2008年11月05日

もののあわれ316

末摘花 すえつむはな

源氏、十八歳から十九歳である。

思へどもなほ飽かざりし夕顔の露におくれしここちを、年月経れど思し忘れず、ここもかしこも、うちとけぬ限りの、気色ばみ心深き方の御いどましさに、け近くうちとけたりしあはれに似るものなう、恋しく思ほえ給ふ。



思い出し、思い出ししても、飽きることなく、夕顔が露のように、消えてしまったことを、年月を経ても、忘れることができない。
他の女は、気を許さない者ばかりで、気取りや、思慮深さの張り合いである。
夕顔は、親しみがあり、隔てもなかった。あの、可愛い夕顔に、似た者は、いないと、恋しく思い出す。

あはれに似るものなう
いかに、似た者がいないかという、強調である。
それを、あはれ、という言葉で、表現する。

夕顔が、亡くなったことを、露におくれしここちを、と、表現する。
原文は、まさに、名文である。
原文が、そのまま、もののあわれ、というものを、描くのである。




「いかで、ことごとしき覚えはなく、いとらうたげならむ人の、つつましきことなからむ、見つけてしがなし」と、こりずまに思しわたれば、すこしゆえづきて聞ゆるわたりは、御耳とどめ給はぬ隈なきに、さてもやと思し寄るばかりの気配あるあたりにこそは、一行をもほのめかし給ふめるに、靡き聞えずもて離れたるは、をさをさあるまじきぞ、いと目慣れたるや。つれなう心強きは、たとしへなうなさけおくるるまめやかさなど、あまり物の程知らぬやうに、さてしも過ぐしはてず、名残なくくづほれて、なおなおしき方に定まりなどするもあれば、宣ひさしつるも多かりけり。


なんとか、大そうな身分ではなく、可憐な、気兼ねのいらない、人を見つけたいものだと、性懲りも無く、思うのである。
そう、思っているのは、作者である。
こりずまに思しわたれば、とは、作者の意見であろう。
すこしゆえづきて聞ゆるわたりは
何か少しでも、噂があれば、聞き捨てにされないで、云々。
これならと、思われる所には、手紙をやってみる。
それを、振り切る人は、まずもっていないとは、新鮮な思いが、しないのである。と、作者が、顔を出している。
と言っても、すげなく、気の強いのは、言いようも無く、気持の荒い堅苦しさなどは、身の程知らずも、甚だしいが、結局、そのままに通すこともせず、昔の強さは、どこへやらで、妻の座に、片付いてしまう女もいる。
言い寄ったままで、やめることも、多々あった。

このように、源氏を、どうしょうもない男のように、書きつけるのである。
懲りもせずに、色々と、女を物色するのである。

物語の毒は、これである。
性懲りも無く、女を捜し続けるという、男の姿。
更に、一人や二人ではない。数限りない。
そのような男の、姿を、千年前に、物語にするという、根性は、大したものだ。
今も、男は、この闇から、抜けられないでいるし、また、これからも、続くであろう。それを、見抜いた紫式部である。

男の問題は、すべて、ここにある。

散文小説は、源氏物語の、一部をテーマに書かれる。
例えば、江戸時代の、井原西鶴は、そこで、色事のみに、焦点を当てて、書き付けた。
源氏物語を読むことのない、作家というものも、この物語の潜在的、言葉の伝統に、あるのである。

何故なら、漢字かな混じり文の、先駆けが、源氏物語であり、その延長にあるからだ。

源氏物語を、読み通して、なお、小説を書きたいと思うか、否かである。

時代や、設定が、変わるが、問題の質は、変わらない。
矢張り、千年を経た物語だと、言える。



かの空蝉を、物の折々には、ねたう思し出づ。萩の葉も、さりぬべき風の便りある時は、おどろかし給ふ折もあるべし。火影の乱れたりし様は、またさようにても見まほしく思す。おほかた、名残なき物忘れをぞ、えし給はざりける。



かの空蝉とは、ははぎ、のこと。空蝉のヒロインである。
萩の葉とは、空蝉の、継娘で、軒端の萩である。

あの空蝉を、思い出して、癪にさわる時もある。
萩の葉も、適当な時を見つけて、お手紙をやることも、あるだろう。
灯火の光に、見た、打ち解けた姿を、もう一度、見たいものだと、思う。
何事も、忘れることが、出来ない方なのである。
と、作者の、感想である。

源氏の、容姿は、見えないが、源氏という、男のあり様、心のあり様が、次第に、見えてくる。
容姿は、兎に角、美しいの、一点張りである。決して、具体的な、ことは、書かない。
それは、つまり、嘘の話なんですよ、と言っているのである。

この、段の、末摘花は、その容姿を、容赦なく、描く。
その、醜い様を、これでもかと、書く。

女だから、女に容赦なく、書けるというものではない。
更に、源氏の容姿を、曖昧模糊とするのである。
そこに、作者、紫式部の、魂胆がある。

私は、人間の、あはれの様を、描いているのです、よ、という、強烈なメッセージである。
更に、人間のみならず、あはれ、という、風景からは、何物も、逃れ得ないのです、というのである。
私も、その、もののあわれ、というものを、見詰めている。


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2008年11月06日

もののあわれ317

左衛門の乳母とて、大弐のさしつぎにおぼいたるが娘、大輔の命婦とて、内に侍ふ、わかんどほりの、兵部の大輔なる娘なりけり。いといたう色好める若人にてありけるを、君も召し使ひなどし給ふ。母は筑前の守の妻にて、下りければ、父君のもとを里にて行き通ふ。



左衛門の乳母と言って、大弐の尼君に次いで、大切にされている者の娘が、大輔、たゆう、の命婦と呼ばれて、御所にお仕えしている。
皇族の血筋を引く、兵部の大輔である人の、娘である。
まだ若く、中々の発展家であり、君も、お召し使いなさったりした。
母は、筑前の守の妻となり、夫と、一緒に赴任したので、父君の元を里として、御所に通っている。




故常陸の親王の、末にまうけていみじうかなしづき給ひし御娘、心細くて残り居たるを、もののついでに語り聞えれば、あはれの事や、とて、御心とどめて問ひ聞き給ふ。命婦「心ばへかたちなど、深き方はえ知り侍らず。かいひそめ。人疎うもてなし給へば、さべき宵など、ものごしにてぞ語らひ侍る。琴をぞなつかしき語らひ人と思へる」と聞ゆれば、源氏「三つの友にて、今一くさやうたてあらむ」とて、源氏「われに聞かせよ。父親王の、さやうの方にいとよしづきてものし給うければ、おしなべての手にはあらじとなむ思ふ」と、宣へば、命婦「さやうに聞こし召すばかりにはあらずや侍らむ」と言へど、御心とまるばかり聞えなすを、源氏「いたう気色ばましや。この頃の朧月夜に忍びて物せむ。罷でよ」と宣へば、わづらはし、と思へど、内わたりものどやかなる、春のつれづれに罷でぬ。




