2008年10月22日

もののあわれ302

尼君「みだり心地はいつともなくのみ侍るが、限りの様になり侍りて、いとかたじけなく立ち寄らせ給へるに、自ら聞えさせぬこと。宣はする事の筋、たまさかにも思しめし変わらぬやう侍らば、かくわりなき齢過ぎ侍りて、必ずかずまへさせ給へ。いみじう心細げに見給へ置くなむ、願ひ侍る途のほだしに思ひ給へられぬべき」など聞え給へり。



尼君は、気分のすぐれないことは、いつもと、変わりません。今わの時になりまして、恐れ多くも、立ち寄りくださいましたのに、お礼も、申し上げられないとは。
仰せられた、あの事は、万一、思し召しが、変わりませんでしたら、この何も知らない年頃が、過ぎましたら、是非、お目をかけてくださいますように。
心細い、有様を見残して参りますが、願います、往生の障りに、思われるでしょう。と、申し上げる。

限りの様
臨終のことである。
死期が近いというのである。

たまさかにも
もし、変わらないようであれば。
源氏が、若草を、迎えたいという、話である。




いと近ければ心細げなる御声、絶え絶え聞えて、尼君「いとかたじけなきわざにも侍るかな。この君だにかしこまりも聞え給ひつべき程ならましかば」と宣ふ。あはれに聞え給ひて、源氏「何か、浅う思ひ給へむ事ゆえ、かう好き好きしき様を見え奉らむ。いかなる契りにか、見奉りそめしより、あはれに思ひ聞ゆるも、あやしきまで、この世の事には覚え侍らぬ」など宣ひて、源氏「かひなきここちのみし侍るを、かのいはけなうものし給ふ御ひと声、いかで」と宣へば、女房「いでや。よろづ思し知らぬ様に、大殿ごもり入りて」など聞ゆる折りしも、あなたより来る音して、若君「上こそ。この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見給はぬ」と宣ふを、人々、いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞ゆ。



床が、すぐ近くなので、元気のない、尼君の声が、とぎれとぎれに聞こえる。
尼君は、まことに、恐れ多いことです。せめて、この姫が、私に代わり、お礼を申し上げることが、出来ればと、と仰る。
あはれに聞え給ひて、この場合は、可愛そうに思いということになるのか。
源氏は、いえいえ、浅はかな心で、こんなお恥ずかしいことを、申しましょうか。
前世からの、縁でしょう。
出会った時から、可愛らしい方と、思いました。
不思議なほど、この世の縁だとは、思われません。と、仰る。
そして、かひなきここちのみし侍る、とは、折角来たのですから、とでも訳す。
あの、無邪気な声を、是非、聞かせていただきたいと、仰る。
女房が、いえいえ、もう。何も解らないようで、よくお休みになっていますと、申し上げていると、あちらから来る足音がして、若君が、おばあさま、あの、お寺にいらした、源氏の君が、おいでになったのですか。どうして、教えてくださらないのと、仰るのを、女房たちが、いたたまれない気持で、お静かにと、申し上げる。


あなかま
あな、かまし、である。
やかましい
転じて、お静かに、である。



若君「いさ、見しかばここちのあしさ慰めき、と宣ひしかばぞかし」と、かしこき事聞き得たりと思して宣ふ。いとをかしと聞い給へど、人々の苦しと思ひたれば、聞かぬゆうにて、まめやかなる御とぶらひを聞えおき給ひて、帰り給ひぬ。「げにいふかひなのけはひや。さりとも、いとよう教へてむ」とおぼす。



若君は、だって、源氏の君を、見たら、気持悪いのが、直ったと、仰ったからなの、と良い事を耳にしたと思い、言う。
君は、おかしいと、思いつつも、女房たちが、困っている様子なので、聞かない振りをして、丁寧な、お見舞いの言葉を、仰せになり、お帰りになった。
なるほど、まだ幼い様子だ。ひとつ、立派に、教え込むと、思うのである。



またの日も、いとまめやかにとぶらひ聞え給ふ。例の小さくて、

源氏
いはけなき 鶴の一声 聞きしより 葦間になづむ 舟ぞえならぬ

同じ人にや」と、ことさら幼く書きなし給へるも、いみじうをかしげなければ、やがて御手本にと人々聞ゆ。少納言ぞ聞えたる。「とは給へるは、今日をも過し難げなる様にて、山寺にまかり渡る程にて、かうとはせ給へるかしこまりは、この世ならでも聞えさせむ」とあり。いとあはれと思す。



その翌日も、ねんごろに、お見舞いを申し上げる。
いつも通り、小さな結び文にして、同封した若君あてのものには、

いはけなき たづのひとこえ ききしより あしまになづむ ふねぞならぬ

幼い、鶴の一声を聞いてから、そちらへと行こうと思いつつ、葦の原を行き悩む舟は、たまらない思いです。

同じ人を、思い続けます。

幼女に、恋文を送るという。
そのように、子供向けに、お書きになったものも、大変に見事であり、女房は、これをそのまま、手本にいたしませと、侍女たちに言う。
少納言が、お返事しました。
お見舞いいただいた、尼君は、今日一日も、持ちそうにない状態です。
山の寺に、引き移りますところ、このように、お見舞いいただきましたお礼は、あの世にて、申し上げるでしょう。と、ある。
君は、深く、あはれ、と思う。
この場合の、あはれ、とは、切ない、気の毒、様々な、情の思いである。

いとあはれ
大変に、あはれ、である。
あはれ、に込める心のあり様である。




秋の夕べは、まして心のいとまなく、おぼしみだるる人の御あたりに、心をかけて、あながちなるゆかりも、尋ねまほしき心も、まさり給ふなるべし。「消えむ空なき」とありし夕べ、思し出でられて、恋しくも、また、見ば劣りやせむ、と、さすがにあやふし。

源氏
手につみて いつしかも見む 紫の ねに通ひける 野辺の若草

これは、原文のまま、もののあわれ、というものを、書き表すのである。

秋の夕暮れは、ひとしお、物思いのやむことなく、恋焦がれるお方から、心は離れない。
少しの縁でも、尋ね求めたいと思う気持も、今まで以上に強いものである。
「死に切れない」と尼君が、詠んだ夕方が、思い出される。
若草の君を、恋しくも思い、また、一緒にいれば、その不足、欠点も、見えるであろうと、思い、不安にもなる。

