2013年01月28日

性について225

正常な性交の有用性の根拠の一つである種族保存の目的は、むしろ、まれな場合にしか追求されない。この点では、正常な性交のほとんどが、性倒錯と同じく、純粋に無償の遊びである。
岸田秀

その通りと言うしかない。
正常な性交が、すべて生殖を目指している性行為ではないのである。
つまり、それらも、倒錯である。

人間の性は、おおむね、純粋に無償の遊びに近いといえる。

ある精神科医は、言う。
性行為は、日々の夫婦関係の情緒的な関係であり、それは、心の豊かさを得る行為である、と。

何と言っても、生殖の伴わない性行為が、異常とすると、それも、異常になる。

今時、もう、妊娠を目的とした、性行為は、限られた人による。

日本に、フリーセックスという言葉が生まれた時代から、すでに、その異常の世界の性を享受しているのである。

それは、性倒錯に他ならないと、岸田は言う。

性器リビドーも前性器リビドーも、不自然であるという点では同じであり、個人がどの形式によってそのリビドーを満足させようが、それは個人の問題であり、自然に反するという根拠にもとづく性倒錯者への非難や軽蔑は正当ではない。
岸田

大体、人間の性は、最初から、自然に反しているという考え方であるから、当然である。

性を支配する者は、人間を支配する。
この、自然に反する云々とは、多く、キリスト教の世界で、言われることである。
西洋の性に関する考察は、すべて、その教会の考え方が、主たるものである。

更に、一夫一婦制も、正常ではなかったのである。
一夫多妻である。

それも、教会により、一夫一婦制となった。
一体、誰の差し金か・・・

ユダヤ教から離れた、キリスト教、カトリックの教義による。

モーゼの十戒に、姦淫するなとあるのは、他人の物を盗むなという意味で、他人の女を盗むなという意味の、姦淫である。

つまり、女は、男の所有物だった。
それが、父系社会の到来を告げたのである。

産めよ増やせよ地に満ちよ・・・
旧約聖書の神の言葉である。

要するに、女は、子供を産むための、モノだった。

それが、正常だった、時代がある。

正常な性交と妊娠とはほとんど切り離された。人間のエロスの、この点に関する快感原則と現実原則との対立はほとんど解消された。現実原則が快感原則に歩み寄ったのである。
岸田

ということで、時代は、その先を行く。

性の快楽における、正常、異常の垣根が、ぎりぎりと近くづくのである。
快感原則に歩み寄るということは、そういうことである。

ここで、私は、快感ではなく、快楽という言葉を使う。
この快楽は、実は、人間を生かしているものとの、意識を言う。

勿論、セックスを嫌うという、快楽のこともである。

あらゆる性の形があって、当然であるという、意識である。
そういう、時代性になった。

心理学者が、色々と分析するのは、単なる、暇つぶしになるのである。
最初から、倒錯しているものを・・・今更・・・分析するという。

次の問題は、個人が求める性のあり方に対して、どのようにしたら、スムーズに事が進むか、である。
専門家は、それを助ける役目である。

治療ではない。
個人が求める、性の在り様を、如何に、スムーズにして上げられるのかということ。

ただし、ここで、社会性という問題がある。
何でも、許すことは、出来ない。
社会が容認する範囲での、性の形である。

犯罪として、成り立つ、幼児性愛、児童買春などは、反社会的行為である。
更に、暴力、レイプ・・・

幼児性愛も、個人的に勝手に、マスターベーションの範囲で楽しむのは、問題がない。
その枠を超えない、性的遊戯である。

更に、問題は、その対象関係であると、岸田は言う。
それについて、少し、見てゆくことにする。

それぞれの、リビドーによる、倒錯の様子が伺える。
そして、それには、対象が必要となる。

前性器リビドーが、大きな比重を占める。
それは、口唇リビドー、肛門リビドー、男根リビドーである。
それぞれに、倒錯の種がある。
とはいえ、倒錯・・・という言葉を使うのである。

倒錯というより、傾向と命名した方が、無難だと思うが・・・
すると、傾向と対策という形式に移れると思うが・・・

兎に角、正常というものも、幻想であるということだ。
正常というものは、どこを探しても、無いのである。




posted by 天山 at 00:02| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月09日

性について226

口唇リビドーは本質的に自己色情型であり、対象関係を欠いている。
岸田秀

口唇リビドーが主な倒錯は、窃視症、その受動態としての露出症、フェティシズムであるが、対象との直接的関わりを持たない。

口唇リビドーは、もともと純粋で無償のものなのだ。当人は、その口唇リビドーゆえに、対象と距離を置いて、遠くからあがめる形式を必要としているのであって、もし対象が一人の身体的な女として彼の愛を受け容れ、近づいてきたら、彼は、のぞき見しているところを相手に見つかり、・・・困って逃げ出すであろう。
岸田

肛門リビドーも、似ている。
その倒錯形式では、サディズムとマゾヒズムが代表である。

この場合の対象は、単なる道具の位置である。

岸田は、
サディストとマゾヒストから、いじめるのが好きな者といじめられるのが好きな者なのだから、うまくゆくように思われるかもしれないが、実際には、いじめ、いじめられる場面のすじがきの決定権をめぐって凄烈な争いが演じられるのがつねである。どちらも相手を道具の位置に、つまりは糞便の状態におとしめようとしているのだから、この争いには妥協の余地がない。
と、言う。

更に、これらの、自己色情的、半自己色情的リビドーには、その他の色々な妄想がついている。

全能の力をもった物体、突入する視線、男根を持った母親、無限の破壊力をもった男根、すべの精気を吸い尽くす膣、子供を生む肛門、血を吸い肉をかじる口、去勢される男根、男根となった乳房、など。
岸田

