2008年08月18日

もののあわれ280

かの夕顔の宿りには、いづかたに、と思ひまどへど、そのままにえ尋ね聞えず。右近だにおとづれねば、あやしと思ひ嘆きあへり。たしかならねど、けはひを、さばかりにや、と、ささめきしかば、惟光をかこちけれど、いとかけ離れ、気色なく言ひなして、なほ同じごと、好き歩きければ、いとど夢のここちして、「もし受領の子どもの好き好きしきが、頭の君におぢ聞えて、やがていて下りけるにや」と思ひよりける。



あの夕顔の宿では、女君は、どちらに行ったのかと、心配するが、探すことが出来ないでいる。
右近までも、便りもしないので、変なことであると、皆、悲しんでいた。
はっきりとはしないが、ご様子から、この方ではないかと、ひそひそとして話し合っていたが、惟光にも、ほのめかしてみるが、丸っきり、知らない様子であり、関係がないように、話す。
やはり、今まで通りに、惟光は、からかって回るので、変な夢のような気持ちがして、もしや、受領の子で、女好きな者が、頭の中将を怖がり、女君を、連れて国に、下向したのかと、考えたりするのである。



この家のあるじぞ、西の京のめのとの娘なりける。三人その子はありて、右近はこと人なれりけば、「思ひ隔てて、御ありさまを聞かせぬなりけり」と泣き恋ひけり。右近はまた、かしがましく言ひさわがれむを思ひて、君も、いまさらに漏らさじ、と忍び給へば、若君のうへをだにえ聞かず。あさましく、ゆくへなくて、過ぎ行く。


この家の、主人が、西の京の乳母の娘であった。
三人、乳母の子があり、右近は、他人だったゆえに、分け隔てして、女君の様子を知らせないのだと、涙を流して、忍ぶのである。
右近の方も、やかましく、騒ぎ立てられると、君も、今になって、我が名を出したくないと、お隠しになるので、若様の事さえ、聞けないでいる。
呆れたことに、行くへも、知らぬままに、時は、経てゆく。



君は「夢をだに見ばや」と、おぼしわたるに、この法事し給ひて又の夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じようにて見えければ、「荒れたりし所に住みけむものの、我に見入れけむたよりに、かくなりぬる事」とおぼしいづるにも、ゆゆしくなむ。



君は、せめて、夢にでも、見たいものと、思い続けているが、四十九日の法事をされた、その翌日の夜、かすかながら、あの事件の起こった、院そのままに、枕元に立った、女の姿もそっくりな、夢に見えた。
荒れ果てたところに、住んでいた魔物が、自分に見入ったついでに、こんなことになったのだと、思い出すと、寒気がするのである。

ゆゆしくなりむ
寒気がする。気分が悪くなるのである。



伊予の介、神無月のついたちごろに下る。女房の下らむにとて、たむけ、心ことにせさせ給ふ。またうちうちにもわざとし給ひて、こまやかにをかしきさまなる、櫛、あふぎ、多くして、ぬさなど、わざとがましくて、かの小うちぎもつかはす。

源氏
逢ふまでの 形見ばかりと 見しほどに ひたすら袖の くちにけるかな

こまやかなる事どもあれど、うるさければ書かず。御使ひ帰りにけれど、小君して、小うちぎの御返りばかりは、聞えさせたり。

空蝉
蝉のはも たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かれけり

「思へど、あやしう人に似ぬ心強さにても、ふり離れぬるかな」と思ひ続け給ふ。けふぞ立つ日なりけるもしるく、うち時雨て、空の気色いとあはれなり。ながめ暮らし給ひて、

源氏
過ぎにしも けふ別るるも ふた道に 行くかた知らぬ 秋の暮れかな

なほ、かく人知れぬ事は苦しかりけりと、おぼし知りぬらむかし。



伊予の介は、十月の上旬に、任国に下る。
女房が、一緒に下るはずとて、別れの品を、贈る。
別に、女たちにも、特別に贈りになった。
細工の良い、美しい櫛や扇、幣などは、特別に仕立てたと、見えるもの。
そして、あの、空蝉の、小うちぎ、も、返した。

源氏
また逢う日までの、形見と、見ているうちに、落ちる涙に、袖がすっかり、朽ち果ててしまったことだ。

色々とあったが、うるさいから、書かない。
お使いは、帰ったが、小君を、使いに、小うちぎの、返歌だけは、差し上げた。

空蝉
衣替えも、終わり、今、お返しくださった、夏衣を見ると、声を上げて、泣きたい気持ちです。
いや、泣いたのである。

考えても、不思議なほどの、強情さで、拒み通して、離れていったものだと、源氏は、感慨深い。
今日は、立冬である。
いかにも、冬らしく、はらはらと、時雨が降る。
空が、実に寂しい。
一日、物思いに、浸り、

源氏
死んだ女、離れる女、共に、遠くに行く。今日が、最後の秋の日と、同じように。

こんなような、人に隠しての、事は、やはり、苦しいものだと、思い当たりなさったことであろう。
と、最後は、作者の言葉、感想である。

そして、最後の段。


かやうのくだくだしき事は、あながちに隠ろへ忍び給ひしも、いとほしくて、皆もらしとどめたるを、「など御門の御子ならむからに、見む人さへかたほならず、ものほめがちなる」と、作り事めきてとりなす人、ものし給ひければなむ。あまり物言ひさがなき罪、さりどころなく。



こんな、ゴタゴタした、お話。
努めて、忍び隠していたのも、お気の毒なことなので、すべて、控えていたのに、なぜ、御門の御子だからと、知っている者までが、短所はないと、何かにつけて、誉めてばかりなのか、と、作り話のように、思う人がいるようなので、あえて、申しました。
無遠慮な、お喋りの、非難は、免れないことでしょう。
と、作者である、古女房は、言う。


夕顔の巻が、終わった。
これ以上の、詮索は、しない。


けふぞ冬立つ日なりけるもしるく うち時雨て 空の気色いとあはれなり

しるく
その日である。
うち時雨て
密かに時雨れる。
空の気色いとあはれ
空の気配は、大変に、あはれ、である。
この、あはれ、を、何と訳すか。

前後の、文章から、この、あはれ、の意味を、探る。
あはれ、の表情が、無限に広がる。

ここには、この、物語には、観念というものはない。
あるのは、大和心である。
人の世の、ただそのままに、生きることにある、心の様を、大和心として、受け入れている。
仏教の救いという、観念があっても、行くかた知らぬ 秋の暮かな となる。
もう二度とない、人の世を生きているのである。

もののあわれ、とは、行くかた知らぬ 秋の暮れ なのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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