2008年07月27日

もののあわれ257


咲く花に うつるてふ名は つつめども 折らですぎうき けさの朝顔

いかがすべき」とて、手をとらへ給へれば、いと慣れて、とく、

中将
朝霧の 晴れまも待たぬ けしきにて 花に心を とめぬぞと見る

と、おほやけ事にぞ聞えなす。をかしげなる侍ひ童の、すがた好ましう、ことさらめきたる、指貫の裾、露けげに、花の中にまじりて、朝顔をりて参るほどなど、絵に描かまほしげなり。


咲く花に、気が取られる。
ここままでは、帰れぬ、今朝の朝顔である。

どうしたものか、と、問い、手を取ると、慣れたもので、


朝霧の晴れるのを、待たずに、お帰りのご様子は、花に、心を留めていないと、お見受けします。

つまり、源氏の心残りを、人に語られたくないという、気持ちを、中将は、汲んで、返歌したのである。

中将は、主人のことにして、答えた。わざと、である。
愛らしい、小姓が、すがた好ましう、いる。
そのために、創ったな、指貫の裾が、露に濡れた風情で、植え込みの花の中に入り、朝顔の花を、折るところなどは、絵に描きたい様である。

露けげに 花の中にまじりて 朝顔ををりて参りほどなど
花々の中に、身を入れて、朝顔を、手折るという様子。
実に、清清しい様子である。
裾が、露に濡れるという、風情である。


おほかたにうち見奉る人だに、心とめ奉らぬはなし。物の情知らぬ山がつも、花のかげにはなほ休らはまほしきにや、この御光りを見奉るあたりは、ほどほどにつけて、わがかなしと思ふ娘を、「仕うまつらせばや」と願ひ、もしはくちをしからずと思ふ妹など持たる人は、「いやしきにても、なほ此の御あたりにさぶらはせむ」と、思ひ寄らぬはなかりけり。まして、さりぬべきついでの御言の葉も、なつかしき御気色を見奉る人の、少し物の心思ひ知るは、いかがはおろかに思ひ聞えむ。あけくれうちとけてしもおはせぬを、心もとなき事に思ふべかめり。


何の関係ない人でも、お慕いしない者はないであろう。
情緒を理解しない、樵でさえも、花の陰には、休みたいものであろかと、この君の、美しさを、見る人々は、身分に応じて、可愛がる娘を、宮仕えさせたいと、思い、あるいは、人前に出せると、思う妹がいれば、下っ端でも、この君の、屋敷に、お仕えさせようと、望まない者は、いない。
まして、中将のように、何かの時の、歌でも、お情けある、心で、仰せられたと、思うと、少しでも、理解する人は、いい加減に思ったりする訳が無い。
一日、この御宅に、くつろいで、いられるなら、と、思うと、胸躍ることであろう。

何度も、作者は、源氏の美しさを、描く。
というより、美しさを、訴える。
何故か。
前回も、言った。
美は、救いであるから。

そして、その美は、この世に、求められないものである。
しかし、物語の中では、現し得るのである。
自らの、救いのために、源氏物語が、生まれたと、言ってもよい。

その、美しいものが、より一層、美しくなるのは、恋に、おいてである。


まことや、かの惟光が預りの垣間見は、いとよくあない見とりて申す。


本当、そうであった。
あの惟光が、引き受けた、覗き見は、よく様子を探っていた。それで、報告する。

惟光「その人とはさらにえ思ひえ侍らず。人にいみじく隠れ忍ぶるけしきになむ見え侍るを、つれづれなるままに、南の半蔀ある長屋に渡り来つつ、車の音すれば、若き者どもなどすべかめるに、この主しおぼしきも、はひわたる時はべかめる。かたちなむ、ほのかなれど、いとらうたげに侍る。


誰なのかは、はっきりと解りませんが、ひどく、人目を忍び、隠れ住む様子です。
ただ、する事もないゆえに、南側の半蔀の長屋に、やって来ては、車の音がすると、若い女どもが、覗いたりするようです。
主人と思われる、女も、こっそり来るようです。
器量は、はっきり見えませんが、とても、可愛いようです。


ひと日、さき追ひて渡る車の侍りしを、のぞきて、わらべの急ぎて、女童「右近の君こそ。先づ、物見給へ。中将殿こそこれより渡り給ひぬれ」と言へば、またよろしきおとな出で来て、右近「あなかま」と、手かくものから、右近「いかでさは知るぞ。いで見む」とて、はひ渡る。打橋だつものを道にてなむ、通ひ侍る。


ある日のこと、先払いして通る車がありました。
女の童が、急いで、「右近様、ちょっと、御覧下さい。中将さまが、ここをお通りあそばしています」と申すと、別の相当の女房が、出て来て、「静かに」と手で制します。
「どうして、そうだと、解るの。では、拝見」と、こっそり参りました。
打橋用のものを通路にして、行き来しています。


急ぎ来るものは、きぬの裾を物に引きかけて、よろぼひ倒れて、橋よりも落ちぬべければ、右近「いで此のかづらきの神こそ、さがしうしおきたれ」とむつかりて、物覗きの心もさめぬめり。君は、御なほし姿にて、御隋身どももありし。なにがしくれがしと数へしは、頭の中将の隋身、その小舎人童をなむ、しるしに言ひ侍りし」など、聞ゆれば、源氏「たしかにその車を見まし」と宣ひて、もし彼のあはれに忘れざりし人にや、と思ほしよるも、いと知らまほしげなる御気色を見て、惟光「わたくしの懸想もいとよくしおきて、あないも残る所なく見給へおきながら、ただ我がどちらと知らせて、ものなど言ふ若きおもとの侍るを、そらおぼれしてなむ、隠れまかりありく。

急いで、来るため、着物の裾を何かに引っ掛けて、よろけて倒れ、橋から落ちそうになりました。「ええ、この葛城の神様は、もう、危なっかしくこしらえたものだ」と、怒って、覗き見の気持ちが、なくなってしまったようです。
車の君は、御直衣姿で、隋身どもも、おりました。
だれそれと、一人一人の名を呼びましたのは、頭の中将様の、隋身や小舎人童たちで、それを、証拠にしていました」などと、申し上げると、源氏は、その車、確かに、頭の中将のものかどうか、見届けたかったと、おっしゃいます。
もしや、中将が、別れた後でも、可愛く思い、忘れられなかったのではと、思うと、内容を、知りたくなる様子が、解る。
それを、見て、惟光は、私の懸想も、うまくしてありまして、家内の様子も、何から何まで、知っていますが、同輩と思わせて、話しかける若い、おもと、女房の敬称、もおりますが、わざと、気付かぬふりをして、人目を忍んで行きます。


いとよく隠したりと思ひて、小さき子どもなどの侍るが、こと誤りしつべきも、言ひ紛らはして、また人なきさまを、しひて作り侍り」なと語りと笑ふ。君「あま君のとぶらひに物せむついでに、垣間見せさせよ」と宣ひけり。


とても、うまく隠したと、思っても、小さい子供たちがいまして、言い間違いをしてしまいそうになりますが、ごまかし、主人がいないふりを、無理します。
と、笑いながら報告すると、源氏は、尼君の、お見舞いに行くついでに、それを、覗かせよ、と、おっしゃる。