快感原則に支配されているこれら倒錯的リビドーのおもむくままに従っていたのでは、対象関係の確立はおぼつかず、それに伴う妄想に引きずられて、現実から遊離せざるを得ない。この点においては、快感原則と現実原則との対立は根本的に解決する方法が見当たらない。
岸田

そこで、自我が登場する。
性器リビドーをして、正常な性交を確立し、妥協策として、正常な性交に、あくまで従属的なものとして、色々な付帯条件をつける。

前性器リビドーを騙しつつ、正常な性交の枠の中に、押し込むのである。

賢いと思う馬鹿ほど、その努力が激しいといえる。
更には、それ、そのものに、興味が無いように、振舞うのである。
つまり、性行為は、二の次で、愛情であると、言い聞かせる。

吸う、咥えるなどの、口唇リビドー、締めるという形を取る、肛門リビドーは、そのまま、男根に対する膣の活動形式として、性器リビドーの中に、組み入れる。
更に、対象の攻撃、支配するという、肛門リビドーも、ある限度内であれば、女を獲得し、支配するという、男の正常な性行動の一つとなりえる。

何とか、正常に近づく性行為である。

しかし、前性器リビドーが強すぎると、それを抱え込むための妥協策が、正常な性交をくずすことになる。
岸田

前性器リビドーとは、幼児期における、リビドー興奮の体験の多少によって決まるものである。

口唇リビドーが主を占める倒錯は、圧倒的に男に多い。それは、異性である母親に世話されることによるという、説がある。

女の子より、多く、リビドーの興奮を味わうというのである。

性行為の主は、自我である。
結果的に、リビドーの満足の、最終的形式を決定するのは、自我である。

当人の自我がある倒錯形式に固執し、それをリビドーの満足を得る最善の形式であると信じている限り、はたの者はどうしようもない。自我は、性格をも決定するので、当然のことながら、性格と倒錯形式とは密接な関係がある。
岸田

と、ここで、それでは、あらゆる性欲を感じないという者の場合は、どうなのか・・・
そういう人間もいる。

特に、女に多いが、男にもいる。

上記の方法で言えば、自我が問題である。
性的満足を必要としないのか、倒錯以上の倒錯を抱えているのか・・・

不感症、冷感症・・・
これは、倒錯以上に困難な問題である。

女の場合は、精神分析が大きな効果を期待できるが、男の場合は、もっと困難な問題になる。

現在、そういう男が増えているというから、更に、問題である。
リビドーの刺激が、極端に少ない、低いからか・・・

更には、射精する感覚に、嫌悪するというものである。
それは、もう、脳内の異常というしかない。
性欲を司る脳内の部分が、破壊されている。
それは、つまり、他の部位にも大きな影響を与えていると、考える。

人間ではない、生き物。

これは、例外中の例外である。
ただ、男に性行為を嫌悪するという、現代の中の何処かに、問題があると思える。

勿論、社会的に、個人の問題であるから、事件などになることはないが・・・
何かかが、狂っているのである。

それも、一つの進化であるとは、言い難い。
脳の異常であると、見た方が真っ当である。

posted by 天山 at 07:21| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月10日

性について227

自我は、同時に、性格をも決定するので、当然のことながら、性格と倒錯形式とは密接な関係がある。つねに対象をおいてきぼりにする自己色情的なリビドーを主流とする倒錯形式をもつ者は、対人関係においても相手のことはどうでもよく、自分にしか関心のない手前勝手な者である。しかし、この逆は必ずしも真ではなく、正常な性交が可能な者が、相手への理解と思いやりにもとづく対象関係を確立した者であるとは必ずしも言えない。
岸田

正常な性交にも、色々なリビドーが参加し得る。
膣を使った、マスターベーションという事態もある。

自分でするより、一応は、相手の女とつながるが、相手を無視する点では、倒錯である。

岸田が強調するのは、
人間におけるエロスの発達は、格別の邪魔さえはいらなければ自動的に自然に進んでゆく過程ではなくて、われわれの自我がいわば人為的に達成しなければならないものである。そこには自然によってあらかじめ定められている予定のコースはない。
と、言うことになる。

リビドーの満足の最終的形式は、正常、異常に関わらず、すべて各人の自我の人工的構築物である、という結論である。

単なる、欲望を満たすという行為にも、結果は、自我の人工的構築物ということになるのである。

しかし、ここで言う、正常、異常という言葉も、本来は、意味が無い。
正常、異常ではなく、人それぞれという言い方になるのである。

社会的に逸脱した場合、異常と言われる。

そして、岸田も、エロスの対にある、タナトスについて触れている。
このタナトス、死への思い・・・
死の願望とか、希求とか、衝動とか、言われるが・・・

それも、それぞれの、リビドーにより、変化するのである。
エロスを語るのであれば、タナトスについて、触れる必要が、矢張りあるのだ。

また、長い旅が始まる。

フロイトは、死の衝動を提唱する際、衝動を定義して、過去の状態の再現をめざす傾向であると言ったが、この定義がすでに、衝動と本能との相違を明確に語っている。
岸田

更に、岸田は、フロイトの定義は、
動物の本能とは異なったところの人間の衝動についての定義であり、いわば、人間における動物的本能の歪みを表している。
と、言う。

色々な説明が語られるが、結果は、フロイトの定義の仮説は、本当についてではない。過去の状態を再現しようと求める衝動についての、仮説である。

その性質は、動物の本能には、存在しないのである。

過去を再現するとか、死の衝動とかを、人間以外の動物は、持たないのである。

フロイトが、本能と区別して呼んだ、衝動という言葉を、岸田は、欲望に置き換えるという。
確かに、衝動は、本能を思わせる。
それは、本能ではなく、人間の欲望であると、言った方が、すっきりとする。

