしたと、飛び上がりそうなほど、震えている者もいる。
それらの、みっともない様、話し合いを聞いているのが、いたたまれなく、そこを、離れて、今丁度、来たかのように、見せかけて、格子を叩く。



「そそや」など言ひて、燈とりなほし、格子放ちて入れ奉る。侍従は斎院に参り通ふ若人にて、この頃はなかりけり。いよいよあやしう、ひなびたる限りにて、見ならはぬ心地ぞする。いとど、うれふなりつる雪、かきたれいみじう降りけり。空の気色烈しう、風吹き荒れて、大殿油消えにけるを、燈しつくる人もなし。かの物におそはれし折おぼし出でられて、荒れたる様は劣らざめるを、程の狭う、人気の少しあるなどに慰めたれど、すごう、うたていざとき心地する夜のさまなり。をかしうも、あはれにも、やうかへて心とまりぬべき有様を、いとうもれすくよかにて、何の栄なきをぞ、口惜しうおぼす。




女房が、それそれと、言って、燈火を明るくして、格子を開けて、お入れする。
侍従は、斎院にも、奉仕している女房で、この時は、こちらにいなかった。
それゆえ、ますます、みすぼらしい、田舎じみた女房ばかりで、君の目には、勝手が、違うように、見える。
女房たちが、心配していた雪が、降ってきた。
空の様子が、酷くなり、風が吹きすさんで、燈火が、消えてしまった。
それを、点ける、女房もいない。
源氏は、あの、物の怪に襲われた時のことが、思い出されて、荒れている様は、同じだが、邸の構えが狭く、人気があるということで、気を落ち着けていた。
不気味で、嫌な感じがする。
寝付かれない夜である。
しかし、それはまた、それなりに、面白いとも、風情があるともいえる。
普通と違うという家である。
ただ、姫が、引っ込み思案で、無愛想なので、張り合いがないのを、残念に思うのである。

かのものにおそはれし折おぼし出でられて
夕顔の時の、物の怪に、襲われた夜のことを、思い出して。

やうかへて心とまりぬべき有様
訳するのは、難しい言葉である。
様かへて、心とまりぬべき有様
心とまりぬべき
心がひかれる

普通と違う印象を受けるという、感覚である。が、原文の持つ、微妙な感覚は、訳せない。

いとうもれすくよかにて
これも、難しい。
いと うもれ すくよかにて
大変、埋もれ、健よかにてと、変換しても、意味が違う。
姫が、そのようであることを、張り合いがないと思うのである。

大変引っ込み思案で、潤いや優しさに欠けて、取りえもない。
すくよかに、は、形容動詞という、すくよかなり、の、連用形となる。
健よかという意味もあり、無愛想という意味、そして、けわしい、という意味もある。

文法を解読してゆくと、面白みが、欠けるので、省略してゆく。


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2008年11月18日

もののあわれ329

からうじて明けぬる気色なれば、格子手づからあげ給ひて、前の前栽の雪を見給ふ。踏みあけたるあともなく、遥々と荒れ渡りて、いみじうさびしげなるに、ふり出でて行かむ事もあはれにて、源氏「をかしき程の空も見給へ。尽きせぬ御心の隔てこそ理なけれ」と、怨み聞え給ふ。



やっと、夜が明けた。
源氏は、格子を自ら上げて、庭の植え込みの、雪を御覧になる。
人が踏み分けた跡もなく、一面荒れていて、大変寂しげである。
姫君を、振り捨てて、帰るのも、可愛そうだと、思われて、趣のある、空の様子でも、御覧下さい、あなたの、いつまで続く、お心の隔ては、理解できませんと、怨みこどを、申し上げる。



あはれにて
この場合は、可愛そうである。

風景描写の、遥々と荒れ渡りて、いみじうさびしげなるに、とは、実に、それを見る者の、心の様を、重ねる。
つまり、人の心と、風景が、同化するのである。
風景は、心の姿になっている。
私は、それを、驚く。
自然が、対立したものではなく、我と、同じく、また、一緒のものであるという、共感である。




まだほり暗けれども、雪の光に、いとど清らに若う見え給ふを、老人ども笑み栄えて見奉る。老女「はや出でさせ給へ。あぢきなし。心うつくしきこそ」など教へ聞ゆれば、さすがに、人の聞ゆる事をえいなび給はぬ御心にて、とかう引き繕ひて、いさすがに、人の聞ゆる事をえいなび給はぬ御心にて、とかう引き繕ひて、いざり出で給へり。見ぬやうにて、外の方をながめ給へれど、後目はただならず。「いかにぞ。うちとけまさりのいささかもあらば嬉しからむ」と、おばすも、あながちなる御心なりや。




まだ少し、暗い様子の中で、雪の光によって、源氏の君が、たいそう美しく若々しく見える。
老いた女房達が、にこにこして、申し上げる。
早く、お出ましなさいませ。あぢきなし、趣がありません。女は、可愛らしいのがいいです、などと、教えて上げるので、さすがに、姫も、逆らえない様子で、身支度をして、源氏の元に、膝で移動して、出られる。
源氏は、それを、見ない振りをして、外を眺めているが、後目、それは、しり目、つまり横目は、尋常ではない。
いかにぞ、どんなにか、姫の姿を拝見するようになってから、すぐれたところがあれば、嬉しいと、思う。
おばすも、あながちなる御心なりや、とは、作者の思いである。
それは、源氏の勝手な、思いである、というのだ。


