2008年10月01日

もののあわれ281

若紫

新しい段である。
源氏18歳の三月から十月までの、話である。


わらはやみにわづらひ給ひて、よろづにまじなひ加持などまいらせ給へど、しるしなくて、あまたたびおこり給ひければ、ある人、「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人侍る。こぞの夏も世におこりて、人々まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひあまた侍りき。
ししこかしつる時は、うたて侍るを、とくこそこころみさせ給はめ」など聞ゆれば、召しにつかわしたるに、行者「老いかがまりて、むろのとにもまかでず」と申したれば、君「いかがはせむ。いとしのびて物せむ」と宣ひて、御ともにむつまじき四五人ばかりして、まだあかつきにおはす。



わらはやみ、とは、マラリアではないかと言われる。
おこり、とも言われた。
病にかかられて、まじない、加持祈祷など、何から何まで、やったが、効き目なく、何度も発熱する。
ある人が、北山に、何々寺という所に、すぐれた行者がいます。昨年の夏も、流行し、みな祈祷の効果なく困りましたが、この行者が、すぐに治すということで、こじらせては、やっかいですから、早く、試してみましょうと、言う。
行者を、呼びにやらせたところ、老衰のため、外に出ることが、できませんとの、返事である。
君は、しかたがない、それでは、こっそりと、出掛けると、親しいお召使の、四五人を連れて、まだ、暗い中に、出発する。



やや深う入る所なり。やよひのつごもりなれば、京の花ざかりは皆すぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば、かかるありさまも慣らひ給はず、所せき御身にて、めづらしうおぼされけり。寺のさまもいとあはれなり。峰たかく、深きいはの中にぞ、ひじり入り居たりける。


庵は、少し山深く入るところにあった。
三月下旬である。
京の花盛りは、終わっていたが、山の桜は、まだ盛りである。
山深く入ると、霞のかかるように、おもしろく見える。
源氏は、見慣れぬ山深い風景を、見る。外出も、思うように、出来ない身分であるゆえ、珍しい風景に、感動する。
寺のさまも いとあはれなり。
この場合の、あはれ、とは、寺の様子も、実に、ありがたく思うと、訳してよい。
峰が高く、深い岩穴の中に、僧は、住んでいた。

その前後の、言葉により、あはれ、という言葉の心象風景が、変化する。
限定して、言い表せない思い、また、その有様を、あはれ、という言葉で、表すのである。

あはれ、という、言葉の世界の広がりを、観る。



のぼり給ひて、たれとも知らせ給はず、いといたうやつれ給へれど、しるき御さまなれば、ひじり「あなかしこや。ひと日、召し侍りしにやおはしますらむ。今は此の世の事を思ひ給へねば、験がたのおこなひも、捨て忘れて侍るを、いかでかうおはしましつらむ」と驚きさわぎ、うちえみつつ見奉る、いとたふとき大徳なりけり。さるべき物つくりてすかせ奉り、加持などまいるほど、日たかくさしあがりぬ。



登りて、誰とも、知らせずに、粗末なお召し物であったが、それとすぐに解る、風采ゆえに、行者は、やれ、恐れ多いこと。先日、お召しあそばされた、お方が、おいでくださったのでしょうか。もはや、現世のことは、思いませんゆえに、病気の加持祈祷など、忘れてしまいました。どうして、このように、お越しくださったのでしょうかと、言う。
驚き、うろたえて、顔を、ほころばせ、お姿を、拝する。
実に、徳の高い、僧であった。
あらたかなるお守りを作り、それを、飲ませて、加持などして、差し上げるうちに、日が、高く上ってきた。


僧は、謙遜して、源氏に対する。
源氏の身分を、見抜いたのである。

当時の、天皇は、天子様である。
その、貴さは、並々ならぬもの。
その、お子様である、源氏である。


現在、言われる、天皇制といわれるもの、実に、愚かしい議論である。

私に言わせれば、知らない者の、戯言である。
実に、天皇の歴史は、大和朝廷から、遠く以前に、遡る。
9000年以上の歴史がある。
知らないことは、ないことであるから、無いと、信じているだけで、単に知らないのである。

大和朝廷の前は、富士王朝である。
それは、一度、列島に住んでいた民が、旅をして、ペルシャ辺りで、王朝を建てた時から、はじまる、長い歴史である。

天皇の前は、神皇であった。
簡単に説明すると、富士山麓に、戻り来て、富士王朝を建てて、そこで、国造りをする。
途中から、九州に、軍事と、政治を、任せることになり、王朝の神皇であった一人が、九州王朝の、主に就任する。

富士王朝と、九州王朝は、血脈がある。

一足飛びに、神武天皇に至るが、その即位の際に、富士王朝から、使者が来て、神器をもって、所作に則り、即位の儀を執り行う。

富士王朝は、祭祀の、所作のみを、受け持ったのである。
しかし、それが、本家である。

九州は、神都であり、富士は、天都である。

いずれ、この日本史は、紹介する。

要するに、天皇制を言う者は、それの歴史を知らない。

確かに、神武天皇の即位前後に、少しの、波乱があるが、それは、歴史の必然性である。

天皇の歴史は、神武以前、富士王朝からのものであることを、言っておく。

さらに、世界広しといえど、その大半の期間を、武器、武力無しに、王権を維持したというのは、天皇家、さらに、神皇家の、大変重要な、ポイントである。
何故、武器、武力なしに、王権の府、高天原を、維持できたかである。

それは、民の、支持を得て、その民の心の、芯となったからである。

神武天皇の、歴史から見ても、天皇家が、武力を持つ時期は、はなはだ少なく、また、基本的に、武力を持たないという、王権である。

こんなことは、世界に類がないのである。

すべての、王は、武力を持ち、軍隊を持つ。
しかし、日本の天皇家は、一切それらを、持つことが無かった。
あの、織田信長さえ、無防備な、天皇家を、焼き討ちすることがなかった。
何故か。
民の信頼、甚だしく、天皇を、敵にすることは、すべての、国民を敵にすることと、同じだったからである。

以下省略。

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2008年10月02日

もののあわれ282

すこし立ち出でつつ見わたし給へば、高き所にて、ここかしこ僧房ども、あらはに見おろさるる。ただこのつづらをりのしもに、同じ小柴なれど、うるはしうしわたして、きよげなる屋、廊などつづけて、木立いとよしあるは、君「なに人の住むにか」と問ひ給へば、御ともなる人、「これなむ、なにがし僧都の、このふたとせ籠り侍るなる」君「心はづかしき人住むなる所にこそあなれ。あやしうもあまりやつしけるかな。聞きもこそすれ」など宣ふ。



すこし外に出て、庵室の前を、歩きながら、その辺りを御覧になる。
高い場所なので、あちこちの寺が、いくつも、隠れることなく、見える。
九十九折の下に、他と同じ小柴垣根であるが、見事に作られている。
小奇麗な、家や廊などを建て続けて、植木も、趣がある。
君は、誰の住む家かと、お付の者に問う。
お供は、これは、あの、何々僧都が、ここ二年、お籠もりしている、寺です。
君は、気詰まりな、人の住んでいる所だ。我ながら、粗末な恰好で、来たものである。私が来たと、知れたら、困るな、と仰る。


