2017年11月25日

もののあわれについて178

10世紀における、浄土教の展開は、比叡山の、天台密教から、はじまった。

最澄の修行方法のうちに、念仏行も、行われていた。
源信が、往生要集を書く以前に、貴族、知識階級の一部に、念仏は、徐々に広がっていた。

平安期の、王朝文化、および、文学を、理解するには、それを、知っておく必要がある。

空也のように、民間に念仏を広めた者もいる。
法然の、専修念仏は、後のことである。

私見を抜きに、この頃の、仏教を見渡すと、矢張り、宗教に、特異の罪と罰、地獄の思想が、表れる。
さらに、死後の裁きである。

それらは、新しい思想である。

罪と罰の思想、さらに、地獄の、観念、穢土と、極楽の観念、そして、末法という観念である。
末法とは、仏陀滅後、仏陀の教えが、伝えられない、壊滅するという、考え方である。

仏に、救いを、求めるしか、方法がないというところまで、追い詰めた思想が、平安期を、覆ったのである。

王朝の危機感は、女房文学の場合、主として無常感、宿世の思い、念仏の心として描かれるだけである。地獄の和風的表現などみあたにない。色好みから生ずる罪の自覚はあるが、刀葉林のような強烈であくどい描写を好まず、また罪をあのようなかたちで確認することへの嫌悪があつたのだろう。或いは「神ながら」の「祓」の形式が、なお根強く存在し、仏教的罪悪感のなかに混在していたことも考えられる。
亀井勝一郎 日本人の精神史研究

外国、特に、中国からの、多種多様な、書物が伝来しての、観念の洪水のような、精神状態の中で、知的困惑は、甚だしかったといえる。

更に、この頃から、顕著化するのは、出家である。
夫を亡くした、女房が、夫を弔うために、出家するという。それは、江戸時代まで、続く。
日本にて、出家するという意味が、変化するのである。
仏門に入るということは、修行者になるということであるが、そういう意識ではない。出家は、未亡人の、当然の帰結という姿になる。
勿論、男性の出家の場合も、僧になるというより、その精神的覚悟という方が、強く作用した。

万葉集には、厭離穢土という、この世を、穢れた所という意識は無い。皆無である。
何故、仏教は、この世を、厭離として、忌み嫌うようになるのか。

死後の世界にも、地獄、極楽、天国などという、観念はない。
死者の魂は、肉体を離れて、山に帰る。さらに、山から空へ飛ぶ。あるいは、海原に流れて消える。それらは、皆、隠れると、表現した。

死と、死後の世界について、深く思索することはなかったが、する必要がなかったともいえる。それは、自然の中に、隠れるということで、解決していたからである。

死を悲しむ、挽歌を多く詠んだ、万葉集であるが、それ以上のものは、無い。

仏教により、死と、死後の世界を考える観念が表れると、挽歌を詠むことも、なくなってゆくのがわかる。

ここで、私見を挟むと、誠に、迷惑な、観念であった。

文学的思索としては、価値があるが、宗教、信仰としての、価値は、無い。単なる、観念まみれである。

仏陀滅後、様々な観念を生み出してきた、仏教、諸派の解釈による、観念である。
教義としての、観念である。
知的遊戯としての、教義であると、私は言う。

さて、そんな中での、和泉式部日記である。
和泉式部も、出家を考える。また、石山詣でもある。
彼女も、当時の仏教に帰依する姿がある。しかし、それも、一つの、当時の、流行のようなものであると、私は、考えている。

浄土教の、影響は、当時の人々に、特に、厭世観というものを、植え付けたことは、否めない。
それが、更に、中世へと、受け継がれていく。

救いというものを、作り出されていった、過程における、精神史である。
この世を、厭離穢土としての、そこからの救いであり、更に、仏への、救いという、恐ろしく、曖昧なものへの、救いである。

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2007年06月19日

イスラム6

同じ血を持つ部族を捨てて、異部族に味方を求めたムハンマドは、古アラビア社会から、完全に離脱したのである。
それは、考えられない行動だからだ。

当然、メッカのクライシュ族は、怒り狂うのである。

ムハンマドは、メディナで、預言者として活動を始めた。
セム人の預言者は、政治と関わり無くしては、成らない。
アラビアでは、政治と切り離した宗教は無い。ゆえに、今でも、政治に宗教が介入する。政治家より、宗教指導者が、強い発言力を持つのである。
政教分離などは、考えられない世界である。

メディナにおいてムハンマドは、政治家としての手腕を揮った。
メディナは、ユダヤ色の濃い都市であり、ユダヤ人が多く住む。また、住民は、ヘブライ的な人格神、唯一神に慣れていた。また、付近には、キリスト教を奉じるアラブ部族もいたのである。
また、アラビア古来の多神教、偶像崇拝も廃れていた。
カアバのような聖殿も無い。
メッカのように、それによる商売上の利益なども関係なかった。
つまり、ムハンマドにとって、理想的な布教の都市であった。
先にも言うように、宗教は政治である。政教一致である。

この、ムハンマドの布教が、後々に、現代まで続く、イスラムの性格を物語る。
ムハンマドは、無垢な宗教家ではなく、狡猾な為政者と化したのである。
そしてそれによって、単なる部族宗教から、世界的宗教へと羽ばたくことにもなる。

メディナにおいて、血ではなく、共通の信仰によって、人が結ばれるという、共同体が可能になった。
ムハンマドは、メディナの行政改革に乗り出す。
これが、アラビア民族にとっては、根本的改革となるものであった。
それによって、何と、伝統であった血族を無にし、部族に変わって、信仰と政治が渾然一体のものになるのである。
それは、イスラムの成立であり、もっと言えば、国家の誕生である。サラセン帝国である。