源氏の姿を、雪の光に、いとど、清らに若うみえたまふを
雪の光に、照り映える源氏の姿を、美しく、若々しいと、表現する、作者は、しかし、源氏を、直視させない。
あくまでも、読者の、想像に任せる。
それは、この物語に、流れるもの。
何故、源氏の容姿を、描かないのか。
つまり、この物語は、嘘ですということだ。しかし、嘘ですという、作者の、策略が、読者には、あたかも、事実の物語のように、思わせるという。

これが、現代の、文学賞の選考会だと、主人公の顔が、見えない。主語が無い、文章であり、実に、未熟な作品であると、判断、判定されるであろう。
日本の文には、主語が無いというのが、当たり前で、いかに、欧米の文法というものに、侵されたかが、解るというもの。

日本文は、日本の伝統に則り、理解するものであり、欧米の文法で、解釈することが、誤りの元である。
正しさの問題ではない。


えいなび給はぬ御心にて
え いなび 
否である。
え、ではない、御心となる。
え、とは何か。
あいうえお、の、え、の意味は、留めと動き。留める、そして、行為する。一音の意味である。
留まり動くのではない。つまり、姫は、おっとりしているという、訳になるが、原文のイメージは、原文の方が、よい。

文法では、否を、ぬ、で打ち消し、え、では、不可能という意味になり、実に、複雑に、面倒な、解釈になり、ここで、文法というもので、やられる。
物語が、面白くならないのは、この、文法解釈である。
迷路の中に、沈没する。

いなび、を、ぬ、で、打ち消し、その前の、え、で、不可能という意味になっていて、そこで、何がなんだか、解らないが、暇な学者は、姫が、おっとりとしていると、訳すという、段取りである。

だから、私は、文法を、切り捨てて、進む。

文法を、お勉強することを、否定するのではない。
分析を好きな人は、大いに、お勉強するべきである。

後目とは、横目である。
源氏は、まだ、姫の顔を、見ていないのである。
いつも、暗闇の中で、交わるからである。

次に、いよいよ、姫の容姿が、語られる。
その、批評は、凄まじい。
女が、女を判定するのが、いかに、酷いものか。
ここまで、書くかという、程の、散々さである。

源氏の容姿と、比べると、天地の差である。


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2008年11月19日

もののあわれ330

まづ、居丈の高く、を背長に見え給ふに、「さればよ」と胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、御鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗り物と覚ゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたる事、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、大方おどろおどろしう長きなるべし。痩せ給へる事、いとほしげにさらぼひて、肩の程などは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。



姫君は、まず、座高が高く、胴長に見えるので、源氏は、矢張りと、がっかりする。
続いて、ああ、見苦しいと、見えるのは、鼻であった。
思わず、鼻に、目が止まる。
普賢菩薩の乗り物にある、象のように思えるのだ。
鼻は、あきれるぼと、高く伸びて、先の方が、少し垂れて、赤く色づいているのが、とても、嘆かわしいのである。
特に、嘆かわしいのは、肌の色。雪も恥ずかしいほど、白く、青く見えるほどである。
額が、大変広いのに、まだ、その下が、大変長くありそうな顔は、おおかた、甚だしく長い顔なのであろう。
その、痩せていることといったら、気の毒なほどに、骨が目立ち、肩のあたりは、痛々しいほど、衣の上に見えるのである。

凄い、表現である。
ここまで、言うかというほど、書いている。
作者は、女であるから、女に対しては、容赦しない物言いである。
作者の周囲に、このような、女がいたのであろうか。

胸つぶれぬ
胸がドキドキする。
酷く驚くのである。

あな、かたは
あな、は、感動である。かたは、は、不体裁である。見苦しいという意味。

鼻の様子で、色づきたる、赤く色づいていることから、この段の、末摘花という、名になった。


「何に残りなう見あらはしつらむ」と思ふものからめづらしき様のしたれば、さすがにうち見やられ給ふ。頭つき髪のかかりはしもうつくしげに、めでたしと思ひ聞ゆる人々にも、をさをさ劣るまじう、うちぎの裾にたまりて、ひかれたる程、一尺ばかりあまりたらむと見ゆ。着給へる物どもをさへ言ひたつるも、物言ひさがなきやうなれど、昔物語にも、人の御装束をこそ先づ言ひためれ。



源氏は、何故、見てしまったのかと、思うものの、めったに見られない様なので、つい、自然と、見てしまうのである。
頭髪、髪のかかり具合は、源氏が、可愛らしいと、思う人々、女達からも、劣らない様子で、うちぎの、裾にたっぷりと、たまって、その先に引かれた髪も、一尺ほどもあまっているのかと、見える。
お召しになっているものまで、あれこれ言うのも、物言いが、意地悪だが、昔物語にも、女の、お召し物のことを言うのだからと。

