2012年07月04日

神仏は妄想である。375

得体の知れない、修験道である。

様々な、研究家が、修験道に関して書いているが、それが的を得ているというものは、無い。
それぞれ、修験道の一部をのみ、取り出して、解説している。

今は、道教に関して書いている。
そこで、その道教の、民衆道教に、非常に似たものであるという、見解を私は持つ。

学者の中には、修験道とは道教の日本版である、という人もいる。

また、しいて言えば、日本の民族信仰である、神祇信仰に仏教をはじめとする大陸伝来の諸信仰が結びついて、長い間に日本の風土にとけこんで生まれてきた日本独自の宗教である、と言う。

それでは、何が一体、中心的要素なのであるのか・・・

今までの、研究から、三つの、意見がある。
一つは、仏教的なもの。特に、密教とする説である。

それは、神仏習合の一つのタイプであり、中心は、神祇信仰の中の、山岳信仰と、仏教の中でもっとも教義作法が、分化発展している、密教であるということだ。

宗教的に見れば、原始的なものと、高度なものとの、結合ということになる。

修験道が、陰陽道的要素が多いのも、密教が基調になったことの、必然的結果であるとする。

もう一つは、密教の持つ仏教的要素と、陰陽道的要素が目立つが、それらは、表面を服飾しているのにすぎない。
その本質は、原始宗教の、呪術、巫術であり、その信仰に他ならないという。

日本の民俗信仰を、本質にするということから、密教を基調とする考え方から、対立するものである。

そして、もう一つは、山岳に登山修行することから、異常な験力を獲得することであり、その力を得たものに帰依する、信仰するというもの。

結論を言えば、神祇信仰と並び、日本人の持つ、現実肯定の論理の具体化された、宗教とみるべきなのではないか、ということだ。

さて、陰陽道、五行説などは、中国で生成発展したが、それらは、大陸では、陰陽道にならなかった。日本のみが、陰陽道として、成立している。

そこで、その陰陽道と修験道に共通するのが、呪法である。
陰陽道が密教に結びつき、その密教を取り入れて、形を整えたのが、修験道となったと、考えられる。

実は、呪法は、奈良時代に、禁断された呪禁が、公認されている陰陽寮の、他の方術に寄生して、平安時代以降の、陰陽道を確立していった。

そこで、修験道は、陰陽師の方術に寄生するのではなく、禁止されたものを、受け継いで、平安時代を通して、地方の民間信仰の中に、溶け込んだということである。

ある、研究家は、
修験道にみる陰陽道的呪術は、密教を通し間接的摂取ではないか、との意見である。

しかし、陰陽道も、修験道も、確実に、民衆道教に、影響を受けているというか、それによって、教義、あるいは、行為を形作ったものであると、言える。

これは、他の文化的行為にも、言えるが、仏教的、儒教的という、表面に対し、裏面では、道教の影響が、脈々と伝わっていると、思われる。
更に、儒学もあるが、老荘思想は、日本の知識人たちに、大きな影響を与えた。
しかし、それが、即座に道教として、認識されたのではない。

あくまでも、老荘思想として、である。

だが、道教は、大陸では、老荘思想が、中心の経典になっているのである。

そこで、私は、修験道に関して、研究という意味では、抵抗が無いが、その実態に関しては、否定する。
何故か。
山岳にての、修行という荒行には、性格の偏向、偏狭が付きまとうものである。

更に、甚だしい、妄想と、蒙昧である。
肉体の業により、つまり、肉体を痛めることによって、何か特殊な力を得るという、考え方には、賛同できないのである。

学問として、色々と、分析するのは、問題がないが、それを行為することに、問題がある。

要するに、社会と隔絶された場所にての、信仰とは、そのまま、社会と隔絶されているのである。

そして、更なる迷信を生み出し、人々を、惑わせるのが、関の山である。
本人は、自己満足で、いいが、それを対人として、行為することは、迷惑千万である。

私としての、結論は、矢張り、得体の知れないものなのである。
そして、得体の知れないものは、危険である。

社会と、隔絶されたところで、精神疾患に陥り、手のつけようの無い者を、特別扱いして、とんでもない目に遭うのが、関の山である。

彼らを、日本の民間信仰を云々という、分析は、正しくない。
日本の民間信仰は、太陽信仰であり、明るいものである。
山岳という場所は、また、その修行は、決して、明るくないのである。

得体の知れない、魑魅魍魎を相手に、自己満足に陥り、更には、性格を破壊させる者も、多数いるのである。

そして、彼らが、相手にしている、神仏というものが、あるならば、それは、神仏とは、言い難いものであり、明るい昼間には、決して出てこないものである。

陰陽師の真似をし、密教という、偽の仏教の加持祈祷の真似をして、民衆をたぶらかすのが、関の山である。

正に、彼らの神仏、その他の、霊威というのは、妄想に他ならないのである。

そして、道教的なものからの、教義を取り入れているものもあり、矢張り、得体が入れないものである。




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2012年07月06日

神仏は妄想である。376

宗教としての道教を、見ると、道家、易、陰陽、五行、シン緯、巫祝、天文など、さまざまな要素を集大成したものである。

ただし、これは、出来上がって行く過程においてのもの。

すでに出上がった、道教の内容ということになると、べつの視点が必要になる。
その時、およそ、四つの視点に、区分けされる。
哲理的なもの、倫理に関するもの、医術に関するもの、方術に関するもの、である。

