2007年02月11日

もののあわれの言葉の意味合い

もののあわれの言葉の意味合いを深めることにする。
本居宣長は、物のはれも、あはれも同じことだと言う。
言葉は、使われているうちに、自然に転じてゆくものであると宣長は、考える。
「いささか転じたるいひざま」が「物のあはれ」であるとする。
要するに、物のあはれは、あはれで良いとする。
物をつけるのは、「ひろく言ふときに、添えることばなり」だと言う。
宣長は、和歌の歴史に鑑みて、あはれの用例を調査した。
「阿波禮といふ言葉は、さまざまいひかたはかはりたれ共、其意は、みな同じ事にて、見る物、きく事、なすわざにふれて、情(こころ)の深く感ずることをいふ也。俗には、ただ悲哀をのみ、あはれと心得たれ共、さにあらず、すべてうれし共、おかし共、たのし共、かなしとも、こひし共、情に感ずる事は、みな阿波禮也。されば、おもしろき事、おかしき事などをも、あはれといへることおほし」
問題は、あはれは、情の一つの相ではないということだ。
「阿波禮といふ事を、情の一つにしていふは、とりわきていふ末の事也。その本をいへば、すべての人の情の、事にふれて感(うごく)は、みな阿波禮也」
この宣長の心境について、小林秀雄は、鋭く見据えた。
「彼の課題は、「もののはれとは何か」ではなく、「物のあはれを知るとは何か」であった」と言う。
源氏物語を宣長は「よむ人に物の哀をしらしむるより外の義なく、よむ人も、物のあはれをしるより外の意なかるべし」と言うのである。
小林は「心と行為との間のへただりが、即ち意識と呼べるとさえいえよう」と言う。
「心が行為のうちに解消し難い時、心は心を見るように促される」とも言う。

さて、私は、話を元に戻す。
もののあわれは、あわれであると言う宣長と、私は、違うのである。
あはれで善しとするのは、時代性なのか、宣長の考え方なのか・・・
あわれに、ものが付かなければ、私の、もののあわれについては、進めないのである。つまり、言霊、音霊のことである。
もののあわれ、でなければ、私の、もののあわれは、語れない。
宣長は、物は「ひろく言ふときに、添える言葉なり」と言うが、私は違うのである。
ものは、もオのオである。オという母音の意味がある。オの母音は、贈る、送る、という意味を総称する。それを拡大して解釈すると、送る、贈るは、与えるとか、お別れとか、おーーーと音出して、向こうへお送りすることなのである。
あわれを、流して行く。生きることは、もののあわれなのであると言うのは、人生を流して行くことと、私は捉えるのである。
存在するものを、オという母音は教える。存在する物は、流れてゆくのである。何処へ。何処かへである。
縄文期から続いた、迎え入れる音ウを、送る時には、オと発した。これ、神呼びの音霊である。
現在の神道家が、どの様に神呼びをするのかは、知らないが、察するところ、迎え入れも、お送りも、オのみではないかと思う。
形式になるのであから、どうでもいいのだと思う。
宣長の言う、ものという言葉は、添える言葉だと言う説に、私は異を唱える。
あはれを、人間の心の有様、顕在意識も、潜在意識も、すべてを丸抱えであるとは、最もなことであるが、それに、もの、という言葉がつかなければ、解決しないのである。
もの、とは、存在を言う。在るもの、すべてを、ものと言う。
あはれとは、存在するもの、すべてに宿るもの。宿命であると、私は考える。
繰り返し言う。あわれとは、存在するもの、すべてが、あわれ、なのであるということ。
人間だけが、あわれか、否である。存在するもの、すべてがあわれなのである。
動物、植物、等々、皆々、あわれを生きるのである。
情のあるものは、人間のみであると考えることは、傲慢極まりない。

一例を上げる。
植物に意識は無いかと言えば、違う、植物にも意識があり、霊性もある。
それを、知らないだけである。知らないことは、無いことだと、傲慢不遜に考える人とは、同席しない。
千年の樹を切り倒して、祟られること多々あり。
人を殺せば、殺人者になるが、樹を切り倒しても、殺樹者とは言われない。ましてや、環境を破壊する者を、環境破壊者などと言わない。山を切り崩しても、平気でいる。それらに、もののあわれを理解せよと言っても、理解できない。

ユングという学者は、集合意識までつきとめた。ただし、民族の集合意識と言う。
「言さえぐ」仏教の唯識論でさえ、それを通り越して、すべての意識と通ずる意識があることを、突き止めている。
「松のこと松に、竹のことは竹にきけ」とは、松尾芭蕉であるが、その通りである。
存在するもの、すべてに、あわれがある。私の考えである。
その、存在を総称して、「もの」と言う。
あわれに、ものという言葉が必要な訳である。



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本居宣長

前回、あわれを哀れに限定してはいけないという本居宣長を紹介した。
彼は、源氏物語を読み込むことで、自分がテーマとした、もののあはれを書いた。「物のあはれを知るとは何か」を書いた。
それはそれで、十分に価値のあることである。
また、それは、一つの心に関する認識の仕方でもあるということで、善し。心というものは、意識しているよりも、もっと深いものを捉えているのである。
ここで私が面白いと思ったことは、もののあわれを語ることについてである。
これは、源氏物語の作者、紫式部の言葉で、締めくくる。
「すべて男も女も、わろものは、わづかにしれるかたの事を、のこりなく見せつくさむと思へるこそ、いとおしけれ」
すべて、男も女も、見苦しいのは、わずかに知ることを、あたかも、すべて知っている如くに語ることであると言うのである。
思い出して欲しい。大和言葉の世界は、言挙げせずという。語り尽くすのを、言さえぐ、として嫌うのである。
嘘や空言を言う人は、語れば語る程、嘘の上塗りをし、空言の上塗りをする。
宣長の結論的言葉である。
「よろづの事の心を、わが心にわきまへ知り、その品にしたがひて感ずる」ことが、あはれであると。
私は、宣長も、語り尽くそうとした形跡があると思っている。最後は、自己矛盾に陥るような事態になったのではないかということだ。
物語とは、空言である。小説家が大嘘つきであるということだ。嘘を書いて、感動させて、のうのうとしている。しかし、書き物全般に、それは言える。
「事の心をしる也、物の心を知るなり、物の哀を知る也」
源氏物語の主人公、源氏が言う。
「世にふる人の有様の、みるにもあかず、聞にもあまる」
世の中のものは、見ていて飽きないし、聞いても飽きずに面白い。それに尽きるのである。皆々、物語のようである。現実とは何か・・・物語のように、空言であろうとは、私の考えである。
さて「此の物語の外に歌道なし」と言い切る、宣長の努力を認めつつ、私は、歌の道から、再び、もののあわれを、進んでゆく。
ちなみに、大和言葉を知り尽くしたいと思えば、源氏物語を読めばよい。