うちぎ
内に着るもの。何枚か重ねて着る。女の平常の上着にもなる。

着給へる物どもをさへ言ひたつるも
作者のいい訳である。
作者の気持が、多分に入り込むのである。



ゆるし色の理なう上白みたる一襲、名残なう黒きうちぎ重ねて、上着にはふるき皮衣、いと清らにかうばしきを着給へり。古代の故づきたる御装束なれど、なほ若やかなる女の御よそおひには、似げなうおどろおどろしき事、いともてはやされたり。されど、げにこの皮なうて肌寒からまし、と見ゆる御顔ざまなるを、心苦しと見給ふ。なにごとも言はれ給はず、我さへ口とぢたる心地し給へど、例のしじまも試みむと、とかう聞え給ふに、いたう恥ぢらひて、口覆し給へるさへ、ひなび古めかしう、ことごとしく、儀式官のねり出でたるひぢもち覚えて、さすがにうち笑み給へる気色、はしたまうすずろびたり。いとほしくあはれにて、いとど急ぎ出で給ふ。


薄紅の、白ちゃけた、単衣を、ひと重ね、その上に、以前は、何色だったのか判らないな、黒ずんだ、うちぎを重ねて、上着には、ふるきの皮の綿入れで、大変美しく、香の薫りが染み込んだものを、着ている。
古風で、由緒ある、衣装だが、やはり、若々しい女の衣装としては、不似合いで、仰々しいのであり、特に目立つのである。
しかし、それがなければ、肌寒いであろうと、思われる。
姫君のお顔の様子を見て、源氏は、気の毒に思われるのである。
源氏は、何も言うことが出来ず、自分までも、無口になってしまうのだが、いつもの、姫の、だのんまりを試してみようと、あれこれと申し上げるが、姫君は、大変恥じらい、口を覆ったままで、その様までも、田舎じみて、古めかしく、大袈裟で、儀式官が、歩き出した時の、その肱の張り具合が、思い出され、さすがに、微笑む様子も、ちぐはぐで、落ち着かない。
源氏は、気の毒と、かわいそうで、急ぎ、帰られるのである。

ゆるし色
薄い紫、薄い紅色のことであり、濃い紫、濃い紅色の衣装は、帝の許しがいるものであった。
それゆえ、禁色、きんじき、と、呼ばれた。

一襲
ひとかさねと、読む。

黒豹の皮で作ったものを、ふるき、という。

もてはやされたり
もてはやす、とは、美しく見せる、引き立たせるという意味。
現在、もてはやすは、人が他人に対しての、行為であるが、ここでは、自ら、不釣合いが、目立つという、意味での、もてはやす、である。

はしたなう、すずろびたり
はしたなし、とは、中途半端である。体裁をなさない。
すずろぶ、とは、目的なく、理由もない、状態である。
関係が明確でなく、落ち着かない様子。
大袈裟な、身振りで、わずかに、微笑むことの、不釣合いである。
それは、滑稽である。

ここまで、作者は、姫君を、描くという。
当時の最悪の状態にある、姫君の、様子ということで、実に、学ばせられるものである。
ここまで、書かれれば、参ったと言うしかない。

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2008年11月20日

もののあわれ331

源氏「たのもしき人なき御有様を、見そめたる人には、疎からず思ひむつび給はむこそ、本意ある心地すべけれ。ゆるしなき御気色なれば、つらう」などことつけて、

源氏
朝日さす 軒のたるひは とけながら などかつららの 結ぼほるらむ

と宣へど、ただ「むむ」と、うち笑ひて、いと口おもげなるもいとほしければ、出で給ひぬ。



源氏は、頼れる人もいない様子ですから、あなたを見初めた私に、よそよそしく、しないで、親しんでくだされば、本望です。しかし、中々そのように、ならないのが、残念です、などと、口実を作り、
源氏
朝日が射す、軒のつららは、溶けているのに、どうして、あなたは、氷のように、口をつぐんで、打ち解けてくれないのでしょう。

と、仰るが、姫君は、ただ、むむっと、笑い、たいそう口が重い様で、返歌を待つのは、気の毒と、源氏は、邸を後にした。


実は、源氏は、姫の容姿や、その対応に、嫌気が差したが、それを、あからさまに言わないのである。
それで、距離を置くべく、姫の対応の無さに、かこつけて、それを、口実にして、距離を置くのである。
それも、極めて、相手を粗末にしないという、心得である。