なき常陸の親王が、晩年にもうけて、大そう可愛がって大事に、育てられた姫君が、父君にも、先立たれて、心細く、暮らしているということを、何かのついでに、申し上げた。
すると、源氏は、気の毒だと、お心が、動き、お尋ねになる。
命婦は、ご性質や、ご器量など、詳しいことは、存じません。ひっそりと、暮らしているようで、誰にも、会いません。
何かの用の時には、夕方、凡帳ごしで、お話されます。
琴のみを、ただ親しいお相手として、思っておいでとか。
源氏は、その琴を、聞かせてくれ。父宮は、音楽に、大そうおたしなみが深くておいでだった。姫君も、並大抵のお手並みではないだろうと、仰る。
命婦は、それほど、お聞きになられるものでも、ございませんでしょう、と言うが、その話し振りは、そそのかすように言う。
源氏は、思わせぶりだ。この頃の、朧月夜に、こっそりと、行ってみよう。お前も、退出せよと、仰せられる。
困ったと、思うが、御所の用事も、特に無い、春の暇な日に、お出掛けになったのである。




父の大輔の君はほかにぞ住みける。ここには時々ぞ通ひける。命婦は、継母のあたりは住みもつかず、姫君のあたりを睦びて、ここには来るなりけり。



父の大輔の君は、よそに住んでいる。ここには、時々、伺うのだが、命婦の継母のいる家には、いずらいゆえに、姫君のお傍を慕って、こちらには、よく来るのだった。



宣ひしもしるく、十六夜の月をかしき程におはしたり。命婦「いとかたはらいたきわざかな、物のね澄むべき夜の様にも侍らざめるに」と聞ゆれど、源氏「なほあなたに渡りて、ただ一声ももよほし聞えよ。空しくて帰らむが、妬かるべきを」と宣へば、うちとけたるすみかにすえ奉りて、うしろめたうかたじけなし、と思へど、寝殿に参りたれば、まだ格子もさながら、梅の香をかしきを見出してものし給ふ。




お言葉通り、十六夜の月の美しい時に、おいでになった。
命婦は、申し訳ないことです。琴の音の冴える夜でありませんが、と、申し上げる。
源氏は、いやいや、あちらにいって、ほんの一曲でも、お勧めしておくれ。このまま、帰るのは、残念だと、言う。
取り散らかしている自分の部屋に、お待ち願うのは、気遣われるし、もったいないことだと思いつつも、姫のおられる、寝殿に上がる。
まだ、格子もそのままに、梅の香りが、ゆかしく漂う庭を、見詰めておいでになるのである。


寝殿とは、主人のいる正殿である。
昼間のままに、格子が、上がっているのである。

源氏は、命婦の部屋に通されたのである。
直接、姫に会わないというところが、奥床しい。




よき折りかな、と思ひて、命婦「御琴の音いかにまさり侍らむ、と思ひ給へらるる夜の気色に、さそわれ侍りてなむ。心あわただしきき出で入りに、え承はらぬこそ口惜しけれ」と言へば、姫「聞き知る人こそあなれ。百敷に行きかふ人の聞くばかりやは」とて、召し寄するも、あいなう、いかが聞き給はむ、と胸つぶる。



よき機会かと思い、命婦は、お琴の音が、どんなに良く聞えることかと思われます、今宵に誘われまして、伺いました。お伺いするたびに、お忙しいようですが、お聞かせいただけず残念ですと、言うと、姫は、音楽に、嗜みの深い人もいることですね。御所に出入りする方に、聞かせる程のものではありませんが、と、琴を召し寄せるのも、どんなものかと、君は、どのように、お聞きになるのだろうと、胸をドキドキさせるのである。

百敷 ももしき、とは、都や、大宮人などにかかる、枕詞であった。
転じて、皇居、御所を指す言葉となる。

当時、琴は、楽器の中で、一番、品格が高いとされた。


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2008年11月07日

もののあわれ318

ほのかに掻き鳴らし給ふ、をかしう聞ゆ。何ばかり深き手ならねど、物の音がらの筋殊なる物なれば、聞きにくくも思されず。いといたう荒れ渡りて、さびしき所に、「さばかりの人の、古めかしう、所狭く、かしづきすえたりけむ名残なく、いかに思ほし残すことなからむ。かやうの所にこそは、昔物語にもあはれなることどももありけれ」など思ひ続けても、「物や言ひ寄らまし」と思せど、「うちつけにや思さむ」と、心恥ずかしくて、やすらひ給ふ。




かすかに、お弾きになる音は、結構に聞える。
第一級のお手並みとは、いかないが、琴の音は、その物自体が、格別のものなので、聞きにくいとも、思われない。
一面、荒れ果てた、寂しい所で、かつては、常陸の宮ほどのお方が、昔風に、仰々しく大事に育てただろう。が、今は、その跡形もなく、姫君は、色々と悩みの多いことだろう。
こんな所でこそ、昔の物語でも、心に染みるものが、感じられるのだ。などと、思い続けて、言葉を掛けたい気持もあるが、不躾であろうと、気後れがするのである。

心恥ずかしく
躊躇う気持。
初心、うぶ、である。
源氏の中には、まだ、初心な気持がある。

あはれなることどもありけれ
人生は、そののみである。
あはれ、なることども、で、満ち溢れている。
思い出は、嬉しいものでも、思い出として、思う時、それは、悲しみがつきまとう。
その、悲しみは、また、愛しみ、とも書く。

歳月は、人の心に、慈しみの心を作る。



命婦かどある者にて、いたう耳ならさせ奉らじと思ひければ、命婦「曇りがちに侍るめり。客人の来むと侍りつる、いとひ顔にもこそ。いま心のどかにを。御格子まいりなむ」とて、いたうもそそのかさで、帰りたれば、源氏「なかなかなる程にても止みぬるかな。物聞き分く程にもあらで、ねたう」と、宣ふ気色、をかしと思したり。源氏「同じくは、け近き程の立ち聞かせさせよ」と、宣へど、心にくくて、と思へば、命婦「いでや、いとかすかなる有様に思ひ消えて、心苦しげにものし給ふめるを、うしろめたき様にや」と、言へば、「げに、さもあること。にはかにわれも人もうちとけて語らふべき人の際は際とこそあれ」など、あはれに思さるる人の程なれば、源氏「なほ、さやうの気色をほのめかせ」と、語らひ給ふ。




命婦は、気の利いた者で、あまり長くは、聞かせない方がいいと思い、空が曇ってきました、実は、お客様が来ることになっていましたが、こうして居まして、わざと避けているように思われましても、また後で、ゆっくりと、お聞かせ下さい。御格子を、下ろしますと、程よいところで、切り上げた。
源氏のところに、戻ると、源氏が、惜しいところで、やめたものだ。良し悪しを聞き分ける間もなく、残念だと、仰る様子は、興味を感じているのである。
同じ聞くのなら、もう少し、近くで、聞きたいものだと、仰るが、命婦は、床しく思われたところで、止めておこうと思う。
いでや、いとかすかなる有様
いえいえ、お心細いお暮らしで、お心も、弱り、可愛そうでございます。
うしろめたき様にや
気が咎めますので。
と言うと、源氏は、そうだな、すぐに気兼ねなく話をする者は、身分の低い者。などと、気の毒に思われる姫の、身の上であると、思う。
源氏は、それでは、私の気持を伝えておくれと、仰る。