さて、古今集は、後醍醐天皇の勅命により、四人の選者がまとめた歌集である。このように、天皇の命により成った歌集を勅撰和歌集と呼ぶ。
その有名な序は、日本初の歌論であった。歌の起源から、歌の様式、歌の意味を高らかと宣言したようなものである。それは、万葉集を実に強く意識したものと思われる。
歌は、万葉から始まり、そして万葉に帰るのである。
万葉は、歌の父であり、母である。それに対する批判や反抗や、戦いを通して、大和言葉は、鍛えられた。実に、気分の良い話である。
万葉集を解くためにも、古今を見つめるのである。
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」
紀貫之が、高らかに宣言する。
和歌が、人の心、その様々な心情をもとにして、様々な言葉になった。
新約聖書のヨハネ伝の、冒頭を思い出す。
「初めにみ言葉があった。み言葉は神とともにあった。み言葉は神であった。かれは、初めに神とともにあり、万物はかれによってつくられた。つくられた物のうちに、一つとしてかれによらずにつくられたものはない。」
このみ言葉はイエスキリストのことである。三位一体という説を掲げた宗派が、皇帝によって支持され、正統とされて、解釈され、イエスという人間が、神と同格であるとの、一説である。
ここで、言葉に対する感覚が、全く違うということを知って欲しい。
大和言葉は、人の心を種とするのである。そして、言葉には、霊、つまり神言であり、言葉自体に神格があるという、言霊の考え方である。
教義として教えられる、神という対立概念ではない言葉の発生であるということ。
人の心から発する言葉に、すでに神なるものが宿るという言霊の考え方である。ここを誤ると、大和言葉の真実が見えなくなる。
あくまでも、人の心から発するのであり、どこか遠い世界、人知を超えたような世界からは、湧いてこないのである。
これ、大和言葉の骨頂である。
さらに、驚くべき宣言がなされる。
「世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひだせるなり。花に鳴くうぐひす、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。」
何と、人間だけでなく、花に鳴くうぐひすも、カエルも、生きとし生けるもの、すべてが歌を読むという。
人間の言葉だけが歌ではないというのである。
いずれの生き物も、ものに触れては、心を動かし、歌を歌うという。
私は、この思想に驚嘆する。
何ゆえに、このように考えられたのかと。
人間平等だけではなく、生き物すべてが、歌道においては、平等であるということである。これを驚かないで、何を驚く。
天皇も庶民も、歌道においては平等であると書いたが、ここでは、生き物すべての歌を歌として認識するという仰天である。
これは何を言うものか。
天地に対しての謙りである。謙虚さと謙遜の姿勢である。人間だけが特別な存在であるとしたなら、それは奢りであると言う。生きとし生けるものによって、人間も心を動かされて歌を読む。そして、彼らも彼らの方法で歌を歌うのである。
人が歌を朗詠すると、生きとし生けるものが耳を傾けて聴くのである。そして人間もまた、彼らの歌を聴いて、心を動かし、歌を読む。歌が歌を呼び、歌が木魂すのである。自然は歌に溢れている。
私は、そう解釈する。



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君が代について

私は、ここで、君が代について書かなければならないという気持ちに、駆り立てられた。
それは、実に重大である思うからだ。
つまり、君が代を正しく伝えなければならないとい思う。
国歌として歌われている君が代の君が、天皇であるという説を、正す。
勿論、それは天皇であっても問題ない。要するに、前回言う、大和言葉による、君と吾の関係をここで明確にする。

君が代の出典とされる、古今集の、読み人知らずである。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
わが君とは、あなたという意味である。そのあなたは、私にとってかけがえのない存在である。その、あなたが健康で長生きをすることを願う。小さな石が成長して、岩になるまでにかかる、永遠のような時間を、千年、八千年と言う。そして、さらにその岩に苔がはえるまでである。
長寿を祝う歌から、徳川家では、正月元旦の朝に、大奥にて、将軍の妻である御台所が縁起物である、ユズリハ、ウラジロなどを入れた盥の前に正座して、中年寄りが「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の」と唱えると、対座する御台所が「いわをとなりて苔のむすまで」と唱和するのである。すると、脇から中老が、御台所の手に若水を注いで清める、という儀式である。将軍の長寿を願って。
その後で、御台所は、大奥から将軍に相対座するのである。
これを大奥では、おさざれ石の歌と呼んでいた。

明治2年である。
太政官政府が発足する以前に、英国から貴賓が来日することになった。
浜離宮で歓迎行事をするため、英語のできる人材を集めて、接伴係にした。
横浜駐屯の英国軍楽隊長、ウイリアム・フェントンが、打ち合わせに来て言う。「日英国歌を演奏したい。日本の国歌を教えて欲しい」というものだ。
日本に国歌は無い。その時まで、国歌の意識が無かった。
接判係の薩摩藩士、原田宗助が上司である、川村純義(後の海軍卿)に相談するが、川村は
怒り「おはん方を接判係にしたのは、今度来朝あらせられる英国貴賓饗応について万事不都合なかんごつ取りはからってもらうためじゃ。そげんことをいちいち聞き合せに来る必要はない」というものである。
川村は、その国歌が後に、大問題になるとは、勿論知らない。その程度の認識である。
原田は仲間に相談する。
その中で、一人、思いついたのは、静岡藩士、乙骨太郎乙である。それが、おさざれ石の歌である。
君が代の君を天皇と解釈すればいいと。
次に、旋律である。原田が、それならば、薩摩琵琶の曲の、蓬莱山に同じ歌詞があることに気づき、俺が歌うと、それを歌う。
歌うこと、数回、フェントンに採譜させて、出来上がったのが、国歌、君が代である。