心はづかしき人
気の置ける人。
こちらが、恥ずかしくなるような、人である。

あやしうも あまり やつしけるかな
自分の姿が、余りにも、粗末である。

僧都とは、僧正に次ぐ、位の僧である。



きよげなるわらはなど、あまた出で来て、あか奉り花をりなどするも、あらはに見ゆ。共人「かしこに女こそありけれ。僧都はよもさやうにはすえ給はじを、いかなる人ならむ」とくちぐちに言ふ。おりてのぞくもあり。共人「をかしげなる女こども、わかき人、わらはべなむ見ゆる」と言ふ。


美しい童女たちが、出て来て、仏様に、水を差し上げたり、花を折る様子が、よく見える。
「あそこに、女がいる。僧都は、まさか、女を置いているのではないだろうな」と、口々に言う。
降りて、覗く者もいる。
「美しい娘や、若い女房などが、います」と、言う。



あか奉り
仏に供える水。梵語である。
閼伽と、書く。



君はおこなひし給ひつつ、日たくるまままに、いかならむとおぼしたるを、供人「とかう紛らはせ給ひて、おぼしいれぬなむよく侍る」と聞ゆれば、しりへの山に立ち出でて、京のかたを見給ふ。



君は、勤行を行っていたが、熱が出ないかと、気にしていた。
供人が、なにゆえ、お気を紛らわせて、気になさらないことです、と申し上げるので、
庵室の後の山に、登り、京の方を、御覧になる。



はるかに霞みわたりて、よもの梢そこはかとなうけぶりわたれるほど、君「絵にいとよくも似るかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」と宣へば、供人「これはいとあさく侍り。人の国などに侍る海山のありさまなどを御覧ぜさせて侍らば、いかに御絵いみじうまさらせ給はむ。富士の山、なにがしのたけ」など語り聞ゆるもあり。また西国のおもしろき浦々、磯のうへを言ひ続くるもありて、よろづに紛らはし聞ゆ。



遥かに、霞がかかり、その一帯の、木々の枝の先も、はっきりと、見えないほどである。
けぶり、わたれる
霞に、曇る様である。
君は、絵に描いたようだ。こんな所に、住む人は、この美しさを、堪能しているんだ。
仰ると、供人が、これは、まだ山も浅く、つまり、それ程、高くなく、景色も、平凡ですと、言う。
遠い国などの、海や山の、景色を見ましたら、どんなに、絵が素晴らしく、立派でございましょう。富士の山は、何々の岳は、などと、お話する者もいる。
また、西国の、趣ある、あちらこちらの、海岸の景色を言う者もいて、気を紛らわせるのである。

ここで、面白い表現は、絵になるというのは、風景の美しい様を、絵として、見るということである。
絵に描いたようだと、訳したが、実は、そのものを、絵として、認識しているのである。

絵に描いたような、素晴らしさというのは、実は、変な表現である。
絵は、それを、写しているのであり、そのものではない。
そのものが、絵よりも、勝れているのだが、表現として、絵のように、美しいと、言う。

この、言い方を、よくよく、考えてみると、日本人の表現のさまというものが、理解できるのである。

間接的に、あるものを、褒め称えるという、表現を、日本人は、好むようである。
そのもの、ずばり、は、避けるのである。
何故か。
それを、失礼に当たると、思う。
何故か。

奥床しいのである。
奥床しさとは、存在するものを、一端、突き放して、見る。
それは、所作にも、通じるものであり、特に、奥床しいという場合は、女性の所作に、言われるようになる。

実は、この奥床しさは、芸道に、生きてゆく。
控え目、抑制の効いた、美学である。

抑制の効いた美学は、後に、世阿弥の花伝書について、書くときに、テーマにしたいと、思う。
もののあわれ、というものの、また一つの、心象風景は、奥床しさでもある。

だから、ここの、風景の美しさを、言うのに、素晴らしい、絵、ですという、訳が、正しい。
それ自体を、絵と、見るのである。

描いたものが、絵ではない。
そのものが、絵なのである。

基本的に、西洋の美学では、語り得ないものであることを、知るべきである。

日本の、絵、とは、心の風景を描くものであり、写実ではない、ということを、言う。


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2008年10月03日

もののあわれ283

供人「ちかき所には、播磨の明石の浦こそなほことに侍れ。なにのいたりふかきくまはなけれど、ただ海のおもてを見わたしたるほどなむ、あやしくこと所に似ず、ゆほびかなる所に侍る。かの国のさきの守しぼちの娘かしづきたる家、いといたしかし。大臣の後にて、出でたちもすべかりける人の、世のひがものにて、まじらひもせず、近衛の中将をすてて申し賜はれりけるつかさなれど、かの国の人にも少しあなづられて、「なにのめいぼくにてか、またみやこにも帰らむ」と言ひて、かしらもおろし侍りにけるを、すこし奥まりたる山ずみもせで、さる海づらに出で居たる、ひがひがしきやうなれど、げにかの国のうちに、さも人の籠り居ぬべき所々はありながら、深き里は人ばなれ心すごく、わかき妻子の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれるすまひになむ侍る。



長くなるが、当時の、様子が、よく解る。
また、人の噂話などの、面白さがある。

訳す。
供人は、近い所では、播磨の明石という浦が、なんと申しましても、格別でございます。
別に、趣が深いという所でも、ございませんが、ただ、海を、見渡した風景は、妙に他の場所と違い、ゆったりとしている様子です。
あの国で、前の長官をして、近頃、出家しました者が、娘を、非常に大事にしている家が、とても、大したものです。
大臣の子孫で、出世するはずだっのですが、随分と、変わり者で、人付き合いもせずに、自ら、臨んだはずの、近衛の中将の身分を捨てて、その国の者にも、少し軽く見られていますが、「なんの面目があって、都などに帰るか」と、剃髪しましたが、世捨て人らしく、山に住むこともなく、海の前に暮らしているのは、間違っているようですが・・・
それは、あの国の中には、出家者の、籠居に適した所は、いくらでもありますが、山奥の片田舎は、家人も、恐ろしく感じられて、若い妻子が、辛いと思い、また、一つには、自分の気晴らしにもした、生活なのでしょう。



さいつごろまかりくだりて侍りしついでに、ありさま見給へに寄り侍りしかば、京にてこそ所えぬやうなりけれ、そこら遥かに、いかめしう占めてつくれるさま、さは言へど、国のつかさにてしおきける事なれば、残りのよはひゆたかにふべき心がまへも、二なくしたりけり。のちの世のつとめも、いとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむ侍りける」と申せば、君「さて、その娘は」と問ひ給ふ。