こと誤りしつべきも 言ひ紛らはして
うっかりと、主人に対する言葉遣いになりそうになるのを、言い紛らわすのである。

惟光は、源氏の癖を知りつつも、その希望の通りに、西隣の家を、観察していたのである。
頭の中将が、来ていると、知ると、源氏は、また、興味をそそられた。

色好みの源氏の癖。
どんな女なのかと、非常に興味が湧く。
特に、身分の低い女に、興味を持ち始めた頃である。
新しい女の存在に、ワクワクするのである。




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2008年07月28日

もののあわれ258

「仮にても宿れるすまひの程を思ふに、これこそ、かの人のさだめあなづりし、下の品ならめ。その中に、思ひのほかにをかしき事もあらば」などおぼすなりけり。惟光、「いささかの事も御心にたがはじ」と思ふに、おのれも、くまなき好き心にて、いみじくたばかりまどひありきつつ、しひておはしまさせそめてけり。


例え、仮住まいでも、住んでいる家の程度を、思うと、これこそ、あの佐馬の頭が、軽蔑した下の品であろう。その中に、予想外の、素晴らしいものがあるかもしれないと、思われるのであった。
惟光は、些細な事も、ご意思に添って、と、思いつつ、自分も、抜け目ない程、熱心に、あらん限りの、工夫をして、うろつき回り、無理やり、通わせる、きっかけを、作った。

しひておはしまさせそめてけり
そこのところは、あえて、うるさいことなので、いつも通り、省略します。

お互い様である。
源氏が、興味を持つように、惟光も、興味があるのだ。


女を、さしてその人と尋ねいで給はねば、我も名のりをし給はで、いとわりなくやつれ給ひつつ、例ならずおりたちありき給ふは、「おろかにおぼされぬなるべし」と見れば、我が馬をば奉りて、御供に走りありく。

女を、誰と、はっきり聞き出さず、自分も、名を名乗らず、無理に、粗末な服をお召しになって、いつにもなく、車にも乗らずに、徒歩で行かれるのは、並々ならぬ、熱心さで、惟光は、自分の車を差し上げて、御供で、走り回るのである。


惟光「けさう人の、いとものげなき足もとを、見つけられて侍らむ時、からくもあるべきかな」など、わぶれど、人に知らせ給はぬままに、かの夕顔のしるべせし隋身ばかり、さては、顔むげに知るまじきわらは一人ばかりぞ、いておはしける。もし思ひよる気色もや、とて、隣に中宿りをだにし給はず。


惟光は、懸想人の、つまり、色事師のような、情けない極みの徒歩を、相手に気付かれたら、辛いことでしょうと、迷惑くがるが、誰にも、知らせないように、夕顔との、橋渡しをした、隋身だけに、それとなく言い、そして、顔を全然知らない、少年を一人だけ連れて、お出でになった。
万一、思い当たる気配も、あろうかと、隣の乳母の家にも、お休みにならないのである。


今まで、経過から、源氏は、まだ、女の顔も知らないのである。
しかし、妄想逞しく、夕顔の家に、歩くという、有様である。
そこのところの、心境を、作者は、語らない。
惟光の、思いに、任せている。

結果は、女との、やり取りを、省略して、付き合いの様子を、描くという、手法である。

時間の経過が、飛ばされている。
しかし、これこそ、紫式部の、手法なのだろう。

次は、女の思いから、始まるのである。


女も、いとあやしく、心えぬここちのみして、御使ひに人を添へ、あかつきの道をうかがはせ、御ありか見せむと尋ぬれど、そこはかとなくまどはしつつ、さすがにあはれに、見ではえあるまじく、この人の御心にかかりたれば、びんなくかろがろしき事と思ほし返しわびつつ、いとしばしばおはします。


女の方も、奇妙な、不思議な気持ちがするばかり。
お使いに、人をつけてやり、朝方は、お帰りの道を探らせ、住まいを見届けさせようとするが、どことなく、姿をくらます。
それでいて、可愛く思い、逢わずにいられない。
女のことが、心から、離れないのである。
いけないことだ、軽はずみだと、思っても、また、思い直し、しげしげと、お出かけになるのである。

身分を隠して、源氏は、女の元に通うというのである。
身分を隠すというのも、一つの遊びである。

当時、男は、朝、女の家を出るのが、礼儀である。
長居はしない。


さすがにあはれに
ここでは、可愛い、という意味になる。
あはれ、というものの、表情が豊かに広がる。


かかるすぢは、まめ人の乱るる折りもあるを、いとめやすくしづめ給ひて、人のとがめ聞ゆべきふるまひは、し給はざりつるを、あやしきまで、今朝のほど、昼間のへだてもおぼつかなく、など、思ひわづらはれ給へば、かつは、いと物ぐるほしく、さまで心とどむべき事の様にもあらず、と、いみじく思ひまし給ふに、人のけはひ、いとあさましくやはらかにおほどきて、もの深く重き方はおくれて、ひたぶるに若びたるものから、世をまだ知らぬにもあらず。「いとやむごとなきにはあるまじ。いづくにいとかうしもとまる心ぞ」と、返す返すおぼす。


こういうことでは、堅物でも、分別を無くす時もあるのだが、君は、体面を傷つけず、自重なさって、世間が、咎めるような、行動はしなかったのである。
しかし、不思議なほどに、別れてきた、朝の道を思い、晩に行くまで、昼間、逢わずにいる時でさえ、気が気でない。
気になって、しょうがないのである。
また、こんなことは、気違いじみている。そんなに、執心することではないと、思いつつも、冷静に、考え直しもする。
女の様子は、あきれるほど、おとなしく、鷹揚であり、分別や慎重さがない。
まるっきり、子供のようであるが、男を、まだ知らない訳でもない。
大した身分でもないのに、どこに、こんなに曳かれるのかと、繰り返し考える。

いと物ぐるほしく さまで心とどむ事の様にもあらず
気違いじみている。それほと、執着することもないだろう。

恋とは、そういうものである。
しかし、恋する心の、どこかに、冷静な目がある。
何故、こんなに、相手に曳かれるのか。
誰もが、一度は、佇む心境であろう。

ところが、没頭してしまう。
行き着くところまで、没頭するのである。
恋は、そこまで、人の心を、追い込むものである。

そして、そのエネルギーは、性、である。

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2008年07月29日

もののあわれ260

君「いざ、いと心安き所にて、のどかに聞えむ」など語らひ給へば、女「なほあやしう、かく宣へど、世づかぬ御もてなしなれば、もの恐ろしくこそあれ」と、いと若びて言へば、げに、と、ほほえまれ給ひて、君「げにいづれか狐なるらむな。ただはかられ給へかし」と、なつかしげに宣へば、女もいみじくなびきて、さもありぬべく思ひたり。


君は、さあ、少しも気のおけないところで、お話しましょうと、言う。
女は、でも、やっぱり少し変です。お言葉ですが、普通ではない、ご様子です。怖いような気がしますと、言う。
源氏は、微笑んで、頷き、そうですね、どちらかが、狐なんですよ、黙って化かされましょうと、言う。
なつかしげに言うので、女は、素直に、お言葉に従う。
さもありぬべく、思うのである。