実は、わが君はの古今の歌は、和漢朗詠集では、君が代は、になっている。
さて言う。
君がいることは、吾がいるのである。
吾が存在しない君はいない。しかし、和歌の世界では、私を省略する。君に、私を託すのである。これ、伝統である。
あなたを君と呼び歌うのは、圧倒的に、恋歌が多い。
そして、思い出して欲しい。我が日本国民は、恋の情により、多く人間の情緒を学んだ民族である。その最もたるものが、もののあわれである。

古今の、「わが君は」は、わがと言い、我を表明している。
それでは、君が代はと読む時、君と我が代はと読めるのである。
片歌を繰り返す、旋頭歌にしてみる。
恋の道
君と我が代は
千代に八千代と
さざれ石
いわをとなりて
苔のむすまで

和歌にする。
恋の道
君とわが代は
さざれ石
千代に八千代に
いわをとなりて

参考までに、私が創作した戯れ歌である。
もう一言言う。天皇を君とは言わない。明治期、太平洋戦争時に、君を天皇と解釈したとしても、天皇は、大君であり、君ではない。君は、一般民の、あなたへの呼びかけである。
そしてさらに言う。天皇を君と呼ぶとは、何事か。天皇は、我々国民の国体である。国民と天皇は、一緒である。同体である。歌の道を見れば、一目瞭然であろう。
歌の道、言葉の道、つまり、前回のミコト、御言の総体である。
一時期、天皇を現人神と呼んだが、それも誤りである。天皇は、現人御神であり、現人神は、我々日本国民のことである。
天皇家の伝統を敬して、御という尊称をつけるのである。
天皇の歌は、御製である。
しかし、その天皇の歌と、国民の歌が、共に並ぶという歌の道、歌道が、大和言葉の真骨頂である。
歌の前には、平等なのである。

歌道の常識から、君が代は恋歌であり、それでなければ、大切な人の長寿を願う歌である。
はっきり言うが、君が代という国歌を好き、嫌いだというのは、個人の勝手である。自由である。しかし、公的立場や、公的な場所であれば、当然、敬意を払うものであることを言う。それが個人の心情や良心の自由を奪うとする考え方は、実に愚かしい。
言論の自由である。が、大和言葉の歌道を学ぶべきである。
そして、歌の道が平等であることを、最も願った家系が天皇家である。
であるから、私は天皇家に称号を与えたい。
天皇家、それは御歌の宗家である。



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大和言葉による和歌や俳句

大和言葉による和歌や俳句が祈りであると言うと、今まで捉えてきた祈りという感覚が変わる。祈りという観念が変わる。
宣ることが、すなちわ、即座に事を動かすという考え方は、日本独自のものである。
ここで、祈りの観念を変えてもらいたい。
すべての宗教の、祈りは、神や仏という、人間を超越したものに向かう。そこに、神や仏に伝達するという意識がある。実は、大和言葉は、それを嫌い「言さえぐ」要するに、喧しい行為とみなす。
伝達する必要無し。言葉にすることが、すなわち、成ることであり、すでに言霊の神によって、完成したのである。
それ以外は、言挙げせず、という。多くを語らないのである。
国際社会で、それが通る、通らないの問題ではない。別の話である。日本人の感性は、そういうものである。共通の言葉、大和言葉をしようしている者には、それで善いのだ。
その分、特別な芸術芸能が発展した。言葉を介さないものである。
言葉を、より昇華させる、いけばな、茶の湯、書の道、陶芸、様々な手芸である。
空白を重んじる墨絵などは、端的に日本の心情を表す。描かれないものにある、真実て゜ある。
葦原の 水穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙ぞする 言幸く(ことさきく) まさきくませと つつみなく さきくいまさば 荒そ浪 ありても見むと 百重波(ももえなみ) 千重浪(ちえなみ)に敷き 言挙げす吾は 言上げす吾は
豊葦原の水穂の国は、神ながらにあり、言挙げしない国ですが、善き言葉の霊力の幸によって、ご安泰であれと、強く言上げします。この言葉の霊威で、あなたが何の鎖障りもなく無事であれば、また必ずお会いできると信じています。幾重にも寄せては返す波のように、繰り返し、言挙げします。言挙げします。
作者不明のこの歌を、私は驚嘆を持って、読む。
言挙げせぬ国であり、それは、言幸はへる国であるという感性を、皆有していたということである。
言幸く、ことさきく国、うまし国、である。

言幸くゆえに、言挙げせぬという。言葉に幸多いゆえに、多くを語らずともよいという考え方を、古代の人々は、広く持っていた。この万葉集の歌、それ以前からの、言葉に対する日本人の感性をつたえるものである。
そして、最も驚くべきことは、読み人知らずであって、編纂されるということである。
つまり、歌の世界では、身分は無い。歌の世界では、皆、平等であるということだ。
上は天皇から、下は農民までに至り、どうどうと同じ扱いになっているという驚きである。
和歌の前には、皆、平等であるという考え方を驚嘆する。
日本の古代も、他国と同じように、甚だしく身分制度があった。豪族でも、農民は口もきけないという状態である。ましてや天皇を拝することも出来ない。しかし、歌になれば、同じ場所にいるという、驚嘆である。
言葉が、身分を超えていた。
言霊の力を皆々、有していた。
世界史の中でも、人間が平等であるということを宣言したのは、1789年のフランスの人権宣言の、法の前に平等であるというものである。
仏陀は、2500年前に、カーストの国で、高らかに、人間の平等を唱えた。しかし、それが行き渡ることは、なかった。
言霊の前に平等であるということはを、万葉集編纂以前に、有していた。それは長い長い期間のことである。そうでなければ、突然、万葉集編纂から行われたと、考えることは出来ない。