せんだって、下向した際に、様子を見るため、立ち寄ってみましたら、京でこそ、不遇のようでしたが、あたり一帯を占めて、いかめしく邸宅を構えて、なんと申しても、国の長官でしたから、余生を安楽に送れる準備もしてあり、極楽往生を願う、勤行も、立派にいたして、出家してから、かえって、より立派になったようでございます。と、申す。
君は、して、その娘は、と、問い掛ける。



供人「けしうはあらず、かたち心ばせなど侍るなり。代々の国のつかさなど、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。「我が身のかくたづらに沈めるだらあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさま異なり。もし我におくれて、その心ざし遂げず、この思ひおきつる宿世たがはば、海に入りね」と、常に遺言し侍るなる」と聞ゆれば、君もをかしと聞き給ふ。人々、「海竜王の后になるべきいつきむすめななり。心だかさ苦しや」とて笑ふ。



供人は、器量も、気立ても、悪くないようです。
代々の、国守などが、格別の心遣いをして、求婚の意志をもたらすのですが、入道は、全然、承知しません。
自分が、このように、受領などに、零落したのさえ、残念なのに、子供は、娘一人だけ。特に思うところがある。もし、わしに、死に遅れて、望みが果たせないならば、われの考えていた運が外れたら、海に入って死ね、と、いつも、遺言しているそうです。と、申し上げる。
君は、面白い話と、聞くのである。
供人たちは、海の竜王の后にでもなる、箱入り娘なのだろうう。
気位の高いこと、恐れ入ると、笑うのである。



かく言ふは播磨の守の子の、蔵人より今年かうぶり得たるなりけり。供人「いと好きたる者になれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし。さてたたずみ寄るならむ」と言ひあへり。供人「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ」と言ひあへり。


そのように、言うのは、今の播磨の守の子であり、蔵人から、今年、五位下に叙せられた者である。
供人は、大変な道楽者であるから、その入道の遺言を、破ってしまう、気はあるのだろう。
それで、その辺を、うろつくのだろう。
と、言い合う。



供人「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ。幼くよりさる所に生ひいでて、古めいたる親のみに従ひたらむは」「母こそゆえあるべけれ。よき若人、わらはなど、都のやむごとなき所々より、類にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ。なさけなき人なりてゆかば、さて心安くてしも、え置きたらじをや」など言ふもあり。



供人は、そんなことを、言っても、娘は、田舎じみでいるのだろう。小さな時から、そんな所に育って、古臭い親に、育てられたんだから。
母親の方は、由緒ある人らしい。相当な、女房や、女の童など、都の、邸宅からかき集めて連れ出したという。眩しいほどに、飾りたてているようだ。
国守に、酷い者がなって、赴任したら、そんなに、いい気になって、家には、置いておけないだろう。
などと、言い合う。


なさけなき人なりて
これは、娘が、田舎ものになってしまうとか、母親が、都の生活を、忘れてしまうという、意味にある。
情け無き人、とは、趣の無い人。風情の無い人と、考えてもいい。

当時の噂話である。
今の時代と、変わらない。



君「何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらむ。底のみるめもものむつかしう」など宣ひて、ただならずおぼしたり。かやうにても、なべてならず、もてひがみたる事好み給ふ御心なれば、御耳とどまらむをや、と見奉る。


君は、どんなつもりで、海に飛び込めだのと、思いつめたのだろうか。
大袈裟すぎて、人は、なんと聞いたのか、と仰る。
ただならずおぼしたり
心が動くのである。興味が、湧いたのである。
このような、話でも、意外な事が好きな性質ゆえに、お耳に、止まるのである。と、供人たちは、想像する。

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2008年10月04日

もののあわれ284

供人「暮れかかりぬれど、おこらせ給はずなりぬるにこそはあめれ。はや帰らせ給ひなむ」とあるを、大徳「御もののけなど加はれるさまにおはしましけるを、こよひはなほ静かに加持などまいりて、出でさせ給へ」と申す。「さもある事」と皆人申す。君もかかる旅寝もならひ給はねば、さすがにをかしくて、君「さらば暁に」と宣ふ。



供人が、暮れかかりました。おおこりにならなくなったようでございます。それでは、お戻りいたしましょうと、言う。
上人は、御物の怪などが、加わっております。今晩は、ここで、静かに加持などされて、明日、お出まし遊ばしませと、言う。
供人も、もっともなことと、言う。
君は、こうした旅寝の経験が無く、何と言っても、興味をそそられて、では、明日の夜明けに、と、仰せになる。

おこらせ 給はずなりぬる
気分転換が、出来た。
具合がよくなったようだ。

暮れかかりましたし、ご気分も、良くなられたようですので、お戻りいたしましょう。
ところが、大徳、僧は、物の怪なども、関わっているようですし、今晩は、静かに、祈られて、云々という。

作者も、源氏という地位と、立場の人間に対する、それぞれの人の心模様を、描いているが、それは、当時の、上に対する態度である。


しかし、私は、紫式部の、描く、風景から、それを、見ようとしている。
日本人の心にあるもの、である。
貴族階級のみに、あるものではない。

源氏に対して、作者も、常に敬語を用いている。
そのような、立場のお方という、設定であるから、当然、敬語という書き方をする。しかし、それは、何も、源氏のみに、いえるのではない。
一般庶民も、その奥床しさ、心の動きに、もののあわれ、というものを、表現していたのである。

身分の低い者を、作者も、分けて書くが、それは、当時の身分の有り様を知るには、参考になる。
しかし、それは、参考になる程度のことである。

貴族社会に、おける、もののあわれ、ならば、源氏物語を、書く必要は無い。
万葉から、流れている、心情と、心象風景が、源氏物語の根底にあるとみて、私は、源氏を、探っているのである。



日もいと永きに、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるに紛れて、かの小芝垣のもとに立ち出で給ふ。人々は帰し給ひて、惟光ばかり御供にて、のぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏すえ奉りて、行ふ尼なりけり。簾少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りいて、脇息のうへに経を置きて、いとなやましげに読み居たる尼君、ただ人と見えず、四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪の美しげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしき物かな、とあはれに見給ふ。




日も永く、する事もないので、夕方、深く霞みがかかっているのに、紛れて、あの、小柴垣の家に、お出かけなさる。
供人たちは、帰し、惟光だけを、連れて、覗かれると、先ほど見たのは、西向きの座敷に、仏を据えて、勤行する尼だったのだ。
御簾を、少し巻き上げて、花を供えるらしい。
中柱に、寄りかかって、脇息の上に経を置き、ひどく大儀そうに、読経している。
それは、並の人では、なさそうである。
四十過ぎで、色が白く、上品で、痩せてはいるが、顔立ちは、ふっくらして、目元、髪が、見た目にも、綺麗に切り揃えている。その、端も、長いより、かえって、親しみのあるものだと、感心して、御覧になる。

当時の尼は、髪を剃らず、肩の辺りで、切り揃えていた。
それを、表現し
あはれに 見給ふ
心を、動かされたのである。

何につけ、心を、動かされることを、あはれ、という。
形容詞が、動詞や名詞にまで、高まる。
それは、すべて、前後の言葉による。



清げなるおとな二人ばかり、さては童女ぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなれたる着て、走り来る女ご、あまた見えつる子供に似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、美しげなるかたちなり。髪は、扇を広げたるやうに、ゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。