世になくかたはなる事なりとも、ひたぶる従ふ心はいとあはれげなる人、と見給ふに、なほ、かの頭の中将のとこなつ疑はしく、語のし心ざま、まづ思ひ出でられ給へど、「しのぶるやうこそは」と、あながちにも問ひ出で給はず。けしきばみて、ふとそむき隠るべき心ざまなどはなければ、「かれがれに、とだえおかむ折りこそは、さやうに思ひ変はる事もあらめ。心ながらも、少し移ろふ事あらむこそ、あはれなるべけれ」とさへ、おぼしけり。


世になく、変なことだと、思っても、そのまま、従うのは、実に可愛いと、思うのである。
繰り返して、思うのは、あの、頭の中将の話である。
常夏という、女の性質かと、思うが、その性質を隠して、どうなるということではない。
無理に、聞くことはないと、思う。
突然、身を隠して、離れるということはないだろうと、思う。
長くいるならば、心変わりも、あろうが、自分は、そんなことはないから、大丈夫だ。
自分も、心変わりなどあれば、更に、面白いが、と、思うのである。


この辺りになると、源氏という男が、老練な恋のチャレンジーだと、思うが、それにしても、変わり身が、早い。
トントンと、話が進む。

少し移ろふ事あらむこそ あはれなるべけれ
少し、移ろいやすいと、面白いというのである。
そこでの、あはれ、の使い方である。

あはれ、とは、面白いとも、言うのである。


はづき十五夜、くまなき月かげ、ひま多かる板屋、残りなく漏り来て、見ならひ給はぬ住まひのさまも、めづらしきに、暁ちかくなりにけるなるべし、隣の家々、あやしきしづのをの声々、目さまして、隣人「あはれ、いと寒しや。今年こそなりはひにも頼む所すくなく、いなかの通ひも思ひかけねば、いと心細けれ。北殿こそ。聞き給ふや」など言ひかはすも聞ゆ。いとあはれなるおのがじじのいとなみに起き出でて、そそめきさわぐもほどなきを、女いと恥づかしく思ひたり。


八月十五日の夜。
中秋の名月である。
冴えた月光が、隙間の多い、家に差し込んでくる。
見慣れない、家の様子が、はっきりと見える。
それが、珍しい。その上、明け方近くであろう、隣の家々から、賎しい男どもの、声が聞こえる。
それぞれ、目を覚まして、いやいや、寒い。今年は、商売も不景気で、田舎の商いも、望めない。心細いことだ。北隣さん、聞いているかい。と、言う。
細々した仕事に起き出している。
女は、いたく恥ずかしいと、思うのである。


あはれ、いと寒しや
この、あはれ、は、感嘆符である。あはれ、と、嘆息したり、感動したり、するときも、使われる。

そぞめきさわぐもほどなきを
現代訳するより、そのままが、ぴったりする、表現である。
そぞめき、次第に、徐々に、と、訳せるが。


艶だち気色ばまむ人は、消え入りぬべき住まひのさまなめりかし。されど、のどかに、つらきも、憂きも、かたはらいたきことも、思ひ入れたるさまならで、わがもてなしありさまは、いとあてはかにこめかしくて、またなくらうがはしき隣の用意なさを、いかなることとも聞き知りたるさまならねば、なかなか、恥ぢかがやかむよりは、罪ゆるされてぞ見えける。



体裁屋の、気取り屋なら、気絶しそうな家である。
そんな、風景の中、のんびりした性格で、辛いこと、嫌なこと、気恥ずかしいことも、女は、気にする風でもなく、本人は、まことに、上品で、あどけなく、騒々しい隣の騒ぎを聞いても、よく解らず、恥ずかしいと思わない姿が、罪の無いものに、思えるのだった。


実に、面白い、庶民の生活振りである。
そんな、場所に、身分を隠して、女と二人で、居るという、源氏の姿を、想像する。
しかし、これは、始まりなのである。
この、何気ない風景の中に、当時の、不思議な、現象を、作者は、起こす。


ごほごほと、鳴る神よりもおどろおどろしく、踏みとどろかすからうすの音も、枕がみとおぼゆる。「あな耳かしがまし」と、これにぞおぼさるる。何のひびきとも聞入れ給はず。いとあやしうめざましき音なひとのみ、聞き給ふ。くだくだしき事の多かり。


ごろごろと、雷よりも、おどろおどろしく、踏み鳴らす、臼の音も、枕の下からかと、思う。
ああ、やかましい。と、その音である。
しかし、君も、何の音かを、知らないのである。
まったく、変な煩い音としか、解らない。
くだくだしき事が、多いのです。と、作者は、付け加える。


擬態語が、面白い。
ごろごろが、ごほごほ、である。
からうす
臼で、土中にある。それを、長い杵の端を、足で踏むのである。
私は、それを、カレン族の村で見た。
米を、脱穀する時に使うというものである。

当時の、生活の様、いと、おもしろい、のである。

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2008年07月30日

もののあわれ261

しろたへの衣うつ砧の音も、かすかに、こなたかなた聞きわたされ、空とぶ雁の声、とりあつめて、しのびがたき事おほかり。はし近きおまし所なりければ、やり戸をひきあけて、もろともに見いだし給ふ。程なき庭に、ざれたる呉竹、前栽の露は、なほかかる所も同じごと、きらめきたり。


状況、自然描写である。美しい語りである。

白妙の衣うち砧の、音も、微かに、あちこちと、聞こえてくる。
空を飛ぶ雁の、鳴き声も、一緒になり、耐え切れない事も多い。
端近い、ご座所だったので、引き戸を、開けて、女と一緒に、外を、御覧になる。
ざれたる呉竹
お洒落な、呉竹
植え込みに置く、露は、こんな所でも、輝いている。


虫のこえごえ乱りがましく、壁の中のきりぎのりすだに、まどほに変へておぼさるるも、御こころざし一つの浅からぬに、よろづの罪ゆるさるるなめりかし。白きあはせ、うす色のなよよかなるを重ねて、はなやかならぬ姿、いとらうたげにあえかなるここちして、そこととりたててすぐれたる事もなけれど、細やかにたをたをとして、ものうち言ひたるけはひ、あな心苦しと、ただいとらうたく見ゆ。


色々な虫の声が、混じり、壁の中に鳴く、こおろぎさえ、時々にしか、聞かないのが、常のお耳に、じかに、押し付けたように、しきりに鳴くのを、風変わりだと感じるのも、愛情が深く、すべてのもの、許される。
白い、袷に、薄紫の、柔らかな上衣を重ねて、目立たない、服装は、実に、可愛く、弱弱しい感じがする。
また、どこだという、美しさがあるのではないが、ほっそりと、また、弱げに、何かを言うところは、いじらしいと、思うのである。

あな心苦しと ただいとらうたく見ゆ
いじらしい、とか、可愛いという。そのように、見える。
この場合の、心苦しいは、我が心が、締め付けられるような、感覚である。
それは、恋から、発するものである。

