2012年09月03日

神仏は妄想である。385

さて、道教の傑作は、陰陽道であろうと、思う。
そして、陰陽師である。

小説家の書いたもので、世に知られるようになった、陰陽師。
とても、怪しい。
その大元が、道教からのものであること・・・

平安時代、天皇、皇族、摂政関白という身分の高い人たちが、公的な行事に常の住まいから出掛けようとする際に、陰陽師が、呪文を唱え、一種の足踏みを行い、行く道の邪悪障害を取り払うという、作法を行う。

反閉、へいばん、と言う。

その後は、貴族だけではなく、武士も行ったというから、広く認識されたのである。

反閉は、陰陽道の呪法として、特に重んじられた。

建長六年、1251年、土御門時親の奉仕したものが、後年、手本となる模範的なものだとされた。

この呪法は、邪気を反覆閉塞して、生気を迎えて、幸を開くという意味である。
別名は、ウ歩とも、呼ばれる。

勿論、道教の方術の一つである。

その一つの例を上げると、右足を前に進め、ついで左足を前に進め、また右足を前に進める。そして、その右足に左足を揃える。
それが、第一歩である。
次に、右足を前に進め、左足を前に進めて、その左足に右足を揃える。
第二歩である。
次ぎは、左足から前に進め、続いて、右足を前に進めて、右足に揃える。
第三歩である。
以上で、終わる。

このような、特殊な歩き方をして、邪気を払うことができるというのが、道教の呪法の教えであり、特に、山にはいるときには、必ず心得ておかなければならないとされた。
現代でも、山は危険である、当時は、更に危険であった。
だが、山に入るというのは、神仙道を修めるためであり、その呪法を高めるためだった。

山の中にある、邪気、邪鬼から自分の姿を隠し、あらゆる悪霊の障害を避けて、目的を達成できると、考えた。

それが、反閉の法である。
そして、それが、更にすべての邪気にも、利くということになる。

平安期に大成された、陰陽道の代表的な方術の一つである。
それが、武士に広がり、一般庶民にも広がる。

近世以降、有識者たちは、迷信として蔑視する態度を取ったが、実質的には、そうではない。それは、日本化されて、多くの習俗の基礎をなしたのである。

この陰陽道は、中国で発生した、陰陽思想、陰陽五行説を母胎にしたものである。だが、それは、道教や、儒教を構成する要素になっていたのであり、それ自身としては、独自の道を展開してゆくことはなかった。

思想としての、陰陽道は、存続したが、具体的な形として、陰陽道という、展開はなかったのである。

これらの方術は、六世紀のはじめに、日本に伝わり、陰陽寮が設けられて、陰陽師以下の、専門職が存在した。
だが、呪禁も、陰陽も、共に、その方術は同一の基盤から発生したが、日本にては、呪禁は、人間の体に関する理法を究めて、それを処置するものであり、陰陽の方は、自然の理法、体を巡る外界についての、最高の法とされ、それらに対処する、道と見なされた。

呪禁は、医、針と同じように、疾病の治療法とされて、典薬寮に、陰陽の方は、別物として、陰陽寮に配置されたのである。

更に、それが、陰陽寮の方術と曖昧になり、奈良末期には、ついに典薬寮の呪禁が弾圧されたのである。

その職は、官制からも、姿を消す。
そして、方術の使い方は、素人には無理で、専業者を必要とする。呪禁者を認められなくなった以上、その方術は、必然的に、陰陽寮の陰陽師以下の者たちに、流れていかざるを得ない。

呪禁師の携わる、方術を生かすのは、陰陽寮の学問と、方術以外にないのである。

そして、平安期に入ると、陰陽寮の方術には、天文暦数よりも、呪術的、それも反閉の象徴とされる、マジックが急激に増えたのである。

しかし、大陸には無かったものである。
つまり、奈良時代の、典薬寮の呪禁を、生成発展させたものになったと、考えるしかない。

日本独自の、発展を遂げたのが、陰陽道であるといえる。
とすると、様々なタブーなどは、その頃からのものであるといえるのである。

恐るべき、道教である。
当時の、知識階級が、貪欲に取り入れた漢籍から、何もかにも、取り入れて、日本独自のものを作り上げるというエネルギーは、凄まじいが、あまりにも、無批判に取り入れたのである。

そして、それを、左道、サドウ、と呼ぶようになる。
それは、誤りの道である。
特に、呪法は、危険極まりないものとした、意識が生まれてくる。

それによる、悲劇も、多々存在した。

しかし、果たして、その呪法なるものの、真偽の程は、どうなのか・・・
それが、後に、山岳信仰などに取り入れられて、実に、奇妙なものになってゆくのである。
更に、密教とも、結びついて・・・

人間の、果てしない妄想の世界が、進化するのか、生成発展するのか・・・

日本の礼儀とか、常識というものの中にも、その時代の道教の息吹が残るのである。

更には、神道という、日本古来の信仰形態の中にも、揺るがない地位を築いてゆくのである。何せ、道教の理論に取り込まれた神道理論も生まれたのである。
勿論、それを説いた本人たちは、知らない。



posted by 天山 at 00:31| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月04日

神仏は妄想である。386

再度、繰り返しになるが、書いておく。

道教は、仏教や儒教という、支配者から支配者への伝播ではない。
更に、成立道教でもない。

大陸の民衆から、日本の民衆へ伝播されたものであると、考えるとよい。

一部を抜いて、大多数の渡来人は、日本の各地に定着して住むようになった。
中央ではなく、地方である。
彼らの生活圏と接触するのは、被支配者の人々である。

中央で、それなりの道教の使い方があったが、民衆から民衆の方が、強かった。
それは、日本史の上で、道教的な形で表面に出ているのは、古代のみである。
それ以降は、隠れてしまった。