何故、人間の欲望は、過去を再現するという性質を持つにいたったのか・・・

その欲望がかつて挫折した欲望であるかぎりにおいてである。
岸田

その理由は、
人類が、自己保存のためにせよ種族保存のためにせよ、その目的に役立つ本能的行動様式を失ってしまったことに起因するが・・・
と、ある。

本能的行動様式を失ってしまったとき、人間の本能は、欲望に変質したという、意見であるが・・・

更に、自己保存本能は、ナルチシズムに変質し、性本能は、エロティシズムに変質したという。

そして、欲望は、本能的形式と切り離されたため、自然の現実的諸条件と対応しておらず、したがって、挫折することが、欲望の運命となった。

動物の本能が、挫折した場合は、完全に個体、そして、種の滅亡である。
そして、人間の、欲望は、動物の本能のように、完全な満足は、有り得ない。

更に、満足させた場合も、それは、部分的、代理的満足に過ぎない。
厳密に言うと、挫折である。

頭の中で、考え得る限りの、思考であると、思える。
これが、分析である。

これは、基本には、動物の本能の満足を、是としている、考え方である。
人間は、何故、そのようにならなかったのか・・・

それは、大脳化であると、私は言う。
だが、岸田の思考に敬意を表して、続ける。

この分析により、人間が、より欲望を満たすことが出来る形式を作り出せるとは、全く考えない。

学者の言葉遊びである。

更に、時代は、益々と混乱して、本能も無く、欲望も希薄になり・・・
性は、何処へ向かっているのだろうか。

無性という、人種も現れて、それを心理学が、どのように分析するのか、楽しみである。

無性とは、男でも、女でも無いという。
勿論、生物学的には、体は、男でも、女でも、である。

ところが、彼らは、性が無いというのである。
これは、最大の倒錯であろう。

posted by 天山 at 01:57| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月11日

性について228

人間の欲望に関しては、動物の本能におけるような、完全な満足はあり得ず、厳密な意味では、挫折に他ならない。
との、岸田の指摘である。

しかも、その部分的・代理的満足を提供した外的条件は、自然の現実的条件ではなく、他者「親、社会、文化など」によってつくりあげられた、または、のちには一部分自分がつくりあげる人為的条件、すなわち擬似現実である。
岸田

その、擬似現実の中で、完全な満足の幻想を生じさせた。その幻想と結びつき、その幻想に支えられるようになる。というのが、岸田の言い分である。

それが、共同幻想にまで広がる。
更に、幻想に犯されて、個人がまた、私的幻想を抱く余地を残している。

面白いのは、
かくして、完全な満足の幻想と結びついた欲望は、ますます現在の現実的条件からずれ、過去に顔を向けるようになる。過去の状態の再現を求めるという欲望の特質を、より正確に言い直せば、過去の幻想の満足の状態の再現を求めるということである。しかし、この状態は、かつて一度も実在しなかった状態であり、未来においても決して実在しないであろう。
岸田

と、言うことになる。

そして、ついに快感原則は、満足の快感を求める性本能の原則ではなく、幻想の法則であるということになる。

これでは、絶望である。

快感原則を突き詰めれば、涅槃原則に帰着するという、岸田の考える世界は、実に、絶望に満ちている。

人間の性は、その欲望は、この原則に支配されている限りは、避け難いのである、となる。

更に、性器的形式から切り離されたリビドーは、幻想を通して、どのような形式とも、結びつくのである。

だから、人間の、性行為は倒錯なのである。
いや、それが、多数ならば、倒錯ではなく、正常であるといえる。

フロイトからはじまる、心理学者たちの理論も、すべて、幻想から成るものであり、私の言い方をすると、妄想である。

その一端を持って、何をどのように説明しようと、儚い妄想なのである。

それを学んで、分かったつもりになる、研究者と学者の姿は、笑えるが、当人は、真剣である。

岸田は、それに関しても、幻想に支えられているという人間の性欲の特殊性を無視する理論では、説明のしようがないと、断定する。

日本の心理学者も、この辺まで進むと、世界的に紹介出来ることになる。

性格というものは、水路づけの理論で考えられるように、機械的に反復されたために習慣として固定した反応形式ではない。それは、幼児性欲をもつ幼児が、父母との人間関係において幻想の満足を求めた諸形式が構造化されたものであり、のちに、多大の不適応を招いても性格がなかなか変わらないのは、満足の幻想と結びついているからである。
岸田

性的倒錯は、性と関係ない、倒錯の性格が、性化されたものではない。
それは、性化ではなく、再現化である。

つまり、フロイト流に言うと、昇華であり非性化である。

この、非性化とは、ある形式の性的意味づけをやめるということであり、意識、前意識の面での抑圧のことであり、その形式を無意識的に支えているのは、依然として、性的リビドーである。

つまり、排泄の際に、肛門の快感を性的快感と感じるか、否かは、当人の問題である。

そして、それは、肛門リビドーの在り様である。

更には、それを性的快感と考えていなかった者が、肛門を愛撫されて、性的快感と感じるようになったとすれば、非性化が、再生化されたということになる。

性倒錯者とは、一般には再生化されない、または再生化が禁じられている対象または行動形式を再現化し、かつその再現化が固定した者である。
岸田

再現化が、固定する・・・

多くの人間は、固定しているはずだ。

最初から、人間の性欲が、倒錯しているのだから・・・
当然といえば、当然である。

しかし、自分は、ごく普通の性欲だと、考える人が圧倒的に多いだろう。

幻想、妄想であれば、百人百様の性欲がある。

幼児期の多型性欲倒錯は、思春期まで、続くと私は、考える。
兎も角、何でもありの性欲なのである。

要するに、人間においては、性倒錯はもちろん、いわゆる正常な性器性欲も、幻想に支えられているということであって、人間のエロティシズムの豊かさ、美しさも、またそのいやらしさ、醜悪さも、ここに由来するのである。また、エロティシズムがどこまでいっても満足に達し得ず、必然的に挫折する宿命にあるのも、そのためである。
岸田