ことつけて
かこつける。口実を作り。そして、逃げるのである。
それも、源氏の優しさである。

笑いを、むむ、と表現する。
擬音である。
日本語には、この擬音や、擬態語というのが、多い。
日本人ならば、それが、何となく、解るのである。

源氏は、色好みの、礼儀として、この姫を、最後まで、面倒みるのである。

ここにも、源氏物語の、粋がある。
決して、はいさようならと、捨てることはない。



御車よせる中門の、いといたうゆがみよろぼひて、夜目にこそ、しるきながらも、よろづ隠ろへたる事多かりけれ、いとあはれにさびしく荒れまどへるに、松の雪のみ暖かげに降り積める、山里の心地してものあはれなるを、「かの人々の言ひしむぐらのかどは、かうやうなる所なりけむかし、げに、心苦しくらうたげならむ人をここちすえて、うしろめたう恋しと思はばや。あるまじき物思ひは、それに紛れなむかし」と、「思ふやうなる住処に合わぬ御有様は、とるべき方なし」と、思ひながら、「我ならぬ人は、まして見しのびてむや。わがかうて見慣れけるは、故親王のうしろめたくとたぐへ置き給ひけむ魂のしるべなめり」とぞ、おぼさるる。



御車を、寄せてある中門が、酷く歪んで、倒れそうである。
夜目だからこそ、はっきり見えたようでも、隠れていることも、色々あったわけだ。
今朝は、気の毒にも、寂しく荒れ果てた所に、松の雪だけが、暖かそうに、降り積もっている。
山里かと、思われて、ものあはれなるを。
これを、現代文に訳することは、出来ない。
山里かと、思われて、ものあはれ、とは、当時の心境であり、今では、どのような心境であるかということを、想像するしかない。
山里かと思えて、しんみりとするが、とでも、訳すのか。
しみじみと、感じ入るというのか。
寂しく荒れ果てた所に、松の雪が積もっている。それは、その風景は、風景のみにあらず、心象風景として、心の中にある、あはれに、結びつくのである。
そこで、ものあはれなり、と書く。
私が、源氏物語の中にある、風景描写に、もののあはれ、というものを、観ると言うのは、これである。
人の心の機微だけではない。
風景に、託す思いに、もののあはれ、という、心象風景が、重なるのである。
すでに、心にある風景が、もののあはれなのであるという、平安期の心の風景である。
それを、日本人は、求め続けてきた。
それを、また、著わすのに、自然描写をするのである。決して、観念としての言葉を、用いないのである。
ここに、日本の思想というものの、姿がある。
観念論を打ち立てないこと。
それは、風景や自然を観る心に宿り、更に、それは、所作に表れるのである。
物語の訳を続ける。
雨夜の、品定めで、あの連中が言った、草深い家とは、このようなところなのだろうか。
なるほど、いじらしい、可愛い女が、ここにいて、気になり、恋しくてたまらないと思うものだ。
けしからぬ、我が思いは、それで、紛らわせようか。
などと、思ったり、また、自分以外の人なら、自分以上に、我慢できようか。私が、こうして知り合ったのは、亡き常陸の宮が、気にしてのこと。後に残った者に対する、魂の、導きであろう。と、思うのである。

あるまじき物思ひ
これは、藤壺のことである。
その思いで、今回のことを、紛らわせようとしている、我が身の、後ろめたさである。

非常に、微妙な心の有様である。
プレイボーイが、多くの女と交わるが、最も、恋しい女は、あるまじき人への、思いなのである。
どんなに、多くの女と、関係を持っても、満足しないのは、実は、あるまじき女への、思いがあるからである。

結婚を決めた女がいるにも関わらず、別の女と、関係を持ち、妊娠させた、男を知っているが、第三者から見れば、その行為は、不徳の行為であり、いい気な者なのであるが、男というもの、単純にいかないのである。

他の女とも、交わりたい、しかし、好きな女がいる。
欲望のままにと言えば、解る気がするが、それだけではない、何か、もっと、別のもの、別の心境があるようである。
男の、我が儘で、済ませられない、何かである。

浮気心とは、男の、微妙たゆたう、不確実性ではないかと、思える。
要するに、不安なのである。
それは、人生に対する、生きることに対する不安が、恋というものに、逃避させるのである。
ひと時の恋、プレイラブに、逃げる。
それを、女は、誠実ではないと、言う。
男は、不安だから、女を抱かざるを、得ないといえば、女は、納得するかといえば、しない。だから、男と女の関係は、永遠に、溝がある。そして、その溝は、埋められない。

それは、実に、あはれ、なのである。
あはれ、を、生きるしかないのである。

何故、紫式部は、それに気づいたのか。
それは、当時の結婚形態にもよるものであると、私は、思う。

男は、複数の女と、関係して、当たり前の時代である。
更に、通い婚である。

源氏物語の、理解は、当時の風習、風俗を理解することは、勿論のことだが、実は、あはれ、という、風景を、まず、理解しなければならない。

何故、もののあはれ、なのか。そして、もの、とは、何かである。
あはれ、の前に、もの、がつくには、意味がある。

この、もの、というものを、見つめて書き続けてゆく。

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2008年11月21日

もののあわれ332

橘の木の埋もれたる、御随身召して払はせ給ふ。うらやみ顔に、松の木のおのれ起きかへりて、さとこぼるる雪も、「名にたつ末の」と、見ゆるなどを、いと深からずとも、なだらかなる程に、あひしらはむ人もがな、と、見給ふ。



橘の木が、雪に埋もれているのを、御随身を呼んで、払わせる。
それをうらやんでか、松の木が、ひとりでに起き返って、さっと、雪がこぼれる。
それは、名にたつ末の松山の白波かと、見えるのである。
それぼと、立派な返答ではなくても、受け答えが出来る人が、欲しいものだと、それを、御覧になる。

