2007年06月14日

もののあわれについて113

反歌

田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 不尽の高嶺に 雪はふりける
たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける

田児の浦を抜けると、真白に富士の高嶺は、雪をいただいていた。

人の口にのぼる、赤人の有名な、歌である。

整然として、良い歌である。
ただし、雪はふりける、という、結句に、力を感じないのである。

ある種の感動は、伝わる。
突然、視野に入ってきた、富士山に、畏敬する驚き。

万葉初期と、違うのは、万葉初期の歌を、見ればよい。

いわ走る 垂水の上の さわらびの 萌えいずる春に なりにけるかも
志貴皇子

春過ぎて 夏きたるらし 白衣の 衣乾したり 天の香具山
持統天皇

大海に 島もあらなくに 海原の たゆたふ浪に 立てる白雲
作者不詳

どこか、違うのである。
万葉より、古今に近づくのである。

赤人の短歌を読むことにする。

み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒ぐ 鳥の声かも
みよしのの さきやまのまの こぬれには ここだもさわぐ とりのこえかも

ぬばたまの 夜の更けぬれば 久木生ふる 清き河原に 千鳥しば鳴く
ぬばたまの よのふけぬれば ひさきおふる きよきかはらに ちどりしばなく

若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る
わかのうらに しおみちくれば かたをなみ あしべをさして たづなきわたる

風吹けば 浪か立たむと さもらいに 都太の細江に 浦隠り居り
かぜふけば なみたたむと さもらいに つだのほそえに うらかくりおり

長歌より、短歌の方が、万葉である。

ぬばたまの、歌は、特に万葉といえる。
そして、若の浦に、も、良い。

私が良いというのは、万葉の心を、写すという意味である。
観念に、まとまった、歌ではないということである。
その歌から、無限に広がる世界を、自然を思わせるのである。
万葉の歌は、祈りの言葉でもある。
祝詞である。

言えば、わかのうらに しおみちくれば かたをなみ あしべをさして たづなきわたる、と、唱えることが、出来るというものである。

しかし、次の歌を読むと、祝詞ではなく、歌のための歌になる。

春の野に 菫採みにと 来し吾ぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける
はるののに すみれつみにと きしわれぞ のをなつかしみ いちやねにける

明日よりは 春菜採まむと 標めし野に 昨日も今日も 雪は降りつつ
あすよりは わかなつまむと しめしのに きのうもきょうも ゆきはふりつつ

百済野の 萩の古枝に 春待つと 居りし鶯 鳴きにけむかも
くだらのの はぎのふるえに はるまつと おりしうぐいす なきにけむかも

自然は、あくまでも、外の世界であり、万葉初期の、自然との共感が、薄れる。
自然と同化しないのである。
つまり、赤人には、自然畏敬が無い。つまり、自然に、神の存在を見ないのである。
さらに、自然を対立するものとして、捉える。
歌という、観念に在ることを、善しとするのである。

それを、芸術活動と言うならば、それでもいい。

例えば、小説作法というものを作り上げて、小説とは、このようなものであると、観念を作る。そして、それに添って、小説を書く。
現代の小説は、その日本の心を写す小説は、川端康成で終わったと、私は思うが、それは、私の感じ方であり、他の人は、まだまだ、小説は、終わらない。日本を書けるのだという。
それでいい。

すべて、夏目漱石が、書き終えてしまった。
後は、亜流である。と、思えば、読む気がしない。

はっきり、申し上げておくが、小説の出来栄えが問題なのではなく、売れるか、売れないかが、問題である時代に、小説について、論ずることが、愚かである。

芥川賞という文学賞が、商業ベースによって、作られたという事実である。
水戸黄門の印籠のように、なるという、不思議である。

読み捨てにされる小説をもって、小説であるというならば、それでもいい。

私は、昔、二十歳前後の時に、夏目漱石の全集を、二度繰り返して読んだが、今も、読みたいという欲求がある。
日本文の、すべてを、夏目は、書いたのである。
そして、川端康成で、日本の心の風景を、書き終えたというより、もう、書く者がいない。
そして、かろうじて、中上健二という作家によって、新しい、小説の道が見えたような気がしたが、如何せん、亡くなってしまった。

今、小説は、エンターテーメントとして、別の世界を作る。
時代によって、小説も変わるのは、当たり前である。

小説を読まずとも、現実の方が、芸術的になっている。
創作を読まずとも、現実が、面白い。

純文学と称して、作品を書く者の、作品を読むと、反吐が出る。
観念まみれで、宗教の妄想の教義と、同じである。

小説は、いかに、バーチャルであるかが、問題になる。
あたかも、本当であるような嘘。しかし、すでに、現実が、それを超えた。

現実が、本当のような嘘であり、バーチャルと化している。

端的に言えば、アメリカの核に守られて、世界の現実から遠い日本に住む者である。
すべては、外の世界のことであり、紛争も、テロも、別次元のように思える。
ふんだに使う物が、他国の環境を破壊しているなどと、想像も出来ない。

現実を、実感として、肌で知る人は、自然災害に遭う人である。

想像力の欠如の者が、商業ベースに乗せられた小説を読んで、涙を流しても、全く、人生には関わりが無いのである。

居ながらにして、テレビからの情報を得て、そのバーチャルに、満足し、意識だけは、肥大化して、生きていると、勘違いする。
何一つ、行為せずとも、何かに参加していると、思い込むちという、病に陥るのである。

体の動けない老人ならば、理解出来るが、活動出来る者が、そうであるから、ホント、人生とは、何であるのか。

これは、きっと、悪い冗談なのであろう。
そして、死を迎える。
それも、バーチャルなのであるから、その幽霊は、浮遊する。

とんでもない、時代である。

不幸にある時、人は、現実を知る。
しかし、できえれば、不幸ではない時に、それを、知りたいものである。


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2007年10月02日

もののあわれについて115

万葉集巻15に、遣新羅使人の歌、145首がある。

天平8年、736年、2月に、派遣が決まる。
大使は、安倍継麻呂である。副使は、大伴三中である。

6月に、難波を出発して、瀬戸内海を通り、新羅へ向かう。
玄界灘を通り進むが、大変な労力をかけての、派遣である。

ようやく、玄界灘を渡り、壱岐島に着く。
しかし、結果、新羅は、唐が後ろ盾につき、日本を相手にしなかった。

翌年の天平9年1月に、ようやく、都に戻るが、大使の安倍は、対馬で亡くなった。副使の、大伴も、病で、遅れて帰ることになる。

145首の歌は、すべて、望郷の思い深い歌である。

一行の中に、雪連宅満 ゆきのむらじやかまろ、という者がいた。
疫病で死ぬのである。
その挽歌が、9首、歌われている。
それらの歌の反歌である。

六鯖 むさば、という者の歌。

新羅へか 家にか帰る 壱岐の島 行かむたどきも 思ひかねつる
しらぎへか いえにかかえる ゆきのしま ゆかむたどきも おもひかねつる

新羅へ行こうか、それとも、戻るか。その術も、考えあぐねる。

同僚の死に、動揺している様である。

それでは、他の歌も読む。

百船の 泊つる対馬の 浅茅山 時雨の雨に もみたひにけり
ももふねの はつるつしまの あさぢやま しぐれのあめに もみたひにけり

もみたひ、もみたふ、とは、紅葉する。それが、継続している様。

多くの船が、停泊している、津、すなわち港の、そばにある浅茅山は、すっかり、時雨の雨に、もみじも濡れている。

そして、大和の、もみじを思うのである。

対馬には、21首の歌が残る。

天ざかる 鄙にも月は 照れれども 妹ぞ遠くは 別れ来にける
あまざかる ひなにもつきは てれれども いもぞとおくは わかれきにける

こんな遠くの田舎にも、月が照る。今頃、大和の家でも、妻が、月を見て、私を思い出しているだろう。

ここで、私が言いたいことは、彼らは、歌詠みではないということである。
庶民である。
それが、こうして、歌を読むという行為である。

表現の行為が、限られていたともいえるが、歌詠みにならなくても、歌を読むのである。

研究家は、彼らの歌を評価しない。
しかし、そんな問題ではない。
皆々、歌を読むということである。

歌心という、心的状態を、皆々、持っているのである。

歌を歌う者だけが、歌心を持つのではない。
当時は、皆に歌心があり、心の様を歌にするのである。

それが、自然に五七調になる。
七五調になる。

五音と、七音というのに意味がある。

言霊は、音霊、おとたま、に、支えられてあり、音霊は、数霊、かずたまに、支えられてある。
言霊を言う時、数霊を知らなければ、言霊についても、知らないということである。

