2011年07月16日

性について。180

売春・・・

それは、金を払い、女、または、男の体を買う行為であり、買う側の人間は、買春となる。

売春の歴史は、長い。
それに、売春という言葉が、いつ頃できたのか・・・

日本の社会では、援助交際という名の、少女たちの、売春行為が、流行った時期がある。勿論、今も、それは、続いている。

よくぞ、援助交際などという、言葉をつけたものである。
少女の売春行為と、名付けなかったというところが、マスコミの、狙いか・・・
マスコミの人間の中にも、少女買春をしていた者、多数いるのだろう。

これから、しばらく、この、売春に、テーマを移して書く。

古代、原始時代は、売春行為などは、無い。
勿論、そんな概念も無い。

乱交であり、特定の、男女が、二人で、家庭のようなものを、築くのは、女の知恵からである。

つまり、子供が、出来ると、その子供を、育てるために、狩をして、獲物を持ってくる、持続的関係が、必要になった。
女は、男の、気を引くために、性が武器になったのである。

最も、原始的な欲望、欲求である、性欲は、また、種族保存という、本能に、促される。

もし、それが、売春行為であると、定義すれば、売春は、古代、原始時代から、存在したといえる。

だが、それは、違う。
女は、男の、付属物だったのである。
家畜と同じ扱いである。

旧約聖書の、時代から見れば、そうである。

原始的社会では、厳密な意味での、売春、つまり、現代で言うところの、売春と言うものは無い。

売春するということは、取引契約をすることである。ところが原始社会の女性は、契約の当事者ではない。契約を受け入れ、その対価を手に入れるのは、彼女自身ではない。肉体的・精神的に成熟しているばかりか、その若さのゆえに、婦女は譲渡または貸借の対象となるのであって、要するに、女性が自らその貞操を売ることはなかったのであり、売買の対象だった。事実、売春の歴史は売春仲介の歴史と混ざりあっている。
売春の社会学 ジャン=ガブリエル・マンシニ

古代カルディア、メソポタミア地方では、はじめて、慈善的な歓待売春が行われていたといわれる。
それは、旅行者や、船乗りに対する、救護の意味で、一種の社会奉仕である。

上記の、売春行為が、後に、神聖化されるに至る。
つまり、宗教的性格を持った、義務とされるのである。

それは、インドや、エジプトにも、存在していた。

ヘロドトスによれば、歴代王朝のエジプト王は、自ら、その皇女の身を、捧げたという。

特に、クフ王は、自分の皇女に命じて、その巨大なピラミッドの構築を早めるように、通過客一人一人に、身を任せて、これを報償としていた。

更に、ヘロドトスは、リディア地方、小アジア西部の古代国家で、前560年頃に繁栄した国では、娘は、皆、売春行為をするという。
結婚をするまで、身を売ることで、持参金を稼ぐのである。

この、習俗は、アフリカにも、存在していた。
サハラ地方の、アトラス山脈の北方に住む種族にも、存在していたという。

人を持て成すための、売春行為、更に、司祭を中心にした、祭式の形をとり、司祭の利益のために、行われた、宗教的な売春行為に続き、公認の売春が、現れるのである。

中国古代の専制君主たちは、エジプトのクフ王よりも遥かに巧みに、売春事業を組織する。たちのわるいやくざ連中の手にみすみす利益をゆだねるよりは、国家公認の施設を大量に設けて利益を独占するわけである。
ガブリエル・マンシニ

宗教的売春は、インドにては、バビロン以上に、盛んだった。
様々な、神々の豊かに存在する、インドでは、迷信により、司祭は、迷信に捉われやすい人々に付け込む、絶好のチャンスに恵まれていたのである。

昔から、宗教を利用し、活用する人々がいたのである。
それも、宗教の内部に、である。
司祭・・・

その、利益のために、売春行為を、行わせるという。

インドでは、破壊と生殖を司る、シヴァ神の信仰が盛んであり、その、リンガ、つまり、男根を象徴とする。
大小様々な、男根、象徴物が、創られた。

そこで、司祭たちの、狡猾極まりない儀式が、執り行われる。
その、儀式により、司祭たちは、人々を引き寄せていた。

東エジプト、ギリシャにも、男根の、生殖器崇拝があった。

この生殖器崇拝は、別にその出現に深淵な哲学的な意味を探る必要などさらさらない。要は、性交の神秘化をねらった結果に他ならない。
ガブリエル・マニシン

その後は、宗教的偶像崇拝的な、行為から、国家の大事業と、移り変わってゆく。

その狙いは、公序良俗を守り、税収源を上げることである。

売春を、国家事業とすれば、莫大な資金を得ることになる。
現在は、ヤクザの世界に、莫大な資金を得る、手段を与えているようなものである。

取り締まり・・・
無理である。
売春が、廃れるわけが無い。

日本では、昔の赤線、青線を、廃止したが、その後、理想的に、推移したか。
否である。
少女たちが、進んで、その体を金に換えるという、所業である。

女性の、性を守る、人権を守る・・・
絵に描いた餅である。

更に、売春を、厳しく取り締まれば、それだけ、比例して、性犯罪が、多発する。
つまり、売春を廃止するという、考え方そのものが、誤りなのである。


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2011年07月17日

性について。181

ちなみに、旧約聖書、モーゼ律法では、売春は、禁じられていた。
だが、それにも、関わらず、ソロモンの神殿では、婦女子の売買が行われていた。

売春は、禁止はヘブライ人に適用され、異邦人の婦女子は、取引の対象になりえたのである。

古代から、今日まで、結局、売春に関しては、二つの制度しかない。
売春廃止か、売春登録かの、制度である。

初めて、売春登録制を提唱したのは、ギリシャのソロンである。
この売春登録制は、売春宿が閉鎖された、1946年まで、フランスで、なお、適用されていた。

政治家で、立法家のソロンは、アテネ、ピレーに、ディクテリオンという、国家の資金で買った、奴隷に売春させた売春宿を設けたのである。

ここに、売春婦を収容して、下級の売春宿とし、これを公認の機関とした。
この売春地域の税額の査定を、税務官に、委ねた。
税務官は、売春価格の監督に当り、国外の港に、奴隷を買い入れるための、使節団を派遣した。