また契り給へる方やあらむ、いと忍びて帰り給ふ。命婦「上の、まめにおはしますともてなやみ聞えさせ給ふこそ、をかしう思う給へらるる折々侍れ。かやうの御やつれ姿を、いかでかは御覧じつけむ」と聞ゆれば、たち返り、うち笑ひて、源氏「異人の言はむように、
咎なあらはされそ。これをあだあだしきふるまひと言はば、女の有様苦しからむ」と宣へば、あまり色めいたり、と思して、折々かう宣ふを、恥ずかしと思ひて、ものも言はず。



他に用事でもあるのか、目立たぬように、帰られる。
命婦が、主上が真面目に過ぎますと、案じていましたが、おかしくなってしまう時が、随分ありました。こんなお忍びの姿を、よもやお見かけすることは、ないでしょうと、申し上げると、源氏が、引き返してきて、笑いながら、他の人ならば兎も角、あまりはっきり言うな。私を派手な振る舞いと言うなら、女の浮気は、もっと、見苦しいだろうと、仰るので、命婦は、自分が、尻軽な女だと、時々おっしゃるので、そう思われたと思い、きまり悪く、沈黙した。


命婦の、上というのは、源氏の父、天皇のこと。
主は、源氏が、真面目だと思っているのである。
それなのに、今夜の姿を見たら・・・いや、見ることは、ないでしょうと言う。
そこで、源氏は、やり返すのである。

このような、細やかな、問答を書き綴るという、紫式部の筆である。
見事というしかない。

御やつれ姿
身分を隠して、粗末な衣服を着るということ。

あだあだしきふるまひ
派手な振る舞いで、まめまめしいという、細かな振る舞いの、逆である。

あまり色めいたり
色めき、つまり、恋多き、奔放なという感触、意味の言葉である。

命婦は、源氏に、時々、そのように言われるのだろう。

アメリカ人の、日本文学研究者である、ドナルド・キーン博士は、太平洋戦争の時に、源氏物語を読んで、非常に感動したという。それは、戦争の無い太平の時代の物語があるという、驚きだったという。
確かに、源氏物語には、戦争の場面は、皆無である。

淡々と、貴族社会の、安穏振りを書き綴っているのである。
これを、色恋の物語であると、決め付けてしまい、その価値を見出せなかった人もいる。
ところが、この物語に、流れる、もののあはれ、というものを観た人は、驚嘆したのである。

もののあわれは、こうこうこういうものですという、論理ではなく、物語の中に、書き込んだということである。
そして、それは、日本の文化、精神史に、強く残り、様々な、文化の表現方法が、その、手法で、もののあわれ、というものを、尋ねているという、風情である。

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2008年11月08日

もののあわれ319

寝殿の方に、人の気配聞くやうもや、と、思して、やをら立ちのき給ふ。透垣のただ少し折れ残りたるかくれの方に立ち寄り給ふに、もとより立てる男ありけり。誰ならむ、心かけたるすき者ありけり。と、思して、陰につきて立ち隠れ給へば、頭の中将なりけり。



寝殿の方に、姫のご様子を聞ける術もあろうかと、思いになり、そっと、お出かけになる。
透垣、すいがい、が、わずかに折れ残る、物陰に、お立ちになる。
と、そこに、前から立っている男がいた。
誰か。姫に思いをかけている、好色、好き者がいたのだと、思う。
陰に沿ってお隠れになると、何と、頭の中将である。




この夕つ方、内裏よりもろとも罷で給ひける。やがて大殿にも寄らず、二条の院にもあらで、引き別れ給ひけるを、いづちならむ、と、ただならで、われも行く方あれど、あとにつきてうかがひけり。あやしき馬に、狩衣姿のないがしろにて来ければ、え知り給はぬに、さすがに、かう異方に入り給ひぬなれば、心も得ず思ひける程に、物の音に聞きついて立てるに、帰りや出で給ふ、と、した待つなりけり。



今日の夕方、御所から、一緒に退出されながら、君は、そのまま、大臣邸にも寄らず、二条の院とも、別な方向に行かれたので、何処へ行くのかと、ただならで、いぶかしく思い、自分も、行く先があったが、後をつけて、様子を伺っていた。
粗末な馬に乗り、狩り衣姿の粗末な服装で、後をつけた。
君は、気づかなかったのである。
しかし、こんな、思いもしない場所に、お入りになったこと、納得できないでいた。
琴の音が、漏れてきたので、それに、聞き入っているうちに、君も、お帰りになられるだろうと、心待ちに待っていたのである。



君は、誰とも見分き給はで、われと知られじ、と、ぬき足に歩みのき給ふに、ふと寄りて頭の中将「ふりすてさせ給へるつらさに、御送り仕うまつりつるは、
もろともに 大内山は 出でつれど 入る方見せぬ 十六夜の月

と、恨むるも、ねたけれど、この君と見給ふに、少しをかしうなりぬ。
源氏「人の思ひ寄らぬ事よ」と、にくむにくむ、

源氏
里わかぬ 陰をば見れど 行く月の いるさの山を 誰かたづぬる



君は、まだ、誰なのか、見分けがつかないであろうと察する。そこで、気づかれまいと、抜き足、差し足で、その場を、離れようとすると、男が、すっと寄ってきた。
ふりすてさせ給へるつらさに、後を追ってまいりました。

もろともに おおうちやまは いでつれど いるかたみせぬ いざよいのつき

ご一緒に、御所は、出ましたが、どこかへ隠れてしまいました。
入る方見せぬ
何処へ行く
十六夜の月
源氏のこと

と、からんでくるのが、憎らしいが、なんだ、頭の中将かという気持もある。
少し、おかしくなった。
源氏は、驚いたことをすると、にくむにくむ、憎らしがりつつ、

さとわかぬ かげをばみれど ゆくつきの いるさのやまを たれかたづぬる

あちこちと、歩き回るが、行く先まで、追いかける人がいるだうろか。

陰をば見れど 行く月の 誰かたづぬる
まさか、行く先を、つけてくるとは。

若者らしい、好奇心に満ち溢れている。
暇といえば、暇である。
その時代、その時代に、楽しみは、あったのである。



頭の中将「かう慕ひ歩かば、いかにせさせ給はむ」と、聞え給ふ。頭の中将「まことは、かやうの御ありきには、随身がらこそはかばかしき事もあるべけれ。後らせ給はでこそあらめ。やつれたる御ありきは、軽々しき事も出で来なむ」と、おし返しいさめ奉る。かうのみ見つけらるるを、ねたしと思せど、かの撫子はえ尋ね知らぬを、重き功に、御心のうちに思し出づ。