日本人は、存在の根源を神よりのものと捉える。
存在は、コトである。それは事であり、言である。
神は、ミコトである。御言である。みことを、命と書く。
言葉は鳴るものであるから、成るものと捉える。これ、日本人の真骨頂である。
ついでに言っておくが、日本人の神意識は、神として在るものへの、尊称としての神である。言葉も神であるから、尊称して御言(みとこば)と言う。
ここれを誤った宗教学者たちの罪は重い。
欧米の宗教観を持って、日本の神を語ることはできない。
つまり、神という対立概念を日本人は、持たない。対立するものではなく、神は、生活に浸透している力なのである。
決して、オルテガが書く「我と汝」というような言葉遣いにならない。
和歌の世界では、我を省略して歌うものが大半である。
相手が主体になる。我が主体にならない。
だから、君が代になる。まず、相手が先にくるのである。つまり言葉を発しているのは我だから、我を言う必要がないのである。
欧米風に言えば、汝しか無い。
言葉に対する感性が、全く違うこということを、再確認して、欲しいと願う。

大和言葉の認識が深まれば深まる程、日本を愛するという気持ちがこみ上げてくる。
知らないものは無いものである。しかし、知らないからといって無いものと断定することは出来ない。それを総称して謙虚と言う。
これを教える者が少ないことを憂うのである。


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大和言葉によって日本語はなる

大和言葉によって日本語はなる。
それでは、大和言葉とは何か。簡単である。漢字の表記でも、訓読みをすれば、すべて大和言葉になる。
有史以前から、使用していた言葉である。
文献から言うと、8世紀初頭に、初めて歴史書である、古事記、日本書紀が編纂される以前から、使用されてきた言葉である。
清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人みな美しき 与謝野晶子
きよみずへぎおんをよぎるさくらつきよ こよいあうひとみなうつくしき
祇園は地名であるから、欄外で、すべて、大和言葉である。
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたわむる 石川啄木
東海も地名に入るから、欄外で、すべて、大和言葉になる。
東風をこちと読むと大和言葉になる。それを、とうふうと読めば、音読みであり、大和言葉にはならない。
君を、きみと読めば大和言葉であり、くんと読めば漢語になる。
例えば、童謡の歌詞を見る。
浜千鳥という曲
青い月夜の浜辺には 親を探して鳴く鳥が 波の国から生まれ出る
濡れた翼の 浜千鳥
翼を、つばさと読んで、大和言葉になる。それを、よく、と読めば漢語になる。
漢語主体の歌詞などもあるが、それを上げずとも、これで十分であろう。
松尾芭蕉の俳句も、すべて大和言葉である。
古池や かはづ飛び込む 水の音
荒波や 佐渡によこたふ 天の川
あかあかと 日はつれなくも 秋の風
例えば、歌謡曲の名曲、古賀政男の影を慕いて
まぼろしの影を慕いて 雨に日に
月にやるせぬ我が思い
つつめば燃ゆる胸の日に
身はこがれつつ偲び泣く
みな大和言葉である。
ここで驚くべきとこを言う。万葉時代は、仏教、儒教、そしてシナ文学、それが津波のように押し寄せていた。特に、600年には、膨大な書物が隋からもたらされている。
古代日本人が知らない文化、特に、言葉の文化が大量に入っていた。それを、身に付けたというから、驚くのである。今の英語やフランス語を学ぶという比ではない。
日本初の勅撰集は、和歌ではなく、漢詩集の「凌雲集」である。814年。ちなみに、最初の和歌の勅撰集は「古今和歌集」であり、漢詩より90年後のことである。
万葉集の編纂に関わった、大伴家持の歌一首
春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に いで立つ乙女
紅を、くれないと読む。すべて大和言葉である。
私が何をいいたいかと言えば、漢語、外来語の影響甚大であったが、和歌の世界では、すべて大和言葉が使われていたということである。
いかに、大和言葉が、血となり肉となっていたか。それは遺伝子に組み込まれたようにして、言葉の世界にあった。精神を言葉の世界と定義すると、日本の精神は、大和言葉にある。そして、精神のみか、その曖昧な心、たゆたふ心も、大和言葉よりなり、何と、魂のレベルまでにも至るのである。
それは言霊の思想である。言葉、一音、そのものに神が宿るという思想である。
大和言葉を発するということは、言霊の力が働き、事が動く、事が成ると考える。
分け入っても分け入っても青い山 山頭火
大和言葉の世界は、分け入っても分け入っても青い山 なのである。