更に、それらが、微妙に重なり合うということ。
道教が、実に、不透明なのは、その一つが欠けても、更に、その一つのみでも、道教ということが出来るということである。

成立道教も、民衆道教も、然り、である。

さて、その哲理的なものであるが、これが道教の教義、教学に当るものである。
天地万物の原理、すべてのものの、根元としての、道、天道について、論じたものである。

具体的には、老荘思想に関するものと、それに基づき、作られた、経典類である。

そして、神仙である。
彼は、その道の実践者であり、それらの、伝記、系譜類なども、一つの経典となる。

説明する前に言うが、実に荒唐無稽なものである。

およそ、宗教の経典とは、凄まじい人間の妄想力である。

何せ、道教の目的は、不老長生であるから、それ自体が、曲者である。

人間が、永遠に生きられないものであるという、厳然たる、事実に、反しているのである。妄想と、言うしかない。

例えば、いかに、養生法を守っても、悪事をすれば、すべての修行は、無効になり、不老長生の目的は、達せられない。
これこそ、道教の倫理である。

すでに、四世紀に、地仙になるためには、三百の善行を積み、天仙になるには、千二百の善行を必要とする。
もし、千九百九十の善行を積んでも、最後に、一つの悪事をすれば、それまでの、善行は、無効になるという。

これは、決して、仙人にはなれないという、前提としか、思えない。

何せ、人間である。
それを、見越しての、教えのようである。

更に、この道教の倫理は、時ともに、強調されてゆく。
そして、その善とは、一般的な道徳を意味するもので、道教のみで、規定する特殊なものがあったわけではない。

ただし、儒教や、仏教の場合と違うのは、決して善そのものが、目的ではない。
不老長生に到達するための、手段なのである。

あくまでも、実践的なものだった。
が、これこそ、中国大陸の人たちの、実に、現世利益的な考え方である。
だが、決して、目的には、達することができないという・・・

悪を避けて、善を行わなければ、早く死ぬという、道徳観である。

儒教や、仏教の倫理のように、概念化されたり、思想化されたりするものではないのである。

そして、今の中国を考える上でも、実に有効にことであるが、中国民衆の実践道徳は、孔子、孟子などの説いた、儒教の倫理や、老荘思想に基づく、理念に支配されたものではなかったのである。

中国民衆の、道徳とは、道教の実践的、倫理によって、支えられていたのである。

道教の、実践道徳を記した「善書」が、民衆に受け入れられたのである。

実際、儒教の理念、その思想に関しては、日本の方が、真っ当だったといえる。
儒教は、日本によって、完成されと、私は言う。

研究家は、言う、
したがって、儒教倫理の理念だけで中国人の生活を律するのは、近世以降の日本における儒学者ならびにその系譜をひく学者・思想家の描いた空中楼閣的な虚像にすぎない、といってもいいすぎではないと思う。
と、のこと。

まさに、その通りである。

以前、禅について書いた際に、老荘思想の言葉によって、その概念によって、禅が解釈されたといった。
中国禅は、決して、天竺からのものではないのである。
仏陀の系譜を、そのまま、継ぐと信じた、禅の人たち・・・

老荘思想によって、固められた、禅という、思想を、真実の禅であると、信じきって、禅宗が、成立したのである。

更には、中国での、多くの偽書である。

道教が、仏教と、対決するために、書かれた偽書には、仏陀が、道教の開祖とまで、書いたのであるから、開いた口が、塞がらない。

しかし、この民衆道教が、日本に与えた影響は、計り知れないのである。

更に、道教を説明しつつ、その妄想について、書き綴る。

道教の中心は、不老長生である。
ということは、直接的には、肉体的命の維持が、最大の目標に成る。
当然、医術的の部門が、最重要視される。

それは、現世利益的な宗教としては、その特徴を発揮するのが、最も多かった部門である。

質量共に、道教の大部分を占めていたのは、当然である。
その具体的な事柄について、書き続けることにする。

更に、それらの中では、今でも、行われているものが、多数ある。
そして、仏教の派閥の中でも、知らずに、道教的方法を取り入れているものもあるのである。


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2012年07月07日

神仏は妄想である。377

道教の、医術は、五つに分けられる。

一つは、辟穀、へきこく。
五穀を食べず、草根、木皮などから、食糧を作る。断穀ともいう。

五穀を避けて、火で料理したものを食べる。すると、おのずから、肉体が清浄になり、精神の自由と、長生きができるというもの。

こんなことをしていると、まず、性格が、変形してしまうだろう。
草食より、悪い。
ベジタリアンという人たちは、どこか、偏るのである。

肉体を、清浄にするのは、水である。
水以外にない。
体の、七割は、水により成る。

さて、次は、服餌、ふくじ、である。
服薬ともいう。

色々な薬の作り方と、その服用の仕方である。
薬とは、仙薬のことである。つまり、不老長生を得るために、それを服用することが、絶対に必要であるとする。

その薬には、上中下があり、上は、仙薬で、これを飲めば、神仙となり、不老長生を得るだけではなく、あらゆる精霊、鬼神を自由に、駆使することができるという。

中薬は、性を養うもので、強壮剤とか、保健薬的にものである。
下薬は、草薬ともいい、病気を治す薬である。

更に、これらには、毒虫、猛獣、悪霊などを払う効果もあるという。

現存する最古の薬物書、神農本草経、には、不老長寿を得る上薬が、百二十種、性を養う中薬が、百二十種、病気を治す下薬は、百二十五種、すべて三百六十五種の、動植物、鉱物性の薬物について、仔細に挙げている。

