2011年07月22日

天皇陛下について。79

昭和20年、1945年、日本は敗戦した。

広島、長崎と、原子爆弾が投下され、その後、ソ連が日ソ中立条約を破棄して、宣戦布告した。
主要都市は、廃墟となり、陸海軍の戦力も、崩壊した。

敗戦を決めたのは、8月9日と、14日に行われた、御前会議での、天皇陛下の、御聖断であらせられる。

ポツダム宣言受諾と、無条件降伏を決していた。

8月15日、玉音放送により、終戦の詔勅が流れる。
戦争が終わった。

ポツダム宣言には、天皇、憲法に対する、根本的な問題には、言及していない。
それが、日本側に、恐怖を与えた。

昭和天皇の処遇・・・
全く、皆目検討が着かない、状態である。

だが、じつは英米政府は、太平洋戦争中から日本研究を重ね、天皇の政治利用を狙っていたのだった。
英国機密ファイルの昭和天皇 徳本栄一郎

それを、裏付ける、複数の文書があるという。

一つは、1944年1月2日、駐米英国大使館が、本国に送った「ウィークリー・ポリティカル・サマリー」政治報告、である。

日本の将来像について新たな議論が出てきた。国務省内部では、ミカドと協力し、神道を連合国寄りに修正する可能性も話し合われている。ホーンベック(元極東部長)のみが、ミカドの有用性を妄想と考えているようだ。・・・
グルー(元駐日大使)は、新たな太平洋戦争の火種を防ぐため、敗戦後の日本は十分な経済市場を与えられるべきとしている。

かねて英米政府は、明治以来の国家神道が日本の軍国主義の温床になったと見ていた。天皇と協力して、その軌道修正を図ろうという考えだった。
徳本栄一郎

もう一つは、同じ年の、1月13日の、グルーが行った、スピーチを基に、英国外務省が作成した、日本の天皇制存続の展望、という、レポートである。

その中では、日本が無条件降伏をした場合、軍の強硬派が、穏健派を抹殺し、クーデターを起こすのではないか、というものである。

いかなる場合も、無条件降伏と連合軍の占領後、日本の皇室の威信を考える必要がある。天皇は世俗的王位ではなく、個人的人気があるかどうかは分からない。だが、彼は国家の崇拝物で、護符でもある。
レポート

上記を、見ても、よく解る通り、欧米の国々は、日本、そして、天皇の存在を、本当に知らないし、理解も出来ないのである。

人は、自らの、思考以外のことは、考えられないのである。

だから、天皇を理解できるのは、日本人しかいないのである。

更に、神道に関しても、全く、不案内である。
彼らの、宗教的概念でしか、理解し得ない。
それが、また、彼らの傲慢であるところのもの。

その以前も、それ以後も、彼らが、いかに、人種差別行為を、繰り返したかを見れば、一目瞭然である。
更に、である。
今も、その野蛮な思考方法は、変わっていない。

人間に、野獣性というものが、あるならば、それは、彼らの中にある。

さて、敗戦から、三ヶ月後の、1945年11月29日の、東京に進駐した、英国政府代表団が、本国に、長文のレポートを送った。

タイトルは、日本占領の問題点と方針、である。

それは、
いかに英国の利益を確保するか分析した内容だった。
徳本栄一郎

天皇制が、トップ上げられている。

連合の道具として天皇を残したのは、疑問の余地なく正しかった。日本国民は8月15日の詔勅を、全員玉砕するまで戦えとの命令と考え、それに従うつもりでいた。・・・
天皇の権威そこが、平和裏の占領を可能にした。

精神的シンボルとしての天皇の力は、物質的不幸で却って高められた。天皇は残された唯一の財産であり、他国にないシンボルである。

現在の天皇の退位は、戦争犯罪と関連して議論されてきた。彼は協力的な真面目な人物で、自分に出来る範囲で軍部に抵抗しようと試みた。天皇の退位は決して有益ではない。

興味深いのは、すでにこの時点で英国政府が、天皇を「シンボル」(象徴)に利用すべきたと提言している事だ。
徳本栄一郎

上記の、分析は、正しい。
しかし、問題なのは、英国の利益なのである。
根本は、英国の利益によって、理解されたものなのである。

皇室の、英国王室に、対する、対応と、考え方は、全く違う。
それは、利益ではなく、王室に対する、敬意なのである。
しかし、王室も、彼らも、全く、日本の皇室と、天皇の、存在意義を知らない。

ここで、天皇と、イギリス王というものに、天と地の差があることが、解るだろう。

言えば、イギリス王は、大地主であり、天皇は、日本全土を、何一つ持たなくても、天皇という権威のうちに、国民から、崇敬される、存在なのである。

日本全土を、覆う、その大御心なのである。
そのように、捉える。

その、天皇陛下が、わが身、いかになろうとも、日本と、その民のために・・・
と、仰せられる。
それは、天皇だから、出来ることなのである。

イギリス王ならば、わが身を、大切にするゆえ、亡命する。

日本の天皇の存在を、ある程度、理解出来る国がある。
タイ国である。

タイ国王は、国民から、世界の王として、認識されている。
それ以外の、王は、いないのである。

王様とは、タイ王のことである。
彼らに言わせれば、王様は、タイに、いる。
天皇は、日本にいる、ということになる。

それ程、権威というものが大事なのである。

タイの軍隊は、国軍ではない。
王様の軍隊であると、胸を張る。

ちなみに、タイ国王陛下在位60周年記念行事に、参加された、今上天皇、皇后陛下は、どの場面でも、国王のお傍に、置かれた。
当日は、全日テレビ中継で、その様子が、流れた。
私は、バンコクで、その映像を見ていた。

国民が、見られない場面でも、タイ国王は、つねに、天皇陛下をご案内していたというから、驚く。


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2011年07月23日

天皇陛下について。80

日本を民主主義国家に改造するマッカーサーの切り札、それが大日本帝国憲法の抜本的改正だった。
徳本栄一郎

1946年2月3日、GHQ民生局長の、コートニー・ホイットニー准将は、次長のチャールズ・ケーディス大佐、法規課長のマイロ・ラウエル中佐らを呼び出した。
そこで、極秘の指示を出した。
最高司令官は、つまり、マッカーサーは、われわれに憲法草案を書くよう命令された。毎日新聞の記事を見ても、日本政府の憲法案はあまりに保守的で、天皇の地位を何ら変更していない。