我が物と、早くと思う。紫草、藤壺の君に、縁のある、あの若草の君を。

若草の君という、存在を、取り払い、源氏の心境のみを、取り出してみる。
そこには、もののあわれ、というものの、心象風景が、広がる。

これが、後に、新古今にも、受け継がれる、あはれ、となるのである。

更に、日本人の、心の原風景となる、物思いともなる。

秋の夕べは、まして心のいとまなく
心をかけて、あながちなるゆかりも、尋ねまほしき心も

西行にも、それは、受け継がれる、歌詠みに、受継がれる。

もののあわれ、というものの、その、原風景が、源氏物語にある、所以である。
更に、それは、万葉集、万葉の時代、そして、それ以前の、意識曖昧な、時代からの、日本人の、微妙繊細な、心の風景であると、私は言う。

古事記、日本書紀よりも、なお、日本の心を、尋ねるならば、万葉集に、ありと、私は言う。

神世の時代とか、神話の時代というが、私は、人の心の時代という。
心の、原風景の時代である。
勿論、それは、縄文期からのものである。



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2008年10月23日

もののあわれ303

十月に、朱雀院の行幸あるべし。舞人など、やんごとなき家の子ども、上達部殿上人どもなども、その方につきづきしきは、皆選らせ給へれば、親王達大臣よりはじめて、とりどりのざえども習ひ給ふ。いとまなし。



十月に朱雀院へ行幸あそばす、予定である。
その御宴の舞人なども、身分の高い名門の君達、そして、かんだちめ上人たちなどでも、その道に名のある方は、残らずに、選ばれたので、親王方大臣をはじめとして、それぞれの特技を練習なさる。
そのため、余暇もない。




山里人にも久しくおとづれ給はざりけるをおぼし出でて、ふりはへつかはしたりければ、僧都の返り事のみあり。「たちぬる月の廿日のほどになむ、つひにむなしく見給へなして、世間の道理なれど、かなしび思ひ給ふる」などあるを見給ふに、世の中のはかなさもあはれに、うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼き程に恋ひやすらむ、故御息所に後れ奉りしなど、はかばかしからねど思ひ出でて、浅からずとぶらひ給へり。少納言、ゆえなからず御かへりなど聞えたり。




北山の、尼君などにも、しばらくお会いしていなかったと、お気づきになり、わざわざ使いを、差し出した。
すると、僧都の返事のみである。
先月の二十日頃に、とうとう、むなしく、亡くなりました。人の世の定めながらも、悲しいことです。などと、記してある。
それを、御覧になり、人間の無常を、しみじみと、思われて、尼君が、気がかりに思っていた、あの若君も、どうしていようと、思う。
幼き年頃ゆえに、恋い慕っているであろう。
なき母君に先立たれたことなど、朧に思い出して、心を込めて、お見舞いをされた。
それに対し、少納言は、心得のある、お返事を、申し上げるのである。

亡き人を、言葉にする時に、
つひにむなしく見給へなして、世間の道理なれど、かなしび思ひ給ふる
と、言う。
遂に、空しく亡くなりました。それは、世の中の定めの通り、悲しいことでございます。

世の中のはかなさもあはれに

儚いことが、更に、あはれ、と感得する。
あはれ、に、託される思いの、交々である。

何故、私が、もののあわれについて、を、書くか。
それは、あはれ、に、すべてを託すという、日本の心の原型、原風景を、取り戻すためである。
それを、大和心とも、大和魂とも、言う。

うしろめたげに思へりし
尼君の心を、源氏が、察するのである。

人の心を、推し量り、察する、微妙たゆたう、心のあり様を、また、もののあわれ、という、心象風景が、支える。

これは、民族の精神の根幹とも、言うべき、心象である。


本当に、惜しくも、大和魂という、あり様が、歪曲されて、利用されたこと、返す返すも、悔しいものである。
これは、相対的、たゆたう心であり、排他的でも、非寛容でもない。
在るものを、すべて、受け入れて、その、調和を図るというものである。

それを、体系づけて、石田梅岩などは、石門心学などを、立ち上げた。
それは、心を磨くためならば、仏教、儒教、道教、神道など、一切問わない。すべては、心であるとする、思想である。

心を、教理の上に置いたのは、正に、大和心を、知っていたのである。
日本人は、排他的ではない。
ただ、村社会の、排他性を持って、それを、解釈すると、誤る。

天皇による、政治を、見ればよいのだ。
すべてを、容認して、和して、和えてとも言う、そうして、調和を貴びて、政治を行うのである。

和え物とは、日本人の、最大の特徴である。
それは、欧米には無い。
彼らは、和えることが、出来ない。それは、一神教の教義を見ても、よく解るのである。
同じ神を、拝まない者は、異邦人、異教徒として、認識し、平等ではない。
同じ人間ではないと、殺傷するのである。


もののあわれによる、大和魂は、世界平和の思想として、掲げられるものである。
それは、曖昧微妙にして、和えることが、出来る思想であるからだ。

何よりも、人間主義である。
ヨーロッパのルネサンスというのは、人間主義と言われるが、日本は、最初から、人間主義、そして、心主義である。
勿論、主義として、掲げるものではなく、行為として、成り立つものであった。

行為の中にこそ、言葉の世界が、潜んであるというもの。
語り尽くさないのである。
理屈ではなく、行為にあるものを、こそ、貴んだのである。

行為に適う言葉は、無い。
百の言葉より、一つの行為が、この人の世を、定めるのである。

天地が、揺らいでも、我が言葉は、変わらないというのは、天地が、揺らげば、我が言葉が、揺らぐということである。
日本人は、言葉より、行為を先に立てるのである。

言霊の思想は、それゆえ、揺るぐことは、ないのである。


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2008年10月24日

もののあわれ304

忌など過ぎて、京の殿になむ、と聞き給へば、程経て、自らのどかなる夜おはしたり。いとすごげに荒れたる所の、人少ななるに、いかに幼き人、恐しからむ、と見ゆ。例の所に入れ奉りて、少納言、御有様など、うち泣きつつ聞え続くるに、あいなう御袖もただならず。



忌なども、終わり、京の邸に帰ったと、お聞きになったので、しばらくして、ご自身で、お暇な夜に、お出でになった。
とても、凄いと思えるほど、荒れている邸で、住む人も少ないため、どんなに、幼い人は、怖がっているのかと、思う。
先日の席に、お通しして、少納言は、尼君の、臨終の様子を、泣きつつ、申し続けるのである。
源氏は、いつしか、袖も絞るほどに、涙を流すのである。