これは、漢方にも、大きな影響を与えたのである。

そして次ぎは、調息、ちょうそく、である。

一種の呼吸法である。
人間の精神は、一つの気であるという、考え方で、天地万物の根元のエネルギーである、元気と通ずるのである。

ゆえに、気を消耗させず、長生のために、重要であるとした。
吐く息を少なくし、気を体内に蓄積する方法が、調息である。

胎息とも呼ぶ。
これは、今も、至る所で、用いられる。

具体的に言うと、鼻で深く吸い、一端、息を止める。心で、静かに百二十を数える。そして、口から、微かに、吐くのである。
意気を吸う時も、吐く時も、羽毛が微妙だにしないように、静かに、しかも、吐く息は、吸う息よりも、少なくする。

行う時間帯は、夜半から正午までの時間である。
正午から、夜半までの午後は、死気であるから、効果がないという。

そして次ぎは、導引である。
これは、日本でも、導引術として、行われている。

一種の、按摩、マッサージのことである。
目的は、調息と、同じである。

更に一つは、房中、ぼうちゅう、である。
調息、導引と同じく、体内の気を消耗しないための、方法である。

これは、陰陽の気、つまり、男女の気の調和によって、気の損ずるのを、防ぐものである。

セックスの仕方である。
だが、時代が下るにつれて、欲望の浄化という目的が、単なる、性交術といった、淫猥なものになっていった。

今でも、この房中術を学んで、セックスのあり方を説いている人がいる。
交合により、生気を得るというような、何とも、暗示的な要素が強いのである。

例えば、老化を防ぐために、若い女と、交わり、その途中で女が絶頂に達した時の、息を吸わずに、性器を通して、若いエネルギーを取るというような、仕方である。

その際に、射精はしない。

エネルギーを吸い取った後で、射精をするというもの。

房中過多で、死を早めるという。
それは、本当のことだろうが・・・
それでは、マスターベーションで、射精を止めて、それを繰り返して、エネルギーを得ることが出来るかといえば、出来ないのである。

陰陽の交わりが必要なのである。

こういう、道教の方法は、極めて自然に反する行為である。
人間は、自然に消耗して、老化してゆくことが、当然の存在である。
動物も、然り。

だが、永遠に生き続けるというのだから、どこかに、無理が生ずるはずだ。

その中には、現代にも、有効に生かすことが出来る、方法もあるだろうが・・・
特に、漢方などは、今も、有意義に使う事が出来る。

だが、人間は、生まれると、すぐに、死に向かって生きる存在である。
奇想天外どころか、人心を惑わすこと、多々あり。

次ぎは、日本の陰陽師などを、熱狂させた、方術である。
方位学などという人たちもいる。
占いのそれとは、別物である。

だが、占いも、道教の方術に影響を受けているのである。

飛行機で、地球の反対側に行く時代に・・・とは、言え、何か意味がありそうに思えるところが、曲者である。


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2012年07月08日

神仏は妄想である。378

道教の、方術は、医術とならび、重要な内容を示す部門である。

目標である、神仙になるための、方法を、人間の肉体から追求するのが、医術だとすると、人間の存在する、自然の側から求められたのが、方術である。

神仙の定義は、自然の理にかない、生老病死を超越して、あらゆる自由を獲得した、全能の存在である。

それゆえ、方術は、神仙になるための、最も基本的な条件となる。

しかし、容易に自然の理にかなうことは、できない。そのためには、色々な難しい手続きを取る必要がある。

この、手続きを、方術という。

しかし、自然の理にかない、生老病死を超越するという考え方は、実に矛盾している。
自然の理にかなうことは、生老病死を生きることである。

理にかなうというより、非常に、傲慢であるということに、気づかないのである。

これを、真っ当に信じるとは、どこか、狂っている。
更には、誇大妄想というしかない。

方術の目的は、神仙になるための、手段である。しかし、神仙になれずとも、一時的にせよ、神仙同様の能力を獲得することが、必要だったのだ。

研究家は、書く、
方術というのは、方法がまことに複雑怪奇で、内容的にもまったく不可解で神秘的なものになっていくのである。

そして、その神秘性・・・
その元が、老荘思想なのである。

だが、実は、方術の、権威づけのために、後になり、哲理として、老荘思想を取り付けた。あるいは、こじつけた、のである。

簡単に言えば、老荘思想とは、何の関係もないのである。

偽書など、朝飯前に、書いてしまう、大陸の民族性であるから・・・

さて、方術は、三つに、分けられる。
一つは、禁呪、きんじゆ、呪禁、じゆごん、ともいう。

災いを避け、長生きをするための、まじないや、呪文、そして、守るべき禁忌で、これを犯せば、災いを蒙ったり、短命に終わるという。

更に、吉凶の判断、預言、星占いもある。

次ぎは、神符である。
災いを逃れ、病気を治し、妖怪変化、鬼神の祟りを消滅する威力を持つ。

今で言えば、お札である。

更に、面白いのは、退散、消滅させるだけではない。
鬼神を自由に駆使する力もあるという。

これが、日本の陰陽師に使われたのである。

そして、一つは、斎礁と、科儀である。
禁呪、符に威力があるのは、元始天尊、つまり、皇天上帝以下の、多くの道教の神々の加護によるものである。
その神々へ、壇を設けて、願文を捧げ、ひたすらに、祈ること。
その祭祀の儀式などを、科儀という。

