2008年06月07日

もののあわれ207

末法思想が、もののあわれ、に与えた影響は大きい。

永承七年、1051年から、末法の世に入ると、言われた。
仏陀滅後、正法が、保たれ、続いて、像法の時代が来て、仏法は衰退し、末法の時代に入ると、人心荒廃して、修行をしても、徴しなく、つまり、仏法が消滅すると言われる。

それは、藤原の衰退期に、合う。だが、政治的なことではない。
一つの観念に、覆われると、見るもの、そのように、見えるのである。

一つの信仰の、危機意識を促すものであろうと、思うが、末法思想は、人々を、抑鬱に、満ちたものにしたようである。

1999年に、世が終わるという、ノストラダムスの預言のように、扱われたのかもしれない。
暗黒の世が始まる予兆である。

そして、それから、中世へと、時代は移行する。

宿世のあわれから、さすらい、という、心象風景に移行してゆくのである。

ここでは、歴史を、解説するものではないから、省略するが、中世に向かうということでは、まず、藤原の栄華と、衰退、源平合戦、平泉の壊滅、鎌倉幕府の成立、乱世といわれる、時代を抜けてきたのである。が、続く時代も、また、乱世である。

もののあわれ、というものの、推移を歌道でみると、藤原俊成、そして、西行に代表されると、思われる。
新古今と、山花集である。

女房文学は、姿を消す。だが、その美意識を、歌道は、受け継ぐ。そして、もののあわれ、というものも、受け継がれる。

末法思想により、人々は、更に、阿弥陀の本願にすがるしかないという、気持ちになっていった。
念仏の救いを、信じて、またそれは、自らが、どうすることも出来ない、救いというものを、阿弥陀の本願を信じるということで、解決するというふうに。
一般の人々には、それ以外の方法が無いのである。

他力信仰の誕生である。
それが、法然、親鸞に受け継がれて、絶対他力と、呼ばれるようになる。

源信の場合は、まだ、自力の要素があったが、法然になると、「疑いながらも念仏すれば、救われる」そして、親鸞になると、念仏申さんと、欲する時、すでに、弥陀の救いの中にあるという、妄想が生まれる。

信仰の内面性というが、また、思索の深さと言うが、妄想である。

救われがたい者という意識が、ただ、念仏によってしか、救われないという、境地に達する。

末法は、人の心を、鬱々とさせたといえる。

彼らは、もののあわれ、というものを、抱く大和心に、更に、進んで、あわれ、と儚さ、そして、たゆたいと、さすらう、人の心に、入り込んだ信仰を、創造した。

だが、歌道は、それでも、もののあわれ、というものを、見つめ続けていた。決して、念仏に、すべてを、委ねることはしない。
出家した、西行も、僧形を、取ったが、歌を詠む心は、大和心である。

この、仏教における、末法思想の只中で、新古今集、そして、西行の歌が輝く。

だが、私は、和泉式部日記から、一足飛びに、そこには、行かない。

源氏物語の、作者である、紫式部の歌を、読み、もう少し、もののあわれ、というものの、心象風景を、深めたい。
もののあわれ、における、美意識というものも、そこにはある。
物語は、語られるが、歌は、あまり知られていないゆえに、取り上げることにする。

そして、源氏物語に、入ってゆく。
そこに、もののあわれ、というものの、一つの定義が、示される。
そこから、更に、進んで、新古今と、山花集を、読む。

中世から、戦国時代に至る道は、また、人々の心を、抑鬱とさせる、時代であり、時代性といえる。

紛争、戦争の地では、多くの人が、抑鬱反応を、示すことを、知らない。
アフガンや、イラクなどでは、不眠や、抑鬱で、精神不安の人が多い。
一つの精神安定剤、睡眠薬、睡眠導入剤があれば、救われる人がいるということは、知られていない。

乱世は、また、抑鬱の時代である。
うつ病は、今にはじまったことではない。
平安期の、退廃した貴族社会の、抑鬱から、乱世の中に生きる人々の抑鬱は、薬のなかった時代、何かにすがるという意味では、念仏の効果は、大きかったと、思える。

そんな中でも、美意識としての、もののあわれ、というものを、見つめ続けた人もいるのである。

日本人の精神が、もののあわれ、というものに、貫かれていたといえる。
その、時代性、時代精神に、合わせて、もののあわれ、というものは、表現された。

華やかな、江戸元禄でも、もののあわれ、という心象風景は、表現された。

室町期は、現在言われる、日本の伝統文化誕生の時代であるが、そこでも、また、もののあわれ、というものが、表現された。
能、茶の湯、いけばな、等々によってである。

戦乱の世、戦国時代でさえ、安土桃山として、もののあわれ、は表現された。

そして、江戸太平の世でも。
更に、明治維新による、世でも。

日本人は、絶えず、もののあわれ、という、心象風景を、持ち続けた民族である。

取り急ぎ、精神的時代背景を、眺めて、みた。

歌の世界では、短歌、俳句という、定型に行き着き、そして、不定形な、短文の歌が、登場した。
山頭火や、尾崎方哉である。
その、心に、一にして、通じているものは、もののあわれ、というものである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

もののあわれ208

紫式部という、名前は、宮仕えをした時の、女房としての、名前である。

当時の女性の名は、皇室以外は、単に女と、言われた。誰々の女、である。
女房の名前は、父や夫の官職の名によって、付けられた。

紫式部は、父の為時が、かつて式部丞、しきぶのじょう、であることから、名付けられた。
何故、紫が、ついたのかには、定説は無い。

紫式部は、世界最初の小説である、源氏物語において、不滅となった。
今年、2008年は、源氏物語、千年紀である。

私は、源氏物語の、自然、風景描写から、もののあわれ、というものを、見るため、その前に、彼女の歌を、読み、その伏線としたいと、思う。

紫式部集である。

和歌、歌の道は、当然の常識だった。
つまり、いつ、いかなる時でも歌を詠むという、教養である。
当然、紫式部も、早くから、歌を読んだ。なにせ、彼女は、頭脳明晰で、漢学者の父が、弟の、惟規、のぶのり、に、漢籍を教える傍で、聞いていて、先に覚えてしまうほどだった。更に、宮仕えの時に、中宮に、漢籍「白氏文集」を進講するほどだったのだ。
この、素養が、源氏物語にも、結実したと、思う。

源氏物語には、794首の歌が、作られているが、紫式部集には、他人の歌も入れて、114首である。
しかし、そこには、娘時代のものから、晩年に渡る歌がある。
作者の、生涯に渡る歌である。