奴隷以外では、オーレトリットと言われる、売春婦が、存在していた。
ちなみに、最上級の売春婦は、ヘタイライと、呼ばれた。ヘタイライは、幼少の頃から、将来のために、技芸を習わされたという。

われわれは、精神の満足を得るために、情人としてヘタイライを擁しているのだ。感覚を満足させるには売春婦、パラディデスがいる。この両者の中間に、眼と耳を楽しませるためのフリュートの演奏者と踊り子、オーレトリッドがいるのだ。
デモステネス

香港では、歌姫と呼ばれ、日本では、芸者、南朝鮮には、妓生、キーサンと、呼ばれる存在である。

芸者でも、売春を専門とする者は、枕芸者と、呼ばれた。

これらの、売春婦は、極東一帯のビジネス用の宴席に招かれ、花を添えたのである。

ギリシャ人がよく言っていたように、「淫売になる以外に、使いようのない」あばた面の女も、不運な女も、頭の足りない女たちもいた。
その他の連中は、ひもの手中に落ちることもよくあった。
ガブリエル・マンシニ



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2011年07月18日

性について。182

初期のローマの歴史には、別に注目をひくようなことは何もない。初期のローマ人は洗練されたところもほとんどなく、女性の地位もまことにみじめなものであった。
ガブリエル・マンシニ

原始ローマは、場末のかたまりのような場所だという。
そして、淫売宿が、ひしめきあう。

どんな場所でも、処構わず、事が行われていた。
特に、城壁の陰、人気の無い、道端、青空の下・・・

ラテン語の、fornixは、淫行する女が犯す売春行為と言うが、これから、姦淫という言葉が、出来た。
姦淫とは、旧約聖書に、多く用いられる。

ローマ帝国成立以前は、ギリシャ人に見られるような、優雅な雰囲気は、ローマ人には、皆無である。

性的関係は、放埓が支配し、淫らな女たちが、それに、加わる。
正当な権利を持つ主人であろうと、そうではない事実上の主人であろうと、一端、主人の手に落ちた女、ないし、女奴隷は、ローマ人であるなしに関わらず、残酷な獣性に、支配されていた。

紀元前二世紀頃は、甚だしく、無秩序乱脈の時代である。
そのため、後の、警察のような存在が、秩序を守るために、干渉していた。

紀元前180年頃に、マリスウが、初めて、売春婦たちの登録制を行った。
マリウスは、ローマの将軍であり、執政官となり、軍政を行った。

この、登録制は、現代まで続くものとなるのである。

この事実は、決して取るに足らぬものではなかった。というのは、売春登録こそ売春婦を法律上決定的に奴隷とすることになったからだ。
ガブリエル・マンシニ

鑑札の携行者として、売春婦は、死ぬまで、生涯法的保護を受ける資格のない、恥ずべき行為を行う、公権を剥奪された者であるとの、刻印を押された。

つまり、差別の対象である。

更に、指定された地域を出ることも、適わなくなったのである。

ローマでは、場末の町、シュブュールが、そうした地域である。
売春仲介業者は、ただ、届出をするだけで、許可が下りた。

更に、この時期は、甚だしく、放埓である。
多くの、人身売買が行われた。

二代ローマ皇帝、ティベリウスは、特に、騎士階級が、その子女を売春に従事させることを、禁じ、何とか、事態を改変するために、干渉した。

騎士階級の、子女でも、売春に従事すれば、結婚の機会が失われ、後の人生は、恥ずべき行為をして、生きるしか、なかったのである。

ローマ社会は、無為徒食の輩が多く、売春仲介の女主人、売春請負業者、そして、ヒモの数が、多数であった。
女に、売春させて、暮らすという、男を、ヒモという。

ティベリウスは、あまりにも、過度に売春宿が、流行し、これを禁じる方策を取った。
彼は、貴族老オソニウスを任じて、こうした連中の監督に当らせた。

現代風に言えば、風紀取締りであり、それを活用して、利益を上げたと言う。

歴史が、売春と、切っても切れない関係を有していたということである。

そして、それは、人類が消滅するまで、続く。
決して、消滅はしない。
だから、為政者たちは、何とか、売春行為を、監視し、更に、許可して、そこからの、利益を得ることを、考えた。

どんなに、文化、文明化が、進んでも、この人間の、根本的欲望である、性欲は、止められない。また、止めると、それが、犯罪に結びつくことになる。

ポンペイを訪れた旅行者は数多い。そこには、売春婦がまるで鳥籠にでもいれられているように閉じ込めていた独房の遺跡がみられる。どれほど案内人の説明が簡単であっても、どうやってこの種の女性たちが取引され、また有名な売春取引の仲介を業とした「レノ」によって、ふたたび売りに出されたかが分るだろう。
ガブリエル・マンシニ

ローマ帝国になっても、売春は、無制限に行われていたということである。

公衆浴場、居酒屋、理髪店などなど、自由自在。
売春仲介業者は、法律的にも認可され、組織を作り、莫大な利益を上げていた。

それが、キリスト教に改宗し、国教とした、ローマ皇帝、コンスタンチヌスから、現代に続く意図を持った、登録、鑑札制度が、行われるようになる。

コンスタンチヌス皇帝の事業は、ローマ人の習俗を改善することであった。
だが、奴隷が存在していたゆえに、売春を阻止するのは、不可能。
若い売春婦は、売春のために、市場で取引された。

彼女たちは、売春こそ、主人の気に入ることだった。

五世紀はじめ、東ローマの、テオドシウス皇帝は、自分の子女や奴隷を売春させた親、奴隷所有者を、国外、鉱山に追放して、売春を止めようとした。
だが、売春の歴史における、画期的な事跡は、ユテティニアヌス皇帝を持って、初めて現れることになる。

