2012年10月21日

もののあわれについて585

西の対の御方は、この踏歌の折の御対面の後は、こなたにも聞え交し給ふ。深き御心もちいや、浅くもいかにもあらむ。けしきいと労あり、なつかしき心ばへと見えて、人の心隔つべくもものし給はぬ人のさまなれば、いづかたにも皆心寄せ聞え給へり。聞え給ふ人、いとあまたものし給ふ。されど、大臣おぼろげに思し定むべくもあらず。わが御心にも、すくよかに親がり果つまじき御心や添ふらむ、父大臣にも知らせやしてまし、など、思し寄る折々もあり。




西の対の姫君は、あの踏歌のときの、御対面から、紫の上とも、お手紙をやり取りしている。深い御心のある方というには、足りないこともあるかも知れぬが、感じが利いていて、優しい性格らしく、気の置けるところもない人柄ゆえ、どなたも皆、好意を寄せている。言い寄る方も、大勢いる様子。しかし、殿様、源氏は、簡単に決める様子はない。自分でも、養父で通せない、気持ちがあるのだろうか。父の内大臣にも、知らせた方が・・などと、考えることも、何度かある。

西の対のお方、とは、玉葛である。皆、玉葛に執心している様子である。

聞え給ふ人、とは、求婚する人である。

姫の本当の父は、内大臣である。




殿の中将は、少しけ近く、みすのもとなどにもよりて、御いらへみずからなどするも、女はつつましう思せど、さるべき程と人々も知り聞えたれば、中将はすくずくしくて思ひもよらず。内の大殿の君達は、この君に引かれて、よろづにけしきばみわびありくを、そのかたちのあはれにはあらで、下に心苦しう、まことの親にさも知られ奉りにしがな、と、人知れぬ心にかけ給へれど、さやうにも漏らし聞え給はず、ひとへにうちとけ頼み聞え給ふ心むけなど、らうたげに若やかなり。似るとはなけれど、なほ母君のけはひに、いとよくおぼえて、これはかどめいたる所ぞ添ひたる。




お邸の中将、つまり夕霧は、少し傍近く、御簾の所などにも近寄るし、御返事もするのを、姫君は、恥ずかしく思うが、御兄弟ゆえに、当然のことと、女房たちも知っているので、中将は、真面目で、色めいたことなど考えもしない。
内大臣の君達は、この君に着いて、何かと意中をほのめかし、嘆息しつつ、うろうろするが、姫には、そのような懸想する気持ちではなく、内心は辛く、本当の父親に、子どもであると、知って欲しいと、人知れず、心にかけている。しかし、そのようなことは、お耳に入れず、ひたすら、殿様を頼りにしている。その心づかいは、可愛らしく、若々しい。似ているわけではないが、矢張り母君の感じにそっくりである。そして、こちらの方が才気が見えるのである。

すくずくしくて
懸想など考えもしない。

そのかたの あはれ にはあらで
恋愛沙汰のことである。




衣更の今めかしう改まれる頃ほひ、空のけしきなどさへ、あやしうそこはかとなくをかしきを、のどやかにおはしませば、よろづの御遊びにて過ぐし給ふに、対の御方に、人々の御文しげくなり行くを、思ひしこと、とをかしう思いて、ともすれば渡り給ひつつ御覧じ、さるべきには御かへりそそのかし聞え給ひなどするを、うちとけず苦しいことに思いたり。




衣更えで、華やかに着るものが改まった頃、空の様子などまでが、どことなく趣があり、殿様、源氏も、御用もなくいらっしゃるので、あれこれ音楽をされて過ごされるのだが、西の対の御方には、人々の懸想文が増えてゆくのを、予想通りと、嬉しく思い、何かと言うと、姫の所に来ては、目を通して、しかるべき方には、お返事をするようにと勧めるのを、姫、玉葛は、警戒し、困ったことと、思っている。

衣更えは、四月一日である。冬物から、夏物に替わる。

さるべきには
返事をしてもよい相手には・・・




兵部卿の宮の、程なくいられがましきわびごとどもを書き集め給へる御文を御覧じつけて、こまやかに笑ひ給ふ。源氏「早うより隔つる事なう、あまたの親王達の御なかに、この君をなむ、かたみにとりわきて思ひしに、ただかやうの筋のことなむ、いみじう隔て思う給ひてやみにしを、世の末にかくすき給へる心ばへを見るが、をかしうもあはれにもおぼゆるかな。なほ御かへりなど聞え給へ。少しもゆえあらむ女の、かの親王よりほかに、また言の葉を交すべき人こそ世におぼえね。いとけしきある人の御さまぞや」と、若き人はめで給ひぬべく聞え知らせ給へど、つつましくのみ思いたり。