言霊は、数霊である。

数に、秘密がある。

ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり ももち よろず
とは、祝詞であり、それは、唱えるべきものである。
数は、貴いものであると、それを、言挙げすることで、祓い清めをする。

ひ ふ み よ い む な や こ と
それも、同じである。

悪霊、邪霊、浮遊霊、自縛霊、怨霊、祟り霊、つまり、悪しき霊を、祓い清める時に、数霊の祝詞がある。
祓えの祝詞である。

数というものは、聖なるものなのである。
清いもの。
数が乱れれば、すべてが、乱れる。

簡単に言う。
一の次は、二である。四がきたり、八がきたりすることはない。
五の、前後は、四と六である。

清いということは、正しいということである。

これは、すべて、私の霊学と、古神道である。

音が、五と、七によって、歌となるというところに、日本の心がある。

短歌も、俳句、廃れることがない。

歌とは、いつ、と、なな、である。
いつなな、が、歌である。

うウたア、とは、呼ぶ、そして、開く、拓くことである。

神を呼ぶのに、ウの音が使われる。
神というのが、嫌なら、霊でもよい。

霊呼び。つまり、魂振り、である。
鎮魂とは、魂の鎮めである。その鎮めのためには、魂振りが、必要である。

魂振りとは、魂を引き寄せる行為である。
振るというからには、揺らすのである。
体が揺れる。揺れると、霊が、揺れる。つまり、霊が、目覚める。
眠れる霊を、目覚めさせる行為を、魂振りという。

霊を呼び出して、霊を鎮める行為を、古来、古代から、日本人は、行ってきた。
肉体を失った霊に、さらに、霊の格を高めるために、それを為してきた。

実は、短歌を詠むということは、鎮魂の行為なのである。
五音と、七音によって、御魂鎮めを行った、民族なのである。

御魂鎮めとは、清くなるという意味である。

簡単に言う。
歌を歌い、それによって、己の霊を、清める、悪しきものから、遠のくのである。

仏教で、成仏するというのは、次元を移動するということである。が、成仏することは、通常の人は、出来ない。出来ることは、往生するということである。
仏陀が言う、仏に成るということは、通常は、出来ない。それは、観念に縛られているからである。
仏は、観念を超えた、存在である。

人間は、観念を超えることは出来ない。

精々、往生するのが、最上のことである。

しかし、古神道は、往生も、成仏も無い。

そのまま、自然に回帰するのである。自然に回帰することを、神に成る。鎮魂と言う。

実は、成仏も、往生も、観念であり、それによって、次元移動するだけの、ことである。
次元移動する、その次元が、どの次元であるかが、問題である。

全ての宗教は、四次元まで、移動しない。
この三次元の先にある。
故に、幽霊となる。

霊に、向上しても、四次元に留まるのである。

そして、転生を繰り返す。

仏陀が、見出した、仏とは、この次元ではなく、宇宙の外、つまり、無に帰するということであり、それは、単なる理想である。

完全無欠の、無になることは出来ない。
何故なら、宇宙の外に出ることは、出来ないからだ。

仏陀は、まだ、宇宙の中に居る。それが、なによりの、証拠である。

私の横に、霊の世界が在るのである。

霊的進化は、まだまだ、始まったばかりである。

五と、七の数については、いずれ、明らかにする。

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2007年10月03日

もののあわれについて116

天平宝字三年春正月一日、因幡国庁にて、饗を国郡の司等に賜える宴の歌一首

新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け 吉事
あたらしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけ よごと

万葉集20巻最後の歌は、大伴家持である。

新しい年の始めの初春。雪が降り積もるように、善き事が重なり積もるように、さらに重なれよ。目出度きこと。

大伴家持。
万葉集編纂の主である。
その彼のことを書けば、終わるとこなく、延々と続く。ゆえに、大幅に省略して、書く。

家持の歌は、長歌、47首、短歌、431首、旋頭歌、1首の、479首である。
万葉集が、4500首であるから、おおよそ一割である。

大伴旅人が、大宰府に赴任した時、家持は、11歳。
父旅人が、亡くなった時、14歳。
内舎人、うちどねり、として、宮中に奉仕することになったのは、天平10年10月、21歳。

天平17年1月、従五位下に叙せられたのが、28歳。
翌年18年、宮内少輔、六月に、越中守に任じられる。29歳。

天平19年は、東大寺の大仏鋳造が、聖武天皇の悲願を込めて、始められる。
天平感宝と、改元された年、四月、家持は、従五位上に、叙せられる。
海ゆかば、を、歌い、祝賀と、大伴一族の決意を歌い上げた。32歳。
この年、聖武天皇は、譲位され、七月、天平勝宝となる。

勝宝三年、家持は、小納言に任じられて、六年振りに、北陸から、都に戻った。34歳。

勝宝六年四月、兵部少輔に任じられて、山陰巡察使を拝命。37歳。
翌年七年、二月、交代のため難波の津に集められた、東国からの防人たちが、兵部省の担当官に引き継がれた。その時の、担当者が、家持である。
防人たちの歌、93首が家持によって、収録される。

天平勝宝八年、聖武上皇、崩御。
翌天平元年一月、家持を推挙して、支援していた橘諸兄が、没する。
六月に、兵部大輔に、任じられる。
そして、七月に、諸兄の長子奈良麻呂を中心に、皇族4名が、加わり、藤原仲麻呂の、専制打倒のクーデターが事前に発覚。
捕らわれた者、400数十人。
大伴一族の有力者も、加わっていた。

翌二年、因幡守 いなばのかみに、任じられて、任地に下る。
翌三年の一月の歌が、上記のものである。
家持は、これをもって、歌うことを、止めた。42歳。

藤原氏の独裁政権にあり、家持は、沈思黙考の様である。

大伴氏の有力者が、惨たらしい死と、断罪される様を見て、家持は、実に、複雑な心境であったろう。

家持の歌は、父旅人と、憶良がいて、さらに、人麿がいる。
最後に、人麿の、歌の心に、辿り行こうとするが、時代は、移り行くのである。

古今の世界が、すでに、始まろうとしていた。

人の心の思いに、線を引けないように、歌の心の様にも、線は引けない。
曖昧にして、歌心も、移り行くのである。

もののあわれ、を、底辺にして、歌の世界が、歩き始める。

うつせみの 世は常無しと 知るものを 秋風寒み 偲びつかるかも
うつせみの よはつねなしと しるものを あきかぜさむみ しのびつかるかも

22歳の時の歌。
世の中は、無常であることを知るが、秋風が身にしみるにつけても、亡き人のことが偲ばれる。

契りを結んだ女の死を、思うのである。

世の中は 数なきものか 春花の 散りのまがひに 死ぬべき思へば
よのなかは かずなきものか はるはなの ちりのまがいに しぬべきおもえば

30歳の時の歌。
世の中というものは、何と儚いものであろう。春の花が散るように、その散りゆく花に、まぎれて死んでゆくのかと思えば・・・

うつせみは 数無き身なり 山川の 清けき見つつ 道を尋ねな
うつせみは かずなきみなり やまかわの さやけきみつつ みちをたずねな

39歳の歌。心痛のあまり、病床に臥した時の歌である。

うつし世に、生きる人の身ほど、儚いものはない。山川の清らかな風景を見つつ、静かに、あるべき道を尋ねたいものだ。
仏の道と、解釈する人がいるが、果たして、そんなものだろうか。