それは、成立道教の眼目である。
民衆道教は、それがなくてもいいのである。

現在でも、アジアの国々の、中華系の人たちは、床に、元始天尊を祭るのを、よく見る。

ここで、面白いのは、道教は、一神教ではない。
多神教である。

最高位に、元始天尊が、存在するが、その他、多くの神々が存在するのである。

老子も、荘子も、神の一人である。

道教は、実に、深いものだとは、言わない。
滅茶苦茶なのである。

それを、成立道教は、老荘思想に帰結しているのである。

根拠としての、老荘思想である。

勝手に、作り上げたものを、老荘思想に、こじつけて、体面を保つという・・・

勿論、すべてが、迷信として、跳ね除けることは、出来ない。中には、現代でも、有効に生かす事が出来るものもある。

だが、それ以上のものは、妄想以外の、何ものでもない。

老荘の無為自然を生きるならば、それらの、方法は、必要がない。
心の欲するままに、人生を楽しむことであり、何か、特別な修行や、訓練などは、否定しているのである。

以前に、少しばかり、禅の時に、説明した個所を、読み返して欲しい。

禅にある、厳しい修行も、否定するのである。

楽しく食して、楽しく性行為をして、自然に近く生きる、無為自然である。
いずれ、死ぬ身であるから、心を、流して生きてゆくことなのである。

不死身になるなどとは、一切言わないのである。
そして、不死身とは、自然に反する行為である。
全く、老荘思想と反対のことを、道教、特に、成立道教は、教える。

成立道教は、宗教である。
それこそ、魑魅魍魎の素である。
人間の、妄想の限りなさを、見るものである。

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2012年08月03日

神仏は妄想である。379

道教の神仙思想は、古代日本人に、どのような世界観をもたらしたのか。

日本人が、古くから描いてきた、理想郷とは、極楽と、高天原であった。
ところが、神仙思想が入ると、トコヨという、もう一つの理想郷ができたのである。

日本書紀の神武東征の際の記述に、天皇の兄の一人である、三毛入野命、みけいりぬのみこと、が、荒れ狂う海に飛び込み、死ぬ。
だが、そこには、常世国へ言ったと、書かれている。

すでに、常世という国は、常識的に存在していたのである。
恐るべき道教である。

では、常世という国は、どのような所なのか。

この常世国について、本居宣長が、解釈をしている。
常世とは、登許、とこ、曾許、そこ、に通じて、底依国、そこよりのくに、と同じ意味だという。
そして、それは、古代人の、世界観を構成するものだとした。
底、というのは、方向を示すものではない。

どの方向でも、至り極まるところを、示すのである。

遠く離れる極限である。
更に、それは、現実の国土から、隔絶されているのである。

特別、限定された場所ではないのである、という。

それでは、単なる、概念的存在に過ぎないのである。
だが、それでも、古代人たちは、ある空間的広がりを持つ、ところとして、観念していたようである。

常世へ行くということは、死ぬことである。
現実の世とは、異なる世界である。
つまり、死後の世界となる。

それ以前の、古代人たちの、死後の世界は、黄泉の国である。
だが、そこは、国土と隔てられてあるが、現実の国土と、ほとんど変わらない場所という意識である。
この世の、延長線にあるところ、である。

だが、それも、死によってのみ、超えられるのである。

だから、この黄泉の国と、遠き限りない彼方にある、常世を想定できたことは、不思議なことではなかったのである。

面白いのは、常世国は、死者の国であるが、死者とは、抽象化された霊的存在ではないのである。
それは、現世の人間と同じ形で、同じ生活を営むと、考えられた。

更に、死の国といっても、暗黒の、忌わしい場所ではないのである。

少し、話は、飛ぶが、私の霊学から言えば、幽界に当る場所である。
現実の世と重なり、現実の生きている様子と、同じところなのである。

更に、常世国は、美しい国と、意識されていたという。

これは、考えると、死というものに対する、恐れを取り除く効果がある。

道教の神仙思想が、ここまで、日本人の世界観に入りこんでいるということを、驚くのである。

更に、常世国とは、空間的に無限であり、時間的に言うと、永遠である。

もう一つ、特徴的なことは、常世には、蓬莱山がある。
常世を具体的にするために、創作された、蓬莱山・・・

この、神仙思想は、四世紀から、八世紀に渡り、半島や大陸から渡来してきた人たちを通して、伝えられたものである。

常世国の、具体的内容は、楽土観と、不老長寿観を通して、把握するということである。

ここまで、説明すると、実におかしいことに気づく。
楽土観は、解る。しかし、死んで、不老長寿・・・
詐欺のようである。

さて、研究家は言う。
常世国自身に、本来、いささかも恐怖の感覚が含まれていなかったことである。なるほど、常世国は黄泉の国と結合した。が、決してそれは、本来、死の国という意味からではなかった。非常に遠くて往来できない、ということからであった。

好ましい、慕わしい郷という、意識。
死の国とは、基本的に感覚を異にする世界。

更に、それに、海神国というものがある。
これも、古代人が持った、世界観であり、最も楽しい所と理解された。

常世国が、海の彼方に広がる常、とことわ、に楽しい理想郷として、現実のものにするという、古代人の願いを感じる。

そういう、場所があるから、この世の辛い現実を、何とか生き抜いてゆくと、考えることもできる。

矢張り、人間には、神話、更に、御伽噺・・・そして、死後の楽しい世界などなど・・・
そういう思いが必要なのである。

すべては、人間の創作である。
あらゆる、宗教、思想における、お話しは、逃避ではなく、前向きに生きようとする、励ましの創作と、考えると、納得する。

この、道教の影響が、目に見えないところで、今も、生き続けるのである。
そして、それを、伝統的にしてしまった、日本人の心の親和性と、寛容さである。

死んでも、常世に行くなら・・・
とても楽しく、美しい死後の世界・・・

信じる者は、騙されるが、騙された振りをして、生きることも、妙味がある。
人間の、妄想の様、本当に、感心するのである。
在ると、思えば、在る、とは、心的事実のようである。