日本側の、憲法草案は、明治憲法の枠を出ない保守的なもので、特に、天皇の条項は、明治憲法と大差なく、GHQ側を、激怒させた。
ゆえに、マッカーサーは、ホイットニーに、新憲法の草案の指針を手渡したのである。

2月19日、日本政府は、閣議で、GHQ草案を提示した。
侃々諤々の議論の末、結果は、その案に沿った、憲法を作る方針を決定した。

間髪を入れず、マッカーサーは声明を発表した。
「天皇、政府によって作られた新しく開放的な憲法が、日本国民に予の全面的承認の下に提示された事に深く満足する」
まさに、完璧なやらせだった。
徳本栄一郎

1946年3月8日、東京の英国代表団が、本国に至急電報を打った。
この草案は明らかに英語で作成され、日本語に翻訳されたものだ。トーンがあまりに米国的すぎる。・・・特に軍備を禁じた条項は、将来の改憲議論の焦点になるだろう。
憲法改正を急がせた理由は不明だが、極東委員会と対日理事会を無視する意思が背景にある。この草案が国会で可決されてしまうと、外部の介入は困難である。
1946年3月8日、英国外務省報告

マッカーサーが、本国政府の許可なしに行動しているのは明らかだ。われわれの不満を表明し、彼に対処させるべきである。
1946年3月19日、英国外務省報告

19世紀以来、インドやアフリカに広大な領土を誇った英国は、老獪な植民地経営に長けていた。時には、現地の文化や歴史も巧みに利用する。それだけに、短期間で国家改造を押し付けるマッカーサーに、大きな危うさを感じていた。
徳本栄一郎

連合国は、壮大でかつ野心的な実験を行おうとしている。支配と教化で国民の政治的体質を変え、これまでの知的伝統を破壊または大きく修正できると考えている。可能かもしれないが、歴史上、そのような前例は聞いた事が無い。・・・われわれが望むのは、日本が攻撃的な全体主義から民主主義国へと生まれ変り、国民が基本的権利を享受し、経済政策が相反しない事である。・・・それが自国の利益にも適うと理解させるため、日本に圧力をかけるのは適切かつ合理的だ。しかし、教室で細部の処方まで与える手法は信用できない。日本人に、われわれが望む結果だけを伝え、やり方は彼らに委ねるべきである。
1946年3月26日、英国外務省報告

敗戦後、一度も、改憲せずに来た。
それは、奇跡的である。

平和憲法という名の、美名に酔ってきたのである。
そして、多くの矛盾を、兎に角、辻褄を合わせて、ここまで、来たのである。

イギリスが、言うように、日本民族は、攻撃的ではない。
羊のように、大人しい。
そして、羊のように、従順である。
だから、憲法改正も、進まないのである。

徳本氏は、60年前の、英国政府の懸念が、的中したと、言う。

われわれが日本に採択させるべきは、立法府と個人の権利を尊重する、アングロサクソン型民主主義である。これはキリスト教の教義に由来する個人の自由の伝統から、長い時間をかけて発展してきたものだ。それが、産業革命後の裕福な中流階級により、十九世紀に拡大してきた。同じ条件が整わなければ、日本で同じ発展が起きるとは思えない。

考えられるのは、日本を1868年の明治維新の状態に戻し・・・リモート・コントロールする事である。すなわち、国際社会復帰が認められるまで、欧米列強の監視下に置き、不平等条約も改正しない。
1946年3月26日、英国外務省報告

いかにも英国的な経験主義アプローチである。日本の国民性を無視してやみくもに改革に突き進むGHQは、彼らに子供同然に映ったのだろう。と、徳本氏が、言う。

私は、違う。
ここまで、傲慢なイギリスの、本性を見るものだ。

アメリカの、魔的なものと、イギリスの魔的なものとは、違う。
産業革命後・・・裕福な中流階級・・・
それが、すべて、植民地からの、搾取による。

そして、それが、アングロサクソン型民主主義であり、キリスト教に由来する・・・
呆れる。
それが、可能だったのは、何か。
多くの植民地政策であり、人権無視、更に、人種差別の何物でもないのである。

彼らの、優越意識は、付ける薬がないほど、である。

イギリスは、どれほどの、悪行をして来たのか・・・
その意識さえない。

欧米列強の監視下に置き、不平等条約も改正しない・・・
さらに、日本の、植民地化である。

アメリカより、狡猾、更に、傲慢、優越意識・・・

イギリスは、今も、多くの国に、君臨する。
イギリスを、宗主国としている、国が、今も多く存在する。

そして、そこは、今も人種差別に、晒されているのである。

だが、兎に角、世界は、そのように、動くということである。
国益・・・
その、国益のためには、相手国が、どうなろうとも、いや、殺さない程度に、生かして、搾取するという。
そこに、思想がある。
実に、恐ろしい、思想である。

posted by 天山 at 11:00| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月24日

天皇陛下について。81

何故、マッカーサーが、新憲法制定を急いだのか。

前年の12月27日、モスクワで開かれた米英ソ外相会談で、ワシントンに極東委員会、東京に対日理事会を設置する事が決まった。前者は連合国十一カ国で構成される日本管理の政策決定機関で、後者は、連合国軍最高司令官の諮問機関だ。いわば、日本占領のお目付け役である。極東委員会の一部のメンバーは拒否権を持ち、その中にはソ連など天皇制に反対する国も含まれた。さすがのマッカーサーも無視する訳にはいかない。彼らが介入する前に、憲法改正の目処をつける必要があった。
徳本栄一郎

日本国憲法は、1947年5月3日に、施行された。

草案作成者たちは、旧憲法で天皇が保持した絶対的権限への批判を考慮し、彼の権限を影の力に縮小した。天皇は国のシンボルと表現されている。
九条の戦争放棄は、縁起が悪いが、(武力による国際紛争解決を禁じた)ケロッグ不戦条約に従っている。・・・これが実施されれば、日本は国連の安全保障体制に貢献する事もできない。
1946年7月19日、極東委員会文書

マッカーサーが進める日本改造に、次第に英国は警戒心を強めていった。
徳本栄一郎

1946年4月10日、新選挙法による、戦後初の総選挙が、行われ、鳩山一郎率いる、日本自由党が、第一党に躍進した。
鳩山内閣が、確実になった。
そこに、GHQが、介入した。

4月25日、対日理事会の非公式の会合が開かれた。
議長は、ジョージ・アチソン、戦前の中国に駐在した、米国人外交官である。
彼は、政治顧問として、日本に、派遣された。