兵部卿の宮が、日もたたないのに、いらいらしている旨の恨み言を書きつけたお手紙を見つけて、にんまりと笑う。源氏は、小さな時から、分け隔てなく、大勢の親王たちの中でも、この宮は、互いに特に仲良くしてきた。だが、こちらの面だけは、酷く隠していらした。この年になり、このように熱心になるとは、面白くもあり、驚きもある。嫌でも、お返事くらいは、差し上げなさい。少しでも、見所のある女にとって、あの宮さまより他に、どなたか歌のやり取りを出来る男が、この世にいるとは、思いません。付き合って、面白い人柄です、と、若い人は、心を引かれそうに言って聞かせるが、姫は、恥ずかしそうにしていらっしゃるばかりだ。

かやうの筋のことなむ
恋愛関係のことである。




右大将の、いとまめやかに、ことごとしきさましたる人の、恋の山には「孔子のたふれ」まねびつべきにうれへたるも、さるかたにをかしと皆見くらべ給ふ中に、唐のはなだの紙の、いとなつかしう、しみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。源氏「これはいかなれば、かく結ぼほれたるにか」とて、引き開け給へり。手いとをかしうて、

柏木
思ふとも 君は知らじな わきかへり いはもる水に 色し見えねば

書きざま今めかしうそぼれたり。源氏「これはいかなるぞ」と問ひ聞え給へど、はかばかしくも聞え給はず。




右大将で、真面目な、もったいぶった様子の人が、恋の山には、孔子の倒れ、の真似でもしでかしそうな風に訴えているのも、それはそれで、興味がある。と、すべてを見比べる中に、舶来のはなだ色の紙で、とても優しく、深々と匂うものを、細かく、小さく結んだものがある。源氏は、これはどうして、こう結ばれたままなのか、と、開けて御覧になる。筆跡は、実に見事である。

柏木
これほど思っています。あなたは知らないでしょう。湧き返り岩間を漏る水のように、私の心も、色は見えません。

書き方も今風で、洒落ている。源氏は、これはどうした文なのか、と尋ねるが、姫君は、はっきりお返事をしないのである。





posted by 天山 at 21:14| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月22日

もののあわれについて586

右近を召し出でて、源氏「かやうにおとづれ聞えむ人をば、人選りしていらへなどはせさせよ。すきずきしうあざれがましき、今やうの人の、便ない事し出でなどする、をのこのとがにしもあらぬ事なり。われにて思ひしにも、あななさけな、恨めしうも、と、その折にこそ無心なるにや、もしはめざましかるべききはは、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深からで、花蝶につけたる便りごとは、心ねたうもてないたる、なかなか心だつやうにもあり。またさて忘れぬるは、何のとがかはあらむ。物の便りばかりのなほざりごとに、口とう心えたるも、さらでありぬべかりける、後の難とありぬべきわざなり。すべて女の物づつみせず、心のままに、もののあはれも知り顔つくり、をかしき事をも見知らむなむ、そのつもりあぢきなかるべきを、宮、大将は、あぶなあぶな、なほざりごとをうち出で給ふべきにもあらず。またあまり物の程知らぬやうならむも、御ありさまにたがへり。そのさきはより下は、心ざしのおもむきに従ひて、あはれをもわき給へ、労をもかぞへ給へ」など聞え給へば、君はうちそむきておはする、そばめいとをかしげなり。




右近を、お召し出しになり、源氏は、このように、手紙を差し上げる人は、よく吟味して、返事をさせるように。浮気っぽく、不真面目に、新しがりやが困ったことをしでかしたりするが、それは男の罪ともいえない。自分の経験から言えば、無神経だ、憎らしいと、その時は、分らずやだとか、また、問題にならない身分の女なら、変なやつだと、考えたものだ。特に深い思いでもなく、花や蝶によせての便りは、じらすように、返事をせずにいる。すると、かえって熱心になることもある。更に、それで忘れてしまう男は、なんで女の罪になるものか。
何かのついで程度の手紙に、すぐに分った返事をするのも、別にしないでよいことで、後々に批難される種になることもある。すべて、女が遠慮せず、心のままに、訳の分った顔をして、興味があることを見知ったとしても、度重なると、嫌な気持ちがするものだが、宮や、大将は、気をつけて、いい加減なことをうっかりと口にするような方でもない。しかし、あまり、男の心の分らないのも、姫の身分には、相応しくない。この御二人により、身分の下なのは、思いの深さによって愛情の程を、判断しなさい。その熱心さも、買ってあげるべきだ、などと、申し上げる。だが、姫は横を向いている。その横顔が、実に美しいのである。