posted by 天山 at 04:53| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月04日

神仏は妄想である。380

仏教が中国に伝われるのは、一世紀である。
勿論、道教は、すでに存在していた。

仏教は、二世紀から発展し、三世紀から五世紀にかけて、教団を形成する。
と、そこで、既存の道教との、摩擦が起きる。

その優劣を競い、激しく論難し攻撃する。
宗教の定めである。

そうして、道教側が、何と、老子化胡経という、偽書を作ったのである。

中国人らしい。

つまり、それは、老子が西の、胡、えびす、の国に行き、釈迦になったというものである。

であるから、釈迦の説くものは、実は老子が唱えたものである。だから、その根元は、道教にあるというもの。

そして何と、中国では、この偽書が、かなり普及したというから、驚く。

二つの対立は、五世紀を過ぎても、衰えず、益々激化した。
更に、その対立の最盛期に、日本に伝えられている。

奈良時代に、摂津の国東成郡に、ある金持ちの男がいた。
近頃、家業がうまく行かないのは、漢神の祟りだといわれる。その祟りから逃れるために、漢神に祈る。
七年間を、その祭りの期間として、一年ごとに、牛を一頭ずつ殺して漢紙を祭る。
だが、満願になっても、よくならない。かえって、重い病気になった。
医者にかかり、治療したが、よくならない。
霊験あらたかな、社の神官に祓ってもらうが、治らない。
これは、牛を殺した殺生の罪のせいだと、今度は、仏の戒律を守り、毎月、放生善を行った。しかし、とうとう、死んでしまった。

そして、死後の世界である。
閻魔大王の前に引き出された。
男を見た七人の鬼が、男を膾に切り裂いて食いたいという。
とろが、にわかに、千余人のものが現れて、この男が七頭の牛を殺したのは、漢神を祀るためであり、本人の罪ではないという。この千余人とは、男が放生善で、命を救った、魚などの生き物である。
大王は、結局、この男を許し、再び生き返らせた。
蘇生後の男は、漢神を祀らず、仏教に帰依して、放生善をして、無病息災で、九十余歳まで生きたという。

この話は、説話である。
つまり、漢神信仰と仏教の対立であり、仏教が優れた宗教だというのである。

もう一つ、大化の改新の前年、駿河を中心に、奇妙な祭りが流行した。それは、農民の爆発的な運動といってもいいほどのもの。

この時の、神は、常世神である。
その功徳を説き、それに同調した、村々の巫女たちが、農民に、この神を祭ることを宣伝した。信じた農民たちは、酒、大事な家畜、なけなしの財に至るまで、常世神に供えて、新しき富い来れり、と歌い踊り狂いながら、祈りを捧げたという。

常世神とは、道教の神である。

常世
これは、神仙思想の、不老長寿の核でとなる、教えである。

現世利益の、信仰である。

研究家は、
常世神信仰の内容が、個人的な欲求の満足をめざす現世利益そのものの信仰であったということ。しかも、そういった信仰に強い共感を生むほど、彼ら農民生活が現実に苦しかったということにあったのだろう。
と言う。

更に、それを推し進めたのは、地方の豪族である。
豪族は、それを使い、教祖的な存在になり、それが広まったようである。

しかし、この信仰は、全くの無益であり、非常に弊害が多く、農民たちが騙されていると、中央から、秦造河勝が派遣されて、教祖的存在が処罰された。

常世神は、完全に弾圧され、無と化した。

この七世紀の前半は、日本における、仏教の展開から見ると、初期の部族的な性格を主とした仏教が、後に奈良仏教に代表される、鎮護国家的な性格に移行する、過渡期だった。

この時期に活躍したのは、聖徳太子と、蘇我氏、秦氏である。

河勝は、聖徳太子に最も近い、側近である。

常世神の事件は、道教信仰と、仏教信仰の対立相克を表す事件であった。

歴史的に言えば、常世神信仰という道教が、政治的に弾圧されたということである。

このように、道教は、仏教のように、教団を持つに至らなかったのである。
だから、その後の、道教的なものは、表に現れることなく、地下に沈む。しかし、それがまた、脈々と続いてゆくのである。

そして、以前に書いたとおり、日本の伝統というべき、生活の中に根付いていったのである。
また、道教は、朝廷の中にも、その姿を替えて行くのである。

例えば、陰陽師などである。

矢張り、それも、現世利益に当るといえる。
個人の欲望のために、幸運を求める人たちに、何らかの、道筋を示す行為なのである。

道教は、個人を主とする信仰である。
だが、日本の場合は、まず、集団が主である。

日本の神祇信仰も同じく、現実肯定の信仰であるが、道教のそれとは、微妙な違いがある。その微妙な違い、それが、道教が生きる道になるのである。

要するに、神祇信仰に食い込む事が出来たのである。

簡単に言うと、道教の個人的なものは、共同体と同じ重さを持つものである。だが、日本は、個人的な信仰と、共同体の信仰という、区分けがある。

確かに、仏教も個人的信仰の対象ではあった。
だが、伝来仏教は、現世肯定ではなく、否定の論理の上から形成されたものである。

来世、浄土、極楽への道である。

勿論、後になると、仏教の中に、現世利益的な要素を持つ信仰も、登場するが。


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2012年08月05日

神仏は妄想である。381

現世利益の祈りは低級で排撃すべきだとの論は、単にカッコよさだけを競うタテマエ論にすぎない。民衆の宗教生活というのはいかなるものであるかを、頭から考えようとせず、まったく無視している砂上の楼閣的な論である。
道教と日本人 下出積與