綺麗な、女房が二人ほどと、そして、女の童が出たり入ったりして、遊ぶ。
その中に、十くらいの、白い下着に、山吹の重ねの、着慣らしたものを着て、走ってきた、女の子は、大勢の子供たちの中でも、比べ物にならないほどで、今から、成長した後の姿が、思いやられる、可愛らしい器量である。
髪は扇を広げたような、末広がりで、豊かに、ふさふさしていて、顔は泣いて、真っ赤にしている。

山吹などの なれたる着て
山吹色の着物で、袷の着物である。
袷とは、裏地がついている、秋冬物の、着物である。

いみじく 生ひ先見えて
おいさきみえて
成長した後の姿が、想像出来るのである。

それは、他の子供とは、明らかに違う容姿である。

この、女の子が、藤壺に似ているのである。
実は、藤壺の兄の、蛍兵部卿 ほたるひょうぶきょう の、娘である。
母親を早く亡くし、祖母である尼に、引き取られていた。
源氏は、まだ、そのことを、知らない。

物語は、こうして、面白く展開する。

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2008年10月05日

もののあわれ285

尼君「何事ぞや、童女と腹立ち給へるか」とて、尼君の見上げたるに、すこし覚えたる所あれば、子なめりと見給ふ。女児「雀の子をいぬきが逃がしつる。ふせごのうちに籠めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。此の居たるおとな「例の、心なしの、かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづかたへか罷りぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。烏などこそ見つくれ」とて立ちて行く。髪ゆるやかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とぞ人言ふめるは、この子の後見なるべし。



尼君は、どうしたのですか。
他の童と、喧嘩でも、しましたかと、言いつつ、尼君の、見上げた顔に、少し似たところがある。源氏は、尼の子供なのだろうと、思われる。
女子は、雀の子を、犬君が、逃がしたと、言う。籠の中に入れていたのにと、残念がるのである。
そこにいた、女房が、あの、心なしの、つまり、アホの、とか、お馬鹿なという意味で、こんなことをして、また、叱られると、困ったものだ。どこへ、行きましたか。とても、可愛くなりましたのに、烏などに見つけられては、大変ですと、言い、立って行く。
髪は、ゆったりとして、長く、器量も悪くない女である。
少納言の乳母と、皆が言うが、この子の、世話役なのだろう。



尼君「いで、あな幼なや。言ふかひなうものし給ふかな。おのがかくけふあすにおぼゆる命をば、何ともおぼしたらで、雀慕ひ給ふほどよ。罪得る事ぞと常に聞ゆるを、心憂く」とて、「こちや」と言へば、ついいたり。つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、かんざし、いみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かなと目とまり給ふ。さるは、限りなう心をつくし聞ゆる人に、いとよう似奉れるがまもらるるなりけり、と思ふにも、涙ぞ落つる。



尼君は、ああ、なんて幼いこと。しょうがないこと。
私が、今日、明日と、知れない身の程になっているというのに。
雀を追いかけているとは・・・
罪になりますよと、いつも、言うのに。困りますよ。と、言う。
さあ、ここへと、言うと、傍に膝をついた。
顔立ちは、とても、あどけなく、眉の辺りが、朧で、子供らしく、掻き上げた額ぎわや、髪の具合が、大変可愛らしい。
大きくなる姿を見ていたい人だと、源氏の目が止まる。
それは、実は、深い思いで思慕する、あのお方に、とてもよく、似ているので、目が離せない。
と、気づくと、涙が、こぼれるのである。

まもらるるなりけり
いつの間にか、じっと見つめているのである。

その、似ているお方とは、帝、つまり、父の后である。
それを、思い、女童を見て、涙するとは、恋とは、このように、感傷的にさせるものであると、この頃からの、心境である。

恋によって、今まで、気づかなかったものや、事に、思いを馳せるように、なる。

この、恋の心の、様々な動きから、人間は、多くの心模様を知ったと、解釈するのが、大和心である。
そして、もののあわれ、というものの、原型と、考える。



尼君、髪をかき撫でつつ、「けづる事をもうるさがり給へど、をかしの御ぐしや。いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿におくれ給ひしほど、いみじう物は思ひ知り給へりしぞかし。唯今おのれ見棄て奉らば、いかに世におはせむとすらむ」とて、いみじく泣くを見給ふも、すずろに悲し。幼なごごちにも、さすがにうちまもりて、伏目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪つやつやとめでたう見ゆ。



尼君は、女の子の髪を、手で撫でながら、言う。
櫛を入れるのを、嫌がるけれど、いい、御髪だこと。他愛無くおいでなのが、気がかりで、たまりませんよ。
これくらいになれば、こんなではない人もいるのです。
亡くなった姫様は、十ばかりで、殿様に、先立たれましたが、その時分でも、ちゃんと、お解りになりましたよ。
今日にも、私が、見捨てたら、どうして、暮らすというのでしょう。と、言いつつ、泣く。
それを見て、源氏も、悲しい気持ちになるのである。
子供心にも、さすがに、悲しい気持ちになり、尼を、じっと、見つめ、伏目になって、うつむくと、顔にかかった、髪が、つやつやとして、見事と、思えるのである。



いとはかなうものし給ふこそ あはれにうしろめたけれ
現代文に、訳すのが、ためらわれる、箇所である。

いと はかなうものし 給ふこそ
あはれに うしろめたけれ
はかないことと、気づかずにいる。それは、大人の世界では、頼りなげに見えるのである。
それが、あはれに、気がかりなのである。

子供が、大人になる、過程で、一つ一つと、何かを棄ててゆく。
成長とは、子供の世界を、捨ててゆく行為なのである。

だが、それは、捨てているようで、しっかりと、心の中に、仕舞っておくということも、出来る。
子供心は、潜在意識に、隠されるのである。

あはれ、とは、子供心への、憧憬の名残とも、いえる。
あの、無心に生きる心への、憧れである。
すべてに、感動した、あの幼い心、こそ、もののあわれ、というものの、原風景であったと、気づくのである。


源氏物語が、すでに、すべての小説、文学を書き込んでしまったという、考え方が出来る。故に、作家は、何度か、源氏物語に、戻るという。
勿論、作家が皆々、源氏物語を、求めるという訳ではないが、ここには、すべてが、書き尽くされたと、感じ取る力が、作家には、必要である。
文学は、永遠であるが、そのテーマは、繰り返されて、時代に合わせて、語られる。
しかし、人間がいる限り、人間のテーマは、変わらない。
変わりようがない。ただ、変容するだけである。