アチンソ議長は、
連合国軍最高司令官は、特定の候補者や政党を支持するつもりはない。しかし、好ましからざる人物の首相に、閣僚就任には介入していく。
との、言葉に、各国の代表は、耳を疑った。

連合国軍最高司令官は、鳩山一郎を受け入れられない。幣原善重郎が最も妥当な洗濯だが、吉田茂や戸田均も可能性がある。
1946年4月25日、英国外務省報告

5月4日、GHQは、日本政府に、鳩山の公職追放覚書を発した。
戦時中の、軍国主義的発言などが、主な理由である。

選挙で信任を得た人物の総理大臣が、GHQの一言でひっくり返ったのだ。
そしてこの時も、日本国民には一言の相談もなかった。新憲法制定、総理大臣選出は、確実にごく一握りの米国人によって、決定づけられたのだった。
徳本栄一郎

1947年1月21日、ロンドンから、新任に駐在英国代表である、アリバリー・ガスコインが、東京に入っていた。

マッカーサーからの、昼食の誘いを受けて、二人は、じっくりと、話すことが出来た。

マッカーサーは個人的意見として、裕仁は、現政権や国民の誰より民主的、進歩的だと語った。彼によると、天皇を残して利用する1945年の連合国の方針は百パーセント成功した。また天皇を戦犯として投獄、召還する事は道義的に間違いだった。裕仁自身は、戦争の立案、実行に関わっておらず、西園寺や牧野ら側近や軍国主義の完全な支配下にあったと言う。
1947年1月22日、英国外務省報告

そして、マッカーサーの話は、天皇との、会見の話しに及んだ。

ガスコインは、平静を装いながら神経を集中させた。マッカーサーは、以前から抱いていた疑問を、直接天皇にぶつけてみたと言う。
「そこまであなたが戦争に反対していたなら、なぜマイクの前に立ち、その旨を宣言しなかったのか」
天皇が答えた。
「歴代の天皇で、側近の意見に反して行動した者はいません。1941年の時点で、もし私がそんな行動を取れば、間違いなく首をかき切られていました」
英国外務省報告
以上、徳本栄一郎

昭和天皇独白録
かくなった以上は、万一の僥倖に期しても、戦った方が良いという考えが決定的になったのは事前の勢と云わねばならぬ、もしあの時、私が主戦論を抑えたならば、陸海に多年練磨の精鋭なる軍を持ちながら、ムザムザ米国に屈服すると云うので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデターが起こったであろう。
現代語訳は、私。

英国政府は、マッカーサーが天皇を高く評価している事、日米開戦の直前、天皇が本気でクーデターを心配し、それが開戦に反対しなかった理由と分析したのだった。
徳本栄一郎

さて、実に面白い話がある。

1948年7月6日、駐バチカン英国公使館は本国外務省に、一通の報告書を送った。ローマ教皇と天皇の接触を知った英国政府は、教皇庁幹部に確認を迫った。全世界のカトリック信者の頂点と天皇の関係は、見逃す訳にはいかなかった。
徳目栄一郎。

実は、天皇は、戦争終結の場合の、手段を、想定していたということである。
その具体的な手段として、ローマ法王庁を想定していた。

昭和天皇独白録
開戦后、私は「ローマ」法王庁と連絡のある事が、戦の終結時期において好都合なるべき事、又世界の情報蒐集の上にも便宜あることならびに「ローマ」法王庁の全世界に及ぼす精神的支配力の強大なることを考えて、東条に公使派遣を要望した次第である。
現代語訳は、私。

昭和17年4月、特命全権公使となったのは、原田健である。

ともかく、このローマ法王庁への公使派遣は、天皇が開戦まえに、その「戦争終結」にさいしての手段を予め考えていたという意味で、畏るべき思考である。改めていうが、能吏ではあるが軍人官僚の東条には、こういう思考はまったくなかった。「知性」の人であっても、政治家としてはまことに力量の劣る近衛文麿にも、この種の発想はなかった。
畏るべき昭和天皇 松本健一

ということで、天皇は、法王と、どのような、関係を築くことになったのか。
非常に、面白いのである。


posted by 天山 at 00:08| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月25日

天皇陛下について。82

ジョバァンニ・モンティーニ大司教によると、フロジャックは、過去四十年間で日本に「ベタニアの家」という偉大な組織を作り上げたフランス人神父である。
彼は天皇からいくつかの土地譲り受け、農業試験場や療養施設を開いている。1947年9月8日には、天皇・皇后の二人がここを訪れた。
ローマを訪れたフロジャックは、教皇に謁見し、天皇からのメッセージを渡した。彼は返礼として、教皇の写真を天皇に渡す事を希望した、それに教皇も同意した。
全てはフロジャックの個人的熱意からで、この自体に何ら政治的重要性はないとの説明だった。
1948年7月6日、英国外務省報告

モンティーニ大司教は、バチカンの国務長官、つまり、首相の代理を務めていた。
後に、パウロ六世になる。

ローマ教皇は、我々の旧敵国への支持でしばしば非難されてきた。些細な出来事だが、報告に値すると判断するものである。
英国外務省報告

英国が、バチカンを警戒するのは、当時の、ピウス12世の、連合軍への、強い不信感である。

彼は、ヒトラーの教皇とも、呼ばれ、ユダヤ人への迫害、虐殺を黙認したことで、知られる。

背景には、共産主義を公然と敵視した、ナチスへの、親近感がある。
特に、ロシア革命後、ソ連は、宗教は、アヘンだとして、多くのキリスト教聖職者を弾圧した。それに対して、教皇庁は、嫌悪していたのである。

1952年、サンフランシスコ講話条約調印を受けて、バチカンと、日本は国交を回復した。

ローマ教皇庁は、軍国主義の崩壊により、日本にイデオロギー上の空白地帯が生まれたと見ている。共産主義に対抗して、教皇庁は、それを埋めたい考えだ。・・・天皇裕仁がカトリックに改宗する可能性が出た事も、教皇庁の動きに拍車をかけた。
1952年4月18日、英国外務省報告

イギリスの、ガイスコン駐日代表は、天皇が、カトリックに改宗する可能性について、本国に報告している。

もし、そうなれば、甚だしい、影響がある。
日本国民が、雪崩れるように、カトリックになる。

また、一方、共産主義のソ連は、1952年1月、スターリン首相が、日本国民に、メッセージを送る。
「外国の占領に伴い不幸な状態に陥った日本人民に対し、ソ連国民は深い同情をよせている」というもの。
実に、白々しい。

