2007年02月26日

万葉の時代を探る

万葉の時代を探る。
まず初期万葉は、舒明天皇から始まる。629年。
淳仁天皇の天平宝字三年。759年。130年間にわたるのである。
私は、学者ではないから、それを初期、中期、後期と区分けることはしないが、初期から伺える、大和言葉の生命力、宇宙的存在の讃歌から、次第に個人的な感覚へと移行してゆく。後期になると、古今集に近くなりつつあり、それは、またそれで意味が深いものになってゆく。
私は、歌風などを分析はしない。
大和言葉の、もののあわれを尋ねてゆく。

万葉の世界の生みの親ともいえる、舒明天皇御製から見る。
「大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ 大和の国は」
天皇(すめらみこと)香具山に登りて望国(くにみ)したまいし時の御製歌(おほみうた)

天皇は、てんのうと読めば、漢語である。大和言葉では、すめらみこと、である。
すめら、とは、統べる、統治する。命は、ミコト、御言である。
多くの人、今までは、政治を統べるを持って、天皇と言うが、私は違う。
また、政、まつりごと、つまり、政治と、祭り、奉るを司る人というもの。しかし私には、違う。
私は、御言、みことを、統べる人と言う。
天皇の宣言を、詔(みことのり)という。御言を述べるということである。
天皇は、私には、最初に御言を発する者であるという意識である。
天皇に対する、考え方が、まず違うということを言う。
何度も書いたが、大和言葉は、言霊、音霊、数霊の言葉であるということ。一音に意味があるということ。それを使用する者は、大和、日本人であるということ。国とは、国土のことのみではない。国とは、意識である。国体という意識であり、それは、国民である。その国民の代表者としての、天皇の存在がある。天皇は、人間を超越したところの、神なる存在ではない。もし、神というならば、それは全く論外のことである。
神という存在は、この世に、この宇宙に存在しないからである。
神、ミコトとは、尊称である。これを理解してもらわなければ、私の、もののあわれを、理解できない。
国体の代表者である、天皇の御言が、初めにあると考える。
その御言は、誰に向けられるか。それは、祖先である。そしてまた、その祖先の代表者が、天照大神である。
何をいいたいのかといえば、日本でいうところの、宗教や信仰とは、この祖先と、子孫の通じ合いであるからだ。
超越した絶対者など、日本には、いない。大和言葉を理解したいのならば、それを知ることである。

そうして語り続けられてきたものこそ、真実である。そこには、想像も、妄想も無い。在ることしかない。
言葉を古来、言の葉と言った。言の葉のようなものである。葉とは、木の葉の、葉である。
一つの樹は、多くの葉をつけて成長する。それらの考え方、すべが自然からの学びであることを言う。
日本に精霊信仰が、云々という、言い方を私は好まない。
言葉までを、神として尊称する民族である。当然、自然も、神として尊称するのである。
それを、八百万の神、千代万の神と言う。

先を続ける。
大和の国には、たくさんの山があるが、非のうちどころのない、円満具足の天の香具山に登り、国見をするために眺めると、ここかしこに煙が立ち、様々な池には、カモメが、しきりに飛んでいる。何という、美しい平和な国であろうか、この秋津島、大和の国は。

万葉の歌は、目で読むのではなく、声に出して読むものである。
その訳を言う。
当時は、文字が無かった。これは、簡単に言う。要するに、言葉は話し言葉である。文字という意識は、中国からの書物による。
これを短絡的に考えて、文字が無かった、すなわち、文化が遅れていたと考えてはいけない。文字にする必要が無いほどの、記憶力があった。
また私は、文字があったと考えている。しかし、当時、中国の文字を利用するという考え方が出た。それは、ある種の策略である。それを今は、言わない。
学術的には、文字が無かったということである。今は、それに従う。
さて、当時の人々は、文字に頼らずに、耳に頼った。記憶である。口から耳へである。語り継がれ、聞き継がれていた。これは、口から出る言葉の「響き」に、重大な意味があるということである。
ある研究家が言う。
「口から発せられる言葉の響きに対する人々の感覚は、おのづからに、極度に鋭敏化され、純化されていたに相違ない。言霊信仰が生まれる理由の一つもここにある。」

言葉は誤魔化すことが出来ても、響きを誤魔化すことは出来ない。
言葉を大切にするということは、実は、言葉の響きを大切にせよと、同じである。言葉の響きの濁りは、人格の濁りになる。
ただ今は、言葉の響きの重要性を教える人がいない時代である。喋る人はいるが、語る人が、極端に少ない時代である。
日本は、話芸の国である。語りを芸として、高める国柄である。書き言葉よりも、話し言葉に言葉の妙がある。これについて書けば、長くなるので、止める。



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2007年03月01日

万葉集の表記は、漢字でなされた

万葉集の表記は、漢字でなされた。文字は、言葉があって始めて成り立つ。その逆は、あり得ない。
音を漢字の文字に当てはめて書き残したのである。
そこで、一つ言うが、あくまでも、漢字は、借り物だったということである。
後に、歴史家といわれる者たちが、漢字の解釈によって、歴史を解釈したことは、実に愚かなことであり、実際は、何も知らなかったと言える。
漢字の解釈の前に、大和言葉の解釈を持ってしなければ、事の真相は、解らないのである。
例えば、いつも言うが、大和心をだいわしんと読めば、漢語になり、意味が解らない。大和魂についても、やまとだましいと読めば、漢語である。大和言葉で、おおいなる、やわらぎの、こころ。おおいなる、やわらぎのたまと読めば、意味がよく解るのである。

また、人の死に関しても、死と言う言葉は、漢語であり、死の意味も、それによって、確定された意味になった。
極端な言い方をすれば、死という意識はなかったと言う。
漢語の死という文字の意味を、大和人は、持たなかったと言う。
死は、隠れるという意識だった。それが、言さえぐ、仏教思想により、死という断絶した意識を持つようになったと言う。
私にしてみれば、余計なお世話だったのだ。
それにより、死に対する感覚が、実に悲しい切ない、そして余計な思想である無常などというものに、支配されるようになる。
この無常観は、いずれ、無常感覚になり、無常哀れ感になり、最後に無常美感を作ることになるのである。情緒の遊びといってしまうことが出来る。ただし、それにより、文芸などに高めたことは、日本人らしい。

