2008年07月16日

もののあわれ246

空蝉

寝られ給はぬままには、源氏「われはかく人に憎まれて慣らはぬを、こよひなむ、始めて憂しと世を思ひ知れば、恥づかしうて、ながらふまじうこそ思ひなりぬれ」など宣へば、涙をさへこぼして臥したり。いとらうたしとおぼす。

書き出しである。

小君を、横に寝せて、言うのである。

眠られないものだから、私は、こんなに、人に嫌われたことはない。今夜という今夜は、本当に、世の中が、嫌になった。人に合わせる顔もないし、生きていることも、嫌になったと、言う。
小君は、涙を流して聞いている。
なんと、可愛いのだろうかと、源氏は、小君を見つめる。


手さぐりの細く小さきほど、髪のいと長からざりしけはひのさま、かよひたるも、思ひなしにや、あはれなり。あながちにかかづらひたどりよらむも、人わろかるべく、まめやかにめざまし、と、思し明かしつつ、例のやうにも宣ひまつはさず、夜ふかう出で給へば、この子は、いといとほしく、さうざうし、と思ふ。

手触りが、ほっそりとしていて、小柄なところ、髪があまり長くないところなど、似ている。気のせいか、心が動く。
無理やり、追いかけて行っても、外聞が悪い。
心から、酷い人だと、思いつつ、夜を明かした。
いつものように、あれこれと、言わず、夜の闇のうちに、出たので、この子は、お気の毒に思い、物足りない気持ちである。

源氏が、小君を見て思うのである。
女と、似ているところを、である。

思ひなしにや、あはれなり
動揺して、気が、心が動くのである。
あはれ、という、情景は、心の様であり、様々な、思いの深い様を言う。

小君を、見て、女を思い出し、あはれ、と思う、

ここでも、また、あはれ、という言葉の、新しい意味合いが、理解できる。


女も、「なみなみならずかたはらいたし」と思ふに、御消息も絶えてなし。「おぼこしにける」と思ふにも、「やがてつれなくてやみ給ひなしかば、うからまし。しひていとほしき御ふるまひの絶えざらむも、うたてあるべし。よき程にて、かくてとぢめてむ」と思ふものから、ただならずながめがちなり。

女も、たまらない思いで、一杯であるが、お手紙も無いのである。
お懲りになったのだと、思うが、こままま、音沙汰無しで、終わりになったのなら、辛いことだと、思う。
だが、無理な、たまらないようなことが、続けば、これも、嫌なことだと、思う。
でも、こんなところで、止めにしたいとも、思うが、やりきれなくて、思い乱れるのである。

女の矛盾である。

なみなみならず かたはらいたし
思いで、溢れる心の様である。


君は、「心づきなし」と、おぼしながら、かくてはえやむまじう、御心にかかり、人わろく思ほしわびて、小君に、源氏「いとつらうもうれたうもおぼゆるに、しひて思ひ返せど、心にしも従はず苦しきを、さりぬべき折り見て、体面すべくたばかれ」と、宣ひわたれば、わづらはしけれど、かかる方にても宣ひまつはすは嬉しうおぼえけり。幼きここちに、「いかならむ折り」と、待ちわたるに、紀の守、国に下りなどして、女どちのどやかなるゆふやみの道たどたどしげなる紛れに、わが車にて、いてた奉る。

源氏は、いまいましいと、思いつつ、このままでは、気持ちが治まらないのである。女を忘れられないのである。
顔向けできないと、思い。
小君に、大変、辛いので、無理にでも、忘れようと思うが、駄目だ。
よい機会があれば、もう一度逢えるようにしてくれ、と、言うのである。
それを聞いて、小君は、困りつつも、そんなことで、何かと言われることが、嬉しいので、
幼心に、どういう時に、連れて行こうかと、考える。
紀伊の守が、任地に下る時なら、女房たちが、気楽にしているだろうから、そんな日に、道もはっきりしない、夕暮れ時、自分の車で、お連れしようと、思うのである。

源氏が、作者の言う、おさなきもの、に、ここまで、言うのである。
本来なら、見苦しいことである、が、言うのである。

勿論、源氏も、幼いと言えば、恋には、幼いのである。
一度、思い込むと、のめり込む気持ちは、幼い証拠である。

小君が、源氏の気持ちを、汲んで、一生懸命に、その機会を、考えるということろに、私は、もののあわれ、を、感じるのである。


「この子も幼きを、いかならむ」と、おぼせど、さのみもえおぼしのどむまじかりければ、さりげなき姿にて、「門など鎖さぬさきに」と、急ぎおはす。人見ぬ方より引き入れて、おろし奉る。わらはなれば、とのい人なども、ことに見いれ、追従せず、心やすし。ひんがしの妻戸に立て奉りて、われは南のすみのまより、格子にたたきののしりて、入りぬ。


この子も、小さいことであるし、大丈夫かと心配するのであるが、我慢が出来そうに無いので、目立たない服装で、門など締めないうちにと、急いで、出掛けるのである。
人の見ない方から、車を引き入れて、お下ろし申し上げる。
子供なので、宿直の者などは、格別構いもせずに、愛想もなく、気が楽である。
小君は、車を、東の妻戸に入れて、自分は、南の隅の間から、格子をたたき、騒いで入った。

源氏を、目立たせなくするために、小君は、人の気を引くために、騒ぎ入るのである。

この後は、女房たちの、様子が、描かれる。

その、有様が、当時の風景である。
紫式部の、得意とする、筆使いである。

それにしても、小君を、何度も、幼き者、と、断りを入れるのである。
しかし、その、幼き者の、行動は、実に、いじらしいほどの、活躍である。
源氏の、忍びを、案内する様は、見事である。

ひんがしの妻戸に立て奉りて、われは南のすみのまより、格子たたきののしりて、入りぬ

源氏を、東の妻戸に、立たせておいて、自分は、南の隅の間から、入るという、考えは、子供のすることか。
周囲の、注目を、自分に集めて、源氏の姿を、悟られないようにしているのである。

私の言葉にすると、大した玉である。
主人の逢引の、手はずを整えるという、凄腕である。

その相手は、自分の姉である。
姉と、源氏を、セックスさせるべくの、働き、天晴れと言うほかは無い。

幼き者と、言うが、十分に、何事かを、知っているのである。
しかし、それを、そ知らぬ振りをして、行動している。

これを、奥床しいと、言う。

道たどたどしげなる紛れに
古今集
夕やみは 道たどだとし 月待ちて 帰れわがせこ そのままにも見む

原歌は、万葉集
道たづたづし 月待ちていませ

古典に、習うのである。
源氏物語の、底辺には、古典がある。

夕闇の、闇の中に、紛れて、道が、たどたどしく、見える夕暮れの時なのである。
物の姿が、朧になりつつある、時刻である。

もののあわれ、は、この、朧気なる薄闇の頃を、善き風景とする。
曖昧微妙は、たゆたう、という言葉で、言われ、それが、更に、もののあわれ、という、心象風景に、行き着く時、それが、大和心と、なるのである。




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2008年07月17日

もののあわれ247

こたち、「あらはなり」と、言ふなり。小君「なぞかう暑きに、この格子はおろされたる」と問へば、「ひるより西の御かたの渡らせ給ひて、碁うたせ給ふ」と言ふ。「さて向かひ居たらむを見ばや」と思ひて、やをらあゆみ出でて、すだれのはざまに入り給ひぬ。この入りつる格子はまだささねば、ひま見ゆるに寄りて、西ざまに見通し給へば、このきはに立てたる屏風、端のかた、おしたたまれたるに、まぎるべき凡帳なども、暑ければにや、うちかけて、いとよく見入れらる。

女房たちが、開け放して、丸見えですという声が聞こえる。
小君は、どうして、こんなに暑いのに、格子を下ろすのですか、と言う。
昼間から、西の御方が、お出で遊ばして、碁をお打ち遊ばして、いらっしやる、と女房が言う。
源氏は、それなら、二人が向かい合っているところを、見ようと思い、ゆっくりと、歩いて、簾の間に、お入りになった。