その、売春禁止制度は、今日にも、価値がある、数多くの条文が実施された。

その内容は、売春仲介業者、売春宿経営者、更に、ヒモたちを対象としている。
売春婦の大多数は、自らの意思によらない、犠牲者である。

だが、売春宿の、閉鎖により、再開を求めて、絶えずキャンペーンが行われたという。

若いといっても、現代の若い、ではない。
児童買春なども、奴隷であれば、当然行われた。
野蛮といえば、野蛮であるが、その自覚がないのである。
無自覚といえば、実に無自覚である。

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2011年08月21日

性について。183

ユスティニアヌス帝の書から

余が臣民のうちにある者は、従来売春より得たる利益に満足せず、余が帝国の版図をひろく馳せめぐり、若き乙女の貧困と無経験につけこみ、美麗なる衣装およびこれと同種の物品を与えることを約し、彼女らを巧みに誘惑するに至っていることは、余の耳に達した。彼らは、乙女らがみずから適当と認める期間は常にその経営する娼家にとどまる旨を約定せしめ、これに署名させるという手段をもって、娼家に彼女らを留置している。不幸なる彼女らは、自由を剥奪され、衣食も事足らず、いかなる客も拒むことなくこれに春を売っている。しかも、その報酬たる金銭も決してみずからの手にするところとはならず、もっぱら周旋業者の手中に帰している。この人身売買の安全・確実を図るべく、彼女らに保証人を立てしめることが通例であり、この保証人あるがゆえによく彼女らを拘束しえているのである。それというのも、憐れみの心から彼女らを不幸な運命から救い出し、これと結婚せんとする男性の現れることもすくなからず、このため彼女らをこの種の牢獄から奪いさられるがごときことをなからしめ、ただ金銭によってのみ購いうるものとするためである。いまだ満十歳にも達せざる少女にも売春させるための、汚辱にみちた振る舞いも余の耳に達している。かかる一切の極悪非道の所業も、その他の多くの所業も、ただこの都市の下層地域において行われていることにとどまらず、都市の周辺にあっても行われているのである。
535年法典勅令

都市とは、コンスタンチノーブルのことである。

上記を読むと、どんな状態だったのかが、想像できる。
要するに、児童買春も、堂々と行っていたのである。

皇帝が、人身売買業者、ヒモ、売春斡旋業者に対する、戦いと名づけたほど、それが、酷い状態だったのだ。

そして、遂に、娼家の閉鎖であった。
売春の目的で女性を、いかなる場所にも、閉じ込めることが、禁止され、娘たちは、解放された。

そして、レノンと呼ばれる、売春関係者には、強制労働を課した。更に、再犯者は、死刑である。

だが、問題が起こった。
開放した、売春婦を、どのように扱うかである。

次代を継いだ、皇帝の妻である、テオドラ女帝は、深い慈悲を持って、彼女たちを収容することに、専念した。

そのうち、五百人以上の売春婦を、生活に再適用できるように、極めて快適な保護施設に収容したのである。

テオドルの、こうした憐れむべき女たちに対する扱いは、ちょうどみずから目の当たり罪業を味わい、ずっと後になって立派な生活に戻った多くの婦人たちのそれに似ていた。だが、売春婦の方は、ほとんど礼儀など仕込まれてもいないし、およそ忍耐力に乏しかったから、歴史の語るところでは多くの女たちはこの収容所を去ったとのことである。
ガブリエル・マンシニ

その後、聖王ルイ、ルイ九世によって、宗教と慈善事業によって、売春を抑止する方法が、繰り返された。
これも、現代につながる、貴重にものである。

だが、売春は、無くなるものではなかった。

ヨーロッパ中世では、あきらかに、売春は、禁止されていた。
だが、奴隷制が存続し、その結果、売春婦の数が、増加したのである。

全体として、農村には、農奴制があり、役に立たない人間は、解放された。中でも、女子労働力は、男子より、収益を上げることがなかったため、女子たちが、開放された。

飢えや、様々な生活困窮により、若い娘たちは、職業的な売春斡旋人の手に、委ねられた。

この時代は、古代文明のいっさいの追憶を喪失した時代であったし、彼女らも、嫌悪の的とされるまでに至った。
ガブリエル・マシンニ

つまり、集団的住居現象が現れることにより、増加傾向の放埓な売春婦に対する、法と、世論が、非難をすることになるのである。

506年に公布された、アラリック法典は、西ゴート、フランク王国国王アラリックの名を付した、フランク族の法典であるが、それは、ローマ文明の影響を受けた時代の、ゴール族の売春禁止を強化するものだった。

それによると、淫奔な女、つまり、売春婦は、苔刑三百回に処せられた。
更に、女の雇い主も、非難されていることと、その両親も同罪であり、いずれも、苔刑百回の罰を受けた。

カール大帝、フランク王国、西ローマ皇帝、カロリング朝の基礎を築いた、シャルルマーニョ大帝は、絶対に売春を禁じた。
これを規定した、大帝勅令は、この売春禁止法令の、最初の記念碑として、理解していい。

それには、売春婦には、特に刑罰が重く、公共の広場で、鞭打ちの刑に処せられる旨が、規定された。
だが、売春宿の経営者は、小額の罰金で、刑を免れた。
そして、刑の宣告を受けた女を、肩に担いで、刑場まで運ぶという作業が、課せられたのである。

だが、それでも、売春が無くならないというのは、貧困と、営利を求める人たちが存在するということである。

売春を生み出す原因は、今、現在も、その多くの理由は、貧困である。
更に、抑圧された少数民族の、女たちである。
つまり、収入の道が無いからである。

そのため、それらの、女たちに、職を身につけさせる方法が、取られていたり、慈善団体による、技術の指導がなされている。

後進国、最貧国などに、日本のボランティア団体が、技術指導や、伝統の織物などを、再確認させて、仕事場を作るという、活動をしている。

もっと、問題なのは、児童買春問題である。
最貧国に、接する、国境地帯では、今なお、それが闇の中で行われているという、状態である。

これは、世界的に、認識を深め、更に、法的手段によって、規制することが、まず、重要なことである。

posted by 天山 at 07:56| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

性について。184

16世紀の終わりごろには、宗教的倫理は浄化され、貴族の堕落とともに、聖職者の側から習俗の放縦に対して反動が巻き起こされる。1560年のオルレアン三部会の判決で、「淫売宿」は廃止され、この時代の風潮のうちに、性病撲滅の規則が設けられるが、それもともかく強制的手段で行われることがあきらかになる。性病患者は、棒打ちの刑にされ、溺死刑で脅かして追放される。
ガブリエル・マンシニ