現在のイスラム過激派によるテロ行為の真意は、ここにある。要するに、新しいサラセン帝国を創るべく、敵を粉砕するという行為なのだ。
この、敵を粉砕し、破滅させるというのは、ムハンマドから始まる。
テロリストは、何も新しいのではない。ムハンマド自体が、テロリストなのである。

世に言う、聖戦、ジハードとは、ムハンマドの言葉にある。
「汝らに歯向かう者あらば、神の途において彼ら撃退せよ。何処にてもそのような者どもを見つけ次第、これに戦いを挑み、また彼らが汝らを追い出したる所より逆に彼らを駆逐せよ」
「反乱が根絶し尽くされるまで、また全ての宗教がただ一つアッラーの宗教となるその時まで、あくまでも敵と戦い続けよ」

世界の数ある宗教の教祖で、このような言葉を吐く者がいただろうか。

イスラムを理解するということは、ムハンマドの言葉を理解するということである。

この一神教の思想は、驚愕するものである。
しかし、ユダヤ教、キリスト教も同じである。
要するに、神の他に神は無し。その神の名を、云々というのである。
これでは、話し合いなど出来ないばかりか、敵と見なされて殺される。

自爆テロというのは、自分も死ぬというテロ行為である。それを平気で成すことが出来るという神経は、ただ事ではない。
しかし、日本にもあった。特攻隊である。
自滅を善しとして、敵に突っ込むのである。
思慮の深い者には、到底出来る行為ではない。だから、若者に、それを負わせた。
だが、しかし、戦争という非常時である。思考停止は、若者だけではなかったのは、当然である。

面白いことがある。
メッカでのコーランは、警告であったが、メディナでは、導きとなったのである。
当初は、現世の儚さを言うムハンマドが、メディナでは、現世の悪を言わず、政教一致を説くのである。
それによる、国家の建設を謳う。
それは、崇高な目的だった。彼の目から見ればである。

ドイツのヒットラーを思い出す。
彼もまた、統一国家を思い描いた。それも、世界である。世界を独裁で塗り潰すのである。ユダヤ人虐殺は、手始めだった。その次、その次と、続いていたはずである。要するに、目障りな存在は、消すのである。
だが、ヒットラーの後ろには、神は無かった。ただ、彼は、愚かな人間であった。しかし、ムハンマドは違う。後ろに神がいる。唯一絶対の神、アッラーがいる。

革命を目指した、新興宗教のO教があった。サリン事件等々、戦後最大の犯罪を犯した。
独裁国家を目指したのであろうが、あまりにも愚かであった。風土が違う。
自我意識拡大の妄想であった。
それに加担した哀れな信者たちである。今でも、その彼を信奉するというから、その神経と、感覚に驚く。
ポアすることも必要であると、殺人を肯定する教えに、よくぞ人が、着いて行くものだと思うが、実は、信じる者が必要な人間がいるのである。そして、一度信じると、その心理的捕らわれから開放されない。それを、世の中では、マインドコントロールという。

実は、このマインドコントロールというのも、因縁なのである。
成るべくして成った。縁すべくして、縁するのである。だから、今でも信奉する者がいる。

新興宗教の事件が立て続けにあった。
足相を見て修行を勧めるという教祖や、淫行に落ちる教祖等々である。生き返ると、死人をそのままにしていた教祖もいる。
しまいに、電磁波から、身を守るという教祖もいた。

通常の常識からしても、考えられないことを言うのである。が、信じる人がいるのである。
その大半が、霊能力という曲者を持つという者である。
霊能力とは、その人自身にしか解らないものである。霊能力を語れば語る程、嘘になると知らないのである。

偉大なる教祖、仏陀を上げる。
彼は、一度も霊能力に関して語ることがなかった。後の経典に、そのような記述があっても、不思議は、起こさなかった。起こす必要が無かった。
その証拠に、目連という弟子が、神通力を得た時に、彼は仏陀に、死後の母の姿を見てもよいかと問う。しかし、仏陀は、駄目だと言う。しかし、三度目に、ようやく許されるのである。
実は、その行為から、今のお盆の由来がある。

牛となって、地獄で苦しむ母を見て、目連は仏陀に、何か出来ないかと問う。仏陀、それでは、死者に声援を送ろうと、回向という行為を教える。

仏陀当時、読経などない。瞑想があった。
今は、読経により、供養するという言い方をするが、完全に誤っている。
死者には、回向という瞑想が必要である。

以下、省略する。

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2007年07月10日

もののあわれについて158

暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月

和泉式部
性空上人のもとによみて遣わす

拾遣集に、一首だけ載せられている歌である。

この歌は、法華経化城喩品 ほけきょうけじょうゆぼん、の一句、従冥入於冥永不聞佛名からのものである。
当時、名歌とうたわれた。

経本、一句の、意訳である。
漢語を、和歌にした。確かに、名訳である。
しかし、本当に、名歌であろうか。

和泉式部の歌の数々は、恋にある。
この、経本の一句の、意訳の歌を、名歌としたのは、多分に、当時の仏教思想への、傾倒によるものである。
仏教思想というものが、あれば、である。

当時、仏教は、唯一、体系づけられたように、見える、教えであった。
要するに、言葉の世界では、新鮮であった。
ただ、それだけである。

この人生を生きるということは、暗闇を生きることと、同じである。そして、その暗闇を生きる者は、また、暗闇を心に抱いて、生きるしかない。だから、山の端の月とは、仏の光、仏の慈悲である。それが、無くては、生きることが、できないのである。