小君が、入っていった、格子が、まだ上げてあるため、隙間があるので、近寄った。
西の方を、透かして見ると、そこに立ている、屏風は、端の方が、畳まれてある。目隠しの、凡帳も、暑いせいか、帷を上げてあるので、奥が、丸見えである。


燈、近うともしたり。「母屋の中柱にそばめる人や、わが心かくる」と、まづ目とどめ給へば、こき綾のひとへがさねなめり、何にかあらむ、上に着て、頭つき細やかに、小さき人の、ものげなき姿ぞしたる。顔などは、さし向かひたらむ人などにも、わざと見ゆまじうもてなしたり。手つきやせやせにて、いたう引き隠しためり。

燈が、二人の傍に灯してある。
母屋の中柱に、寄り添って横向きに、なっている人が、我が思う人なのかと、目を止める。
濃い紫の、単重ねだろうか。
ひとへがさね
着物の裏地の無いものである。それを、上着に着る。

何か、よく解らないが、上に着て、頭の形は、ほっそりとして、小柄な人が、見栄えのしない感じである。
顔は、向かい合う人にも、見えないようにしている。
手つきも、痩せていて、それを、袖で、隠すようにしている。

こうして、源氏は、いつもは、見られない、女房たちの、姿を、色々と見ることが、出来た。
その有様を書く、紫の筆が、冴える。

優雅な、貴族の生活の様を、表現する。
しかし、実に、細かなことまで、書き続けている。

そして

見給ふ限りの人は、うちとけたるよなく、ひきつくろひそばめたるうはべをのみこそ見給へ、かくうちとけたる人のありさま、かいま見などは、まだし給はざりつる事なれば、何心ねなうさやかなるはいとほしながら、久しう見給はまほしきに、小君いでくるここちすれば、やをら出で給ひぬ。

知っている限りの女の姿は、皆、くつろぐことなく、気取っている。
まともに、顔を、見せずに、そんなよそ行きの、顔ばかりを、見ていたので、こんなに、くつろいだ所を、垣間見るとは、はじめてのことである。
気もつかず、見られている女たちは、気の毒である。
もっと、見ていたいが、小君が、出て来ると、いけないので、外へそっと抜けた。

普段のままの、女房たちの、素顔を見たのである。
女房たちの、普段の姿である。

実に、興味深いものだったのである。

何心もなう さやかなるは いとほしながら
素のままの姿である。
その、さやかなるは
くつろいだ姿である。
いとほしながら
可愛らしくもあり、である。

覗き見の、楽しさを知った源氏である。
それもこれも、小君の、御蔭である。

どちらが、子供か、分からないような、次の文である。

わたどのの戸ぐちに寄りい給へり。「いとかたじけなし」と思ひて、小君「例ならぬ人侍りて、え近うも寄り侍らず」源氏「さて今宵もや帰してむとする。いとあさましう、からうこそあべけれ」と宣へば、小君「などてか。あなたに帰り侍りなば、たばかり侍りなむ」と聞ゆ。「さもなびかしつべき気色にこそはあらめ。わらはなれど、物の心ばへ人の気色見つべく、静まれるを」と、おぼすなりけり。

源氏は、渡殿の戸口に、よりかかって、いらっしゃる。
こんな所に、恐れ多いと、小君は、珍しい客が来ていまして、傍にも、寄れませんと言うと、このまま、今夜も、帰そうとするのか。あまりに、酷いことだと、源氏が言う。
とんでもありません、客が、帰りましたら、何とか、工夫しますと、答える。
計画通りに、行きそうなのだろう。子供ではあるが、事情を察して、人の顔色も、読めるほど、落ち着いていると、源氏は、小君を、評価するのである。


などてか。あなたに帰り侍りなば、たばかり侍りなむ
子供であろうか。

どうして、あなたを、帰しましょうか。帰しません。
帰さないように、してみせます。そんな、気持ちである。

そして、何とか、女の元に行くことが出来るのであるが、女に、察せられて、逃げられ、別の女に、出会うのである。


女はさこそ忘れ給ふを嬉しきに思ひなせど、あやしく夢のやうなる事を心に離るる折りなき頃にて、心とけたるいだに寝られずなむ、昼はながめ、よるは寝ざめがちなれば、春ならぬこのめもいとなく嘆かしきに、碁うちつる君、「こよひはこなたに」と、今めかしくうち語らひて寝にけり。

女は、源氏が諦めてくれたことを、嬉しいと思おうとするが、怪しい夢のような、思い出が、忘れられない、この頃になっていた。
心から、眠ることができず、昼は物思い、夜は、寝覚めがちで、春ではないが、木の芽が成長して、休まることのないような、心境なのである。
碁を打った相手の人は、今夜は、こちらに泊めていただきますと、陽気に話して、寝てしまった。

春ならぬこのめもいと嘆かしきに

春ではないが、悩ましい。それは、このめ、木の芽の如くに、湧き上がる思いなのである。
このような、表現は、自然描写と、心模様との、共感である。
春の姿を、そのように、心模様に、見立てる。


若き人は何心なく、いとようまどろみたるべし。かかるけはひのいとかうばしくうちにほふに、顔をもたげたるに、ひとへうちかけたる凡帳のすきまに、暗けれど、うちみじろぎ寄るけはひいとしるし。あさましくおぼえて、ともかくも思ひ分かれず、やをら起き出でて、すずしなるひとへをひとつ着て、すべり出でにけり。

若い人は、屈託なく、寝入ったようです。
すると、何か、気配がする。
衣擦れの音と、共に、かぐわしい匂い。
顔を上げると、単の帷を引き上げてある、凡帳の隙間に、暗いが、にじり寄る影が見える。
呆れ果てた、気持ちで、なんとも分別がつかず、そっと起き出して、すずしの単衣を一枚、羽織、抜け出した。

女は、源氏の影を見て、部屋を抜けた。

ともかくも思ひ分かれず
分別がつかないのである。

すずし
絹の意味。

かかるけはひの いとかうばしく うちにほう

うちみじろぎ寄るけはひ いとしるし

その気配の、香ばしく、薫る匂いである。
静かに、忍んで来る気配である。

非常に面白いのである。
いとおかしき、表現である。

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2008年07月18日

もののあわれ248

君は入り給ひて、ただひとり臥したるを、心安くおぼす。ゆかのしもに二人ばかりぞ臥したる。きぬをおしやりて寄り給へるに、ありしけはひよりは、ものものしくおぼゆれど、思ほしも寄らずかし。いぎたなきさまなどぞ、あやしく変はりて、やうやう見あらはし給ひて、あさましく心やましけれど、「人たがへ、と、たどりて見えむも、をこがましく、「あやし」と思ふべし、ほいの人を尋ね寄らむも、かばかりのがるる心あめれば、かひなう、をこにこそ思はめ」と、おぼす。かのをかしかりつるほかげならば、いかがせむにおぼしなるも、わろき御心浅さなめりかし。

君は、入っていらして、女が一人だけで、寝ているので、ホッとする。
一段下の庇の間に、女房が二人ばかり、寝ている。
衣を押しのけて、お寄りになったが、この間よりは、大柄のようだと、思われる。
しかし、気付くことがなかった。
ぐっすりと、寝ている様子は、妙に変わっていて、次第に、気付いてきたのである。
呆れてしまい、情けないと思うが、人違いだと、まごまごしていると、感づかれたりしては、気が利かないことになる。
それに、この女は、変だと思うだろう。
目的の人を、追い回しても、こうまで、逃げるというなら、望みは、叶わない。馬鹿にされるだけだと、思う。
あの、火影で見た、可愛らしい人なら、それでもいいと思うが、それは、けしからぬ、分別であろう。