忌 いみ
忌中を過ぎてということ。
物忌みなどという、言葉もある。

ここで、私の独断の説を言う。
いみ、意味という言葉の、意味とは、何か、である。

意味があるという時、人は、これをすると、こういう、結果が、あるということを、意味が在るという。
また、意味の無い人生は、無いという時の、意味とは、何か。
言葉では、計り知れない意味というものを、言葉で、語り尽くすということは、戦後から、特に強くなった。

無意味とは、何も、結果が、現れないこと。
Aから、Bという、結果があることを、意味という。
無意味とは、何も結果が無い。

この意味づけを、行うことを、哲学するといい、また、意味付けを、思想とも、言う。
しかし、日本には、伝統として、意味のあることは、無いのである。
つまり、無意味なのである。
ただ、行為のみがある。
行為に、意味を、見出す必要は無い。

究極を言えば、人生には、意味が無いとも言える。
意味を求めて、妄想の思想に染まる人の多いこと。

生きるということで、すでに、生きるという、行為を為しているのであり、それ以上を詮索しないのである。
意味を見出せば、意味に捕らわれ、意味に拘る。
意味自体に、実は意味が無いのである。
これが、日本の思想であり、更に西洋の思想というものとは、隔絶し、乖離するのである。西洋思想によって、日本を解釈しては、誤る。

人は、無意味を生きていると、言えば、今時の人は、恐れおののくだろうが、実は、人生には、意味が無いのである。

日本の伝統は、あるがままの、自然に沿い、自然に添って生きること、それ自体で、善しとしたのである。

それを、精神的遺伝子に持っているのである。

例えば、政治を見る。
民主主義であり、選挙によって、議会制民主主義というものを、描いているのだか、それは、アメリカ型の、政治を、真似ているだけで、何も、変わっていないのである。

それは、日本には、革命というものが、歴史に一つも、見えないということからも、解る。
大化の改新や、明治維新は、革命ではない。

身内の争いと、端的に言う。

政治家も、選挙に受かると、それで、政治家であると、思いこむ。
実は、日本人の政治というのは、まつりごと、という言葉で、表されるように、奉り事なのである。
その、主は、天皇である。
天皇の政、奉り事を、継承してきた民族である。

ゆえに、どんなに政治が、乱れても、革命は、起きないのである。
潜在的に、そのようになっている。

お上の考え方から、今もって、抜けていないし、抜けられなくていいのである。
であれば、天皇親政を行うのが、最も理想的なのである。

現在の政治形態を、不満に思っても、諦めるのである。
それが、潜在性の、政治感覚なのである。

諦めるとは、単なる、捨ててしまうのではない。
お上に、お任せするのが、一番良いと、潜在的に思うのである。
だから、政治が、政治家が、今もって、成長、成熟しない。

その良い例が、世襲である。
世襲を、容認する程、日本人は、アメリカ型の民主化というものが、理解出来ないでいる。

戦わずして、和を、貴ぶのは、日本の伝統であるから、一番理想的な、政治形態が、天皇陛下の、お心に、お任せして、粛々と、従うというのが、最も、理想的なのである。

逆に、共産主義などの、革命などは、起こりえないし、成功したならば、日本人という民族は、いなくなる。滅びるということである。

政治家による、政治より、官僚による、政治が、日本では、当然の如くにある。それは、天皇親政のままであることだ。
しかし、現在の官僚は、明治期の官僚と違う。それが、大きな問題なのである。
大臣が、変わっても、特別、大きな違いは無いのは、官僚政治だからである。
それ以上の、政治は、また、無いのである。

だが、象徴天皇を、政治の主にすると言えば、この日本の伝統を、理解出来ない、あるいは、知らない者が、騒ぐのである。
その、騒ぎは、時代と、逆行するというだろう。
実は、それが、時代の最先端を行くのである。

日本の天皇が、欧米諸国に、敬意を表されるのは、その歴史と伝統である。
また、共産国にても、天皇に対する敬意があるという、驚きである。

天皇が、任命する、上院議員と、国民が選挙で、選ぶ下院議員で、日本の政治を、行うと、理想的である。
最後の、承認を天皇が、行えば、国民は、粛々と従うのである。
今の、状態と、何ら変わらないのである。
今も、へんてこりんな、政治に、粛々と従っているのである。

国体を、意識して、政を、行う天皇に、承認されることは、未来の日本にとって、実に、良い事である。
政治家は、今の時代しか、見えない、見ないからである。
しかし、天皇は、2668年の、歴史と、伝統を持って、未来を、見詰めるから、国にとって善いことを、最優先して、決定するのである。

最も理想なのは、天皇は、金に目が眩むことがないという、ことも、その一つである。

私は、そう思うのである。

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2008年10月25日

もののあわれ305

少納言「宮に渡し奉らむと侍るめるを、故姫君の、いとなさけなく憂きものに思ひ聞え給へりしに、いとむげに児ならぬ齢の、まだはかばかしう人のおもむけをも見知り給はず、中空なる御程にて、あまたものし給ふなる中の、あなづらはしき人にてや交り給はむなど、過ぎ給ひぬるも、世とともに思し嘆きつるも、しるき事多く侍るに、かくかたじけなきなげの御言の葉は、のちの御心もたどり聞えさせず、いと嬉しう思ひ給へられぬべき折節に侍りながら、少しもなずらひなるさまにもものし給はず、御年よりも若びてならひ給へれば、いとかたはらいたく侍り」と聞ゆ。



少納言は、宮様のお邸に、お移しするとのことですが、亡き尼君は、なき姫君が、辛く悲しいものと、思った邸へ、まるっきり子供でもなく、さりとて、大人でもない、まだ不安定な年頃では、大勢の姫君の、中での、なぶられ者になりはしないかと、気にして、嘆いて、おりました。
その通りと、思われますことが、多々あります。
このような、恐れ多い、かりそめのお言葉を、後々の、思し召しまでも、考えませんで、まことに、嬉しいことではありますが、ご本人が、釣り合いのとれますような、ふうではなく、お年よりも、子供じみた、お育ちですので、まことに、困りました。と、申し上げる。