物語で、有名だが、彼女の歌を読むことで、物語への、理解が、更に深まると思う。また、彼女自身が、感じていたものを、歌を読むことで、察することが、出来る。

最も、これ以上に、歌を作ったのであろうが、現存するものは、室町期以降のものである。
それらに、関しては、素人の私であるから、他を参考に。

私は、紫式部の歌にある、もののあわれ、というものを、見つめてゆく。

訳は、私の勝手な訳である。


はやうよりわらはともだちなりし人に、としごろへて行きあひたるが、ほのかにて、七月十日の程に月にきほひてかへりにければ

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし よはの月かな


幼い頃から、友達になった人に、年頃になって、逢うことができた。少しの時間だったので、顔も、よく見ることができなかった。七月十日の宵の月と、争うように、帰ってしまった。

折角、お逢いしたのに、あなたなのかどうかと、分からないうちに、お帰りになり、夜の月が、雲に隠れるように、心残りでした。

巡りあいと、月とは、深い関係がある。この関係を、縁語という。
素直な歌である。

雲隠れする、夜半の月のようにという、あたりに、ほのぼのとした、心情を感じる。


その人、とほき所へいくなりけり。秋の果つる日きて、あかつきに虫の声あはれなり

鳴きよわる まがきの虫も とめがたき 秋の別れや なしかるらむ

その人は、遠い親に任地に、行くのである。秋の終わる頃、まだ夜明け前の、暗いうちに。
虫の鳴き声が、あわれである。

力なく、鳴く虫の声も、遠くへ行く、あなたを、引き止められないのです。秋の終わりの、この時期です。私と同じく、悲しかったのでしょう。

虫の鳴き音と、私を、共感させている。
私の心を、虫の音が、代弁するのである。
これは、日本人に理解できる、心情である。

物に、心を、重ねて観るという、心である。

私の哀しみが、虫の音に、託される。
擬人法の、最初である。
つまり、虫の音に、私が同化する。

それは、虫の音に、思いを込めるともいう。
自然と、共生、共感して生きた、日本人ならではの、感覚である。
これが、もののあわれ、に結実する。


「筝の琴しばし」といひたりける人、「参り御手より得む」とある返り

露しげき よもぎが中の 虫の音を おぼろけにてや 人の尋ねむ

筝の琴を、借りたいという人が、参上して、手ほどきを受けたいと言う、その時に

露の多い、よもぎの中の、虫の音を、聞きに来る人がいるでしょうか。同じように、こんな私の所へ手習いに来たいというのは。

どうして、私の所などに、琴を習いたいと言って来るのでしょうか、という。
教えるほどの者ではないと、いう。
おぼろけ、にてや
朧である、つまり、どこにでもありそうな、虫の音を、わざわざ、聞くなんて、という、気持ち。いいかげんな気持ちということになるのか。
人の尋ねむ
わざわざ、尋ねてくる人がいるとは。
謙遜しているのである。

ふっと、思いついたような、気持ちが、歌になるという、時代である。

現代も、和歌や俳句を、作る、詠う人がいる。
そういう人は、いつも、題材を探して、色々なものに、心動かされる。
毎日が、新鮮であるはずだ。
心の中に、新たに生まれる風景を、楽しみにする。

心の中に、多くの、掛け替えの無い風景を、持つ人は、矢張り、心豊かな人といえる。
私も、旅先で、歌を詠む時は、実に楽しい。
ふっとした、感情の綾を、見逃さない。つまり、内省である。
静かに、我が心に、聴く時の、静けさがいい。

方違へにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありて帰りにけるつとめて、朝顔の花をやるとて

おぼつかな それかあらぬか あけぐれの そらおぼれする 朝顔の花

方違えというのは、凶の方位に行くために、その方位を吉に変えようと、一時的に、別の場所に一泊して、出掛ける行為を言う。
なおおぼおぼしきこと
何を言いたいのか分からないという意味。
そうして、帰って行った。
つとめて
朝早くである。
朝顔の花をやるとて
朝顔に、男の朝の顔を、掛けている。

よく解りません。それかあらぬか、とは、私と姉とに、色々と、話しかけて、つまり、色めいたことを、語りかけて、明け暮れとは、早朝である。そらおぼれ、とは、空とぼけた感じで、帰った、朝の顔が、朝顔のようで・・・
朝顔と、朝の顔である。
遊び心、十分である。

返し、手を見わかぬにやありけむ

いづれぞと 色わくほどに 朝顔の あるかなきかに なるぞわびしき

返しは、誰の筆跡か、解らないようである。
返歌が、贈られてきたのである。

いづれぞと
どちらの方から、贈られた花かと、考えているうちに、朝顔の花が、しおれてしまった。
なるぞわびしき
切ないことです。
色わく
筆跡を見分けるが、花の縁から、色わくという、思い。

筆跡を、見分けることを、色わく、といい、それを、花の縁に、掛けるという、余裕である。

なんとも、のんびりしていて、いいものだ。
まだまだ、物語への、道は遠い。
その、萌芽も見えないのである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月09日

もののあわれ209

筑紫へ行く人のむすめの

西の海を おもひやりつつ 月みれば ただに泣かるる ころにもあるかな

筑紫は、筑前、筑後の国、現在の福岡県である。
また、九州全体を指す場合もあり。

筑紫へ行く人のむすめ
というのは、父が、官職を得て、赴任するのだろう。

これから行くと言う、西の海を、思い、月を眺めれば、ただ、泣けてくるこの頃です。

月は、遠くにある。遠くに行く人を、月の遠さに、掛けて言う。

人生は、ただに泣かるる、ということが、多い。
その、人生を、儚いと、観る。
また、浮世、憂鬱の、憂い世でもある。

この場合は、別れであるから、まだ、壮絶ではない。
だが、壮絶な、ただに泣かるる、ということも、多いのである。

愛する人を失うことなど。
死別は、最後の別れである。

別れにある心情もまた、もののあわれ、というものの、心象風景である。

死、というものにこそ、もののあわれ、というものは、極まる。


返り事に

西へ行く 月のたよりに たまづさの かきたえめやは 雲のかよいぢ

返歌に

月は、雲の道を西に行きます。その西へ行く私に、あなたの文が、途絶えることは、ありません。
たまづさ
手紙であり、文。
かきたえ、め、やは
書く文は、やは、反語である。

雲のかよいぢ
雲の間を通る道であり、これは、想像力である。
雲の通い路である。

君偲ぶ 雲の通い路 掻き分けて いざもろともに 恋の命を 天山
このように、詠むことが、できる。

風情である。
形の無いものにも、心が通うと、観たのは、日本人である。
それも、精霊信仰の一つと、言って、済ますことは、出来ない。
生活の中に、息づいていたのである。
生活、生きること、そのものに、風情という感覚があった。

信仰というより、それが、生活態度だった。

そして、更に、その行為を、奥ゆかしいと、言って、貴んだ。

雲の中に、一筋の道があると、仮定しての、人と人の、心の交わりである。
人をつなぐものを、携帯電話と、見立てることも、雲の通い路と、見立てることも、大差無い。
私は、雲の通い路を、取る。