習慣と、社会性・・・
教育により・・・
己の性欲の幻想が出来上がる。

そして、面白いのは、自分の性の在り様を、人にも、勧めるということである。
皆、そうなんだ・・・
それが、救いになる。
だから、独身を通す人に対して、既婚者は、結婚を勧める。
実際は、結婚などしなければ、しない方がいいと、思っても、自分と同じような人が多く必要なのである。

結婚しなくても、子供は、出来る。
子孫は、残せるのに。

更には、世の中では、片親では、子供が真っ当に育たないとの、偏見を植え付けるのである。
少し、話が、落ちたが・・・

posted by 天山 at 01:49| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

性について229

精神分析による、性というもの・・・
それは、100年単位で、その当時の驚くべき分析が出る。

分析は、分析に陥るのである。
100年後に、その分析が通るかどうかは、解らない。

性について、色々書いてきたが、もう一度、ここで、性というものの、進化を見たい。つまり、オスが男になる、メスが女になるというものである。

オスが男になる過程を見れば、メスが女になる過程も解る。

つまり、オスはどうして、男になったか・・・である。

動物としての、オスが、人間としての、男になるということである。

単なる生殖行為としての、オスと人間の男は、変わらないとは思えない。
何せ、オスは、人間の男のように、年中性行為が出来る訳ではないし、その期間だけ、生殖行為をするのである。

人間の男と女だけが、年中、性行為をするという・・・
呆れるほどの、性行為を繰り返している。

何故か・・・

更には、それで足りずに、マスターベーションも繰り返す。
何故か・・・

本当に、欲望なのか・・・
それとも、強迫性のものなのか・・・

食べる行為と同じく、毎日、性行為をする時期もあるのだ。

更には、性の劣等感である。
特に、男のペニスが小さいなど・・・

巨根願望である。
大きいペニスを持つというだけで、自信を持つという、男というもの。
少し哀れであるが・・・

何の才能も無いが、ペニスが大きいというだけで、何か、特別な自信を持つ男という哀れさである。

オスがヒト化した、男のペニスは、巨大化した。
それは、直立二歩行にともない、大脳化現象と、対面位が、メスの性器を巨大化したからである。

更に、メスがいつもオスを受け入れ、多重型オーガズムを獲得していったことが、上げられる。

そこから、巨根神話が出来上がるのである。
更に、多様な、性的逸脱行動である。

特に、性的逸脱は、男に多い。
強姦、露出症、小児性愛、同性愛、覗きなど、そして、若い女を好む・・・
それは、オスには、見られなかったことである。

オスが男になっていく過程を俯瞰すると、五億年前から、二億年前に終末を迎えた、古生代を経て、は虫類の時代と呼ばれる中生代が、7000万年前に終わり、新生代に入るのである。

その中で、300万年前に始まったとされる、更新世と、それに続く、現世とを合わせて、第四紀とも呼ばれる時代。
その第四紀が、ホモ・サピエンス誕生の時期である。

最初の哺乳類が発生したのは、中生代初期で、体温調節に巧みなものが、白亜紀を生き延びて、新生紀まで生きた。

霊長類は、この新生代の始まる前、白亜紀の終わりに存在していたと、いわれる。
生き延びた、乳類から派生したのである。

第三紀末に訪れた、極端な気温低下は、その後、断続的に訪れ、これが第四紀の、寒冷気候の特徴である。

人間の先祖は、その過酷な環境を生きてきたのである。

第三紀には、六回の氷河期と、五回の暖期があった。
わずか一万年前から始まった現世、完新生は、新世代最後の氷河期のあとの、間氷期である。

現在は、暖期なのである。

だが、新生代の本当の寒冷期が始まるのは、地殻変動の沈静する、一万年前以降の中新生である。

地殻変動が起こると、生物も、新生し進化する。
鳥、昆虫も新世代に入り、繁殖した。

最も初の、霊長類のツバイ科動物は、樹上で生活を始めたリスと同じ形と、大きさを持つ動物だった。

これが、新世代に入り、間もなくの、6400万年前であり、その後、幾つかの過程を経て、ヒト科が出来上がる。

およそ、3500万年前に、旧人類、類人猿が繁殖して、やがて、400万年前の、鮮新世の終わり頃に、類人猿とほぼ同じ大きさの脳を持ち、ホモ・サピエンスと同じように、直立して歩く、類人猿の従兄弟が誕生する。

ユーラシア大陸にアラビアとアフリカをのせた大陸が食い込み、つながっているうちに、ユーラシア大陸の各地に、移り住んでいた。
およそ、3500万年前である。

ヒトにより近くなった、類人猿ドリオピテクスは、およそ2300万年前から、800万年前まで、生息していた。

このサルは、チンパンジーのように、手の指を曲げて、木の幹を押しつつ、歩いていたのである。樹上の生活である。

発情した時だけ、オスは、メスと交尾し、発情期が過ぎると、別れて、オスは子育てに参加しない。

メスは、環境が良いので、オス無しで、子育てが出来たのである。

メスがオスに与える、発情のサインは、尻を腫らせ、真っ赤に着色した視覚信号と、膣から出す、フェロモンの臭覚信号、ラブコールの、聴覚信号である。

人類は、遠い昔に、このドリオピテクス類から枝分かれして、屈折した道を歩み、現在の人間に成るに至ったのである。


posted by 天山 at 00:17| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月06日

性について230

人類は、ドリオピテクスから枝分かれしたのである。
その、ドリオピテクスには、発情期があり、現存する、ゴリラ、オランウータンから類推されるように、月経周期の半ばの排卵期が来ても、尻も腫れず、赤くもならないだろう。