仮名を大和言葉として、漢字を真名と呼んだところなど、時の為政者、厩戸皇子に象徴される者は、何を考えていたのか、不思議である。聖徳太子と言われる者のことである。
律令政治を起こしたかったことは、理解できるが、何故、漢字を取り入れて日本の文字としようとしたのか、不明である。
しかし、万葉集からは、万葉仮名が生まれ、片仮名が生まれ、そして平仮名が生まれる。というより、元からあったものが復活するのである。

私は、母音に大和言葉の骨頂があるという。だが、母音があるということは、父音があるということであり、そこから、子音が生まれるということである。
学者は、母音のみに捕らわれて、父音のあることを知らず、そこから子音が生まれたことを知らない。
読者は、初めて、父音という言葉を聞くであろう。
このことについては、いずれ書く。

実は、心という言葉も漢語である。
漢語の心は、心臓のことである。ちなみに、西洋ならば、頭脳のことを言うのであろう。
それでは、大和言葉としては、心は、何か。
私は、霊学から、心の在り処は、胸の辺りにあると言う。体から離れて在るものである。頭脳の意識とは別にする意識である。
大和言葉の心とは、何か。

手の平のことである。手の平を、たなこごろと言う。心は、手の平に在るのである。
日本の伝統文化は、手の置き所を実に大切にする。それは、心が現れるところだからだ。
舞踊、茶の湯、等々、所作は、手のあり処によって成る。
掌とは、たなこごろ、と読む。大和言葉である。
心には、たな、が、つくのである。
たアなアである。矢張り、ア音がさきにくる。
たな掌、つまり、たなごころ、つまり、手の有り様が、心の在り処である。
軍隊の気お付けは、思考停止の状態を言う。それは、手の置き所によって成る。
心は、気の置き所なのである。
最初、人は、手に心の、気の、置き所を作る。
手は、人の気を現すのである。

大和言葉を考えるというのは、そういうことである。
漢字の解釈によって成る解釈は、全く検討違いのことがあるということを知るべきである。
これについては、追々と書いてゆくことにする。
漢字は、あくまでも外来語である。
勿論、現代は、中国よりも、漢字の文化を取り入れ、咀嚼して、中国よりも漢字を有効に使用していることは、疑いない真実である。中国は、自国の漢字の文化までも放棄している。哀れである。

心というものは、息遣いであると、以前書いた。
加えて、心の様は、手のありように有ると言う。
心の教育は、そういうことである。
漠然と心を言う人々に私は言う。知らないことを、知っているように言うなと。
心も精神も、魂も、一緒くたにして考える人は、何も知らないといえる。
一音に意味がある大和言葉を知ること、急務である。

心を芸に高めた世阿弥がいる。
花伝書に
「花は心、種は技なるべし」と言う。
心を花として舞台に乗せる。その種は、技であると言う。
心という花を咲かせるためには、業が必要であるという。これ、心の教育を言う。
つまり、能という所作は、種である技を身に付けなければ、成らないということである。
簡単に言う。
心を込めた料理でも、不味いものは、不味い。心を込めるのであれば、旨い料理を作る訓練をしなければならないということである。
心を込めるということは、念力のようなものではない。しっかりとした訓練があって成り立つ。つまり、そういう訓練を教育という。そしてそれは、別名、強制である。
強制という言葉に抵抗を感じるのは、押し付けられるという感覚を持つのであろうが、違う。自ら、それを求めて、つまり、強制される場を求める、それが、習うということである。
学問を、大和言葉で言えば、ものならう、という。ガクモンと漢語で読んで解釈するから、解らない。ものならう、といえば、よく解るのである。
習うということは、従うということである。
型を教わり、自分の形を作ってゆく、それが学問である。

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2007年03月11日

もののあわれ20

わたつみの 豊旗雲(とよはたくも)に 入日さし 今夜の月夜(こよいのつくよ) あきらけくこそ  天智天皇御製

海上遥かな大空に、大きな豊かな雲が旗のようにたなびている。その雲に、赤々と夕日が射している。今夜は、きっと月が美しいことであろう。
わたつみ、とは、わだのはら、と同じで、海のことである。海神と今は、書く。海の神とは、海に神が在るという意識だ。つ、とは、遠つ御祖(みおや)というのように、畏敬の、つ、である。み、は御で、神の、みである。わたつみ、とは、大海原といってよい。
豊、とは、豊かであるということ。豊葦原、とよあしはらの、と、である。旗をなびかせているような雲を美称する。ただし、美称といっても、単なる美称ではない。自然に対する尊称でもある。霊妙な自然の働きを神と観る。これが、列島の民族の自然観であった。

月夜は、夜に添えた言葉、月夜を意味する以上に、煌々と照りわたる月の光を言う。
あきらけくこそ、とは、明らかに輝く、である。
すみあかくこそ、さやけしとこそ、さやけくもこそ、きよらけくこそ、さやけかりこそ、等の言葉かある。
最も、日本人が好む言葉であろう。
こそ、とは、そうであれ、そうであろう、という。
あきらけく、実に、人の心の有様を言う。心は、明らかに輝いていなければならない。
清く、明き、直き心とは、古神道の奥義である。
きよらけく、あきらけく、なおけく、とは、心の在り様である。

次の、御歌は、長歌の反歌である。
大和三山を歌われた反歌である。

中大兄 近江宮御宇天皇 三山歌 なかちおひね あふみのみやに あめのしたしらしめし すめらみこと みつのやまのうた
香具山は 畝傍雄々しと 耳梨と 相諍ひき(あいあらそいき) 神代より かくなるらし 古へも 然かなれこそ 現身も(うつせみも) 嬬(つま)を 争ふらしき

香具山が畝傍山が勇ましく悠々としていると、耳成山と相争ったという。神代の頃から、このような争いがあったことである。昔からそうであれば、今の世の人も争うのであろう。
嬬とは、配偶者を言う。妻の場合も夫の場合もある。
詩人や学者の解説を私は取らない。これは、天智天皇と、天武天皇との、額田王の関係を云々するが、それは浅はかであり、物知らぬ者が言う。
私は、大化の改新を断行した、中大兄皇子の人柄、性格を観る。これは、省略する。