日本という、新しい市場を巡り、キリスト教と、共産主義が、鎬を削っていたのだ。



posted by 天山 at 05:52| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月26日

天皇陛下について。83

東京のマッカーサーは、海外からのゲストを天皇に近づけない事で知られた。日本に着任して二年目のガスコインですら、天皇との個人的会見は実現していないのだ。キラーン卿は喜んでマッカーサーの提案を受け入れたのだった。
徳本栄一郎

キラーン卿とは、明治末期、駐日英国大使館で、二等書記官として、勤務し、1921年、皇太子時代の昭和天皇が、欧州を歴訪した際に、彼も、英スコットランドに同行した。英国外務省の、日本専門家の一人である。

敗戦以来、天皇が英国要人と単独で会うのは、初めてのことである。

明らかに天皇は、戦後初めて、英国の旧友を迎えた事を歓迎していた。拝謁は、ひと時も途切れる事無く二時間続き、天皇は、1920年の訪英時の個人的出来事を話し続けた。訪英が、いかに彼の心に強烈な印象を残したか証明された。
1949年1月25日、英国外務省報告

天皇は、先の大戦を遺憾に思っている事、自分は常に反対していたが、周囲の環境や状況に逆らえなかった事を断定的に語った。また、日本人が与えた苦しみや被害に、心から遺憾の意を表した。
上記に同じ

天皇は、わずかながらも外部の空気を吸う機会を得て喜んでいた。言葉には発しなかったが、天皇は強い親英感情を抱き、再び英国とのコンタクトを得て心から喜んでいる気持ちを伝えようとしていた。
上記に同じ。

天皇は、英国国王夫妻に敬意を表する挨拶文を送りたい旨を、繰り返し表明した。自分は、この要請を然るべき筋に伝えると返答した。
上記に同じ。

それは、世界大戦により、途絶えていた、英国王室、特に、国王ジョージ六世との、メッセージの交換である。

だが、それは、大変難しいものだった。
天皇の、状況が、定まらないうちに、英国との、関係を密にすることは、英国に不利益をもたらすことにもなる。
更に、終戦から、三年を経ても、英国にとって、日本は、講和条約も締結していない、敵国であり、戦争中、日本軍が、英国戦争捕虜を虐待したとのニュースも溢れて、英国民の対日感情は、最悪だった。

戦争状態にある点を考慮し、宣伝を防ぐため、私的な返答は避けるべきである。天皇のメッセージを受け取った旨は、駐日代表を通じ口頭で先方に伝えるべきと考える。
1948年8月12日、英国外務省報告

東京の、ガスコイン駐日代表は、ジョージ六世のメッセージを、単独会見が出来ない以上は、口頭で、伝えることも、無理であるとして、天皇の弟である、オックスフォード大学に留学した、秩父宮を、経由して、伝えることとした。

敗戦から、三年目は、東京裁判の判決が出た年である。
A級戦犯七名に、絞首刑を宣告された。

更に、天皇陛下の、全国巡幸が、行われていた。
焼け跡で、天皇陛下を国民は、熱狂的に、歓迎した。
それは、以前書いたとおりである。

終戦直後のマニラで、キラーン卿がマッカーサーと会った時、天皇の評価が話題に上がった事がある。マッカーサーは「天皇は今の日本で最も民主的考えを持ち、極めて扱いやすい男だ」と答えた。1946年7月11日、英国外務省報告
徳本栄一郎

日本の、国家改造には、欠かせない人物、天皇の存在である。

その後、天皇退位論などが、出てくるが、結果的に、昭和天皇は、退位しなかった。

そして、それが、最も理想的なものだった。

以上、英国外務省報告を、眺めた、徳本栄一郎氏の、書籍に助けられた。

こうして、昭和天皇の、姿を、検証してゆくと、昭和天皇が、いかに、すぐれた政治的感性の持ち主であったかが、解る。
そして、何より、歴代天皇に、鑑みて、己の姿を、絶えず、客観視していたことである。

側近、つまり、政治家が、決めたことは、そのまま、受け入れて、承認するという、姿勢。これは、歴代天皇の御姿である。

そして、それを、辿ると、大和朝廷以前の、富士王朝時代にまで、遡るのである。

大和朝廷の、前身である、富士王朝から、9000年の歴史を、誇る。
神武天皇から、建国2670年を迎える。
世界で、唯一の、歴史の国である。

それは、大政頭、おおまつりかしら、から、大王、そして、大君、天皇と、続いた歴史でもある。

富士王朝では、政、まつりごとの、場を、高天原府として、置いた。
それが、高天原という言葉の、発祥である。

そして、その後、九州に政治を司る、府を置くことになる。
それも、血族であるから、万系一系の天皇の、歴史である。

九州王朝を、天都とし、富士王朝を、神都として、神武東征まで、続くことになる。

それについては、いずれ、書き付ける。

もう少し、昭和天皇の姿を、見て、天皇というものの、存在というものを、考えたい。
学問的には、天皇制という、制度であると、言われるが、天皇は、制度ではない。
伝統である。

制度という、観念が出来る前から、天皇の存在があり、それが、日本を形作っていったのである。
伝統と、言うほかないのである。

更に、西欧の、君主制と、決して、同じくして、理解できないものである。
最も、反対の、絶対君主制なとども、全く別物である。

民族が、生み出した、知恵である、伝統としての、天皇の存在である。


posted by 天山 at 02:44| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

天皇陛下について。84

マッカーサーがどのような意図を有し、どのような占領政策を押し付けたにせよ、それは占領の終結と同時に一切合切ご破算であり無効である。
天皇とか何か 里見岸雄

実に、明確である。
更に、

日本国憲法は、新しい合法的憲法ができるまで有効であるが、その解釈は占領軍司令官の手を離れて今や日本の手に帰したのである。正当な解釈である以上、どんな解釈をしたところで、何ものにも抵触するところがない。
里見

しかし、政府も、国民も、独自の機能に基づく、解釈をもって、憲法の、天皇に対する、存在を明確にしないのでいる。
最も、平和憲法と、言われる、九条についても、である。

イギリスが、危惧したように、これでは、国際的、貢献も、ままならないではないか・・・
そう、軍備の必要性を、無きものにした。
戦争放棄とは、耳障りがいいが、自衛権まで、放棄するという、考え方も、できるのである。