心ばみたるたかを、少し添へたらば、と見給ひながら、なほうちとけて見まほしくおぼさるれば、君「いざ。ただ此のわたり近き所に、心安くて明かさむ。かくてのみはいと苦しかりけり」と宣へば、女「いかでか。にはかならむ」と、いとおいらかに言ひて居たり。


少し、気取ってもいいと思いつつ、二人っきりになりたいと、君は、さあ、この近所にて、気楽に、一夜を明かそう。こんなに、人の多い所では、たまらないと、言う。
女は、そんな、急なことを、と、おっとりと答える。

いとおいらかに言ひ
実に、おっとりと、言うのである。
おおらかに、という、ところであろう。


女は、源氏の身分を知らない。源氏も、女の、状況を、知らない。
知らない同士が、恋に嵌る。
恋、というものの、あからさまな、様子を描く。

男と、女の、結びつきに、何も、余計なものは、必要ではない。
曳かれるようにして、曳かれて、恋をする。
しかし、それは、また、ある種の、悲劇に通ずるのである。
紫式部は、それを、この巻で書くのだ。


この世のみならぬ契りなどまで頼め給ふに、うちとくる心ばへなど、あやしくやうかはりて、世なれたる人ともおぼえねば、人の思はむ所もえはばかり給はで、右近を召し出でて、隋身を召させ給ひて、御車引き入れさせ給ふ。このある人々も、かかる御こころざしのおろかならぬを見知れば、おぼめかしながら、頼みかけ聞えたり。



この世だけではなく、来世までも一緒との、約束。
女は、それに、何もかも、任せる、心は、不思議なほどで、男を、知っているとも、思われず、君は、皆の思惑も、構わずに、右近を呼び、命じて、隋身をお召しになり、御車を、引き入れる。
この家の人々も、君の、女に対する、愛情が、普通でないことを、知り、不安になりつつも、従っていた。


うちとくる心ばえ
打ち解ける心の姿である。
あやしくやうかはりて
不思議なほど、従順である。
世なれたる人ともおぼえねば
世慣れたる人とも、見えない。つまり、男を、よく知っているとも、思われない。
それなのに、源氏の言葉に、従うのである。
抵抗しないのである。

随分と、旨い具合に、事が、進む。
しかし、それは、愛でたいことにはならない、のである。

結末を、急がずに、最初の通り、全文を訳すことにする。


明けがた近うなりけり。とりの声などは聞えで、御嶽精進にやあらむ、ただおきなびたる声に、ぬかづくぞ聞ゆる。立ち居のけはひ、絶えがたげに行ふ。いとあはれに、あしたの露にことならぬ世を、何をむさぼる身の祈りにか、と聞き給ふ。


夜明け近くになった。
鶏の声などは、聞こえないで、御嶽精進であろうか、いかにも、年寄りらしい声で、礼拝する声が聞こえる。
立ったり座ったりも、苦しそうな、勤行ぶりである。
かわいそうに見える。
朝置く露に、等しい、命短い人の世を、あの老人は、何を欲して、祈るのかと、お耳を澄します。


何をむさぼる身の祈りか
祈るという行為を、むさぼる、と表現するのが、実に、新鮮である。
祈りも、度を越すと、貪ることになるのだ。
貪る祈りというものを、始めて知った。

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2008年07月31日

もののあわれ262

老人「南無当来導師」とぞ、をがむなる。君「かれ聞き給へ。この世とのみは思はざりけり」と、あはれがり給ひて、


うばそくが 行ふ道を しるべにて 来む世も深き 契りたがふな

長生殿の古きためしはゆゆしくて、羽をかはさむとは引き変へて、弥勒の世をかね給ふ。行く先の御頼め、いとこちたし。


さきの世の 契り知らるる 身のうさに 行く末かねて 頼みがたさよ

かようのすぢなども、さるは心もとなかめり。

いさよう月に、ゆくりなくあくがれむ事を、女は思ひやすらひ、とかく宣ふほどに、俄に雲隠れて明け行く空、いとをかし。はしたなき程にならぬさきにと、例の急ぎ出で給ひて、かろらかにうち乗せ給へれば、右近ぞ乗りぬる。


南無当来の、導師と拝むのである。
君は、あれを聞いて、あの老人も、この世だけとは、思っていないのだと、哀れをかける。


うばそく、僧侶の、修行を道案内として、来世も、二人の堅い約束を、破らないように

と、長生殿の故事は、死んで別れるという、不吉ゆえ、比翼の約束とは、違い、弥勒菩薩の出現の、来世を、契るのである。
将来の、約束とは、実に、大袈裟であるが。


前世での、約束も、知らない私の不運さゆえに、未来まで、頼むわけには、参らぬようです

このような、返歌の歌も、実は、心細く思うのである。

たゆたう月とともに、行くへも、知れず、出て行こうと、女の決心は、つかず、あれこれと、説得するうちに、月は、雲に隠れて、明け行く空は、美しい。
見苦しくならふようにと、例のように、急いで、お出になり、女を、軽々と抱き寄せて、車に乗せると、右近が、同乗した。

ゆくりなくあくがれむ事を
ゆくりなく、とは、何気なく、目の前に見える風景である。
あくがれむ事を
行動しようとする、思い。
何となく、行動する思いは、あるのだが、今ひとつ、決心が、つきかねるのである。

実は、人生とは、このようなものであるとも、言える。
何となく、そちらに、曳かれて、着いて行くのである。

私は、この、夕顔の巻に、ゆくりなくの、人の人生を、感じるものである。
ゆくりなくが、如くに、人生というものが、あるのかもしれない。
その、時代に、翻弄されて、ゆくりなく、生きるのである。

それは、誰の意思だろうか。
前世の宿縁という、仏教の思想は、実に、それに、マッチしたのである。
解らないことは、前世の宿縁なのであるという、一見、無責任に、思える、ものの考え方に、もののあわれ、というものの、心象風景も、広がるのである。
というより、解らないことを、解らないものだと、容認するのである。



そのわたり近きなにがしの院におはしまし着て、預かり召し出づるほど、荒れたる門のしのぶ草、茂りて見上げられたる、たとしへなく木暗し。霧も深く露けきに、すだれをさへ上げ給へれば、御袖もいたく濡れにけり。


その近所の、某の院に、到着されて、留守居役をお呼び出しになる間、手入れもしていない、門を見上げると、忍ぶ草が、茂って、えもいわれぬ、木の下の闇である。
霧も深く、露じみている。
御簾を上げていたので、気付くと、袖まで、濡れていた。


君「まだ、かやうなる事を慣らはざりつるを、心づくしなる事にもありけるかな。


いにしへも かくやは人の まどひけむ わがまだ知らぬ しののめの道

慣らひ給へりや」と宣ふ。女、恥ぢらひて


山のはの 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ


心細く」とて、物おそろしう、すごげに思ひたれば、「かのさしつどひたる住まひの心慣らひならむ」と、をかしくおぼす。


君は、まだこんな事は、知らなかった。気のもめる話だと言う。

昔の人も、こんな風に、うろうろしたのか。私は、経験したことのない、明け方の道だ。

ご存知かと、仰る。女は恥ずかしがって、

山の端の、心も知らず渡り行く月は、大空の途中で、消えてしまうのでございます。
それは、私のこと。

心細く思いますと、言う。
怖そうに、気味悪く思っているのだ。あの、家に慣れてのことだろうと、おかしく、思う。

あの家に、慣れるというのは、現在の慣れるではなく、逆に、慣れないと、考える。
多くの訳は、慣れたとするが、慣れないがために、そのように、気味悪く思うのだと、言う。それを、源氏が、おかしく思う。