これは、理屈であり、観念である。

名歌の、響きはあるが、それは、響きのみである。

この、経本は、大乗仏教の、おおよその、教え、教義といえるような、理屈の様々を説いている。
中国の、天台大師が、更に、それを、解釈して、摩訶止観、という書物を書いた。それにより、体系立てた、思想、観念が、生まれる。
当時の、最高の教養とも、言える。

当時としては、名歌であるが、経本を抜きにした時に、今、はじめて、名歌になると、私は言う。

経本の意訳をしたのであるが、和泉式部は、実感として、人生を、そう捉えたと、考える方が、易い。
たまたま、経本の、一句に、自分が、感じていたものを、重ねたのである。

山の端の月、というものを、仏と、解釈するのは、勝手なことだが、理屈ではない、情感として、もののあわれ、として、感じたのである。

それは、これからの、和泉式部についてを、読めば、解る。

生まれるという、暗さから、生きるという、暗さを生きなければならない、この人間というものの、姿を観た。
それが、仏によって、云々される前から、気づいていたことである。

礼儀に従い、彼女は、歌にして、よんだだけである。しかし、それ以上に、彼女の、生身で、生きるということは、暗きを、生きるということであった。

その、訳を、経典に、求めていると、彼女の、もののあわれ、を、見失う。

観念ではなかった。
実際的な、現実の、様であった。

それを、宗教家という者は、信仰という、一つの形にして、実践するのであろうが、歌詠みは、違う。
信仰という、超越したものに、対する、単なる依存や、帰依ではない。
今、この目の前にある、現実を生きるということである。

信仰を、説く者は、簡単である。
絶対者を置いて、それに対して、どうするのかということを、説けばよい。
宗教というものに関しては、神仏は妄想である、という、エッセイに書いているので、これ以上は、触れない。

再度、歌を、よむ。

くらきより くらきみちにぞ いりぬべき はるかにてらせ やまのはのつき

和泉式部は、恋に、遥かというものを、観た。
仏に観るより、真っ当である。

ここに、万葉の流れを、汲むものがある。

無意識の、もののあわれ、というものが、ここにきて、意識される、もののあわれ、と、なってゆく様をみるものである。

てらせ、は、照らせである。照らしておくれ、である。

恋よ、照らして、おくれ、ということである。

恋に生き、恋に死ぬ。

仏の救いに生きるというより、真っ当な感覚である。

人間の頭で、捏ね繰り回した、思想体系など、何ほどのものか。
それを、果たして、知と、呼ぶものか。
知とは、所詮、迷いであろう。
ならば、情である。心というものを、見つめる手立ての恋が、実である。

源氏物語の、もののあわれ、というものも、結果は、恋による。
私が、源氏物語より、先に、和泉式部をと、考えたのは、源氏物語は、あくまでも、物語である。散文という。
和泉式部は、伝統である、和歌、歌詠みとして、対峙したのである。

もののあわれ、にである。

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2007年10月15日

もののあわれについて145

在原業平

五条の后の宮の西の対に住みける人に、本意にはあらでもの言ひわたりけるを、むつきの十日あまりになむ、ほかへ隠れにける。
あり所は聞きけれど、えものも言はで、またの年の春、梅の花盛りに、月のおもしろかりける夜、こぞ恋ひて、かの西の体に行きて、月のかたぶくまで、あばらなる板敷きに伏せりてよめる

五条の后の西の対に住んでいた人に、本意ではないが、つまり、最初からそのような気持ちではなかったが、付き合っている人がいた。ところが、その人は、正月十日過ぎに、他に隠れてしまった。
居場所は、聞いたが、探すことができないでいた。翌年の春、梅の盛りの、月の美しい夜、去年を恋い慕い、あの西の対に行き、月の沈むまで、戸障子の無い板の間に横になってよんだ。

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして

月は昔のままの月ではないのか。春は昔の春のままではないのか。
我が身だけは、昔のままである。

結論から言えば、業平の歌は、全く万葉には無かった感覚である。
言いたいことを言わない表現である。
多くの言いたいことがあるゆえに、それを語ることなく、別な観点から、歌うのである。

複雑になったといえば、言える。

えものも言はで、などという、言葉が出来る。
消息もすることが出来ない。探すことが出来ないのである。

仮名序の業平の評は、その心あまりて、ことば足らず、と言われる。
感情過多で、表現不足であるということだ。

万葉では、その心あまりて、そのまま歌う、つまり、直に歌うのである。
業平の感情過多をを、風情と考えるかである。
それは、これからの歌を見つつ、考える。

業平の歌の最後に一首。

病して弱くなりにける時よめる。

ついにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを

遂に行く道とは、死への道である。
それが、昨日、今日とは、思わなかった、と歌う。

思わざりしを、が、非常に強く、響く。
思わなかったという意味だが、を、は、詠嘆である。

一音に意味のある、日本語、大和言葉であると、何度も言うが、を、が、詠嘆を現すという事実である。

おオは、送る言葉であるが、をヲには、詠嘆がつくということである。
送る時の、余韻を、をが更に、強めるのである。

何々を、という時は、断定である。
を、という音にある、表情である。それは、様々になる。
音ひとつにある、思いを知る時、大和言葉の重さを、察する。
それは、日本人であれば、誰もが自然に身につけるものである。言葉に対する感性である。
こればかりは、如何ともしがたいのである。
民族性である。