中将は、こうして、つきまといましたら、どうしますと、言う。
本来ならば、このような、出歩きは、御供次第で、都合よく出来るものです。おいてきぼりに、しないで下さい。お忍び歩きは、間違いも起こります。と、君を、諌める。
いつも、このような、見つけられるのは、ねたしと思せど、しゃくだと、思うが、あの、撫子ばかりは、さすがの中将も、探し出せないのを、我が手柄と、心の内で、思うのである。



中将の嫉妬ともとれる、言動は、おもしろい。
互いに、好色の者だが、また、互いに、好意を持つ者である。

男女の関係と、男同士の関係の、曖昧さが、自然と、滲み出る場面である。

時は、平安時代の、平安とした、時代である。
色好みと、男女の性愛の様々を、描くが、男色に関しては、知らぬ振りをしている。しかし、作者は、随所に、それらを、散りばめている。

この、平安の、性愛の様、江戸時代にまで、続く。
更に、庶民に広がると、それは、江戸元禄の、華やかさになる。
井原西鶴、男色大鑑などの、作品も、出来る訳である。
勿論、好色一代男も、である。

性愛は、戦いを超えるものである。

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2008年11月09日

もののあわれ320

おのおの契れる方にもあまえて、え行き別れ給はず。一つ車に乗りて、月のをかしき程に雲隠れたる道の程、笛吹き合はせて大殿におはしぬ。先駆などもおはせ給はず、忍び入りて、人見ぬ廊に、御直衣ども召して著かへ給ひ、つれなう今来るやうにて、御笛ども吹きすさびておはすれば、おとど、例の、聞き過ぐし給はで、高麗笛取り給へり。いと上手におはすれば、いと面白う吹き給ふ。中務の君、わざと琵琶は弾けど、頭の君心かけたるをもて離れて、ただこのたまさかなる御気色のなつかしきをば、えそむき聞えぬに、おのづから隠れなくて、大宮なども、よろしからず思しなりたれば、物思はしくはしたなき心地して、すさまのじげに寄り臥したり。絶えて見奉らぬ所にかけ離れなむも、さすがに心細く、思ひ乱れたり。




それぞれ、契れる方、つまり、約束の女の所へは、別れて行く気持にならず、一つの車に相乗りして、月が風情を残した、名残の道を、笛を合奏しつつ、大臣邸においでになった。
先払いなどもせずに、そっと入り、人目のない廊下に、直衣などを持ってこさせて、お着替えになり、何食わぬ顔で、今来たばかりのようにして、笛などを吹きなさる。
すると、左大臣は、例によって、聞き流さず、高麗笛を取り出した。大変、上手なので、見事に、お吹きになる。
琴を取り寄せて、御簾の中でも、この道に、嗜む女房たちに、弾かせるのである。
中務の君は、なかつかさの君は、もっぱら琵琶を弾くのだが、中将が思いを寄せているのを、袖にして、ただ、この際の、お見えの優しい君から、離れることが出来ず、それが、自然に出て、大宮なども、けしからぬと、近頃思うので、物憂く、堪らない気持がして、面白くなさそうに、物に寄りかかっている。
全く、お目にかからない所に、行くのも、心細く、思い悩むのである。

中務の君
葵の上付きの、女房である。

大宮
左大臣の北の方。桐壺帝の妹である。
つまり、葵、頭の中将の母になる。

大宮は、頭の中将の、色好みに、けしからんと、思うようで、それでも、源氏の傍には、いたいと思う。よって、不自然な、恰好で、その場にいる。
すさまじげに寄り臥したり
寄りかかって、横になるのか、楽な姿勢でいるのか。


女の所には、行かず、二人で、戻って、何やら、遊ぶという風情が、面白い。




君達は、ありつる琴の音を思し出でて、あはれげなりつるすまひの様なども、やうかへてをかしう思ひ続け、あらましごとに、「いとをかしうらうたき人の、さて年月を重ね居たらむ時、見そめていみじう心苦しくは、人にももて騒がるばかりやわが心もさまあしからむ」などさへ、中将は思ひけり。この君のかう気色ばみありき給ふを、まさにさては過ぐし給ひてむや、と、なまねたうあやふがりけり。




君達は、先ほどの、琴の音を思い出し、寂しそうだった、様子なども、少し変わっていると、趣深く思う。有り得ないことだが、いかにも、美しく、可愛い人が、あのように、年月を重ねて住んでいるとして、愛人として、良い女であれば、人に騒がれるほどに、心も、迷うだろうかと、中将は、思う。
この君が、こんなに、身を入れて、通うのであるから、とても、手に入らないだろうと、何となく、悔しく思うのと、不安に思う。

あらましごとに
有り得ないことである。
見初めていみじう心苦しくは
愛人として、交際する。

気色ばみありき給ふ
源氏の行動である。
身を入れて、通う、つまり、うろつきまわるのである。

まさにさては過ぐし給ひてむや
手に入らないだろうと、思う。そして
なまねたうあやふがりけり
妬ましいと、あやふがり、不安を覚える。

一体、どういうことか。
自分も、手に入れたいが、源氏には、適わない。しかし、源氏が、手に入れて、没頭するのは、それまた、少し不安なのである。

頭の中将も、源氏が好きなのである。

色好みを、行動しているのだが、頭も、源氏が好きで、さて、どうしたらいいのか。
一番、近い道は、源氏と、同じように、色好みを行為して、源氏と、同調するのである。それで、辛うじて、源氏と、同じ波長を持って、源氏と対する。

屈折した、同性愛感情である。

実に、面白い、描き方をする。



その後、こなたかなたより、文などやり給ふべし。いづれも返り事見えず、おぼつかなく心やましきに、「あまりうたてもあるかな。さやうなる住まひする人は、物思ひ知りたる気色、はかなき木草、空の気色につけても、とりなしなどして、心ばせおしはからるる折々あらむこそあはれなるべけれ、重しとしても、いとかうあまりうもたらむは、心づきなくわるびたり」と、中将はまいて心いられしけり。例の隔て聞え給はぬ心にて、頭の中将「しかじかの返り事は見給ふや。こころみにかすめたりしこそ、はしたなくてやみにしか」と愁ふれば、「さればよ、言ひ寄りけるをや」と、ほほえまれて、源氏「いさ、見むとしも思はねばにや、見るとしもなし」と答へ給ふを、人わきしけると思ふに、いとねたし。