そして、
道教のもつ現世利益の祈りは、宗教を民衆が生活化していくのにいかに大きな働きをしたことであろうか。日本の民族信仰である神祇信仰に、いかに多様な展開を提供したことであろうか。民衆の生活に視点をおくかぎり、神祇信仰への道をたどった道教信仰を無視することはできないのである。
と、なる。

確かに、仏教も、結局、現世ではなく、来世の浄土への転生を目指したものであるが、何と、病苦、貧窮などにある人たちに、現世利益として、薬師如来、観音菩薩などの、信仰が生まれている。

現世否定の仏教が、結果的に、民衆には、現世利益の信仰として、受け入れられたのである。

日本の、神祇信仰に似た道教が、日本の民族信仰の中に、入り込むのは当然であったといえる。

最初、仏教は、集団のものとしての性格が強く、護国のために、取り上げられた。しかし、個人的な祈りになると、俄然、道教的要素が強くなるのである。

いかに、道教が日本の信仰の中に、そして、更には、そのベースの中に、取り込まれたか、知れないのである。

否定の仕様が無い。

私が、最も恐れるのは、日本独自の、信仰、神道というもの・・・
実は、道教が入り込んでいるのである。

シントーは、日本の伝統です、と、言っても、神道家でさえ、それを知らないという、愚である。

更に、恐ろしいのは、天皇即位の儀式の中にも入り込んでいるという、事実である。

道教に影響を受けなかった、神道は、何か・・・
それこそ、私が古道と呼ぶものである。

江戸時代の、国学者、神道家・・・
彼らは、知らずに、道教の概念を使い、国粋と、神道と、更に、奥義なるものを説いている。

まさに、妄想の所以である。

それも、大陸の迷信から、取り入れた、民衆道教のものである。
更に、老荘思想が、成立道教の根幹であることを別にして、研究していたのである。

つまり、民衆道教という、色のついた水が、日本の水の中に、浸透していったということだ。

勿論、時を経て、それが、日本の伝統といわれるべきではあるが・・・
それを意識しているのか、していないのかは、天地の差がある。

すでに、日本書紀の中にも、それとは気づかず、道教的お話しが登場しているのである。

聖、とは、ひじりと読む。
それは、道教の、真人の、ひじり、と同じである。

更に、平安時代などで、聖といわれた人を、皆、僧侶のことだと、考えるが違う。

真人とは仙人形を変じて天に登るなり
説文

聖は、神仙のことなのである。
こうして、隠されてきたのである。

聖徳太子という、仮説の存在も、道教から生まれたものである。
その後の、聖徳太子の様々な、奇想天外な物語は、さまに、道教からのものである。

日本史にあって、文字を理解するのは、貴族に象徴される、現代では、知識人、文化人であり、当時の学者や、僧侶、地方の豪族、中央へ出て宮廷に関わる人たちなどである。

その中にあって、神仙思想が歓迎された意味は、神仙思想というより、歓楽肯定である。神仙は、超人間だが、歓楽は、人間のものであるからだ。

そして、空海である。
彼の書いた、三教指帰、というものには、道教、儒教、仏教の優劣を論じたものである。

その中で、道教について書かれた一説に、
お前たちに、不死の神術と長生の秘密とを教えよう。かげろうのように短い命が、鶴や亀のように長命になり、駄馬の遅い足が翼のある竜のように速くなり、八人の仙人の仲間になって、昼は東海の三神山の銀の御殿で一日中楽しく遊び暮らし、夜は夜で東方の五つの名山の黄金の御殿をめぐって、夜を徹して遊べるようにしてやろう。

この空海の、神仙論は、当時の貴族たちの、神仙思想に対する、理解度を示している。

ここでは、不死の神術、長生のための秘密という、現世主義と、終日遊楽するという、精神的優美性、耽美性の追求である。

更に、道教的なものは、貴族の天皇に対する、奏上文、天皇の臣下への勅書などにも、多く使われていたということである。

また、驚きは、僧侶の書くものにも、大きな影響を与えていることである。

これは、どうしたことだろうか。

このように、現世主義の強調といっても、それは現世の否定ないし憂視が極まって、逆に、現実的傾向を肯定しようという態度から生まれたものではけっしてなかった。むしろ、本来現実的なものがさらに度を深めて、従来以上に、生活様式の豊富さと変化を求めようとする態度から生まれてきたもの、といったほうがよいであろう。
下出

いつの時代も、そのようである。
今まで以上に、生活様式の豊かさと、変化を求めたいという、人間の欲求である。
それに、道教の考え方が、入りやすかったのである。
恐るべき、道教である。


posted by 天山 at 01:23| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月06日

神仏は妄想である。382

家、屋敷、庭園、祭り、そして、儀式の造りものなどの造形物、文芸などなど、それは、その時代の人たちの、趣味生活が反映されたもの。

平安中期、庭園の池には、蓬莱山などを作った。
明らかに、道教の影響である。

更に、驚くべきは、大嘗祭の造りものなど・・・・

仁明天皇即位は、天長十年、西暦833年である。
その、11月15日、大嘗会、だいじょうえ、が行われた。

その折の、興を支える、最大のものとして、悠記、ゆき、と、主基、すき、の標が建てられた。

悠記の標は、山を造り、上に桐を植えて、二羽の鳳凰をとまらせた。その樹から、五色の雲を靡かせ、悠記近江の、四文字を浮かび上がらせる。その上に、日輪と、半月輪をかたどり、山の前には、天老と、神獣のキリンの像を供え、その後に連理の竹を配する。