日本語が美しいのは、母音の清音である。
濁音を嫌った。
それを、他の民族に知らしめることは、大変な労力がいる。

言葉が出来上がる、何千年の間、純粋培養された、日本語の魅力である。
静かに、ゆっくりと、母音の一音に意味のある、言葉を、培ってきたのである。

世界の言語の中でも、稀有な存在である。

ちなみに、わいうえを、について言う。
えは、ゑと書く。
わいうゑを、である。

五十音図最後の行である。
すべて、感嘆を意味する。

わア、とは、我である。
東北地方では、自分を、今でも、わア、という。
関西では、相手のことを、ワレとも言う。
わア、は、人間のことである。
つまり、あいうえお、の、い、と同じである。

あアは、上を、わアは、下を表す。つまり、上は、神を、下は、人間をである。

ちなみに、あアいイ、とは、あい、という言葉になり、それは、愛、藍、間、相とも、書く。
あ、は、開いている意味である。
い、は、受け入れる。
上の、あは、開き、下の、いは、受け入れる。

霊である神と、人との、交わりである。

さらに、恋になると、こオいイである。
送る、オと、人である、イである。
魂を、送るのであり、それは、生身の人間である。

もののあわれ、は、あくまでも、生身の人間の情であるということ。
そして、こオいイ、とは、心的状態を言う。

性というものに、託して、魂を、送る情である。
性が、魂と、共にあった、時代である。

性は、もっと、自由自在に解放されていた。
色好みについての、具体的な、感覚については、後述する。

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2007年10月24日

もののあわれについて139

読み人知らず 題知らず

君や来む われや行かむの いさよひに まきの板戸も ささず寝にけり
きみやこむ われやゆかむの いさよいに まきのいたども ささずねにけり

いさよひ、は、動詞、いさよふ、から転成した、名詞である。
躊躇うために、くずぐずしている様。

あなたが来るだろうか。それとも、私が行こうか。躊躇う心で、まきの板戸も閉めずに寝てしまった。

これは、遊び心である。
翌日当たりに、相手に歌を贈ったのであろう。
遊び心は、余裕である。

次の歌も、そうだ。

月夜よし 夜よしと 人に告げやらば 来てふに似たり 待たずしもあらず
つきよよし よるよしと ひとにつげやらば こちょうににたり またずしもあらず

今夜は、月が美しい、いい晩ですねと、あの方に告げたら、それは、いらっしゃい、来て欲しいと言うのと同じになってしまう。でも、私は、待っていない訳ではない。
複雑な心境であるが、遊び心である。

万葉時代には、無い歌である。

待たずしもあらず、とは、打消しを二度、行っている。
待たず、あらず、である。
精神構造が複雑になるのである。

文法では、文法法から、それを解くが、語感で、理解することが、先決である。

何度も言うが、それは、現代に続く。
複雑怪奇になることを、文明が進化するということと、考えていいのか、どうか。複雑になったら、良いという訳ではない。

だが、すでに、もののあわれ、に関する、情緒も、複雑になりつつあるのである。
いよいよ、藪の中に入るということだ。

偽りの なき世なりせば いかばかり 人の言の葉 うれしからまし

もし、偽りの無い世の中ならば、あなたの言葉が、どれ程、嬉しい言葉でしょう。

恋の駆け引きのようである。
万葉には、このような歌は無い。

駆け引きをしても、単純明快である。

どうも、複雑で、少し捩れてくるのである。
これが、時代というものなのか。

好きだ、愛していると、言われても、すぐに信じることが出来ない。それは、この世が、偽りに満ちているからだ。偽りの無い世の中ならば、そのまま信じることが出来る。
男女の心は、移ろうものである。
それは、いつの時代も、そうだ。
そのように、移ろいやすい男女の恋の心が、明確に見えてきたのである。

兎に角、それを、一歩前進として、良く解釈することにする。

万葉では、その時が、永遠であった。
今が永久であるという、思い、一点である。
つまり、命が輝くのである。
それを、失えば、また、前に進む。実に、旺盛な生命力である。

形見こそ 今はあたなれ これなくは 忘るる時も あらましものを

この形見が無ければ、思い出すことも無かったものを。これが無ければ、あの人を忘れる解きもるだろうに。

あたなれ、の、あたは、仇である。
形見が仇となっているという。

形見こそ 今は仇なれ、ということだ。

思いが、以前と違うのである。
忘れたいのに、これがあるばかりに、思い出すというのである。

実に、現代に似る。

それでは、それを捨てないのかといえば、捨てずに持っているのである。
複雑な心境である。

読み人知らずは、庶民の歌である。
庶民が、すでに、こういう心境を得ているのである。

これが、源氏物語に至るのである。

この後の、和歌集を見れば、新選万葉集というものが、古今集の前後にあり、そして、伊勢物語、竹取物語と続く。
村上天皇の951年には、和歌所が置かれる。

枕草子、和泉式部日記、紫式部日記、そして、源氏物語と続く。
女房文学の時期に入る。


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2007年10月25日

もののあわれについて140

読み人知らず 題知らず

紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る

紫草の一本を見るだけで、武蔵野の草か、すべて懐かしく、しみじみと見るのである。

この場合の、あはれとぞ見るは、懐かしく、しみじみとした感覚である。
それも、一つの意味になる。
あはれとは、懐かしく、しみじみとしたものである。

世の中は なにか常なる 飛鳥川 きのふのふちぞ けふは瀬になる

この世の中は、何が常住普遍であるのか。そのようなものは、一つも無い。飛鳥川は、昨日のふちが、今日は、もう瀬になっている。

ギリシア哲学の最初も、無常を観る。
仏陀の思想も、無常を観る。
哲学の根本原理は、この無常を観ることからだった。

この世は、常の無いものである。
それが、もののあわれ、という感覚に、新たなる影を与える。

万葉の命の輝きに、翳りを帯びるのである。
そして、それが、命の輝きに、更に、輝きを増すことになる。だが、それを、知るには、時間が必要であった。
平安から、室町、鎌倉、戦国時代と、無常観に、歴史が、人の心が、捉われるのである。
そして、明治からの、戦争の数々は、また、この無常観を、際正せるのである。