1665年、パリ城外の、サン・タントワーヌに、休養矯正施設が、作られる。
いわゆる、女子感化院である。

1684年、フランスの政治家、ルトリエの発した、条例で、売春婦処罰のため、不身持な女、身を持ち崩す恐れのある女は、サルペトリエール館に、監禁されるべきだとして、身体の力の及ぶ限り、最も激しい重労働に服せしめる、とされたのである。

ヴェルサイユに宮廷が、おかれたところから、その付近の野営地にいる兵士に、女を提供した、多くの売春斡旋の男たちが、やってきた。
ルイ14世は、軍隊を立派に訓練された部隊として、強く望み、そこで、恐ろしい手段を講じた。

売春の後押しをした者は、何人であれ、耳と鼻を削ぎ落とすと、された。
これが、軍法会議の決定とし、客引き行為は、起訴されるのである。

売春婦を、家においていた、ホテル経営者も、罰せられた。
罰金は、550リーヴルである。

更に、売春婦は、鞭打ちの刑と、裸馬の上に乗せて、晒し者にされる。

だが、警察が、売春宿経営者と、結託した結果、弊害が生じた。そこで、1713年、ルイ14世自らの、勅令により、取り締まり強化がなされた。

その、一般条文には、売春婦たちだけを、激しく攻撃している。
彼女たちは、道徳的、宗教的に、大いなる罪人とされ、家族にとっては、悪夢のような存在で、一切の悪の根源とされた。
だが、ひも、については、言及されていないのである。

いつの時代、どこの場所でも、売春は、尽きることがない。
買う人がいて、売る人がいる。

そして、多くの場合は、貧しさが、その根底にある。
しかし、稀に、娼婦として、生まれたような、女もいる。

もう一つは、斡旋する者たちの存在である。
いつの時代も、最も、悪質である。

生来の、悪というものを、身につけている。
その証拠が、児童を使う者たち。
後進国で、多く見られる。

現在も、国境付近、あるいは、売春街で、行われている。

貧しさに、付け込み、子供を金で買う。
そして、抵抗する子供には、電気ショックを与えて、客に渡す。
その、悪魔的行為には、慄然とする。

だが、買う人がいる。
私が、知るところでも、フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、そして、ネパール、バングラディシュ・・・

欧米人から、日本人まで・・・

それには、各国が、連携し、法制化して、取り締まる以外にないのである。

他国で、行っても、自国で、裁けるように、である。

さて、
ナポレオン一世は、まだ若い砲兵中尉であったころ、客引きにしつこく誘われた時のいまわしい事件の証言を今日に残している。この時代の習俗を奇妙な形であきらかにしたいまひとつの事実は、こうである。1790年のパリ市長シルヴァン・パイィ氏および国民会議に提出されたパリの「娼婦」の嘆願である。その内容は、バレ・ロワイヤルの二千人を越える女性たちが、警察や役人の使う言葉が卑猥だと嘆いて、苦情を申し立てたというわけである。売春婦たちは、「淫売」とか「売女」とか、「尻軽」だとか「淫売屋のかみさん」とかいった言葉、「不名誉な呼び名」を自分たちに投げてよこすことの抗議しているわけである。
ガブリエル・マンシニ

更に、その後、1960年にも、パリにて、同じような事件が起きている。
売春婦たちは、パレ・ブルボンの前で、デモを行った。
その要求は、ショートタイムの連れ込み宿を、自由に使用させろ、ということである。

この裏には、まさに、売春ホテルの経営者が、ひも、と手を結んでいるという事実を、表し、それを、攻撃しているのである。

革命時代が、やってくる。
その最初は、1791年の法律である。

売春取り締まり規定が、組織立てられる。
それは、売春行為の基準として、その行為が、人々に周知であること、何度も同じ売春行為を繰り返していることの、二点である。

革命後については、売春の歴史はもはや綴るには及ばない。その理由は、売春が組織された公娼制度の一部となったからであり、あえて売春を論ずるには及ばないからである。
ガブリエル。マンシニ

公娼制度は、1960年になり、公式に終わりを告げる。

綴るべきものはその属性、客引き行為、売春仲介および放埓行為である。近代国家は、ひとしく公娼制度を組織することになり、19世紀において売春に対して採用されるに至る方策は、売春条例による禁止体制にむすびつくか、あるいは登録制度つまり監督つきの公認という体制にむすびつくかいずれかになってゆく。もちろん後者の方が一般的である。ようやく20世紀半ばに至って、女性の監視――娼家にしばりつけ、鑑札制度を採用するといったーーを廃止しようという廃娼論が姿を現すに至るものである。
ガブリエル・マンシニ

しかし、売春禁止制度が、法制化されても、売春は、廃れない。それは、人間が、そういうモノだからである。
人間の、本能の欲求なのである。
それに、どう対処するかということを、国家、指導者が、考え続けてきたが、その本人でさえ、その、欲望に翻弄される。

人類が、続く限り、売春は、無くならない。

更に、売春と、結婚・・・という、制度自体が、変容してゆく時代に、突入している。
売春の、定義と、観念が、変わるということである。


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2011年11月24日

性について。188

売春婦の意志能力について問題を提起することは、実は否定的に回答を生じさせるものである。いったい真の売春婦が、何か気力をもっていることを証明しうるとすれば、それはどんな点だろうか。たとえどれほど僅かでも、売春婦が最初にそうした自発的に意欲をもっているのであれば、一度経験したあとでは別な生活を送ることになるだろうと思われる。
マンシニ

昔、売春婦だったという、女に、私はマニラで会っている。
若い頃は、カラオケパブにいた。つまり、売春婦をしていたということである。
そして、今は、年を取ったから・・・
何もしていない・・・