上記の歌、憶良の世界に近いものがある。

すでに、仏教の無常観が、蔓延していたという。

もののあわれ、が、無常観に支えられる時期に突入する前段階である。

あわれ、が、哀れという文字に託されるのである。

もう一つは、憐れである。

音霊から、言う。

あアわアれエ
あ、も、わ、も、吾である。
え、は、留め置くという意味。

吾を吾に、留め置くのである。

あわれ、とは、無常観に彩られるものではない。無常観も、内包している。

鎮魂、御魂鎮めという、特別な、修法がある。
吾を吾に、留め置くことである。
魂を、吾に留め置く。
魂を鎮めるとは、吾が吾になることである。

神道では、それを、神に成る。鎮魂帰神という、言い方をするが、それは、宗教の教義になる。
古神道は、宗教の教義に無いのである。

古神道を任じる、新興宗教があるが、誤りである。

人は、神という、超越したようなものにはならない。
鎮魂帰神とは、その、超越した神を想起させる。

古神道には、超越した神という存在を置かない。というより、そんなものは、霊界に無いのである。

あわれ、とは、私が我になることをいう。

それは、私との邂逅である。

もののあわれ、の、核心は、そこにある。

大伴家持二十三日饗によりて作る歌

春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも
はるののに かすみたなびき うらかなし このゆうかげに うぐひすなくも

饗とは、宴会である。
多くの人がいる。
しかし、家持は、独りであることを、感得する。

絶対孤独の境地という。

仏教の妄想の悟りという、境地より、よほどよい。

うら悲し、とは、うらは、心である。心が、悲しいのである。だが、悲しいのは、愛しいとも書く。

うぐひすの鳴き声に、共感し、同化し、私が、うぐひすの声になる。
その孤独感である。
もののあわれ、の、正体を観る。

この愛しい私の存在を、支える、私である。
私の我である。

もののあわれ、とは、そういうことである。

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2007年10月04日

もののあわれについて117

天平10年21歳の時の歌

もみぢ葉の 過ぎまく惜しみ 思ふどち 遊ぶ今夜は 明けずもあらぬか

紅葉の季節が過ぎようとしている今夜。気の合う者同士が遊ぶ今宵は、いつまでも、夜が明けないで欲しい。

内舎人、うちどねり、に選ばれて、名門の御曹司として、官界に、颯爽と登場した、家持である。

右大臣の、橘諸兄の嫡男から、宴会に招かれた喜びが、溢れるばかりに歌われている。
人生の、一時期に、こういう時期があってよい。
この宴会が、きっかりとなり、大伴氏と、橘氏が、深い結びつきを持つ。しかし、20年後に、橘奈良麻呂を中心にした、藤原滅亡のクーデターを企てて、多くの断罪者を出した。

女性に、大いにモテて、多くの相聞歌を残しているが、好色でなかったことが、幸いした。歌のやり取りで、見事に、性に溺れることなく、過ごしたのである。

性に溺れる。
男は、人生の一時期、性に溺れることがある。
しかし、多くの女と、交わっても、女を知ることがない。
一人の女を知ることで、すべての女性を知ることになるのである。

一夫多妻の風土のあるところでも、性に溺れるということにはならない。
養うということ、それ、一点に尽きる。
多くの女と、交わり、それらを養う時、性に溺れるということはない。
養うことも出来ずに、女遍歴をする男が、哀れである。

家持は、23歳で、初恋の女性、従姉妹の、坂上大嬢、さかのうえのおおいらつめ、と結婚する。

結婚の年、家持は、聖武天皇が伊勢に行幸するのに、伴っている。

伊勢の国に幸しし時、河口の行宮にて作れる歌
いせのくにに みゆきまししとき かわぐちのあんぐうにて つくれるうた

河口の 野辺に蘆りて 夜の歴れば 妹が手本し おもほゆるかも
かわぐちの のべにいほりて よのふれば いもがたもとし おもほゆるかな

伊勢河口の行宮に滞在され、神宮に幣帛を捧げた時の歌である。
行宮の河口の野辺にいおりつつつ、幾夜かたつにつれて、妻を手枕にして寝たことを思い出すのである。

狭残の行宮にて作れる歌
さぎのあんぐうにて つくれるうた

天皇の 行幸のまにま わぎも子が 手枕まかず 月ぞ歴にける
すめらぎの いでましのまにま わぎもこが たまくらまかず つきぞへにける

天皇の行幸に、御伴して、吾妻の手枕を、まくこともなく日が経ってしまった。

不破の行宮にて作れる歌

関なくば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕 まきて宿ましを
せきなくば かえりにだにも うちゆきて いもがてまくら まきてねましを

もし、関がないのであれば、取って返し、愛しい妻の手枕で寝たいものだ。

新婚の喜びを溢れる程に歌う。
しかし、家持の置かれている政界は、泥沼の如くであった。
それに、まだ、気づかない青年の時期である。

この頃、政治の話を書けば、とんでもなく、長くなるので、省略する。

ただ、724年に即位した、聖武天皇は、仏教を持って、国家の格、柱とした。
現在、お盆と言われる行事、盂蘭盆会も、733年から始まる。
国分寺、国分尼寺の創建の詔を発している。
勿論、国家行事としてである。

聖徳太子と、同じように、仏教を政治の格にするために、様々なことを始めるのである。
全国に、造仏、写経を命ずるというようなことも、行うのである。

最後に、天皇を、三宝の奴、とまで、言う。
三宝とは、仏、法、僧である。

仏教に凝ってしまったのである。

また、この天皇は、簡単に都を移るということもしている。

聖徳太子の仏教は、蘇我馬子らとの、円満な政治の有り様を、模索するものだっだか、聖武天皇は、やみくもに、仏教擁護を、推し進めた。
すでに、仏教は、定着し始めて、行基なども、活躍していた。

唯神、かんながら、神の道との、融合も、うまく行われていた。
神仏混合である。

思想的には、本地垂迹などの土台となる。
日本の神は、仏の化身であるというものだ。

霊感の無い者に言わせるとである。

何のことは無い。インドの神々が、日本に続々と上陸するのである。
そして、目をつけた者に、取憑いて、霊域を広げようとする。

そして、日本は、仏教国と言われるようになるのである。
しかし、冷静に考えてみるに、果たして、日本は、仏教国であるのか。
インドからも僧がやって来るが、日本の仏教は、中国からのものであり、中国で、出来上がったものを持っての、仏教である。
まして、耳障りの良い言葉の、大乗仏教である。

新興宗教を見れば解るが、実に、耳障りの良い言葉や、思想を言う。

大半が嘘である。

日本には、仏陀の信仰など無い。あるのは、中国思想に徹底的に侵された仏教思想である。

また、中国思想でも、学ぶに足るものは、老荘思想であり、その他は、単なる世俗の思想であり、ハウツーものである。

世界の三大書物という時、聖書、仏典、コーランと、すべて、妄想の産物である。
単に、多くの人が、信奉しているというだけである。

今、世界の三大書物といえるのは、老荘の思想と、万葉集と、源氏物語である。

ただし、中国の神仙の思想ではない。
中国には、神などない。
化け物のような、仙人思想である。

あれを、有難がるのは、お目出度い。

それでは、日本でも、多く支持される、孔子は、どうか。
孔子は、はっきりと、鬼神を語らずという。
この世の次元のみに、視点を定めているのみ。
孔子の言う、天とは、この世の人の道の先にある、天であり、それは、迷いの道である。
孔子は、迷いを善しとする。