万葉の生命感覚を、再確認するには、長い時間がかかった。
そして、また、更に、時間を要したのは、もののあわれについて、である。

本居宣長によって、提唱されたが、それも、ほんの僅かな時期である。
古事記伝の方が、大きな影響を与えた。しかし、古事記は、時の為政者による、都合の良い、偽書となる。
大和朝廷以前の、富士王朝の長きに渡る、歴史を、神話として、提示した。全くの誤りである。
実在の人物を、神話の創作した人物のように扱うのである。

古事記は、書き直しが必要である。
多くの研究者たちを、撹乱させた罪は重い。

日本書紀の神代の時代の記述も、誤りである。
神武天皇からのみ、正しいと言える。

読み人知らず、題知らずの、最後は、旋頭歌である。
旋頭歌とは、片歌の繰り返しである。
五・七・七の繰り返しである。

うちわたす 遠方人に もの申すわれ そのそこに 白く咲けるは 何の花ぞも
うちわたす おちかたびとに もうもうすわれ そのそこに しろくさけるは なんのはなぞも

遠いお方に、私は、ものを申すのである。その、あなたの傍に咲いている花は、何の花ですかと。

実際に、大声で、叫んでいるようである。
その花は、何の花ですか、と。

花の名を尋ねる歌である。
何事も無い。

うちわたす、の、うちは、接頭語である。
遠くにいる人を、オチカタビトという。
万葉に近い歌である。

三句切れであるが、朗詠すると、もの申すわれが、もの申す、われと、切る。
面白い歌だ。

短歌形式の、五・七・五・七・七に、本来拘ることはない。
五と、七音による、言葉の並びに意味がある。

五音とは。七音とは。
それは、言霊を支える、音霊、オトタマによる。

音霊は、数霊、カズタマに、支えられてある。
七音は、五音を含む数である。
五音が、最も、意味深い。
日本語の母音が、語に統一されたのには、意味がある。
最も、美しい響きである、清音である。
日本語の根本は、清音にあり。
濁音は、後に出来たものである。
奈良時代には、母音が、七つあったといわれる。しかし、統一されて、五音になる。
本来は、五音であった。

五で、一つの、まとまりを作る。
五は、完全の意味である。

二音は、分離する意味の象徴数である。
五音に、二音を加えて、七音にして、末広がりを願うのである。
故に、五音と、七音による音が、理想とされた。
それは、無意識下による。

五十音図は、子音が、すべて、母音に返るのである。
つまり、清音で、終る。
日本語の歌は、すべて、清音で終るものである。

これが、他の民族と、根本的に違うところである。
日本人とポリネシア以外の民族は、母音を聞き流す脳である。
言葉の違いは、脳の違いである。

更に、日本語の場合は、列島であるゆえに、純粋に言葉が培養されたのである。
つまり、日本語というものは、世界の文化遺産に成り得る言語である。
稀有な存在なのである。

言語というものの、原点が日本語にある。
それは、人間の純粋な感情を表す時、どの民族も、日本語の母音に行き着くのである。
ここに極まれりという、感情の時に、日本語の母音に行き着く。

大和言葉の、骨頂は、すべての音が、母音に行くということである。
他の民族の脳は、母音を聞き流すことで、ある精神的バランスを保つが、母音のみでは、精神不安に陥る。何故か。
言語学者の研究を待つことにする。

清音で、終る日本語を正しく発声し、なおかつ歌うということになると、それは、日本の伝統歌にあるものを、知らなければならない。
西洋音楽の者が、日本の歌を歌う場合は、それが、出来ないのは、西洋人の脳に真似るからである。
骨格と、脳が違う。

ゆえに、私は、藤岡宣男の日本語の歌、声楽家としては、稀有であったという。
すべての、子音が、清音の母音に返るのである。
その清音のままに、最後を全うする。
それこそ、大和言葉の歌であった。

声楽家の発声の主である、ベルカントという、発声では、決して成らないものである。
骨格と、脳が違うのであるから。
しかし、藤岡宣男は、西洋の発声を身につけ、更に、日本語、大和言葉の、発声を、独自に開発した、身につけたといえる。

清音の美しさは、もののあわれ、の、最たるものである。
その歌声に、もののあわれ、が、あるということ、更に言う。

ちなみに、短歌を、精読すれば、自ずと、母音の清音の様が解る。それを、そのまま、息を長く発声してゆくと、清音の美しさが理解できる。

紫の
むウらアさアきイのオ、と、読んでみると、よく解る。
それ、大和言葉である。


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2007年10月26日

もののあわれについて141

六歌仙の歌
僧正遍昭 そうじょうへんぜう

西大寺のほとりの柳をよめる
にしのおおてらの ほとりの やなぎをよめる

浅緑 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か
あさみどり いとよりかけて しらつゆを たまにもぬける はるのやなぎか