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2008年10月06日

もののあわれ286

尼君

おひ立たむ ありかも知らぬ 若草を おくらす露ぞ 消えむ空なき

また居たるおとな、「げに」とうち泣きて
女房

初草の おひ行く末も 知らぬ間に いかでか露の 消えむとすらむ

と聞ゆる程に、僧都あなたより来て、僧都「こなたはあらはにや侍らむ。けふしも端におはしましけるかな。かの上の聖の方に、源氏の中将の、わらはやみまじなひにものし給ひけるを、只今なむ聞きつけ侍る。いみじうしのび給ひければ、知り侍りながら、御とぶらひにもまうでざりける」と宣へば、尼君「あないみじや、いとあやしき様を人や見つらむ」とて、簾おろしつ。



尼君
これから育つ、若草を残して、露は消えてゆく。そんな消え行く空は、どこにもありません。
そこに居た女房が、本当ですと、言いつつ泣く。
初草が、生長していく先も解らず、どうして、露は、消えてしまうのでしょう。
と、申し上げるうちに、僧都がやってきて、ここは、外から、丸見えです。今日にかぎって、尼君は、端近くに出でて、おいでになります。この上の、聖の坊に、源氏の中将が、おこりの、まじないに、お出でになったことを、たった今、聞き付けました。
源氏の君は、たいそうなお忍びでいらして、私は知らずにいて、お見舞いにも、伺っていません。と、仰るので、尼君は、まあ、大変なこと。たいそう見苦しい様を、誰かが、見ていなかったのかと、御簾を、下ろした。



僧都「この世にののしり給ふ光る源氏、かかるついでに見奉り給はむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の愁忘れ、よはひのぶる人の御有様なり。いで御消息聞えむ」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。


僧都が、今、世間で、評判の高い光源氏を、こうした機会に、見申し上げませんか。世を捨てた法師の心にも、世を忘れ、寿命も延びるほどの、君のご様子です。さて、ご挨拶を、申し上げましょう。と、立つ音がするで、源氏は、その場から、離れて、帰られた。



源氏を、一目見ようと、法師が言う。
それは、世を忘れ、寿命も延びるほどの、美しい源氏だというのである。
しかし、作者は、源氏を、ただ、光るばかりに、美しいとしか、書かないのである。



「あはれなる人を見つるかな。かかればこの好きものどもは、かかるありさまをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外なる事を見るよ」と、をかしうおぼす。「さても、いとうつくしかりつるちごかな。なに人ならむ。かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや」と思ふ心、深うつきぬ。



源氏は、あはれなる人を見つるかな、と思う。
この場合は、可愛い女童を見たことをいう。
こんな具合だから、あの色好みの者たちは、しきりに、忍び歩きをして、よくも、めったに見つけられそうにもない、女を見つけ出すのだ。私は、たまたま、出掛けただけなのに、このような、思いがけなく、出会うものだと、興味深く思うのである。
しかし、それにしても、可愛らしい子であった。
どんな人であろうか。あのお方の、身代わりとして、朝夕の、心の慰めに、あの子を、眺めたいものだと、思う。その心、実に、深いものであった。


かの人の御かはり、とは、藤壺のことである。
この時、源氏は、女の子と、藤壺が、血のつながるものだとは、知らない。

それにしても、紫式部は、とんでもない、ストーリィーを、思いついたものである。
源氏物語は、彫刻のように、出来ている。
全体の姿を、頭に入れて、それを、コツコツと、仕上げる様子に、描いてゆくのである。


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2008年10月07日

もののあわれ287

うち臥し給へるに、僧都の御弟子、惟光を呼び出でさす。ほどなき所なれば、君もやがて聞き給ふ。僧都「過りおはしましける由、唯今なむ人申すに、驚きながら候ふべきを、なにがしこの寺に籠り侍りとはしろしめしながら、忍びさせ給へるを、憂はしく思ひ給へてなむ。草の御むしろも、この坊にこそまうけ侍るべけれ。いと本意なきこと」と申し給へり。



横になっていると、僧都のみ弟子が、惟光を、取次ぎを通じて、呼び出した。
広くないところであるから、源氏の耳にも、話し声が聞える。
僧都は、お通りの由、ただいま初めて、人より、承りました。
取次ぎ、急ぎ参上いたすところ、拙僧、この寺に籠もりおりますことは、ご存知でいらせられながらも、ご内密に遊ばしたこと、お怨みに存じまして、差し控えたことです。
旅のお宿も、当寺に、ご用意したしましょう。残念至極の儀との、ご口上である。

憂はしく思ひ給へて
怨みますというのは、二人が、親しい関係なのである。
水臭いと言うのである。

草の御むしろ
藁である。草を敷いた御座所というところである。粗末な、寝床である。



源氏「いぬる十よ日の程より、わらはやみにわづらひ侍るを、度重なりて耐へ難く侍れば、人の教へのままに、にはかに尋ね入り侍りつれど、かやうなる人の、しるしあらはさぬ時、はしたなかるべきも、ただなるよりはいとほしう思ひ給へつつみてなむ、いたう忍び侍りつる。今そなたにも」と宣へり。



源氏は、惟光を、通して、去る十日ほどから、おこりに、悩みまして、何度も、発作を起こし、苦しくて我慢が出来ずに、人の教えに任せて、急に、ここまで訪ねて来ました。
これほどの人が、祈祷をしても、効き目がなかったのは、間の悪さもあり、気の毒と、思いまして、遠慮しました。
それで、隠していたのです。
いずれ、そちらに、参りましょうと、仰った。


ただなる人よりは
普通の行者より。
自分が訪ねる程のことだった。



すなはち僧都参り給へり。法師なれど、いと心はづかしく、人がらもやんごとなく、世に思はれ給へる人なれば、軽々しき御有様を、はしたなうおぼす。かく籠れる程の御物語など聞え給ひて、僧都「同じ柴の庵なれど、すこし涼しき水の流れも御覧ぜさせむ」と、切に聞え給へば、かのまだ見ぬ人々に、ことごとしう言ひ聞かせつるを、つつましうおぼせど、あはれなりつる有様もいぶかしうて、おはしぬ。



折り返して、僧都が、お伺いに来た。
法師ではあるが、たいそう気がおけて、人柄も高いと世間から思われている人であるから、君は、ご自分の、気軽な様子を、きまり悪く思われる。
僧都は、こうして、籠もっている、間のお話をして、わたくしも、同じ柴の庵ですが、少しは、涼しく、泉の流れもございますので、お目にかけましょうと、しきりに、言うのである。
それでは、あの、まだ、自分を見たことのない人々に、仰々しく話して聞かせたことを、恥ずかしく思われるが、可愛らしくいた、女の子の様子も、気がかりで、お出かけになった。


僧都が、先ほど、自分のことを、尼君たちに、話したことを、思い出し、源氏は、恥ずかしく思うのである。
しかし、興味もあり、出向くことにした。


ここで、身分というものの、感覚が解る。
最初は、取次ぎの者が、口上を述べる。そして、次に、本人が現れて、お話する。
それも、兎に角、取次ぎが、必要なのである。
すぐに、直接、言葉を、交わすことは無い。