反歌の方を、読む。
万葉の歌は、何事もない自然を読むものが多い。実に大らかである。しかし、その大らかさにある、自然畏敬と、自然共感は、言葉に絶するものがある。
ある研究家は、この歌を、万葉集第一の歌、最高傑作だという。
人と自然との心的交流は、確かに絶大なものがある。このようにして、自然を捉えていた。また、自然も、ありのままにあった。自然がありのままとは、自然破壊がないということである。
人の生命感と自然の生命感との響きを感じる。対立はない。互いに融合して、結び合うのである。これこそ、縄文期以前から培われてきた列島の民族の、感受性であり、感性であろう。
すべてを、自然から学んだのである。そして、その自然に畏敬の念を持って、神と尊称して臨んだのである。
自然崇拝、これこそ、自然であり、それと同体になることが理想だったのである。つまり、自然と同化することが、神への道であった。唯神、かんながらの道とは、自然との合一である。
万葉集における心は、それに尽きる。

人の死も、自然に同化してゆく、ゆえに、隠れる存在になったのである。また、人の死は、自然に抱かれることなのであり、無くなったことではない。この延長に、祖先崇拝がある。祖先と自然は、同体であり、生きている人間も、自然と同体になるのであるから、死者とも、共にあるということになる。
日本人の死生観は、ここに尽きる。
もののあわれを語る時、この基本を忘れてはならない。
存在するもの、すべては自然の内にあり、何物も、自然の外にはない。それが、もののあわれの、もの、である。あわれは、人間の心的状態を言う。
この、あわれを観るべく、万葉集を進む。

万葉集巻七、作者不明の歌。
大海の 島もあらなくに 海原の たゆたう波に 立てる白雲
大海の 水底とよみ 立つ浪の 寄らんと思へる 磯の清けさ
海原の 道遠みかも 月読の 明すくなき 夜はくだちつつ

どうであろうか、この天真さを。自然の生命感と一体になり、何の揺るぎも無い。
精霊信仰などという、小賢しい考え方などない。
渾然一体の自然との共感である。
あわれの姿、ここにあり。

夜は、くだちつつ、とある。
この意味が知りたければ、調べるとよい。
読書家という者どもは、すべて解説されるのを、求める。
実に、見苦しい。
本を読めば、すべが理解できると思う、根性が、私は、気に入らない。
本を読めと言うが、考えろとは言わない。
本を読むだけでは、詮無いことである。本だけを読む者は、行為しない。それで、何事かを解ったつもりになる。愚かである。哀れである。もののあわれの哀れと違う。
文献主義の学者の様を見れば解る。何も、知らないと、一緒である。
知らないことを、本を読んで知るという。それも誤りである。知るとは、霊感を持って望むことである。霊感の無い学問は、無学問と言う。
霊感の無い学問、学者は、無用である。

私の霊感は、いつも戦っている。妄想とである。
これが理解出来れば、幸いである。

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2007年03月13日

もののあわれ21

こうして、もののあわれについて書こうとして、ただ今、万葉の旅をしている。
ここで、少し休憩して言う。
日本とは、日本人とは、誰か、何かということである。
多くの学者、識者等々が語る、日本について、日本人についての、大方が誤っている。
それは、平安期以降からの日本を日本人を観るからである。

今年は、神武天皇建国から、2667年に当たる。世界で、最も古く伝統ある歴史を有する国であることを、どれほどの日本人が知っているか。
私が尊敬する、タイのプミポン王は、ラーマ王朝の末裔である。それさえも、1782年に王位に就いた。ただ今は、九世である。
天皇家として、2667年も続くというのは、どう考えても、凄いことである。というより、奇跡的と言ってよい。日本は島国ゆえだということでの話ではない。
いくらでも、王朝が変わってもよかったのである。
天皇家が滅びて、蘇我王朝になっていても、おかしくない。
また、平家王朝、源氏王朝、北条王朝、足利王朝、豊臣王朝、徳川王朝である。しかし、武力で成ったものは、結局滅びた。何故、天皇家が残ったのか、それが重大なテーマである。そして、今に至るまで、天皇家は、存続している。
そこを、よくよく考えてみる価値は、大いにある。好き、嫌い、観念等々を抜きにして、今、考えるべき時である。

世界に禅を広めた、鈴木大拙という学者がいる。彼でさえ、日本の精神が生まれたのは、鎌倉時代からであるという。つまり、日本語の漢字かな混じり文が完成したということなのであろう。
確かに、鎌倉時代は、文芸の全盛期だった。しかし、精神が生まれたというのは、実に、傲慢である。仏教が、日本流になったということも言うのであろうが、基本的に、日本の歴史を知らないといえる。
飛鳥、奈良時代を検証しなければ、日本の歴史は解らない。そして、兎に角、大化の改新を理解できなければ、歴史は、日本は、日本人というものは、観えないのである。

仏教の言葉の世界が、純粋日本人の精神を狂わせ、心を曇らせたことは、否めない。
今に至るまで、和歌が、大和言葉で書かれ、それを誰もが読むことが出来るということは、世界に日本でしかみられないのである。
古文とは、他国にもある。古英文などは、特別の人でしか理解し得ない。しかし、和歌は、誰もが理解できる。少しの手引きがあれば、万葉集は、小学生から理解できる。こんな言葉の世界は、日本にしかない。
古事記、日本書紀ともども、和歌の段になると、漢語にならず、大和言葉になる。不思議である。つまり、和歌は、漢語にも翻訳できないものだった。
大和言葉は、それのみでなければ理解できないのである。
そして、それを理解できる者は、日本人なのである。それも、差別なく、老若男女問わずである。こういう文化的平等こそ、平等であるということが出来る。
和歌の前には、貴賎の差は無い。