だが、性的に興奮していることは、行動で示したと思われる。
月経周期に関わらず、いつでも、交尾する類人猿はいない。

人類の祖先の、ドリオピテクスにも、まだ、発情期の痕跡が残っていたと思う。

飼育下で、ゴリラや、オラウンータンの交尾の主導権は、いつもメスが握っている。しかし、ボルネオの密林では、オスのオランウータンが、交尾を強要したり、強姦という形を取ることもある。

オランウータンは、体の性差が、最も著しいサルといってもいい。
メスの二倍もある体格と、頬の輪郭と、垂れ下がったのど袋を誇示して、オスの間で、メスの獲得のための、駆け引きが展開される。

更に、行動の性差が激しい。
オスの長い呼び声である。これは、オスの間の性選択の手段である。

この長い呼び声は、社会的に優位のオスだけに、許されている。
順位付けの、音声信号である。

だが、これにより、メスが性的に惹かれるわけではない。
そして、メスと性行為をしたオスは、更に長い叫び声を上げるという。

ドリオピテクスも、同じようなものだったと、推測するのである。

ただ、オスとメスの、体格の性差は、オランウータンほどではなかった。
オスの身長は、90センチメートルで、メスは、これより少し小さい。

チンパンジーの性差位である。

彼らの大勢の子孫から、最初の人類が誕生しようとしていたのである。

学者により、様々な、人類系統図が、描かれているが・・・

最も、新しい説は、5,600万年前に、まずゴリラの祖先から、ついでチンパンジーの祖先から、短期間のうちに分かれたという説である。

つまり、チンパンジーが、人間に一番近いサルということになる。

これは、遺伝子のデオキシリボ核酸の、比較研究から出されたものである。

チンパンジーと人間の、共通の祖先から分れた年代は、570万年前から640万年前という、鮮新世の時代だと、推測される。

兎も角、人類の結婚の起源は、ドリオピテクス類から始まると、考えてよい。

それは、人類の視覚、体型、群居性、性生活、社会生活の要素の大半を、ドリオピテクスから引き継いでいるからである。

さて、ドリオピテクスに限らず、霊長類の交尾システムは、大きく分けて、ハレム型と、乱交型である。

一夫一婦という関係は、極めて稀である。

乱交は、メスが発情していれば、交尾の相手が自由というタイプであるが、一夫一婦制がないように、完全な乱交も、有り得ないという。

好みにより、一定期間をペアで過ごす型と、オスの社会的順位によって、左右される型とがある。
後者の方が、サルの社会では、よく見られるもので、交尾の相手は一定しないが、時には、オスの順位で決まる。

複数のオスと、複数のメスで形成される、社会単位である。

ハレム型は、一頭のオスと、複数のメスと子供からなる社会単位をもつ、サル社会に見られる。

いずれにせよ、その基本は、繁殖を成功させることである。

一夫多妻型は、過酷な自然環境の中で、数千年の過程で、種を絶やさぬための戦略として、引き継がれてきたのである。

性を楽しむという、人間の在り様ではないということだ。

1926年、南アフリカで、ヒトと類人猿の両方の特徴を持つ、頭蓋骨が発見された。
これは、アウストラロピテクス、南のサルと、命名された。
1947年に、ヒト科と認められた。