お連れの者を、通して、まず、対話が始まるのである。
奥床しさである。

礼儀、所作として、それを、皆、身につけていたのである。
手順である。

実は、目上の人に、目を見て、真っ直ぐ話すというのは、失礼なことである。
静かに、視線を下に向けて、目上の人の言葉を聞く姿勢が、好まれる。

目を見て、真っ直ぐに話せというのは、欧米の礼儀作法を、真似てからである。
あちらは、堂々と、自己主張しなければ、成り立たない社会なのである。
しかし、国際化である。
国を出たら、そのようにしなければ、ならない。
言うべきことは、言うという、姿勢が、国際化の、第一歩である。
しかし、日本人としては、実に、しんどい、作法である。

場の空気で、日本人は、察するという、能力に冴える。
だが、あちらでは、それが通用しない。
言葉に、しなければ、解らないのである。

空間の美学というものが、日本美学にはある。
それは、人間関係にも、あるのだ。

日本人が、相手の目を見て話す時は、命をかける時である。
武士ならば、刀に手をかける時である。

源氏物語は、身分の高い方に対して、すべて敬語で、書かれている。
私の訳は、それを、時に無視している。
であるから、源氏物語を、読めば、自然に、敬語の語感を、知ることになる。

古語の語感てあるが、それは、敬語の基礎である。
語感というものに、言葉の意味があることを、日本人は知っていた。
光る源氏という、言い方は、敬語なのである。
光るが、尊敬語になっている。尊称になっている。

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2008年10月08日

もののあわれ288

げにいと心殊に由ありて、同じ木草をも植えなし給へり。月もなき頃なれば、鑓水に篝火ともし、燈籠などにも参りたり。南表いと清げにしつらひ給へり。そらだきもの心にくく薫り出で、名香の香などにほひ満ちたるに、君の御追ひ風いとことなれば、内の人々も心づかひすべかめり。



なるほどに、同じ草木でも、格別の心して、風情あるように、植えられている。
月もない頃なので、庭の鑓水に篝火をともし、燈籠にも、灯が輝くのである。
南正面の、座敷をきれいに整えてある。
空焚きした香が、奥床しく薫る。
ご仏前の、香の匂いも、漂っている。
そこに、君の衣装からの香も格別なものであるから、奥にいる女たちも、気を使っているのであろう。


そらだきもの心にくく薫り出で
室内を薫りで、包むのである。
そして、更に
名香の香などにほひ満ちたるに
それは、仏に奉る香りである。
また、さらに
源氏の君の、衣装の香りである。

紫式部の、筆が冴える。

当時の、日常生活を見れば、何故、香りがふんだんに使用されるかが、解る。
まだ、風呂の習慣がないのである。水浴び程度であるから、貴族は、体から、衣装まで、香を焚いて、薫らせたのである。

部屋の中に、奥床しく薫る香の匂いとは、そのまま、奥床しさに通じる。
特に、残り香という、漂う香りを好んだ。

源氏の衣装には、高貴な香りが、焚き籠められていたはずである。
いつも、源氏が通る後には、香の匂いが、漂う。

香を特別に嗅ぐ行為を、香を聞くという。
それは、静かな音を、聴きつける行為に似ているからだ。
目の前にある、香を、嗅いで、静かに顔を横にして、息を吐くのである。
その、行為が、聴きつけるように、見えることから、香を聞くという。



僧都、世の常なき御物語、後の世の事など聞え知らせ給ふ。「我が罪の程恐ろしう、あぢきたなき事に心をしめて、生ける限り、これを思ひなやむべきなめり。まして後の世のいみじかるべき」おぼし続けて、かうやうなるすまひもせまほしう覚え給ふものから、昼の面影心にかかりて恋しければ、源氏「ここにものし給ふは誰にか。尋ね聞えましき夢を見給へしかな。今日なむ思ひ合はせつる」と聞へば、うち笑ひて、僧都「うちつけなる御夢語りにぞ侍るなる。尋ねさせ給ひても、御心劣りせさせ給ひぬべし。故按察使大納言は、世ににくて久しくなり侍りぬれば、え知ろしめさじかし。その北の方なむ、なにがしが妹に侍る。かの按察使かくれて後、世をそむきて侍るが、此の頃わづらふ事侍るにより、かく京にもまかでねば、たのもし所に籠りてものし侍るなり」と聞え給ふ。



僧都は、この世は、無常であることや、死後の事となどを話して、聞かせる。
君は、我が事の罪業が恐ろしく、このような、けしからぬことをして、生きている間、この事を、悩み続けるのであろう。まして、後の世に、苦しむことは、大変だと思うのである。
こんな生活をと、思いつつも、昼間見た、顔立ちが、気になり、恋しく思い、ここに、住まわれているのは、どなたですか。お尋ね申したい夢を見ました。今日、はじめて思い当たりました、と言う。
僧都は、微笑み、突然に、夢のお話ですか。お尋ね遊ばしても、ご期待はずれあそばすと思いますが、故按察使 こあぜちの大納言は、みまかりましてから、随分になります。
ご存知では、ないでしょう。
その北の方と申すのが、拙僧の妹でございます。
あの、按察使が亡くなりましてから、出家しました。
この頃は、病で、拙僧が、このように、京にも出ませんために、ここを頼りにして、ここにいます。と、言上される。

あぢなき事に心をしめて
けしからぬこと。
よからぬこと。
それに、心を囚われている、のである。

かうやうなるすまひもせまほしう覚え
このような、出家生活をすれば、罪業消滅もなるのだろうがと、思うのである。
しかし、それよりも、誘惑に駆られるのである。

我が身を、罪深いと、感じつつも、昼間の、顔立ちが、気になる、源氏である。

夢を見たことが、このことだったと、実に、うまい嘘をつくものである。

作者は、本当のような、嘘の話を、事細かに、丁寧に書き綴る。



源氏「かの大納言の御むすめ、ものし給ふと聞き給へしは。すきずきしき方にはあらで、まめやかに聞ゆるなり」と、おしあてに宣へば、僧都「娘ただ一人侍りし。亡せて此の十よ年にやなり侍りぬらむ。故大納言、内に奉らむなど、かしこういつき侍りしを、その本意のごとくもものし侍らで、過ぎ侍りにしかば、ただこの尼君一人もてあつかひ侍りし程に、いかなる人のしわざにか、兵部卿の宮なむ、忍びて語らひつき給へりけるを、もとの北の方、やむごとなくなどして、やすからぬ事多くて、明け暮れ物を思ひてなむ、なくなり侍りにし。物思ひにやまひづくものと、日に近く見給へし」など申し給ふ。



源氏は、その大納言に娘さまがいられると耳にしました。その方は。
いえ、浮いた心からではありません。真面目に、申し上げるのです。と、あてずっぽうに言う。
僧都は、娘が、一人ございます。
亡くなって、十何年になりましょうか。
故大納言は、宮仕えに差し上げようとの、つもりがあって、たいそう大事にしていました。
その望みが叶わぬうちに、亡くなりましたので、ただこの尼君が、一人で、世話をしております。
どういう者の、手引きか、兵部卿の宮様が、こっそりと、通われて、宮様のご本妻が、お家柄のことで、色々あったりと、おもしろくない事が、あれこれとあり、日夜物思いのし通しで、亡くなりました。
心痛で、病になるものと、身近に見ましたことです。と、言う。