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2007年02月12日

もののあわれを書くこと

もののあわれを書くことが、大和言葉を書くことになり、そして歌、和歌を書くことになり、さらに、言霊と音霊を書くこととなり、今また、言霊の奥義である、数霊(かずたま)についても、書くことになる。
敷城島(しきしま)の 大倭の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ
柿本人麻呂の反歌である。
大和は言霊が助けてくれる国である。こうして言葉に出すことで、すでにその効果かあるのだ。
言葉そのものの力を表明するのである。言葉に神格を与えているのである。
さて、言語は伝達の手段であると考える。神や仏に対しても、言葉が伝達の手段であるというのが、他国の常識である。しかし、日本の言葉は、伝達される必要がない。祈りの言葉は、それだけで有効なのである。
大和言葉には、言霊が宿るゆえに、発したこと、それだけで祈りの目的が果たせるのである。
伝達の必要がなかったということで、実は、誰も書いていないことがある。
それが、言霊の奥義である数霊のことである。
「伝達への意欲、それを支える論理構造の普遍性への確信のあるところでは、長詩に発達していってもおかしくない。ところが日本には長歌というものもあったが、それすらも外国の詩にくらべれば大して長いものではないが、その長歌さえもすたれて、短歌が標準的な詩の形態となった」と、渡部昇一氏は言う。学者として尊敬する人物の一人であるが、数霊を知らない。
和歌の形式を言う。
片歌 5,7,5
短歌 5,7,5,7,7
長歌 5,7,5,7,・・・・5,7,7
旋頭歌 5,7,7,5,7,7
仏足石歌 5,7,5,7,7,7
ここで、解ることは、5,7のみの数である。
再確認の意味で言う。
和歌の三十一文字とは、三十一の語ではない。三十一音節、シラブルのことである。
確立された詩形としては、まことに短いもので世界に類をみない。五言絶句という中国の詩形があるが、20の漢字を用いるが、漢語は孤立言語であり、比較することは出来ない。つまり、孤立語とは、単語自体は変化せずに、その単語が具体的な概念を表すのである。
文意は語順を変えることで表す言語である。ひらがなとは、全く違う。
驚きは、十七音節の俳句である。和歌よりも、短縮させたという驚きである。
俳句を外国語に翻訳することは不可能である。
荒波や 佐渡によこたふ 天の川
これを、どうやって翻訳するのか。
荒れた波の佐渡島に出る、天の川である。大和言葉でなければ、意味がない。
「この短詩系志向、伝達不要、論理構成不要の伝統から出ていると考えてよいと思う」と、渡部昇一氏は言う。この伝統を、今、私は書き綴っているのである。
さて、5,7という数である。
万葉集は、五七調により、古今集は、七五調によるといわれる。
五七、七五調とは、句切れのことである。
57,57,5の場合は、五七調、5,75,77の場合は、七五調である。
五七調は力強く、壮大で重いリズムを持ち、七五調は、やわらかく繊細で、優美なリズムを持つといわれる。
実は、私は、そんなことは、どうでもいい。
何故、5と7という数に行き着いたのかということである。
ここに言霊の奥義である、数霊の秘密がある。言霊とは、数のことである。
5を分析する。1,4の関係、2,3の関係、3,2の関係、4,1の関係である。
つまり、1,2,3,4がある。
7を分析する。
1, 6の関係。2,5の関係、3,4の関係、4,3の関係、5,2の関係、6,1の関係である。
つまり、1,2,3,4,5,6がある。
私は、母音の意味を持って、すべてのひらがなの意味を言う。大和言葉は、子音が母音に行き着く。母音が明確に発音されなければ、大和言葉にならない。
あ、い、う、え、お、という、五音に意味がある。
1から7までの数に、大和言葉の奥義がある。
それぞれの数の意味について、私は今は知らない。
ただ、数をひらがなにする。
ひい、ふう、み、よ、い、む、な、や、こと、で10を数える。
そして、もう一つの、表現は、
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、で10まで。ももち、よろず、で百と万である。
これ、実は、祝詞の言葉の奥義としてある。
この数、かぞえが、宣る言の本質である。宣る、とは、のることであり、言葉を発することを、宣り言、祝詞という。
大和言葉には、宣る言、祝る詞、のみある。
5と7の音節による、宣り言をもって、大和言葉の完成である。
サービスして言う。大和言葉は、すべて祈りの言葉であるということ。
和歌も俳句も、祈りである。
大和言葉で発した言葉、書かれたものは、すべて祈りとなるのである。
これ、欧米の思想をもってしては、解くことは出来ない。



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2007年02月14日

力をも入れずして、あめつちを動かし

「力をも入れずして、あめつちを動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、たけきもののふの心をも慰むるは歌なり。」
力を入れることなく、天地の神々を感動させ、霊魂をもあはれと思わせる。男女の中を親しくさせて、勇敢な武士の心をも慰めるは歌である。
ここでも、あはれという言葉が出る。鬼神をもあはれと思わせるという、あはれとは、人間らしい気持ちにさせるということである。
人間らしい気持ち、その、らしさとは、何か。
あはれとは、人間らしいのである。魔物でも、妖怪でもない人間というもの。ましてや化け物でもない人間というもの。
あはれとは、人間が持つ心情であろう。それは、どこから発するものなのか。心である。
ここで、明確にする。
精神とは、言葉の世界のことである。
心とは、水落、胸の辺りに宿る目に見えない存在である。
魂とは、脳の側面に存在する、光である。
人間は、肉体、幽体、そして霊体、光である魂を有する存在である。
肉体を失えば、幽体になり、霊体と魂を有する。
幽体を失えば、霊体になり、そして最後は光としての魂の存在になる。
幽体のままにいると、幽霊と言われる、気体になる。
歌の道の心とは、私が言う精神と、心の交わりを言うものである。
脳が心をつくるとは、科学である。実際は、心が脳を支配する。科学は、目に見えるものを分析するのみである。
心は、目に見えないゆえに、脳が先にあるとしか研究できない。脳の間脳に隙間があることの意味を知らない。そこが、魂の存在する場所である。そこからの光が、脳の側面に出る。信じる必要は無い。私は、それを信じてもらう努力などしない。
いずれ解ることであるからだ。

さて、人間らしい、あはれという心情を、進んでゆく。
次に古今の序は、歌の起源を言う。
「この歌、あめつちのひらけ始まりけるときより、いできにけり。しかあれども、世に伝はることは、ひさかたのあめにしては、下照姫に始まり、あらがねのつちにしては、須佐之男命よりぞ、起こりける。」
歌は、天地の開ける時から始まった。しかし、実際には、天上にあっては、下照姫(したてるひめ)から始まり、地上にあっては、須佐之男命から起こったのである。
「ちはやぶる神世には、歌の文学も定まらず、すなほにして、事の心わきたかりけらし。人の世となりて、須佐之男命よりぞ、三十文字あまり一文字はよみける。」
神の世では、形式も整わずという。ここで言う神の世とは、古代、縄文、弥生期の人々のことである。古い古い昔を、神の世と言う。時を経て、精神の有り様が明確になり、つまり人の世になって、ようやく三十一文字となった。
須佐之男命は、天上界の高天原(たかあまはら)を追放されて、地上に降り、出雲の国で、ヤマタノオロチ(八つの頭のある大蛇)を退治して、その地の奇稲田姫と結婚した。その時の喜びの歌が「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣造る その八重垣を」である。
須佐之男命の孫が、国津神の代表である、大国主命である。
勿論、この歌は、後の者が創作したものである。神話、伝説としてのお話である。
古今時代には、5.7.5.7.7の形式が最も大きな勢力となっていた。他の形式も、すべて、5音と7音とから成るのは、前述した。