名にたつ末の松山
古今集
君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波もこえなむ
これを本歌とする。



御車出づべき門は、まだあけざりければ、鍵のあづかりたづね出でたれば、翁のいといみじきぞ出で来たる。むすめにや、孫にや、はしたなる大きさの女の、衣は雪にあひて煤けまどひ、寒しと思へる気色深うて、あやしきものに、火をただほのかに入れて袖ぐくみに持たり。翁門えあけやらねば、寄りてひき助くる、いとかたくななり。御供の人寄りてぞあけつる。



御車が出るはずの、正門は、まだ開けてなかったので、鍵の管理人を探すと、年寄りが出て来た。
娘なのか、孫なのか、よくわからない年齢の、女が出て来た。
着物は、雪明りのため、汚れが目立ち、いかにも、寒そうである。
変な入れ物に、火を少しばかり入れて、袖で包んでいる。
年寄りが、門を開けかねているのを見て、側へ寄り、助けている恰好は、見られたものではない。
源氏の御供の者が、そこに行き、開けた。



源氏
ふりにける 頭の雪を 見る人も 劣らずぬらす 朝の袖かな

わかき者はかたちかくれず」と、うちずし給ひて、鼻の色に出でて、いと寒しと見えつる御面影、ふと思ひ出でられて、ほほえまれ給ふ。頭の中将にこれを見せたらむ時、いかなる事をよそへ言はむ、常にうかがひ来れば、今見つけられなむ、と、術なうおぼす。



源氏
老人の、頭に降り積もる、雪の白髪を見ていると、私の袖まで、老人に負けず、濡れるのである。今朝の雪に。

若きものは、かたち隠れずと、口ずさむが、鼻中云々という、詩の言葉から、鼻が赤く色づいて、たいそう寒そうに見えた、姫君の、お姿が、ふと思い出されて、自然と微笑むのである。
頭の中将に、姫君を見せたら、どのように、表現するだろう。
いつも、様子を伺っているのだから、すぐに、見つけられてしまうだろうと、やりきれなく思うのである。


鼻中云々の詩とは、白楽天の、詩の一節である。
内容は、省略する。

術なうおぼす
隠れる術は無い。見つけられる。



世の常なる程の、異なる事なさらば、思ひ棄ててもやみぬべきを、さだかに見給ひてのちは、なかなかあはれにいみじくて、まめやかなる様に、常におとづれ給ふ。ふるきの皮ならぬ絹・綾・綿など、老人どもの著るべき物の類、かの翁のためまで上下おぼしやりて奉り給ふ。かやうのまめやか事も恥づかしげならぬを、心やすく、「さるかたの後見にてはぐくまむ」と思ほしとりて、様ことにさらぬうちとけわざもし給ひけり。



世間並みの、特別に変な器量ならば、忘れて、棄ててしまうだろうが、はっきりと、見てからは、かえって、可愛そうで、堪らず、色気抜きで、いつものお便りをされる。
黒豹でない、絹、綾、錦などを、老女房たちの着る物、あの老人の門番のためまで、上から下までのひとひ度のことを考えて、贈った。
このような、色気抜きの、援助も恥ずかしがらないゆえ、気が楽である。
そういう方の、後見人として、お世話をしようと、考え、普通はしないことまで、立ち入って、されたのである。

こういう、源氏の粋さに、救いを見る。
色恋抜きで、生活の面倒を見るというのである。

作者は、あれほど、姫の容姿を、コケ下ろしていながら、こうして、救いを用意している。
徹底的に、非情になれない。ならないのである。
源氏物語は、戦の場面がないだけではない。
悪人というものが、登場しないことも、特徴である。




「かの空蝉の、うちとけたりし宵の側目には、いとわろかりし容貌ざまなれど、もてなしに隠されて口惜しうはあらざりきかし。劣るべき程の人なりやは。げに品にもよらぬわざなりけり。心ばせのなだらかにねたげなりしを、負けてやみにしかな」と、物の折ごとにはおぼし出づ。



あの、空蝉は、寛いだ夕方に、横から見た時、とても、悪い容貌だったが、身のこなしによって、それほど、酷いとは、思わなかった。
空蝉に、劣る生まれの、姫君であろうか。
女は、身分によらないものである。
空蝉は、気立ては、穏やかで、奥床しい女だった。こちらの、負けで終わった。
と、何かの折に、時々、それを、思い出すのである。


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2008年11月22日

もののあわれ333

年も暮れぬ。内裏の宿直所におはしますに、大輔の命婦参れり。御けづりぐしなどには、懸想だつ筋なく心やすきものの、さすがに宣ひたはぶれなどして、使ひ慣らし給へれば、召しなき時も、聞ゆべき事ある折は参うのぼりけり。命婦「あやしき事の侍るをを、聞えさせざらむも、ひがひがしう思ひ給へわづらひて」と、ほほえみて聞えやらぬを、源氏「何
ざまの事ぞ。我にはつつむ事あらじ、と、なむ思ふ」と宣へば、命婦「いかがは。自らの憂へは、かしこくとも先づこそは。それはいと聞えさせにくくなむ」と、いたう言籠めたれば、源氏「例の、えんなる」と憎み給ふ。「かの宮より侍る御文」とて、取り出でたり。源氏「ましてこれは、とり隠すべき事かは」とて取り給ふも胸つぶる。みちのくに紙の厚肥えたるに、匂ばかりは深うしめ給へり。いとよう書きおほせたり。歌も