中世以降は、仏教、神道、陰陽道、修験道、民間信仰などに習合されていったのである。

これは、恐るべきことである。
そして、私は、今、神道について、を書いている。
特に、神社神道である。その神社神道に隠れて、堂々と道教的なものが、息づいているということである。

紛れも無い事実である。

ただし、習合した後で、延々と続けていった過程で、それが日本の伝統として、認識されたものが、多々ある。
それは、それで、いいことだ。
日本的に解釈して、利用した。あるいは、昇華させた。

道教の、経典である、老壮思想が、道教とは別にして、読まれていたという、事実。

それは、それとして、解釈していたのである。

タテマエは、儒教でも、道教の経典、老壮思想があった。それと、民衆道教の、つながりは、無いのである。
それが、大陸と違うところである。

さて、各地の神社が、お札を配布し始めたのは、およそ鎌倉時代からである。
それが、道教の護符から来たことなどは知らない。
更に、お守りである。

その符についての、効力は、省略するが・・・
まあ、驚くほどの、影響なのである。

神社でも、お寺でも、配布する運勢暦なども、道教からのものである。

現世利益・・・最もそれが、強い。そして、それを必要とする人々は、辛く苦しい生活を強いられる、民衆である。

はっきり言うが、あれは、暗示効果による、力である。
暗示性が強い人には、よく利くのだろう。
これを持っていれば、大丈夫・・・

最後に、修験道を上げておく。
全く定義のつけられない、不思議な山伏の行為である。

平安期の中期から、現れて、中世、近世と、活発になっている。
山岳信仰とも、呼ばれるが・・・

山伏とは、呪術や祈祷で、病気を治し、悪事災難を逃れさせる力のある者である。
その呪術の大半は、陰陽道のマジックと同じである。その意味では、陰陽道の分派とも言える。
しかし、これが、また複雑で、密教の要素もあり、勿論、神道も混合する。

研究者は、修験道は、道教の日本版という人もいる。
また、密教のもつ仏教的要素と、陰陽道的要素が目立つが、その本質は、原始宗教の呪術、巫術であり、その信仰に他ならないとする説もある。

民族信仰を本質にするという説もあるが・・・

未だに、明確ではない。
また、彼らも、明確ではないはずである。

私も、山伏に出会ったことがあるが・・・
解らない。

滝に打たれて、修行するが、ヨガを教えているとか・・・
更に、その修行の場所の神社、寺院のお札を配布する。

神祇信仰とならんで、日本人の持つ現実肯定の論理の、具体化された一つの宗教であると言う、研究家もいる。

修験道にみる、陰陽道的呪術は、密教を通した、間接的摂取であろうとの、説もある。
兎に角、明確ではない。

そこで、言えることは、科学の無かった時代の産物であり、人の現世利益に寄与して、何がしか、特殊能力を得た者たちのことであろうと、思う。
その、特殊能力が、何処からのものであるのか。
まともなものではない。

何せ、当時も恐れられていた、山に入り、修行するというのである。
更に、肉体を痛める苦行を好む。
まともであるはずがない。

肉体を痛める苦行は、精神を固定化して、その性質を頑なにする。
柔軟な思考法が出来なくなる。

あるいは、迷信に浸りきる。
つまり、妄想全開なのである。

地域の行事として、年に一度くらい、そんな姿になり、山伏というなら解るが、本当の山伏には、近づかないことである。
思念は、強いはずであるから、その思いの力で、ある程度の、何事かは出来るが、まともではない。