「かくてぞ、花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心ことば多く、さまざまになりにける。遠き所も、出で立つ足もとより始まりて、年月をわたり、高き山も、ふもとの塵ぢよりなりて、天雲たなびくまで、生(お)ひのぼれるごとくに、この歌も、かくのごとくなるべし。」
ここでも、あはれび、という言葉が出てくる。あはれび、とは、現代では、あわれみ、という意味である。霞をあわれむと言うのである。
人間らしく、霞を見つめる。一体、どういう心境で、霞をあわれむのだろうか。これは、つまり霞をも、歌心に取り入れる人間らしさということになる。
自然現象にも、心を動かされる日本人の、驚嘆すべき、観るという姿勢である。
大伴家持作る歌一首
春の野に 霞たなびき うらかなし この夕かげに ゆぐひいす鳴くも
夕暮れの春の野に、霞がたなびいている。遠くからは、うぐひすの鳴く声が聞こえる。
うらかなしとは、心がかなしいのである。うら、とは、心のことである。表の裏であるから、心である。人間の裏は見えない。その見えない心が、悲しい、哀しいのである。
悲しいとか哀しいというと、悲哀を思うが、違う。この悲しみ、哀しみは、存在の確かさと、不安定さである。つまり、孤独を見つめている。
端的に、孤独であると言わない。これ、風雅である。風情である。
大和言葉の危さ、あやうさ、である。危いとは、危険であるという意味ではない。
ぎりぎりのところで、心の極限の様を見つめて、言の葉という歌にする。
見事である。
いや、実に、見事である。

追伸
神話の高天原と、日本上空に開ける、高天原霊界とは違うことを言う。
ある人は、神界とも言う。
神話の高天原の読みは、タカマガハラと言う。または、タカマノハラと読む人もいる。霊界は、タマアマハラと読む。それは、たアかアあアまアはアらアである。すべて、あ音である。あ音から始まるのが日本の霊界である。
主宰神は、天照大神であり、それは想像神ではない。実在の人物である。
簡単に言う。太陽信仰を説いていた方であり、その方が神上がりして、人は太陽の神、天照とお呼びした。天を照らすのである。太陽である。
神話には、無理がある。イザナギの神が、禊祓えした時に生まれた神であるとするが、イザナギは、男神であり、生むということが、おかしい。勿論、あることの象徴であると考えることが出来るが、高天原の主宰神であるから、何とか、上手い具合にこじつけたかったのだろう。
大和朝廷以前に存在した、富士王朝の長い歴史を、古事記は短縮した。
富士山の上空にも、富士霊界、ある人は、神界という人もいるが、開けてある。
大陸から列島が離れた頃、日本上空に、タカアマハラ霊界が開ける。そこで、主宰者として選ばれたのが、天照と呼ばれ敬意を受けていたお方である。
神の語源については、学者に任せる。
私は、神は上からのものとする。上からのものである。宇宙のどこを探しても、創造神などいないし、欧米人や、アラブ、ユダヤの人が言う、唯一絶対の神などいない。
日本人の太古の人々は、神、カミとは、尊称として用いたのである。最高の尊称として、神という称号を与えた。
天照様が、タカアマハラ霊界に選ばれ、尊称として大神と呼ばれるのである。神という尊称に、大という尊称を得たということは、いかに素晴らしい生き方、教えを説いていたかということである。
日本では、人霊も自然霊も、その他数多くの神と呼ばれる方々がいる。八百万の神どころか、千代万の神々である。それは、すべて上へ上と向かっている。解りやすく言えば、進化しているのである。
最高位に、アメノミナカヌシノカミがいらっしゃると言うが、誰も逢うことは出来ない。それは、宇宙すべてに充満しているから、逢うなどと思う方が間違っている。それを神と呼ぶならば、神でもいい。
宇宙にあって、生き死にを繰り返しているのである。つまり、宇宙からは、逃れられないのである。地球にさえも、やっと生きているのである。太陽系に出掛けて生きることなど出来ない。
霊体になっても、ほぼ太陽系から出られないのである。
余計な話になった。これは、どうでもいい話である。
知ったからといって、役に立つことはない。せいぜい、妄想逞しくする程度である。
日本は、信仰の自由がある。どんな宗教を信じても良い。しかし、教義や教理と言われるものも、一つの仮説として考えていないと、それが足枷になって、見えるべきものも、見えないということになる。
その証拠に、宗教を持つと、実に排他的、非寛容になるのである。

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2007年02月15日

古今の序を続ける

古今の序を続ける。
「いにしえより、かく伝はるうちにも、奈良の御時よりぞ、広まりにける。かの御世や、歌の心をしろしめしたりけむ。かの御時に、おはき三つの位、柿本人麻呂なむ、歌の聖なりける。これは、君も人も、身を合はせたりといふなるべし。」
古きより伝わるうちに、奈良時代になった平城天皇時から、特に広まったのである。あの時代の帝は、歌の本質をお知りになっていらしたのであろうか。柿本人麻呂は歌の聖であった。このことは、帝も、臣も身をひとつに解け合わせていたのである。

「秋の夕べ、竜田川に流るるもみぢをば、帝の御目には、錦と見たまひ、春の朝、吉野の山の桜は、人麻呂が心には、雲かとのみなむ覚えける。」
秋の夕暮れの竜田川に流れる紅葉の葉は、帝には、錦と見えていた。春の朝の吉野山の桜の花は、人麻呂の心には、雲ではないかと思われるばかりであった。