中国思想は、インド思想の、言葉の遊びに準じたものである。

家持の歌を、続ける。

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2007年10月05日

もののあわれについて118

紀郎女に報へ贈れる歌
きのいらつめに こたへおくれるうた

ひさかたの 雨の降る日を ただひとり 山辺に居れば いぶせかりけり

音も無く雨の降る日を、ひとり山のほとりで、過ごしています。
いぶせかりけり
なにやら、心の晴れぬ思いである。

鹿の鳴く声の歌
しかのなくねのうた

この頃の 朝けに聞けば あしひきの 山よび響め さ牡鹿鳴くも
このころの あさけにきけば あしひきの やまよびとよめ さおしかなくも

この頃は、朝早くに聞く鹿の声。静まり返る山の風に、応えるように鳴くのである。

家持の歌一首

高円の 野辺の秋萩 この頃の 暁露に 咲きにけむかも
たかまどの のべのあきはぎ このころの あかときつゆに さきにけむかも

高円の秋萩も、色が濃くなった。暁に、露に濡れて、可憐な花を咲かせているのであろう。

独り平城の故き宅にいて作れる歌二首
ひとりならのふるきいえにいて つくれるうたにしゅ

橘の にほえる香かも ほととぎす 鳴く夜の雨に 移ろひぬらむ

鶉鳴く 古しと人は 思へれど 花橘の にほふこの屋戸
うづらなく ふるしとひとは おもへれど はなたちばなの にほふこのやど

最初の歌は、橘の、ほのかな香りが、そこはかとなく漂う。その中で、ホトトギスが鳴く。この夜の雨に打たれて。
次の歌は、鶉が鳴くような古びたところだと、人は言うが、橘の香り、ほのかに匂い漂う、この家の風情は、何に例えられるだろうか、と歌う。

いよいよ、家持の歌、古今や、新古今に近づくのである。
いや、古今、新古今の幕開けである。

ある諦観を持った、孤独の様、しみじみとした歌である。

家持は、外の世界を、我が内に宿して、歌を読む。
孤独の中に、風景を取り入れ、さらに占領されて、歌を読む。

家持の孤独感を観る。
コドクとは、漢語であり、大和言葉では、ただひとり、と読む。
孤は、みなしご、ひとりと、読む。
孤児とは、親がいない。親がいない程の独りの感覚である。

ただひとり、の、言霊が、もののあわれ、に、連なる。

家持の孤独は、時の政情にもある。

聖武天皇の、国分寺創建の詔、大仏造顕の詔による、仏教擁護、及び、仏教に対する深い帰依の行為とは、別に、その裏では、権力争いが、激烈化していたのである。

簡単に説明すると、聖武天皇は、藤原不比等の孫に当たり、さらに、天皇の后の父であるから、義父に当たる。
藤原全盛の時期である。

724年に、聖武天皇即位である。不比等が亡くなったのが、720年である。
その後、不比等の四人の兄弟が、露骨に、権力欲を現すのである。

聖武天皇の、大仏造成については、庶民の生活を苦難に貶めての、云々という、学者たち、多く、また、逆に、大乗仏教の精神を、日本にて、顕示すべくの、云々という説もあり、多々、皆の言い分はあるが、私は、明らかに、天皇が、政治とは、関わらないという、姿勢を示したものであり、庶民を使役して云々も、大乗の教え云々も、どちらも、取らない。

大化の改新を成し遂げて、安定した、矢先に、またも、権力の争いである。

天皇の詔を読めば、天皇の、お心が、理解できる。

浅ましい人の心に、本来の観るべきものを、提示するのである。
大乗の教えに、帰依せざるを得ない天皇の、御心である。

家持は、冷静に、その様を見つめていた。
そして、帰着するところ、孤独、ただひとり、という、境地にゆく。
もののあわれ、である。

政変に触れることなく、歌を読む。
しかし、それも、42歳を最後に、読まないのである。

ここで、書かれるものについて言う。

書くという行為は、二流、三流の行為である。

伝えるものを、強く持つ者は、書くことがない。
仏陀、イエスキリスト等々、書くことをしない。
ただ、行為するのである。
この世では、行為以上の行為はない。

書けば、嘘になる。
つまり、如何様にも、解釈される。

如何様にも、解釈されることを、善しとして、作家は書くのである。
その決意があって、物を書く。
物書きは、実に、最低最悪の者なのである。

書き捨てである。
ゴミを捨てるのに、似る。
どれ程、優秀な作家でも、それから、逃れることは出来ない。

勿論、今、これを書いている私も、二流どころか、五流以下である。

もののあわれ、を行為する。
それが、真実である。

見よ、膨大な妄想の経典を。
皆々、それを、根拠に、何事か、解釈し、さらに、学問という意識に高める。
何一つの、根拠も無いのにである。

嘘八百、詐欺である。

人を判断するに、最も、正しいのは、何を行っているかである。
一目瞭然である。

毎日、その人が、何を行為しているのか。
人生の真実は、そこにしかない。

願望は、成就するという、成功哲学を、鵜呑みにしているアホには、決して解らない。

行為は、行為によってでなければ、成り立たない。
願望は、願望である。
望みを願うことに、一体、何があるのか。

買わない宝くじは、当たらないのである。
まして、買っても、そうそう、やすやすと、当たらないのである。

無限魔界の国、アメリカから来る、システム販売の様を、見れば、貧乏人が、皆々、金持ちになるという。
検証するに、決して、そんなことはない。
確実に、限られた人のみ、金持ちになる。
それを、手本に、自分も、そうなると信じる、つまり、妄想する。

成功の意味を、知らない者の、やること、ゆめゆめ、愚かである。

額に汗して、労働することの、真実を知らない者、多数の国は、確実に、消滅する。
また、そのような、労働をよくする人を、大切にしない、国政は、破綻する。

何故、歴史に学ばないのか。
そうそう、歴史を教える者、歴史を、知らないからである。
誰か。
学者である。

さらに、家持の歌を続ける。

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2007年10月06日

もののあわれについて119

天平17年、3月、家持は、宮内少輔、くないしょうしょう、に、そして、6月、越中守、えっちゅうのかみ、に、任じられた。

7月、妻を都に残し、単身赴任する。

29歳から、34歳までの、五年間を、越中で過ごす。

家持は、この北国での時期に、全歌数の、約半数を、ここで歌っている。
長歌、47首のうちの、30ほどは、越中吟である。

その、長歌の歌詞の大半が
すめらぎの神の命
高御座天津日嗣とすめろぎの
大君の命かしこみ
大君の遠の朝廷と
大君の敷きます国は

柿本人麿を思うが、父の旅人や、憶良に、多く影響されて、観念化された歌に陥るのである。
つまり、万葉後期の苦悩は、家持の苦悩となった。
それは、生命力、生命感覚の、衰退である。
この、苦悩から、家持は、個人的繊細さを歌う、短歌の方に、重点を置くのである。

その前に、余計なことを言う。

天皇制云々についての、議論は、議論として、日本人としての、天皇に対する思いの、そのままを書く。
大君とは、君をまとめる者。君主を、束ねる存在である。

日本には、皇室というものが、戦後も、そのままにしてある。

この皇室に対する日本人の感覚は、実に、見事である。
国民の総意の、皇室容認は、正に、国民の余裕である。
皇室の存在を、認めているという、心の余裕がある。

天皇に対しては、観念を排しても、容認するものである。
勿論、左翼というのか、左派、社会主義や、共産主義を理想とする者には、邪魔な存在であろう。
しかし、その、社会、共産主義の、行き先は、すべて、独裁政権である。
歴史を見よ。