ただ、マッサージをすると言う。
呼ばれ部屋に行き、マッサージをして、性的サービスをするのである。

いったい、売春婦はみな、自分が堕落したという感情をもっているだろうか。もちろん、もっているのは確かである。商売の必要から、どうしても人の注意を自分に向けさせなくてはならないような場合、とくに初めのうちは、こうした感情を抱くものであり、最初はこうした感情がとても強いのである。
マンシニ

おおむね、そうであろう。
しかし、東南アジアにおける、売春婦は、それで、実家と、家族を養うのであるから、堕落というより、それ以外の方法が無いという、気持ちである。
堕落したなどとは、考えていられないのである。

マンシニは、
売春にさしてのいろいろな感情的な反応を取り上げることによって終えると、
いっさいの自己愛はどうしても捨てさられるということを認めておかなければならない。との、ことである。

だが、それに代わって、
一緒の誇りが生き残る。その集団的な誇り、それはまた、激しい労働に押しつぶされた不運な連中、「頬までくぼんだ連中」に対する、軽蔑の念を含んだ憐れみに根拠がある。
と、マンシニは書く。

つまり、売春という、骨を折らずに、金を得るという、優越感である。
だから、慈善家や、説教家が、彼女たちを、厚生させようとすると、形を変えて、怒りとなって、現れる。

彼女たちは、言う。
この商売は咎められないのだから奇跡でも起こらなければ私など救われない、というのがまず第一の答えである。もっとも、罰せられないからこそ、売春仲介をやる連中もうまい汁が吸えるわけである。この種の女たちの一般的な道徳観念については、一言で説明できる。それは、彼女たちの社会の道徳観念であり、われわれとは別の慣習と規範があるということである。
マンシニ

ここで、私は、売春仲介をする男たちと、それらを要しない、単独売春があると、言う。

売春宿には、いない、売春婦である。
夜、一定の時間になると、一定の場所に、立つのである。

値段も、客との交渉で、成り立つ。

貧しい国では、それらも、当たり前にある。
売春斡旋業者が、手数料を取ることを、嫌うのである。
それは、とても、勇気のある行為である。

多くの危険が、伴うことを、承知で、行う。

売春婦の感情について述べることは、もはやなにも残っていない。
マンシニ

世の中から、爪弾きされた女たちの、感情生活に、腕を差し伸べるようなものはなんら現れまい。
マンシニ

これは、彼の研究不足である。
彼は、現実の売春行為を見ていないようである。
分析は、よくするが、事実を知らないというのが、学者の多くである。

売春婦は、感情豊かであると、私は言う。
せめても、その感情を維持するために、努力している。

物乞いに、一番、興味と憐れみを示すのは、売春婦たちであることを、私は見てきた。
自分たちより、弱い立場の人たちに対して、彼女たちは、憐れみをかける。

感情を失うほどの、ことを体験するのは、不可抗力により、強制的に、売春行為をさせられる、売春婦たちである。

また、感情を失わなければ、それを、続けられないのである。

マンシニは、恋も、母親としての愛情も、現れない。恋なども、売春上から、禁じられていると言う。
違う。

彼女たちは、恋も、母親としての、温かい感情もある。

意欲も愛もなく、心の満足という点では、気晴らしになることを見つけることも覚束ないのである。
マンシニ

それも、違う。

同じ不可抗力でも、家族や、子供のために、売春婦をする者たちは、愛情も、感情も深いのである。

マンシニの見ている、売春婦は、西欧を中心とした、売春であるから、それは、西欧の思想、考え方による。
個人主義の、西欧の売春婦は、そのようであろうが、アジア地域では、また、別の考え方がある。

飛躍して言えば、楽しく売春行為をする、売春婦もいるのである。
これは、語弊があるだろうか・・・

タイの、パタヤのゴーゴーバーでは、深夜時間が、遅くなると、自ら、料金をデスカウントする、女たちがいる。
早く、私を買って・・・
1000バーツが、800バーツ、700バーツ、600バーツと、落ちてゆく。
それは、ショートタイムの料金である。
男を、射精させれば、終わりなのである。

何かを、きっぱりと、割り切っているのである。

それに関して、私は、深く追求する術がない。


posted by 天山 at 02:04| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月25日

性について。189

自発的な意欲も知能も、感受性も、この日課を満たすうえでは不要なものである。それどころか、こうしたいろいろな力は、それを働かせれば望ましい成果をあげるうえで邪魔になる。つまりスペインはカスティーリャのアンリー四世の言に従うならば「愚鈍のゆえに」売春に従事しているのであって、生理的な条件さえそなわっていればそれだけでよいのである。
マンシニ

これは、随分と、短絡的、狭義的である。
欧州の売春婦がそうでも、アジアでは、違うと、言う。

愚鈍であれば、遠い家族と、子どもを育てるための、仕送りなど、出来ないのである。

フィリピン
恒常的な貧しさを抱えている国。
首都のマニラには、家の無い家族が、どれほどいるか・・・

更に、就くべき仕事がなく、体を売ることしか、方法の無い女性たち。

子持ちの女性たちが、一度の売春で、僅かな金を得るという。

私が、マニラの貧困地区に一人で支援に出掛けた旅で、一人の、売春婦を案内に頼んだ。
その店には、一度、カレー屋だということで、客引きに連れられて、入ったことがある。しかし、食べ終わらないうちに、状況を理解した。

その際に、あなたたちなら、二人でいたので、一人1500ペソでいいと、言われた。
本当の料金は、2000ペソである。

日本円では、4000円。
これは、ショートなのか、一晩なのか、解らない。

兎に角、一人の売春婦を選んで、手伝って貰うことにした。
2000ペソを払い、二日の予定である。

支援には、あまり役に立たなかったが、色々な話が聞けた。

2000ペソのうち、彼女が得られるのは、600ペソである。1200円。
彼女は、姉と、我が子との、三人暮らしである。
当然、私の支援物資から、子ども用の衣類を、上げた。