天皇陛下、一点に絞り、里見の考え方を、見ていく。

マッカーサーは、天皇陛下もまた、基本的人権を有する。他人が、その名誉を毀損した場合は、名誉毀損罪で、告訴することができる、としたが、里見は、それは、天皇陛下が、君主であられ、象徴であられることと、何も公の関係がない、と言う。
個人の名誉毀損ではない。天皇陛下を侵すことは、直ちに、国家を侵すことになる。そのような自由を、基本的人権として、憲法法律で、保護するということは、国家の自殺行為である、というのだ。

要するに、マッカーサーは、天皇陛下というものの、真の存在の、ありようを知らないのである。

つまり、日本の伝統的歴史観を、知らない。そして、知る訳が無い。
アメリカという国の、成り立ちを見れば、一目瞭然である。

更に、彼らの、権威というものは、ただ、妄想の神以外にないのである。

天皇陛下を、大統領に似たものとしか、考えられない、想像できないのである。

「天皇は君主であり日本の象徴であるが、それは尊厳なものではないから、国民は自由権の基づきいかなる不敬を加えても、名誉毀損として天皇自ら告訴する場合を除き罰せられない」というのでは、天皇を君主と仰ぐ基礎は成立しないのである。いやしくも君主を認める国家であるならば、そういう馬鹿げきった法理を許すところはない。
里見

ただ今の、憲法には、天皇陛下に対しての、神聖不可侵の規定がない。

しかし、憲法に、神聖不可侵であると明文をもって定めなければ天皇は神聖ではない、侵してもよい、というわけではあるまい。
里見

里見の、考えを要約すると、天皇という特別の身分、地位が、憲法上、極めて、重大なものとして、認められ、象徴であると、定められていること、それ自体、天皇は、神聖であり、不可侵であるという、法理をなすものでなければ、ならない、とのこと。

「天皇を侵してはならぬ」という法理は、天皇が君主であり象徴であることから必然成り立つ法理なのである。
里見

兎に角、一国の統一、安定ということは、憲法の最大の目的である。それに、欠くべからざる、存在としての、天皇。

ここで、私は、里見が、憲法会社から、天皇の存在を、徹底して、説いていることに、敬意を表する。
つまり、頭で、屁理屈を考える者たちに、向けて、誠心誠意に、対応していると、思う。

私は、長い日本の歴史の中で、天皇の存在というものが、自ずから、理解され、知られ、納得するものと、信じている。
だが、それでも、天皇に対して、その神聖や、不可侵性を、認めない、認めたくない・・・と、色々ある人たちは、先祖の因縁が悪いとしか、考えられないのである。

神仏混合で、長年生きてきた、日本人は、仏と共に、日本の神の道、神道に関しては、全く無意識のうちに、培ってきた、伝統である。
更に、神の道と、その祭祀を司る、天皇陛下に対し奉り、何の抵抗も持たず、ありがたい、ことと、思い、日本人として、成り立ってきたのである。

どんな、強情な仏教の信者でも、先祖からの伝統に対しては、従う。
それが、天皇の存在観として、認識されているのであるから、それを、無視し、無きものにするという、考えは、きっと、先祖の因縁が、悪いとしか、思えない。

私の父は、戦争により、天皇陛下に対して、実に、不敬なことを、言っていたが、私の祖父母たち、四人は、そんなことはなかった。
それで、私は、天皇陛下の、存在観というものを、教えられた。

テレビが普及して、天皇陛下が、映し出されると、祖父母たちは、手を合わせて、そのお姿を拝していた。
子供ながらに、それは、とても、厳粛なものだった。

このお方は、別物なのである。
特別な存在なのである。

統一者たり安定者たる天皇を侵すことは、国の統一を侵し、国の安定を乱すことであって、それをもし基本的人権たる自由であるとするならば、国家を組織するもの、憲法を立てるのも無意義千万といわざるをえない。
里見

そこで、思うのは、タイ国王のことである。
タイは、国民の九割が、国王支持であり、不敬罪がある。

だが、タイ国王は、世界の王位の中でも、最高の金持ちである。
それによって、支えられている国王の存在として、私は、認識する。
勿論、200年の伝統、アユタヤ王朝の流れがあるが、その存在は、実は、不安定なのである。

だから、法律により、国民に、不敬を、そして、国王を侵すな、という、命令をしなければならない。

だが、天皇陛下は、何も有していなくても、天皇陛下として、国民が、最大の権威を見る。そして、奉るのである。

これは、2670年の、伝統に支えられた、確たるものであるとしか、言いようが無い。
更に、である、天皇陛下の存在に支えられて、日本と、日本人は、それであることが、為される。
無意識のうちにあるものである。

畏れおおくも、かしこくも・・・

戦後、言論の自由があり、天皇陛下に対する、批判なども、公に出来るようになった。
その時、天皇陛下を、誤解した人々によって、更に、事実を知らない人々によって、天皇陛下の存在が、危うい状態に陥るという、事態もあったが、天皇陛下は、何も変わらず、淡々として、日本の国、その国民のために、祈り続けているという、お姿に、私は、感銘と、感動し、更に、このお方を、頂く国、日本が、素晴らしい国であると、納得したのである。



posted by 天山 at 17:47| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月16日

天皇陛下について。85

日本国憲法は法理念としての「国民平等主義」を打ちたて、天皇については、国民とことなる待遇をなすべきものとしたのである。いいかえれば、日本国憲法は、民主主義といっても、君主を認め、君主は国の安定、統一の必要上、国民と異なる身分、地位、特権を保有すべきもの、と定めたのである。そして、君主の身分、地位、特権を認める以上、それは他の一般の文武官ごとき個人能力を要件とすることは無意味の大なるものであるから、君主の場合に限り、血統を要件とするほかないのである。
里見