いかなる人のしわざにか
誰かの頼みにより。
もとの北の方 やむごとなくなどして
元来の奥方のことであり、その方は、身分の高い方である。

当時の、身分制度というものが、解る。
今で言えば、家柄である。

姫つきの女房が、宮に頼まれて、事を運んだ。
兵部卿が、密かに、逢いに来ていたが、色々と心配事になり、それで、病気になって、亡くなったのである。

それは、娘は、兵部卿が父であるということになる。
物語は、このように、おもしろく展開してゆく。
源氏は、この娘を、どうするのか。

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2008年10月09日

もののあわれ289

さらばその子なりけり、と、おぼし合はせつ。御子の御筋にて、かの人にも通ひ聞えたるにや、と、いとどあはれに、見まほし。人の程もあてにをかしう、なかなかのさかしら心なく、うち語らひて、心のままに教へおぼし立てて見ばや、とおぼす。



それでは、その娘の子なのであると、思い当たった。
宮様の血筋である。それで、あの方にも、似ているのかと、思う。
そう思うと、いっそう可愛らしく、逢いたくなる。
人柄も、上品で、美しい。変なでしゃばりもない。
一緒に暮らして、思いのままに、教え育ててみたいと、思うのである。

それは、兵部卿と、憧れの藤壺が、兄弟であり、その娘は、藤壺の姪ということになるのである。

いとどあはれに 見まほし
なお一層に、あはれに思うのである。
この、あはれ、とは、可愛い、美しい。と、思えるのである。

あはれというものを、すべてに、おける感動を、表すという人もいる。
それも、一つの、あはれの、表情である。



源氏「いとあはれにものし給ふ事かな。それはとどめ給ふかたみもなきか」と、幼なかりつる行方の、なほ確かに知らまほしくて、問ひ給へば、僧都「なくなり侍りし程にこそ侍りしか。それも女にてぞ。それにつけて、物思ひのもよほしになむ、よはひの末に思ひ給へ嘆き侍るめる」と聞え給ふ。さればよ、とおぼさる。



源氏は、いとあはれに思いますと、言う。
この、あはれは、可愛そうだということになる。
その方は、お残しなさった、忘れ形見もないのですか、と、あの幼女の身元が知りたくて、尋ねる。
僧都は、ちょうど、亡くなる頃に生まれました。それも、女の子でして。その子がまた、心痛の種になると、妹は、晩年になり、愚痴っています、と言う。
では、矢張りと、思うのである。



源氏「あやしき事なれど、幼き御後見見におぼすべく、聞え給ひてむや。思ふ心ありて、行きかかづらふ方も侍りながら、よに心のしまぬにやあらむ、独住にてのみなむ。まだ似げなき程と、常の人におぼしなずらへて、はしたなくや」など宣へば、僧都「いとうれしかるべきおほせ言なるを、まだむげにいはけなき程に侍るめれば、戯にても御覧じ難くや。そもそも女人は人にもてなされて、おとなにもなり給ふものなれば、委しくはえとり申さず。かの祖母に語らひ侍りて聞えさせむ」とすくよかに言ひて、ものごとは様し給へれば、若き御心にはづかしくて、えよくも聞え給はず。僧都「阿弥陀仏ものし給ふ堂に、する事侍る頃なむ。初夜未だ勤め侍らず。すぐして侍はむ」とて、のぼり給ひぬ。



源氏は、変な話ですが、私に、その幼い方の、お世話をさせて下さりませと、お話ししてくださいませんか。少しばかり、考えるところが、あります。
かかわりのある者も、おりますが・・・
まるで、気が合わないというか、独り暮らしばかりで。
まだ、似合わないと、世間の男のように、私のことを、考えては、きまりが悪いのですが。
と、仰ると、僧都は、誠に、ありがたいお言葉です。
まだ、一向に、ものの解らない年頃です。
ご冗談にも、お世話して下さることは、出来ないと思います。
いったい、女は、男によって、一人前になるものですから、私からは、詳しいことは、申し上げられません。
あの子の、祖母に相談しましょう。と、素っ気無く言う。
堅苦しい様子で、源氏は、若さゆえに、間の悪い気持ちで、うまく話が出来ないで、いた。
僧都は、阿弥陀仏をお祭りしてある、お堂に、お勤めをする時刻です。
初夜を、まだ勤めていませんので、すまして参ります。と言い、御堂にお上がりになった。


行きかかづらふ方も侍りながら
正妻の元に通うということ。行きべき所もあるが。

常の人におぼしなずらへて
結婚しか考えない男たと、同じように、考えられないで、欲しいと、言うのである。

戯れ御覧じ難くや
妻とするには、幼いのである。

僧都は、源氏の申し出に、戸惑い、真意を測りかねるのである。
源氏も、自分の申し出が、何やら、恥ずかしい。
一体、源氏は、何を考えているのか。
可愛らしい女の子を、自分の好みに、育てたいと、思うが、それは、真っ当なことなのか。

ここに至ると、源氏の好色も、少し、意味合いが違ってくるのである。
源氏には、幼女趣味もあるのか。

その、源氏の心象風景が、次の、描写にあると、思われる。



君は心地もいとなやましきに、雨すこしうちそそぎ、山風ひややかに吹きたるに、滝のよどみも勝りて、音高う聞ゆ。すこしねぶたげなる読経の、絶え絶えすごく聞ゆるなど、すずろなる人も、所がらものあはれなり。まして、おぼしめぐらす事多くて、まどろまれ給はず。初夜と言ひしかども、夜もいたう更けにけり。内にも、人の寝ぬけはひしるくて、いと忍びたれど、数珠の脇息にひきならさるる音ほの聞え、なつかしううちそよめく音なひ、あてはかなり、と聞き給ひて、程もなく近ければ、外に立てわたしたる屏風の中を、すこしひき開けて、扇をならし給へば、覚えなきここちすべかめれど、聞き知らぬようにや、とていざり出づる人あなり。



君は、気分が悪いのである。
そこへ、雨が、すこしうちそぞき、パラパラと降ってきた。
山風も、冷え冷えとして、吹く。
滝も、水が多くなったのか、音が高く聞える。
少し、眠そうな読経の声が、途切れ途切れに、凄く聞こえる。
心無い者でも、こういう場所では、あはれに思う。この場合の、あはれ、というのは、静粛に、という意味か、静かなる心という意味か。
色々と、思いめぐらすことが多い、君は、しかし、それどころではないようで、うとうとすることもない。
初夜というが、夜は、すっかり更けている。
奥のほうでは、人の寝ていない様子が解る。
辺りを、はばかっているが、数珠が脇息に触れる音が、仄かにも聞える。
うれしい、静かな衣擦れの音が、上品だと思う。
広くない、近いことゆえ、外側に立て連ねた、屏風の中ほどを、少し開けて、扇を鳴らすと、奥の方では、思いがけない感じがするようだが、聞えないふりが出来ないとあり、にじり出る者がいる。