この、ヒト科動物の系列に花を添えたのが、1972年から74年、国際遠征隊によって発見された、ルーシーの存在である。

東エチオピアで発見された化石は、身長110センチ、年齢推定は18歳から21歳の女性である。
地質年代は、340万年前から、300万年前である。

数少ない化石から、ヒト科の平均寿命を推定することは、不可能である。

ただ、1966年に、シュルツの作った各種霊長類のライフサイクル表は、ヒト科動物の寿命が、30から40歳以上であったことをうかがわせる。

メスザルは、死ぬまで血を流していたと思われる。
過酷な自然環境の中では、月経周期が終了するまで、生きていることが出来なかったと、思われる。

さて、ヒトとチンパンジーが共通の祖先を持つとすると、卵巣の働きも同じようだったといえる。

ただ、漸新世から、鮮新世にかけて、地殻変動と森林の後退といった悪循環の下では、寿命は、長くなかったはず。
20から30歳程度である。

人類の遠い祖先も、月経周期を持ったまま、死に、あるいは、月経周期を終えると、死んだ。

過酷な環境から逃れて、肉食獣から身を守る、唯一の方法は、自由になった手で、武器を作るこだったと思う。

それは、ドリオピテクスより後の、ホモ・ハビリスの時代になってからである。
ホモ・ハビリスの手足は、現代人と変わらないのである。

更に、脳の大きさである。
脳の大きさが、人類の進化の大本である。


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2013年04月07日

性について231

鮮・更新世の頃の、乳幼児の死亡率は、極限に達する。
そこで、出産率を増やさない限り、種族の絶滅に至るのである。

それでは・・・どうするのか・・・
まだ月経周期のあるメスと交わることである。

その頃の、原人たちの寿命は、解らないが・・・
30歳程度か・・・
月経停止を向かえるメスも多かっただろう。

アフリカのカラハリ砂漠に住む、クン族「ブッシュマン」の平均寿命は、30歳で、月経停止は、30歳を超えた女にみられるという。

それまで、熟女を相手にしてきた男たちは、出生率を増やす段階に入り、熟女を敬遠し、若い女に相手を変更した。

事実は、ヒト科以外の霊長類のオスが、若いメスを特に好むという傾向はないが・・・

例えば、チンパンジーは、交尾の形に、乱交と、ハレム型があるといったが、この類人猿だけは、交尾の相手に、好みという傾向を持つ。

チンパンジーの発情したメスの前に、発情したオスが並んで順番を待つ。
どのオスとも交われるのだが、息子や、兄弟を外す。

中には、個人的な好みをはっきりと、示す例が報告されている。

それは、年長のオスを選んでいる。
若いオスを除き、高順位のオスたちが、年長のメスを独占するという。

現代人は、どうか・・・
男は、二十歳前半までは、年齢に拘らないが、後半になると、年下の女がいいという。

若い女をというのは、その後、男の年齢が増えるほど多くなる。

これに対して、女は、年上の男をという思いは、強くない。

であるから・・・男の浮気、不倫は、徹底的に若い女が相手である。

更に、女も、婚外性交率が、うなぎ上りである。
結婚後に他の男と関係したという、報告には、六人に一人である。
その三分の二が、職業婦人である。

これは、寿命が長くなったゆえのこと。
昔は、相手が嫌になった頃に死ぬ。
しかし、現代は、寿命が長く、嫌になっても、生きている。
勿論、両者共に、である。

性の選択が多くなったのは、進化によるものである。
特に、メスが月経周期に関係なく、オスを受け容れるようになった。

更に、対面位性交により、強い性的快感を感じるようになったからである。

加えて、情報である。
性欲をそそる情報の氾濫である。
あらゆるものに、セクシャル・エロスが含まれている。


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2013年06月23日

性について233

数百万年の間に、人類は大型化した。
それは、度重なる、氷河期の襲来に適応するためである。

体積が、大きくなれば、体表面積・体積比が小さくなり、体熱放散を小にする。これは、ベルグソンの法則といわれる。

更に、環境が厳しいと、乳幼児の死亡が増える。
母子共に、生き延びる道は、共同生活しかない。
特定のオスとの、比較的長い期間の、共同生活である。

オスに取り入ることによって、母と子は生存が保障される。
そのために、特定のオスを子供が生まれた後も、引きとめておく必要がある。

排卵の時だけ、オスを性的に受け入れていたのでは、オスは、他のメスのところに行ってしまう。

排卵周期、季節とは、無関係に、オスがその気を見せれば、受け入れることが必要になる。

更に、性的に受け入れるだけではなく、メスは、いつもセクシーにオスを誘惑する必要がある。生きるために・・・

最も大切なことは、メスがオスを選んで、オスとの間に、血縁関係を作ることだ。

メスとオスの、つがい関係である。この関係が、母と子のように、純粋に生物的絆ではなくなった。
オスは、息子や娘の、父親という、文化的な絆まで、要求されるようになる。

メスの繁殖戦略が、着々と成功して、オスが男に、メスが女に、限りなく近づくのである。

その過程で、オスとメスの脳の性分化にも、いちじるしい差が生じはじめたのである。

現在、脳学は、実に多くの発見をしている。
画期的なほどに、脳学は、発展した。

大脳皮質の分業体制の大半が、解っている。

大脳左半球は優位半球、言語脳とも呼ばれて、人間の声や、ある種の音の知覚に大きな役割を果たす。
言語的な課題を巧みに処理し、一連の数学の記憶、想起、機械的、記号的課題を分析し、整理し、認識し、順序よく処理する。

右半球の方は、迷路からの脱出、立体幾何の問題の処理、周囲の環境や形、空間の認知に、パワーを発揮する。
視覚的、空間的課題を処理する能力に長けている。

左の論理構成、右の直観力、感受性と、分けられる。

さて、結果だけを言うと、男の右脳は、女より優位だという。
それは、右脳の、側性化が進んでいるということになる。

言語性テストの結果では、女の方が男より優れ、空間認識テストでは、男の方が、女より、優れている。

では、ほんとうに女の方が言語機能がすぐれ、男は空間認識しかすぐれていないのか、というとそうとばかりは言えないことは、男にも論理構成力にすぐれたものが多くおり、女にも直観力・感受性にすぐれているものが多いことからもわかる。
大島 清

だが、女性の方が言語能力にすぐれ、かつことばの体得が早いのは事実である。なぜこんなことが起こったのか。それは、女の方が左脳、男のほうが右脳の機能化が進んでいる、ということではなく、むしろ、女の大脳の側性化つまり左脳機能の特殊化がおこっているのではなくて、女の脳が男に比べて左右両半球の機能分化がおくれている、つまり、女の脳の機能が左右の両方にまたがっている、という考えがある。
大島

側性化は、巨大脳を持つ、ヒトにだけ発達した機能である。
脳の、側性化は、ヒトの証である。

それも、側性化が始まって、2・300年しか経っていないので、直立二足歩行と同じように、まだ、過渡期にあるといえる。

それは、空間処理能力よりも、はるかに複雑で、高度な言語機能を、とても片方の脳だけで、処理する段階に、至っていないということだ。

だから、脳は、まだ進化するのである。

複雑で高度な言語を使いこなすためには、非言語的な要素、例えば、直観力や感受性、つまり右脳の助力が必要だ。つまり、右脳の言語機能で左脳の言語機能を補えば、結果として言語機能はすぐれたものになるだろう。要するに、左右半球の特殊化が進んでいなければ、左右は相補的にはたらいて機能を向上させることができる。男は、左右脳が共同しきれず、一方、女の左右脳はお互いに相手の不足を補うことができるのである。
大島