まして、密教などから、影響を受けているもので、真っ当なものは、一つも無い。
あるのは、単なる強い思い込みである。
魔力という方が正しい。

posted by 天山 at 00:10| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月29日

神仏は妄想である。387

これから少しばかり、神道について、書いてゆく。
この場合は、現在の神社神道につながるものである。

それ以前の神道を、古神道、更に、それ以前を古道という。

明治期に西欧から入ってきた、キリスト教の影響からか、人格神という、神観念が強くなった。

神道には、そのような観念は無い。

古代人たちが、神と、認識するのは、多くは、自然そのものである。
山川草木に神を見出した。

神は至る所に、遍在した。
山の神、海の神、岬、谷、森、石、屋敷にも、井戸にも、神の存在を見出していた。
それも、一つの才能である。

それらも、人間も、共に存在する。
それを、かんながら、惟神と、言う。

人は、神の子、更に、神の分け御霊、分霊である。

人が住む場所には、うぶすなの神、産土神が存在した。
その、産土神は、人間の最後の死まで、世話をする。
そして、死後の世界への導きをする。

その死後の世界は、祖霊の世界である。
祖霊には、特別な個性は無い。

集合的な、神霊の集いである。
それも、また、自然の一つになっていた。

この世界に、高天原という言葉と、その場所が示されるのは、国家による、統一的な支配以後のことである。

古神道から言えば、それは、富士山の朝廷、富士高天原府ということになるが・・・

その神の、祖霊の代表が、天照大神である。
そのアマテラスにより、稲が贈られたと、考える。

天皇は、その直系の子孫であるという。
そこで、地上の住まいを持つのが、国津神、くにつかみ、と呼ばれ、天上の高天原に住む神々を、天津神、アマツカミ、と呼ぶ。

神祇という時、神は、高天原であり、祇は、国津神を言う。

その世界観は、高天原の下に、中津国、つまり地上の世界があり、そこには、大海、ワタツミの世界と、黄泉の国、根の国、底の国がある。

古事記、日本書紀は、これらの世界観から、神話を創り上げた。

古神道が、シャーマニズムを内包しているとしたら、そこからの、次の段階が、神道の世界観である。

つまり、高天原が出来て、それぞれ固有の神々の世界と信仰が生まれたのである。

社、つまり、神社という建物が出来てから、その中に、御神体なる、様々なものが出てくる。

鏡、剣、石、樹木・・・
それらは、神の象徴ではない。
神が、そこに降臨するものという意識である。

御神体を、別名、御霊代、みたましろ、とも言う。
また、寄り代である。

神霊が、そこに憑依するのである。

この、御神体に関しては、偶像とは、違う。
偶像とは、キリスト教における、イエス像、マリア像、仏教における、仏像のことである。

御神体の場合は、そこに、神が降りるのである。

または、その時々により、石や、樹木なども、寄り代とした。
降臨の御座所である。

石の御座所は、イワクラと呼ばれ、樹木の場合は、ヒモロギと、呼ばれる。

最初は、つまり古神道の場合は、その都度、場所を作り、お祀りしたが、次第に、恒常的な神祀りのための場所、すなわち、神社が出来るようになる。
神社神道である。

その際に、神社は、垣根をめぐらして、俗世間から隔離された。

御神体をお祀りする場所を、本殿とし、それを拝む場所を拝殿とした。

古い形を残す神社は、山そのものを御神体として、本殿を置かない神社もある。

神の座所は、本来、自然の中にあるもので、神社の中には無いのである。

神社は、その土地、その土地を支配する、神に結び付けられていた。
土地の神は、産土神であり、また、氏神と呼ばれる、家系の神である。

それ以後、土地とは、結びつかないが、霊威ある神として、祀られはじめる。
稲荷や八幡、そして雷神、つまり、菅原道真を祀る、天神である。

明治に至るまでは、日本各地には、村や里を守るという、鎮守の神があり、鎮守の社があった。

だが、明治政府は、それらを統廃合して、祭神を記紀に合わせるようにしたのである。
神社本来の、伝統を絶やしたともいえる。

それにより、各地の神社は、天皇家の、祖神である、天照の元に、つまり、伊勢神宮の元に、統一され、管理されるようになる。

ここで、神社神道は、一つの型に嵌められてしまったといえるのである。
更に、先の大戦により、神社神道が国家神道に転じた、不幸な時期がある。
全く、それは、神社、及び神道とは、呼ぶことは、出来ないものである。

posted by 天山 at 03:28| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月30日

神仏は妄想である。388

神道には、祭りがある。
その祭りが、神道であると、言ってもいい。

自然のものは、すべて、神となれば、当然、稲も神なのである。
その他、穀物もすべて、神である。

それを、穀霊、こくれい、として、祀る。
それが、お祭りである。

穀霊は、稲の神であり、豊作の神である。

農耕民族として、お祭りは、すべてそれに関することから、始まった。

新しい年、それが、穀霊、稲の霊、豊作の霊に関わることになる。
歳神という。

この歳神が、山にいる間は、万物が忌み籠もる時期であり、命の再生を待つ期間である。
新たな命が、殖える期間として、御魂の殖ゆ、と言う。
みたまのふゆ、である。

冬の語源である。
冬は、殖える時期なのである。

そこで、冬には、太陽の弱った力を復活させるために、御魂の殖ゆ、の、お祭りをする。
更に、後に、天皇の霊力の復活をも表すことになる。

太陽祭祀、鎮魂祭・・・

冬至を過ぎると、太陽が復活する。
山に帰った歳神が、里に降りるのである。

また、祖霊も共にやって来る。それが、春であり、新年である。
正月の行事は、すべてそれである。

新年の豊作を願い、祖霊祭りを行う。

春は、ハル、であり、ハレであった。
木の芽が、一斉に、張るからである。

そして、農作業の時期が始まる。
人々は、祈年の祭りを行う。

中央、朝廷では、神祇官庁が、地方では、国司庁が中心になり、八百万の神々に、幣帛を捧げて、祈念祭の祝詞を奏上する。

春の祭りは、この祈念の祭り、としごいのまつり、である。

やがて、秋になると、収穫である。
秋の語源は、飽き食い、あきくい、からのもの。

飽きるほど食べるという意味である。

穀物の宿る、穀霊を、わが身に、たっぷりと、取り入れる。
そして、御魂の殖ゆ、に、備えるのである。

日本の神道は、自然を抜きにしては、考えられないのである。

自然と、共生、共感する感性が、神道の大元を作ったのである。

この、神観念は、妄想ではない。
言葉の限りを尽くして、語るものではなく、自然そのものに、神を見ていたのである。
妄想の入り込む余地は無い。

妄想が入り込むのは、神道家たちが、言葉を尽した時である。

日本の四大祭りとは、正月祭り、祈念の祭り、祖霊祭り、新嘗の祭りである。
冬、春、夏、秋である。

夏の、祖霊祭り、みたままつり、は、仏教伝来以前からの、日本の行事である。
決して、仏教の盂蘭盆会から始まったものではない。

自然の営みは、神の営みである。
その神の営みを、神の教えるように、つまり、自然が教えるように、実践したのが、日本民族である。
つまり、伝統である。

であるから、人間と隔絶した、超越した存在の神観念は、皆無である。

その観念が日本には無いから、神不在などという、キリスト教作家が言っても、せん無いことである。

神を世界の外に置くと、その神を渇仰する。
そして、救いを求める対象とする。

日本の伝統は、人間も自然の内にあるもので、死ぬと、神になるのであるから、特別な救世観念は無い。

神の営みと、人間の営みは、同じである。
多くの言葉の必要を感じなかったのである。
つまり、理屈を必要としなかったのである。

西欧の宗教学で判断すれば、神道は、宗教ではない。
伝統である。
更に、その宗教学は、はじめは、キリスト教が最高の宗教の形であるとしたのである。
それ以後、それは打ち消されたが、最初はそうだった。

キリスト教が、最高の宗教として言うのは、実は、最悪である。
キリスト教が生まれて、厳密に言うと、ユダヤ・キリスト教が生まれて、世界に、戦争が止むことがなくなったのである。