薄緑の柳の糸をよって、玉のように白露を、つらぬいている、春の柳。

柳の枝を、糸に例える。
白露を、その枝が、貫いているという。
糸よりかけて、は、糸のようにして。露の玉を、それが貫くという。

春の柳が、擬人化されている。
このようにして、短歌の世界が、表現の世界となってゆく。
表現するというこに、重きがおかれる。つまり、文芸の意識である。

はちすの露をみてよめる

はちす葉の にごりにしまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく

玉とあざむく、にある、文芸の意識である。
泥水に育つ、はちすの葉であるが、にごりしまぬ、と、濁りに染まらない、美しい清い心を持つと、擬人化する。それが、どうして、葉に置く、露を玉と、見せかけて人を、騙すのかという。
こういう、捻りの歌が、出てくるのである。
遊び心である。

題知らず

名にめでて 折れるばかりぞ をみなえし われ落ちにきと 人に語るな

名前に惚れて、折ったのだ。おみなえしよ、私が堕落したと、人に語るな。
おみなえしを、擬人化し、女と、見立てて、女のために、堕落したと言われることを、恐れた風を、装う歌である。

上記の歌、読み人知らずは、勿論、万葉には、見出せない歌である。

いよいよ、短歌の世界が、変化してゆくのである。

表現の革命が、密やかに、行われる。
万葉の世界から、一気に、このような歌にくると、戸惑うことになる。

五節の舞姫を見てよめる

天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしとどめむ

大空を吹く風よ、雲の中の通い路を、吹き閉じてくれ。天女の美しい姿を、もう暫く、この地に、留めて置きたいのだ。

自然体ではなく、技巧的である。
自然を自然として、歌う、万葉集とは、意を異にする。

これは、万葉集の歌の世界から見れば、堕落である。一方、新しい歌の手法としては、革新である。
これも、生成発展の一つであると、認識する。

在原業平

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

世の中に、桜と言う花がなければ、人の心は、穏やかであったろう。
つまり、桜があるということで、心が乱れるのである。
それは、逆説で、桜の花というものは、素晴らしいものであるというのだ。

こうして、捻る歌になってゆく。

濡れつつぞ しひて折りつる 年のうちに 春はいくかも あらじと思へば

雨に濡れながら、折ってきました。今年の春は、もう過ぎてしまいますゆえに。
しひて、は、無理やりである。しひて折りつる、と、春を惜しむ気持ちを、強調する。

桜花 散りかひくもれ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに 

桜花よ、散り乱れてくもれ、老いというものを、見えなくするほどに。
老いらくは、老ゆらく、である。
桜も、擬人化し、老いというものも、人間のように扱うのである。

来むといふなる、は、来るだろうかという。
道まがふがに、は、まぎれるだろうか。まぎれるように、である。

この、在原業平の歌物語として、伊勢物語がある。

暫し、もののあわれ、というものの、姿、隠されるようである。

しかし、この変転を経て、源氏物語に、結実してゆくのである。

もののあわれ、にある、色好みに、徐々に進んでゆく。
恋と性が、直結していた、万葉が、恋と性を、引き離してゆく。
性が、色好みとして、ベールをかぶるのである。

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2007年10月27日

もののあわれについて144

在原業平

あづまの方へ、友とする人、ひとりふたりいざなひて行きけり。三河の国八つ橋といふ所に至れりけるに、その川のほとりに、かきつばたいとおもしろく咲けるを見て、木の陰におりいて、かきつばたといふ五文字を、句のかしらに据えて、旅の心をよまむとてよめる。

唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ

東国のほうへ、友人をひとり、ふたり、誘い、行った。
三河の国の八橋という所に至り、その川のほとりに咲く、かきつばたが、大変おもしろく、咲いていたのを見て、木の陰に馬を下りて座り、かきつばたという文字を、各句の頭に一字ずつおいて、旅の感想を読もうと、よんだ、歌。

私には、慣れ親しんだ妻がいる。その妻に別れて、はるばると、やって来た。この旅を、しみじみと思うのである。

実は、この歌は、枕詞、掛詞、序詞、縁語、懸詞などの、様々な技巧を用いて、作られている。それは、文法をやる者、得意になる。
遊戯歌という。
つまり、余裕存分に、作る歌である。

余裕は、遊び心になる。

その遊び心を、如何に受け取るかで、歌の姿が、変わる。
万葉とは、全く違う歌の姿である。

万葉にも、余裕のある歌があるが、ここまでの技巧や、作為はない。
これを、堕落と言えば、言える。
進化と言えば、言えるのである。
いよいよ、歌合せという、遊戯が出来るのである。

遊戯も、競うようになると、遊戯を超えて、競技になる。
歌の競技が出来るのである。
その判定をする意味で、歌論や、評論活動も、盛んになる。
評論活動とは、まず、歌論から、始まったのである。

もののあわれ、が、歌の道にあるということを、以前書いた。
その、歌の道が、いよいよ、複雑化してくるのである。

在原業平を読むと、相当に、歌の道が、創作という世界に移行してゆく様が解る。
作家活動である。

やよひのついたちより、忍びに人にものら言ひて後に、雨のそぼ降りけるによみてつかはしける

起きもせず 寝もせで 夜を明かしては 春のものとて ながめ暮らしつ

三月の一日から、人目を避けて、女と語り合い、その後で、雨がしょぼしょぼと降った時に、読んでつかわした歌。

起きもしないし、寝ることもしないで、一晩、夜を明かしては、長雨を、ああ春であると、ぼんやりと、眺め暮らしたことだ。

業平は、女性遍歴の多い男である。
忍びとは、人目を避けて会う。
人とは、女のことである。
そぼ降る、とは、シトシトと降る雨である。
読んで、送った歌である。

要するに、恋歌である。

あの夜のことを、思い出しているというのだ。
あの夜の、やり取りとは、セックスである。それを、ぼんやりと、思い出し、過ごすということである。何のことは無い歌である。