その後、お二方とも、手紙を差し上げることになることでしょう、とは、作者の解説。
どちらにも、返事がなくて、気になり、面白くもない。
どうも、ひどい。ああいう所に住んでいる人は、物思い知りたる気色、物に感じる心が、豊かなものだ。木とか、草に、空の有様にも、歌に詠み、女の気立てがあっていいものなのに。重しとしても、慎重に育てられたとしても、引っ込み思案では、面白くないと、頭の中将は、まいて心いられしけり、いらいらしていた。
いつもの、解放した気安さから、あの方の、返事は、御覧になりましたか、試しに、出してみたのですが、取り付く暇もなく、それっきりですと、話すと、源氏は、やっぱり、口説いたんだと、笑う。
さあ、見ようとも思わないし、見たいという、訳でもないし、と、答えると、さては、相手は、分け隔てをしていると、いとねたし、悔しいのである。

しかじかの返り事
かくかく、しかじか、と、内容を省略している。
前後の、関係で、この、しかじかのことが、理解出来る。

色好み、好色の遊びごとの中に、人生を、凝縮して表現した、物語である。
草や、木の如く、人間の、儚さというものを、描きつつ、その心模様に、もののあわれ、というものを、見続けた、紫式部である。

夫、亡き後、子育てをしつつ、死に物狂いで、この物語に、何事かを託した。しかし、それを、特に強調することもない。
ただ、風景に、その気色に、作者のあはれ、というものを、描くのである。


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2008年11月10日

もののあわれ321

君は、深うしも思はぬ事の、かう情なきを、すさまじく思ひなり給ひにしかど、「かうこの中将の言ひありきけるを、言多く言ひなれたらむ方にぞ靡かむかし。したり顔にて、もとの事を思ひ放ちたらむ気色こそ、憂はしかるべけれ」と思して、命婦を、まめやかに語らひ給ふ。



君は、深くも、思っていなかったことが、このように、すげない様子で、興ものらない気持だったが、こんなに、中将が、追っかけている上は、熱心で口達者な人に、靡くことだろう。その時になって、得意顔で、先に言い寄った自分を、袖にしたように思われては、不愉快だと、思う。
そして、命婦に、更に相談するのである。



源氏「おぼつかなう給ふにこそあらめ。さりとも、短き心はえ使はぬものを。人の心ののどかなることなくて、思はずにのみあるになむ、おのづからわが過になりぬべき。心のどこかにて、親兄弟のもてあつかひうらむるもなう、心やすからむ人は、なかなかなむらうたかるべきを」と、宣へば、命婦「いでや。さやうにをかしき方の御笠宿りには、えしもや、と、つきなげにこそ見え侍れ。偏に物づつみし、ひき入りたる方はしも、ありがたうものし給ふ人になむ」と、見る有様語り聞ゆ。源氏「らうらうしうかどめきたる心はなきなめり。いと児めかしうおほどかならむこそ、らうたくはあるべけれ」と、思し忘れず宣ふ。



源氏は、はっきりせずに、よそよそしくしていらっしゃるが、どうも気になる。
浮気者と、疑っていらっしゃるのだろう。
いくらなんでも、移り気な生まれではない。
女が、信頼してくれず、意外な仕打ちをするものだから、ついつい、こちらの、無責任になってしまうこともある。
信頼してくれる女で、面倒な親兄弟もなく、気楽な女なら、かえって、可愛いものと、仰る。
命婦は、いえいえ、歌にあるような、風流なお宿など、そんなことは、考えられないことです。けれども、ただ、はにかんでばかりで、控え目で、ことに関しては、近頃、珍しい方ですと、知っている様子を話す。
源氏は、すました、才走るところはないようだ。あどけなく、おっとりしているなら、それは、可愛そうだと、夕顔のことを、思い出して、言う。



中将への、対抗意識で、女を口説き落とそうとする源氏である。
命婦に、相談するのである。

さやうにをかしき方の御笠宿り
そのような、風流な、宿は、云々。
当時の風流とは、歌に歌われるような、ことであり、現在のそれとは、少し違うと、思われる。

雨が降り、その雨宿りに、人の家の軒先を借りる。すると、そこには、美しい女がいて、恋に落ちる、などという、風情である。

また、木陰で、雨宿りしていると、女が現れて、恋に落ちる。
当時の、出会いの様々な、形を、歌うものに、御笠宿り、という言い方をするのである。

風流という言葉は、後々の言葉である。

雅から、風雅が、生まれ、更に、侘びという、風流に発展する。

次第に、剥げ剥げ落としてゆく過程にある、風流、風情である。
これについては、室町期の文芸の時に、しっくりと、書くことにする。

らうらうしうかどめきたる心
才走ったところのない。すましたところのない。
自然体であるということ。

らうらうしう かどめき 
角めき、であろう。
貴意が高く、気取った女は、現代も多い。
それは、角めきたる、なのである。


わらわ病にわづらい給ひ、人知れぬ物思ひの紛れも、御心のいとまなきやうにて、春過ぎぬ。

おこり病にかかった。
湿疹である。
秘めたる、物思いから、とんでもない間違いをなさり、お心の休まる暇もない有様で、いつの間にか、春が過ぎて、夏を終わった。


人知れぬ物思い
これは、藤壺との、密会のことである。
とんでもない、間違いである。
父帝の愛する女である。

この短い、文に託して、作者は、多くのことを語る。



秋の頃ほひ、静かに思し続けて、かの砧の音も、耳につきて聞きにくかりしさえ、恋しう思し出でらるるままに、常陸の宮にはしばしば聞え給へど、なほおぼつかなうのみあれば、世づかず心やましう、負けてやまじの御心さへ添ひて、命婦を責め給ふ。



秋になり、静かに、思い出に耽りつつ、あの砧の音が、耳について、煩かったことなど、懐かしく思い出されるにつけて、常陸宮の姫君へは、たびだひ、お手紙を上げるが、やはり、一向に、お返事がないのである。
男の気持が、解らないのが、腹立たしく、このまま、引き下がる訳には、いかないと、意地もあり、命婦を責めるのである。

争いのない、平安時代の、貴族の典型的な、遊びの有様を、描く、源氏物語である。

人は、色恋にある時、争いをしない。
人殺しをするより、性愛を、追い求める方が、平和である。
世界最初の小説には、戦争の場面が、一切無いのである。


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2008年11月11日

もののあわれ322

源氏「いかなるやうぞ。いとかかる事こそまだ知らね」と、いとものしと思ひて宣へば、いとほしと思ひて、命婦「もて離れて、似げなき御事とも、おもむけ侍らず。ただ大方の御物づつみのわりなきに、手をえさし出で給はぬとなむ見給ふる」と、聞ゆれば、源氏「それこそは世づかぬ事なれ。物思ひ知るまじき程独り身をえ心に任せぬ程こそ、さやうにかがやかしきも道理なれ。何事も思ひしづまり給へらむと思ふにこそ。そこはかとなく、つれづれに心細うのみ覚ゆるを、同じ心に答へ給はむは、願ひかなふ心地なむすべき。何やかやと世づける筋ならで、その荒れたるすのこに佇ままほしきなり。いとうたて心得ぬ心地するを、かの御ゆるしなくともたばかれかし。心いられし、うたてあるもてなしには、よもあらじ」など、語らひ給ふ。