子供は、色々と大人に問う。
神様っているの。サンタクロースっているの。等々。
いるよ、と答える。
いずれ、子供が成長して、それを、自分が決めることを、知っている。

夢を、与えるということは、想像力を、逞しくするということだ。それは、情感教育である。
いずれ、大人の現実の世界を知る時、その中で、苦難する時、新たな、夢を、描いて、生きられるように。
それは、決して、宗教を信じるというような、低級なものではない。
己を信じて、己の道を、見いだす力である。

それを、知性と言い、感性と言い、理性と言う。


はるかなる所に行きやせむ行かずやと思ひわづらふ人の、山里よりもみぢを折りておこせたる

露深く おく山里の もみぢ葉に かよへる袖の 色をみせばや

都から、遠くへ行こうか、行くまいか、迷う人。山里の、紅葉を、贈ってきた。

露の置く、紅葉は、色濃くあります。涙に染まる、紅葉の葉の色のような、私の袖を、お見せしたいものです。

木の葉が、紅葉するのは、露や時雨に染まると、考えられた。
袖が、紅葉の色、それは、血の色とも、思われた。
哀しみの極地にある心情とされる。

返し

あらし吹く 遠山里の もみぢ葉は つゆもとまらむ ことのかたさよ

嵐吹く、遠い山里の紅葉は、少しの間も、留まっていることは、難しいでしょう。散ってしまいます。そのように、あなたを、連れて行こうとする力に、抗うことは、できません。

つゆもとまらむ ことのかたさよ
露も止まらぬ 事の堅さである。
都に留まることは、困難である、という意味になる。
紅葉が散ることを言う。

紅葉に置いた露は、紅葉と共に、散るのである。

また、その人の
もみぢ葉を さそう嵐は はやけれど 木のしたならで 行く心かな

紅葉を、散らせる、風は速いものですが、木の下でない場所に、行く気には、なれません。

連れて行こうとする力は、強いが、行く気になれないという。
木の下とは、親の元であるのか。

多くの言葉を、使わず、和歌にして、思いを伝える時代である。
言葉に対する、感性が、鋭敏な時代と言える。
これが、日本の文化の大元である。

言葉に託すとしても、多くを、語らない。
また、物に託すこともある。

以心伝心という心情は、日本人の特徴でもある。

ピンと、くるものがなければ、歌詠みなど、出来ない。
感性の磨きの、最高のものである。

感性の、在り処はと、聞かれたら。
もののあわれ、と、答える。

多く語らず、多くを語るもの、それが、歌の道であった。
今は、それが、廃れて、久しい。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

もののあわれ210

物思ひわづらう人のうれへたる返り事に、霜月ばかり

霜こほり とぢたるころの 水くきは えもかきやらぬ ここちのみして

物思う人とは、悩みにある人である。その人に、何か手紙、文を書こうと、思う十二月のこと。

凍てついた霜が、流れを閉ざしているように、私の文では、慰める文を、書けない思いがします。

えも、かきやらで
凍てついた流れを、掃けないと、文を書けないと、掛けている。

水くきは
川や池から流れる、細流。


返し

ゆかずとも なほかきつめよ 霜こほり 水のそこにて 思ひながさむ

たとえ、筆が進まなくても、書いて欲しい。あなたの文で、凍てついた心が、慰められるでしょう。

えもかきやらで、と言えば
なほ、かきつめよ、と言う関係である。

心温かいものが、流れるのである。つまり、それは、凍てついた心も、解かすのである。

人と人の関係ほど、尊いものは、無い。
人は人によって、人に成る。

もののあわれ、とは、人の人による、人のための、心象風景である。
そこには、観念としての、何物も無い。

それが、仏教の無常感覚を超えるのである。
そして、それは、美感であり、美観であった、というのが、私の言いたいことである。
いずれ、また、それには、触れる。


加茂にまうでたるに、「ほととぎす鳴かなむ」といふあけぼのに、片岡の木すえをかしう見えけり

ほととぎす 声まつほどに 片岡の 森のしづくに 立ちやぬれまし

加茂神社に詣でた時に、「ほととぎすが鳴けばいい」と思ったのです。片岡とは、傾斜した丘のことである。
片岡の梢が、おかしう見えた。おかしう、とは、面白く見えたのである。美しく見えたのであろう。

ホトトギスが鳴くのを、待つ間、片岡の森の中に立ち、露に濡れていましょう。

森のしづくに 立ちや、ぬれまし
佇んで、濡れていましょう。

当時の楽しみは、自然の中にあった。
花を愛で、鳥の声、虫の音を、聞く。それは、いつしか、聴く行為になっていった。
それらが、皆、心を、写すものになっていた。

精霊信仰ではない。
感性と、知性による、自然理解であり、自然解釈である。
それが、言葉になる時、精神というものが、生まれる。

女房文学と言われるもの、実は、漢字かな混じり文の、はじまりであり、それが、日本の精神を、形作ることになる。
その最初が、女房たちの、日記であった。
最初の、土佐日記は、男の手によるが、あとは、すべて、女たちによる。
それでも、土佐日記の、最初は、「女もすなる日記というものを」との、書き出しである。
平仮名を使うのは、女だったのだ。
だが、紫式部の、源氏物語によって、平仮名に、日本人の精神の、本来のものがあると、知ることになる。


やよいのついたち、河原に出でたるに、かたはらなる車に、法師の紙を冠にて博士だちたるを憎みて

はらへどの 神のかざりの みてぐらに うたてもまがふ 耳はさみかな

ついたち、とは、一日を言う場合も、月の上旬を言う場合もある。
三月のついたち、河原で祓えをする。上巳の祓えという。じょうしのはらえ、つまり、巳の日である。
加茂川の河原に、法師が、坊主頭に、紙冠をつけて、あたかも、陰陽師のように、振舞っている。
本当は、祓えは、陰陽師が、するものであったが、法師も、内職で、することもある。
法師陰陽師という。
神官ではない。

祓戸の神の、神前に、飾った御幣に似た、紙冠をつけた法師ですね。

少しの、皮肉がある。
神前の御幣と、髪飾りとの、相関を歌うのである。

神の飾りと、髪飾りを、掛ける。

当時の、陰陽師の、立場が解る。
神官の役目を、担っていたようである。博士というから、公に、認められていたのであろう。

古来の神道と、中国思想の、特に、道教の影響を受けている。
陰陽道とは、呪術を主にする。
その、是非は、ここでは、問わないでおく。

平安期は、空海の、真言宗の、加持祈祷、更に、山伏の加持祈祷、そして、陰陽師の、呪術という、おどろおどしいものが、主流だったといえる。

素直に、それを、受け入れていた時代であるが、やや、冷ややかに、見つめていた人々も、いるのである。
時代性である。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月11日