最後の
わろき御心浅さなめりかし
とは、作者の言葉である。源氏を、評している。
けしからん、ことだと言う。

女に逃げられて、別の女だと、気付いたのである。
源氏が、焦る。
しかし、もし、人違いでも、火影で見た、可愛い人ならば、それでも、いいかと、思う。

凄まじき、好色の様である。
とは、言うものの、面白い話である。

面白いので、続ける。

やうやう目さめて、いとおぼえずあさましきに、あきれたる気色にて、なにの心ふかくいとほしき用意もなし。世の中をまた思ひしらぬ程よりは、ざればみたるかたにて、あえかにも思ひまどはず。「われとも知らせじ」とおぼせど、いかにしてかかる事ぞと、のちに思ひめぐらさむも、わがためにはことにもあらねど、あのつらき人の、あながちに名をつつむも、さすがにいとほしければ、たびたびの御かたたがへにことづけ給ひしさまを、とうよう言ひなし給ふ。

女は、次第に目が覚めて、事の真相を知る。
思いもよらぬ、事態であるが、心構えもなく、手出しを控えさせる、心づかいものない。
つまり、男女の事を、まだ知らないのである。
おてんばで、ういういしく、うろたえる訳でもない。
我だと、知らせまいと、思ったが、どうして、こんな事が、と、女が後で考えた場合、自分は、構わないが、あの薄情な人が、むやみと、評判を憚るのも、気の毒なので、何度も、方違えを、口実にして、お越しになったのだと、うまく嘘を、つくのである。

なにの心ふかく いとほしき 用意もなし
その行為を、受け入れるような、心づもりも、まだ、出来上がっていない、のである。
それを、拒むことも、知らないという。

源氏も、うろたえだであろうが、何とか、繕って、嘘を言うのである。
その嘘も、目的の人のことを、考えてのこと。

この辺りは、一歩誤れば、エロ小説に堕落するのであるが、見事に、描いている。

読んでいるだけで、恋の楽しさというもの、いいものだと、思う。
恋は性である。
そして、性は生である。

気付いてみたら、人違い。でも、こうなった以上はと、生涯を共にした男も、多いであろう。実に、楽しい。


たどらむ人は心えつべけれど、まだいと若きここちに、さこそさしすぎたるやうなれど、えしも思ひ分かず。憎しとはなけれど、御心とまるべきゆえもなきこころして、なほ、かのうれたき人の心を、いみじくおぼす。

気の回る者なら、気付くはずだか、まだ、若く、さこそさしすぎたる、やうなれど、ある人は、こましゃくれてはいる、と、訳すが、難しい。
風情がなく、とでも訳す。
考えが及ばないのである。

憎いとは、思わないが、さりとて、気に入るところも、見当たらない。
プレイラブが、終わり、熱が醒めると、冷静になり、そんなに好きじゃないと、思うのである。

それよりも、あの、逃げた人のことを、いまいましいと思う。
逃げられると、なお、追い掛けたくなるのである。


「いづくにはまぎれて、かたくなしと思ひ居たらむ。かくしふねき人はありがたきものを」とおぼすにしも、あやにくに紛れ難う思ひでられ給ふ。

何処に隠れて、今頃は、馬鹿な男と、笑っているのただろうと、源氏は、想像する。
こんな、強情な女は、他にあるまいと、思いつつも、なおさら、忘れにくく、胸に浮かんでくるのである。

かくしふねき人は ありがたきものを
執念から出る言葉であるという。
それなのに、ありがたきものを、と言うのである。

ありがたきもの
それは、忘れえぬこと。

この人のなま心なく、若やかなるけはひもあはれなれば、さすがになさけなさけしく契り置かせ給ふ。源氏「人知りたる事よりも、かやうなるは、あはれも添ふ事となむ、昔人も言ひける。あひ思ひ給へよ。つつむ事なきにしもあらねば、身ながら心にもえまかすまじくなむありける。又さるべき人々も許されじかし、と、かねて胸いたくなむ。忘れ待ち給へよ」など、なほなほしく語らひ給ふ。


無邪気で、若々しい、この人も、愛しいので、情を込めて、お約束をする。
世間が知っている仲よりも、こういうのは、ずっと嬉しいことだと、昔の人も言いました。
あなたも、私同様に、愛してください。
人目を、憚る訳では、ありませんが、我が身ながら、思うに任せません。
おうちの方々も、お許しがなかろうと思うと、今から、心配です。
忘れず、待っていて、下さい。
もっともらしく言うのである。

天才的、恋心の持ち主であろうか。
やってしまった以上は、好色の男として、捨てることはしない。
好色を貫くのである。
これは、私の解釈である。

一度、契ったからには、恋を続けましょう。
嘘つきのように、思えるが、そうではないと、私は思う。恋は、妄想であるから、より楽しく、楽しんだ方がいい。

なほなほしく語らい給ふ
通り一遍にという意味であるから、男の、常套手段なのであろう。
現代でも、やる時には、今度は、どこそこに行こうだの、次は、何を食べようだのと、言う。更に、結婚まで、ほのめかす男もいる。

源氏物語は、恋遊びの、手引きとして、読んでも、面白い。


娘「人の思ひ侍らむ事の恥づかしきになむ、え聞えさすまじき」と、うらもなく言ふ。源氏「なべて人に知らせばこそあらめ、この小さきうへ人に伝へて聞えむ。けしきなくもとなし給へ」など言ひおきて、彼のぬぎすべしたるとは見ゆる薄衣を取りて出で給ひぬ。

娘は、人がなんと思うやら、恥ずかしいので、とても、お便りを、差し上げられませんと、そのままを、言う。
源氏は、誰彼に言っては、困るが、この小さき殿上人に、言伝を頼もうと、言う。
そして、そ知らぬ振りをしなさいと、言うのである。
かの人が、脱ぎ捨てたと、思われる、薄衣を取って、お出になった。

うらもなく言ふ。
裏表の、裏である。嘘偽りなくである。素直に、そのののままに言うのである。
源氏は、秘密にしておくのだと、言う。
上手に対処する様、生まれつきの恋の名人か。

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2008年07月19日

もののあわれ249

小君ちかう臥したるを、起こしたまへば、うしろめたう思ひつつ寝ければ、ふとおどろきぬ。戸をやをら押しあくるに、老いたるごちの声にて、「あれはたぞ」と、おどろおどろしく問う。わづらはしくて、小君「まろぞ」と、いらふ。老女「夜中にこはなぞありかせ給ふ」と、さかしがりて、とざまへく。

近くに寝ている、小君をお起こしになると、気にかけて寝ていたので、すぐに、起きた。
妻戸を、そっと開けると、年老いた女房の声で、そこにいるのは、誰と、仰々しく問う。
厄介だと、まろぞ、と、小君が言う。
この夜中に、どうして、お出歩きなさる、と、世話やき顔で、出て来る。

うしろめたう思ひつつ
気にかけて、という気持ちを言うが、源氏物語の、面白さの、一つである。
そして、また

さかしがりて、とざまへく
余計な世話を焼くように、出て来るというのである。

その有様、目に見えるようである。

いと憎くて、小君「あらず。ここもとへ出づるぞ」とて、君を押しいで奉るに、暁ちかき月くまなくさしいでて、ふと人の影みえければ、老女「またはするは誰ぞ」と問ふ。老女「民部のおもとなめり。けしうはあらぬおもとのたちだちかな」と言ふ。たけ高き人の、常に笑はるるを、言ふなりけり。

腹が立って、小君が、何でもない。ちょっと、外へでるだけ、と言い、源氏を押し出すと、暁近い月の光が、照りて、人影が見えた。
すると、老女は、もう一人の方は、誰と問う。
民部さんですね、ほんに見事な背です、と、老女が、勘違いして言う。
背丈が、高いので、いつも笑われている人のことを言う。