要するに、民主主義の中の天皇陛下である。

民主主義とは、人間平等主義の理念を基に、成り立つ。
ただし、人間平等ということは、一つの理念である。
現実の、事実ではないことは、明白である。

人間平等主義とは、理念であり、政治を行うという、建前によって、文明国では、通用している。

可能な限り、平等を、実現しなければならないが、実際には、すべての人間が、現実生活の中で、平等であるという、事実は、無いし、それが、この世の中である。

この平等とは、単に、生物学上、人間であるというだけで、平等であるというのだ。そして、主義であるということ、イデオロギーである。

だが、現実には、人間の持つ、諸性質によって、それは、制限される。

であるから、平等主義であるが、選挙権などは。成年者による普通選挙を保証する、となる。

成年者だけに、権利を認める。
そこで、それは、平等ではない。未成年にも、選挙権を・・・などという者が、いれば、馬鹿だと、言われる。

人間は、現実に、種々不平等である。
如何なる、法律も、科学も、政治も、完全に、平等ならしめることは、できない。

内的能力と、外的な機縁によって、人間は、種々雑多な、不平等を生きるのである。

であるから、
人間平等主義の理念も、故に、法律として現れれば種々の制限を設けざるをえない。すべての日本国民がひとくし総理大臣になることはできない。日本国民であっても、未成年者や、無能力者はなれない。能力があっても機縁のない者はなれない。
里見

理念的平等ということを、忘れたのか、知らないのか、教育の現場でも、平等主義を、歪めてしまう、父兄、教師がいる。
運動会では、皆、一等か、区別をつけないという、仰天する、行為である。

成績の良い者も、悪い者も、一緒くたにしてしまえるか・・・
この世には、どこにも、人間平等などという、事実は、無いのである。

その証拠に、厳然として、差別という感覚が、存在する。
更に、差別と、区別の、区分けも、一緒くたにする人々までいる、仰天である。

男と、女には、性差がある。
それが、当たり前である。
しかし、性差を無くするという、考え方が、現れて、とんでもない、混乱に陥れた。

それは、差別ではなく、区別のはずだった。

さて、
日本は君主国である。君主国であるのは、現実の事実であって、日本国民の必要、要求の上に立っているのである。個人としては、天皇は不必要だと考えている者も存在してはいるがそれはあくまで個人の考えであって、日本民族日本国民の総意となっているものではない。
里見

であるから、日本国民の上に、平等主義を、取り入れる場合は、その、天皇の存在を要求する、大本であるから、その根本の主体的要求によって、制限されるものだ。

人間平等主義を、そのままの形で、取り入れることを、否定する、と里見は、言う。

憲法は、日本という国家についての、規範であり、一般の人間についての、規範を言うものではない。

日本は、君主国である。
その上で、身分としては、天皇と、国民を、区別しなければならない。
それは、日本の、社会、歴史、伝統、現実の必要に基づくものである。

そして、天皇の区別される、理由は、血統である。

人間平等という理念をまず確認し、この理念によって全く新しい国家を肇造する、というなら格別であるが、日本の場合には幾千年の歴史を有する日本民族の社会と国家とが、まず厳然として実在しているのである。
里見

だから、実在は、理念に優先するものである。
実在を無視して、理念を実現しようなどということは、観念論であり、イデオロギー病である。

戦後、東大の法学部教授であった、横田喜三郎という、者は、
ただ単に血統に基づいて世襲的に天皇となることを認めるのは民主主義に反する、と言う。

これは、天皇存在の、意義を、単なる家元のレベルに、貶めているものである。

全く、軽薄な、考え方であるとしか、言えない。

それに対して、里見は、
血統に基づく天皇が、国民のいかなる利益を害しているのか。
また、国民の権利が侵害され、国の政治が、民主主義的に行えないという理由があるのか、との、反論である。

血統に、基づいて、特権を有するのは、民主主義に対するとの、横田の考えも、また、アホらしい。

天皇の存在を知らないから、言えることである。
天皇の特権とは、何か、である。

天皇の特権とは、何一つ、天皇個人のためのものではない。

国事行為を行うことは、天皇の個人的利益とは、関係ない。
天皇は、何一つ、個人的なことは、出来ない、身分なのである。

天皇は、国のために、ただ、奉仕する、つまり、皇祖皇宗のため、平らに言えば、祖先のために、そして、国民の平安と、安全のために、祭祀するという、使命を持つだけである。

天皇の、特権とは、ことごとく、国家の必要に基づくものであり、天皇ご自身を持って、解すことはできないのである。

個人のために特別の権利を認めたと解するような小さな考え方では到底わかるはずがないのである。
里見

つまり、天皇の歴史を、知らない者の言うことである。

天皇も、人間だ・・・
それは、当時の、暴走した、軍部の考え方である。
軍部を批判する者が、軍部と同じ、考え方をするという、可笑しさ・・・

同じ人間でも、違う・・・

定めである。

この、横田から薫陶を受けた、官僚たちが、後の、そして、今の日本の官僚の、反日行為を生み出し、今も繰り返されている。

敗戦の際に、一目散に、米軍進駐軍に、媚を売った者である。


posted by 天山 at 19:42| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月17日

天皇陛下について。86

日本では、古来、天皇を「おおやけ」といい、これを漢字で書く時「公」の字をあててきた。これは、天皇を単に一私人とみず、国そのものを一身に体現なさる唯一の公人とみたからだ。この唯一の公人にお仕えする者を「おおおみ」即ち大臣といったのであるが、日本国憲法はこの歴史的伝統を活かして、これに民主主義を加えたものとみなければならぬ。だから、大臣というのは、古くから単なる私臣ではなく、国臣、言いかえると、公僕とされたのである。
里見

今から、30年ほど前に、天皇は、無用であるという、考え方が、マスコミを通して、広がったことがある。
その時、私は、それに対して、何か特別な考えはなかった。また、それを、論じることの言葉の世界も、持たなかった。

ただ、大人たちの、話を聞くだけである。
たが、どうも、それらも、天皇について、本質的なことを、知ることにはならなかった。
勿論、学校でも、全く、天皇に関しての、話はなかった。
あるとすれば、天ちゃんなどという、先生が、ちゃかす程度である。