もののあわれ211

姉なりし人亡くなり、また人のおとと失ひたるが、かたみにあひて、亡きが代りに思ひ思はむといひけり。文の上に姉君と書き、中の君と書きかよひけるが、おのがしし導き所へ行き別るるに、よそながら別れ惜しみて

北へ行く 雁のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして

姉を亡くした人、また、妹を亡くした人、互いに、代わりにと、思い、手紙には、姉君と書き、相手は、中の君と、書く関係になったが、それそれが、別々の土地に行くことになり、別れることになった。それを、惜しんで、作る歌。
紫式部は、姉を失い、相手の方は、妹を、失ったのである。

北へ行く、雁の翼に、言伝てて下さい。今まで通りに、手紙の、上書きを絶やさないで下さい、と。

春に、北へ飛ぶ、雁に乗せて、手紙を下さいという。
雲の、うはがき かき、たえずして
雲の上を行く、雁のように、やめないで下さいというのだ。

返しは西の海の人なり

行きめぐり たれも都に かへる山 いつはたと聞く ほどのはるけき

返す人は、西の海に行く人

お互いに、離れ離れになり、それぞれの国々を、回りますが、いずれは、都に戻ります。
でも、あなたの、行かれる所は、山々が多く、遠く離れるということが、身に沁みます。
いつ、お逢いできるのかと、心細く思います。

いつ、はたと聞く ほどの はるけき
いつまた、あなたに、会えるのか、あまりにも、遠い所で・・・
いつ、はたと聞くほどの、はるけき
である。

姉を失い、親しくなった、友人とも、別れるという。
侘しく、寂しい気持ちに、溢れたであろう。

逢うは、別れの、はじめなり。さよならだけが、人生さ。
そのように、思われる、人生というものを、早くから、知ることになる。

生別死別と、人生は、何と、別れの多いものか。
さらに、日々、出会いと、別れが、繰り返される。

昨日まで、親しかった友人と、少しの誤解や、勘違いで、別れることもある。
少しの、拘りで、どれほど、多くの人に、別れることか。

それで、知ることは、人は、私は、本来、孤独な者であるということだ。
決して、一緒になることの出来ない存在が、人である。
それぞれが、そうして、絶対孤独というものを、持って生きている。

私も、孤独、相手も、孤独な存在であると、気付けば、また、新たなる、関係が、築かれるはずであるが、そう、やすやすとは、いかない。

こちらを、理解して、欲しいと、思えば、あちらも、そう思っているはずである。
しかし、理解したと、思ったことが、実は、更に誤解であるということも、ある。
こうして、人間関係というものは、実に、不安で、不安定なものである。

そこに、現れてくるのが、共通に、拝むもの、宗教である。
信仰により、多くの、ズレを、誤魔化すことが、出来る。
神や仏を、想定して、ゆるやかな、生ぬるい人間関係を、作ることが、出来る。
しかし、それが、堕落だとは、思わない。
孤独感の、堕落である。

もののあわれ、というものには、拝む対象は、無い。
ただ、もののあわれ、というものが、あるというだけである。
つまり、絶対孤独の中に、身を置くことのみが、もののあわれ、というものを、更に、深めるのである。

そして、その、心象風景は、千差万別であり、百人百様である。
何と、限定することのものは、無い。

それが、日本の伝統であり、精神の、在り処である。

津の国といふ所よりおこせたりける

難波潟 むれたる鳥の もろともに 立ち居るものと 思はましかば

津の国というところから、文を寄こしたのだ。
津の国とは、現在の、大阪府である。

難波の干潟に、群れている水鳥のように、あなたと、寝起きが出来たらいいのに。

あなたと、一緒にいたいという。
もろともに、立ち居るものと
すべてを、あなたと共に、過ごしたい。

筑紫に肥前といふ所より文おこせんたるを、いと遥かなる所にて見けり。その返り事に

あひみむと 思ふ心は 松浦なる 鏡の神や 空に見るらむ

筑紫の肥前という所へ、文を送る。随分遠い所です。その、返りに

あなたに、逢いたいと、思うこの心は、そちらの、松浦に、まします、鏡の神様が、空から、見ているでしょう。

鏡神社は、現在の佐賀県唐津市鏡である。
鏡神社に鎮座する神をいう。


返し、またの年もてきたり

行きめぐり あふを松浦の 鏡には 誰をかけつつ 祈るとかしる

返しが、翌年にきた。

遠い国を巡り、都で、再び会える日を、待ち望み、鏡の神に、誰のことを、心にかけて、お祈りしているのか、おわかりですか。

あふを松
逢うを待つに、かけているのである。

祈る、という言葉が、すでに使われている。
拝むという、姿勢と、違う。

拝むは、対象とする、神様にであり、祈るは、誰かを、想定して、願うのである。

祈りは、いのり、であり、い、のる、と、分ける。
い、宣る、のである。
意、宣る、となる。

宣ることは、のりごと、となり、宣の言となり、祝詞となる。

最後に、祝いの言となるというのが、面白い。
いわい、意を、意、なのである。

これは、言霊の真髄である。

ただ、意を尽くす言で、意が、行われるという、言霊思想である。
つまり、言は、事を成すのであり、言葉にすることは、成ることなのであるという。

言挙げすることは、とても、大変なことだった。
言葉にすることは、実現になるからだ。

それを、言霊信仰というが、違う。
伝統である。

信仰と、伝統を、明確にしないと、多くの誤解を、生ずる。

祝詞を上げるというと、宗教のことになる。
祝詞は、伝統である。
宗教は、信仰が元の、崇拝であり、依託である。それは、崇拝するものが、主体で、崇拝する者が、従である。

祝詞は、こちらが、主体である。
だから、神も祈られて、神に成るという、考え方がある。
日本人の神は、唯一絶対の存在ではない。
私の延長にある、先祖の延長にあるものである。
断絶していない。

天照大神というのは、先祖の総称であり、また、尊称であるという、思想は、日本のみである。

それは、伝統であり、宗教ではない。

神道は、ただ今宗教と、認識されていいるが、宗教の概念には、入らない。しかし、時代性であるから、宗教法人という、国の認定する、形になる。
しかし、古神道になると、伝統であり、宗教とは、全く関係無い。

伝統と、言うほかは無い。

それぞれの、民族には、それぞれの伝統がある。
それを、西洋の宗教の概念に、貶めて、土着の宗教、土着の信仰と、断定する。
それは、民族の伝統であり、宗教として、断定すると、誤る。