おい人、これをつらねてありきけると思ひて、老女「今、ただ今、立ち並び給ひなむ」と言ふ言ふ、われも此の戸よりいでてく。

老女は、小君が、その女房と連れ立っていると、思い、すぐ、すぐです。若君も、同じくらいの背になります、と言い言い、自分も、その戸口から、出て来る。

このような、余計な書き込みが、実に、面白い。
いるいる、こういう、人は、今の時代もいるものである。

わびしけれど、えはたおかしかへさで、渡殿の口にかいそひて、隠れ立ち給へれば、このおもとさし寄りて、老女「おもとは今宵はうへにやさぶらひ給ひつる。おととひより腹を病みて、いとわりなければ、しもに侍りつるを、人ずくななりとて召ししかば、よべまうのぼりしかど、なほ、え堪ふまじくなむ」と、憂ふ。

迷いつつも、押し返すことも出来ず、渡殿の口にもたせて、隠れて立っていられる源氏。
老女は傍に来て、あなたも、今夜は、お上にお控えでしたの。私は、一昨日から、お腹を悪くして、たまらないので、下がっていたのですが、人少ないとということで、お召しがあって、昨夜あがりました。やっぱり、こらえそうもない、と言い、苦しがる。

いらへも聞かで、「あな、腹腹。今聞こえむ」とて過ぎぬるに、からうじて出で給ふ。なほ、かかるありきは、かろがろしくあやふかりけり、と、いよいよおぼし懲りぬべし。

返事も聞かず、老女は、ああ、痛い、痛い。では、また後ほどと、言い捨てて、行ってしまった。
やっとのことで、外へ出た。
やはり、こういう隠れ歩きは、軽はずみなことだ、危険であると、ますます、お懲りになったであろう。

かかるありきは かろがろしくあやふ かりけり

これは、作者の書き込みである。
最後に、懲りたであろうと、言う。
ところが、懲りないから、物語は、続くのである。

事細かくの、情景描写である。
これが、源氏物語の、面白さであろう。

その先を、続ける。

小君御車のしりにて、二条の院におはしましぬ。ありさま宣ひて、源氏「幼かりけり」と、あはめ給ひて、かの人の心を、つまはじきしつつ恨み給ふ。いとほしうて、ものもえ聞えず。源氏「いと深う憎み給ふべかめれば、身も憂く思ひはてぬ。などか、よそにても、なつかしきいらへばりは、し給ふまじき。伊予の介に劣りける身こそ」など、心づきなしと思ひて宣ふ。

小君が、車に、同乗して、二条の院に、お着きあそばした。
有様を話す源氏。
子供で、しょうがない、と、非難するのである。
かの人の心を、爪弾き、しいしい、お恨みなさる。
お気の毒で、慰めの言葉もない、小君。

源氏は、深く嫌っているようだから、我が身まで、厭わしく思う。どうして、逢わずとも、やさしい、返事くらい、くれないのか。伊予の介にも、劣る、この身か、と言う。

心づきなし
面白くない
小君に、当たる源氏である。
子供と言って、おきながら、小君に、当たるという、源氏の幼児性である。

ありつる小チギをさすがに御ぞの下に引き入れて大殿籠れり。小君をおまへに臥せて、よろづに恨み、かつは語らひ給ふ。源氏「あこはらうたけれど、つらきゆかりにこそ、え思ひはつまじけれ」と、まめやかに宣ふを、いとわびしと思ひたり。しばしうちやすみ給へど、寝られ給はず。御すずり急ぎ召して、さしはへたる御ふみにはあらで、たたう紙に手習ひのやうに、書きすさび給ふ。

昨夜の、持ち帰った、小チギ、を、お召し物の下に、引き入れて、お休みになった。
小君を、お傍に、寝かせて、色々と、恨み言を言う。
また、相談するのである。
お前は、可愛いけれど、つれない人の縁つづきだから、とても、長続きしそうもない、と、真顔で、言う。
小君は、それをみて、辛く思う。

暫く、横になっていられたけれど、眠られないようで、硯箱を、急に取り出して、わざわざ、お遣わしになる、手紙としてではなく、懐紙に、筆習いのように、お書き流すのである。

小君に対する、源氏の甘えは、普通ではない。
ここが、また、面白いところである。
お前との関係も、このままだと、長続きしないと言うのである。
幼い人に、言う言葉か。

小君にとって、源氏は、天皇のお子である。
とてつもない、身分の高いお方である。
それに、お仕えするということ自体に、敬意を感じている。
何でも、絶対服従である。

更に、その、身分の低い小君を、源氏は、傍に寝せている。
話の出来るほど、近くに、共に臥すのである。

江戸時代まで、殿様の、子息には、小姓連中がついた。
その関係は、当然、同性愛行為があった。
それは、当たり前すぎて、書くことも無い。
それを、特別視して、書くことになるのは、同性愛行為を、意識してからである。

ここにも、源氏物語の面白さがある。

誰も、書かないので、私が書くことにする。

恋は、男女のものであるが、性は、男女のものだけではない。
更に、同性愛という、恋というものも、意識されるようになると、恋の形相は、また、深くなるのである。

それを、ギリシャの愛の思想との、相違を書いて、理解を、得たいなどとは、思わない。

世界、最初の小説には、何から何まで、書かれてあるのである。


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2008年07月20日

もののあわれ250

源氏

うつせみの 身をかへてける このもとに なほ人がらの なつかしきかな

と書き給へるを、ふところに引き入れて持たり。かの人もいかに思ふらむと、いとほしけれど、かたがた思ほしかへして、御ことづけもなし。かの薄衣は、小チギのいとなつかしき人香にしめるを、身近く慣らして見い給へり。

蝉が抜け出した、木の元で、一枚の衣を残して去った人。
やはり、もぬけの殻ではあるが、人柄が懐かしい。

殻を抜け出した蝉に、譬えて、歌を詠む。
残されたのは、身をかへてける、モノである。
そこに、残る、このもとに、抜け殻に、である。

なほ人がらの
単なる、人柄ではない。
女の、感触である。その、感触が、懐かしいのである。

その書いた歌を、小君が、懐に入れて、持っている。
もう一人の人も、なんと思っているのかと、気の毒ではある。
しかし、色々思い直して、何の言伝もない。
あの、薄衣は、嬉しい人の、移り香が、しみついたものである。小チギ、チギという文字が無いため、仮名にした。衣偏に圭である。
源氏は、傍に置いて、見ておられた。


いとなつかしき人香、ひとが、にしめるを
大変、懐かしい人の香りが、染み付いている。

なつかしい、という言葉は、単なる、過去の思いを、思い起こすのではない。
なつかしく、思うとは、切実に、今を、思うのである。

なつかしくて 耐えられぬような 祈りの道を、つくりたい
八木重吉が、歌う。

心に、叶う心模様である。
なつかしき、モノとは、心から、離れない、温かい思いであり、そして、あはれ、なのである。
あはれ、なつかしきかな、である。

喜怒哀楽、すべてに、あはれ、という言葉がつくのである。
あはれ嬉しき
あはれ怒り
あはれ哀しみ
あはれ楽しき、である。

小君かしこに行きたれば、あね君待ちつけていみじく宣ふ。女「あさましかりしに、とかうまぎらはしても、人の思ひけむ事さり所なきに、いとなむわりなき。ひだりみぎに苦しう思へど、かの御てならひ取り出たり。さすがに、取りて見給ふ。


小君が、家に帰ると、姉君は、待ち構えていて、厳しく叱る。
あさましくて、兎に角、逃げるだけは、逃げました。きっと、疑いが、かけられています。困ります。こんなに、たわいもないお前を、あちら様も、どう思いになっているのか。
どちらからも、叱られ、やりきれなく思う、小君である。
しかし、あの、書きすさびを、取り出した。
怒っても、さすがに、手に取って、御覧になるのである。


「かのもぬけを、いかに伊勢をのあまのしほなれてや」など思ふも、ただならず。いとよろづに思ひ乱れたり。

あの、もぬけのから、を、と思う。どんなに、しめっぽかったかと。
伊勢をのあまの
鈴鹿山 伊勢男のあまの 捨て衣 しほなれたりと 人や見るらむ

伊勢には、男の海女がいる。置き去られた衣は、汗じみでいる、と思うだろう。

その、後撰集の歌を、想定して、伊勢というのである。

いとよろづに思ひ乱れたり
散り散りと、思い乱れるのである。


西の君も、もの恥づかしきここちして、渡り給ひにけり。また知る人もなきことなれば、人しれずうちながめて居たり。小君の渡りありくにつけても、胸のみふたがれど、御せうそこもなし。あさましと、思ひうるかたもなくて、ざれたる心に物あはれなるべし。