からごろも 君が心の つらければ 袂はかくぞ そぼちつつのみ




年も暮れた。
御所の、宿直所にいらっしゃると、大輔の命婦が、参上していた。
御梳り櫛などされる時には、色恋のことはないから、心の負担はない。
それでも、冗談など言い、使っていられるので、お召しがないときでも、申し上げる事のある時には、参上した。
命婦は、妙な事が、ございますが、申し上げずにいるのは、よからぬと考えましてと、微笑んで、その先を、言わない。
源氏が、どんな事だ、私に、隠すことは、あるまいと、言う。
命婦は、どうして、隠しましょう。私の心配事は、恐れ多い事ですが、第一に、貴方様に申し上げます。でも、実に、申し上げにくく、と、言いにくそうにしているので、源氏は、いつもながら、思わせぶりなと、叱る。
命婦は、あの宮様からございましたお手紙のことで、と、取り出した。
源氏は、何よりも、これは、隠していてよいものかと、言って、それを取り、幻滅する。
陸奥紙の厚いものに、香料を、深く染み込ませている。
文字は、よく書けている。
歌がある。


貴方様の、お心が、冷たいようで、袂が、こんなに濡れてばかりいます

命婦の、御梳り櫛とは、要するに、髪型である。
源氏に逢うのに、色恋ではないから、気持の負担がないという。
それでも、何かと、源氏に言われるので、とある。

お召しがない時でも、申し上げることのある時には、参上した。
結構、源氏と、親しい関係である。

命婦が、妙なことだというのは、あの、姫が、源氏に手紙と、贈り物をということだ。

からごろも、とは、唐のもの、つまり、舶来品である。
着るの、枕詞である。

いつかわれ 涙のたえむ から衣 君が心の つらき限りは
元真集からの、元歌がある。

袂はかくぞ
とは言うが、かくぞ、とは、これほど、という意味で、その、これほどの品がないので、源氏は、不審である。




心えず、うちかたぶき給へるに、つつみに衣ばこの重りかに古代なる、うち置きて、おし出でたり。命婦「これを、いかでかは、かたはらいたく思ひ給へざらむ。されど、朔日の御よそひとて、わざと侍るめるを、はしたなうはえ返し侍らず。ひとり引き籠め侍らむも、人の御心違ひ侍るべければ、御覧ぜさせてこそは」と、聞ゆれば、源氏「引き籠められなむは、からかりなまし。袖まきほさむ人もなき身に、いと嬉しき志にこそは」と、ことに物も言はれ給はず。「さてもあさましの口つきや。これこそは手づからの御事の限りなめれ。侍従こそ取り直すべかめれ。また筆のしりとる博士ぞなかんべき」と言ふかひなくおぼす。



心えず、何とも、合点がいかず、首をかしげていると、包み布の上に、衣箱の、重々しく、古めかしいものを置いて、源氏の前に、差し出した。
命婦は、こんなものを、どうしてお目にかけられましょうか。でも、元旦のお召し物にと、わざわざ、お贈りされるのですから、あちらに構わず、お返しも、出来ませんし。
私の一存で、しまっておくのも、姫の、お考えに背くでしょうし、御覧にいれた上でと、思いましてと、申し上げる。
源氏は、しまってしまわれては、たまらない。濡れた袖を、枕にして、乾かしてくれる人もいない私にとっては、嬉しい贈り物だ。
と言いつつ、その後が続かない。
それにしても、あきれた歌の詠みぶりだなあ。
これが、ぎりぎりのところなのだろう。
侍従がいれば、手直しするものを。他に、書きようを、教える、先生もいないのだなと、お話にならない、気分である。

姫の、とんちんかんな、対応と、更に、歌の拙さである。
だが、それかまた、面白い。
今で言えば、真面目に、お笑いをしているようなもので、実に、おかしいのである。

ズレている。
その、ズレが、面白い。
源氏に、贈り物というのも、あの、生活の中から、どうしてと、思わせる。
作者は、姫を、笑いものにしているのではない。
当時も、このように、頓珍漢な、女がいたのであろう。
悪気なく、お笑いのような、である。



心をつくしてよみ出で給ひつらむ程をおぼすに、源氏「いともかしこきかたとは、これをも言ふべかりけり」と、ほほえみて見給ふを、命婦面赤みて見奉る。今様色の、えゆるすまじく艶なう古めきたる、直衣の裏表ひとしうこまやかなる、いとなほなほしう、つまづまぞ見えたる。あさまし、と、おぼすに、この文をひろげながら、端に手習ひすさび給ふを、側目に見れば、