源氏は、一体、どうしたことだ。今まで、こんなことは、あったことがないと、大変、不快そうであるので、命婦は、気の毒に思い、お話にもならない、不釣合いな、ご縁と申し上げたことは、ありせん。ただ、何事にも、むやみに、物恥ずかしくされるので、お手も、出さないのだと、思いますと、申し上げる。
源氏は、それこそは、世づかぬことなれ、情が無いと言うだと、言う。
物心つかない頃とか、我が身を思う通りに出来ない頃ならば、恥ずかしがるのも、解るが、もう、万事において、分別がついていると思えば、言うのだ。
どうしたわけか、何も手がつかず、先も短い気がする。こちらと、同じような心境なら、お返事を下されば、願いも叶うと思うが。
何やかやと、色恋沙汰ではなく、ただ、あの荒れた、すのこ、縁の所で、しばらく、お話がしたいのだ。
何とも、おかしな、気持がするが、姫のお許しがなくても、お前が、何とか、段取りを、つけてくれないか。
やきもきさせたり、酷い仕打ちは、しないだろうなと、お頼みになる。


さやうにかがやかしきも道理なれ
道理とは、物事の、ことわり、である。
かがやかしき、とは、恥ずかしい、赤面するという意味。

その荒れたるすのこに佇ままほしきなり
すのこは、ぬれえん、濡れ縁である。
建物の周囲に、設けられてある。縁側。
男の訪問を、最初は、すのこにも、座らせないのが、礼儀である。



なほ、世にある人の有様を、大方なるやうにて聞き集め、耳とどめ給ふ癖のつき給へるを、さうざうしき宵居などに、はかなきついでに、さる人こそとばかり聞え出でたりしに、かくわざとがましう宣ひ渡れば、なまわづらはしく、女君の御有様も、世づかはしく、由めきなどもあらぬを、なかなかなる導きに、いとほしきことや見えむ、なんど思ひけれど、君のかうまめやかに宣ふに、聞き入れざらむも、ひがひがしかるべし。父親王おはしける折にだに旧りにたるあたりとて、おとなひ聞ゆる人もなかりけるを、まして、今は浅茅わくる人もあと絶えたるに、かく世にめづらしき御気配の漏りにほひ来るをば、なま女はらなども笑み設けて、「なほ聞え給へ」とてそそのかし奉れど、あさましう物づつみし給ふ心にて、ひたぶるに見も入れ給はぬなりけり。



なににせよ、このお方が、世の女の話を、よそ事のようにして、聞いていらして、実は、深く耳に留めている癖が、ついているとは、知らずに、座が白ける様子から、話題を探していた、宵。
ふっとした、話のついでに、「こういう方がおいででと、だけ申し上げたのに、このように、改まり、何度も、催促されるので、いささか、煩くもあり、また女君の様子も、付き合い上手ではなく、なまじ、手引きをして、お気の毒な事が起こるかもしれないと、思う。
でも、君が、これほど、真剣におっしゃるのに、知らぬ顔も、出来ないし、意地が悪いと、思われる。
姫の御父上様が、ご存命の時でさえ、時世に取り残されたところだからと、お訪ねする人もいなかったのだから、今では、更に、荒れ果てたお邸を、訪れる人はいないので、このような、世にも、稀な、お方のお手紙を拝見すると、なっていない女房なども、笑顔になり、これは、お返事なさいませと、お勧めするが、姫は、大変な恥ずかしがりやで、全然、読むこともしないのである。
と、作者は、命婦の心境を、語る。

浅茅わくる人もあと絶えたるに
荒れ果てた邸に、訪ねる人である。

なま女
つまらない、未熟な女房のこと。




命婦は、「さらばさりぬべからむ折に、物越しに聞え給はむ程、御心につかずは、さても止みねかし。また、さるべきにて、仮にもおはし通はむを、とがめ給ふべき人なし」など、あだめきたるはやり心はうち思ひて、父君にも、かかる事なども言はざりけり。



命婦は、それでは、都合の良い時に、襖越しに、お話をなさつてください。
お気に召さなければ、そのまま、おやめ下さい。
それとも、また、ご縁があり、暫くの間なり、通いになりましても、咎める人もいません。
などと、浮気で、調子に乗る女ゆえに、ふと、そう思い、父である、兵部大輔、だゆうに、も、何も話さなかった。


とがめ給ふべき人なし
後見人が、いないという。
要するに、干渉する人がいないのである。

命婦一人の思いと、作者の思いが、綴られる。

作者は、命婦を、あだめきたるはやり心はうち思ひてと、言う。
何事にも、調子に乗る女と、言うのである。

女が、女に対しては、実に、厳しい目を向けるのである。

それが、この、段の面白さでもある。

いつの世も、女が、女を見る目と、品定めする目は、厳しいものがある。

命婦は、姫が、控え目であり、更に、超不細工であることを、知っているのであろう。
それで、源氏に対しても、程々にと、意見するのであるが、源氏は、気づかない。
見ないうちは、解らないのである。


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2008年11月12日

もののあわれ323

八月廿余日、宵過ぐるので待たるる月の心もとなきに、星の光ばかりさやけく、松の梢吹く風の音心細くて、いにしへの事語り出でて、うち泣きなどし給ふ。いと良き折かななど思ひて、御消息や聞えつらむ、例のいと忍びておはしたり。月やうやう出でて、荒れたるまがきのほど疎ましく、うちながめ給ふに、琴そそのかされて、ほのかに掻き鳴らし給ふ程、けしうはあらず。少し気近う今めきたる気をつけばや、とぞ、みだれたる心には、心もとなく思ひ居たる。人目しなき所なれば、心安く入り給ふ。命婦を呼ばせ給ふ。




葉月、二十日過ぎ、夜更けまで出ない月が、待ち遠しい。
星の光だけが、冴え渡る。
松の梢を吹く風の音も、心細く、姫君は、昔のことなどを、語り、涙する。
命婦は、丁度よい折だと、お便りを、差し上げ、君は、いつものように、お忍びで、いらした。
月が、次第に登り、荒れた、まがきのあたりを、照らすのも、気味悪く思っていらっしゃるのではと思う。
命婦に勧められて、姫の弾く琴の音も、まんざらではない。
少しは、優しく、今流行りなところを、持たせたいと、浮ついた心から、命婦は、物足りなく思うのである。
人目の無い所であるから、君は、気兼ね無しに、お入りになる。
命婦を呼ばせた。


自然描写が、美しい。
非常に、微妙、曖昧な、風景描写である。

松の梢の吹く風の音心細くて
そこに、星の光ばかりさやけく、のである。
月は、出ない。

荒れたるまがき
竹や柴で、作った垣根である。
それが、見苦しいのである。
つまり、姫の境遇に、重ねられる。

こういう、情景を、後に、侘しいと、言うようになる。
そして、その、侘しさが、美の意識によって、侘びとして、茶の湯などに、生かされることになる。

侘びはまた、寂びを、伴うのである。
共に、自然が醸し出す、風情であり、それを、そのままに、少しの、手を加えて、美に、仕立て上げるという、感性の、細やかさは、言いようが無い。