「また山辺赤人といふ人ありける。歌にあやしく妙なりけり。人麻呂は赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麻呂が下に立たむことかたくなむありける。この人々をおきて、またすぐれたる人も、くれ竹のよよに聞こえ、かた糸のよりよりに絶えずぞありける。これより先の歌を集めてなむ、万葉集と名づけられたりける。」
山辺赤人という人がいた。不思議なほどに歌が上手である。この二人を比べると、どちらが上か下かとは言えない。この二人をおいても、他にまた優れた人々も、その世々に知られて、絶えることがなかったのである。人麻呂、赤人より以前の歌を集めて、万葉集とお名づけになったのである。

上記の文は、年代としては、合わない。
人麻呂も、赤人も、奈良ではなく、もっと古い時代の人であり、二人は同じ時期の人ではない。また、彼らの歌は、万葉集に入っている。
万葉集は、八世紀の頃、大伴家持によって編纂された。
当時の万葉集に対する認識を伺うことが出来る文である。まだ、正確ではなかった。
古今は、十世紀905年編纂であり、万葉集編纂から146年ほど後である。
ともあれ、古今の編纂は、万葉集に大きく影響されたということである。
万葉集は、四千五百首であり、古今は千百あまりと、ほぼ四分の一である。万葉集の圧倒的な量には叶わない。

その後、13世紀1205年に新古今集が編纂されるが、これも万葉集を無視出来ないのである。つまり、万葉集は、矢張り、歌の道の親であった。
万葉に始まり、万葉に帰る。和歌は、そうして大和言葉を伝承してゆくのである。
歌道とは和歌のことであり、この歌道こそ、日本人の心を創るのである。
おしなべて 物を思わぬ 人にさえ 心をつくる 秋の初風 西行
普段は、物思いに耽らない人にさえも、秋の初風は、何事か、物思いに浸らせる力がある。
日本人が心を創るのは、自然の有り様の中にある。それが歌になる。つまり、言葉の世界を作る。精神としての言葉が先ではない。まず心が先であり、そして精神としての言葉の世界が生み出される。
間違いの無いように言う。
ここが、欧米の思想、多弁なインド哲学等々と違うのである。
彼らは、語る、多く語る。語りすぎる程語りつくしても、和歌の前には、吹き飛ぶのである。それは、彼らの言葉が、記号であり、霊の存在しない、物であるからだ。
大和言葉は、霊が宿る、神が宿る言霊の言葉である。もっと言えば、音霊、そして数霊が宿るのである。
三十一音のみで、どこまでも世界を広げてゆくことが出来る。
これを驚嘆しないで、何を驚嘆するのか。

禅宗という仏教の一派がある。中国禅といってもいい。彼らの言い分は、不立文字という、つまり、教えは、言葉に出来ないと言う。しかし、彼らの著述の多いことといったらない。勿論、日本の禅宗の僧も、語る語る。だから、私は嘘だと言うのである。
言葉に出来ないのであれば、語らずに行為のみに始終するはずであるが、語る。つまり、嘘があるからである。語れば、その嘘を隠せると思う。それを、彼ら自身が知らないという不幸である。
短文により、何事か、解ったような言葉を作るのを善しとするようだが、あれらは嘘である。いい格好しいである。
あれに、迷ってはならない。
あれこそ、仏法に迷う骨頂である。勿論、それも彼らは知らない。
一時期の武士たちが、あの言葉の世界に迷い、禅は深遠なものであると、思い込んでしまった。信じ込んだ。それが命取りになった。
これ以上は言わないでおく。
私は、道元の文に大いに触発された。読ませるに見事な文である。
文学としては、素晴らしい。

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2007年02月17日

紀貫之の大和言葉

紀貫之の大和言葉を、もう少し読む。
「古き歌、自らのをも奉らせたまひてなむ。それが中に、梅をかざすより始めて、ほととぎすを聞き、もみぢを折り、雪を見るに至るまで、また、つる・かめにつけて君を思ひ、人をも祝ひ、秋萩・夏草を見て妻を恋ひ、逢坂山に至りてたむけを祈り、あるは、春夏秋冬にも入らぬくさぐさの歌をなむ、選ばせたまひける。すべて千歌二十巻、名づけて古今和歌集といふ。かくこのたび、集め選ばれて、山下水の絶えず、浜の真砂の数多く、つもりぬれば、今は飛鳥川の瀬になるうらみも聞こえず、さざれ石のいはほとなるよろこびのみぞあるべき。」
古き歌とは、万葉集である。万葉の歌に入っていない歌、選者たちの歌も奉らせた。
その歌の中には、梅をかざすというものから、ほととぎすの声を聞いて、紅葉を折り、雪を見るという歌に至るまで、また、鶴や亀に託して君の長寿を思い、人をも祝う、秋萩や夏草を見ては妻を恋しく思い、逢坂山に至っては、手向けの神を祈り、また春夏秋冬のどれにも属さぬ様々な歌を選ばせたのである。千首二十巻、名づけて古今和歌集という。
このたび、歌が集められて、絶えることなく、その数が多く積もり、今は、歌が衰えてゆくこともなく、さざれ石の岩になる如くに、生成する喜びのみあるばかりだ。

不思議なもので、大和言葉を静かに読むと、心が落ち着くのである。
言葉は時代と共に変わるが、その元は、変わらない。日本語の元は、大和言葉である。幾度も読むうちに、自然に、何事かが伝わるというのは、日本人だからである。
古典など読む必要が無いと言う人もいる。それはそれでいい。
いつか、大和言葉に慰められる時がくるかもしれない。
「たとひ、時移り、事去り、楽しび行きかふとも、この歌の文字あるをや。青柳の糸絶えず、松の葉の散りうせずして、まさきのかづら長く伝はり、鳥の跡久しくとどまれらば、歌のさまを知り、事の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、いにしえを仰ぎて、今を恋ひざらめかも。」
たとい時移り、事が去り、楽しみ悲しみが行き来し変転しても、この歌がある。これが絶えず散り失せないで、長く後世に伝わり、久しく留まるならば、歌が何かを知るであろう。それは、大空の月を仰ぎ見るように、古い時代の歌を仰ぎ見る。そして、この歌を恋い慕うであろう。