男は、特殊化への道を歩みつつ、進化してきた。
ただし、あまりに一方の特殊化が進むと、その部分がやられた時、受けるダメージが大きい。

大島氏は、女は、生命のはじまりから、補うという傾向を持つという。
それは、性染色体が、XXで、片方のXに欠陥があっても、正常なもう一方で、補うからだという。

つまり、女の方が、強いのである。

男の言語機能は、左脳に集中している。だが、女は、左右で情報の処理をする。
側性化している男の脳である。

大脳生理学で、硬い脳とは、特殊化が進んで、融通の効かない脳のことを言う。
男の脳は、進化するほど、硬くなり、女の脳は、柔らかい。

空間認識テストの際の、左右脳の血流量の変化を測ると、男では、血流量の左右さがほとんどないが、女では、言語テストと空間認識テストでは、それぞれ、左右の脳の血流量の増加が認められ、女の脳の血の巡りが良いことが、確認された。

弱い男・・・
それは、進化の過程でも、解るのである。
生命力の強さも、女の方が、強いのである。
ただし、男も更に進化して、左右の脳が女のようになると・・・
時代は、そこまで来ているのかもしれない。

posted by 天山 at 05:13| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月24日

性について234

左右脳をつなぐ部分を、脳梁と呼ぶ。
男と女では、その形に違いがある。

形と大きさに、差があるのは、後ろの方の膨大部と呼ばれる部分である。
女の方が、球状で長く、断面積も大きい。

この膨大部の情報の通る部分、特に、後頭部、側頭葉、頭頂葉からの情報の通る部分が大きいのである。
特に、後頭葉からの、視覚情報は、空間認識、言語機能にとっては、重要である。

この部分が大きいということは、それだけ、女の方が、左と右の脳で、情報を交換しあっているということ。

オスは、男へと大脳化が進むにつれて、男の脳の側性化が進んだ。
そして、こういう特殊化した体は、環境の新局面に、順応し難いのである。
特定の環境にのみ、特殊化しているゆえに、環境が変わると、対応に戸惑う。

女の体は、多分に幼形成熟的なところがある。
完全脱毛であり、大陰唇が残る、甲高い声など、幼形を保存しつつ、性的に成熟してきた。

体の生理機能も、特殊化していないので、環境の変化にも、しぶといのである。

そして、脳である。
女は、大脳半球が特殊化していない。
そのため、左右の脳が、うまく連携して、言語機能を男より、強くする。
脳まで、柔軟であるということだ。

だが、何故、大脳半球の機能に関して、男女差ができるのか・・・
この問いには、誰も答えられないのである。

ただ、男、女という限り、脳も体も、性ホルモンで変わる時期がある。

ホルモンの作用差に原因があるのではという、学者が増えてきた。

男、女の、ホルモンの影響は、下等動物ほど、はっきりとしている。

それらの、実験により、男女差の性差を作る、因子として、性ホルモンが重要な働きを果たしているということが、解った。

脳が、ホルモンに感受性を持つか否かは、脳のホルモンリセプター、つまり、受容体の数を調べると、解る。

性ホルモンの、一つである、エストラジオールのリセプターが、すでにサルの胎児や新生児に存在することが、証明されている。

男性ホルモンは、コリセプター内の酵素によって、女性ホルモンである、エストラジオールに、変換される。

アンドロゲン由来の、エストラジオールは、胎児でも、性中枢である、視床下部に多く認められる。

これが、胎児脳に、性差を与えるのである。

また、視床下部だけではなく、扁桃核、海馬という、情動、記憶の中枢や、前頭連合野、視覚領などにもある。

どの分野のリセプターも、胎児期には、生後や、おとな期よりも多いのである。

これは、胎児期の脳の発達に、性ホルモンが、深く関わることを示す。

脳内に留まらず、自律神経系にも及ぶ。

そして、アンドロゲンは、未分化な脳に多く、神経細胞の樹状突起や、軸索を伸ばし、シナップス形成を促進させる。
アンドロゲンは、脳の成長促進因子的役割を持つのである。

矢張り、性差を作るのは、性ホルモンであると、いえる。
ねずみのような、下等動物の性分化は、生まれた直後から決まるが、ヒトやサルでは、胎児期に進行する。
性器の性分化、脳の性分化である。

胎児がオスのとき、その精巣から分泌される、アンドロゲンは、脳の細胞内に達し、特殊な酵素によって、エストロゲンに変換されて、そのエストロゲンがエストロゲン・リセプターと結合して、細胞核内に入り、脳を男性化する。

メスの場合は、卵巣からエストロゲンが分泌されて、それが、そのまま、脳のリセプターに結合するから、オスと変わらないと勘違いするが、胎児期には、エストロゲンと結合するたんぱくが、多量に胎児血中に存在するため、卵巣性のエストロゲンは、それと結合して、脳の細胞内には、到達しないのである。

神経細胞の核内に入り、遺伝情報の読み取りに、影響を与え、そのままでは、メス型の脳をオス型に変えてゆく。
これが、アンドロゲンの使命である。

更に、卵巣から、分泌される、もう一つの女性ホルモン、プロゲステロンは、メスの脳の男性化を防ぐ、保護作用をしている。

性ホルモンは、性分化に限らず、その後の成長発達に大きい影響を与える。脳はホルモンの海にただよいながら、敏感に反応し、神経細胞をふやしたり、神経回路をめぐらせたりする。とはいっても性分化への影響は大きく、しかも、非可逆的な変化である点、性分化以降、さらに生まれてからの影響とはいささか問題が異なるとみてよいだろう。
大島清