あのさしつどいたる住まひの心慣らひならむ と をかしくおぼす
あの、さしつどいたる、家に、住み、心慣れたゆえに、と、おかしく思うのである。
さしつどいたる
これを、訳すことが出来ない。
圧縮したような、家という意味であるが。難しい。

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2008年08月01日

もののあわれ263

御車入れさせて、西の対に、おましなどよそふほど、高欄に御車ひきかけて立ち給へり。右近、艶なるここちして、来しかたの事なども、人知れず思ひ出でけり。預かりいみじくけいめいしありく気色に、この御ありさま知りはてぬ。


御車を引き入れて、西の対に、ご座所などを、設ける間、高欄に、ながえ、を、持たせて、車を立てる。
右近は、味な気がして、過去のことなども、思い出したことである。
留守役が、懸命にお世話をする様子に、君が、どなたであるか、解ってしまった。


ほのぼのと物見ゆるほどに降り給ひぬめり。仮りそめなれど、きよげにしつらひたり。預り「御ともに人もさぶらはざりけり。ふびんなるわざかな」とて、むつまじき下家司にて、殿にも仕うるまつる者なりければ、参り寄りて、預り「さるべき人めすべきにや」など申さすれど、源氏「ことさらに、人来まじき隠れ家、求めたるなり。さらに、心より外に漏らすな」と、口がためさせ給ふ。御かゆなど急ぎ参らせたれど、とりつぐ御まかなひうちあはず。まだ知らぬ事なる御旅寝に、「おきなが川」と契り給ふ事より、ほかの事なし。


ほのぼのと、物が見える時間に、車を、お降りになった。
間に合わせだが、さっぱりとした、ご座所が、設けてある。
留守役は、お供に、誰もいませんが、不都合なことですと、言う。
下家司の、大臣宅にも、出入りする者なので、お傍近くに、来て、しかるべき人を、お呼びしましょうかと、右近を通して、申し上げる。
源氏は、誰も来ることのない場所を、選んだのだ。絶対に、誰にも、言うなと、右近に、口止めを命じる。
お食事などを、急いで、差し上げるが、給仕するのも、揃わないのである。
今までにない、外泊である。
「おきなが川」永久に、語り合うという意味。
と、誓うより、他にないのである。

契り給ふ事より
誓うと、契るとの、二つの意味であろう。
語り合うとは、情交することでもある。
物語するというのは、男女の仲では、情交することである。


日たくるほどに起き給ひて、格子、手づから上げ給ふ。いといたく荒れて、人目もなくはるばると見どころなく、木立いとうとましく物古りたり。け近き草木などは、ことに見どころなく、みな秋の野らにて、池もみくさにうづもれたれば、いとけうとげになりにける所かな。べちなふのかたにぞ、曹司などして住むべかめれど、こなたは離れたり。源氏「けうとくもなりにける所かな。さりとも、鬼なども、我をば見ゆるしてむ」と宣ふ。


日も高くなった頃に、お起きになって、格子を、ご自分で、お上げになる。
庭は、とても荒れて、人影もなく、広々と見渡されて、植木は、気味悪く、古色を帯びている。
間近の、前栽の草木などは、別に見栄えもなく、一面は、秋の野原である。
池も、水草に埋もれて、なんとも、恐ろしい雰囲気である。
離れ屋の方には、部屋を構えて、住んでいる人もいるらしいが、こちらは、離れている。
源氏は、なんとも、恐ろしい場所だ。でも、鬼でも、私なら、許してくれそうだと、言う。


いとけうどげになりにける
大変、恐ろしい雰囲気である。

廃墟のような、所である。
この巻に、相応しい場所を、作者は、用意した。


顔はなほ隠し給へれど、女のいとつらしと思へれば、「げにかばかりにて隔てあらむも、事のさまにたがひたり」とおぼして、

源氏
ゆう露に ひもとく花は 玉ぼこの たよりに見えし えにこそありけれ

露の光りやいかに」と宣へば、しりめに見おこせて、


光ありと 見し夕がほの うは露は たそがれ時の そらめなりけり

と、ほのかに言ふ。をかしとおぼしなす。げに、うちとけ給へるさま、世になく、所がらまいてゆゆしきまで見え給ふ。源氏「尽きせず隔て給へるつらさに、あらはさじ、と思ひつるものを。今だに名のりし給へ。いとむくつけし」と宣へど、女「あまの子なれば」とて、さすがにうちとけぬさま、いとあいだれたり。源氏「よし。これもわれからなめり」と、恨み、かつは語らひ、暮らし給ふ。


顔は、隠していらっしゃるが、女が、それは、酷いと思っている。
こんなことになっても、隔てを置くのは、変なことだと、

源氏
夕露に、ほだされて、堅い蕾が、紐を解いて、顔を見せる花は、道の通りに、逢った縁なのです。

露の光は、どうだと、おっしゃると、流し目に、見て、


光り輝くと、見ました、夕顔の上に置く露は、暮れ方の、見誤りでした。

と、微かに言う。
それも、良いと、思う源氏である。
場所が、場所ゆえ、いっそう美しく見える。
源氏は、いつまでも、隠しているのは、酷すぎる。顔は見せまいと、思っていたが、この上は、名前を、言いなさい。とても、気味が悪いと、言う。
女は、海女の子ですと、答える。
それでも、言うなりに、ならないのが、甘えているのである。
源氏は、しょうがない、これも、自分のせいだと、思う。
恨んだり、話し込んで、その日が、暮れた。


男と女の関係に、身分も、名前も、どうでもいいのである。
しかし、当時は、それは、タブーである。
あえて、紫式部が、この巻を書くのは、何故か。
人生の、一場面に、そういうこともある。
一夜限りの、契りを結ぶ者もいる。
恋とは、そういうものである。そして、更に、説明は、無い。
説明できるような恋など、恋というものではない。
恋とは、セックスであると、何度も書いた。
セックスというものを、どう認識するのかである。
性というものを、どのように、取り扱うのか。

それを、単なる欲望、煩悩として、扱うものだろうか。
私は、それは、恵みであると、古代の人と共に、思う者である。
それに、悩み、煩悶するという様を、迷いというのであれば、そのように、考えることが、迷いである。

万葉が、無ければ、源氏物語も、無かったのである。

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2008年08月02日

もののあわれ264

惟光尋ね聞えて、御くだものなど参らす。右近が言はむ事さすがにいとほしければ、近くもえ侍ひ寄らず。「かくまでたどりありき給ふ。をかしう、さもありぬべきありさまにこそは」と、おしはかるにも、「我がいとよく思ひよりぬべかりし事を、譲り聞えて、心ひろさよ」など、めざましう思ひをる。