天皇は、独裁政権を擁立しない。
天皇は、権威として、征夷大将軍等々の、名目で、統治の権利を認めた。国民は、天皇が、認めるものを、受け入れた。
そして、権力にある者も、天皇の存在を、容認し、支配者としてではなく、国民の精神的支柱としての存在感を、認めたのである。
事実を書いている。

天皇には、何の権力も無い。
ただ、無形の権威がある。その、無形の権威を、国民が、余裕として、受け入れる国が、日本である。

大和朝廷設立の頃は、矢張り、軍事としての、権力があったが、それらは、自然消滅してゆく。
国民の心の象徴としての存在感になってゆく。

ここに、日本民族の、たしなみがある。

あるべきように、天子様を戴くのである。
さらに、天子様を、祖先の総称として、認めるという、驚きである。
天皇は、ついに、祖先の総称として、国民に認知される。

日本人には、唯一神というものは、無い。
祖先が、神なるものである。
だから、たしなみ、になるのである。

それを、余裕と言う。
国民の心の余裕の存在が、天皇はじめ、皇室であり、彼らは、謙虚に、その役目を担うのである。
他の国の、王室とは、全く別物である。

本当の権威を身につけた、天皇家という、家柄を、国民が支えるという図は、国家、つまり、共同幻想の、国家の支柱としては、理想である。
理想国家を、日本は、有するのである。

国難や、国が乱れる時、国民は、天皇の声を待つ。
そして、天皇の声に従う。
それは、縄文期の、主、オサに対する感情である。
オサは、食べ物を分配する役目を負う。それは、重責である。
日本の神の語源は、この、分配する者、手、タと、手、タを、つなぐ者としての存在を、カミと呼んだ。
だから、上も、守も、カミと読むのである。
上に立つ者を、カミとして認めた。

何度も言うが、西洋思想の神観念を持って、日本の神の思想を、解釈してはならない。

りんごと、ミカンを、比べることは、出来ないのである。

西洋の王室と、日本の皇室を、比べられないりである。また、その思想でも、比べられないのである。

政治形態としても、日本の物の見方がある。
相違点を見るというのが、哲学の最初であるから、相違点を、見つめて、日本の皇室、天皇の存在を、考えるべきである。

さて、家持は、万葉の歌の最後であり、古今、新古今の最初である。

現代にまで続く、衰退の様を、家持から、推察することが出来る。

生命力の衰退である。

事の様が、解らなくなった時、初めに戻る。日本人の初心は、万葉集である。
そこに、戻ればよい。

天地と一体と、化す、生命感覚に、戻ればよい。

いわ走る 垂水の上の 早蕨の 萌えいずる 春になりにけるかも
志貴皇子
いわ走る水も、早蕨も、私も、共に、春を喜ぶのである。
天地一体として、その生命力を感じ取る心である。

つまり、もののあわれ、である。

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2007年10月07日

もののあわれについて120

越中に出向いて、二ヵ月後に、訃報が届く。
家持の、たった一人の弟が、亡くなったのである。
父を早くに亡くしていた、家持の頼りであった。

その弟の死を嘆いた、長歌を読む。

天離る 鄙治めにと 大君の 任のまにまに 出でて来し 吾を送ると 青丹よし

奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬とどめ 別れし時に ま幸くて 吾帰り来む

平けく 斎ひて持てと 語らいて 来し日の極み ・・・・・

あまさかる ひなおさめにと おおきみの まけのまにまに いでてきし われをおくると あおによし ならやますぎて いずみかわ きよきかわらに うまとどめ わかれしときに まさきくて われかえりこむ たいらけく いはいてまてと かたらいて こしひのきわみ ・・・・

遠い田舎の地を治めよと、大君の命を受けて、その任務のために、吾を送るために、共に歩いた弟。
奈良山を過ぎて、清い流れの河原がある泉川で、馬を止めて、別れた弟。
お互いに、平穏無事でと言った弟。
元気で、お戻りください、ご無事を祈ると、都に戻った弟。
語り合った、あの日の、ことを思うと、断腸の極みである。 

反歌

ま幸くと 言ひてしものを 白雲に 立ちたなびくと 聞けば悲しも
まさきくと いひてしものを しろもくに たちたなびくと きけばかなしも

互いに、元気で、幸せにと言い合った。その弟が、みまかり、白雲となって立ちたなびいてしまったと聞けば、悲しまずに、いられようか。

反歌に、万葉初期の、残滓がある。
死を、白雲として、認める。
立ちたなびく、のである。

失うという感覚を、喪失感という。
人の死を、また、自分の死を、どのように、捕らえるか。これが、人生、最大の哲学である。

まさきくと いひてしものを しらくもに たちたなびくと きけばかなしも

31文字に託す、悲しみである。

実に、理解しやすい歌である。
奇をてらうこともない。
きけばかなしも
それは、見ても、悲しいのである。

人の死に、佇む人。
いずれの人も、いずれか、人の死に佇むのである。

カウンターテナー藤岡宣男の死を確認し、私は、一人、慟哭に、のた打ち回った。
慟哭に、獣のように、声を張り上げて、さらに、慟哭した。

その死を受け入れ、その死を悲しむということ。
延々と書き続けても、終わることなく、書き続けなければならない。
つまり、言葉に出来ないのだ。

言葉に出来ない思いを、言葉にする時、最低限の言葉を使うのみ。
それが、和歌である。

万感の思いを、言霊と、音霊に託すのである。

それが、日本の歌である。
それが、日本の、もののあわれである。

きけばかなしも

この、かなしも、を、延々と説明することなく、延々と、心の世界に、誘う歌。
言の葉である。日本語とは、そういう言葉の世界である。

以下省略。


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2007年10月08日

もののあわれについて121

弟の訃報を聞いてから、半年後、天平19年2月、北国の厳寒が、堪えたのか、家持は、病に臥す。
重態に陥った。

忽ちに病に沈み、ほとほとに泉路に臨みむ。よりて歌詞を作りて悲しみの緒を申ぶる歌一首
たちまちにやまいにしずみ ほとほとによみぢにのぞみぬ。
よりてうたをつくりて かなしみのこころをのぶるうたいっしゅ

大君の 任のまにまに 丈夫の 心振り起し あしひきの 山坂越えて 天離る

鄙に下り来 息だにも 未だ休めず 年月も いくらもあらぬに うつせみの

世の人なれば 打ち靡き 床に臥い伏し 痛けくし 日に日に益る たらちねの

母の命の 大船の ゆくらゆくらに 下恋に 何時かも来むと 待たすらむ 心さびしく

はしきよし 妻の命も 明け来れば 門に寄り立ち 衣手を 折り返しつつ

夕されば 床打ち払い ぬばたまの 黒髪敷きて 何時しかと 嘆かすらむぞ 妹も背も

若き子どもは 彼此に 騒ぎ泣くらむ 玉鉾の 道をた遠み 間使も 遣るよしも無し

思ほしき 言伝て遣らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命惜しけど 

せむすべの たどきを知らに かくしてや 荒し男すらに 嘆き伏せらむ

以下、ひらがなにするので、声に出して読まれよ。

おおきみの まけのまにまに ますらおの こころふりこし あしひきの やまさかこえて あまさかる ひなにくだりき いきだにも いまだやすめず としつきも いくらもあらぬに うつせみの よのひとなれば うちなびき とこにこいふし いたけくし ひにひにまさる たらちねの ははのみことの おおふねの ゆくらゆくらに したこいに いつかもこむと またすらむ こころさびしく はしきよし つまのみことも あけくれば もんによりたち ころもでを おりかえしつつ ゆうされば とこうちはらい ぬばたまの くろかみしきて いつしかと なげかすらむぞ いももせも わかきこどもは をちこちに さわぎなくらむ たまほこの みちをたとほみ まづかひも やるよしもなし おもほしき ことつてやらず こふるにし こころはもえぬ たまきはる いのちおしけど せむすべの たどきをしらに かくしてや あらしをすらに なげきふせらむ