このような、細かな描写は、紫式部の得意である。
当時の様、実に目に見えるようである。

なつかしううちそよめく音なひ
なつかしい、とは、心に響くであろう。そして、うちそよめく、とは、微妙な音である。静かな音。
これは、このまま、原文の言葉を、味わうしかない。

扇をならし給へば
扇を鳴らすのは、人を呼ぶということである。
それを聞いた、女房たちは、無視することも出来ず、どうしょうかと、逡巡して、出たり入ったりするのである。
相手は、源氏であるから、どう、対処していいのやら。
その辺りの、描写は、原文のままの方が、実感として、伝わるのである。

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2008年10月10日

もののあわれ290

すこしいぞきて、女房「あやし。ひが耳にや」とたどるを聞き給ひて、源氏「仏の御しるべは、暗きに入りても、更に違ふまじかなるものを」と宣ふ御声の、いと若うあてなるに、うち出でむ声づかひもはづかしけれど、女房「いかなる方の御しるべにかは。おぼつかなく」と聞ゆ。源氏「げに、うちつけなり、とおぼめき給はむも道理なれど、

はつ草の 若葉のうへを 見つるより 旅寝の袖も 露ぞかわかぬ

と聞え給ひてむや」と宣ふ。

女房「更にかやうの御消息、承り分くべき人もものし給はぬ様は、知ろしめしたりげなるを。誰にかは」と聞ゆ。源氏「自らさるやうありて聞ゆるならむと思ひなし給へかし」と宣へば、入りて聞ゆ。「あな、今めかし。この君や、世づいたる程におはするとぞ思すらむ。さるにては、かの若草を、いかで聞い給へることぞ」と、さまざまあやしきに、心乱れて、久しうなればなさけなし、とて、

尼君

枕ゆふ 今宵ばかりの 露けさを 深山の苔に くらべざらなむ

ひがたう侍るものを」と聞え給ふ。



しかし、また、引っ込みかけて、女房が、変です。聞こえたはずなのに、と、疑っている声を聞く。
源氏は、仏様の、お導きは、暗い中でも、決して、間違いないこと、と、仰る声が、若々しく、上品であり、お返事する言葉も、恥ずかしいのだが、女房は、どちらへの、ご案内でしょう。存じ上げませんが、と、申しあげる。
源氏は、いかにも、突然であるから、お解りにならないのも、もっともです。

源氏
はつ草の 若葉のうへを 見つるより 旅寝の袖も 露ぞかわかぬ

初草の、若葉のことを知ってからは、旅の宿りの、私の袖の涙は、かわきません。

と、申し上げてくださいと、仰る。

女房は、そのような、お言葉を、お伺いする方は、いらっしゃらないことは、ご存知のはずですが、どなたに、申せとのことでしょうと、申す。
源氏は、自然に、そしてある仔細があってのことと、お考え下さいと、仰るので、女房は、奥に入り、尼君に、申す。
尼は、ああ、派手なことです。
この君が、そんなことを、解る年頃ではないとは、思われないのでしょうか。
それにしても、どうして、あの、若草の歌を、お耳になさったのでしょう。
あれこれと、不思議に思う。
心乱れて、お返事申し上げず、遅れては、失礼と


枕ゆふ 今宵ばかりの 露けさを 深山の苔に くらべざらなむ

旅寝の枕を、今夜だけあそばす、お袖の露を、この奥山に住む者との、苔むす袂と、比べたりされないで、下さい。

それこそ、乾くことのないものです、と、女房を通して、お伝えする。


皆々、女房も、尼君も、源氏が、とんでもないことを言っていると、思うのである。
誰も、源氏が、相手にするような、女は、いないのである。
しかし、若草とは、あの子のことではないか。
しかし、まだ、幼女である。
そんな、馬鹿な。子供を、相手に、乞う歌など、変である。

尼君も、戸惑いつつ、返歌するのである。
ご身分も違い、更に、子供である、あの子にと、疑心暗鬼になるのである。

誰も、源氏が、自分の、好みのままに、育てたいなどとは、考えられないのである。

あな、今めかし。この君や、世づいたる程におはするとぞ思すらむ
尼の言葉は、最もである。
子供であることを、知らないはずはない。まだ、何も解らないと、知らないはずは無い。

あな、今めかし
まあ、今流行りだこと。
色好み、だこと。それにしても・・・
疑問符がつく。

尼の動揺は、孫が年頃の娘だと、思われていることと、若葉の歌を、知っていることが、不思議なのである。

結局、歌にて、同じ袖の涙も、あなた様と、違うものですと、歌う。同じように、考えなされませんようにと、歌うのである。



源氏「かやうの人伝なる御消息は、まだ更に聞え知らず、ならはぬ事になむ。かたじけなくとも、かかるついでに、まめまめしう聞えさすべき事なむ」と聞え給へれば、尼君「ひがごと聞き給へるならむ。いとはづかしき御けはひに、何事をかはいらへ聞えむ」と宣へば、「はしたなうもこそ思せ」と人々聞ゆ。尼君「げに若やかなる人こそうたてもあらめ・まめやかに宣ふ、かたじけなし」とて、いざり寄り給へり。



このような、取次ぎにての、ご挨拶は、いまだしたことがありません。初めてです。
恐縮ですが、この機会に、本気で、申し上げたいことがございます、と、仰る。
尼君は、お聞き違いでございましょう。
あのような、ご立派なご様子の方に、気後れして、何を、お返事いたそうかと、仰る。
女房は、しかし、きまり悪く思いでしょうからと、申し上げる。
尼君は、左様です。若い人は、辛く思います。
熱心に、語りかけられるだけでも、恐れ多いことです。
と言いつつ、屏風の場所に、にじり寄った。


いよいよ、源氏の考えていることを、聞くことになる。
一体、何を仰るのか。
尼君は、にじり寄り、源氏の近くに行く。

いとはづかしき御けはひに 何事をかはいらへ聞えむ
源氏の姿に、対して、いとはづかしき、と言う。
その、御けはひ、である。
そのご様子は、立派であり、恐れ多いのである。
源氏の、立ち居振る舞いにある、美しさとでも、言う。
それは、立派なお方、身分の高い、お方である。

そのため、何事かはいらへ聞えむ、なのである。
なんと、返事をしょうかと、戸惑うのである。

身分というものを、明確にしていた時代である。
この、身分によって、礼法が、生まれた。
敬語という、言葉も、身分により、生まれたものである。
身分というものを、人は、平等であるとした、現代は、自由に見えるが、礼法は、失われる。
それにより、秩序というものが、成り立った。
人の関係軸というものは、身分から、生まれる。

勿論、現代は、肩書きなどによる、柔らかな、身分というもの、意識する。
言葉遣いは、それの、明確化である。

人が、平等であるとは、その心や、魂においてであり、社会生活には、しっかりとした、身分、立場というものがあることを、教えることが、重要な社会関係軸を、作る。
それを、また、教育という。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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