大化の改新が重要なのは、豪族の手に、大和が支配されるという、恐ろしい支配の魔の手が始まるのを、防いだということである。もし、万が一、豪族が大和を支配するようになれば、日本は、このような歴史にならず、大陸のような、いつも、支配者が変わる動乱を生きなければならなかった。
あの戦国時代といわれる時さえ、人々は、戦に翻弄され、疲労し切ったのである。
大化の改新と、明治維新を見て、太平洋戦争の前後を眺めて、天皇家が存在したことが、日本と、日本人にとって、どれ程幸いしたかである。
勿論、左翼の思考のみしか持たない者は、全くそれを理解できないでいる。いつも、戦いや、騒動を好むのであり、国民の幸せ、安定などを考える者達ではない。
社会主義や、共産主義を見れば、よく解る。ナチスのユダヤ人虐殺を言うが、共産主義の大量虐殺を誰も言わない。今でさえ、北朝鮮は、その思想により、多くの民の命を物のように扱う。共産主義の極みである。ベトナム、カンボジアの話を持ち出すまでもない。

追伸。
天皇家とは、日本人の本家である。
日本列島上空に広がる、タカアマハラ霊界を有し、世界で唯一、高い神霊の有する国である。何も私は、差別を言うのではない。事実を言うのである。
ちなみに、ギリシャ神話の神々を見ると、化け物のオンパレードである。あれは、地球外から来た者が、どのような姿になろうかと、迷っていることを言う。
一々、例を上げないでおく。
西洋人は、アメーバーから進化したという如く、そうなのであろう。
しかし、日本人は、天孫降臨した民族の末裔である。
いずれ証明されるので、ここで止める。
日本の祖先、高祖皇宗は、天照大神と言われる。天皇家、日本人の祖先である。
日本で神と呼ぶ場合は、尊称であり、欧米の言う、神という観念は無い。それと一緒くたにして考えた、宗教学なる馬鹿な学者の罪は思い。
日本には、唯一絶対、超越したような神は、いない。
日本の神々は、皆、実在した方々が、霊界に上昇されたのである。
日本人が神という場合は、祖先のことである。
仏教が入ってきて、先祖崇拝が始まったと思っては困る。仏教には、元から先祖崇拝などない。仏教という団体は、役立たずの集団である。今も、そうであろう。
日本人が一番嫌う、「言挙げ」を好み、理屈を言わせれば天下一品である。大乗仏教になると、支離滅裂である。妄想も、あすこまで行くと、お手上げである。
インドという土地が、魔界支配であることは、明々白日である。
仏陀は、タカアマハラ霊界から、インドにて、あわれの思想、慈悲の思想を伝えるべく、転生したが、結局、根絶やしにされて、今では、皆々、バラモンから出たヒンドゥーに、そして仏教が伝来された土地は、イスラムに叩きのめされたのである。
魔物の力、恐れるべしである。

ちなみに、私がタイを好むのは、国教として仏教があるからだ。勿論、すべてを容認する訳ではない。

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2007年03月14日

もののあわれ17

斉明天皇御製
今城(いまき)なる 小山(をむれ)が上に 雲だにも 著(しる)くし立たば 何か嘆かむ
孫である、建王(たけるのおほきみ)が八歳でなくなられた説きに歌われた挽歌である。
挽歌とは、何か。
人の死を歌ったものである。
万葉初期の挽歌を読めば、当時の死に対する考え方が探れる。
それは、それ以前の人の死に対する考え方であるといえる。
今城の小高い丘陵に、たなびく雲、はっきりと立ち上って欲しい。その雲を愛しい孫の形見と思い、心を慰めて、悲しみを忘れようぞ。

死は、身を隠したものである。これに尽きる。
消滅したという観念はない。現世から、身を隠したのである。現身(うつしみ)から、隠身(かくりみ)であった。
死が、無常感と感じるようになるのは、仏教の浸透以降である。つまり、平安時代以降である。
万葉期では、「天雲の五百重(いほへ)が下に隠り給いぬ」「雲隠ります」「隠(こも)りにけらし」「磐隠ります」「隠らばともに」などと言う。
隠れるのである。死は、隠れた状態であり、消滅したものではない。これが、万葉の死生観である。

霊学から言う。
死生観と言えば、一つの物の見方ということになるが、隠れるという表現は、全く真実である。
その身を隠したのであり、無くなってはいない。亡くなっても、無くなってはいないのである。
万葉初期は、それ以前の日本人の死を見詰た目である。その目は、確かである。
それを自然から学んだ。自然の有り様から学んだ。花の芽が出て、花を咲かせて、そして萎んで散る。また、次の年には、芽が出て、花を咲かせる。その自然の理の中に、人の死を観たのである。
人は死んで、その身を自然の中に隠すのである。つまり、自然と同化するのである。
自然と同化することをもって、人は死後に逝くべき世界のあることを知っていた。
霊学では、次元移動という。次元については、省略する。この世の言葉で、あの世のことは、語りない。語れば、無理がでて嘘になる。
見て来たようなウソを言わなければならない。

まだ、言さえぐ、思想に犯されていない時期の、日本人は、そのものを、そのままに観ていたのである。死体は、土に成ってゆくということである。肉体は、土に、そしてその思いは、立ち上り行くと。思いとは、人の思いであり、死者の思いである。思いを霊と呼んでもいい。思いは、消滅しない。
土に戻ることを隠れたと言い、思いを立ち上ると観たゆえに、雲に託した。霧に託した。それらは、突然現れ、そして消える。しかし、またいつしか現れ、消える。
人の思いも、そのようであると観た。信じたのではない。観たのである。
純粋素朴に、虚心胆管に観れば、そのように観えるのである。
あるがままに、とも言う。
この、あるがまま、を忘れたのが、時代の進化であろうか。

人は死んでも、死なない存在であることを、知っていたのである。
千の風という英詩を、意訳した歌詞が歌われて、感動を誘うというが、何故、万葉集の挽歌を知らないのかと言う。
私は、お墓にはいない。とは、万葉人が観たことである。ただし、ここが驚きである。
稜を造り、喪に伏したのである。人の死を、伏したということである。死んで消滅したならば、何もせずともよいが、喪に伏すということは、どういうことなのか。
ここに、人生の秘密がある。
生死を断絶させない。
簡単に言う。古代人は、生死を行き来したのである。
仏教伝来以前から、死者を奉る所作があった。そして、死者を呼び、共に食し、共に過ごした。それが、神呼びとなった。
神道での、魂鎮め、魂振りなど、それは死者に対する所作から始まったのである。
神霊を云々という話は、後の後である。
まず、死者との対話から始まったものである。それが、後に、己を修行させるものへと変化する。そんなことをしなくても、古代人は、清らかであり、今の言葉で言えば、神に近い思いを持っていた。
例えば、現代人の知能が少々発達したところで、彼らと差があるかといえば、彼らの方が、別なところでは、現代人の比ではない。
そんな瑣末なことは、どうでもいい。
それよりも、彼らが観ていたものの、観たものである。