訳す。

大君の任命を受けて、丈夫たる心を振起し、山坂を越え、都を遠く離れた田舎に下り、一休みも、しないうちに、いくらも月日がたたないのに、うつし世の常として、病に冒された。
床に伏して、苦しさが、日増しに募る。
都の母は、離れて住む私のことが、気がかりで、そわそわと落ち着かなく、いつ帰るのかと、待ち焦がれる、その心が、痛ましい。
愛する妻も、夜が明ければ、門に立ち、着物の袖を打ち返し、夕となれば、床を払い清めて、黒髪を敷き、いつになったら、戻るのかと、寂しい思いをしている。
兄も妹も、幼い子らは、あちこちと、騒いだり、泣いたりしているであろう。
道中が遠いので、使いをやる手立てもない。
心に思うことを、伝えることもできず、恋しさに、心が燃えるばかりである。
命は惜しいが、どうしたらよいのか、術も無い。
こんな有様を、丈夫たる者、いつまでも嘆き伏しているのであろうか。

反歌

世の中は 数無きものか 春花の 散りのまがひに 死ぬべき思へば

よのなかは かずなきものか はるはなの ちりのまがいに しぬべきおもへば

世の中というものは、何と、はかないものであろう。春の花、散り行くように、その、散り行く花に、まぎれて死んでゆくのである。

長歌の方は、緊張感が無い。平らである。
反歌の方は、優美で、優雅であり、まさに、古今に向かう。

ここで、矛盾がある。
長歌の、冒頭は、大君の 任のまにまに 丈夫のと、勇ましいが、反歌は、世の無常観を歌うのである。
先の、勇ましさは、どうしたのか。
それが、礼儀であったと、考える。

古人に習い、大君のと、はじまるが、如何せん、衰弱しているのである。

本音と建前という、対立がある。
勇ましい姿が、建前である。無常観が、本音である。

この辺りから、日本人の礼儀作法の元が、出来た。

大君が建前になっている。
儚さが、本音になる。

それが今にも、受け継がれている。
最も、特徴的な時代は、戦争である。

サイパンのバイザイクリフに行き、慰霊をした。
その崖から、海に飛び込んで死んだ。アメリカ軍に追われてである。
その際、人々は、口々に、天皇陛下万歳と叫んだ。
それが、建前である。
そして、心の内で、愛する人の名を呼んだ。それが、本音である。

特攻隊員も、天皇陛下万歳と言う。建前である。
心の内で、かあさんと、叫んで、敵機に体当たりするのである。

これを、礼儀作法という。

建前の、天皇陛下万歳だけを、見て、天皇制打倒の者は、何をか言う。
愚かである。
礼儀作法であるということなど、少しの注意力があれば、解るのである。

今も昔も、天皇とは、象徴である。
国民の、あらゆる感情を受けてきた。
国民の、あらゆる感情を受けるということ、少しの想像力を持って、考えてみるに、想像を絶する、立場であり、責任であり、私のことなど、考えていられないだろう。

私は、やまと心から、天皇を見るに、見事な、立ち居振る舞いである。
日本で、最も、無私になる人である。

天皇は、支配者では無い。どうして、それに気づかないのか。
天皇は、祈りの人である。国民の祈りの人である。

例えば、現天皇を見る。
その存在感を無くしての、行動である。歴代天皇の中でも、最も、存在感の無い振る舞いである。
2667年の歴史の上にある者としての、自覚であろう。

通常、一般の国民が、私を考える時の、先祖といえば、二代、三代前の先祖が、関の山である。しかし、天皇陛下は、2667年の長さを負う。
天皇にならなければ、天皇の心のさまを、想像できないのである。

この天皇に対する思い、明確にしておかなければ、万葉の時代も、理解できない。
そのようである、ということと、自説は、別物である。
傲慢不遜な者は、それを、一緒くたにしてしまう。

カトリック信者である、長崎市長が、天皇の戦争責任を言うが、ローマ法王の、残虐極まりない、支配の実体を言わない。
天皇の戦争責任など、当たり前のことである。

天皇にならなければ、天皇を理解できないのである。

天皇は、すべての日本の責任を負う。だから、スメラミコトである。
統べる、みこと、御言である。
大和言葉を知らない者が、天皇を云々することは、出来ないのである。
知らないからである。
知らないものを、知るかの如くに言うのは、大嘘である。

昭和天皇は、戦争責任を負うゆえに、生き続けなければならないと、考えた。
自害しても、いいのだ。
しかし、国民のために、天皇として、生きなければならないのだ。

天皇は、鏡である。自分の姿を天皇に写す。ゆえに、戦争責任を問い、天皇の存在を憎む。すべて、それ、我の姿である。
天皇の存在が、戦争を引き起こされたと、短絡的に考えるのである。
実に、愚かである。
そして、天皇制打倒と、天皇を憎む。

それは、すべて、我が身の姿である。

すべての責任を誰かのせいにする。実に、簡単で楽である。
天皇が、それを負うとは、実に、切ないものである。

言挙げせずという、日本の伝統を、天皇は、生きる。
ゆえに、多くを言挙げせずに、淡々として、責務を果たす。

敗戦により、天皇が、戦争責任を負い、絞首刑になったら、どうなったのか。
自説ではない。事実を考えよ。
日本は、日本人の大半は、自害し、そして、国は、立ち行かなくなった。
今、別の人種が住む国になっていた。
そんな、簡単なことが、何故、解らないのか。

人間宣言をした天皇は、全国を行幸した。
現人神と言われ、次は、人間であると言えと、言われて、天皇は、ただ従う。
そして、全国を回り、国民を励ます。

どこに、私があるのか。

天皇は、我が国体であるとの、自覚である。
御言を宣べるものであるとの、意識である。

天皇でない者が、天皇を理解出来ないのである。
天皇は、古代の日本の神の上、カミの姿そのままである。
何度も、書いたので省略する。

日本のカミは、人と人を結び、分配する者であること、その役目を負うのである。

建前が、なければ、味噌も糞も一緒の、混乱した国になる。
万葉時代の、大君は、国民の支えであり、柱であり、核であった。

君が代の、君を、天皇として、解釈したのは、明治の数人である。それをもって、君を天皇とした観念に、それを信じて、君が代云々を言う。
愚かである。
天皇は、大君であり、君とは、呼ばない。

ゆえに、君が世は、恋歌であり、自然発生的に、皆が、様々な形で、歌っていた、民謡歌である。
ちなみに、現在の、君が代の、曲調は、薩摩琵琶の曲である。
君が代は、長歌、清元、常磐津、大和楽、小唄、端唄等々、様々な歌で、歌われていた。

大戦の頃に、出来た、一部の者の、思想に、いつまで、捕らわれ、強迫されているのか。
哀れでならない。

余計なことだが、言う。
現天皇のスケジュールは、分単位ではなく、秒単位である。
通常の人間が、秒単位だと、狂う。
狂わずに、いるということ、奇跡である。
天皇にならなければ、天皇を理解出来ないのである。

私は、右翼であろうか。
私は、事実を言うのみ。
事実を言うことで、色分けされるとしたなら、色分けする人間に色が着いているということである。
ゆめゆめ、私を限定することなかれ。私は、無限定の人間である。