源氏
なつかしき 色ともなしに 何にこの すえつむ花を 袖にふれけむ

色濃き花と見しかども」など、書きけかじ給ふ。花のとがめを、なほあるやうあらむ、と思ひ合はする折々の月影などを、いとほしきものから、をかしう思ひなりぬ。



一生懸命に、詠まれたことを、想像すると、いともかしこきかたとは、これを言ふべかりけり、と言う。現代の言葉に訳せない。
とても、頑張って、自分で、感激して歌った歌であるとは、このような歌だ、とでも、訳すか。
と、微笑んで、御覧になる。
命婦は、赤面である。
薄紅色の、えゆるすまじく、考えられないような、艶のない、古めいた衣と、直衣の、裏と表と、同じほど、濃い色とが、平凡な仕立てで、その端々を見せている。
堪らないなあと、思いつつ、手紙を広げたまま、端の方に、いたずら書きを、横から見ると、

源氏
心引かれる女でもないのに、どうして、赤い鼻の女を、相手にしたのやら

なつかしき、色ではないのに、どうして、すえつむ花と、縁したのか、である。

色の濃いはなとは、思ったが、など、書き散らす。
この紅花をけなす、歌は、何か、仔細があろうと、思案の末、何度か、月明かりに見た、姫の姿を思い出し、気の毒ではあるが、面白い歌だとも、思うのである。

色の濃い花とは、思ったが、色の濃い鼻とは、思わなかった。
喜劇的、あるいは、悲劇的、お話である。
色好みの源氏に、痛烈に、ノックアウトを、くらわしているようにも、思えるのだが、私には。

作者は、源氏を、突き放して見ているようである。


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2009年02月03日

もののあわれ 403

十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。いみじう尊し。日々に供養せさせ給ふ御経よりはじめ、玉の軸、羅の表紙、ちすの飾りも、世になきさまに整へさせ給へり。さらぬ事の清らだに、世の常ならずおはしませば、ましてことわりなり。仏の御飾り、花机のおほひなどまで、まことの極楽思ひやらる。




十二月十日過ぎの頃、中宮の、御八講である。
これは、法華経を書写したものである。
それは、大変立派である。毎日、供養する、お経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、じすの飾りも、ほかでは、見られないほど、立派に作られてある。
これほどのことでなくても、立派であるのに、世間と違う、お方ゆえに、この場合は、当然であろう。
仏の、お飾りも、花の机の覆いなどまでも、まことの、極楽を思わせるようだ。





初めの日は先帝の御料。次の日は母ぎさきの御ため。またの日は院の御料。五巻の日なれば、上達部なども、世のつつましさをえしもはばかり給へれば、たき木こるほどよりうち始め、同じういふことの葉も、いみじう尊し。み子たちも、さまざまの棒物ささげてめぐり給ふに、大将殿の御用意など、なほ似るものなし。常に同じ事のやうなれど、見奉るたびごとに、めづらしからむをばいかがせむ。





最初の日は、父君先の帝の、追善、次の日は、母后の御ために、その次の日は、院の追善であり、この日は、五巻の日であり、上達部なども、世間の思惑を気にしてもいられず、とても、大勢でいらした。
今日の、講師は、特に心して、選ばれたので、薪樵る、たきぎこる、を始めとして、同じように口にする言葉も、非常に尊く感じられる。
院の御子たちも、さまざまな、捧げ物をもって、仏の周りを回るが、大将殿のお姿には、やはり、比べるものはない。
いつも、同じことを、言いますが、拝見するたびごとに、感心するのでは、いたし方ありません。

大将の御用意など、似るものはない、というのは、作者である。



はての日、わが御事を結願にて、世をそむき給ふよし仏に申させ給ふに、みな人々驚き給ひぬ。兵部卿の宮、大将の御心も動きて、「あさまし」とおぼす。親王は、半ばのほどに、立ちて入り給ひぬ。心強う、おぼしたつさま宣ひて、はつる程に、山の座主召して、いむこと受け給ふべきよし宣はす。




終わりの日は、藤壺が、ご自分のことを、願い、世を逃れる旨を仏に、申し上げるので、一同は、驚いた。
兵部卿の宮や、大将も、平静を保てず、あきれ返るのである。
親王は法会の途中だが、座を立って、御簾の中に、入られてしまった。
中宮は、気強く、決心のほども、仰せられて、会が終わるころ、山の座主を召して、受戒なさることを、仰せられる。




御をぢの横川の僧都、近う参り給ひて、御ぐしおろし給ふほどに、宮のうちゆすりて、ゆゆしう泣きみちたり、何となき老い衰へたる人だに、今はと世をそむく程は、あやしうあはれなるわざを、ましてかねての御けしきにも出だし給はざりつる事なれば、親王もいみじう泣き給ふ。参り給へる人々も、おほかたの事のさまもあはれに尊ければ、みな袖ぬらしてぞ帰り給ひける。