西の方の姫も、何やら恥ずかしい気持ちで、帰っていらした。ほかに知る人は無く、一人物思いに、耽る。
小君が、行き来するのを、見ても、気が気でない。
お便りも、ない。
あさましいと、感じる年でもないのである。つまり、事の真相を知らない。男と女のこと。
そして、人違いされたこと、である。
変だと、訳も分からず、お転婆であるが、しょげきっている。

紫の筆、あの、人違いした、娘を、忘れない。

ざれたる心に物あはれなるべし

少し、可愛そうであると、言う。
ものあはれ、なるべし
ものあはれ、という言葉が出る。


つれなき人も、さこそしづむれ、いとあさはかにもあらぬ御気色を、ありしながら我が身ならば、と、とりかへすものならねど、しのびがたければ、この御たたう紙のかたつかたに、

うつせみの はにおく露の こがくれて しのびしのびに ぬるる袖かな

情のない女も、気をしき締めているが、浅くない御心を、思うと、結婚前の、我が身であれば、と、取り返しのつかないことを、嘆くのである。
この、御懐紙の、端に

儚い蝉の、その羽に置く露は、消えてしまうもの。
儚い私は、人目を忍んで、涙の露で、袖を濡らして、います。


空蝉の巻が、終わる。
次第に、物語は、複雑になってゆく。
しかし、その物語の流れには、もののあわれ、というものが、流れている。

作者の目は、何を見つめていたのか。
そして、何を描きたいのか。
何を、目指していたのか。

色好みと、雅に、隠されているもの、それを、もののあわれ、として、私は、見つめ続ける。

物語で、歌われる歌は、作者の歌詠みである。
作者の、心象風景に、存在した歌詠みである。

物語の中の、歌であるから、創作である。しかし、創作を、超えて、誰もが、共感したであろうことは、明白である。
世の中を、そのように、観たのである。


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2008年07月21日

もののあわれ251

夕顔

六条わたりの御忍び歩きのころ、うちよりまかで給ふ中宿りに、大弐の乳母のいたくわづらひて、尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家たづねておはしたり。

六条辺りに、お通いになっていらしたころ、御所から、お出かけのお休みに、大弐の乳母が、重い病気のため、回復祈願のために、尼になっていた。
見舞うために、五条にある、家を探して、お出かけになった。


御車いるべき門はさしたりければ、人して惟光召させて、待たせ給ひける程、むつかしげなるおほぢのさまを見わたし給へるに、この家のかたはらに、檜垣といふ物あたらしうして、上は半蔀四五間ばかりあげわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきのすきかげあまた見えて、のぞく。

お召し車の入る正門が、閉じていたので、従者に惟光をお呼ばせになり、待っている間に、乱雑な、五条大路の様子を、見ていた。
すると、大弐の乳母の家の横に、檜垣というものを、作り、上の方は、半蔀(はじとみ)を、四五間ほど、上げて、簾なども、白く涼しげにしてある、その簾ごしに、中の女たちの、美しい顔の、ほの白い影が、のぞいているのが、いくつも見える。


をかしき 額つきの すきかげ あまた 見えて
美しい顔付きの、白い影が、沢山見える。


立ちさまよふらむ下つ方思ひやるに、あながちに、丈高きここちぞする。いかなる者のつどへならむと、やう変はりて、おぼさる。

動き回る、下半身を想像すると、結構、背の高い感じがする。
どんな、女たちが、集まっているのかと、物珍しく思うのである。

好色な男であるから、当然、興味が湧くというもの。

この巻の時、源氏は、17歳の夏から、十月である。

御車もいたくやつし給へり、さきも追はせ給はず、誰とか知らむ、と、うちと給ひて、少しさしのぞき給へれば、かどは蔀のやうなる、おしあげたる、見入れの程なくものはかなき住まひを、あはれに、「いづこかさして」と思ほしなせば、玉のうてなも同じ事なり。


御車も、質素になさっており、先払いもさせずに、自分が誰かと、解らないと、思いつつ、気を許して、顔を窓から、出して、御覧になるのである。
門は、蔀のような戸を押し上げて、手狭で、小さな住まいである。
可愛そうに思うが、自分にとって、どこが、我が家かと、思えば、玉のような家であると、思う。


切り掛けだつ物に、いと青やかなるかづらの、ここちよげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとりえみの眉ひらけたる。君「をちかた人に物申す」と、ひとりごち給ふを、随身「かの白く咲けるをなむ夕顔と申し侍る。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲き侍りける」と申す。


切り掛けめいたものに、大変青々とした、つる草が、のびやかに、這い回っている。
その蔓に、白い花が、夏の日中、他に花などないのに、我一人と、嬉しげに、咲き誇っている。
そちらの人にお尋ねしたいと、独り言を言う。
すると、御随身が、あの白く咲く花は、夕顔と申します。こんなみすぼらしい、垣根に、咲きます、と、言う。


げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのもあやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどにはひまつはれたるを、君「口をしの花の契りや。ひとふさ折りて参れ」と宣へば、このおしあげたる門に入りて折る。


小さな家々がほとんどで、ごみごみした、この辺りの、あちらこちらに、変によろめて、いる。
しっかりしない、軒の端などに、花が、絡みついている。
君は、悲運な花だ、一房、折っておいで、と言う。
随身が、押し上げた門に入り、花を折る。

むつかしげなる わたりの この もかのも あやしく うちよろぼひて

街中の情景である。
むつかしげなる わたりの
乱雑で、ごみごみした

もかのも あやしく
あちらこちら、あやしい 、不安定である。
うちよろぼひて
しっかりとしない、不安定である。

源氏が、夕顔という花を、悲運な花だと言う。
つまり、そんな、状況の中に咲く花だからである。
口をしの花の契りや、と言う。
口惜しい花、咲くことの、契り、である。

庶民の暮らし、佇まいは、皆、そうであったろう。


さすがにざれたる遣戸口に、黄なるすずしのひとへ袴ながく着なしたるわらはの、をかしげなる、出で来て、うちまねく。白き扇のいたうこがしたるを、女童「これ置きて参らせよ。枝も情なげなめる花を」とて取らせたれば、門あけて惟光の朝臣出で来たるして、奉らす。

みすぼらしい家であるが、引き戸は、黄色い絹の単の袴を、わざと裾長く着た、女の童の、可愛らしいのが、出て来た。
随身を、手招きする。
香で、燻した白い扇を、指し出し、これに載せて差し上げて。枝も、ぶざまに見える花ですからと、言い、それを、渡す。
門を開けて、出て来た、惟光が、君に差し上げる。

枝も情なげなめる花
風情が無い。殺風景である。情なげめる花、それが、夕顔という花である。
それを、童に言わせるところが、凄いと、私は思うのである。

さて、物語の、訳の難しさは、敬語である。
すべてが、敬語になっているので、敬語の上乗せのような、訳になり、こんがらかるのである。
それも、紫式部の、策略であろうが、皇子を、主人公にしているので、そのようにも、なる。

ここでも、随身が、直接源氏に、渡さず、惟光が、出て来て、渡している。
物を渡すにしても、身分の違いというものが、解る。


惟光「鍵をおきまどはし侍りて、いと不便なるわざなりや。もののあやめ見たまえ分くべき人も侍らぬわたりなれど、らうがはしき大路に立ちおはしまして」と、かしこまり申す。