しかし、何のことは無い歌が、このように、歌にすると、何事か、意味あるように、思われるから、不思議である。

春のものとて ながめ暮らしつ、とは、女に対する恋の詠嘆という、解説があるが、そんなものではない。
ここに、もののあわれ、を、観るものである。
情交の後の、気だるい、感覚を、春雨に託して、物憂い気持ちを、歌う。
それを、春のものとて ながめ暮らしつ、とは、微妙繊細な、心の機微である。

現代に続く、心の複雑化を、観る。

現代は、しかし、二時間、三時間のホテルでの、休憩という中での、セックスは、性の消耗に過ぎなくなっている。
うまく行けば、一晩泊まるということもあるが、セックスが、単なる、欲望のみの充足で終わり、その後の、感慨など、捨てたのである。

愛とか、恋とかいうものも、消耗に過ぎないもの。
ここに、現代の闇がある。また、病みもある。
最早、セックスというものが、目的であり、手段ではなくなったといえる。

セックスという、手段が、恋心を深めるというものではなくなってゆくのである。
性は、性として、単独に完結し、恋は、恋で、完結する。そして、いずれも、それに、組しない者が、現れる。

性が、生殖を伴わないものになり、性が狂う。
快楽としての、性として考えても、快楽という、感覚も、病むのである。
当然、歌など、読めるものではない。

性に、風情が、伴う程、余裕は無い。

男女共に、排泄行為であり、気分転換や、上辺の、欲望充足で、終る。
すると、飽く事無く、性を求めるという、病に陥る。

性が、精神や、心に、魂に響かないのである。
これは、進化がひっくり返って、退化したのではないかと思える。

セックス依存症という、病に陥り、現代は、非常に病むことになる。

人にあひて朝によみてつかはしける
ひとにあひてあしたによみてつかはしける

寝ぬる夜の 夢をはかなみ まどろめば いやはかなにも なりまさるかな
いぬるよの ゆめをはかなみ まどろめば いやはかなにも なりまさるかな

一緒に寝た夜の夢が儚く、再びまどろむと、更に、儚いものになりました。

男は、夜明け頃に帰る。
その後で、文を使わす。それを、後朝の文という、きぬぎぬの文である。
女との関係を、夢に例えている。
思い出せば、哀しいのである。儚いのである。
何故か。
永遠の関係というものは、無いと、知るのである。
すべての関係は、刹那である。
この刹那、一瞬に賭ける思いを、恋という。

もののあわれ、は、恋にあり。


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2007年10月28日

もののあわれについて144

小野小町

題知らず

花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに

花の色は、色あせてしまったことだ。ただ、空しく過ぎたものだ。私が、物思いをしているうちに。

わが身世にふる
ふるとは、経ると、降るとを、かけている。
ながめせしまに
眺めると、長雨を、かけている。

花の色は、容色の衰えと言う場合もある。

実に、歌が、複雑になっている。

だが、素直に読むと、うつりにけりな、が、心に響く。
文法解釈等々の解釈は、長雨により、花が散るという。
長雨が降っている間に、花が散るのである。それに、我が身を重ねる。

いたずら、に、人生を過ごしてしまうこと、多々あり。
だが、人生は、いたずらなものである。
一体、どうしても必要な、生き方というものがあるのか。

私が死んでも、世の中は、何の変わりなく、変転してゆくのである。
これを、実存という。さらに、言葉にして、語るものを、実存哲学という。

西洋の、哲学の言葉の、煩雑さといったら、無い。
しかし、日本の場合は、すっぱりと、歌にして、実存を言う。

日本には、哲学も思想も無いと、言われた時期があるが、それは、西洋かぶれの、学者たちであり、彼らは、日本を、何も知らなかったと言える。

例えば、道元などは、あちらの、実存哲学を、軽々と、超えていた。
大地雪満々
言語同断の言葉の世界を、生み出した。

竿の先から飛べ。
それを、西洋哲学は、延々として、難儀な言葉の世界で、やる。

和歌の、一つに適わないこと、証明される。

思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを
おもひつつ ぬればやひとの みえつらむ ゆめとしりせば さめざらましを

思い出して寝たからだろうか。夢を見た。夢であると知るならば、目覚めなかったものを。

三句切れである。朗詠する場合も、三句切れになる。

夢と知りせば さめざらましを
夢と知っていたなら、目覚めないでいた、という。

深読みする。
実は、人生は、夢の如きものである。
人生自体が夢なのである。

もののあわれ、は、人生を、夢の如くと、捉える。

人生と言う夢から、覚めるのは、死である。
死と言う、厳然たる事実である。
そこに、歌を読む意味がある。意味意識とでもいう。

意味意識という、意識を持つことが、時代の進歩発展であった。
無意味なことは、やってられないのだ。しかし、その無意味にある、行為に、実は、深い意味があるという。
万葉は、神代の感覚が旺盛であり、迷いや、不安より、生命の讃歌を謳歌する。しかし、古今になると、神代の感覚が薄れ、神と、人との、分離が始まる。
つまり、精神の誕生である。

ある、著名な禅者が、日本の精神は、鎌倉に出来たというが、違う。
日本の精神は、万葉後期から、始まっていた。
それ以前は、心の時代であり、更にそれ以前は、霊と、魂の時代である。
霊と魂の時代とは、神代の時代である。