実に、難しい、というか、面倒な、話である。と、共に、文章である。
現代訳にするには、面倒臭いのである。

中空なる御程にて
中途半端であるので、ということになる。
子供でもなく、さりとて、大人でもなく、微妙な年頃で、そのー、あのー、云々というのである。

故姫君とは、尼君の娘で、若君の母のこと。

これで、当時の、やり取りの様が、解るというもの。
物言いは、優雅であろう。
時間も、たっぷりある。
情報は、極端に少ない。

源氏物語を理解するということは、あの当時の時間感覚に、立ち戻るということである。

一日、24時間という、現代の感覚では、とうてい想像がつかない。
当時の時間感覚は、現代の、24時間の、倍の時間感覚であろうと、思われる。

私は、源氏物語を、書き写しながら、いかに、生き急いでいるかと、思うのである。
このように、人と会話をしたことがない。




源氏「何か。かう繰り返し聞え知らする心の程を、つつしみ給ふらむ。そのいふかひなき御有様の、あはれにゆかしく覚え給ふも契りことになむ、心ながら思ひ知られける。なほ人伝ならで、聞え知らせばや。

あしかわの 浦にみるめは 難くとも こは立ちながら かへる波かは

めざましからむ」と宣へば、少納言「げにこそいとかしこけれ」とて、

寄る波の 心も知らで 若の浦に 玉藻なびかむ 程ぞうきたる

わりなきこと」と聞ゆる様のなれたるに、少し罪許され給ふ。源氏「なぞ越えざらむ」と、うち諳じ給へるを、身にしみて若き人々思へり。




源氏は、何かと言う。
これは、いえいえ、とか、なんのなんの、とか、大そうなことではないという、意味。
こんなに、重ね重ねて、説明した思いを、なぜ、遠慮されるのか。その、子供じみた様子を、可愛く思う、懐かしく思うのも、特別の縁であろう、と言う。
ここでの、契り、とは、宿縁のような意味合い。
男と女が、契るのは、セックスすることである。和泉式部も、端的に、契りて、と言う。
我ながら、つくづくと、縁の深さを、感じたのです。
矢張り、じかに、申し上げたい。

あしかわの うらにみるめは かたくとも こはたちながら かへるなみかは
若の浦の藻は、少なくても、寄せたままで、返る波ではない。
若君に、お会いできずに、帰れない、帰れようか。である。

あしわか、とは、若い葦のはえている和歌の浦で、若君のこと。
波は、源氏である。
みるめ、とは、見る目と、藻を、懸けるのである。

酷すぎるだろうと、源氏が言うと、少納言は、まことに、恐れ多いことです、と

よるなみの こころもしらで わかのうらに たまもなびかむ ほどぞうきたる

寄せる波の、思いも、知らずに、若の浦の、玉藻が、なびいて、浮いたことと、思いましょう。
ご真意も、確かめずに、仰せに従えましょうか。

困りますことです、と、申し上げる。
その様子は、心得たもので、許す気にもなる。
源氏は、逢わずにおかぬ、という言葉を、若い女房たちは、身に染みて、思うとある。
何故、身に染みて、思うのか。

少納言は、男女の、やり取りを、知り尽くしている。
そのやり取りは、見事である。

源氏も、引かない。
少納言も、うまく対応する。

逢わずにおかないと、源氏は、言う。

女房たちは、源氏の好色に、うずうずする程の、思いなのである。

凄いわーという、ことである。
少女のうちから、育てようとしている。
ある種の、憧れもある。
そこまで、男に、思われたら・・・
本望であろう、女としては、である。

勿論、今の時代であれば、犯罪行為になるのであるが。

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2008年10月26日

もののあわれ306

君は、上を恋ひ聞え給ひて、泣き臥し給へるに、御遊びがたきどもの、女童「直衣着たる人のおはする、宮のおはしますなめり」と聞ゆれば、起き出で給ひて、若君「少納言よ。直衣着たりつらむはいづら。宮のおはするか」とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし。源氏「宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず。こち」と宣ふを、はづかしかりし人と、さすがに聞きなして、あしう言ひてけり、とおぼして、乳母にさし寄りて、若君「いざかし、ねぶたきに」と宣へば、源氏「今更に、など忍び給ふらむ。この膝の上に大殿籠れよ。今少し寄り給」と宣へば、乳母の「さればこそ、かう世づかぬ御程にてなむ」とて、押し寄せ奉りたれば、何心もなく居給へるに、手をさし入れてさぐり給へれば、なよよかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる程、いとうつくしう思ひやらる。手をとらへ給へれば、うたて例ならぬ人の、かく近づき給へるは恐ろしうて、若君「寝なむと言ふものを」とて強ひて引き入り給ふにつきて、すべり入りて、源氏「今はまろぞ思ふべき人。な疎み給ひそ」と宣ふ。




若君は、お祖母様を慕い、寝床で、泣いている。
お相手する者が、直衣を着たお方が、お出でです。宮様が、お出でなのでしょうと、申したので、起き上がり、少納言、直衣を着た方は、どちら、宮様が、お出でなのですかと、言いつつ、近づいてくる声は、実に可愛いのである。
源氏は、宮様ではないが、お疎まれずに、されなくてもいい者です。さあ、こちらへ、と、仰る。
あの方だと、子供ながらも、知っていて、悪いことをしてしまったかのように、乳母にすり寄り、眠いので、行こうよと、仰るので、源氏は、今になって、どうして、隠れようとするのですか。私の膝の上で、お休みなさい。もう少し、傍にいらっしゃいと、言う。
乳母とは、少納言のことである。
こんな訳ですから・・・これ程、わけがわからない様子ですから、と、手で押しやると、押しやられるままに、無心に座っている。
凡帳ごしに、手を入れて、探ると、柔らかな着物の上に、髪がつやつやと、かかり、その裾がふさふさと、手に探り当てられ、さぞかし、可愛いと思われる。
手を掴まえたので、親しくない人が、近寄ってきたと、怖くなったのか、寝ようと、言う。
引き離して、引っ込むのである。
源氏は、今からは、私が可愛がって上げます。嫌がらないで、と言う。


はづかしかりし人
その人の前では、振る舞いが、許される人という意味である。

手をさし入れてさぐり給へれば
源氏と、若君のいる母屋の間に、御簾がかかっている。その間に、手を入れるのである。


なよよかなる御衣
着慣れたもの。仕立て卸したものではない、着物である。



乳母「いで、あなうたてや。ゆゆしうも侍るかな。聞えさせ給ふとも、さらに何のしるしも侍らじものを」とて、苦しげに思ひたれば、源氏「さりとも、かかる御程を、いかがあらむ。なほ、ただ世に知らぬ心ざしの程を、見果て給へ」と宣ふ。



乳母は、まあ、とんでもありません。滅相も無いことです。何を、仰っても、まるで、わかりませんと、困り果てて言う。
源氏は、幾らなんでも、こんな小さな方を、なんとかするものですか。
何度も申し上げますが、私の愛情を、よくよく見てくださいと、仰る。