死を絶望としては理解しなかった。虚無も無い。
死は、姿を変えたものだった。だから、お隠れになるのである。お隠れになっただけで、思いは溢れるほどにある。
清く、直き、明き心である。その目で観るのである。
柿本人麻呂の歌。
隠口(こもりく)の 泊瀬の山の 山の際(ま)に いさよふ雲は 妹にかもあらむ
あの娘が雲と化してたゆたふている。
化身するのである。死者は、自然の何かに化身して、その存在を示すのである。これ、信じることではなく、そうなのである古代の人は。

神代からという言い方を多く、古の歌人はする。
神代とは、古い昔の時代のことである。それは、今に続けているのである。
神代が、この世と隔絶された世界ではない。人は死んで、この世の続きの神代に隠れたのである。神代は、祖先のいる場所である。
この世と、対立した世界ではない。今は、神代である。今も、神代である。そのようにして、死を捕らえていた。そして、それは正しい。

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2007年03月20日

もののあわれ28

額田王 近江の天皇を偲びまつりて作れる歌一首
君待つと わが恋ひ居れば わが宿の 簾うごかし 秋の風吹く
きみまつと わがこいおれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく

あなたを恋しく待っていると、簾がかすかに動き、ああ、あなたがやって来たのかと思いきや、秋の風が吹いているだけです。
有名な歌の一つである。
この相手は、天智天皇である。額田は、天智の後宮である。正妻ではない。当時の婚姻の様を考えると、現代の考え方では理解できない関係がある。正妻という言い方も、少し違うのである。側室を持つとは、戦国時代、徳川時代まで続く。
これを野蛮な風習と考えてはならない。一夫多妻は、子孫繁栄、子孫維持のために取られた風習である。当時は、生まれても多く死ぬことがあり、子孫を維持するというのは、今より、もっと大変なことだった。

簾動かし秋の風吹く。
簾が動いた、あなたが来た、しかし、それは秋の風であった。
何と言うことも無い情景である。しかし、ここに、あわれがある。
風情である。恋心にある情の有り様から、もののあわれを観た、大和の民の象徴的な歌である。
恋する心が、寸文の隙もなく、充満している。その充満した気持ちに応えるかのように、秋風が簾を動かし、それに心が動く。この微妙繊細な心情に、あわれがある。
心の細やかさである。

この歌に和したものと思われる、額田の姉である、鏡王女の歌をみる。
風をだに 恋ふるはともし 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ

風の訪れさえも、あなたではないかと思う。そう思えるのも、今現代、お相手がいらっしゃる喜び。羨ましいと歌う。
鏡王女の夫は、中臣鎌足である。鎌足を失った後の歌である。
風をだに、とは、風をもあなたの気配と感じる、その恋しい人をという意味である。
つまり、恋ふるはともしである。
風をそのように思えるあなたが、羨ましい。決して来ぬ人を待つのではないから。
来る人を待てるのは、幸せなことである。しかし、私には、そういう人は、今はいないのである。
来むとし待たば 何か嘆かむ、とは、詠嘆であろうが、充実した心情がある。それ、風情である。あわれである。

時代を下り、後に、日本の歌創作に賭けた人々がいる。
新しい日本の歌、民謡を作ろうとした人、童謡を作ろうとした人。
赤い鳥運動などもそうである。
北原白秋や、野口雨情、作曲では山田耕筰等々であるが、皆、原点は、万葉集の心を受け継いでいる。彼らが意識する、しないに関わらず、万葉の風を浴びているのである。
多く日本人の心をとらえた歌は、歌謡曲にせよ、演歌にせよ、日本歌曲といわれる芸術歌曲なるものも、万葉の心を頂いているのである。
その証拠に、皆、大和言葉で作詞されているのである。

詩吟というものがある。漢詩を朗詠するのであるが、知る人には良いが、一般的にならないのは、漢語の語感が知る人にしか解らないからである。
私が朗詠するのは、万葉集である。朗詠という日本の伝統の謡は、大和言葉によるものなのである。
漢詩の詩吟は、やはり一部の人のためのものである。
しかしそれも、大和言葉の響きには叶わないし、また、詩吟も、母音を響かせて聞かせるものであるということで、いかに母音が大切かが解る。
また、実際、漢詩の風景は、参考にはなるが、大陸のものであり、違和感がある。大和言葉を知る者としては、高揚しなければ吟詠出来ないものであると言う。
またこの頃は、詩吟も堕落して、マイクを使用する。あれならば、どうしようもない。響きが、スピーカーを通して、朗詠も何も無い。女子供の遊びである。

さて、万葉の歌に戻る。
今、風の音に心を寄せる風情があるだろうか。それさえも忘れた時代である。
自然の働きに、心を動かされる民族の、大切な感性を失いつつあるのは、絶望的である。
人工の音に掻き消されて、自然の音は、聞こえない。まして、捏造を良しとするテレビの音に慣れ親しんで、感覚麻痺を起こし、飼いならされている様は、祖先に、みおやに、申し訳が無いのである。
日本の心とは、自然の心に沿う心である。
祖先は、すべてを自然から学んだ。そういう謙虚さを身に付けていた。
自然に神を観て、礼拝したのである。その大元が太陽である。天照大神と、八百万の神、千代万の神、神々の世界を日本人は創造したのである。
それが超越した存在ではなく、我らの存在の延長にある世界である。

国家という幻想が、見事に自然と調和した民族である。それは自然を征服して、傲慢に成り上がった国家という幻想を持つ、欧米の思想とは、全く違うのである。
大和言葉を読み、今一度、日本の心に立ち戻る時が来たのである、