鍵を、置きなくしまして、まことに申し訳ありません。見る目を持ちます者もおりませぬ、辺りではありますが、むさ苦しい大路に立たれて、と、惟光が、申す。


身分の高い源氏が、来るような場所ではない。

更に、読み進めてみる。

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2008年07月22日

もののあわれ252

引き入れており給ふ。惟光が兄のあざり、婿の三河の守、娘など、わたりつどいたる程に、かくおはしましたる喜びを、またなき事にかしこまる。あま君も起きあがりて、尼君「をしげなき身なれど、捨てがたく思ふ給へつることは、ただかく御前にさぶらひ御覧ぜらるる事の、変わり侍りなむ事を、くちをしく思ひ給へたゆたひしかど、忌む事のしるしに、よみがへりてなむ、かく渡りおはしますを、見給へ侍りぬれば、今なむ阿弥陀ぼとけの御ひかりも、心ぎよく侍たれ侍るべき」など聞えて、よわげに泣く。

車を、門に入れて、お降りになる。
惟光の兄の、あざり、大弐の娘婿の三河の守、娘などが、寄り集まっていたところへの、ご光栄のお礼を、一同、恐縮して、申し上げる。
尼君も、起き上がり、なんの惜しくもない、我が身ですが、出家したのは、唯一つ、このように、御前に、参上して、お目かけ頂けないでしょう。それを、残念に思います。
ためらいつつ、受戒のしるしにより、生きて返りました。このように、お出であそばすことを、拝み申しましたから、もはや阿弥陀様の、お迎えも、心残りなく、お待ち申せましょう。などと、申し上げて、弱弱しく泣く。

かく おはしましたる 喜び
このように、来て頂いたことの、喜びである。
また なき事に かしこまる
無上な喜びに、恐縮するのである。
忌むことのしるし
出家したこと。しるし、とは、効験である。

くちをしく思ひ給へ たゆたひ しかど
残念に思う。たゆたひ、という言葉が、出る。
残念だという、以上の、表し得ない思いを、たゆたひ、という。

この、たゆたひ、する心は、もののあわれ、というものに、通じる。
たゆたひ、たゆたふ、心である。


君「日ごろおこたりがたくものせらるるを、安からず嘆きわたりつるに、かく世を離るるさまにものし給へば、いとあはれにくちをしうなむ。命ながくて、なほ位たかくなど見なし給。さてこそここの品々の上にも、さはりなく生まれ給はめ。この世に少し恨み残るは、わろきわざとなむ聞く」など、涙ぐみて宣ふ。

源氏は、このところ、病が、思わしくないと、毎日、心配していました。
このように、世を捨てた姿で、いられるので、淋しく、残念です。
長生きして、私が、出世するところを、見てください。
それならば、上品、上生にも、やすやすと、生まれ変わるでしょう。
この世に、思いが残るのは、悪いことと、聞きます。
などと、涙ぐんで、おっしゃる。

いと あはれに くちをしう なむ
実に悲しいことである。残念だ。
しかし、この、訳は、どうしても、腑に落ちない。
矢張り、原文のままに、読むことである。

心の、襞の、すべてを、あはれ、という言葉に託すのである。

口惜しく、とは、悔しいとか、残念であるという意味だが、くちをしう、という語感は、それを、超える。
不可抗力に、対する心得である。

人生には、抗えないものがある。
どうしょうもないものである。その、どうしょうもないものを、どのように、受け取るか、受け入れるのか。そこに、妙味がある。
当時は、浄土信仰が、盛んである。
阿弥陀の世界、極楽という、死後の世界に、生まれるべくの、様々な、試みの一つに、出家という、形があった。
それは、貴族のものである。
当時の、仏教は、まだ、庶民とは、隔絶されていた。


かたほなるをだに、めのとやうの思ふべき人は、あさましうまほに見なすものを、ましていとおもだたしう、なづさひ仕うまつりりけむ身も、いたはしう、かたじけなく思ほゆべかめれば、すずろに涙がちなり。子どもは、いと見苦しと思ひて、「そむきぬる世の去りがたきやうに、みづからひそみ御覧ぜられ給ふ」と、つきじろひ目くはす。

ごく普通の子でさえ、乳母になると思うと、可愛がるものである。それはそれは、立派になると、思うものである。
この、君のように、お側にお仕え申した自分まで、鼻高く、大事なものだと、思われてくるらしく、むやみに、涙を流す。
子供たちは、見苦しいと思い、この世に、心が、残るように、自分から泣くとはと、それを、また御覧に入れるとは、と、つつきあって、目配せする。


君はいとあはれと思ほして、君「いはけなかりける程に、思ふべき人々の、うち捨ててものし給ひにけるなごり、はぐくむ人あまたあるやうなりしかど、したしく思ひむつぶるすぢは、またなくなむ思ほえし。人となりてのちは、限りあれば、朝夕にしもえ見奉らず、心のままにとぶらひまうづる事はなけれど、なほ久しう対面せぬ時は、心細くおぼゆるを、さらぬ別れはなくもがなとなむ」など、こまやかに語らひ給ひて、おしのごひ給へる袖のにほひも、いと所せきまでかをりみちたるに、「げによに思へばおしなべたらぬ人の御宿世ぞかし」と、あま君をもどかしと見つる子ども、皆うちしほたれけり。


源氏は、大変あはれに、思い、小さなうちに、可愛がってくれるはずの人を、多く亡くした。その後、お心を継いで、大切にしてくれたのは、大勢いたが、睦まじく、甘えることが出来たのは、お前だけである。大人になり、身分に縛られ、朝に夕に、お逢いも出来ず、思うように、訪ねることは、出来ないけれど、今でも、長く逢わない時は、心細い気持ちがする。逃れられないような、別れなど、なくてあればと、思う。など、しんみりと、話しかけ、涙をお拭きになる、その袖の匂いも、部屋中に、香る。
こんな方の、乳母になるとは、大変な、幸運であると、非難ぎみで見ていた、子供たちも、皆、涙にくれる。


源氏の、心の、有り様が、手に取るように、解る、ところである。

おし のごひ給へる 袖の にほひも いと 所せきまで かをり みちたるに
風景描写と、同じように、紫の、筆が、冴えるのである。
静かに、払う涙の袖の、匂いが、部屋の中に、充ち満ちるのである。

源氏の、優しい心の様が、情景描写に映るのである。

源氏を、好色と呼ぶが、このような、場面は、多々ある。
紫式部が、描きたかったものは、何かと、考えて、読み込めば、このような、人の心と、情景が、それを、映すのであるということ、日本人の感性ではないかと、思える。

人となりて のちは 限りあれば
大人になってから、時間があれば

子供は、まだ、人ではないという、認識である。

自分の身分というものも、十分に理解している。
身分に、縛られるのである。
これも、大きな壁であった。

皇太子にもなれるべき、美しき人の、物語に、好色という、雅を、もって、物語を、書くという、紫式部の、天才的才能の筆は、そのまま、もののあわれ、というものに、突き進んでゆくのである。


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2008年07月23日

もののあわれ253

修法など、またまたはじむべき事など、おきて宣はせて、出で給ふとて、惟光に紙燭召して、ありつる扇御覧ずれば、もて慣らしたる移り香、いと染み深うなつかしくて、をかしうすさび書きたり。


心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕がおの花

病気平癒の祈祷などを、よくするように、命じて、お立ちなさる。
その時、惟光に、紙燭を持ってこらせ、先ほどの、扇を、御覧になると、移り香が、染み込み、懐かしく思われる。
一首の歌が、美しい筆により、書き流してある。

推量ながら、あるいは、と、存じますが、白露に光る夕顔の花、光輝く、あなた様は、もしや・・・

いと染み 深う 懐かしくて をかしう すさび書きたり
深く染みて、人恋しく思うような、美しい、流し書きである。

心あてに
もしやと、想像するに
それか とぞ 見る
あなたは、あのお方では、というのである。

光源氏の君ではないか、と。


そこはかとなく書きまぎらはしたるも、あてはかにゆえづきたれば、いと思ひのほかに、をかしうおぼえ給ふ。惟光に、源氏「この西なる家は、なに人の住むぞ。問い聞きたりや」と宣へば、例のうるさき御心、とは思へども、さは申さで、惟光「この五六日ここに侍れど、ばうざの事を思う給へあつかひ侍る程に、隣の事は、え聞き侍らず」など、はしたなやかに聞ゆれば、君「憎しとこそ思こたれな。されど、この扇の、たづぬべきゆえありて見ゆるを、なほ此のわたりの心知れらむ者を召して問へ」と宣へば、入りてこの宿守りなるをのこを呼びて、問ひ聞く。