惟光が、探し出して、御くだものなどを、差し上げる。
右近に会ったら、聞かれるだろうと思うと、気の毒で、お近くに、居候もできない。
こんなにまで、うろつき回るということ、実に、また、面白いのである。
我が君を、こんなに、熱中させるほどの、女かと、思われて、自分が、手に入れることのできたものを、お譲りしたという気持ちは、度量が広いと、呆れ返る、思いでいる。


めざましう思ひをる
これは、作者の感想である。
自画自賛していると、作者が、呆れるのである。
あたかも、本当の話のように、である。


たとしへなく静かなるゆふべの空をながめ給ひて、奥のかたは暗うものむつかし、と、女は思ひたれば、端のすだれをあげて、添ひ臥し給へり。夕ばえを見かはして、女もかかるありさまを、思ひのほかにあやしきここちはしながら、よろづの嘆き忘れて、すこしうちとけゆくけしき、いとらうたし。


譬えようもない、静かな夕方の空、目をやり、部屋の奥は、気味が悪いと思う女なので、君は、縁側に近い、御簾を巻き上げて、横になった。
夕映えに、映える顔と顔を、見合って、女は、思いがけないことと、思うが、辛さも、苦しさも、忘れて、少しづつ、大胆になってゆくところが、可愛いと思うのである。



たとしへなく静かなるゆふべの空
言葉が、見いだせないような、静かな夕空である。
思ひのほかにあやしきここちはしながら
このような、心境は、どんな心象風景なのだろうか。
思いもよらない、あやしき心地という。
怪しい、とも、妖しいとも、書く。

うちとけゆくけしき
気色という言葉は、心の様を言う。
風景の、景色ではない。
心の気色である。
しかし、風景の景色というものも、気色と書くのである。
つまり、目の前の、景色も、心の中に写る気色というものに、なって、はじめて、景色が、気色になるのだ。

二つの意味を、兼ねる時に、けしき、と書く。


つと御たかはらに添い暮らして、物をいとおそろしと思ひたるさま、若う心ぐるし。格子とくおろし給ひて、大殿油参らせて、源氏「名残なくなりにたる御有様にて、なほ心のうちの隔て残し給へるなむつらき」と恨み給ふ。



お傍に、一日中いる間、何となく、怖そうにしている様などは、子供のようで、いじらしいと思う。
源氏は、格子を、早めに下ろし、燭台に火を点させて、言うままになっているのに、名を言わないとは、ひどい、と、恨み言を言う。



「うちにいかに求めさせ給ふらむを、いづこに尋ぬらむ」と、おぼしやりて、「かつはあやしの心や。六条わたりにもいかに思ひ乱れ給ふらむ。恨みられむも苦しうことわりなり」と、いとほしきすぢは、まづ思ひ聞え給ふ。なに心もなきさしむかひを、あはれとおぼすままに、「あまり心深く、見る人も苦しき御有様を、すこしとりすてばや」と、思ひくらべられ給ひける。


宮中では、どんなにか、探していることだろうと、思う。
使者に当たった者は、どこを、探しているのだろうかと。
そのように、思えば、我ながら、変ではあると、思うのである。
六条の御方も、どんなに、案じておいでであろうか。
恨まれるのは、苦しいことだが、まず、六条の方を、思うのである。
目の前の、女が、何の躊躇いもなく、向かい合っているのを、見て、可愛く思う反面、あのお方を、お相手するのは、息苦しく、感じると思う。
それを、少し取り除けばと、思いつつ、目の前の女と、比較するのである。


うち、とは、宮中、つまり、天皇である。源氏の父帝のことである。
そして、その命を受けた者たちである。

隠れて、女と、一緒にいるという、妖しい思いを、楽しむのである。
しかし、それも、つかの間である。
物語は、一気に、妖しくなるのである。

もののけ、というものが、登場する。
それは、単なる、幽霊などではない。
女を、死に至らしめる、もののけ、である。

そこまで、至らしめるために、今までの、準備があった。
作者は、すでに、その結末を知って、ゆるやかに、物語するのである。

作者とは、語り手である。
紫式部は、語り手の、手法を持って、物語を書く。
以後の、小説、物語は、それを、手本とするのである。

また、多く、主語を省くという、物語の伝統を、築いたとも、言える。
心の様は、読み込んでゆけば、自然に理解出来るようになっている。
しかし、これは、日本文学の、特徴とも、言えるのである。

現代訳する時に、これは、誰の心境だろうと、思われる箇所、多々あり。
しかし、自然に、それが、理解されるのである。
それは、歌道の、教養のゆえである。

文学、とりわけ、日本文学とは、歌道の、学びが、必要不可欠である。


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2008年08月03日

もののあわれ265

よひすぐるほど、少し寝入り給へるに、御枕がみにいとをかしげなる女いて、怪「おのがいとめでたしと見奉るをば、たづね思ほさで、かくことなる事なき人をいておはして、時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとす、と見給ふ。ものにおそはるるここちして、おどき給へれば、燈も消えにけり。


宵過ぎる頃、少し寝入りなさった時、枕元に、美しい女がいた。
その女が、ご立派だと、思い申している私を尋ねることなく、こんな取りえの無い女を連れて、大切にしてること、見ていられません、たまりませんと、言い、傍の女を、引き起こそうとする。
そんな夢を見て、うなされる気持ちがして、驚き、起きると、燭台の燈も消えていた。


長い前段階があり、いよいよ、この巻の、本ストーリィーである。

ちなみに、霊的なもの、ここでは、怪しきもの、は、夢という、意識と、無意識の狭間で、揺れる意識に、コンタクトするものである。
その有様は、夢だとしか、認識することが出来ない。
しかし、本当は、その、たゆたう意識の、中で起こることである。
心理学では、自分が起こしていると、考える。



うたておぼさるれば、太刀を引き抜きて、うち置き給ひて、右近を起こし給ふ。これも、おそろしと思ひたるさまにて、参れよれり。源氏「わた殿なるとのい人おこして「紙燭さして参れ、と言へ」と宣へば、右近「いかでかまからむ。暗うて」と言へば、源氏「あなわかわかし」と、うち笑ひ給ひて、手をたたき給へば、山びこのこたふる声いとうとまし。


不気味に感じて、太刀をそっと引き抜いて、そっとそこに置く。
右近を呼ぶ。
右近も、怖がっているようである。
源氏は、渡殿にいる宿直を起こして、紙燭をつけて参れと、言えと、命じた。
右近は、どうして、参れましょう、暗くて、と言う。
源氏は、笑い、子供のようじゃと、言い、手を叩いた。
その音が、山彦のように、響くのが、実に、不気味である。

いとうとまし
大変、疎ましい、とは、嫌な気分であり、それが、更に、気味の悪いものに、思えるのである。



人え聞きつけで、参らぬに、この女君、いみじくわななきまどひて、「いかさまにせむ」と思へり。汗もしとどになりて、われかの景色なり。右近「物おぢをなむわりなくせさせ給ふ本性にて、いかにおぼさるるにか」と右近も聞ゆ。「いとかよわくて、昼も空をのみ見つるものを。いとほし」と、おぼして、源氏「われ人を起さむ。手たたけば、やまびこのこたふる、いとうるさし。ここにしばし近く」とて、右近を引き寄せ給ひて、西のつま戸に出でて、戸をおしあけ給へれば、渡殿の燈も消えにけり。