主記の方は、省略するが、道教の神仙思想、一色なのである。

即位の大礼は、皇室にとっては、大和朝廷形成以来の、重大事である。
律令国家として、ことに国家の重要事の一つとして、最も、重視させてきたのである。

大嘗祭は、特に、天皇一代一度という、大典として、即位礼の重要構成要素であり悠記、主基が、その中心的標をなしていたという、事実。

大陸の、文化、思想を受けたにせよ、律令国家としては、儒教や仏の荘厳さが、自然と思うが、何と、道教の、それも、成立道教という確立したものではなく、民衆道教の影響を受けたということに、驚くばかりである。

9世紀前半の、平安宮廷最盛期に、固有のものでもなく、更に、儒教でも、仏教でもなく、神仙思想が受け入れられたということ。
不老長生に、慶賀の意を集約したということが、驚きなのである。

とすると、相当に、神仙思想が、普及していたであろうこと。

神仙思想は、本来日本人のもっていた現実的傾向に一つの方向を与えるのに有力な作用を及ぼした。これが根底にあったればこそ、あたかも文字上の遊戯や趣向の変化と思われるほど、儒、仏、道の思想的な関係にこだわることもなく、外見的にはきわめて無造作に貴族たちの心理に投じえたのだと思うのである。
下出

更に、精神的優美性、耽美性・・・

空海も書いた通り、貴族たちの、自然観と、人生観の調和、それがもっとも、大きな分野を占めていたということだ。

元来、古代日本人は、自然を人生と対立するものとは、認識していなかった。
そして、人生観は、現実肯定的なものだった。

仏教の教える、仮の宿、憂き穢れある世界と、見る事がなかったのである。

あるがままの、自然、それが、最も歓迎すべきものだった。
後に出てくる、この世は、憂き世であり、俗世を離れて、山里に入るなどという考え方は、なかったのである。

ただ、救いは、道教のすべてを取り入れたわけではない、ということだ。
矢張り、日本流にアレンジしたのである。

仏教からのもの・・・
それが大半を占めると、考えていると、誤るのである。

逆に、道教によって、仏教が支えられたともいえるのである。
更に、神道も、である。

今に至るまで、その道教の影響が延々と続いている。
それは、もう、無意識の中に入り込み、如何ともし難い。
だが、歴史とは、そういうものである。

入り乱れ、統一され、そして、再度、混乱し、統一される。
その繰り返しを歴史は、教える。

恐るべき、妄想の道教・・・


posted by 天山 at 05:10| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月01日

神仏は妄想である。383

道教の経典に関して、記述するのは、大変なことである。
諸説ある。

だが、その経典は、道教独自に成り立った訳ではない。
仏教と、対決するために、そっくりと、仏教の経典を真似たものである。

例えば、大蔵経や、十二部経の分類法である。

ただ、簡単に要約する。
下出氏の、案内に従い書くことにする。

第一は、哲学的部門であり、道教の神学に属するものすべてを扱う。
この部門は、道家、陰陽五行、易などが入る。
第二は、伝記的部門である。
神仙、道士の伝記を中心とする。
系譜や、語録、詩集などである。

第三は、数術である。
これは、方術を言う。日本で言えば、方位学となる。
勿論、日本の方位学といわれるものの多くは、省略、単純にされたものである。
学などとは、つけられない程、安易なものである。

第四は、医術的部門である。
量的には、この部門に属するものが、最も多い。その方法も、非常に多くの種類に分れている。
第五は、倫理的部門である。
中国民衆の道徳生活に、深く関わる。儒教よりも、強く影響を与えた。
だが、今は、そんな道徳など一切ないようである。

その中で、最も、量が多いといわれる、医術である。
前回も、それは、書いたとおり。

へき穀、服餌、煉丹、調息、導引、房中である。

へき穀は、五穀を避けて、火食を断つこと。
その理由は、人間の精神は、本来、自由であるが、肉体のために、束縛されて、長生きが妨げられるというもの。よって、へき穀により、肉体を清浄に保つという。そのための、方法である。

その良し悪しについては、今は、避ける。

服餌とは、不老長生を計るための、種々の薬の服用法である。
煉丹とは、その製造法である。

煉丹で、最高に重んじられたのが、神仙になるための、性能の特に高い、金丹とか、神丹と呼ばれる仙薬の製法で、単に病気を治すための薬は、下薬といわれた。

調息と、導引は、同じ趣旨のものである。
身体中の気を保つ方法である。
腹式深呼吸、柔軟体操、マッサージ・・・

道教の神学にある、気、というものの、取り入れ方である。

天地の元気を呼吸して、その気を損ずることのないようにという。
無病息災で、長生きができるというもの。

房中とは、そのものズバリ、セックスである。
調息や、導引と同じだが、これは、男女の関係が必要である。

性生活の調和を計ることにより、元気を保存して、長生きをするというもの。

兎に角、長生きの秘訣なのである。

上記を読んで、日本で言われる、健康法のすべてが、ここから、出ていることが解るというものだ。

この医術は、決して病を治すものではない。
中には、そのような薬もあるが、それは、下薬として、劣等視されていたのである。

ところが、隋、唐の時代の、医書には、道教の医術を取り入れているものが、多数ある。
それらは、病を治すという意味の方が強い。

そして、日本の医術は、隋唐の医術の完全な、影響下にあったということである。
つまり、日本の医術は、それとは知らず、受け入れていたのである。

隋唐の、医学として、取り入れてしまった日本である。

そして、漢方といわれるものも、である。
実に、恐ろしいが、事実である。
厳密に言えば、漢方の源流である。

日本で、現存する、最古の医書は、医学を家の伝統とする、丹波康頼が、円融天皇に奏進するために、平安中期の永観二年、984年に著した、医心方、である。
30巻である。