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2007年03月23日

もののあわれ29

日本の歴史を平安期から見ても、駄目である。
兎に角、飛鳥奈良時代から以前を見なければ、この国の建国の精神と、大和魂を知るとこは出来ない。

そこで言う。
厩戸皇子、聖徳太子によって、手がつけられた律令政治の精神が、仏教を云々という者大半であるが、仏教を理解できたということは、すでに、その考え方を受け入れる器があったということであり、また、それを解釈する程、あることを身についていたと考える。
つまり、理解出来ないものは、それを理解する器が無いのである。

鉄砲伝来により、それを真似て鉄砲を作ったということは、そういう技術を有していたということである。
江戸時代も、時計を即座に作っている。つまり、その技術があったのである。
そういうことである。

仏教の大乗の考え方は、すでに、やまとの民族は、有していた。
ただし、大乗仏教という、魔界の関与なしでの、大乗の考え方である。
大乗仏教というが、あれは、仏教にあらず、大乗教である。新興宗教である。
その理屈たるや、延々として終わることがない。
大乗の精神は、皆が救われる、皆を救うという意識である。
救うとか、救われるということ自体に、実は意味がない。
やまとの民は、すでに、それを超えていたという。
ただし、それを言葉、体系づけての言葉の世界を有していなかっただけである。
それを、聖徳太子が成そうとした。
仏教の言葉を使ってである。

要するに、矢張り、対立の考え方なのである。
菩薩は、如来にならず、皆が救われるまで、菩薩行をするという。菩薩という救済者を置くのである。どうしても、すがいたいのかと、私は言う。
万葉の歌を読めば、そんなことは、楽々と超えている。
在るものを在ると見るのみだからだ。
無いものを、あたかも在る如くに意識しない。
しかし、大乗教は、無いものを、あたかも在る如くに、意識する。

何度も言うが、大和民族に、対立という考え方はない。
自然共生、共感のみがあり、救いも何も、皆々、自然に回帰してゆくことを、実感として知っていた。
それ以上のものがあるか。
例えば、霊界の存在は、宇宙外にはない。霊界も、宇宙にあるのである。
宇宙外に、在るといえばウソになる。宇宙の外という世界は無いからである。
無とか、空とか言うが、それは、宇宙外の世界のことであろうが、彼らは知らないらしい。
大乗の教義なるもの、皆々、空言、彼らが言う、無とか、空なのである。

大乗の精神などと、大げさに言う仏教家がいるが、やまと民族の、大乗を超えていることを知らないのである。
清き、明き、直き心。それだけで済んだのである。
清らかで、明るく、そして直き心、素直な心である。
これに適う心の状態は無い。
しかし、大乗は言葉という精神世界として輸入された。それが、聖徳太子の目に触れた。
太子に教えを授けたのは、半島からやってきた、僧である。今は、省略するが、彼に、多くを学んでいる。
それを持って、仏教の言葉の世界を持って、国造りを始めたのである。
近隣諸国と対座するためにも、当時浸透していた仏教の言葉の世界を使用することが、何よりだと思ったのである。

和を持って貴しとなす。などという言葉は、元からあった。書いてみて、初めて在るかのように思われるが、そんなことは、当たり前のことで、あえて書く必要がなかった。
おおいなる やわらぎの たま
大和魂である。
神武天皇から、この、やわらぎのまたを、実践していた。
何よりの証拠が、地元の豪族、土着の神々をすべて、祭上げたのである。
大陸の侵略は、すべて他の神々を排除することから、始まるが、神武東征は違った。
天孫降臨の子孫が、やすらけく たいらけくすべく、和を持って当たったのである。

ここで一つ正して置くことは、天孫族、土着族、天津神、国津神のことであるが、霊体としての、天津神であり、肉体としての国津神である。
渡来してきた民を、天津神ということを平気で言うが、霊感、霊視出来ない者が、そんなことを解るはずもない。
学者の戯言である。
天孫降臨など在り得ないと考える者に、解る訳が無い。
知らないことが無いことだとは、学者連中の常識である。
知らなくても、在るものは在るのである。
ただし、それを強制することはない。どうでもいいことだ。

要するに、飛鳥奈良時代に、日本人は国際人と成るべく、未曾有の苦労をしたのである。
だが、幸いなことに、本家帰りで、多くの渡来人たちがいた。
列島が大陸から切り離されて、多くの民が流浪し始めた。
結局、先祖の心のあるやまとの国に、無意識的に惹かれて本家帰りをしていた。
飛鳥奈良時代は、帰化人が多く、又、彼らをそのまま受け入れ、彼らの能力を正しく認めて、政治の中枢にまでも、取り入れたのである。

一時期、日本とユダヤ民族の同祖論が言われたが、全くでたらめである。
ユダヤの12部族の一つが日本だと言う。笑う。
あれは、アフリカの部族のことである。
ユダヤの部族は、アフリカの一部族であったのだ。それだけの話。
選ばれた12部族と言うが、魔神に選ばれても、しようがない。
ただ今、人類最古の証拠がアフリカからと言われる。
仮説である。
最も古い物が見出されたということであり、それが唯一の証拠である。

人類が生まれる前に何があったのか。
進化して人間になったという仮説もある。
ギリシャ神話を見れば、地球外から飛来してきた、惑星のエーテル体が、人間になろうとして、七転八倒している様が描かれている。
偉大なる妄想で、逞しく語る。
アフリカから辿り着いた民が、大陸の東に住んだ。大きな湖があり、東に大海がある。
12000年程前に、天変地異があり、列島が次第に、大陸から切り離された。
そして、その列島の上空に、新しい霊界が誕生した。
アカアマハラである。
そのタカアマハラ霊界から、霊体が降臨する。
天孫降臨である。

進化論、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、その他諸々の妄想を信じていい。
私の妄想を信じていもいい。
その内に死ぬ。

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2007年03月24日

もののあわれ18

万葉人たちの死生観について言う。
死は、別れであった。しかし、ただ今の時代の、死に対する絶望感や、悲惨な慟哭はない。死をもって、無常を感じるというものも、仏教の影響であり、元は、そのような感情は無かった。
清らかに美しく歌い上げたのが、万葉の人々である。
そして別の世界への移行である。それが端的に「隠れる」という表現になった。
人は、肉体を超えたものであることを、彼らは、見抜いていたのである。
そして、もっとも驚くことは、個人が個人ではない。個人は全体であった。それは、他者のみではない、天地自然の全体であった。全体の存在感を有していたといえる。
個が全体から分離することを持って、死という感覚があった。
これを理解するためには、万葉集を音読してゆくことである。自ずと、それを感じる。