伯父である、横川の僧都が、宮の近くに来て、御髪を切る時は、御殿の中が、響くほどに、泣き声が溢れた。なんでもない、老衰した人でさえも、いよいよ、世を遁れる時には、心悲しいものである。まして、これまで、その素振りのなかった事なので、親王も、ひどく泣くのである。居合わせた人々も、事の成り行きそのものが、悲しくもあり、また、尊く、みな、涙に袖を濡らして、お帰りになるのである。

あやしう あはれ なるわざ
妙に悲しく、思うことであろう。
おほかたの事のさまも あはれ に尊ければ
事の成り行きが、悲しいものであり、更に、尊いことが、あはれ、だという。
悲しみと、感動の、あはれ、ということになる。





故院の御子たちは、昔の御有り様をおぼし出づるに、いとどあはれに悲しう思されて、皆とぶらひ聞え給ふ。大将は、たち止まり給ひて、聞え出で給ふべきかたもなく、くれまどひて思されるれど、「などかさしも」と、人見奉るべければ、みこなど出で給ひぬるのちにぞ、お前に参り給へる。




故院の、御子たちは、宮の昔の、様子を思い出し、胸が締め付けられ、気の毒に思い、皆、慰める。
大将は、後に残り、申し上げる言葉がなく、目の前が、真っ暗に思われて、などかさしも、どうしてあんなことに、と、人が見咎めると思い、親王などが、出てから、藤壺の御前に、伺いに出た。

いとど あはれ に悲しう思されて
とても、あはれに、思われる。
それは、昔の姿を知るからである。そして、剃髪した、今の姿と。
その、差が、あはれ、なのである。


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2009年02月06日

もののあわれ 406

司召の頃、この宮の人は、たまはるべきつかさも得ず、おほかたの道理にても、宮の御たまはりにても、必ずあるべき加階などをだにせずなどして、嘆くたぐひいと多かり。かくても、いつしかと、御位をさり、御封などのとまるべきにもあらぬを、ことづけて変ること多かり。




司召のころとは、定期異動のこと、ここでは、地方異動のことをいう。
この宮の人とは、中宮方の人たちである。
当然、いただくはずの、官職が、いただけず、普通の順番からしても、宮の、御給としても、必ずあるはずの、加階、つまり、位が上にあがることも、なかったので、嘆いている者が、多くいる。
尼になっても、すぐに位がなくなり、御封、つまり、給料としての、民戸である。それも、停止するはずがないのに、尼になったことを、口実に、以前と変わらないのである。




みなかねておぼし捨ててし世なれど、宮人どももより所なげに、「かなし」と思へるけしきどもにつけてぞ、御心動く折々あれど、「わが身をなきになしても、東宮の御世をたひらかにおはしまさば」との思しつつ、御行ひたゆみなくつとめさせ給ふ。人知れず、あやふくゆゆしう思ひ聞えさせ給ふに、よろづを慰め給ふ。




皆、前々から、諦めていらした、この時世だが、宮に、仕える人々も、頼み所もなく、悲しそうにしている様を見るにつけ、お心の動揺することも、時々ある。
我が身が、どうなろうと、東宮が、御世を無事に、治めるあそばせと、そればかりを、思う。そして、お勤めを、たゆまずに、なさっている。
人知れず、不安にも、恐ろしくも思うが、私に免じて、その罪を軽くしてくださいと、仏におすがりになることで、気を休めている。



大将も、しか見奉り給ひて、ことわりにおぼす。この殿の人どもも、また同じさまに、からき事のみあれば、世の中はしたなくおぼされて、こもりおはす。



大将も、宮の心を、推し量り、もっともだと、思う。この邸の人々も、また同じく、嫌なことばかりあるので、世間が、面白くなく、引き籠っていらっしゃるのである。





左のおとども、おほやけわたくし引きかへたる世の有様、物憂くおぼして、致仕の表奉り給ふを、みかどは、故院の、やむごとなく重き御うしろ見とおぼして、長き世のかためと、聞え置き給ひし御遺言をおぼしめすに、捨てがたきものに思ひ聞え給へるに、「かひなき事」と、たびたび用いさせ給はねど、せめてかへさひ申し給ひて、籠り居ひぬ。今は、いとどひと族のみ、かへすがへす栄え給ふこと限りなし。世のおもしと物し給へるおとどの、かく世をのがれ給へば、おほやけも心細うおぼされ、世の人も、心ある限りは嘆きけり。




左大臣、公私共に、すっかりと、変わった世間の情勢に、嫌気がさして、辞表を出すのである。陛下は、故院が、この上なく、大切な、後見人と、考えて、長く天下の柱石とするように、申して、お書きになった、遺言を考えて、手離し難いものとして、ご信任していらっしゃるので、その願いは、ならぬ事であると、幾度も、出直しても、取り上げないのである。
それで、引き籠ってしまった。
今は、いよいよ、ある一族ばかりが、いやが上にも、栄えている。
天下の重鎮だった、大臣が、このように、引退されたので、帝も、心細く、世間の人も、心ある人は、すべて、嘆くのだった。

要するに、故院の、皇后と、右大臣方の、勢力が強く、源氏をはじめ、中宮、左大臣方は、反勢力として、阻害されはじめたのである。
それが、更に、源氏の身に、及ぶことになる。


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