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2007年10月09日

もののあわれについて122

天平感宝元年6月1日
家持は、日本で最初の、雨乞いの歌を作る。

天皇の 敷きます国の 天の下 四方の道には 馬の蹄 い尽す極み 船の舳の

い泊つるまでに 古よ 今の現の 万調 奉る長上 作りたる その農業を

雨降らず 日の重なれば 植えし田も 蒔きし畠も 朝毎に 凋み枯れゆく

そを見れば 心を痛み 緑子の 乳乞ふ如く 天の水 仰ぎてぞ待つ あしひきの

山のたをりに この見ゆる 天の白雲 海神の 沖の宮辺に 立ち渡り との曇り合ひて

雨も賜はね

すめらぎの しきますくにの あめのした よものみちには うまのつめ いつくすきわみ ふねのへの いはつるまでに いにしえよ いまのをつつに よろづつき まつるつかさと つくりたる そのなりわいを あめふらず ひのかさなれば うえしたも まきしはたけも あさごとに しぼみかれゆく そをみれば こころをいたみ みどりごの ちちこうごとく あめのみず あおぎてぞまつ あしひきの やまのたをりに このみゆる てめのしらくも わだつみの おきのみやべに たちわたり とのくもりあいて あめもたまはね

農業を生業というところに、注目である。
現在は、米余りであり、減反政策である。
米の消費が落ちて、ますますと、米作りが大変になっている。

端的に言う。
米を食べること、文化である。
米を食べないという、文化に移行したということだ。
さて、では、農業、なりわい、といわれる、日本の米作りを、どうするか。

米を食べる、余裕が無いほどの、生活をしている。世の中だということである。

滅び行くものであれば、いたし方無い。
ただ、稲作を行う、私が尊敬する人々に言う。
農協から、離脱して、自ら、自らの作る米を売ることである。
ベンチャー企業の若手の、意識ある、トップにかけあい、売り込むことである。また、消費者に直接売ることである。
農業という、生業を、今こそ、変容させる時である。

そして、米の文化が、日本の正式国名、豊葦原瑞穂の国であること。穂は、日本の象徴である。
その、穂を持って、他国に出るということもある。
日本の米以上に、美味しい米を作るところは、無い。

日本で米が食べられなくなったのであれば、輸出すること。
勿論、政治家の意識が必要である。

食料自給率が、四割に満たない、この現状を、脅威として、捉える政治家がいないようである。
命は、食べ物によって、成る。
命の教育とは、食べ物の、教育である。

昔、米は、金と同じ価値があった。それは、江戸時代末期まで、続く。
大名を測るに、何万石と、米の量を言う。
しかし、時代は、変わった。変わった時代に、昔の価値を求めても、詮無いこと。

貧しい国を、さらに貧しくして、日本の食糧事情がある。飢えている人を、尻目に、日本は、大量の食糧を輸入し、果ては、捨てる。
いつまで続くのか。
米を食べなくなった。つまり、いつまでも、続かないではないか。
この変化を見れば、当然の帰結である。
稲作は、滅びる。

滅びては、いけないと思う者、その意識のある者、多数を持って、それを打破するべき時である。
農協を捨て、新たな組織を作り、ご飯だけでない、米の理由方法、そして、直接販売等々を考案すべきだ。

米は、どこでも売れるようになった。
これが、ポイントである。
日本の米が、世界を救うこと、誰も気づかないこと、哀れである。

さて、家持は、自分の管理する土地に、水を求めて、歌を作る。そして、それは、叶えられた。言霊の力である。

訳す。
大君、すめらみこと、が、しろしめたまう、天の下。
この国の、残る隈なく、馬の通う限りの陸路から、船の泊まり得る限りの海原から、いにしえより、今日に至るまで、数限りない種々の産物が、貢物として、捧げられてきたが、中でも、大切なものは、農産物、米です。
その農産物が、雨降らないままに、重なり、植えた田も、蒔いた畠朝毎に、枯れてゆくばかりです。
これを見ますと、胸が締め付けられます。
みどり児が、母の乳を求めるように、天つ水が、降り注ぐのを、飢え乾くごとくに、待ち望んでいます。
山のくぼみに見える、白雲。あの白雲が、海原遠く、海の神の沖の宮のあたりまで、一面に広がり、曇りを深くして、雨を降らせてください。

上記の歌、確かに、雨を降らせる言霊である。

祈りの言葉である。

反歌
この見ゆる 雲はびこりて との曇り 雨も降らぬか 心足らひいに
ただ今見える、山の向こうの雲。広がり広がり、雨を降らせよ。心ゆくまで、雨を降らせよ。

その、四日後、雨が降る。

わが欲りし 雨は降り来ぬ かくしあらば 言挙げせずとも 年は栄えむ

わがほりし あめはふりきぬ かくしあらば ことあげせずとも としはさかえむ

年とは、当時の稲のこと。
祝詞では、尊称して、御年とも、呼んだ。

私が願った雨が、降った。
このようにことであれば、言葉にせずとも、今年は、豊年だろう。

言葉にすることを、言挙げすると、いう。
言挙げせずとも、豊年であろうという、確信を得たのである。

自然を恵みと、捉え、また、自然を脅威と、捉えて、自然と、共生、共感する。
これを、唯神、かんながら、と言う。
さらに、これを、神道と、呼ぶ。
加えて、私は言う。
現在の神道は、宗教である。ゆえに、元の神道を、古神道と、呼ぶ。

日本の、唯神の道を、欧米の思想である、神観念で、捉えるなと、言う。
全く、別物である。

あちらは、人霊が、神と、名乗り、傲慢極まりない、規則や作法、そして、契約を結ぶという、愚劣である。

こちらは、自然に、添い、自然に、畏敬しての、宗教的とも言える、行為である。

故に言う。
日本には、宗教は無い。
現在言われる、宗教という名の元に集う者、多数は、邪である。
邪とは、言葉の世界に遊ぶ者である。

それを、観念と言う。

それらは、観念まみれになり、霊界にても、観念まみれで、迷うのである。

キリスト教の恩寵も、仏教の成仏も、観念であり、想像の産物である。
自己暗示によって成る、救いという観念に、埋没する様、ただ、ただ、哀れである。
もののあわれ、ではない。
単に、哀れである。

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2007年10月10日

もののあわれについて124

世の中の常無きを悲しむ歌

天地の 遠き始めよ 世の中は 常無きものと 語り継ぎ ながらへ来れ 天の原

ふり放け見れば 照る月も 充ち欠けしけり あしひきの 山の木末も 春されば

花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて 風交り 黄葉散りけり うつせみも 

かくのみならし 紅の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変り 朝の咲 暮変らひ

吹く風の 留らぬ如く 常も無く 移らふ見れば 行寮 流るる涙 止みかねつも

天地が始まってから、世の中というものは、無常なものであると、語り継いできた。
大空を仰げば、照る月にも、満ち欠けがある。
山の木々の梢も、春には花咲き匂うが、秋になれば、露や霜に打たれて、ひからび、風の吹くままに、散ってゆく。
うつせみの人も、そうである。
青春の紅顔も、いつしか褪せて、ぬばたまの黒髪も、白髪と変じてゆく。
朝の笑顔も、夕には憂いに沈む。
吹く風の見えない如く、逝く水の帰らぬ如く、無常に映り逝く様を見るにつけ、溢れる涙を抑えることが、できない。

朝の咲
あさのえみ
咲くを、笑みと、読ませる。
これは、その時に出来た表現ではない。
縄文期から、人は、笑むことを、咲くことと、同じように、捉えていたのである。

花が咲く。花が笑むのである。
この感性は、如何ともし難いのである。

民族の優劣を言うのではない。
違いを言うのである。
花の咲くのを、笑みとして、捉えた民族がいるだろうか。

言葉に対する感性も、違うということである。

風情に遊ぶ心を、他の民族は、考えられないのである。

風情は、もののあわれ、から、起こる。

さて、上記の歌である。

取ってつけたような、表現である。
憶良の歌を思い出す。

ここで、歴史的背景を持って、分析することであるが、それをしていると、膨大な紙面を使う。
そこで、象徴的なことだけを、言う。

天平宝勝三年。家持、33歳の時の歌である。
越中に来て、四年目であり、妻も、呼び寄せて、安定した暮らしをしている。

この頃、聖武天皇、東大寺に、大仏建造を遂行している。
国家事業としての、対応である。
天平17年着工である。
天平21年に、陸奥国小田郡、みちのくのくに おだこほりにて、黄金が出た。
大仏が、完成に近づき、総仕上げの、金を塗る、その黄金が、不足していた。
家持も、それを聞き、金が出たことに対する、天皇の宣命に対する、寿ぎの歌を歌っている。