聖徳太子の御製
家にあらば 妹が手まかむ 旅に臥せる 草枕 この旅人あはれ 
万葉集に載る聖徳太子の唯一の歌である。
ここが旅先ではなく家であったなら、妻の元で看護されて、息を引き取るのも、その手のうちでなせたものを、介抱してくれる者もなく、淋しく死んでいった旅人は、憐れである。日本書紀、推古天皇二十一年の条に、このことが書かれている。
皇太子、飲食を与ひ、衣裳を脱ぎて飢えたる者に覆ひて、安らかに臥せと言りたまひてき。とある。
この歌の調べにあるものは、死に対する陰惨な絶望感はない。今、死に瀕しても、その眼差しは、優しく、草木が枯れてゆく如くに見据えている。
ここでの、あはれ、という言葉は、単なる無常の哀れではない。存在すべてを抱きとめる心を、あはれと言う。
目に曇りなく、その状態を見て、それをそのままに受け入れる、受け取る、あはれである。
人間把握の発想の次元が違うと言う。
これが他人の死に無関心であったならば、あはれという言葉は出ない。死に至る人の存在は、単なる物ではない。

この万葉人の、あはれを、実践した人が、インドのマザーテレサである。
清らかな、温かさのある、死に赴く人への眼差しである。
個は個ではなく、全体であるという意味を知れば、そのような行為になる。
個が全体であるというのは、日本の神の道、唯神、かんながら、へと続く。全体は、唯神へと続くのである。その神という言葉の意味は、上でもある。上昇するのである。
神という観念を取り払い、大和の人の神という言葉にあるところのものを、感じ取るべきである。
人は神である。ミコト、命である。人も御言の存在なのである。
だから、人が亡くなることを、神上がりと言う。崩御とは、天皇の死に言うが、この崩れるという字を、神上がりと、私は読むのである。というより、万葉では、そう読む。

神上がりは、別次元に移行したという意味である。隠れたと、それを言う。
これについて多くを語りたいが、言さえぐ、ことのないように言う。
歌の意味について、様々な方法がある。一々上げないが、それぞれの立場によっても違う。
私は、日本人の持つ感性をもって、ひたすらに読めば、自ずと、その歌の意味するものを感じ取ると思う。
何度も繰り返して、読み込むと、自ずと、言葉にすることは出来ないが、通ずるものがある。それが、日本の和歌の和歌たる所以である。日本人ならば、解るのである。
解説文の饒舌な書き込みを読まなくてもいい。自ずと解ることで、善し。それが、日を経て、また深くなってゆく。それが言霊の働きである。
勿論、それを深めるために、文法等々の学びをしても善し、その歌の背景の歴史を観ることも善し。それぞれが、それぞれに、歌を読めば善し。

人麻呂の歌
山の際(ま)ゆ 出雲の子らは 霧なれや 吉野の山の 嶺にたなびく
依羅娘子(よさみのおとめ)の歌
直の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲ばむ
人の存在を肉体を超えたところのものとして、認識していた。それが、このような歌を読ませる。
雲がたなびくを見て、亡き人を偲ぶのである。霧を見て、亡き人を偲ぶのである。
雨降れば雨に、風吹けば風に、亡き人を観るのである。
個は全体であると言った。その全体から隠れた存在が、人の死、つまり人の思いなのである。

この死生観は、大和人の骨頂である。
季節外れの虫が飛ぶのを見て、これは、亡き母ではと思う心、それが、大和心である。そういう経験を多く聞く。
私は、霊という言葉に、拒否反応を示す人がいるであろうと、人の思いと書いている。
人の死は、人の思いである。実に、霊とは、人の思いなのである。それは、失せることはない。故に、人は、死んでも消滅していない。思いは、永遠である。
万葉の歌からも、多くそれが伺われる。

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2007年03月25日

もののあわれ25

天武天皇御製
天皇御製歌 すめらみことの おほみうた
み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 念いつつぞ来る その山道を

吉野の耳我の嶺に雪が降りついでいる。絶え間なく雨が降り続いている。その雪が降り続いているように、その雨が降りついでいるように、ただ一途に想い続けながら、山道を歩く。ひたすら想いながら、山道を来たのである。

ある学者連中は恋であると言い、ある学者連中は、天武天皇との確執であると言い、ある者は、文学的に云々と言う。
いずれも、無し。
その時の、天武天皇は、まだ大海人皇子である。面倒なので、歴史的背景は省略する。
天智天皇が病にある時期である。壬申の乱の前夜である。
これを素直に読む。霊感によって、読む。

この念いは、国への想いである。国造りへの想いである。
大化の改新を成した、兄である天智天皇への想いでもある。
速やかに進まない、改革の進展を思い悩む弟である。

人は、成した行為によってしか、真実を表さない。歴史は、完結している。過ぎた歴史は、完結するのである。天武天皇の行為を見れば、この歌の意味が理解できる。つまり、天武天皇は、天智天皇の後を継いで、改新を成したのである。
それを見れば、この歌の意味が解る。
人は、その人のレベルに即して、物事を解釈する。学者等々が、そうである。そのレベルに合わせて、解釈する。
恋にする者は、それに、確執にする者は、それに、文学とする者は、それにである。
私は、違う。
兄の病に、謹慎蟄居している様が見える。
願いは、その父舒明天皇からであり、その願いは、厩戸皇子、つまり聖徳太子からの願いである。
人は、生まれ持った宿命がある。それを、歴史学者等々は知らない。だから、この歌を正しく解釈できない。
恋を歌を、このように読むか。兄に対する対立をこのように読むか。
大伴家持が、この歌を万葉集に取り入れたのは、その気概である。万葉の気概を観たのである。
国の主となる者の気概である。単なる、利己のものではない。利己的な心情ならば、取り入れることはなかった。
天皇の御歌である。
国を想う歌だから、取り入れる価値があった。
単純素朴な歌に、万葉の骨頂がある。
実に、単純な歌である。雪が降る。雨が降る。そして、その中の山道を行くのである。想いを抱いて。
恋でも、対立でもないであろう。大いなる志の想いである。
みくにを、たいらけく、やすらけくするための、想いである。
御国である。国は、我が物ではない。祖先の続きにある、貴きものである。その国を、いかに作り上げるのか。
国の首相が、我が身のために行為するのは、全体主義、絶対君主主義であろう。何ゆえに、民のために行為するのか。それは、高祖皇宗の想いである。それを知るからこその、行為である。天皇家が滅ぶことが無かったのは、そういうことである。