乳母は、考え過ぎたのだ。
しかし、これは、幼女愛とでもいうのか。
今では、ロリコンである。



ゆゆしうも侍るかな
滅相も無いことです。

こんな、小さな子に、まさか、ということである。
紫式部も、飛んでいるものである。
しかし、当時は、そういうことも、あったということを、知る。
世界最初の、小説に、世界最初の、幼女愛が、語られるとは。

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2008年10月27日

もののあわれ307

あられ降り荒れて、すごき夜の様なり。源氏「いかで、かう人少なに心細うて、過ぐし給ふらむ」と、うち泣い給ひて、いと見捨て難き程なれば、源氏「御格子まえりね。もの恐ろしき夜の様なめるを、宿直人にて侍らむ。人々近う侍はれよかし」とて、いと慣れ顔に、御帳の内に入り給へば、あやしう思ひのほかにも、とあきれて、誰も誰も居たり。乳母は、うしろめたなうわりなしと思へど、あらましう聞え騒ぐべきならねば、うち嘆きつつ居たり。



あられが、激しく降り、凄い夜である。
源氏は、どうして、このような少ない人数では、心細い、暮らしを続けて行かれましょうか。と、泣かれて、とても、見捨てては、帰りにくい様子である。
源氏は、御格子を下ろしなさい。不気味な今夜の様子、お泊り番を、勤めよう。皆、傍に寄りなさい。と、仰る。
いつも、し慣れているように、御帳台の中に入りになる。
それは、大変驚くべき、振る舞いである。一同は、呆然とする。
乳母は、気が気でなく、ご無理なことと、思うが、声を荒げて、騒ぐわけにはいかない。溜息を、ついて御傍にいた。


御帳台とは、寝床、ベッドである。
そこに、源氏が入るというのである。
通常は、ゆゆしきことである。
しかし、皆、呆然として、従うしかない。



若君は、いと恐ろしう、いかならむとわななかれて、いとうつくしき御はだつきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたく覚えて、ひとへばかりをおしくくみてわが御ここちも、かつはうたておぼえ給へど、あはりにうち語らひ給ひて、源氏「いざ給へよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」と、心につくべき事を宣ふけはひの、いとなつかしきを、幼なきここちにも、いといたうもおぢず、さすがにむつかしう、寝も入らずおぼえて、みじろぎ臥し給へり。



若君は、すっかり、怖がり、どうなることと、身も震えている。
美しい肌も、何やら、寒そうである。
それを、源氏は、可愛く思い、単の衣を着せる。
その行為は、少し変だと思われるが、しみじみとした、お話振りで、こちらに、いらっしゃい、面白い絵もあり、お人形遊びも、出来ますよ。と、若君の、気に入るようなことを、仰る様子が、とても、優しい雰囲気で、子供ながらも、怖がらない様子。
しかし、落ち着かないで、寝られもしないで、もじもじと、横になっている。



若君が、裸であるということがわかる。
ひとへばかりをおしくくみて
肌着を、着せるのであるから、裸でいたということだ。

それに対して、源氏は、
かつはうたておぼえ給へど
と、自分のしていることを、思うと、大変なことをしていると、思うのである。

この辺りは、実に、色っぽいのである。
紫式部は、さらりと、書いているが、裸体の幼女に、源氏が、下着を着せるという行為である。

乳母を、はじめ、女房たちも、唖然某然である。
更に、相手が、身分の高い、源氏の君である。
何も、言えないのである。



夜ひと夜風吹き荒るるに、女房「げに、かうおはせざらましかば、いかに心細からまし。同じくは、よろしき程におはしまさましかば」と、ささめき合へり。乳母は、うしろめたさに、いと近うさぶらふ。風少し吹き止みたるに、夜深う出で給ふも、事あり顔なりや。



一晩中、激しい風が吹きまくるので、女房たちは、本当に、こうして、お出でいただかなかったら、どんなに心細かったことでしょう。お似合いの、お年頃だったらと、ひそひそ、話し合うのである。
乳母は、気にかかり、お傍に、控えている。
風が少し収まったので、夜の深いうちに、お出になる。
どこか、女の所から、お帰りするみたいだ。

事あり顔なりや
とは、作者の感想である。



源氏「いとあはれに見奉る御有様を、今はまして片時の間もおぼつかなかるべし。明け暮れながめ侍る所に渡し奉らむ。かくてのみはいかが。ものおぢし給はざりけり」と宣へば、女房「宮も御迎へになど聞え給ふめれど、此の御四十九日過ぐしてや、など思ひ給ふる」と聞ゆれば、源氏「たのもしき筋ながらも、よそよそにてならひ給へるは、同じうこそ疎うおぼえ給はめ。今より見奉れど、浅からぬ心ざしは勝りぬべくなむ」とて、かい撫でつつ、返り見がちにて出で給ひぬ。



源氏は、まことに、お気の毒な様子です。
これからは、今まで以上に、少しの間も、気がかりです。
朝から晩まで、一人で寂しくしている所から、お連れいたします。
これでは、とても、暮らすことはできないでしょう。
よく、怖がらなかったものです。と、仰る。
女房は、宮様も、邸にお迎え申そうなど仰せになるのですが、こちらの、四十九日を済ませてからにと、考えております、と申し上げる。
源氏は、頼みにすべき、方ではありますが、別々に、お暮らしになっていたゆえに、若君にとっては、私と同じように、よそよそしく、感じられたのでしょう。
昨今の付き合いながら、本当のところ、私の方が、思いは深いものがあります。と、仰り、若君を撫で付けて、振り返り、振り返り、お出になったのである。

明け暮れながめ侍る所に渡し奉らむ
一人でも、大丈夫な所であろう。つまり、自分の所である。
つまり、一人で、寂しくない場所に、である。
このような、原文が、難しいと、感じる。

女房の言う、宮とは、若君の父親のことであり、源氏は、頼りにすべき方というが、自分の方が、一層、情けが深いのだと、言う。

女房たちが、若君が、それなりの年だったら、いいのにと、話すのである。
そうすれば、源氏に面倒を見てもらっても、大丈夫だと。しかし、この年では、どうすることも出来ないと、思っている。

ところが、源氏は、自分の所に、連れて行くということになる。

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2008年10月28日

もののあわれ308

いみじう霧渡れる空もただならぬに、霜はいと白うおきて、まことの懸想もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはす。いと忍びて通ひ給ふ所の、途なりけるを思し出でて、門うち叩かせ給へど、聞きつくる日となし。かひなくて、御供に声ある人して、うたはせ給ふ。