その排他的、非寛容は、甚だしいものがある。
準じて、イスラムである。
その、イスラムの闘争心に火をつけたのも、キリスト教である。

ここで、それらとは、全く違う次元とレベルにある、神道であることを明確にしておく。

もう一つ、欧米の自然感覚では、最早、人間が生きられない、自然の有様になったといえることである。
何せ、自然を支配するというのである。
それが、旧約聖書の神の言葉による。
すべての創造物は、人間の手に委ねられている・・・
これほど、傲慢な教えは無い。


posted by 天山 at 10:27| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月01日

神仏は妄想である389

神道の堕落は、欽明天皇の仏教伝来からはじまる。
ここで言う、神道とは、神社神道のことである。

538年、百済の聖明王が、欽明天皇に仏像を献上したことから、はじまる。

仏教を受け入れる云々に関しては、推古天皇の時に、豪族たちの戦いによって決着した。結果、蘇我馬子が勝ち、聖徳太子といわれる皇子が、仏教を全面的に受け入れて、根を下ろすことになった。

最初は、外国の神という、意識の仏であった。

日本の神とは、共存を許されないという、考え方が支配的だったが・・・
神道を奉じていた家柄が、仏教勢力に滅ぼされることで、以後の日本に、仏教が大きな位置を占めることになる。

その仏教が、神道と結びついて、できたものが、両部神道、山王一実神道、さんのういちじつしんとう、である。

これは、明らかに、仏教系の神道である。
奈良の初期から、明治維新に至る、神仏分離の時まで続いたのである。

つまり、神仏習合である。

インドで発生した仏教も、変転を繰り返し、大乗仏教になると、インドの神々を仏教を守護するものとして、神の位置を、仏の下に置いた。

同じように、日本でも、仏教の勢力が拡大するにつれて、神道の神々を仏教の下に置くという、考え方が現れた。

それは、神道の神々は、仏や菩薩を守る守護神であるというもの。
そして、仏や菩薩が、人々を救うために、神の姿を取るというもので、本地垂迹説といわれるものである。

全く、人間の考え出したことである。
神と仏は、同一である。
明らかに、誤りであり、妄想である。

平安初期になると、奈良仏教の堕落から、新たな国家仏教の最澄の天台宗、そして、空海の真言宗が成立する。

この両派は、何と日本の従来の神々を摂取、包括するという手段で、それぞれの仏教体系を形成してゆくのである。
思いつきも、いいところである。

最澄は、延暦寺を開くにあたり、地主神、つまり土地の神を祀り、天台の守護と発展を祈願した。

空海も、真言宗を創建するにあたり、鎮守の社として、丹生都比売社、にふつひめしゃ、を祀ったのである。

天台宗の神道の考え方を、山王一実神道と呼び、真言宗の考え方を、両部神道と呼ぶことになる。

それ以前に、両者が学んだ、中国の仏教自体、大乗仏教の更に亜流である、密教であるから、最初から誤りなのである。
だが、朝廷、天皇の加護により、その教えが広がる。
そこには、奈良仏教界の堕落甚だしいことが、上げられるのだが・・・

稀代の詐欺師、空海が考え出した、伊勢神道と、密教の合併は、その神道を密教によって、解釈するというものである。

両部というのも、密教の、金剛、胎剛の、両界から取られている。

伊勢神宮の、内宮、天照大神を、胎剛界の大日如来とし、外宮の、豊受大神を、金剛界の大日如来の、象徴とした。
その両方が、合体して、大日如来の顕現たる、伊勢神宮を形成しているという、大嘘である。

明らかに、空海の野心が見えるというものである。

更に、神々を仏教の悟りの三段階に分けて、区別するという・・・
呆れた行状である。

最も、悪質なのは、神道曼荼羅なるものを、作り上げたことである。
そして、神像というもの。

神道には、一切そのようなものは、無い。
必要無い。
堕落以外の何ものでもない。

これは、鎌倉時代に確立したといわれる。
更に、驚くべきは、陰陽道の呪術も取り入れつつ、真言宗系の寺院、関係する神社を中心に、神仏習合の祭祀を行ったというから、呆れる。