それは、隋の巣元方の、病源候論、に基づいて著されたものである。
当時は、最も、正統的な医書である。

その内容は、主要な、治病方をあげて、仔細に述べている。そして、本草・薬性などとともに、養性、服石、房中などを、独自の項目にして、論じている。

注目は、道教の医書が、大きく取り上げられていることである。

平安初期までに、日本にもたらされた、医書の半分以上が、道教の系譜をひくものであるというのが、驚きである。

下出氏は、間接的なものを含めれば、そのほとんどが、道教からのものだと言う。

日本の医学の、平安期以後は、その医術と治療法は、道教からのものであると、断定できるのである。

よほど、興味のある人にしか、解らないことである。
現在も、漢方薬として飲むものの中には、道教の仙薬の一つを飲んでいるのである。

私も、ここに至り、今までの、無知を知らされたのである。
如何に、道教が日本に深く関わっていたのか・・・
計り知れないのである。


posted by 天山 at 00:05| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月02日

神仏は妄想である384

道教の仙薬とは知らず、現代でも漢方薬と名を替えて、利用されているという、事実に驚くばかりである。

だが、9世紀の日本では、道教の医術は、異端、不純なものと、判断された。
だから、それらは、民間の医師や、人の口から伝わった。
民間療法と言われるものの中に、道教の医術が隠されているのである。

さて、医術と並び、もう一つ重要視されたのが、方術である。

神仙とは、自然の理にかない、生老病死を超越し、自由と全能を獲得するものである。
自然の理にかなうことが、神仙になるための、基本的条件である。

だが、人間は、容易に自然の理にかなうことが出来ない。
そのために、困難な修行と、難しい手続きを経る必要がある。

それが、道教の方術である。

その第一が、禁呪、きんじゆ、である。
災いを避け、長生を得るために、おまじない、呪文、更に、タブー、吉凶の判断と、星占いなどの、様々な占いである。

それらは、老荘の説く、自然の道理に源があり、道家の思想を具体化したものとして説かれるが、それは、すべて後からの、こじ付けである。

次ぎは、符ロクという、災い消し、病気を治し、妖怪変化、死霊の祟りを排除する力のある、護符札、お札、である。

それを持てば、神仙と同じ力が得られるという。
ここで、面白いのは、陰陽師といわれた人たちが、このお札を使い、鬼神をも自由に駆使することが出来たということである。

式神とも、呼ばれる。

風を呼び、雨を降らせるなど・・・
人間の欲望の数だけ、それらがあり、実に多種多様である。

そして、それらの後には、元始天尊、以下、道教の神々の加護があると、考える。

その神々に祈りを捧げる、祈祷の儀式をする。
これも、方術の部門である。

だが、それは、日本では発展しなかった。
専門の道士というものは、日本にはいないのである。

さて、当時の日本の官庁として、主要なものが、三つあった。
大学寮、陰陽寮、典楽寮である。

大学寮は、文官の養成期間であり、陰陽寮と、典楽寮は、特殊技能者の養成所である。

典楽寮は、各種の薬剤、今の漢方薬に当るものの、製剤処理、病気の治療、薬草園の管理などの、専門家が所属した。また、それらを養成する機関である。

専門職務は、医、針、按摩、呪禁、薬園、五種類である。
薬園以外は、皆、直接、病気の治療に携わる。

医、針、按摩は、現在のものと、同じようなもの。
ただ、呪禁は、道教の方術に当るものである。

その専門職として、呪禁師二人、呪禁博士一人、呪禁生六人の定員があり、医師、医博士に次ぐ、待遇を受けていた。

だが、具体的な働きについては、よく解らないのである。
道教の信仰とは、別にして、その方法のみを取り入れていたのである。
更に、道教の医方、マジックである、呪禁は、次第に消えてゆくのである。

呪禁とは、肉体を若々しく保ち、命を永らえさせ、生活の安全を図るための、方術である。しかし、この道教のマジックの力が信じられるほどに、その本来の目的とは違う、異常な方向に発展したのである。

社会上や感情上のおのれにとって都合の悪いもの、いわば、公私両生活においてのおのれの対立者、敵対者などへの強い脅威を与えるもの、そういった方向へのマジックの展開が希求されてくる。
下出積輿

それは、自己の安全に力があると信じられるほど、これを逆用される相手からは、恐るべき、脅威となるのである。

大陸においても、その展開が、非常に顕著であったという。

端的に言えば、呪いである。
その中には、様々な方法がある。

その中に、厭魅、えんぴ、とか、コウ毒というものがある。
えんぴは、密かに人形を作り、その心臓や目に釘を打ち付ける。手や足を縛る。すると、相手が、その苦しみを受けて、死に至るというものである。

魅とは、鬼神に託して、相手を呪う。
呪詛を符書に従い作製し、相手を殺そうとするものである。
それを、秘密裏のうちにする。

コウ毒は、数多くの虫、蛇の類を同じ壺に入れて、お互いに食い合わせる。そして、最後に残ったものの精を利用するというもの。

これらは、奈良、平安の頃の人の心に、怖れと不安を抱かせるのに、最適だった。

さて、典楽寮は、病気の治療と、予防に従事すると共に、専門家を養成する。それが、道教の医方、呪禁が、取り入れられ、医方以外の一分野として設置されたのも、効果のあるものと認識されたからである。

例えば、呪方などは、現代の心理療法ともいえるもので、その効果は大きかったのである。

それは、日本が模範にした唐でも、取り入れられていたからである。

無批判に近い態度でほとんど模倣的に設置したのが実情である。
下出

だが、上記の内容は、現代までも、生きている。人を呪い、丑三つ時に、藁人形を釘で打ちつけるなど・・・

posted by 天山 at 00:14| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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