「朝ぼらけ 霧たつ空の まよひにも 行き過ぎ難き 妹が門かな」

と、二返りばかりうたひたるに、よしばみたる下仕をいだして、

「立ち止まり 霧のまがきの 過ぎうくは 草のとざしに さはりしもせじ」

と云ひかけて入りぬ。また人も出で来ねば、帰るもなさけなけれど、明け行く空もはしたなくて殿へおはしぬ。




すっかりと、霧がかかる空も、いつもとは違う風情である。
その上、霜が白く置いて、後朝ならば、深く感じ入るだろうに。
子供相手では、何か、物足りないのである。
車は進む。
ふと、人目を忍んで、通った所が、道筋にあったことを、思い出し、供人に、門を叩かせた。
しかし、聞きつけて来る者は、いない。
しかたなく、供人の声の張る者に、歌わせた。

あさぼらけ きりたつそらの まよひにも ゆきすぎかたき いもがかどかな
明け方の、霧の立ち込める空は、どこかと解らぬが、お前の家は、矢張り、目立って、通り過ぎることは、出来ない。

と、二度ほど、歌わせた。心得たる、女が奥から現れて、

たちどまり きりのまがきの すぎうくは くさのとざしに さはりしもせじ
お立ち止まりになりまして、霧のかかる、この家が、お通りなり難ければ、草で作った、儚い戸、お入りになる、邪魔は、したしません。

と、言うなり、中に入った。

それっきり、出て来ない。
帰ることも、つまらないが、さりとて、明け行く空の下では、具合が悪いのである。
そのまま、邸に戻ることにした。


まことの懸想もをかしかりぬべき
本当の、後朝 きぬぎぬ、の別れである。つまり、情を交わして、帰る道である。
相手が、子供だから、そんな、気分でもないのである。




をかしかりつる人の名残恋ひしく、ひとりえみしつつ臥し給へり。日高う大殿籠起きて、文やり給ふに書くべき言葉も例ならねば、筆うちおきつつすさび居給へり。をかしき絵などをやり給ふ。



若君の様子が浮かび、一人思い出して、笑いつつ、お休みになる。
日も高くなり、起きて、後朝の文を書くことも、書くべき歌も、いつもとは、違うので、筆を置いて、思案する。
そして、面白い絵などを、遣わすことにする。



何とも、優雅な遊び心である。
毎日、毎日、この時代の、貴族たちは、恋に明け暮れていたようである。
平安期の、貴族社会は、退廃そのものである。

その一つに、浄土思想がある。
弥陀の救いを求めて、それで、安心するという。
生活の心配は無い。
後は、ただ、恋に遊ぶのである。

そんな中で、一人、目覚めていたのが、紫式部である。
この、平和、太平の世に、書くという、意欲は、ただ事ではない。
ここに、日本の精神史の、ポイントがある。

一人、凄まじい教養を持ちつつ、人の世の常なる儚さの中にあり、よるべない心の有様を、見詰めていた。
夫亡き後、我が子の成長を見つつ、じっと、何物をかを、見詰めていた。
彼女も、浄土信仰に、傾倒していたようだが、それはそれであった。
漢籍も、和歌も、そして、貴族たちの、趣味をも、見つつ、一体、彼女が、何に目覚めていたのか。

物語を書いたことにより、藤原道真に中宮彰子の、女房に取り立てられて、漢籍などを、講義している。
それは、物語後である。

独り身の内にあり、紫式部が、見たものとは、何か。
それは、もののあはれ、というものである。
その総称として、物語に表現を託した。
すべては、空言である。
空言ではあるが、それは、彼女には、現実でもあった。

物語の中に描かれる物語は、当時の、世の中、特に宮廷と、貴族社会にある、話を、元にしている。
現実を、物語として書くという行為は、何か。
そして、それは、世界では、まだ、誰も行っていなかった、散文の形式である。
日本の、女房文学は、世界の女房文学でもあった。

後々に、源氏物語の作者が、複数であるということを、私も、考察する。
だが、それは、紫式部という、一人が、負っている。
複数であっても、紫式部が代表するのである。

つまり、芸術作品は、誰のものでもなくなるという、定めというものを、見ることにする。
まして、千年を経れば、それは、国民の宝であり、作者は、その象徴である。

さて、藤原の世が過ぎて、平家が立ち、そして、源平合戦へと、進む。
その後は、鎌倉時代、武家社会の到来である。
束の間の、平安である。太平である。その中で、描かれた物語である。

歴史は、怒涛の如くに、突き進む。
大化の改新からの、飛鳥、奈良の、動乱期を過ぎて、ほんの束の間である。

未来は、すべて、歴史に隠されてある。

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2008年10月29日

もののあわれ309

かしこには、今日しも宮わたり給へり。年頃よりもこよなう荒れまさり広うものふりたる所の、いとど人少なにさびしければ、見わたし給ひて、父宮「かかる所には、いかでかしばしも幼き人の過ぐし給はむ。なほかしこに渡し奉りてむ。なにの所狭き程にもあらず。乳母は曹司などして侍ひなむ。君は、若き人々などあれば、もろともに遊びて、いとようものし給ひなむ」など宣ふ。



あちらには、丁度その日、宮様が、お出でになった。
尼君の、生前よりも、いっそう荒れた、広く古びた邸が、いよいよ、少人数で、寂しい。
それを、御覧になり、こんな所では、どうして、少しの間でも、幼い人がしられよう。やはり、あちらに、移そう。少しも、窮屈なことはない。乳母は、部屋を貰って、仕えればいいのだ。
若君は、若い人もして、一緒に遊んでもらえる。

いとようし給ひなむ
きっとそれが、いい。
と、仰るのである。

曹司とは、女房、局のことである。



若君の父親である、宮様が、来た。
それが、源氏にも伝わる。さて、源氏は、どうするのか。



近う呼び寄せ奉り給へるに、かの御移り香の、いみじう艶にしみかへり給へれば、父宮「をかしの御匂ひや。御衣はいとなえて」と心苦しげに思いたり。


傍に若君を呼んで、お話すると、源氏の君の、移り香が、素晴らしく匂い、しみつくのである。
匂いに、しみつくという、表現は、無理であろうか。
父宮は、いい香りだね、お召し物は、くたくたになっているのに、と、気の毒に思うのである。