彼女曰く、早くこの仕事を辞めたい。
しかし、辞めても、仕事がないのである。
それは、私に、保護者を求めていると、いうことだ。

生活するために、売春をする女性は、アジア全域にいる。

知的レベルが、劣り、騙されて、売春をするというのも、中には、いるだろうが、決して、愚鈍なタイプではない。

タイでも、同じく。

ただし、マンシニの、この記述は、当てはまる。
売春の世界では、批判的な心構えなどというものは通用しないし、求められもしないということは想像できよう。なぜなら、そうした心構えは、反抗・逃走を促す原因になるし、この社会の掟にまったく反抗する態度、つまり客を考えてあぶないえり好みをすることになるからである。もちろん、例外はある。更正した場合を省けば、バーやカフェ、ホテル、家具つきの貸し部屋、それに「もぐりの連れ込み宿」などの経営をまかせられることもある。こうして出世した連中は、女将の地位とか経営補佐役の地位とかを与えられる。はじめは平の従業員から、やがて協同経営者、さらには雇用主になることも可能であり、売春婦が最後には慈善事業をやって貫禄を示すようになることもある。
マンシニ

売春宿の、からくりは、単純なものから、複雑なものまで、ある。

国境地帯の町には、様々な、売春宿が存在する。
それを、一々、調べて行くこと、困難である。

普通のホテルでも、ボーイに尋ねて、紹介して貰うことも、出来る場合もある。また、ホテルの従業員から、売春の斡旋を受ける。
私は、時に、それに関して、驚くのである。

マッサージとして、部屋に呼んだ、マッサージ嬢が、売春を誘うということもある。
一体、どこから、どこまでが、本当か、嘘か、解らない。

フィリピン、レイテ島での、マッサージが、即売春を意味するとは、知らず、私は、マッサージを訪ねた。
最初は、本当のマッサージだが、後半になり、突然、コンドームを取り出された時は、驚いた。と、共に、すべてを理解した。

彼女たちは、マッサージ料金を全く、経営者から、貰わないのだ。
彼女らの、収入は、売春行為によって、得られるものだったということ。

フィリピンは、島々の国であり、それぞれの、島でも、売春の形が違う。
マッサージルームが、すべて、売春の場合かと言うと、それも、違う。

ネグロス島では、一切、それらしきものはない。
更に、セブ島の、セブシティのマッサージは、エロマッサージもあるが、それは、客が要望してのものである。

男のマッサージを選んだ私が、最後に、エロを勧められて、驚いたこともある。

レディーの方が、いいのか・・・
唖然、呆然である。

マンシニの、売春の社会学の、舞台は、欧州によるもので、アジア、世界に、当てはまるものではないということが、解った。

売春にも、色々な顔があり、それは、百面相であるということだ。

更に、売春の無い国は、無いのである。
カンボジア、ラオス・・・ベトナム・・・
そして、ミャンマーをはじめ、東南アジア、いや、アジア全域に存在する。

更に、アラブである。
イスラムの厳しい掟がある。しかし、売春は、別物として、扱われる。
そして、同性愛売春も、厳禁されているが、驚くほど、多いという事実である。

それが、少年、ストリートチルドレン、あるいは、貧しい子どもたちが、犠牲になるという・・・
次ぎは、男子売春を見る。


posted by 天山 at 07:22| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月26日

性について。190

同性愛は、それ自体は犯罪を構成しない。公然猥褻罪構成するに至るほどの加重情状が問題となるにすぎない。したがって、同性愛関係が報酬を受けて行われたという事実も、同様に犯罪を構成しない。だが、いくつかの国では事情を異にする。とくに合衆国ではそうである。イギリスも、1896年、オスカー・ワイルドを二年の刑に処した後は、事情が変化するに至っている。イギリスでは、今やこうした異常な行動は、裁判にかけるより医師の手に委ねる傾向にある。
マンシニ

男子売春である。

男子売春は、どこの国にも、存在する。
今や、それが以前より、多くなっているともいえる。

アメリカも、イギリスも、もはや、男子売春に関して、何の問題も無い。
未成年者の男子に対する、性的虐待が問題になるのである。

現在の、経済危機の世界で、男子売春は、生活するための、方法として、ある意味では、一つの職業として、認識されつつある。

ここでは、男子の売春に限っての見解である。
男子の、女装、あるいは、レディボーイと呼ばれる、新しい性の形ではない。

純粋に、男子の売春を言う。

50年ほど前でも、ギリシャでは、二千人、ニューヨークでは、六千人の男娼が存在していた。
パリの、シャンゼリゼー地区でも、二千人という。

アジアでも、男子売春の市場は、大きい。

今では、どんな国に出かけても、男子売春の場所がある。

私が確認しただけでも、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、インドネシア、ミャンマー・・・
中国上海でも、相当数の、男子売春が行われている。

増えることはあっても、減ることはないのである。

性の多様化が、世界的レベルに達したと、思われる。

ここで、問題なのが、少年に対する、性的行為である。

昨年、タイ、パタヤにて、ロシアの有名なオーケストラ指揮者が、少年への、性的虐待にて、逮捕されるという、事件があった。

更に、カトリック教会の司祭たちによる、少年への性的虐待は、大きな問題になった。

これも、少年を売買することは、児童買春といえるものである。

ネパール、インドなどの、貧しい少年たちは、体を売ることで、家計を助ける。
イスラム圏における、少年の売春は、止む事がない。

同性愛を禁止している、国、地域こそ、少年に対する、性的売買が、盛んだと言う、皮肉である。

タイでは、男子売春は、歴然としている。
男子のゴーゴーバーでは、それが目的で、客が通う。
女子売春と同じように、ショートであれ、長期間であれ、それは、存在する。

女子売春がそうであるように、男子を連れて、旅をする男性も数多い。

店に所属する、男子売春者には、店に、連れ出し料金を支払い、その後の、料金は、ボーイとの、駆け引きで、決める。

貧しい地域から、歓楽街に出て、手っ取り早く、金を得るには、そういう方法しかないのである。
更に、男子売春は、男性にだけ、開かれている訳ではない。
客は、女性の場合もある。