よくよく振り返って、日本の歴史を観る時、天皇という存在は、国民を無視することがなかった。いつも、国民と共にあった。だから、国民は、天皇家を本家として崇めた。
結局、大化の改新も、明治維新も、終戦も、天皇の詔によって、国民は是としたのである。
無形の信頼である。
これを書けば、私は、右翼と言われるであろう。
私は、右翼でも左翼でもない。
私は、中道である。
天皇家が無くなれば、それでよし。日本の歴史は、それで変わる。天皇の歴史が、日本の歴史であり、そして国民の歴史であった。それを無き物にせよ、私は構わない。
天皇家が無くなれば、日本が無くなる。それでいいではないか。
好き勝手な国名をつければいい。

最もらしく天皇制反対を唱える人がいる。多くの国民が、そう思えば天皇家は、退くであろう。天皇家とは、そういうものである。国民の支持が得られなければ、存続出来ないようになっている。専制君主制ではないからだ。国民の総意によって、成り立つのである。

私は言う。
権威というものは、権威によって成る。現実的に権威というものを挙げよと言われれば、私には、天皇としか言い得ない。
一国民、民の一人としては、天皇を拝すのである。み親の象徴としてである。
2660年という家系の伝統を持つということは、私も2660年の伝統があるということである。
私の祖父母は、天皇陛下を天子様と言って、拝していた。その伝統に、私も背くこと無し。

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もののあわれ22

天皇崩御後倭大后御作歌
すめらみこと みまかりたまいしのち やまとのおきさき つくりませる みうた
倭姫皇后の歌である。天智天皇の皇后様である。
崩御を、みまかりたまい と言う。
みまかる、とは大和言葉の亡くなるという意味である。以前に、お隠れとも言うと書いた。
身、まかるであり、身が隠れるである。
青旗の 小旗の上を 通ふとは 目に見えれども 直(ただ)に逢はぬかも

青旗とは、青々と樹が茂ったという意味。枕詞である。木旗は地名。通うとは、天智天皇の御霊である。直に、とは、そのままの姿、在りし日の姿である。
青々とした
小旗山の上を、あなた様の御霊が、天がける姿が、ありありと見えます。しかし、今はもう直接お会いすることは出来ません。

ここで生命感覚ということについて言う。
生きているという実感である。
通うとは、目に見えるというのである。万葉の人々は、見たのである。亡くなった後も、その霊を見るのである。
今日の感覚では理解出来ない。
当然である。生命感覚を喪失しているからである。
生きるという核を見失えば、見えるものも見えない。また、観るという行為にまでも至らない。
そうして、妄想の霊能力なるものに翻弄される。
清清しい命、瑞々しい命の感覚と感性をと取り戻して、万葉の歌を読む。

もう一首
人はよし 思ひやむとも 玉かづら 影に見えつつ 忘らえぬかも

例えば、人が、あなのたことを忘れても、私には、あなたのお姿が絶え間なく思い浮かんで、とうてい忘れることはできません。
思ひやむとも、とは、思わなくなっても、思うことをやめても、という意味である。
思い、止める、ということになる。
玉は、美称である。影の枕詞である。つる草である、かづらで編んだ髪飾りである。
前の歌とは違い、女性らしい情感がある。
前の歌は、皇后として、後の歌は、一人の女性としてである。


天智天皇については、多くを人は語るが、その皇后である倭姫皇后については、語れることがない。また、歴史書も記述がない。
天皇亡き後の、壬申の乱も見ていたであろう。

ここで再度、日本の精神と、日本の心について言う。
日本の精神は、飛鳥、奈良時代にあり、心は、万葉集にある。
神武天皇の建国から、約600年を経て、いよいよ国造りが始まったのである。それが、飛鳥奈良時代である。
その大きな事件は、大化の改新である。
その主役は、天武天皇、中大兄皇子である。
大化の改新の前進は、厩戸皇子、後に尊称して聖徳太子と言われる推古天皇の摂政であった皇子である。その一族、ことごとく蘇我入鹿によって、殺されている。
壬申の乱に至るまで、蘇我氏は、政権を狙うが、事切れる。
大小豪族を廃して、公地公民を目指したのが、天智天皇である。
大小豪族には、氏姓を与えて、その存在を認め、官位を与えて、治めたのである。それにより、民も安心して暮らせた。その証拠が万葉集である。ただし、大小豪族を治めるために、一時期、公地公民は後退した。それを実現したのが、天武天皇である。

戦後、多く左翼の学者が幅を利かせて、歴史を弄んだ事実がある。すべて、史観と、主義によるものである。それを、歴意とは言わない。歴史は、歴史学ではない。国民の歴史は、心の歴史である。我が内に、歴史がある。
何事か作意のある歴史は、歴史学、史観であり、それは、歴史とは言わない。
世界の王朝を見回して、天皇家のような王朝があるか、今一度考えるべきである。
武力政権の豊臣秀吉でさえ、民百姓は、我が子であると言う。
天智九年最初の戸籍である、庚牛年籍が製作されている。
一君万民法治国家体制である。それが平和裏に行われた。
絶対君主制とは、日本国民の誰もが思わない天皇家である。それを言うのは、歴史学や史観、主義により、解釈する者である。
振り返って、日本の歴史を見る時、天皇が絶対君子であったことは無い。国民の心を支えとしてあったのである。君主であるが、その権力は無い。無形の権威があったのである。それを一時期、利用した者がいる。それが太平洋戦争であるが、その戦争でさえ、理屈が合っている。今は、それを語らない。

万葉集は、伝統である。私の言い分である。そして、何より、すべての証拠が万葉集にある。
大君と民が、一緒の世界、つまり歌の世界で一緒であるという事実である。
この伝統は、世界に日本以外に無い。

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