伝統を、宗教と、判断し、我こそ正しい宗教であると、その民族の伝統を、破壊して、争いを起こしてきた。
微妙繊細なることを、理解出来ない、欧米や、アラブの民族は、実に、野蛮であることが、解る。

甚だしいのは、精霊信仰、アニミュズムと型に嵌めて、理解しようとする。
心的所作であり、信仰ではない。
限りなく、信仰に近いが、それは、心的所作なのである。

この、微妙繊細さを理解することである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

もののあわれ212

近江の海にて、三尾が崎といふ所に、網引くを見て

三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも

みをのうみに あみひくたみの てまもなく たちいにつけて みやここいしも

琵琶湖の西岸、三尾の崎という所で、編み引くのを見て

三尾の崎で、網を引く漁師の、手を休めることなく、働く姿を見るにつけても、都が恋しい。

てま
手間隙である。
立ち居につけて
働く様。

そのような、風景を眺めていても、都が恋しいと、歌う。

また、磯の浜に、鶴の声々に鳴くを

磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なが思ひ出づる 人やたれぞも

琵琶湖の浜で、鶴の鳴き声を、聞いて

磯の浜の、ものかげで鳴いている、鶴よ、私と同じように、誰を思い出しているの。

または、同じ心で、鳴いている鶴よ。


夕立しぬべしとて、空の曇りてひらめくに

かきくもり 夕立つ波の あらければ 浮きたる舟ぞ しづ心なき

夕立がきそうだ。空が曇り、稲妻が光る

空一面が、暗くなり、夕立を呼ぶ波が荒い。その波に浮いている、船は、不安なこと。
しづ心なく
不安とするだけではない。
心が騒ぐ。そわそわする。落ち着かないのである。

しづ心なく 花のちるらん
とも、歌われる。

静かな心ではないのである。
心が騒ぐことを、すべて、しづ心なく、といえる。

この、しづ心という、心象風景を、尋ねてみると、そこに、また、もののあわれ、というものの、姿が、現れる。

もののあわれ、は、しづ心のない心象風景も、いうのである。

しづ心と、対照的なものは、奥ゆかしさである。
奥ゆかしいことで、つまり、冷静沈着であることで、物事を、見つめ続けるのである。
平らけく、という、心象風景を、最も、貴んだのが、日本民族である。

平らけく、安らけく、とは、祈る言葉にもなる。

平和で、安らかであること。
これが、奥ゆかしさへと、通じる。

その、奥ゆかしさを、最も、それとして、たしなみとして、女性は、存在感があった。
男尊女卑と言われる時代さえ、女は、奥ゆかしさの、最もたるものであった。

男で、奥ゆかしい存在は、天皇である。
ここで、女の存在感というものが、解るというものである。

古代は、どこの民族にも、男尊女卑という、考え方があるが、それは、それぞれの民族によって、表現が違う。

聖書などの、場合は、家畜と同じような、男尊女卑であるが、すべての、男尊女卑が、そうだったのではない。

日本の場合は、礼法としての、男尊女卑である。

女は、控えている。
奥ゆかしくある。
つまり、いつも、冷静であれとの、教えである。

女の歴史は、差別の歴史であると、認識する者、大勢いるが、それも、一つの見方である。

差別の歴史ではなく、区別の歴史が、日本の歴史である。

女の生き方を、貴んだ歴史でもあるという。
ただし、一時期、例えば、戦国時代などは、悲惨である。
男の戦いの、道具として扱われた。
それから、昭和初期まで、女の地位は低く、見積もられた。

だが、一人の女のために、命を賭ける男もいた。
女を、守る男も、大勢いた。

女は、奥ゆかしくあれとは、女は、情の篤いものであるという、認識だ。
乱れるな。乱れれば、命が、危うくなるのである。
しかし、厚顔無恥であれというのではない。
深く、物事を見つめよ、というのである。

結果、日本文学の、大元である、漢字かな混じりの、源氏物語という、大作を書かせた。何も、紫式部一人のことではない。
文化の担い手は、女であるともいえる。
それが、名を残さずとも、男の働きの裏には、女の、奥ゆかしさがあったと、いえる。

区別を、差別と、心得違いしないことである。

しづ心は、男と、女では、違った。

男の、しづ心は、表に、つまり、花鳥風月に、女の、しづ心は、恋と愛に、つまり、情にあったのである。

歌道の中に、それが、証明されている。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

もののあわれ213

塩津山といふ道のいとしげきを、賤の男のあやしきさまどもして、「なほからき道なりや」といふを聞きて

知りぬらむ ゆききにならず 塩津山 よにふる道は からきものぞと

塩津は、琵琶湖の北。北陸へ向かう要港である。
その道に、草木が生い茂っている。そこを、身分の低い男たちが、誰も、みすぼらしい格好をして、「ここは、難儀な道だ」というのを、聞いて

男たちは、荷物を運ぶ者たちである。

それらに、歌を通して言う。

あなたがたも、分かったでしょう。いつも行き来していても、塩津山は、世渡りの道として、辛いものだということを。

からきものぞ
辛いものだ。これは、からいと、塩のからい、とを、掛けている。
駄洒落の歌という者もいる。

兎に角、世の中に生きることは、いすれにしても、からい、辛いものだという。

みづうみに、おいつ島という洲崎に向かひて、わらはべの浦といふ入海のをかしきを、口ずさみ

おいつ島 島守る神や いさむらむ 波も騒がぬ わらはべの浦

現在の、近江八幡市の付近にある、奥津島神社の辺りを洲崎という。入海とは、入江のこと。その風景が、美しいのだ。それを、口にして

おいつ島を、守っている神様が、静かにと、言うのだろうか、わらはべの浦は、波も立たずに、静かにして、美しい。

いさむらむ
いさめる、のである。注意する。命令する。

この歌は、帰路の歌である。
少し、ワクワクしているのであろう。

暦に、初雪降ると書きつけたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深く見やらるれば

ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる

暦に、初雪が降るとある。この暦は、当時の男たちが、用いたもので、陰陽道からの、吉凶などが、書かれてあるものだ。
日野岳とは、越前の国府にあった武生市の東南にある山。
その山の、雪が、とても、深く見られた時。

こちらでは、日野岳に、群れ立つ杉を、埋め尽くす雪が降るが、都でも、今日は、小塩山の松に、雪が、降っているのだろうか。

都は、どうなっているのだうか、という、懐かしみの情である。

兎に角、情報を得るには、時間がかかる、時代である。
一年を過ぎて、都の情報を、得るのも、不思議ではない。

人間感覚が、現代とは、全く違う。
それが、また、ひらがな、という文字によって、表現されると、大和言葉、そのものになる。
大和言葉の、優雅さは、時間感覚とも、関連するようである。