人工的といわれる、寸前で、止まる。
その、止まるべき、程度を、美意識として、認識した。
自然無視の、姿勢ではない。
自然を、最大限に、生かし尽くすのである。

自然が、無ければ、この、日本の美も、美意識も無い。



今しも驚き顔に、命婦「いとかたはらいたきわざかな。しかじかこそおはしましたなれ。常にかう恨み聞え給ふを、心にかなはぬ由をのみ、いなび聞え侍れば、自ら道理も聞え知らせむ、と宣ひ渡るなり。いかが聞え返さむ。なみなみのたはやすき御ふるまひならねば心苦しきを、物越しにて、聞え給はむ事聞こ召せ」と言へば、いと恥づかしと思ひて、姫「人に物聞えむやうも知らぬを」とて、奥ざまへいざり入り給ふ様、いと初々しげなり。うち笑ひて、命婦「いと若々しうおはしますこそ心苦しけれ。限りなき人も、親などおはして扱ひ後見聞え給ふ程こそ、若び給ふも道理なれ。かばかり心細き御有様に、なほ世をつきせず思し憚るは、つきなうこそ」と、教え聞ゆ。さずかに、人の言ふ事は強うもしなびぬ御心にて、姫「答へ聞えで、ただ聞けとあらば、格子など鎖してはありなむ」と宣ふ。命婦「すのこなどは便なう侍りなむ。おしたちて、あはあはしき御心などは、よも」など、いとよく言ひなして、二間の際なる障子、手づから、いと強く鎖して、御褥うち置きひき繕ふ。



お出でになるのを、今初めて知ったような顔をして、命婦は、本当に困りましたことです。こういう方が、お出でになりました。いつも、ご返事がないと、小言を申されるのですが、私の一存ではと、お断りしますと、それでは、仔細は、私が言うと、かねがね仰っておいででした。
どう、お返事したものでしょう。
普通の人の、気軽な、お出ましとは違います。お気の毒ですから、襖を隔てて、あちらの、申し上げることを、お聞きくださいと、言うと、決まり悪いと、思い、姫は、お話など、出来ませんと、奥の方へ、引っ込んでしまうのも、うぶな様子である。
命婦は、微笑んで、いつまでも、お子様でいらっしゃるのが、気がかりでございます。
どんな身分の方でも、親御がいらして、お世話なさり、後見する間は、子供でいても、いいものですが、頼る人のいないご様子で、いつまでも、引っ込みじあんでは、おかしうございますと、教える。
とは、言うものの、人の言うことを、強く拒まない性格なので、姫は、お返事は、しませんが、ただ、お聞きするだけなら、格子に錠をして、お会いしますと、言う。
命婦は、縁側などは、失礼です。無理に軽々しいことを、考えるなんて、そんなことは、などと言いつつ、客間との間の、襖に、命婦が、自ら、錠を下ろして、座布団を、用意する。


しかじかこそおはしましたなれ
姫に、話たことを、省略するという、描き方である。

奥ざまへいざり入り給ふ様
同時は、室内では、立って歩くことなく、膝行、いざって動いた。
今では、茶室などで、そのようないざり方をする。

あはあはしき御心
軽率な、軽薄なという意味。

よも
よもしたまはじ、の、略である。
まさか、そんなことは、である。
ここでは、まさか、そんなことを、なさることはない、である。

御しとねうち置きひき繕ふ
敷物。綿のない座布団。

細やかなる、様子が、見て取れる。

姫の言葉である、ただ聞けとあらば、格子など鎖してありなむ、とは、姫のプライドであろうか。

お話を、伺えといえば、障子を隔てて、聞きましょうと、言うのである。

作者は、矢張り、姫にも、敬語を使っている。

この、物語の格調の高さである。

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2008年11月13日

もののあわれ324

いとつつましげに思したれど、かやうの人に物言ふらむ心ばへなども、夢に知り給はざりければ、命婦のかういふを、あるやうこそは、と思ひてものし給ふ。乳母だつ老い人などは、曹司に入り臥して、夕まどひしたる程なり。



姫は、大そう恥ずかしいようだ。
このような人に、受け答えするような、心得などは、少しも知らないので、命婦が、あるやうこそは、あるべきようにあるということを、知りぬいていると、姫は、任せきるのである。
乳母などの、老人は、部屋に引きこもり、うつらうつらしている、時間である。


姫にとっては、いや、命婦にとっても、大イベントである。
源氏の君を、迎え入れるのである。



若き人二三人あるいは、世にめでられ給ふ御有様を、ゆかしきものに思ひ聞えて、心げさうしあへり。よろしき御衣奉りかへ繕ひ聞ゆれば、正身は、何の心げさうもなくておはす。


若い女房二三人は、起きている。
世間で評判の、その様子を見たいと、皆、いそいそとしている。
命婦が、相当な衣装をもって、着替えさせ、繕うが、本人は、いっこうに、いそいそともせずに、いるのである。

ゆかしきものに思ひ聞えて
ここでいう、ゆかしきは、後の、床しいである。
奥床しいという言い方もある。
源氏の姿が、ゆかしいものと思う、その、ゆかしいとは、何か。
世間で評判の、姿は、なかなか目にすることのできないものである。
現代の、ゆかしい、という意味とは、違う。しかし、ゆかしい、という言葉は、この頃から、使われていたということだ。

この場合は、目にすることが、出来ない、珍しさである。
更に、高貴でなければならない。
手の届かない、高貴な、御姿という意味である。
それが、変転してゆく様が、面白い。



男は、いとつきせぬ御様を、うち忍び用意し給へる御気配、いみじうなまめきて、「見知らむ人にこそ見せめ、何の栄あるまじきわたりを、あないとほし」と命婦は思へど、ただ、おほどかにものし給ふをぞ後やすう、さし過ぎたる事は見え奉り給はじと思ひける。「わが常に責められ奉る罪さりごとに、心苦しき人の御物思ひや出で来む」など、やすからず思ひ居たり。



男君は、まことに、限りなく美しい姿で、目立たぬように、注意していたが、すみずみまで整えて、目のある人には、見せたいほどである。
ものの見栄えの無い所なので、命婦は、お気の毒だと、思うが、姫君は、おっとりとして、いらしっしゃるから、心配ない。出過ぎたことは、しまいと、思っていた。
自分が、いつも、責め立てられる責任を逃れようして、手引きし、姫君の、物思いの種に、ならないかと、心配するのである。


物語で、男と女が、逢う場面では、皆、男、女と、書くだけである。
そこでの、身分には、触れない。
ここにも、紫式部の、意気がある。
粋とも、いうか。

命婦が、わが常に責められ奉る罪さりごとに、というのは、源氏が相手である。奉ると、敬語をつける。
いつも、源氏に責められて、責任を負わされるというのである。
それは、女に逢う手引きのこと。
源氏の横暴である。お前が悪いのだ、早く逢わせろ、なのである。