若君の衣に、源氏の移り香が、着いて、薫るという。




父宮「年頃も、あつしくさだすぎ給へる人に、添い給へるよ。かしこにわたりて、見ならし給へ、などものせしを、あやしう疎み給ひて、人も心おくめりしを、かかる折りにしもものし給はむも、心苦しう」などと宣へば、少納言「何かは。心細くとも、しばしはかくておはしましなむ。少し物の心思し知りなむに、わたらせ給はむこそ、よくは侍るべけれ」と聞ゆ。



父宮は、これまで、病気の尼君と一緒でしたね。あちらに、来て、過ごしなさい。など申したのに、嫌がってしまったようですね。あちらも、少し隔たりができたようです。でも、こんなことになった今、引き移るということも、気の毒なこと、と、仰る。
乳母は、心細くても、もう暫く、このままでおいでなさいましょう。いくらか、事の訳がわかってから、お引き移りするのが、よろしいかと、思います。と、申し上げる。


あつしくさだすぎ給へる人に
熱っぽい状態を言う。
つまり、若君の今の状態は、そのようであるということ。
病気の尼君と一緒に生活していたことに、慣れてしまい、そこから、出られない様子である。




少納言「夜昼恋ひ聞え給ふに、はかなき物もきこしめさず」とて、げにいといたう面やせ給へれど、いとあてにうつくしく、なかなか見え給ふ。父宮「何か。さしも思す。今は世になき人の御事はかひなし。おのれあれば」など語らひ聞え給ひて、暮るれば帰らせ給ふを、いと心細しと思いて泣い給へば、宮もうち泣き給ひて、「いとかう思ひな入り給ひそ。今日明日わたし奉らむ」など、かへすがへす、こしらーおきて、出で給ひぬ。名残も慰めがたう泣き給へり。




乳母は、一日中、お婆様のことを、慕い、何も、召し上がりません。と申す。
すっかり、面痩せしたようだが、かえって、それが上品で、可愛くも見える。
父宮は、なんの、そう、悲しみになることは、ありません。もう亡くなった方のことは、しょうがないのです。私がいるのだから、大丈夫です。などと、言うが、日が暮れて、お帰りになる頃に、若君は、心細いと、泣くのである。
父宮も、お泣きになって、そんなに、思いこんでは、いけません。
今日明日にでも、引き取りに来ましょうなどと、繰り返し仰り、なだめて、お出になる。
その後も、寂しさゆえに、泣き続けるのである。




行く先の身のあらむことなどまでも、思し知らず、ただ年頃たち離るる折りなうまつはしならひて、今は、なき人となり給ひにける、と思すがいみじきに、幼き御ここちなれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊び給はず。昼は、さても紛らはし給ふを、夕暮となれば、いみじく屈し給へば、かくてはいかでか過ぐし給はむ、と慰めわびて、乳母も泣きあへり。




先行きの、身の成り立ちを考えるのではなく、ただ、長年、片時も離れることなく、つきまとっていたのである。
しかし、もう、お亡くなりになったのだと、思うと、堪らなくて、子供心に、胸が一杯になる。
いつもの、ような遊びも出来ないのである。
昼間は、何とか紛らわすが、夕方になると、すっかり、ふさぎこんで、これでは、どうして暮らしてゆくことが、できようと、なだめることも、出来ず、乳母も、共々に、泣くのである。

いつの世も、人の死は、悲しい。
時の経つのを、待つしかない。

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2008年10月30日

もののあわれ310

君御許よりは、惟光を奉れ給へり。「まいり来べきを、内より召しあればなむ。心苦しう見奉りしも、静心なく」とて、宿直人奉れ給へり。女房「あぢきなうもあるかな。たはぶれにても、もののはじめに此の御事よ。宮聞し召しつけば、侍ふ人々のおろかなるにぞさいなまむ。あなかしこ。物のついでに、いはけなくうち出で聞えさせ給ふな」など云ふも、それをば何とも思したらぬぞあさましきや。




源氏の君から、惟光をお遣わしになった。
源氏の口上は、伺うはずとのころ、宮中からのお召しゆえ。お気の毒だと、拝見したご様子も、気がかりで、とのお言葉である。泊り番の者を、遣わしてお伝えする。
乳母は、情けないことです。ご冗談であったかもと思い、ご縁組のこと、早々に、このようになされること、宮様の、お耳に入りましたら、お付きする者どもの、不行き届きと、お叱りを受けましょう。何卒、うっかりと、お口にしないで遊ばしませ、などと言うが、その、乳母の言葉を、何とも思われないのである。

もののはじめに此の御事
結婚後、三日は、通うのが、礼儀である。しかし、源氏は、来られず、宿直人を遣わすのは、妾に対する対応であるという。
それを、このようにされると、訳した。




少納言は、惟光にあはれなる物語りどもして、少納言「あり経て後や、さるべき御宿世のがれ聞え給はぬやうもあらむ。只今は、かけてもいと似げなき御事と見奉るを、あやしう思し宣はするも、いかなる御心にか、思ひよる方なう乱れ侍る。今日も宮わたらせ給ひて、「うしろやすく仕うまつれ。心幼くもてなし聞ゆな」と宣はせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御すき事も、思ひ出られ侍りつる」など云ひて、この人も事あり顔にや思はむ、など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。丈夫も、いかなる事にかあらむ、と心得がたう思ふ。



少納言、乳母は、しみじみと、惟光に、お話をする。
そして、何年か経て後、結局は、ご一緒になられる、運命で、どうしょうもないことでも、ありましょう。
でも、今のところは、まるっきり、お似合いではない、御事と、拝します。
それに、普通ではないこと。どうした、思し召しであろうかと、考える筋も、ありません。
今日も、宮様が、いらして、心配のないように、お世話をいたせとのこと。考え無しの、扱いはするなとのことです。
などと言って、この方も、何かあったという風に、思いはしないかと、変な感じがするのである。だが、大して困っているようでもない。
惟光は、どういう事なのかと、考えてしまう。

乳母も、戸惑いつつ、どうしていいのか、対処に困っているのである。
若君と、父宮の関係と、源氏と若君の関係である。

若君が、成長したならば、そのような、男女の関係にも、なるでしょうが、今は、まだ、若く、早いのではとは、思いつつ、はて、どのようにしたらいいのかと、戸惑う。
それを、見て、惟光も、考え込むのである。




参りて有様など聞えければ、あはれに思しやらるれど、さて通ひ給はむも、さすがにすずろなるここちして、かるがるしうもてひがめたると、人もや漏り聞かむ、などつつましければ、ただ迎えへてむとおぼす。