さて、いよいよ、大和心の万葉集に分け入る。
私は学者ではない、研究家でもない、素人であるから、ばったばったと、心の赴くままに、もののあわれを尋ねてゆく。
人間の持つ、あらゆる心の様を万葉集は、目の前に現す。
現代の人間と、万葉時代の人間に、何事かの差があろうか。大差ないのである。ただ、複雑になっただけである。絡み合う糸を解せば、皆々、万葉の時代の人の心になる。

おほいなる、やわらぎの、こころ、つまり、大和魂が、もののあわれの大本である。
人の心の喜怒哀楽が、すべてこなされてゆく時に、心の姿が、和らいでゆくのである。

建礼門院右京太夫は歌う。
月をそこ 眺めなれしか 星の夜を 深きあわれを 今夜知りぬる
いつもは、月を眺める。しかし、今夜の星空は、何であろう。この星空を眺めていると、心の深いところから、あわれを思う。あわれというものを知るのである。

愛する人を失い、絶望の内に生きた人の、深いため息から生まれでた、あわれの情。あわれが、哀れであり、憐れとなり、そしてあわれは、深い慈しみに至る。
ある思想家が言う。歳月は慈悲を生ずると。
もうすでに、私は、あわれの答えを出している。
人の心のあらゆる相を経て、人の心は、いつくしみに至るのである。
そこに辿り着くまでには、万葉の世界を抜け出て、万葉を抱擁してゆくのだ。
とにかく、大和言葉の真骨頂を感得しなければならない。そのためには、万葉集の言の葉に分け入り、分け入りしてゆかなければならない。
言葉の先祖帰りである。
心のふるさと、万葉集である。

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2007年02月23日

天武天皇御製

天武天皇御製
天皇御製歌 すめらみことの おほみうた
み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 念いつつぞ来る その山道を

吉野の耳我の嶺に雪が降りついでいる。絶え間なく雨が降り続いている。その雪が降り続いているように、その雨が降りついでいるように、ただ一途に想い続けながら、山道を歩く。ひたすら想いながら、山道を来たのである。

ある学者連中は恋であると言い、ある学者連中は、天武天皇との確執であると言い、ある者は、文学的に云々と言う。
いずれも、無し。
その時の、天武天皇は、まだ大海人皇子である。面倒なので、歴史的背景は省略する。
天智天皇が病にある時期である。壬申の乱の前夜である。
これを素直に読む。霊感によって、読む。

この念いは、国への想いである。国造りへの想いである。
大化の改新を成した、兄である天智天皇への想いでもある。
速やかに進まない、改革の進展を思い悩む弟である。

人は、成した行為によってしか、真実を表さない。歴史は、完結している。過ぎた歴史は、完結するのである。天武天皇の行為を見れば、この歌の意味が理解できる。つまり、天武天皇は、天智天皇の後を継いで、改新を成したのである。
それを見れば、この歌の意味が解る。
人は、その人のレベルに即して、物事を解釈する。学者等々が、そうである。そのレベルに合わせて、解釈する。
恋にする者は、それに、確執にする者は、それに、文学とする者は、それにである。
私は、違う。
兄の病に、謹慎蟄居している様が見える。
願いは、その父舒明天皇からであり、その願いは、厩戸皇子、つまり聖徳太子からの願いである。
人は、生まれ持った宿命がある。それを、歴史学者等々は知らない。だから、この歌を正しく解釈できない。
恋を歌を、このように読むか。兄に対する対立をこのように読むか。
大伴家持が、この歌を万葉集に取り入れたのは、その気概である。万葉の気概を観たのである。
国の主となる者の気概である。単なる、利己のものではない。利己的な心情ならば、取り入れることはなかった。
天皇の御歌である。
国を想う歌だから、取り入れる価値があった。
単純素朴な歌に、万葉の骨頂がある。
実に、単純な歌である。雪が降る。雨が降る。そして、その中の山道を行くのである。想いを抱いて。
恋でも、対立でもないであろう。大いなる志の想いである。
みくにを、たいらけく、やすらけくするための、想いである。
御国である。国は、我が物ではない。祖先の続きにある、貴きものである。その国を、いかに作り上げるのか。
国の首相が、我が身のために行為するのは、全体主義、絶対君主主義であろう。何ゆえに、民のために行為するのか。それは、高祖皇宗の想いである。それを知るからこその、行為である。天皇家が滅ぶことが無かったのは、そういうことである。

よくよく振り返って、日本の歴史を観る時、天皇という存在は、国民を無視することがなかった。いつも、国民と共にあった。だから、国民は、天皇家を本家として崇めた。
結局、大化の改新も、明治維新も、終戦も、天皇の詔によって、国民は是としたのである。
無形の信頼である。
これを書けば、私は、右翼と言われるであろう。
私は、右翼でも左翼でもない。
私は、中道である。
天皇家が無くなれば、それでよし。日本の歴史は、それで変わる。天皇の歴史が、日本の歴史であり、そして国民の歴史であった。それを無き物にせよ、私は構わない。
天皇家が無くなれば、日本が無くなる。それでいいではないか。
好き勝手な国名をつければいい。

最もらしく天皇制反対を唱える人がいる。多くの国民が、そう思えば天皇家は、退くであろう。天皇家とは、そういうものである。国民の支持が得られなければ、存続出来ないようになっている。専制君主制ではないからだ。国民の総意によって、成り立つのである。

私は言う。
権威というものは、権威によって成る。現実的に権威というものを挙げよと言われれば、私には、天皇としか言い得ない。
一国民、民の一人としては、天皇を拝すのである。み親の象徴としてである。
2667年という家系の伝統を持つということは、私も2667年の伝統があるということである。
私の祖父母は、天皇陛下を天子様と言って、拝していた。その伝統に、私も背くこと無し。

posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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