全くもって、不敬であったと、思う。

天皇は、毎日のんびりと、暮らしている・・・程度の、認識である。

ところが、天皇陛下について・・・知ることになると、仰天する。
昭和天皇が、生きておられた時代である。

更に、昭和天皇崩御に際して、私は、戦慄を覚えた。
特に、共産、社会主義に影響を受けた人たちの、態度を見て、唖然とする。

そして、彼らの話を聞いて、彼らは、本質的な天皇の存在を知らないと、判断した。
それは、正しかった。
彼らは、軽い洗脳を受けていたのである。

何か、社会の、悪いこと、すべてが、天皇によりなったという、感覚を持っていた。
特に、戦争責任・・・

その後、長崎市長の発言である、天皇戦争責任・・・
そして、右翼系の男に、市長が、銃撃されるという、事件である。

遅まきながら、私は、天皇の戦争責任について、調べるようになった。
つまり、戦争の開始から、敗戦までの、流れである。

日清、日露戦争から・・・
明治維新・・・
天皇の存在と、その考え方・・・

そして、大東亜戦争のこと・・・

どんどんと、新しい情報が、公開される。
私は、戦争責任は、国民にあると、判断した。

すべての、国民に、戦争責任がある。しかし、国民の一人一人には、それを、阻止する力などない。その国民を煽ったのが、マスコミ、特に新聞である。

更に、深めて行くと、アメリカの策略である。
日本を、戦争へと、追い込むための、計画。

昭和天皇に対する、尊敬の念が、畏敬の念に変わる。
更に、拝するという、思いに変わる。

世界に、唯一の君主であらせられた、昭和天皇の、有り様である。

君主とは、この方のことを、言うのだという、思い。
誠の、君主であらせられた。

名のみの、君主は、数多いが・・・
そして、矢張り、私は、君主というより、天皇という、称号、尊称が、最も、真っ当であると、判断した。

天皇は、世界に一人のみ。それが、日本の天皇である。

天皇の歴史の中で、国民を、公宝、おうみたから、などと、呼ぶ、君主は、どこの世界にも、居ない・・・

支配する者と、支配される者・・・

自分の利益にならない国民ならば、その人権、人命などは、物の数ではないという、君主を、多く知る。

昭和天皇の、お言葉に、歴代の天皇は、国民が、決定したこと、つまり、国民に選ばれた政治家が、決定したことに、反対することは、なかった、云々・・・とある。

すでに、日本は、古来から、民主的であった。
それを、天皇が、自然発露として、行っていた。

更に、大東亜戦争開始に、天皇は、考え抜いて、そして、了承する。
その前には、戦争回避の、徹底した、行動を取られた。
更には、この身が、あれば、国民を救えるとの、思いである。

敗戦。
御前会議の、後で、涙を流す、陸軍大臣に、私が、国民を救う・・・と、言明する陛下。

クーデター、内戦を、嫌い、その身を、かけて、国民と、日本を守るという、気概。
まさに、我らが天皇陛下で、あらせられた。

私は、それを、知った。
それは、私が、独自に学んだものである。
誰に教えられたのではない。

昭和天皇は、天皇というものの、存在の、真髄を体現せられて、生きるという、使命を頂いたのだという、思いがした。

戦後、天皇陛下は、死ぬまで、針の筵に、生きたと、思う。
それは、すべての、責任を、一身に負うという、覚悟である。
このような、天皇を、頂く日本国民は、実に、幸せであると、確信した。

私は、天皇制云々に関して、語る者ではない。
ただ、私は、天皇を、上、かみ、とし、私を、下、しも、として、認識するものである。
陛下の、御心に、適うように、生きたいと、思うのである。
それが、私の日本人としての、誇りである。

日本は、天皇陛下を、頂く伝統の国です。
私は、海外にて、そのように、説明する。

それでは、天皇とは、何か・・・
天皇とは、御親、みおや、つまり、祖霊の思いを、代弁する存在です。

何を言うのか・・・
英語にすると、スピリチュアル・ロゴス・セイ・スーパーエンペラー
イッツ・ジャパン・ナンバーワン・スピリット・スーパーエンペラー

そして、宗教ではなく、伝統の国であると、繰り返す。

それは、キリスト教、イスラム教徒、あらゆる宗教に対して、決して、敵対するものではないとの、思いからである。

posted by 天山 at 21:05| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

天皇陛下について。90

歴代個々の天皇の徳不徳、賢愚、善悪はそのあるがままのものでありながら、しかも万世一系一体の大いなる徳は何であるか。万世一系一体の大いなる価値は何であるかを明るみにみることによって、天皇の意義、価値というものがはっきりしてくるのである。天皇の聖徳は、「万世一系の天皇」においてみるのが本格であって、個々の聖徳は第二義だということを知るべきだ。
里見岸雄

実は、ここに、天皇の奇蹟がある。
万世一系である。

それを、守り続けてきたということ、以外に無い。
人は、生まれに寄らず、その行為による、とは、仏陀の言葉であるが、それは、当時のインド、バラモンのカースト制に対する、激しい批判である。

万世一系とは、その仏陀の言葉に、背くようであるが、全く、意味が違う。

天皇として、生まれた、ということ、それが、すでに、行為なのである。
そのように、日本民族は、考えた。
そこに、奇蹟がある。

世界史の中で、天皇のような、存在を見ることが、あろうか。
皆無である。

統治し、支配する者は、いつかは、倒される。そして、新しい支配者、統治者が、就く。
しかし、天皇は、統治者であるが、万世一系を保たれてきたのである。

生まれに寄らず・・・
それを、超えた存在に、国民が、押し上げたのである。

天皇に、無形の権威を、見出した、国民は、世界に唯一である。

であるから、天皇制ということを、考える場合は、それは、制度ではなく、伝統であると、認証しなければならない。

制度は、作られるもの、作るものである。
しかし、天皇は、作られたものでも、作るものでもなく、すでに、存在していたと、観たのであるから、その先見の明は、素晴らしい。
それこそ、民族の智慧であったと、言うほかに無い。

皇祖皇宗とは、天照大神を総称としての、祖霊のことである。
国民、皆、祖霊なのである。

その象徴として、現世において、天皇を戴くという、考え方は、一体、何によってなったのか。

更に、統治するという、天皇の、御行為である。

それは、統治権とは、別物である。

統治権とは、天皇でなくても、できるものである。
例えば、徳川幕府など。
しかし、統治するというのは、全く、別物である。

大和言葉によって、それを説く。
統治とは、シラスという、大和言葉からなる。

統治は、シナの言葉である。
本来は、シラス尊、しらすみこと、なのである。

それは、窮極的の安定、統一を保持する作用である。天皇の御側について観念すれば、統治なさるのであるが、国民の側についていえば、統治されるのである。
里見

更に、統治されるのと、支配されるのとは、別物である。
支配というのは、それを好まずとも、力の関係により、抵抗できず、更に、抜け出すことができない。

しかし、統治されるというのは、我が身、自分自身で、天皇統治の作用の中に入り込むことである。

天皇をもってわれわれの生活に対する重圧と感ずるのではなく、君民一体的情感により、天皇の中に吸引されてゆくのである。だから、天皇は、対立者ではなく、同一体の根源者と信ぜられ、従って、天皇によって強制的に圧政的に治められているというのではなく、天皇を中心としてみずからおさまり入るわけだ。いわば天皇統治とは、日本民族が天皇を中心として自分で治まっていることにほかならぬ。
里見