焦りが無い。
ひらがなで、表現すると、漢字で、表現するのとでは、現代でも、語感が、変わる。それは、目でみた、感触も、変わるということ。

天の川を、テンノカワと、読むか、あまのかわ、と読むかで、語感が、違う。

暫く、大和言葉について、語ることがなかったが、和歌は、すべて、大和言葉が、基本である。
どんなに、漢語に強い人も、和歌を詠む時は、大和言葉になった。
それは、ひらがなによる。
万葉集は、漢字の音の、当て字により、記録されたが、音はあったのである。
実は、文字もあった。
しかし、記録されない。
神代文字である。何故、神代文字が、使用されなかったのか。
厩戸皇子、聖徳太子といわれる者の、策略である。そして、蘇我馬子から、蝦夷、入鹿の、三代による。

神代、かみよ文字に関して、書くことは、また、膨大なことになるので、今は、省略する。

聖徳太子は、すべて、漢字と、仏教思想により、国造りを行おうとした。
何故か。
自ら、仏教を講義し、また、書も書いた。
大乗仏教の、日本流布は、聖徳太子から、はじまる。

実は、古事記以前に、日本史を編纂していた。それを、蘇我家が、保存していた。しかし、入鹿が、討たれた時、蝦夷が、屋敷に火を放ち、燃やしてしまう。

聖徳太子と、蘇我氏は、グルであったが、太子の息子一族は、入鹿によって、皆殺しにあう。一族が、自害したのであるが、結果は、入鹿の討伐による。

ある時から、太子と、馬子の間に、国造りに対する、考え方が乖離してゆくのである。
太子は、大王家を、馬子は、蘇我の王国を、である。馬子の、願望を実行するのは、孫の入鹿である。
大王家とは、天皇家である。

聖徳太子の、行動は、不明な点が多すぎるのである。最初は、蘇我家側の人間だった。
しかし、途中から、変質する。何故か、不明である。
大乗の精神を、もって、国造りを開始しようとするという、解釈もある。つまり、仏教国である。それは、馬子も、望んだこと。宗教を、押さえれば、人心を、把握できる。
宗教というもの、そういうものである。
支配しやすくするための、方法が、宗教である。

私見である。
太子は、自分の出生に、苦悩していた。
罪の意識である。存在そのものが、罪であるという意識。救いを、仏の教えに求めた。その精神性と、馬子、蘇我家の野心との乖離である。

同じく仏教を立てて、であるが、それぞれの、意味合いが、乖離してゆく。
太子は、内に、馬子は、外に。
しかし、いずれにせよ、誤りであった。

何故なら、日本は、かんながら、唯神の、国である。
ここで、神という文字を使うと、一神教の神の、概念に、受け取られるが、違う。
仏という、超越者を置かない。皇祖皇宗に続く、祖先の霊位を、カミと、する国である。
太子は、その間を、埋めることが出来ずにいた。
また、それは、宗教ではなく、伝統である。
日本は、宗教を置く国ではない。伝統の国である。
これを、見誤ると、すべてが、狂う。

その迷いの、象徴するものは、推古天皇の、伊勢神宮行幸である。
はじめて、天照大神のおわします、伊勢神宮に詣でる。
大和朝廷は、九州の王朝である。富士王朝から、引き継ぐのである。
本来は、宇佐八幡へ行幸するが、伊勢への、行幸は、何かに動かされたとしか思われない。

今は無き、富士王朝の回帰である。
それはつまり、天皇家の回復である。正統であろうとする、働き。

天武、天智によって、国造りが成されたが、仏教は、捨てず、混合とした。
苦肉の策である。
何故なら、天皇とは、祭祀する者である。
祭祀する者が、仏教を受け入れるという、複雑な心境である。
以後、天皇が、仏教に帰依するということが、当たり前に成る。

色々な、考え方があるが、今は、この辺で、止めておく。

万葉集の、はじまりである、舒明天皇が、すべてを知っていた。しかし、舒明天皇は、何も語らず。
その息子たち、天武天皇、天智天皇によって、日本が造られてゆくことになる。
舒明天皇の意思が、二人の息子によって、具現化された。

さて、
舒明天皇こそ、蘇我家の傀儡天皇となるべくの、天皇だった。
その、苦悩は、余りある。

もし、大王家が、破壊され、蘇我王国になっていたら、今の日本の形は、無い。
すんでのところで、祖先の霊が動いたとしか、思えないような、歴史の展開である。

万葉集、第一の名歌は、舒明天皇の歌である。
この天皇の、祈りがあったればこそ、今の日本がある。

寄り道しました。
もし、私に、許されるのなら、神代文字について、いつか、書きます。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

もののあわれ214

降り積みて、いとむつかしき雪を掻き捨てて、山のやうにしなたるに、人々登りて「なほ、これ出でて見えたまへ」といへば

ふるさとに かへるの山の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし

降り積もった、うっとおしいほどの雪を、掻き分けて、山のように積もった雪の上を、登り、「さあ、こちらに来て、御覧なさい」といわれれば

故郷に、帰られるという、あの、かへる山の雪ならば、見ましょうが・・・

雪に閉ざされた世界の中で、都が恋しく、雪山など、見たくないのである。
不機嫌である。

心やゆくと
進んで、行く。

年かへりて、「唐人見に行かむ」といひたりける人の、「春は解くものといかで知らせたてまつらむ」といひたるに

春なれど 白嶺のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな

越後へ、下った前年に、宋の人が、七十名ほど、若狭に漂流した。それを「見によこう」と誘う人が、「春には、雪が解けるように、私の心に、打ち解けてください」というのである。後に、紫式部の夫になる、人物である。