明治維新まで、何と、社僧が神の供養のために、お経を唱えていたというから、更に呆れる。

野心のある者は、この方法に目をつけた。
日蓮もその一人である。

神前で、法華経を上げるというもの。
更には、法華経により、神道の清め祓いも行う。

節操も何も無いのである。

まあ、神道系と仏教系の間で、争いが無いというのが、救いである。
だが、それは神道、神社神道を堕落の一途に貶めたのである。

社僧という存在も、神社の僧侶という意味で、呆れるのである。

言霊、音霊を正しくすべき、神道が、密教の雑音である、陀羅尼などを平然として、受け入れていたということに、驚きを隠せない。

兎に角、暫く、この仏教との関わりにおける、神道の堕落を俯瞰してみる。

時代、時代によって、宗教も変化して行くというのは、理解出来るが、肝心なものを明け渡して、変化も何も無いのである。
それは、堕落なのである。

posted by 天山 at 05:54| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月12日

神仏は妄想である。390

天台宗を開いた最澄が、比叡山を開くにあたり、大山昨神、おおやまいくのかみ、更に、大三輪神、おおみわのかみ、を勧請して、日吉山王、ひえさんのう、と称した。

ここで、面白いのは、勧請したということである。
何故、そんなことが出来るのか・・・出来ない。

勧請とは、お呼びすることである。
ここにいらして下さいと、願うことである。
僧侶が何故、そんなことが出来るのか・・・
ここでも、その妄想の極みが見える。

兎に角、山王一実神道が出来たのである。

仏教神道、天台神道・・・
誠に、奇妙なものである。

ちなみに、山王とは、日吉神の別名である。

最澄の妄想は、色々あるが、省略する。
釈迦如来を、どこどこの神の本体に定めただのという、笑い話ばかりである。

この山王一実神道が確立させたのは、鎌倉時代の、元寇による、日本侵略の時に、神国日本という、思潮が最高潮に達した時である。

また、その頃は、鎌倉仏教が興る時期である。
浄土宗、臨済宗などが、勢力を盛り上げた。つまり、旧仏教である、天台、真言が侵食されてゆくのである。

そこで、日本の神を奉じる、朝廷、貴族、武家、豪族との連結を強めるために、神道思想をこしらえたのである。

鎌倉の新興宗教の撲滅を願ったのである。
そして、自ら、この神道が日本最高の神道と言い出すしまつである。

本地垂迹説にのっとって、日吉神の信仰と、天台密教を結合させるという、狂いである。

その後は、鎌倉末期から、室町時代に至り、吉田神道、伊勢神道の影響を受けて、日吉神と天照大神との一体説まで生まれた。

吉田神道については、後で書くが、これも、実に曲者である。
神道の堕落に手を貸した、吉田神道である。

更に、この山王という文字に、屁理屈をつけたから、笑う。
その文字は、山も、王も、三本と一本の線から出来ている。
これは、天台宗の観想の方法である、三諦一実という教えから出ているというもの。

三諦一実を、山王で表すというのである。
また、三諦一実は、生死や煩悩を脱して、悟りの境地に達するという、一心三観の悟り、日の心が、そのまま全宇宙であるという、一念三千を象徴するともいわれる。

兎に角、何とでも言うのである。

織田信長の、比叡山焼き討ちにより、日吉山王社も焼失したが、豊臣秀吉、徳川家康らによって、再興された。

江戸時代になると、家康の参謀でもあった、天台宗の天海僧によって、再び勢いを増す。

また、この天海も、こじつけの専門であるから、何やら、色々と屁理屈をつけた。
日吉神と、天照大神と、大日如来は、一緒であるという、仰天したことを言うのである。

神仏の元は、天照大神であると、幕府の力を背景にして、この神道を盛り上げたのである。
本当に、節操が無い。

そして、山王一実神道も、儒学系の、吉川神道、垂加神道、復古神道によって、批判されるようになるが、それぞれ妄想の産物であり、呆れるばかりである。

いずれ、明治維新により、神仏分離となり、廃絶されることになるが・・・

さて、神道の稀代の詐欺師といえば、吉田神道の、吉田兼倶である。
室町末期、仏教、儒教の教えを交える事無く、我が国固有の神道を説いたといわれる。

その実、やったことは、詐欺である。

神産霊神、かみむすびのかみ、の子、天児屋根命、あめのこやねのみこと、から直接伝えられ、それを継承した絶対的本源的神道という意味で、唯一宗源神道などとも、言われる。

伊勢神道に続く、神主仏従の考え方、つまり、仏教を神道の格下とする考え方である。

神々を中心とする、神道教義をはじめて作り上げたといわれる。
が、それ自体が、嘘である。
神道には、教義も無く、教祖もいないのである。

神道理論と言われるが、理論があれば、神道ではない。
神道は、ただ、所作にだけ意味がある。

吉田神社は、平安中期に、藤原氏が奈良の春日大社に祀る氏神を、京都の神楽岡西麓の吉田山に勧請し、平安京の鎮守神として創建したのが、はじまりである。
室町期に衰え、南北朝を経て、応仁の乱以後は、荒廃してしまったのである。

そこに、兼倶が登場する。

政治力を使い、神道の総本山の位置の基礎を築いたのである。
吉田家は、何とそれでも、幕末まで、その地位を持ち続けたのであるから、大したものである。

吉田家とは、元々、卜部氏の後裔であり、占いの一つである、亀卜を司る家系である。
徒然草を書いた、吉田兼好も、吉田家の出である。
優れた学者が多いことで、知られる。

兼倶の兄は、比叡山で天台教学を学び、伊勢神道の立場をとって、豊葦原神風和記などを著した、慈遍などもいる。
家代々の書物もあり、そこで十分に学ぶ事が出来たという、環境にいた、兼倶である。

ただし、そこで理論を作るということは、仏教、儒教だけではなく、道教の影響が、多分にあるということである。

そこから、方法を学び、とでもない妄想を繰り広げたのである。
次回に、その妄想を紹介する。

posted by 天山 at 07:20| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月13日

神仏は妄想である。391

空海が、日本仏教の稀代の詐欺師であれば、吉田兼倶は、神道、神社神道の、稀代の詐欺師である。

吉田神道、唯一宗源神道・・・
仏教と、道教の影響を甚だしく受けている。
特に、道教の、嘘話をその神道原理に使うという、呆れた行状である。

兼倶は、それまでの仏を主とする本地垂迹説に対して、神道を仏教、儒教などの諸宗の根元、大元だとする。

神道大意、唯一神道名法要集、などの著作がある。

その中で、日本の神道、各神社の由緒に基づく社伝神道、密教の入り混じった両部神道などを、批判する。
そして、太古より、天児屋根命、あめのこやねのみこと、の神宣として、綿々と吉田家に伝えられた、元本宗源神道を、宇宙の根本原理にかなった、正統宗教であるとした。