仏教は、当時の官僚の最低限の、教養であった。
時の天皇が、仏教に帰依するのである、当然、下々は、それに従う。

ここで、聖武天皇の、大仏建造に、様々な、意見と、見解があるが、私は、それらの説を取らない。

社会主義系の学者は、それによる、民衆の苦難云々という、お決まりの、民衆抑圧の政治の様を言う。社会主義の国で、国民を圧制しなかった国は、あるのかと、問いたいが、詮無いこと。

そして、神道系の学者は、天皇の仏教傾倒を、批判しつつ、大仏建造を否定する。

仏教系は、大乗の精神、日本にて、完成するという。

様々な、立場から云々するが、心に響かない。

冷静に、事実だけを、見る。
聖武天皇は、その大仏建造の有様を、宣命して、伊勢神宮から、諸神諸仏、諸王諸臣から、男子、女子、老齢者、困窮者、あらゆる人々に、特別処置を取った。
さらに、大恩赦を行う。

これは一体、どういうことか。

宣命を見る。
かけまくも畏き遠我皇御世御世の天皇の御霊たちを拝み仕え奉り、衆人をいざない率いて仕え奉る心は、禍息みて善く成り、危うき変わりて平がむと念ほし仕える奉る間に・・・

三宝の勝れて神やしき大御言の験を蒙り、天に坐す神地に坐す神の相うなづない奉り、ききはへ奉り、また、天皇の御霊たちの恵み賜ひ撫で賜ふ事に拠りて、顕し示し給ふ物ならしと念ほし召せば・・・

仕え奉り、という言葉が多い。
三宝の勝れて神やしきく大御言の験を蒙り
さんぽうのすぐれて あやしきおおみことの しるしをかがふり

三宝とは、仏法僧のことである。
それらの、勝れて、神やしき、あやしき、おおみことの、しるしを、頂くという。
神やしきを、あやしきと、読ませる。

神仏混合という、言い方を、続けて、今まできた。

神と、仏と、対立させているのである。

神仏は、日本にて、融合しているのである。

仏教という観念が、輸入された。事実である。
それを、受け入れた日本は、仏教を、神と共に、仕え奉るのである。
つまり、仏は、神であり、神は仏であり、混合するのではない。融合するものである。

仏陀の最大の教えは、あわれみと、いつくしみである。
それを、総称して、慈悲という。

慈悲の思想は、日本古来のものである。
それを、仏陀は、言挙げ、つまり、言うのである。
日本は、言挙げせずであるから、言挙げする、仏教を善しとしたのである。

元から、無いものを、どうして、理解出来るのか。
無いものを、理解せよと言っても、理解する、何物も無いのである。

大乗仏典という、滓のような言葉の世界から、仏陀の慈悲の思想を、看破して、それ、我らが心にあるものであると、即座に取り入れたのである。

仏典を、探り、仏陀の真の教えを、見抜いて、取り出したのである。

だから、聖武天皇の、宣命には、仕え奉るという言葉が多い。

仏陀は、私の霊学から見れば、大和の民と、その族を共にする。
日本に、戻り来た民族と、その地に留まった民族である。
つまり、同じ民族である。

およそ、一万年前のことである。
日本の富士王朝の前身は、9050年前に、大陸にて、王朝を築いていた。
そして、里帰りで、一部の者が、大陸から切り離された、列島を目指す。

仏陀の思想を、仏というが、仏陀は、太陽信仰の民の、末裔である。
混乱極まりない、バラモンの蔓延る地に、人の救いの道として、人は、平等であると、高らかに、宣言したのである。

インドの歴史を調べてみることである。
西から来た、野蛮な人種が、インドに、自分たちの都合のよい、差別を持ち込んだ。
それが、今も存続する、カースト制を善しとする、バラモン教、そして、それを受け継ぐ、ヒンドゥー教である。

同じ血の者が、仏を創作しての、太陽信仰の元を伝えた。
それが、慈悲の思想である。

当然、日本人が、有する情感である。

何も、特別なことは無い。
神道系の者、天皇の仏教への、帰依を好まないとは、知らないからである。
知らないものは、無いのであるから、言うことも無い。

さらに、大乗仏教の完成であるという者。誤りである。
大乗仏教が、日本で完成するということは、魔界の完成ということで、有り得ない。

一部の者のみ、大乗の迷いを受け継いでいるのみで、すべての、日本人は、受け継がない。

その証拠は、これから、大乗仏教の教団、教派、宗派は、壊滅する。つまり、日本仏教団のことである。

そして、社会主義系の、分析である。
彼らは、分析をよくするが、それのみで終わる。
いつも、民衆は、圧政に苦しむと、分析しているのが、関の山である。
社会主義が、人間を幸せにすること、皆無である。
歴史を見れば、解る。

万葉の人の、幸福感を見れば、幸福の基本が解る。
それは、縄文期から、カミという、集団のオサを、戴くことである。
その、オサを、主にして、生活の核心がある。

手、タを結ぶものとしての、カミという、指導者を、戴いて、厳しい自然界で生きる。指導者がいなければ、全滅する。
皆で、まとまらなければ、生きられない。故に、大君を戴く。

大君に、帰依することで、国を、成り立たせるのである。

国とは、コクとは漢語であり、くに、と読めば、大和言葉である。

くウにイ
ウ音は、呼ぶ音霊であり、イ音は、受け入れる、そして、人間の意味である。
国を作る者は、互いに、呼び合う関係であり、受け入れる。そして、集団が出来る。
その集団は、人間の集団であり、霊の存在である。

その集団が、発展し、国は、国家という、国の家となり、多くの人は、共同幻想を抱く。
その、共同幻想の大元に、大君を置いて、ようやく、国家意識と、国体意識が、出来る。

大君は、国家共同幻想の、核となり、それは、大変な責務を負う。

天皇制は、2667年を経る。
これ程に、続いたエンペラーの歴史は無い。
更に、万世一系である。

私は言う。
天皇制が、崩壊しても、どうとも思わない。
しかし、日本の伝統が、崩壊してもいいと、思えばの話である。
天皇制が無くても、国として、十分にやってゆけるのである。

現状の教育を見ていれば、次の世代で、天皇制は、崩壊する。
現、皇太子が、最後の天皇となろう。

私は、実に、凄い歴史の中に、生まれたと思う。

現在の皇室は、本当に気の毒である。
秒単位での、ストレスを受ける。
神として、仰がれた時期のみ、余裕があった。
今は、ただ、気の毒である。

あまりに、気の毒であり、天皇制を廃止しても、よいと思う。
あらゆる価値観に、晒されて、しかし、何一つ、ご自分のお考えを言うことが出来ないのである。

国民は、自由と、平等と、博愛などと、言うが、天皇は、何も無い。
ただ、無心に、無私にして、政務を行うのみ。
国民は、自由と、権利を謳歌するが、天皇は、自由も、権利さえも無いのである。

懐かしいであろう。天皇が、大君と仰がれて、国民が、赤子として、大君に仕えていた頃を。
大君は、国民を思い、国民は、大君を思う。

悪魔の思想、共産、社会主義が、入り、勿論、高天原霊界ではない、別次元の霊界関与の者である、が、入り、人心を錯乱させて、あたかも、正義のように、振舞ったのである。

根本から違うことを知らずに、何をか言う。

私の霊学からは、皆々、別霊界の魂を持つ者である。
さらに言う。
地球以外の惑星から、転生した者である。者というか、物である。

解りやすく言う。
化け物である。


posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれ第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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