統治の、統とは、分裂せずに、一つになるみことであり、治は、整う、求める、ということである。

この意味における統治とは、天皇と国民が対立する関係ではなく、日本民族の自己統治、自己統収にほかならない。それ故、統治は、単に個人的な意志や能力によって行われる減少ではなく、日本民族が天皇を中核としておのずからに、窮極的に一つのもの、永遠のものとしておさまっていくことであって、天皇個人個人の意志で国民を支配するなどと考えるなどとは、とんでもない見当違いなのである。
里見

統治の本質とは、天皇を中核として、民族国家の同一性と、永久性を、保持する、その作用である。

里見氏が、君民一体の情感という言葉を、使う。
この、情感を知らない、忘れた、更に、理解できないというのが、敗戦後の人々である。

その、情感というものを、語りつくさなければ、解らないと、平然として、言う、言える、人々が、多数登場したということである。

それは、主に、欧米の思考方法を、学んだゆえである。
学ぶことは、間違いではなく、大いに、学ぶことであるが、最も、学ばなければならない、わが国のことを、粗末に、おろそかに、してきたのである。

ここに、不幸がある。

日本のことは、日本語で、考えなければならないという、当然のことを、放棄した。
更に、大和言葉で、考えなければならないということを、放棄した。

自らが、自らを、放棄して、どうする。
どこに、わが身の、存在の確たるものがあるのか。
日本の歴史は、我が心のうちに、在るものだという、認識を取り戻すべきである。

posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

天皇陛下について。91

日本の歴史は祭祀を中心とする原始時代から、神武天皇ないし雄略天皇に至る祭祀と討伐と同化と統一の時代、推古朝ないし大化の改新の統一完成時代、隋唐の制度を学んだやや東洋専制君主時代の奈良朝、天皇がまったく象徴化した藤原時代、皇権回復の意図を含んだ変態の院政時代、武士政権の確立した鎌倉時代、天皇がますます象徴化した室町時代、天皇の権力が皆無となった江戸時代、名分的には統治権総攬となった明治時代、最後に天皇が純粋の象徴となり国民主権となった現代そのすべてを通じ、天皇統治の歴史として一貫しているのである。
里見岸雄

更に、続けて
およそ国を営む民族にして、国家の同一性、国家の永遠性を望まぬものはあるまい。日本はこの点、建国以来、この国家最大の願望を達成しきった稀有の国であって、「万世一系の天皇は之を統治す」ということは、今後も、日本の絶対的規範として不滅であるにちがいない。
里見

と、綴る。

島国、日本だから、それが、出来たのか・・・
違う。
同じ島国でも、多くの王朝が、現れては、消えたのである。
しかし、日本だけは、残った。

何故か。
民族として、国民が、望んだからである。
だから、民族の智慧だというのである。

その、作用は、権力にはない。
権威の作用である。

天皇は、一時的に、武力を持つことがあったが、それよりも、長く、一切の、武力、武器を持つことがなかった。
それでも、権力のある者は、天皇の権威を、守ったのである。

織田信長も、徳川家康も、天皇家の、廃止を打ち出さなかった。
出来なかった。
天皇を、敵にすることは、民を、敵にすることだった、からだ。

まさに、天皇統治の権威が、存在したのである。

更に、私有財産である。
現在も、国王は、最も富める、家系である。
だが、天皇は、無一文になっても、その権威は、失われない。

世界の王で、無一文になれば、自然に、王位は、廃れる。

財、多くなければ、王位を守れないのである。
財力が、王位を、国民に認識させる。

日本国憲法下においても、日本を統治している者は国会でも政府でもない。国会や政府は単に必然としての歴史社会を内容として、それぞれ分限された権力を行使して、国家社会の安寧秩序を保持し運営を処理しているだけのもので、日本を窮極において統一し安定せしめている者は、「国政に関する権能を有しない」無権力なる天皇の、侵し得ない統治あるがためである。
里見

国政に関する権能を有しない・・・
無権力の天皇・・・
それが、侵し得ない、統治・・・

統治権とは、全く別物である。

大和言葉による、すめらみこと、である。

統御言、または、統命、なのである。
天皇という、語源は、シナの天帝である。

すめらみこと、を、それに当てた。

聖徳太子が、隋の煬帝に当てた、書の中に、
日出処の天子・・・
と、書いた。
天の子、という意味である。

それは、それ以前の歴史を知る者だから、書けたのである。
太陽崇敬を行ってきた、民族の、こと。
太陽の子孫であるとの、観念である。

山に帰る、祖霊が、更に、高みに昇る。
そして、太陽と、一体になる。

彼が、国書として、残したはずの、歴史書は、大化の改新の際に、蘇我蝦夷によって、焼かれた。

蘇我入鹿が、惨殺された際に、父である、蝦夷が、屋敷に火を放ち自害した。
蘇我王朝を夢見た、蘇我氏であるが、武力では、統治することが、出来なかったのである。

ほぼ、蘇我王朝は、完成に近かったと、思える。
しかし、それは、夢に終わった。
それにより、日本は、救われたのである。

もし、武力政権が、誕生していれば、今、現在も、政権が変わり、安定しない、国情を為していたはずである。

統治権は、武力で成るが、統治は、権威で成る。

そして、現在の、政治家の多くは、それを、知らない。
更に、サヨク系といわれる、政治家は、全く関心が無い。

権力により、何事かが、出来ると、考える。
実に、愚かである。
国民は、それを、許さない。

その証拠は、敗戦後の、昭和天皇の行幸に現れている。
天皇を見ることさえなかった、多くの国民が、天皇を熱狂的に、迎えた。
その天皇の名のゆえに、多くの日本兵が死んだはずだが、天皇、そのお方には、何も、罪は無いと、見抜いた、国民の多くは、実に賢い。

どれほど、共産主義者が、叫んでも、天皇廃止などは、考えなかった国民は、賢い。

もし、共産主義者が、天皇を廃止し、殺害し、国政を行っていたら、カンボジアの、あの悪夢が、今も、続いていただろう。
そして、最も恐ろしい、独裁政権を樹立していた。

宗教と、共産主義は、ただ、ただ、虐殺のみを、好むのである。

人類の半分は、それによって、殺された。


posted by 天山 at 07:00| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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