誰もが、自分の信仰する宗教が一番だと思うと、同じである。
正統宗教などというものは、無い。

正統だと信じて、人殺しを延々と続けている、キリスト教などは、その良い見本である。

元本源神道には、顕露教と、隠幽教、おんゆうきょう、の、二つがある。

顕露教は、外部に現れた教えであり、先代旧事本記、古事記、日本書紀により、天地開闢、神代の由来などを知り、各種の祭祀を、延喜式の祝詞などで、行うとする。

隠幽教は、その奥にある教えであるという。
吉田神道の真髄になるものである。

天元神変神妙経、地元神通妙教、人元神力妙教、からなる、三部の神経に基づき、天地人の三才を霊応させ、三元三妙の加持という、秘儀を行うという。

それが、天児屋根命が、語ったもので、北斗七元星宿真君という、北極星にかかわる神が、漢文に写して、経典としたものだという。
勿論、そんなものは、無い。経典も無い。

全く、道教の嘘話に乗せられているようである。
というより、その程度の、頭だった。
それを信じた人も、人である。

大元尊神という、神を最も、重要視する。
この漢字を見ても、道教であることが、解るというものだ。
呆れる。

その、大元尊神を、国常立神イコール天御中主神、あめのみなかぬしのかみ、と同じであるとする。

そして、吉田神社の南東に斎場所を設け、中央に大元宮を建てた。
天照大神をはじめ、八百万の神が、大元尊神に帰一するという。
その、大元尊神を祀る吉田神社こそが、神道の総本山であるとしたのである。

時に、伊勢神宮が戦災に遭い、外宮が焼けて、神体紛失の噂が流れたこともあり、それを利用して、大元宮を権威付けるための策略を巡らしたという、詐欺師である。

天から光が大元宮に降臨して、そこに神器が出現したと、朝廷に報告する。
伊勢の、内宮、外宮が、戦乱を嫌い、吉田の地に移られたということを匂わせて、調査に当らせるという・・・

朝廷では、その対処に苦慮したが、兼倶の裏工作により、その件は事実であるとしたのである。

更に、面白いのは、伊勢神宮の神々が、二見ガ浦の潮に乗って、大元宮に移られたので、加茂川の水が、塩気を帯びてきたと、朝廷に報告する。
そこで、調べると実際に、水に塩気がある。

だが、バレるものである。
加茂川上流に、密かに塩俵を埋めさせていたことが、発覚した。
兼倶の謀略である。

宗教家の前に、詐欺師であるから、どうしようもない。

だが、詐欺師というのは、懲りないもの。

教えを権威づけるために、太古神典を勝手に作り、神祇伯を世襲してきた、白川家を圧倒して、神祇官を支配するため、家系図を作り変えて、吉田の先祖が古代の神祇伯中臣氏であると、偽証する。

更に、神祇伯に対抗して、神祇官領長を名乗るという・・・
そして、朝廷ではなく、室町幕府に承認させて、神道の家元の地位を確立させるという、仰天である。

それ以来、全国の神職は、吉田家の免許により、任命されることになるのである。

驚くべきは、この、嘘八百の、教義のようなものが、後世に影響を与えたということである。

例えば、林羅山の神道、吉川神道、垂加神道・・・
だから、それらの神道には触れないでおく。

室町期の吉田家から、免許を受けた、神職は皆々、ニセモノである。
ということは、当時、全国の神社であるから、皆、ニセモノである。

ここに、神社神道の極めつけが、確定した。
つまり、神社神道は、神道とは言えないのである。

勿論、その後の吉田家は、衰退するが・・・

兎に角、残念なことに、神社神道というものは、手垢にまみれ過ぎた。

現在、神主になるための、大学もある。
そこで、古事記をはじめとして、色々と、学ぶが・・・

最澄、空海と共に、志があっても、真っ当なものを、学ばなければ、如何ともし難いのである。
そして、それは、時代性と、時代精神によって、変化する。
それは、それでいいが・・・
きっと、サラリーマンのようになっているだろう。
神主も・・・


posted by 天山 at 06:47| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である。392

土御門家、本来は、安倍である。

安倍神道、天社神道とも呼ばれる。
安倍清明で有名である。

勿論、稀代の詐欺師より、一段劣るが、手品師のような存在である。

土御門神道が、陰陽五行に基づくものというから、まさに、神道の邪道である。
それは、道教からのものである。

中世以降、土御門家によって、陰陽道が管轄されたことにより、その名を持つようになる。

道教の際に、説明した通り、平安期、朝廷をはじめ、貴族、庶民の間にも、広く普及した道教の亜流である。

陰陽寮という、役所が置かれて、方角や日の吉凶、祓いや、祈祷を行う。
また、天文、暦などの研究である。

それを専門にする家を、加茂家と呼び、加茂保憲が、その道の達人と言われた。

この保憲は、陰陽道の暦を、その子の光栄に伝え、天文道を弟子の安倍清明に伝えた。
それ以来、加茂と安倍の両家が、陰陽寮に仕える。

清明は、陰陽道の術を自在に駆使して、様々な不思議を行ったという。
道教に他ならない。

のちに、清明から19代の孫の時に、従三位に叙せられ、土御門の称号を拝した。
本家であった加茂家は、逆転して、土御門に仕えるようになる。

ここにおいて、神道に、道教の考え方が取り入れられることになる。
例えば、鬼門という考え方。丑寅の信仰、干支にちなんだ色々な信仰である。

中世以後の神道哲学に、陰陽道が入り込んだのである。
つまり、堕落である。

悪鬼、妖物を祓い、それを防ぐ、鬼はらいの祭り、みちあえの祭り・・・
神道と、陰陽道が一緒になったものである。

占卜など、神社で行われる祭りであると共に、陰陽師が、それを行ったという。

江戸時代になっても、その勢力が衰えなかったのである。

何事も、うまく取り入れて、新しいものを創るというものではなく、神道の場合は、単なる堕落である。

更に、マジシャンの安倍清明などが、安倍神社などを作るというのは、実にゆゆしきことである。

それに、影響を受けた、吉川神道、垂加神道も、批判の対象にならない。

その第一に上げられる、神道の言葉である、大和言葉に対する、理解がまったく無い。神の名も、道教に準じて付けられている。

そこで、江戸時代の、国学というものが、現れる。
それを復古神道という。

荷田春満、かだのあずままろ、加茂真淵、かものまぶち、本居宣長、平田篤胤の、国学四大人の説が、その本流になるのである。

真淵と、宣長の出会いがいい。
真淵は、万葉集を明らかにすることが最終の目的ではなく、万葉集により、古語を知り、それによって、古典を研究し、古義を明らかにする。そして、古道を鮮明にするという研究を宣長に伝える。