源氏の元に、戻り、有様を報告する。
源氏は、可愛そうにと、思われるが、それではと、出向いて行くのも、憚られる。
身分に相応しくない行為である。
物好きな振る舞いと、それを聞いた人は、思うだろう。
いっそのこと、引き連れて、来ることがいいのではないかとも、思う。

すずろなるここちして
憚られる。
躊躇する気持である。



御文はたびたび奉れ給ふ。暮めれば例の丈夫をぞ奉れ給ふ。「さはる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや」などあり。少納言「宮より明日俄かに御迎へにと宣はせたりつれば、心あわただしくてなむ。年頃の蓬生をかれなむも、さすがに心細う、侍ふ人々も思ひ乱れて」と、言少なに言ひて、をさをさあへしらはず。者縫ひいとなむけはひなどしるければ、参りぬ。




お手紙は、度々差し上げる。
暮れると、惟光を、お遣わしになる。
源氏は、差し支えがあり、参上しないのを、疎遠であると、思われるかもしれないが、などとしるしてある。
乳母は、宮様から、明日、急にお迎えにと、仰せがありました。
気が急きまして、長年住み慣れた草深い家を出ますのも、矢張り心細く、皆々も、落ち着かなくてと、言葉少なく、相手になる雰囲気ではない。
縫い物などをしている様子などが、解り、惟光は、帰って来た。


源氏も、どのようにしたらよいのかと、思案している。
人様の子である。
その、自分の振る舞いは、実に、無謀であるが、結局、源氏は、若君、略奪に、行動するのである。

何とも、スリリングな展開である。
物語の、面白さでもあるが、今なら、未成年者、拉致であり、犯罪になる。
だが、当時としても、尋常ではないこと。
ある意味では、ゆゆしきことである。

色好みの、究極である、行為であろうか。
好みのままの、女性を自らの手で、作り上げるという。


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2008年10月31日

もののあわれ311

君は大殿におはしけるに、例の女君とみにも対面し給はず。物むつかしくおぼえ給ひて、あづまをすががきて、「常陸には田をこそ作れ」といふ歌を、声はいとなまめきて、すさび居給へり。参りたれば、召し寄せてありさま問ひ給ふ。しかじかなむ、と聞ゆれば、口惜しう思して、「かの宮に渡りなば、わざと迎へ出でむも、すきすぎしかるべし。幼き人を盗み出でたりと、もどき生ひなむ。その先に、しばし人にも口固めて、渡してむ」とおぼして、源氏「暁かしこにものせむ。車の装束さながら、隋身一人二人仰せおきたれ」と宣ふ。承りて立ちぬ。




君は、大臣邸に、おいでになったが、いつも通り、女君は、すぐに対面されない。
面白くない気分で、和琴を掻き鳴らし、常陸で、田作りする私を、仇し心を疑って、という、歌を、色っぽい声で、口ずさんでいる。
惟光が、参上した。
召し寄せて、様子を聞かれる。
このようなことにと、申し上げると、残念に思い、あの、父宮のご殿に引き移った後で、迎えるというのも、色好みの、技に、思われるだろう。
小さな人を、盗んだと、非難される。宮邸に、引き移る前に、しばらくは、皆に口止めして、連れて来ようと、思い、源氏は、朝早く参る。車は、そのままにして、隋身と、一人を用意させておけと、仰る。
お受けして、惟光は、さがる。

いよいよ、幼女、略奪である。

あづまをすががきて
東琴、和琴のことである。
それを、すががきてとは、奏法である。
演奏するということ。
すががきて
楽器を演奏することを、そのように言った。




君、「いかにせまし。聞えありて、すきがましきやうなるべき事。人の程だに、物を思ひ知り、女の心かはしける事とおしはかられぬべくは、世の常なり。父宮の尋ね出で給へらむも、はしたなうすずろなるべきを」と思し乱るれど、さてはづしてむは、いと口惜しかるべければ、まだ深夜深う出で給ふ。




君は、どうしたものか。世間に知れると、色好みのゆえだと、言われる事だ。
せめて、相手が、物のわかる年で、心を合わせての事と思われるならば、世間には、普通にあること。
父宮が、探し出した場合は、きっと、きまり悪く、変な気持であろう。と、逡巡する。
しかし、今、取り逃がしてはと、残念と思うだろう。
まだ、夜の深いうちに、お出でになった。

私は、この部分の、いろいろな分析や、解釈を、取らない。
物語は、面白いか、面白くないかである。
ただ、それだけである。
わくわくドキドキ、でいい。
作者も、そうであろう。




女君、例のしぶしぶに、心もとけずものし給ふ。源氏「かしこにいとせちに見るべき事の侍るを、思ひ給へ出でてなむ。立ちかへり参り来なむ」とて出で給へば、侍ふ人々も知らざりけり。わが御方にて、御直衣など奉る。惟光ばかりを馬に乗せて、おはしぬ。


どうして、源氏の妻は、このような態度なのか。
いつも、源氏を気に食わないのである。
悪妻という存在に仕立てているのである。
これも、物語の、面白さを、引き出す。

女君は、いつもの通り、気が進まない。打ち解けもしない。
源氏は、邸に、是非とも、しなければならないことが、あるのを、思い出しました。
すぐに、帰って来ますと、言い、お出かけになった。
侍女たちも、知らない。
お部屋で、直衣などを、お召しになる。
惟光だけを、馬に乗せて、お出になった。


かしこに
源氏の邸のことである。
当時は、別に自分の家を持つのである。
通い婚である。
源氏の住まいは、二条の院である。

現代小説ならば、この当たりは、スピードアップ、早いテンポであるが、この、古典では、なかなか、感じ取りにくい。
しかし、惟光を、一人馬に乗せるというから、急いでいる。
源氏は、車に乗り、惟光を、馬である。
普通なら、惟光は、歩いて、御供する。

つまり、同じスピードで、向かっているということだ。

しかし、源氏は、自分の行為を、
はしたなう すずろなるべきを
と、考えているということである。

今流で、言えば、やばいねー、顔を合わせたら、どんなことになるか。
幼い娘を、拉致同然で、連れ去るという、行為を、その親ならば、どのように、思うか。しかし、相手は、帝の、子である。
身分が高いということで、見逃すしかない、のである。

当時の、身分制度を、知らなければ、理解出来ない、ところである。
それにしても、無謀である。

源氏の心を、衝き動かすものは、何か。
紫式部は、また、何に衝き動かされて、この、展開に至ったのか、である。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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