春になりましたが、こちらの山の雪は、いつ解けるものか、わかりません。
暗に、自分の心の、打ち解けない様子を言う。


近江の守の女懸想すと聞く人の、「ふた心なし」と、つねにいひわたりければ、うるさがりて

みづうみに 友よぶ千鳥 ことならば 八十の湊に 声絶えなせそ

近江守の娘に、言い寄るという噂のある男、「ふた心はない」と、常に言うのを、うるさく思う。

近江の海に、友を求める千鳥よ。いっそのこと、あちこちの、湊に声を掛けなさい。あちこちの人に、声を掛けなさい。

なかなか、面白い。
年頃の、娘の心境である。

この男との、関係が、もっと、面白くなってゆく。

歌絵に、海女の塩焼くかたをかきて、樵り積みたる投木のものに書きて、返しやる

よもの海に 塩焼く海女の 心から やくとはかかる なげきをやつる

書きのせようとする、歌の趣を表した絵に、海女の塩焼く姿がある。
切って積み上げた、薪で、藻塩を焼く、その薪に書いて、返事する。

あちこちの、海辺で、藻塩を焼く海女が、薪を積むように、色々な人に、言い寄る、あなたは、自分から、好きこのみ、歎きを重ねるのでしょう。

恋の歎きを訴えた歌に、返歌したものである。
しかし、このような、歌が詠める、言い方が出来るということは、ある程度、近い関係になっているようである。

女が、つれない歌を詠むのには、訳がある。
それが、次の歌である。

文の上に、朱といふ物をつぶつふとそそきて、「涙の色を」と書きたる人の返り事

くれないの 涙ぞいとど うとまるる うつる心の 色に見ゆれば
  もとより人の女を得たる人なりけり

文の上に、赤い物を、ぽとぽと落とし、「涙の色を見てください」と書く人への、返事。

あなたの、紅の涙だと聞くと、一層うとましく、思えます。
移ろいやすい、あなたの心が、この色で、はっきりと、解ってしまいます。

そして、相手は、しっかりとした、親の元から、妻を得ている男なのである。

これは、結婚前の歌である。

紫式部は、三十近くになって、三人の妻のある、藤原宣孝と、結婚している。宣孝は、四十五歳くらいである。

仲睦まじい頃もあり、一女賢子を産む。
他に、妻のある、宣孝であるから、紫式部は、夜離れ、よがれ、の寂しさを味わうことも、多々あった。

夜離れ、とは、夫婦生活である。
よがれ、という語感が、なんとも、不思議である。

今では、ヨガルという言葉は、セックスの際の、快感を得る時の、喘ぐことを言う。
または、方言としてあるのか。

当時、セックスすること、契りて、と、言うのみ。
セックスから、遠ざかることを、夜離れ、と言う。

現代小説などが、描く、セックス描写がない。つまり、セックスの技巧というものが、未成熟な時代である。
契ることで、それは、解消した。
しかし、その、契る、ということのために、その前後の、心の様が、実に、綾のように、動くのである。

セックスというものも、進化したのであろう。
生殖という意味に、おかなかった、日本人のセックスは、芸術文化として、表現された。
単純に、生殖であるとする、アラブ、西洋の、一神教的、性の文化でない。
ギリシア神話も、セックスに関しては、日本の古代の、セックスに、まつわる、華やかしさは無い。

現代の、セックスの、生殖器を、テーマとするものではなく、セックスにまつわる、心模様に、風情という綾が、掛けられた。
色好みとは、それを、言う。
生殖器好みではない。

ポルノ小説と、純文学の、性小説とは、なんら変わらない。
江戸時代まで、恋と、通常の生活の、夫婦関係というものを、区分けして、考えていたのが、日本人である。
遊郭文化というものが、花開くのも、江戸元禄ではなく、長い年月をかけた、下地があったれば、こそだ。

平安期、妻を、多く持つ男は、沢山いた。
一夫多妻である。
それは、昭和初期まで、妾の、性文化として、残っていた。
それを、容認していた、時代が長い。
そして、女性の、地位向上である。

今は、女性の地位が、向上し、よい時代になったが、今度は、男が、セックスに興味が持てないという、逆転現象が起きている。
また、性に弱くなった、男たちである。

女性器の前で、佇む男たちである。
晒され過ぎたのである。

あれは、明るいところで、見るものではない。薄暗い、光の中で、微かに見えるのが、いい。
だからこそ、セックスが充実した。
不思議は、不思議として、残しておけば、良かったのである。
しかし、手遅れ。

この、病から、抜けるには、百年は、かかる。その間、女性の、受難、セックスに、まつわる受難は続く。
更に、セクシャルマイノリティーという、同性愛が、年毎に、生成発展している。

欧米の、アラブの思想は、これに、対処出来ないのである。ただし、制度は、日本より、進んでいる。しかし、思想としては、対処できない。だが、日本は、思想的には、十二分に、対処できる。
もののあわれ、というものがあるからだ。

愛に、何も捕らわれることは、無い。
制度たけが、遅れているのみ。
それも、時間の問題である。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月15日

もののあわれ215

文散らしけりと聞きて、「ありし文ども取り集めておこせずは、返り事書かし」と、言葉にてのみいひやりたれば、みなおこすとて、いみじく怨じたりければ、正月十日ばかりのことなりけり

閉ぢたりし 上の薄氷 解けながら さは絶えねとや 山の下水

私の文を、人に見せたというので、「すべての、文を返してください」といった。使いの者に、口上で述べさせると、皆返すとは、絶交なのだと、怨む言葉を言う、正月十日あたりの頃

氷で、閉ざされていた、谷川の薄氷が、解けるように、打ち解けましたのに、山川の流れが、絶えるように、これで、仲が切れればいいと、言うのですね。

解けながら、とは、結婚した仲であろうと、想像する。
そんな中で、手紙を人に見せたことに、返してとは、言うが、絶交するということではないと、夫の怒りを、なだめるという、少し、複雑な心境である。

彼女の、文が、名文なのだろう。きっと、自慢したかったのかもしれないと、憶測するが。

夫婦で、文を交換するという、関係である。
当時の、結婚観を見る。

すかされて、いと暗うなりたるに、おこせたる

東風に 解くるばかりを 底見せる 石間の水は 絶えば絶えなむ
こちかぜに とくるばかりを そこみせる いしまのみずは たえばたえなむ

すかされて
私の歌になだめられて、大変暗くなってから、歌を贈られた

春の東風に、解けた仲なのに、底の見える浅い石間の流れのように、浅い心のお前との仲が、切れるなら切れるがいい。

東風に解ける
礼記による。正月になると、東風によって、氷が解けるとされた。

石間の水
石と石の間を、流れる水。

男の方が、強い口調である。


「今は物も聞こえじ」と、腹立ちければ、笑ひて、返し

言ひ絶えば さこそは絶えめ なにかその みはらの池を つつみしもせむ

お前には、もう、何も言うまい、と、腹を立てているのを、笑い、返す

もう、文も出さないと、おっしゃるなら、そのように。
どうして、あなたの、腹立ちに、遠慮などするものですか。

今度は、こちらも、強気である。
笑ひて、とは、余裕がある。

みはらの池
腹と、はらを、掛けた。

つつみ、とは、池の堤を、掛けたのである。
遠慮することを言う。

夜中ばかりに、また

たけからぬ 人かずなみは わきかへり みはらの池に 立てどかひなし

夜中に、また、返事かきた。

立派でもなく、人かずの身分でもないが、腹の中では、波が沸き返るように、腹がたつ。
しかし、立てどかひなし、お前には、勝てない。


しかし、喧嘩ばかりしているのではない。
次の歌は、仲睦まじいものである。
桜を瓶に立てて見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて

折りて見れば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなさ 桜惜しまじ

桜を、瓶に挿して、見るが、散ってしまい、次に、桃の花を挿して見る

折って近くで見ていれば、見優りしておくれ、桃の花。散った、桜に未練はありません。


返し

ももといふ 名もあるものを 時の間に 散る桜には 思ひおとさじ

返しには

桃は、百、百年という名をもっている。いくら桜でも、すぐに散るような花。
桜に思いをかけないほうが、いい。

結婚、間もない頃の、やり取りである。

最初の歌は、作者が、桃に、桜を、夫の関係した、女性を言うのであろう。
妻なら、一層良く見える妻でありたい。
人の気持ちを、考えない女など、未練を持たないでしょう、という。
なんとも、微笑ましい。

思ひまぐなき 桜惜しまじ
私の気持ちも、思わず、散ってしまう桜に、未練はない。
つまり、夫に、他の女のことを、未練に思うなと、問い掛けている。

女心である。

夫は、
散る桜には 思ひおとさじ
と、言わせた。
いくら、桜といえど、散ってしまう花より、見落とすことはないよ、桃の花に、ということになり、桃の花は、彼女のことである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月16日

もののあわれ216

花の散るころ、梨の花といふも桜も、夕暮れの風の騒ぎに、いづれと見えぬ色なるを

花といはば いづれかにほひ なしと見む 散りかふ色の ことならなくに

花の散る頃、梨の花か、桜の花か、解らぬような花が、夕暮れの風によって、さらに、どちらかと、区別がつかない。

桜も、梨の花も、花である。美しくない梨の花と、見るものだろうか。風に散り乱れる花の色は、違わない。

いづれかにほひ
にほひ、とは、美しさを言う。
匂いという言葉は、香りとされるが、それ以前は、姿の美しさを言う。
紅匂う、くれないにおう、などというのは、紅のように、美しいということになる。

なし
無しに、梨をかけた。

遠き所へ行きし人の亡くなりにけるを、親はらからなど帰り来て、悲しきこと言ひたるに

いづかたの 雲路と聞かば 尋ねまし つらはなれたる 雁がゆくへを

人の死を悲しむ、歌である。
親兄弟と共に、遠い所へ行った人。つまり、姉妹の約束をした友人のことである。
親、同胞、はらから、が、帰りて、哀しみを言う。

どちらの、雲路だったと、聞いたら、探しに行くのですが。
親子の列から、離れた、あの雁の行くへを。

雲路
雲の中にある、道である。
そんな道は無いが、あると、想定する。
死者の行くへを、雲路にあると思う心が、懐かしい。

群れして、飛ぶ雁の姿に、亡くなった人を、列から、離れた雁と、なぞらえている。

亡き人は、いづかたへ、行くのだろうか。
死別の哀しみは、また、悲しいものである。

去年の夏より薄鈍着たる人に、女院かくれたまへるまたの春、いたう霞みたる夕暮れに、人のさしおかせたる

雲の上の もの思ふ春は 墨染に 霞む空さえ あはれなるかな

昨年の夏から、薄墨色の喪服を着ていた人、つまり、作者である。
夫、宣孝を亡くし、喪に服していたのだ。
その年の、春、東三条院詔子が亡くなった。
その日は、大変、霞のかかった夕暮れだった。
ある人が、使者に、持たせて来た、歌である。

帝が、喪に服して、哀しみにくれるこの春の、夕暮れは、喪服の色に、霞んで、空まで哀しみに、感じられる。

お悔やみの歌である。

あはれなるかな
どうしょうもない、言い表しえない気持ちを言う。
あはれ、は、心境の極地である。

喜怒哀楽の、すべての、極地を、あはれ、という。

結婚、三年を過ぎて、夫を、亡くしたのである。まだ、作者は、三十五前後であろう。幼い子、一人を残している。
源氏物語が、いよいよ、書き始められる時期である。
夫を、亡くした哀しみ、憂き世の思想である。
この世は、住みづらい、憂き世なのであるという確信。

なんとも、救い難い心境の中で、物語への、着想が、進んだと思える。
998年に結婚し、1001年に、夫と死別、そして、1005年、中宮彰子の所へ、出仕することになる。
これは、物語の作者として、認められたからだと、言われる。

物語は、女の慰みものとされた時代である。しかし、源氏物語は、男にも、読まれた。
それは、画期的なことであった。

上記の歌の
返しに

なにかこの ほどなき袖を ぬらすらむ 霞の衣 なべて着る世に

取るに足らない、私のような者が、夫の死に、哀しみ暮れているでしょうか。
国中の人が、喪服を着ている時です。

ほどなき袖
狭い袖の意味だが、この場合は、自分の哀しみを、謙遜して言う。
霞の衣
喪服のこと。

源氏物語の中でも、霞の衣を、喪服の意味に用いている。

帝の喪に、事寄せた、お見舞いの歌であるから、非常に、身を低くして、答えた歌になっている。

当時、帝は、仰ぐお方である。
その、お方の喪と、自分の喪とは、別物である。

なにかこの ほどなき袖を
このような、身分の者の、袖の涙など、帝の涙に比べたら、ということになる。

それは、当時の礼儀作法である。

自分の哀しみを、それによって、突き放すことが出来た。
しかし、悲嘆に暮れる心は、彼女に、物語への、情熱を生む。
この世は、住みにくい所という意識は、憂き世の意識である。以後、彼女は、この、憂き世の思いと共に、生きることになる。
書くことで、救いを得ようとするのか。

歌ではなく、散文という形に、彼女が、目覚めたところのものを、見つめてみたい。
それが、いつしか、もののあわれ、というものに、向かっていた。
歌道にあるところの、もののあわれ、というものを、物語という形で、見つめ直すのである。

散文作家ならば、一度は、源氏物語というものの、有様を、考えるという、物語を書くのである。
そして、それは、更に、世界の小説の最初であった。

更に、驚くべきことは、未完なのである。
結末が無い物語である。
それ、文学の原点ではないか。

つまり、書き切れなかったのである。
何をか。
もののあわれ、というものを、である。

いつまでも、その姿を、求め続けてゆくものであることを、源氏物語は、伝える。

つまり、もののあわれ、というものは、完成したものではなく、いつも、いつも、書き続けられる、心象風景なのである。

書き加えられ、書き加えられて、終わることのないもの、それが、もののあわれ、というものの、正体である。

日本人は、いつまでも、もののあわれ、について、思索を、迫られる。
そして、その姿勢こそ、日本人なのである。
民族の、テーマが、もののあわれ、というものなのである。

如何に、神仏の、救いがあろうと、その心底には、この世の姿と、格闘する、もののあわれ、というものを、見つめ続けてゆかなければ、ならない。
大袈裟に、言えば、それが、民族の根本原理である。

たゆたう、曖昧で、微妙な、心象風景。
不安定で、今にも、消滅するかのように、思える心象風景である、もののあわれ、こそ、民族を、支える、心根なのである。
私は、そう思う。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。