宣長は、古事記伝を完成させた。

更に、宣長没後、それを受け継ぎ、古道思想を発展させたのが、平田篤胤である。

篤胤は、特殊能力があった。

出羽の国秋田から、冬一月に江戸に向かう途中で、遭難しかかった際に、謎の異人に助けられて、その際に、霊法を伝えられたといわれる。
自ら天下を知る神である、久得延毘神、くえびこかみ、のことを伝えられたといわれる。

江戸では、人が変わったかのように古今東西のあらゆる本を読み解き、それを記憶し、著述を続けたという。

更に、宣長の著作に接して、感激し、その門に入った。
宣長の古道を盛んに唱導したという。

更に、神祇伯白川家、吉田家からも、その配下の神職に古道を伝えることを頼まれるようになる。
当時の神社は、白川家か、吉田家に属していたゆえ、全国の神社は、篤胤の復古神道をもって、統一されたという。

更に、彼は、霊能真柱、という死後の世界についての著述をする。
心霊学である。

ところが、そこからが悪い。
中国の医術は、日本の、大己貴神、おおなむちのかみ、少彦名神、すくなひこのかみ、が創始して、それが日本に逆輸入された。
易を創った、フッキも、日本の大国主神である。
インドの帝釈天は、日本の皇産霊神である。
すべての起源が日本にあるとして、日本が世界で一番尊い国である。

上記、これでは、行き過ぎである。

これでは、現代の韓国人と同じである。

それにインドの神は、魔界のものであり、帝釈天が、皇産霊神とは、蒙昧も甚だしい。

だから、遭難した時に、出会った、謎の異人というのが、問題である。
その異人の良し悪しを判断できなかったのである。

幽冥界についても研究し、神界と現界の関連、霊魂、神仙に存在に関しても、多くを書いた。だが、確実に妄想である。
あるいは、一部の霊界からの、一つの情報である。

ここで、一つだけ、真っ当なことは、大和言葉によって、古事記を解釈するという、宣長の研究である。

更に、復古神道とは・・・
言葉がおかしい。過ちである。

古神道の復活という意味か・・・
それでは、道教、儒教、仏教の手垢にまみれている。


posted by 天山 at 23:59| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月24日

神仏は妄想である。393

日本は、千数百年、神道と仏教が混合して、神仏習合の時代が長い。
更に、その中に、道教、儒教の影響も大きい。

更に、江戸時代の三代将軍家光が、寺請け制度、檀家制度を作ったために、庶民の仏教浸透は、甚だしいものがある。
キリシタン禁止による、寺請け制である。

それが、明治維新の、神仏分離令により、神道と仏教が、無理矢理引き離された。
それは、良い面と悪い面がある。

文化的には、伝統的な関わりを壊したといえる。
だが、良い面は、線引きをしたいということである。

あのままであれば、インドのヒンドゥーのようになっていた。

さて、明治維新の分離令である。
神社の中には、神仏が一体化しての信仰があるところもあり、無理に分けることで、その信仰の対象が、根こそぎ、損なわれるという事態も起こったのである。

明治新政府は、1868年、明治元年、祭政一致を掲げた。
仏教勢力の一掃を謀る。

廃仏令に近い感覚で捉えられた。
そして、神道勢力の勢いは止まる事なく、全国的に廃仏毀釈運動となったのである。

政府は更に、神社、神職を支配していた、社僧、別当に、神社内で坊主として振舞うことを止めるようにと、還俗令を出した。

廃仏毀釈の激しい地域では、社僧は、追い払われたのである。

その際、一気に仏教を潰していれば、現在の日本仏教と言われる、堕落した宗教が無くなったかもしれない。
残念である。

直接神社と関係ない、寺院の僧侶も、その運動により、僧を止める。驚くべきことに、神職になる者もいたというから、宗教者というものの、本質が解るというものである。

廃仏運動の急先鋒となったのが、延暦寺である。
日吉大社がその支配下にあった。
それまで、社僧の下位にあった神職らが、神殿に乱入して、仏像、経典、仏具を破壊、焼却した。

面白いのは、興福寺では、全員が還俗し、その配下だった春日神社の神職となったというから、笑うのである。
現在の、春日大社の神職の先祖は、そのような者たちだったのである。

神職は、社僧より地位が低く、それが逆転したので、社僧は、以後抹殺された。
幕府と密接に結びついていた、仏教勢力を解体させたのである。

明治二年、古代国家の神祇官が、千年振りに復活した。

神道を国家統合の精神とする、近代天皇制国家の幕開けとなったといえる。

ここから、国家神道の道に歩み出すのである。

この辺りから、強引になってくる。
つまり、国家の元で、伊勢神宮が全国の神社の最高位とされ、伊勢を頂点にした、神社の管理体制が確立する。

この、神道の国家管理は、敗戦の、昭和20年まで、続くことになる。

明治政府の行ったことで、民間習俗、独自の信仰形式が、失われたことである。
これは、民俗学から見れば、とても残念なことである。

更に、国家が宗教と結びつくのは、危うい。
ローマ帝国とキリスト教の例もある。
茶番になるのである。

ただ、明治15年、1882年に、政教分離、信教の自由という立場から、神官は祭祀以外の、一切の宗教活動を禁止された。
キリスト教の弾圧も無くなった。

そして、神道系列にあった、出雲大社、御岳教などの、教派神道といわれる宗教団体が、独立を許されたのである。

ただし、神道は、国家の宗祀として、他宗教とは、別格であった。
神道は宗教ではなく、民族の伝統精神の根幹として位置づけられたのである。

それは、正しい見方である。
しかし、それが歪になり、おかしくなったのが、大東亜戦争における、明確な国家神道という、存在である。

であるから、GHQ、連合国最高司令部が、国家神道の息の根を止めるために、神道指令を出した。

国家と神道を分離させるというものである。
だが、それを見ると、キリスト教というものが、いかに戦争に関わってきたかを、思わせる。
日本の戦争が、神道によって、正当化されるとでも、思ったのであろう。