例えば、日本の女が、男を買う場所として、バリ島に次ぐのが、タイである。

多くは、ビーチボーイと呼ばれる男子が、相手になる。
ビーチに近いホテルでは、ビーチボーイを部屋に入れてはならないと、注意書きまであるほど、多いのである。

更に、擬似的結婚・・・
これが、曲者で、さんざんに、金を巻き上げられる。
だが、恋愛にある、女には、それが、理解できないのである。

恋愛に、擬似も、本当の恋愛も、無い。共に、恋愛なのである。

タイの、パタヤビーチで、一人のビーチボーイから、聞いた。
日本の女、三人を相手にしていると。
そして、来る時期をずらして、対応している。
更に、金が欲しいと、送金して貰うというのである。

彼女たちは、朝から、セックスを求めるというから、凄まじい。
ボーイは、本当に、セックスで、疲れるという。

売春は、その価値判断によるものである。
女も、セックスを楽しむという、新しい時代が始まって、久しい。
人間の欲望を止めることは、実に難しいし、更に、止めるべきものかも、疑問がある。

両者が、それで、納得済みであれば、問題はない。

マンシニは、売春の特殊な相に言及して、
女性が金銭のために他の女性に身をゆだねるという問題である。
という。

こちらは、女の同性愛の話である。
つまり、レズの女に、身を売る。
更に、男にも、身を売る。

ある売春婦は、男のためではなく、共に生活している女性のために働いている。
マンシニ
つまり、レズ関係の女たちである。

それも、女売春婦の、男のヒモと、変わりないとの結論である。

それが、特殊な売春と、考える、マンシニの考察も、古いものになった。

それでは、ここで、一つ、私が特殊だと、思える、男子売春に言及する。
それは、セックスを伴わない売春である。
端的に、ガイドとして、身を売るのである。
だが、男子売春と呼べるのは、客が同性愛者であるということである。
セックスを伴わないが、セクシャル、エロスは伴う。

例えば、単なるガイドに対して、キスをするようなことは、出来ない。
しかし、それが、出来るのである。

白人の老人と、共に、旅をしている、タイの青年を見ることがある。
手をつなぎ、恋人のように、触れ合うのである。
セックスというのが、どの程度の、触れ合いなのかという疑問は、あるが、確実に、それも、売春のスタイルである。


posted by 天山 at 06:50| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

性について。191

売春の行われる背景の90パーセントは、ホテルである。残りの10パーセントには、あるいはカフェの裏部屋とか、その他ブーローニュやヴァンセンヌの森といったすべての場所が含まれる。
マンシニ

ヨーロッパでも、あるいは、アジア各国でも、事情は、よく似ている。
ただ、それが、今も行われているか、否かである。
売春行為も、高度なテクニックになってきたと、いえる。

何処でも、売春行為は、成立する。

その手の、ホテルは、売春行為専門であるから、普通客を拒む場合もあるが、今は、公然と、普通客にも、部屋を提供する。

森のみならず、街角の至る所も、利用される。
特に、深夜であれば、ビーチ沿い、更に、電灯の無い、小路・・・・

更に、売春行為といっても、ありとあらゆる、形がある。

横浜市には、古くから、売春道なるものがあった。
数年前に、その場所から、売春行為をなくす運動を、住民がはじめ、それに、警察、横浜市が協力して、排除し、新しい通りとして、利用されるようになった。

だが、売春行為が、消えた訳ではない。

そこは、外国人の、売春婦の坩堝だった。
ロシア、韓国、中国、ブラジル、タイ・・・

更に、日本人が、混じるのである。

客の要求によって、ホテルの場合もあるが、自分の部屋で行う売春婦も、多かった。
更には、レディーボーイたちの、売春は、見事なもので、場所を決めない。
道の端で、単に、客のペニスをしゃぶり、射精に導き、数千円を得るものから、自分の部屋に客を入れて、一万円ほどの、報酬を得る。

それらは、みな、ショートタイムと、呼ばれる。
そして、レディーボーイたちは、ショートタイムしか、行わないという。

女の売春婦は、ショートタイムでも、ホテルを利用するか、自分の部屋で、行うか、である。

本番無しの行為では、五千円程度からで、本番は、一万円から、二万円の間である。

どれほど、排除されても、彼女たちが、収入を得るのは、売春であるから、場所を移して、行われる。

マンシニが書く、フランスの状況と、同じである。

風俗営業の届出を出さずに、影響していると、時に、摘発されて、逮捕されるが、保釈金を支払い、出てくると、また、新しい方法を考えるという。

日本でも、マッサージと称して、性的サービスを行う、女の子マッサージが、出現したが、まったく、タイの、エロマッサージの真似である。

本番無しの、性的サービスである。

タイ、バンコクの道端の立つ、売春婦の利用するのは、ホテルではなく、格安のゲストハウスである。
時間制で、借りる。
ハウス側も、回転率がいいと、儲けるので、暗黙の了解で、利用させている。

田舎に行くと、ホテル自体が、売春斡旋を行う。
それらは、紹介する者に、コミッションが入る。

ホテル従業員から、暗に、売春を持ちかけられることは、多々ある。
それは、バリ島でも、タイの田舎でも、カンボジア、ベトナムでも、同じである。

だれであろうと、パリの中央市場の周辺や、その他駅に近い街路を歩いてみれば、あきらかに売春婦と思われる女と客とが、素早く取引の話しをつけてそのまま手を組んでホテルに入ってゆき、十五分後にそこから出てくるのを、自分の眼で見る事ができる。
マンシニ

売春行為は、法律で、裁かれるが、売春婦として、存在するのは、裁かれないのである。

売春婦として生活することは禁じられていないからである。
マンシニ

タイ、チェンマイの、ある通りでは、レディーボーイが、性的サービスを売る場所として、有名である。
そこに、警察が、手入れをする。それは、警察官の、臨時収入、こずかいに、なるからである。

時には、事件のように、報じられる場合があるが、そんなことは、皆、知ってのことである。

チェンマイ以北、更に、タイの、東北部から出て来た、貧しい女たちが、体を売る。飲み屋の、ホステスをやっていても、生活が出来ないのである。
ゴーゴーバーとは、売春婦を捜す場所なのである。