自然という神と、分離していない時代である。
それが、次第に、自然と、対立してゆくのである。

幼児は、母親と、離れると、分離不安に陥る。
人間も、自然と、離れることで、分離不安を起こすのである。

自然と、共生、共感していた、時代を、神代という。
それが、万葉以前である。
万葉初期の歌に、それが、結実されている。

今はとて わが身時雨に ふりぬれば 言の葉さへに うつろひにけり

今はもう、時雨が降るように、私は、年老いた。あなたの約束の言葉まで、定かではなくなってしまった。

色見えで うつろうものは 世の中の 人の心の 花にぞありける

色見えで
色合いも見えないように。
目には見えないが、移ろうものは、人の心の花であった。
ける、は、詠嘆である。

人の心の花の移ろいを、嘆くのである。
それは、恋人の心であろうが、世の中の人の心は、見えないが、移ろうものであるということ。

うつろひ、うつろう、などの表現が多い。
この世を、うつろひ、と見るのである。

ギリシャ哲学も、仏陀の思想も、うつろひ、の一言である。

多くを語らず、31文字で、実に、壮大な思想を、語るのである。
うつろうものは 世の中の 人の心の 花にぞありける

人の心だけではない。世の中の、すべてのものが、移ろうのである。

人生に佇む時、昔の歌を読むことである。
誰もが、皆、それ、を、感じたのである。

共感は、時空を飛ぶ。

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2007年10月30日

もののあわれについて146

文屋康秀

是貞親王の家の歌合はせの歌
これさだのみこの いえのうたあわせのうた

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

風吹けば、草木が枯れる。だから、山から吹く風を、嵐というのであろう。

吹くからに、とは、吹くと、ずくに、吹くやいなや、更には、何々したばかりに、だからといって、という意味になる。

この歌は、文字遊びをしている。
山風を、嵐という。確かに、山と風で、嵐という文字になる。

こういう、遊びを始めた時代である。
むべ、とは、肯定である。なるほど、という意味。いふらむ、に、かかる。

荒らしに、嵐をかけたのである。

作家活動に余裕が、出てきたのである。
歌合せは、一首の、言葉遊びである。
それも、善し。

深草帝の御国忌の日によめる
ふかくさのみかどの みごくきのひによめる

草深き かすみの谷に 影かくし 照る日のくれし けふにやはあらぬ

御国忌とは、命日である。

草の深い、かすみがかかった谷に、光を隠し、照る日が、暗くなった。今日は、その日ではないか。

照る日とは、天皇である。
深草帝の命日に、つまり、京都深草に、御陵がある、仁明天皇のことを、思い出したのである。

喜撰法師
題知らず

わがいほは 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人は言ふなり

私の庵は、都の巽、東南にある。のんびりと住んでいるが、世の人は、憂いにありと言うらしい。

世を憂いで、宇治山に住むと人が言うが、そんなことはない。平穏無事に、のんびりと、過ごしている。ここには、中世的な、無常感覚などない。
たまたま、宇治山に住んでいるだけである。この、宇治山の、宇と、憂いの、憂を、懸けているのである。

しかぞ住む、とは、確かに住んでいる。このように住んでいるという。
いほ、とは、庵であり、草木を結んで作った家である。
後に、草庵として、茶室の原型になる。

自然豊かな日本では、自然の中で、自然に添うような、生き方を好む。
それが、伝統になるのである。

それでは、伝統とは、何かと言えば、それは、民族の癖ということになる。

特別、仰々しいものではない。単なる癖を、伝統と言うのである。
その癖を徹底させて、文化というものを、創造するのである。
伝統文化とは、民族の癖によって、出来上がったものと、認識すれば、実に、良く理解出来る。

良い悪いの区別ではない。
それぞれの、民族の癖が、伝統となる。それは、また、習慣とか、慣習と呼ばれるものになるのである。

日本は、自然環境に、実に恵まれた、類稀な国である。
美しい自然を失えば、日本は無くなる。
伝統を失うということである。
その自然の中でこそ、培われた行為行動なのであるから、自然が失われれば、当然、伝統行為も、失われる。

能や歌舞伎、茶の湯や、生け花を、伝統文化と言うが、伝統と言うには、歴史が浅すぎる。
精々、室町期の芸能である。
鎌倉時代の礼法である、小笠原流も、新しいのである。

千年を経て、ようやく、伝統なるものと呼べるのである。
そうすると、和歌、万葉集あたりが、伝統と呼べるのである。

勿論、905年成立の古今集も、伝統と呼べる。
芸能では、神楽である。

人の寿命は、短いが、伝統となるには、100代ほどの、世代の積み重ねが必要である。
でるから、伝統には、適わないのである。

短歌は、時代を経ても、読み継がれてきた。
短歌を読むとは、短歌を作ることである。
歌詠みである。
これこそ、伝統である。

辞世の句を読むというのが、当然のことであるというべきだ。

だが、今、辞世の句を読むほどの人が、どれほどいるか。
これは、情けないことである。

能や歌舞伎程度に、触れて、日本の伝統などと言う者は、愚かである。
あれは、単なる、お家芸というものである。
国の伝統ではない。

能が、世界遺産になったというが、それならば、日本語が、世界遺産である。
芸能は、完成するものではないが、能は完成してしまった。
世阿弥で完成である。
今あるものは、その残骸である。
幽玄などというもの、漢語である。
もののあわれ、には、程遠い。

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