君は、人の御程を思せば、ざれくつがへる、今やうのよしばみよりは、こよなう奥ゆかしうとおぼさるるに、いたうそそのかされて、いざり寄り給へる気配、忍びやかに、えびの香いとなつかしう薫り出でて、おほどかなるを、「さればよ」と思す。年頃思ひわたる様などを、いとよく宣ひ続くれど、まして近き御答へは絶えてなし。源氏「わりなのわざや」とうち嘆き給ふ。




君は、姫君の身分の高さを知り、洒落た今時の、気取り屋よりも、さぞ奥床しいと、予想していた。
女房たちに、勧められて、いざり寄る様子は、物静かで、心ほぐれる、衣被香、えびの香が、漂い、いかにも、おっとりとした風情である。源氏は、やっばりと、思うのである。
久しい以前から、思い続けているということを、言葉巧みに、告げる。
手紙でさえ、返事が無いのだから、口からの言葉も、全く無い。
困ったことだと、お嘆きになるのである。


こよなう奥ゆかしう
とても、奥床しいという。
ここでは、現代に使われる、奥床しさという意味で、受け取る。

えびの香いとなつかしう薫り
衣からの、香が、懐かしく、薫るという。

これは、現代文に、訳す事が出来ない情景である。

懐かしいとは、しみじみと、切々と、と、訳してみるが、懐かしい薫りという言葉に、適わないのである。

旅先で、風景を見て、懐かしく感じる。
それは、切々と、風景が心に、迫ってくる。
どこかで、見た風景だと、思う程、心が、その風景に引き付けられる。
それを、懐かしいと、言う。

初めて逢う人にも、懐かしい気持というものがある。
知っていた人のようである。
それを、懐かしいという。なつかし
大和言葉の、骨頂である。


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2008年11月14日

もののあわれ325

源氏
いくたびぞ 君がしじまに 負けぬらむ 物な言ひそと 言はぬ頼みに

宣ひも捨ててよかし。玉だすき苦し」と宣ふ。女君の御乳母子、侍従とて、はやりかなる若人、いと心もとなう、かたはらいたし、と思ひて、さし寄りて聞ゆ。

侍従
鐘つきて とぢめむ事は さすがにて 答へまうきぞ 旦はあやなき

いと若びたる声の、ことにおもりかならぬを、人づてにはあらぬやうに聞えなせば、程よりはあまえて、と聞き給へど、めづらしきに、源氏「なかなか口ふたがるわざかな、

言はぬをも 言ふに勝ると 知りながら おしこめたるは 苦しかりけり

何やかやと、はかなき事なれど、をかしき様にも、まめやかにも、宣へど、何のかひなし。




源氏
幾たび、あなたの、沈黙に、根負けしたことでしょう。
黙れと、おっしゃらないので、つい、また、申してしまいます。

いっそのこと、嫌だと、はっきりと、仰ってください。どっちつかずでは、苦しいものですと、言う。
姫君の、乳母の子で、侍従と呼ばれている、才走った若い女房が、返歌のないのを、もどかしく思い、きまりが悪いと、姫の方に、寄り、代わって、申し上げる。

侍従
鐘を打って、お話を、やめることは、できませんし、そして、お返事も出来ないとは、どういうことでしょう。

若々しい声で、身分を思わせることなく、姫自身であるかのように、申し上げる。
身分のわりに、馴れ馴れしいと、お聞きになるが、源氏は、珍しい返事に、かえって、何も申せません。

源氏
何もおっしゃらないのは、仰る以上とは、知っていますが、でも、黙っていられることは、辛いことです。

何やかにやと、とりとめないことで、戯れのようにも、真面目であるかのようにも、仰ってみるが、反応は無い。


鐘つきて
八講論議の時、磐という、楽器を打つと、問答を止めて、無言の行をする。
それを言うのである。
今で言えば、講義を聞いて、その後で、沈黙して、黙想するということ。

つまり、言うことは、言わぬことよりも、深い思いがあるというのである。

をかしき様にも、まめやかにも
戯れのようにも、真面目に対処するようにも、ということ。

まめやか、という言葉も、よく使われる。
今でも、まめに、とは、小まめに、気を使う、細々しくという行為になる。



いとかかるも、様変わり、思ふ方異にものし給ふ人にや、とねたくて、やをら押し開けて入り給ひにけり。命婦「あなうたて、たゆめ給へる」と、いとほしければ、知らず顔にて我が方へ往にけり。この若人ども、はた、世に類なき御有様の音聞きに罪許し聞えて、おどろおどろしうも嘆かれず。ただ思ひも寄らずにはかにて、さる御心もなきをぞ思ひける。



こんな風にここに居るのは、おかしいことだと思う。
相手は、特別な考えを持っているのかとも、思い、癪に障る。
そっと、襖を押し開けて、中に入った。
命婦は、あなうたて、あらあら、油断させてしまってと、姫君が、気の毒で、知らぬ顔をして、自分の部屋に戻ってしまった。
若い女房達も、世に類ないご様子と、評判ゆえに、お許しして、大袈裟に嘆く者は、いない。
ただ、思いかけず、不意のことで、まさか、そんな考えはないだろうと、案じたのである。



源氏は、姫の部屋に入ったのだ。
無礼な行為であるが、源氏の君であるということで、女房達も、許している。
ルール違反をしているのである。



正身は、ただ、我にもあらず、恥づかしくつつましきより外の事またなければ、「今はかかるぞあはれなるかし。まだ世慣れぬ人の、うちかしづかれたる」と、見許し給ふものから、心得ずなまいとほしと覚ゆる御様なり。何事につけてかは御心のとまらむ、うちめかれて、夜深う出で給ひぬ。命婦は、いかなら、と、目さめて聞き臥せりけれど、知り顔ならじ、とて、「御送りに」とも、声づくらず。君も、やをら忍びて出で給ひにけり。



姫自身は、ただ、無我夢中で、恥ずかしく、きまりが悪いはがりである。
君は、これがいい。こんなのが、可愛いのだ。初心な人として、育てられてきたのだから、当然だと、大目に見るが、変である。何となく、気の毒に、見える姫の様子である。
何事につけてか御心のとまらむ、こんな状態では、君の心を捉えることが、できないだろう。
君は、酷く、失望して、夜の暗いうちに、お帰りになった。
命婦は、どんな状態かと、目を覚まして、横になったまま、聞き耳を立てていたが、お帰りを、知らぬこととして、見送りをということも、指図しない。
君も、黙って、こっそりと、出て行かれた。

うちうめかれて
つい、失望の声を上げて。
うち 呻く、のである。
君は、失望の声を上げてと、訳してもいい。

それは、追々と理解することになる。
何故、失望したのか。姫の様子にある、何か、言い知れないものである。

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