そして、神社を訪ねて、その様子を観察した。
だが、神主は、ただ御幣を振り、祓いたまえ、清めたまえ・・・何も特別なことを言わぬ、しない。
一体、神道とは、何か・・・
頭を抱えたのである。

教義のようなものも無い。

結局、神道も宗教法人の一つとされた。
本当は、すべての神社を廃止するというところまで考えていたのである。
白人の独善的排他的傲慢である。

だが、それでも、神社は残った。
神社が潰れるということは、なかったのである。

敗戦の翌年、伊勢神宮を本宗とする、神社本庁が設立された。全国の神社を総括する目的である。

神道の、前進は、古神道であり、その前進は、古道である。
それは、自然と共感し、共生する考え方である。

自然環境の破壊は、それと逆行する。
つまり、敗戦後の日本は、日本人は、それを無視して経済を優先させた。
それは、祖霊に対する、冒瀆である。

更に、神社関係者も、それをただ見ているだけ。
一番大切なことを、伝えられない、神社神道というもの、全く堕落の一途である。

坊主も坊主だが・・・
神主も神主・・・
呆れる。

私は、神社では、拍手を打たない。
そこに神は、存在しないからである。
拍手を打つのは、自然の前である。


posted by 天山 at 06:40| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月25日

神仏は妄想である。394

神社神道の前進は、古神道である。
そして、古神道の前進が、古道である。

さて、古神道に移るに当り、面白い発見があった。
縄文時代の初期に、犬の埋葬を行っていたという、報告である。

犬も埋葬していた・・・
そんなことは、どの文明にも、見当たらないのである。
動物は、人間の支配下にあるもので、殺しても、どうしてもいいのである。特に、ユダヤ、キリスト、イスラム教では。

縄文初期に、すでに、犬を埋葬した・・・
凄い感性である。

これが、古道につながる。

日本には、カミとは、上、守などを、カミと呼んだ。
あえて、神という観念的な言葉を使うなら、魂、タマのことである。

そして、そのタマは、天地自然、すべての万物に宿るものであった。
精霊信仰ではない。

万物魂信仰とでもいう。

花鳥風月の中にも、タマが存在する。

これは、日本の地理、自然ゆえのものである。
つまり、日本は、素晴らしい自然に恵まれたゆえに、そのように考えることが出来た。

そして、それは、多くを語らずとも、いいのである。
しかし、古神道として、語り始めた時に、堕落する。

新興宗教でも、古神道を名乗る団体がある。
すべて、古神道という、妄想を作り出した。

古神道を理解するためには、古道を知る必要がある。
だが、それは、何も難しいものではない。

縄文期から、自然発生的に、日本民族は、畏れるべきものを、自然の中に見た。
それが、タマの世界である。
自然は、タマの世界なのである。

大昔から、日本民族は、人の住む里に近い山裾、浜辺に、印を作った。
今では、結界というものである。

つまり、その向こうは、タマの世界であるというものだ。
更には、森の大木、海辺の岩などに、縄を巻いて、タマの場所とした。

そして、その行為、つまり、所作を子孫に伝えていた。
言葉としての、教義ではない。

その、古道から、古神道が生まれる。
それは、所作を体系したものである。
それでも、教義はない。教組は無い。

ところが、古神道として、意味づけを行う人々がいた。
それらは、すべて、勝手な解釈、つまり、妄想である。

現在、神道と言われる中に、神社とは別に、教派神道という、新興宗教がある。
その中では、古神道を名乗るものもある。

教派神道ということ自体、有り得ないのである。
例えば、金光教、天理教、黒住教、大本教・・・

黒住教のみ、天照を祭神して祀る。
他は、皆、勝手に、神の名前をつけた。

金光大神、天理教は、天理王命、大本教も、丑寅の坤神、そして、国立常神など・・・

教組が、変な霊から聞いたという、名前である。

無学な、天理教の教組である、中山みきは、天倫王という、仏教の一つの神の名前を聞いたが、無知ゆえに、意味が解らず、それを天理にした。
何せ、神がかりの前は、念仏を一生懸命にやっていた。

そんな信仰深い、女に罹る霊である。
どこかに、狂いがあったゆえに、変な霊に罹られたのである。

そして、こともあろうに、神道に似せたというから、呆れる。

大本教も、然り。
特に、罪なのは、古神道と名乗ったことである。

更には、古神道も、古道も嫌う、念力のような、妖しい力で、霊的な所作を行ったこと。
そして、古神道関係の、記述を用いて、勝手に言霊学などを述べたことである。

古道、古神道として、流れていれば、決して、そんなことにはならない。
つまり、邪教である。

巨大な教団の建物を造る。
それ自体が、神道では、有り得ないのである。

神社神道が堕落したように、発生の時点から、誤っている。

信者から、吸血鬼のように、金を搾り取るという、段取りである。
古道、古神道の、タマという存在は、一切それとは、無関係である。
タマを神としても、全く肝心なところが、抜けている。

社、やしろ、を建てろ、などという、神は存在しないのである。
すなわち、神というものは、存在しないのである。

それらは、あまくで、霊である。
霊を神と称するほど、狂ったのである。
まして、その霊を、見破ることも出来なかった。

タマを神とするなら、天地自然に存在する、力、魂のことであるから、名前を付けるという行為は、一切無いのである。

つまり、それらは、すべて、妄想の産物である。


posted by 天山 at 03:41| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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