何気なく、無造作に、書き付けてある筆は、上品で、奥床しい。全く意外で、興深く感じられる。
惟光に、この家の西の隣に住む人は、何者か。聞いてみたことはあるか、と、問う。
いつもの、好色な心とは思うが、それは隠して尋ねる。
ここ五六日、この家におりますが、病人の事を、気にしていまして、隣のことは、知る暇もありませんでした。と、答える。
けしからんと、思っているのか。だが、この扇が、詮索すべきもののような、気がするのだ。怒らず、この辺の事情を知る者に、訊いてくれ、と言う。
惟光は、奥に入り、家番の男を呼んで、尋ねる。


惟光は、源氏の好色さを、知り、にべもない態度で、質問を聞いていたが、源氏が、強く言うので、しょうがなく、確かめるのである。

あてはかに ゆえづきたれば
上品で、奥床しい筆である。
ゆえづき
故があるような、と、私は、思う。
奥床しさは、故がある、と。深読みする。

はしたなやかに 聞ゆれば
取り付くひまもないように、である。
惟光は、源氏の、好色の興味深さを知っているのである。


惟光「やうめいのすけなる人の家になむ侍りける。をとこはいかなにまかりて、女なむ若く事このみて、はらからなど宮仕へ人にて、来通ふ、と申す。詳しき事は、しもびとのえ知り侍らぬにやあらむ」と聞ゆ。「さらば其の宮づかへ人ななり。したりがほに物なれて言へるかな」と、「めざましかるべききはにやあらむ」と、おぼせど、さして聞えかかれる心の、憎からず過ぐしがたきぞ、例の、このかたには重からぬ御心なめりかし。御たたうがみに、いたうあらぬさまに書き変へ給ひて、


よりてこそ それかとも見め たそがれに ほのぼの見つる 花の夕顔

ありつる御隋身してつかはす。

惟光が言う。
名誉職を勤めている家で、ございます。家番が申すには、主人は、地方に、下向いたし、家内というのが、年若く、趣味人で、姉妹などが、宮仕えをしていますと、申します。詳しいことは、下人のことで、よく存じませんでしょう。と言う。
それじゃあ、その宮仕えの人なのであろう。得意げに、馴れ馴れしく、詠みかけたもの。と、思われ、興ざめしそうな、連中ではないかと、思うが、目指して、歌を詠む心が、憎くもなく、放っておいても、いいとは思うが、女のことには、軽々しい性質なのであろう。
御懐紙に、すっかり違ったふうに、筆遣いを変えて

近づいてこそ、誰かと、解るものです。夕暮れに、ぼんやり見た花の夕顔では、解りません。

と、先ほどの、御隋身に、持たせた。

例の、このかたには重からぬ御心なめりかし
これは、作者の思いである。
例の、女に対する、癖が、出て、である。
軽々しい、気持ち。


まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしめく思ひあてられ給へる御そばめを見すぐさで、さしおどろかしけるを、いらへ賜はで程へければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、「いかに聞えむ」なと、言ひしろふべかめれど、めざましと思ひて、隋身はまいりぬ。


お会いした事もない、お方ではあるが、はっきりと、解る横顔であり、早速、言葉をかけたのだが、ご返事がなく、時がたったので、何やら、きまり悪いところに、使いが、わざとらしく来たので、いい気になって、何と申し上げましょうかと、騒いでいる。
隋身は、不快に思い、待たずに、戻って来た。


さしおどろかしけるを
早速、言葉を、つまり、歌を贈ったのである。

なまはしたなきに かくわざとめかしければ
ずくに、返事が来ないので、きまり悪いところに、使いが、わざとらしく来た。

あまえて
いい気になって、である。


御さきの松、ほのかにて、いとしのびて出で給ふ。半蔀はおろしてけり。ひまひまより見ゆる燈の光り、ほたるよりけにほのかに、あはれなり。

前駆の持つ、松明も少なく、こっそりと、お立ちになる。
西隣は、半蔀が、閉じていた。
戸の隙間から、漏れ出る、燈の光は、蛍より、微かであり、物寂しいものである。

ここでの、あはれなり、は、物寂しいと、訳する。
あはれ、という言葉の姿が、非常に幅広い、情景や、思いにあることが、解る。


ほたるよりけに ほのかに 
蛍の光よりも、微かであり、それは、あはれ、に、思われるのである。

この、夕顔の巻は、今で言えば、ミステリー仕立てになっている。
非常に面白く、興味深いので、全文を、掲載する。

当時の、物の怪を、理解する上でも、参考になる。

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2008年07月24日

もののあわれ254

御心ざしの所には、こだち前栽など、なべての所に似ず、いとのどかに、心にくく住みなし給へり。うちとけぬ御ありさまなどの、気色ことなるに、ありつるかきね、おもほし出でらるべくもあらずかし。

今日の、目当ての所は、木立も、前栽も、そのほかも、ありふれた場所と違い、とてもゆったりとして、奥床しく、住んでいる様子。
女主人の端正な様子なども、並々ではなく、先ほどの、夕顔の垣根などは、思い出されようもない。


つとめて、少し寝すぐし給ひて、日さし出づる程に出で給ふ。あさけのすがたは、げに人のめで聞えむも、ことわりなる御さまなりけり。けふも此の蔀の前わたりし給ふ。きしかたも過ぎ給ひけむわたりなれど、ただはかなき一ふしに御心とまりて、いかなる人の住みかならむとは、行き来に、御めとまり給ひけり。

翌朝、少し寝過ごして、日の光の射し始めるころに、お出かけになる。
朝見る、お姿は、いかにも、皆が、おほめ申すも、もっともな有様である。
今日も、また夕顔の蔀の前を通りかかる。
今までも、通っていたが、扇のことがあり、気にかかってしまったのである。
どんな人の、住処なのかと、行き来につけて、気になるのだった。


惟光、日ごろありて参れり。惟光「わづらひ侍る人、なほ弱げに侍れば、とかく見給へあつかひてなむ」など、聞えて、近く寄りて聞ゆ。惟光「おほせられし後なむ、隣のこと知りて侍る者、呼びて問はせ侍りしかど、はかばかしくも申し侍らず。「いとしのびて、五月のころほひより、ものし給ふ人なむあるべけれど、その人とは、さらに家の内の人にだに知らせず」となむ申す。時々中垣のかいまみし侍るに、げに若き女どものすききかげ見え侍り。しびらだつ物かごとばかり引きかけて、かしづく人侍るなめり。きのふ、夕日のなごりなくさし入りて侍りしに、ふみ書くとて居て侍りし人の顔こそいとよく侍りしか。物思へるけはいして、ある人々も忍びてうち泣くさまなどなむ、しるく見え侍る」と、聞ゆ。


惟光が、何日かして来た。
病人が、その後も、元気がでませんから、看病していました。と、申し上げ、さらに、近づいて、お言葉がありましてから、隣家のことを、知る者を呼んで、尋ねてみました。
しっかりしたことは、申しません。
ごく内緒で、五月頃から、来ている方があるようです。どういう人とは、同じ家の者にも、解らない様子。と、申します。
時々、垣根ごしに、覗いてみますと、いかにも、若い女どもが、御簾ごしに影が見えます。
羽織のようなものを、ひっかけていますので、主人に当たる者が、いるようです。
昨日は、夕日が家に、差し込んで、中が、よく見えました。
手紙を書くと、座っていた人は、顔が、とても、美しい人でした。
憂いに沈んだ風情で、その場にいる、女どもなどが、忍び泣きする様子が、見えました。
と、申し上げる。