私が、問題意識を持つのは、売春街、あるいは、置屋といわれる、売春婦を用意してある、店である。
その周辺は、実に危険な場所として、紹介される。
カンボジア、プノンペンでは、売春街は、スラムと、一緒にある。

昼間でも、危険な場所と言われる。
売春婦街には、薬物、その他・・・
薬物中毒者、アル中、精神病・・・

国境近くの町には、そういう場所が多々ある。

怪しい場所には、怪しい連中が、屯するのである。

だから、そういう環境の中でも、育つ子どもがいるというのが、問題である。
母が売春婦で、自分も、売春の世界に身を入れたという、若い女性もいる。選択肢がないのである。

貧しさと、学習の環境にない、子どもたちを、その環境から、救い出すには、政治力が必要である。

posted by 天山 at 00:13| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

性について。192

ガブリエル・マンシニによる、売春の社会学から、その歴史を俯瞰してきた。

おおよそ、概略は、つかめたものと思う。
売春の行く末、また、売春の形相に関しては、古代から、現代まで、あまり変わりがないと、考えている。

そして、売春は、人間が存在する限り、続くものである。

マンシニは、
世論が売春に対する予防活動の必要性を、また売春組織に容赦なく抑圧活動に出る必要性を深くとどめるに至る時こそ、よりよい世界の到来に向かっての巨歩が進められる時なのである。
と、結論付けている。

性と、人間の存在を考える上で、売春は、切り離せない問題である。
更に、本当に、売春という行為が、不自然で、異常な行動なのかと、問われれば、否というほかないのである。

世界的に、売春という言葉が広がり、それが行われたのは、1914年の第一次大戦までに広がったといえる。
そして、世論も、法も、売春を、恒久的な悪、必要悪と見なしていた。
更に、売春仲介組織が社会を危機に陥れるほど、発展している事実を、心に留めていなかったのである。

そこに、売春と共にある、人身売買を抑圧すべく、協力して、活動するという計画が現れたのは、国際連盟が出来てからである。

人身売買は、当時は幼年期を過ぎたばかりの婦女子を何万となく娼家や街頭で売春させるべくわなを仕掛けていたのである。1939年、第二次大戦以前および戦後に全世界に生じた大規模な人口移動、それに当時の経済情勢が、売春および売春仲介行為を助長したのであった。
マンシニ

そして、戦後、国際連合により、関係各国に、有効な売春対策法の基礎的原則を提供し、各種研究を開始した。
今日、世界中のほとんどの国が、1949年、人身売買および他人による売春を業とする者の圧力のための、協定に加入している。

だが、それでも、売春が盛んなのである。

日本の場合は、暴力団という組織が、売春斡旋、更に、そこから資金を得て、存在していたといえる。
あらゆる、反社会的行為により、暴力団が、利益を得た。

そして、2011年には、暴力団に対する、極めて厳しい圧力が政府、自治体、市民によって、成った。
排暴力団対策である。

ところが、売春は、市民によって、更に深まるのである。
つまり、青少年が、自ら、売春行為をするという・・・

それが、援助交際という、名の元に、である。

少女、少年も、体を売ることで、金を得るという行為を、何の躊躇もなく、受け入れたのである。
これは、如何なることか。

人身売買、売春斡旋は、厳しく、裁かれるようになるが、逆に、個人的に売春を行う者が、あらわれたのである。

それは、日本に限らない。

タイ、バンコクには、世界中から女性たちが、売春による、金儲けのために、訪れている。それが、不法滞在になっても、引き続き、それを商売のようにして、行うのである。

書きたくないが、日本の一部都市にも、そういう存在がある。

厳密に売春を取り締まることは、出来ないのである。
それは、人間が存在する限りである。

更に、自由恋愛と、売春の差がなくなりつつあるとしたら・・・
擬似的恋愛も、自由恋愛も、実際のところは、変わることがないのである。

そこに、金が付きまとうか、否か、である。

更に、日本の場合は、驚くべきことに、男女共に、青年期にある者たちが、セックスを求めない方向に向かっている。
そして、無性の時代である。
無性とは、性差が無い。性差を意識しない社会である。

人間の性は、何処へ行くのか・・・

その前に、もう一度、売春行為というものの、本質に迫りたい。
それは、売春行為とは、その行為に関わる、主体は、通常、二人であるということ。

だが、歴史を振り返ると、裁かれるのは、女の方である。

行為の責任主体は果たしてだれか。主犯者は男性の方か女性の方か、どのくらいの比率か、この種の行為において客は主犯者か共犯者か、客も売春婦も共に主犯者なのか、こうした諸点が問題である。
マンシニ

私は、マンシニのように、学者という、分析をよくする者ではない。
私は、求める客と、求められる女、売春婦との、相互関係と、考える。

それを需要と供給と、考えると、良く解る。
需要があり、供給がある。

そこに、国家や、個人的な価値観が、介入する必要は無いのである。
人身売買ではない。
生活のために、体を売る。
今では、女だけではない。男も、体を売る時代である。

知能の問題だけではない。
知能の高い女も男も、売る時代に入ったのである。

国連の、売春行為抑圧には、人身売買と、児童買春という、組織が介入する、売春が主体であり、個人的な、売春行為は、その中には、無いのである。

日本では、売春行為は、罪とされ、罰せられる。
しかし、売春行為は、一切無いのかといえば、大いにある。

明らかに、売春を謳った広告、チラシが氾濫している。
そして、姿を変えて、廃れることはない。

通常、射精産業といわれる、エロ商売は、盛んである。
その、歓楽街は、それによって、成り立つ。

セックスまでの行為を、その世界では、本番行為という。
そして、本番行為の手前の、仕事は、増え続けている。

例えば、リラックス男性マッサージとは、射精まで手伝うという、行為である。
出会い系喫茶は、売春行為の、仲立ちをする。

昨年、横浜駅近辺の、耳掻き専門店が、摘発された。
更に、出会い系の喫茶店も、摘発された。
すべて、売春行為に至るのである。

さあ、性とは、何か。
これほど、面白いテーマは無い。


posted by 天山 at 00:00| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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