人の耳には、入らず、誰も来ない。
この女は、ひどく震え、怯えて、どうしていいのか、解らない有様である。
汗も、びっしょりとかいて、正体もない様である。
右近が、むやみに怖がる性格です。どんな気持ちで、いられますやらと、言う。
とても弱々しく、昼間も、空ばかりを、見ていたのであると、思い、源氏は、私が、誰かを、起こす。手を叩くと、山彦が、響いて、うるさい。さあ、ここに来て、傍にいてくれ、と、右近を引き寄せる。
源氏は、西の妻戸に出て、戸を開けると、渡殿の燈も、消えていた。



風すこしうち吹きたるに、人は少なくて、さぶらふ限り、みな寝たり。この院の預かりの子、むつまじく使い給ふ若きをのこ、またうへわらはひとり、例の隋身ばかりぞありける。召せば、御こたへして起きたれば、源氏「紙燭さし参れ。隋身も弦打ちして絶えずこわづくれと仰せよ。人隠れたる所に心とけて寝ぬるものか。惟光の朝臣の来たりつらむは」と問はせ給へば、男「さぶらひつれど、おほせごともなし。あかつきに御迎へに参るべきよし申してなむ、まかで侍りぬる」と聞ゆ。


風が、そよめいているが、人は少なく、控えの者は、皆、寝ている。
この家の、留守役の子で、身近くお使いになる、若い男、そして、殿上童が一人、いつもの、隋身がいた。
お呼びに成ると、返事をして、起きてきた。
源氏は、紙燭をつけて来なさい。隋身も、弦打ちして、声をかけて、回れと、言う。
人気無しと思い、気を許し、寝る者があるか。惟光の朝臣が、来ていたであろうと、問うと、控えておりましたが、命もなく、明け方に、お迎えにまりると、申して、退出しました、と申し上げる。


さぶらう限り
全員ということ。

弦打ちして絶えずこわづくれ
弓の弦を弾き鳴らすことで、魔を祓うのである。
こわづくれ
声を出せ。名を言うとか、時刻を言う。

単なる夢のことで、これほどに、なるという、当時の感覚である。
夢というものも、一つの現実なのである。
単なる、夢では、終わらない。

感受性の違いである。
豊かに富んだものだった。



このかう申すものは滝口なりければ、弓弦いとつきつきしく打ち鳴らして、男「火あやうし」と言ふ言ふ、預かりが曹司のかたにいぬなり。内をおぼしやりて、「名体面はすぎぬらむ。滝口のとのいまうし今こそ」とおしはかり給ふは、まだいたうふけぬにこそは。


このように、申す者は、滝口の士である。
弓を、いかにも、それらしく鳴らし、火の用心と言いながら、留守居役の部屋の方に行く。
源氏は、その声に、宮中を思い出し、名体面は、済んだであろうか。滝口の、宿直、とのい、申しが、と推測する。
では、夜は、それほど、更けていないのである。
と、作者が、付け加える。


滝口とは、清涼殿の東北である。
御溝水の流れ落ちる場所にいる警備の、侍をいう。
蔵人所に属する者である。

宮中では、午後九時頃に、宿直の者が、名を名乗るのである。
その、名体面、つまり、名を名乗りあった後に、弓を鳴らし、更に名を名乗るのである。


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2008年08月04日

もののあわれ266

帰り入りて、さぐり給へば、女君はさながら臥して、右近はかたはらにうつぶし臥したり。源氏「こはなぞ。あなものぐるほしのものおぢや。あれたる所は、きつねなどやうのものの、人をおびやかさむとて、け恐ろしう思はするならむ。まろあれば、さやうのものにはおどされじ」とて、ひき起し給ふ。


部屋に戻り、ご座所に入って、手探りされると、女は、元のままに、横になり、右近は、傍にうつぶして、寝ている。
源氏は、どうしたのだと、問う。何と、馬鹿げた怯えよう。人の住まない所は、狐などが、人を脅そうとして、恐ろしがらせるのだろう。私が、いるゆえに、そんなものに、脅されないと言い、右近を引き起こすのである。


あな ものぐるほしの ものおぢや
ああ、なんという、怯えようだ。馬鹿げている。

狐が、人を脅すという、考え方が、面白い。
しかし、それは、戦後までも、続く、民間信仰の元になっていた。
お狐様である。
稲荷を、お狐さまと、呼んで、お奉りするのである。
更に、龍神や、天狗というものも、ある。

それを、迷信だと、笑えないのは、そういう、想念体があるからである。
例えば、稲荷信仰に、のめり込んだ者が、死後、稲荷の想念体を作るのである。龍神も、天狗も、同じである。


信じ込む念というのも、それは、広い意味での、物質である。
以下省略。



右近「いとうたてみだりにごこちのあしう侍れば、うつぶし臥して侍るや。おまへにこそわりなくおぼさるらめ」と言へば、源氏「そよ。などかうは」とて、かいさぐり給ふに、息もせず。ひき動かし給へど、なよなよとして、われにもあらぬさまなれば、「いといたく若びたる人にて、もものにけどられぬるなめり」と、せんかたなきここちし給ふ。


右近は、もうたまりません、気持ちが悪くて、つっぷしていましたと、言う。
お姫様は、怖がっておいでてしょうと、言うと、源氏は、本当に、どうして、と、仰りながら、手探りすると、息もしないのである。
揺り動かしてみると、なよなよして、正体も無いのである。
まるっきり、子供のようで、魔物に、生気を奪われたのだろうと、思うのである。


おまへにこそ わりなく おぼさるらめ
御前であり、女を敬称する。お姫様は、どうしているのでしょう、か。

いと いたく 若びたる人にて
とても、いたくは、同じく感嘆である。
子供のように。



紙燭もと参れり。右近も動くべきさまにもあらねば、近き御凡帳を引き寄せて、源氏「なほ、もて参れ」と、宣ふ。例ならぬことにて、おまへ近くもえ参らぬつつましさに、長押にもえのぼらず。源氏「なほもてこや。ところに従ひてこそ」とて、召し寄せて見給へば、ただみの枕上に、夢に見えつるかたちしたる女、おもかげに見えて、ふと消えうせぬ。



滝口が、紙燭を、持って上がった。
右近も、動けそうもない様子。
傍の御凡帳を引き寄せて、女を起し、源氏は滝口に、もっと、こちらに持って来なさいと、言う。
かつてないことと、お傍近くに、来られない様子である。
敷居にも、近づけないのである。
源氏は、もっと、近くに持ってくるようにと言う。
礼儀も、場所によるものだと、滝口に言うのである。
呼び寄せて、御覧になると、女の、枕元に、夢に見た、恰好のそのままの女が、幻に見えて、ふと、消えた。


例ならぬことにて おまへ近くもえ参らぬ つつましさに
かつてないことである。
御前に出るということは、出来ないという、礼儀である。
いつもは、人を介して、お話するという、決まりである。
身分制度は、厳しかったのである。
君なる方は、御付の者を通して、命を、下される。