脳が進化する時、完全に捨てられる構造はない。
つまり、比較神経生理学的に見ると、人間の脳は、解剖学的にも、行動学的にも、は虫類脳、古哺乳類脳、新哺乳類脳を、併せ持つ。

古い脳は、大脳化の過程で、新皮質と相関しつつ、構築されている。
故に、行動発現は複雑になる。

飲酒や、麻薬により、除脳状態に近くなると、古い脳への抑制が切れて、人間にも、時として、古い脳の影響が出るのである。

それは、非常に危険である。

戦争、殺人・・・
それは、巨大脳の生む、文化、幻想によるものであり、その人間を取り囲む悪環境、教育の貧困によることが多いといえる。

そして、オスは、どうして男になったのか・・・
これが、問題である。


posted by 天山 at 06:01| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月25日

性について235

男はストレスに弱い。
それは、サルの比ではない。

巨大化した新皮質系が、逞しく生きる役目を持つ、大脳辺緑系を軟弱にしたのである。

新皮質系は、人間だけに、際立って発達している新皮質と、新皮質に入る感覚神経の配電盤ともいうべき、視床と、新皮質が命令して出す、運動神経の配電盤である、基底核とを合わせ、一つの系統と考えたもの。

新皮質に対応する、もう一つの系統は、大脳辺緑系と呼ばれる。
視覚が嗅覚にとって変わった人間は、視覚系が発達して、臭脳が最も大切な働きをしている。
大脳辺緑系とは、この臭脳が、新しく衣替えしたものである。

この系統こそが、ストレスを処理して、逞しく生きてゆくために必要な、大切な脳の部分である。

大脳辺緑系も、新皮質と同じように、皮質と皮質下の部分に分かれている。

中でも、視床下部が、新皮質系の視床に対応するもので、自律神経の中枢と考えられていた。実は、その上位にある、大脳辺緑系によって、統御、調整されている。

大脳辺緑系は、情動と、五つのF、つまり、フィーデング、食、フリーイング、逃走、ファイテング、闘争、ファッキング、性、フロッキング、群れ本能、を司るといわれる。

また、大脳辺緑系は、内臓脳ともいわれ、自律神経系の支配下にある、内臓器官の働きに、交感神経性、副交感神経性の多彩な変化を起こさせる。

情動とは、快感と、不快感、怒りと恐れ、という情動である。
動物のオスや、人間の赤ん坊には、この情動だけが発達している。

ストレスとは、本能の欲求が満たされないとき、不快感に陥り、それが高じて、怒りの情動を発することである。

つまり、この気は、ストレスによって、大脳辺緑系が、乱れ、歪むことである。

本能と情動を司る、大脳辺緑系は、一方では、新皮質系からの、抑圧のコントロールを受ける。
その結果、欲求不満に晒されること多々あり。

気を使う、気を配る、イライラする、気付かれする・・・
そして、ぐったりとする。

これは、大脳辺緑系の働きに歪みが、起こることである。
そこで、生きているための、脳幹、脊髄系の働きを狂わせ、健康を損なわせる。

更に、上位の新皮質系に、逆に跳ね返り、そこで営まれる、高等な精神活動をも、ぐらつかせるのである。

女が、ストレスに強いのは・・・
そこから、男と女の脳の違いということが、出てくる。

生物的な脳の、性差は、胎児の時に作られる。
それは、胎児脳が胎内で、男と女の混合ホルモンのシャワーを浴びているからである。

はじめに、女がある。
そして、Yがあり、男児の睾丸から分泌される、男性ホルモンで、男脳部分が作られる。つまり、男脳は、女脳の、改変型、あるいは、応用型だといえる。

文化的な脳の性差は、生後の性心理学的発達に、依存する。

これを見て行くと、女は、強いもの。男は、弱いものであることが、解る。

男は、女から出たものである。
そして、女に返るものでもあると、いえる。

繊細で、微妙な存在なのである。

さて、男は、片方の脳だけ優位性が高まり、特殊化するといわれる。
別名、個性化である。

片方の脳だけが持つ機能に対して、優れた才能を発揮する。
それを、側性化という。

だが、それにより、他の機能が、無能となる。
すると、融通の効かない、硬い脳ということになる。

女は、片方の脳の不足を、もう一方の脳で、補うことが出来る。
つまり、弾性である。

左右脳が、補償しあうところに、弾力性のある、柔らかな脳を持つ秘密がある。
実際に、女は、左右脳をつなぐ脳梁の、断面積が広いことが、証明されている。

ストレス病は、大きく分けて、不安神経症、強迫神経症、抑うつ神経症、離人神経症の四つに、分類される。

女を襲うのは、抑うつ神経症が多い。
だが、男は、四つのすべてに陥るのである。

だが、その出方も、百人百様である。

さて、このエッセイは、性について、である。
次に、男が、圧倒的に、性的逸脱が多いという話である。

オスの場合には無かった、性的逸脱が、男になってから、断然多くなるのである。

男になるために逸脱するようになった、と私は思う。
大島清

この、逸脱も、ストレスの一種なのか・・・

男であるという、ストレスである。
完全な男というものは、有り得ないと、何度も書いた。
男になるために、性的逸脱をして、何とか、男を保とうとするとしたら・・・

男とは、何と、悲しいものであるのか。
更に、男が生きるとは、大変なことである。
更に、それは、誰も手を出すことが、出来ない逸脱である。

posted by 天山 at 05:26| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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