夕日のなごりなくさし入りて
夕日に、照らされて、すべてが見える
これは、夕日を、擬人化に近く表現する。
夕日に、あたかも、主体性があるように、言うのである。
自然描写が、心象描写に高まる。


君、うちえみ給ひて、知らばや、と思ほしたり。おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、御よはひの程、人のなびきめで聞えたるさまなど思ふには、好き給はざらむも情けなく、さうざうしかるべしかし。人のうけひかぬ程にてだに、なほ、さりぬべきあたりの事は、このましうおぼゆるものを、と思ひをり。

源氏は、にっこりして、よく知りたいものだと、思った。
惟光は、世間の名声など高い身分だが、お年のほど、また皆が、御意を迎えて、ちやほやと、誉めることなど考えれば、堅くていたら、つまらない気がする。誰も、問題にしない身分であっても、やはり、恰好な女のことになると、気が動くものだと、考える。

好き給はざらむも 情けなく
世間の人の思いは、好色でも、無風流であり、面白くない。
さうざうしかるべしかし
物足りない。
人のうけひかぬ程にてだに
女のことで、騒ぐ身分ではないと、世間が考える卑しい者。


惟光「もし見給へうる事もや侍ると、はかなきついで作り出でて、せうそこなどつかはしたりき。書き慣れたる手して、口とく返り事などし侍りき。いと口をしうはあらぬ若人どねなむ侍るめる」と聞ゆれば、君「なほ言ひよれ。尋ね知らずはさうざうしかりなむ」と宣ふ。かのしもがもと、人の思ひ捨てし住まひなれど、そのなかにも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらば、めづらしく思ほすなりけり。


惟光が、万一、見かけることもありましょうと、ふとした、きっかけを作り、手紙などを、遣わしました。書きなれた、筆跡で、ずくに返歌などいたしました。大して、悪くない女どもが、おりますようです。
と、申し上げると、源氏は、もっと、言い寄って御覧と言う。
調べ上げなければ、気が済みません、とも。
馬の頭が、下の品の下のぎざみとして、無視した家だが、そうした中にも、相当なものを、見つけたならと、思うのである。

源氏の、好色さを、表す。
馬の頭とは、女の品定めをした、馬の頭の話からのことである。

私は、それらの、話を省略した。

この、夕顔の巻は、非常に、ミステリーじみていて、面白い。
当時の、感覚が、よく解るものである。
何を、恐れているのかということ、である。

紫式部は、憂き世を、嘆き、必死で、この物語を書くにつけ、しばし、その、憂きを、忘れていたのであろうと、思われる。
才能があり、頭脳明晰で、想像力に長けていたのである。
表現によって、昇華する意外にないのである。

物語の中に、書かれる歌は、万葉、古今からの、教養が、滲み出るものである。
その、伝統の流れにあって、創作というものが出来る。
何もなければ、何も起こらない。

あはれ、という、風景は、さらに、広がるのである。

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2008年07月26日

もののあわれ256

秋にもなりぬ。人やりならず、心づくしにおぼし乱るる事どもありて、大殿には絶え間置きつつ、恨めしくのみ思ひ聞え給へり。

秋になった。
自分から起こしたことによる、煩悶に心を乱れさせて、大臣家には、久しぶりの、お成りであったゆえに、大臣家では、源氏を、恨めしく思っていた。

心づくし
古今集
このまより もりくる月の 影見れば 心づくしの 秋は来にけり
木々の間から、月の光が地に落ちる。物思いする、秋がきた。

物語の随所に、紫式部の、教養が滲み出る。
元歌があり、それから、歌を詠む。そして、文の中にも、それは、取り入れてある。


六条わたりにも、とけがたかりし御気色を、おもむけ聞え給ひてのち、ひきかへしなのめならむは、いとほしかし。されど、よそなりし御心のまどひのやうに、あながちなる事はなきも、いかなる事にか、と、見えたり。女は、いと物を余りなるまでおぼししめたる御心ざまにて、よはひの程も似げなく、人の漏り聞かむに、いとど、かくつらき御よがれの寝ざめざめ、おぼししをるる事、いとさまざまになり。

六条の方に対しても、難しい様だったのを、やっと、口説き落とした。そして、不熱心になっては、おかわいそうだ。
されど、手に入らなかった頃の、恋心のように、一途になれない。それは、どうしたわけだと、そとめには、思われた。
女は、物事を、酷く考えるタイプなので、もし、二人のことを世間が、少しでも、聞けば、年が違いすぎるだろうしと、このように、お越しの間遠な夜夜は、お目覚めになり、普段より、一層、煩悶することが、多くなるのである。


源氏は、17歳、六条の女君は、24歳である。

御よがれ
夜離れ、である。
妻の元に行かない。夜離れは、床離れ、でもある。
女君は、自分が年上であることを、気に病んでいる。
七つ違うのである。
一種の政略結婚のようなものである。


霧のいと深きあした、いたくそそのかされ給ひて、ねぶたげなるけしきに、うち嘆きつつ出で給ふを、中将のおもと、御格子ひとまあげて、「見奉り送り給へ」とおぼしく、御凡帳ひきやりたれば、御ぐしもたげて見出だし給へり。


霧の深い朝、お帰りを、女官から催促されて、眠そうな様子。
ため息を、つきつつ、部屋を出る。
侍女の中将の君が、格子を一間開けて、お見送りしてくださいという、気持ちらしく、凡帳を少しづらした。
女君は、御髪をもたげて、外へ目をやる。


前栽の色々乱れたるを、過ぎがてに休らひ給へるさま、げにたぐひなし。廊の方へおはするに、中将の君、御ともに参る。紫苑色の折りに合ひたる、うす物の裳あざやかに引きゆひたる腰つき、たをやかになまめきたり。見かへり給ひて、すみのまの高欄に、しばし引きすえ給へり。うちとけたらぬもてなし、髪のさがりば、めざましくも、と見給ふ。


庭先の、植え込みに、色様々な、花が咲き乱れている。
通り過ぎにくそうに、佇む様子。
評判通り、無類の美しさである。
渡殿の方へ、行かれるので、中将の君が、お供申し上げる。
紫苑色の季節に、相応しい、着物に、薄絹の裳を、くっきりと結んだ腰つきは、しなやかで、艶である。
男君は、見返りされて、御殿の隅の間の、高欄に、中将を呼ばれた。
その態度、そして、髪が着物にかかる、具合は、見事なものであると、御覧になる。


作者は、繰り返し、繰り返し、源氏が、美しい男だと、言う。これでもか、これでもか、である。
何故か。
主人公は、美の、象徴でなければ、ならない。
紫式部は、美、というものに、この世の救いがあると観たのである。

美であれば、こそ。
美でなくては、ならない。
何故なら、この世は、醜いからである。

さらに、何故、好色、つまり、恋愛、恋というものに、絞って、物語を書いたのか。

美が、最も、美であるのは、恋にある時なのである。

それを、日本の伝統は、伝えてきた。
紫式部は、漢籍も、和文も、こなした。
中宮に、漢籍を、講ずる程の、教養である。
しかし、漢籍では、もののあわれ、というものを、表現し得ないのである。
ひらがな、という、大和心の文字にこそ、それを、表現できる、力がある。

漢字、平仮名混じりの、文を、打ち立て成れば、どうしても、表現し得ない。
ここに、源氏物語の、原点がある。

この世は、醜い。それは、憂きことと、同じである。
醜いことは、憂きことである。

紫式部集を、読んでみても、その、憂きことのみに、焦点が、絞られていた。
物語を、書いている最中でも、憂きこと、憂きことを、見つめていた。

浄土への、救いは、あの世のもの。
現世で、救われたい。
それは、美である。
美こそ、現世を救うものである。

そして、何故、男の源氏を、美の象徴としたのか。
美というならば、女であろう。
だが、彼女は、見抜いた。
男こそ、美の、最もたるものである、と。
男こそ、美、であって欲しい。

女である、紫が、男に求めたものは、美であり、さらに、それが、世の救いとなるものなのである、という、メッセージが込められてある。

物語に一環して、流れているものは、それである。

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