昔物語りなどにこそ、かかる事は聞け、と、いとめずらかにむくつけけれど、まづ、「この人いかになりぬるぞ」と思ほす心さわぎに、身のうえも知られ給はず、添ひ臥して、源氏「やや」と、おどろかし給へど、ただひえにひえいりて、息はとく絶えはてにけり。いはむかたなし。



昔物語などには、このような話は、あるが、と、実に、奇怪で、気味が悪いのである。
何より、女は、どうしたのかと、思う。
自分のことさえ、考えられない。
寄り添い、声を掛けるが、すっかり冷え切って、息が切れている。
何とも、言いようがないのである。


いと めずらかに むくつけけれど
珍しく、むくつけ、奇怪である。

息は とく 絶えはてにけり
息が切れて、絶えている。


さらり、と、書くが、女は、死んだのである。

この、奇怪な物語は、何を伝えるものか。
名も知れぬ女の、死である。
ミステリーであるが、それは、物語の、ミステリーでもある。

先ほどまで、生きていた者が、今は、死んでいるという、設定は、残酷である。
それも、物の怪である。

作中の人は、物の怪に、無力である。

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2008年08月05日

もののあわれ267

頼もしく、いかにと言ひふれ給ふべき人もなし。法師などをこそは、かかるかたの頼もしきものにはおぼすべけれど、さひそ強がりたまへど、若き御心にて、いふかひなくなりぬるを見給ふに、やるかたなくて、つといだきて、源氏「あがきみ。いきいで給へ。いといみじき目な見せたまひそ」と宣へど、ひえいりにたれば、気配ものうとくなりゆく。



力になる人、どうしたらと、相談できる人も、いない。
法師などは、こんな場合は、力になる人と、考えてもよいが。
あれほど、強がっていたが、まだ、お若い方ゆえ、むなしく死んでしまったことを、御覧になると、堪え切れず、じっと抱きしめて、あがきみ、生き返ってくれ。いといみじき目な見せたまひそ、と、思う。
しかし、冷え切った体は、気配もの、うとくなりゆく、のである。


いといみじき目な見せたまひそ
酷い目にあわせないでくれ。
うとく なりゆく
疎ましくさえ、思われる。遠くに、去ってしまった、感覚である。



右近は、ただあなむつかしと思ひけるここち、みなさめて、泣きまどふさまいといみじ。南殿の鬼の、なにがしのおとどをおびやかしけるたとひをおぼしいでて、心強く、源氏「さりともいたづらになりはて給はじ。よるの声はおどろおどろし。あなかま」と、いさめ給ひて、いとあわただしきに、あきれたるここちし給ふ。



右近は、怖いという気持ちが、消えて、泣きうろたえるのである。
何とも、なだめようがない。
源氏は、南殿の、鬼の、某大臣を、脅した話を、思い出し、気強くなった。
源氏は、いくらなんでも、このまま、亡くなるということは、あるまい。夜の声は、大袈裟に響く。
静かにと、たしなめるが、まことに、慌しい成り行きとなり、茫然自失である。


このところを召して、源氏「ここにいとあやしう、物におそわれたる人の悩ましげなるを、ただ今、惟光の朝臣の宿る所にまかりて、急ぎ参るべきよし言へと仰せよ。なにがしアジャリ、そこにものするほどならば、ここに来べきよし忍びて言へ。かの尼君などの聞かむに、おどろおどろしく言ふな。かかるありき許さぬ人なり」など、みの宣ふやうなれど、胸ふたがりて、この人をむなしくしなしてむ事の、いみじくおぼさるるに添へて、おほかたのむくむくしさ、たとへむかたなし。


滝口を呼んで、源氏は、ここに、いとあやしう、物の怪に襲われた人がいる。今すぐに、惟光の朝臣の宿所に行き、急いで来るようにと、隋身に言いつけよ。惟光の兄の、アジャリが、そこにいるならば、ここに来るようにと、こっそり申せ。あの、母の尼君の耳に、入らぬように、仰々しくは、言うな。忍び歩きを、喧しく言う人だから。
と、言いつつ、胸が一杯で、この女を、このまま、亡くしてしまったら・・・と思う。
加えて、辺りの、気味の悪さである。



この巻の、マライマックスであるが、淡々として、筆が進む。
女が死ぬという、大事である。
しかし、源氏は、おろおろするばかりである。

若気の至りの行為であったが、その、結末としては、あまりに、気の毒である。
物の怪に、憑かれて、死んだということは、なにを意味するのか。

そして、その、物の怪の正体とは、である。

それらが、また、順々と語られるのである。
今度は、回想風になってゆく。

しかし、その前に、源氏の姿である。


夜中も過ぎにけむかし、風のややあらあらしう吹きたるは。まして松のひびき木ぶかく聞えて、けしきある鳥のからごえになきたるも、ふくろふはこれにやとおぼゆ。うち思ひめぐらすに、こなたかなたけどほくうとましきに、人声はせず。などて、かくはかなき宿りはとりつるぞ、と、くやしさもやらむかたなし。


夜中も過ぎたようである。
風が、少し強く吹き出した。
まして、松風の様は、茂ったさまの響きである。
異様な鳥が、生気の無い声で鳴く。フクロウとは、この鳥なのかと、思わせる。
色々と思ってるみるに、ここもかしこも、人気もなく、不気味で、人の声も聞こえない。
どうして、こんな所に、泊まったのか。そう思うが、誰のせいにも出来ない。


かくはかなき宿りは とりつるぞ
どうして、こんな宿を取ってしまったのか。泊まったのかと、自問自答する。
後悔するのである。



右近はものもおぼえず、君につと添い奉りて、わななき死ぬべし。またこれもいかならむと、心そらにて捕らへ給へり。われひとりさかしき人にて、おぼしやるかたぞなきや。灯はほのかにまたたきて、母屋のきはに立てたる屏風のかみ、ここかしこのくまぐましくおぼえ給ふに、ものの足音ひしひしと踏み鳴らしつつ、うしろより寄りくるここちす。「惟光とく参らなむ」とおぼす。ありか定めぬ者にて、ここかしこ尋ねける程に、夜のあくるほどの久しさは、ちよを過ぐさむここちし給ふ。


右近は、正体もなく、君にぴったりと、添ったままである。
震えて死にそうである。
女ばかりか、この女も、どうなるか、解らないと、上の空で、つかまえている。
自分一人が、醒めていて、途方にくれる。
灯は、微かにして、母屋の境に立てた、屏風の上、その他あちこちが、暗いのである。
何か、足音が、ミシミシと踏み鳴らし、後から、寄って来る感じがする。
惟光よ、早くと、思う。
お使いが、あちこちと、探している間と、夜の明ける間の、長いことは、千夜を過ごすような気持ちである。


われひとり さかしき人にて おぼしやる かたぞなきや
自分一人が、さかしき人、賢い人であるが、ここでは、しっかりしている、と読む。
自分だけが、その状況を、明確に意識し、認識しているのである。
それだけに、恐怖もまた、強いのである。

一体、何事が、起こったのかという、奇怪な気持ちと、事後の収拾である。
もう、手出しが出来ないのである。

ちよを過ごさむ
千代を、過ごすような気持ちである。

この夜の、出来事は、源氏を、しばし、悩ませることになる。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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