もののあはれも知り顔つくり
訳の分った顔をする、それは、もののあはれ、とは、物事の核心を言うのである。
この場合は、恋心である。

あはれをもわき給へ
愛情、情愛の程度に対して・・・

源氏の、玉葛に対する、恋愛の方法である。
それを右近に聞かせるが、姫にも、聞かせている。




なでしこの細長に、この頃の花の色なる御小うちぎ、あはひけ近う今めきて、もてなしなども、さはいへど、田舎び給へりしなごりこそ、ただありに、おほどかなる方にのみは見え給ひけれ、人のありさまをも見知り給ふままに、いとさまようなよびかに、化粧なども心してもてつけ給へれば、いとど飽かぬ所なく、花やかに美しげなり。こと人と見なさむは、いと口惜しかべう思さる。右近もうち笑みつつ見奉りて、「親と聞えむには、似げなう若くおはしますめり、さし並び給へらむはしも、あはひめでたしかし」と思ひ居たり。右近「さらに人の御消息などは聞え伝ふる事侍らず。さきざきもしろしめし御覧じたる、三つ四つは、引き返し、はしたなめ聞えむもいかがとて、御文ばかり取り入れなどし侍るめれど、御かへりは、さらに、聞えさせ給ふ折ばかりなむ。それをだに、苦しい事に思いたる」と、聞ゆ。




なでしこの細長に、この季節の花の色の、小うちぎ、色合いが親しみ深く、今流行りで、物腰なども、田舎くさかった名残は、そのままで、鷹揚であるということだけが見所だったが、みなの様子を見て理解するにつれて、姿つきもよく、しとやかで、身だしなみも気をつけて、たしなんでいる。益々、足りないところも無くなり、華やかで、美しい。他人のものとしてしまうのは、残念極まる気持ちがする。右近も、微笑みつつ、見上げて、親と申すには、似合わないほど、若くていらっしゃる。ご夫婦でいらした方が、お似合いであろう、と、思うのである。
右近は、全然、人様のお手紙などは、お伝え申したことは、ありません。以前、殿様も御覧になって、ご承知の、三、四通は、突っ返して失礼申し上げても、どうかと、お手紙だけは、受け取りましたが、ご返事は差し上げていません。あなた様が、ご返事をという時だけですが、それさえも、嫌がっているようです、と、申し上げる。




源氏「さてこの若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。いといたう書いたるけしきかな」と、ほほえみて御覧ずれば、右近「かれは、しうねうとどめてまかりにけるにこそ。内の大殿の中将の、この侍ふみるこをぞ、もとより見知り給へりけるつたへにて侍りける。げろうなりとも、かの主達をば、いかがいとさははしたなめむ。公卿といへど、この人のおぼえに、必ずしも並ぶまじきこそ多かれ。さる中にもいとしづまりたる人なり。おのづから思ひ合はする世もこそあれ。けちえんにはあらでこそ言ひ紛らはさめ。見所ある文書かな」など、とみにもうち置き給はず。




源氏は、では、この若々しい感じに結んでいるのは、誰なのだ、実に、見事に書いてある、と微笑んで見ていらっしゃるので、右近は、それは、しつこく置いて帰ったものです。内大臣さまの中将さまが、ここにおります、みるこを、前から存じておりまして、その取次ぎでございます。他に取り次ぐ者もございませんので、と、申し上げる。源氏は、可愛らしいことだ。官位は低いが、あの人たちを、どうかして恥ずかしがらせてはならない。公卿であっても、この人の評判に、必ず並ぶとは、限らない人も多い。その中でも、この中将は、まことに落ち着いた人だ。いつかは、解る時もあるだろう。はっきりさせずに、ごまかしておこう。見事な文の書きぶりだ、などと、すぐには、下に置かないのである。

しうねくとどめて
無理矢理に置いて・・・

みるこ
玉葛に仕える、童女の名前。

げろう
身分の低い者のことである。

当時の、宮廷の恋愛の様子が、良く解るのである。
文とは、この書と、文体である。
更に、和歌の教養が、必須であった。
そして、漢籍の素養である。
恋愛とは、それらを総称している。

posted by 天山 at 13:26| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月23日

もののあわれについて587

源氏「かう何やかやと聞ゆるをも、思す所やあらむとややましきを、かの大臣に知られ奉り給はむことも、まだ若々しう何となき程に、ここら年へ給へる御中にさし出で給はむことはいかが、と、思ひめぐらし侍る。なほ世の人のあめる方に定まりてこそは、人々しう、さるべきついでもものし給はめ、と思ふを、宮は一人ものし給ふやうなれど、人柄いといたうあだめいて、通ひ給ふ所あまた聞え、召人とか、憎げなる名のりする人どもなむ、数あまた聞ゆる。さやうならむ事は、憎げなうて見なほい給はむ人は、いとようなだらかにもて消ちてむ。少し心なくせありては、人にあかれぬべき事なむ、おのづから出できぬべきを、その御心づかひなむあべき。大将は、年へたる人の、いたうねびすぎたるをいとこがてら求むなれど、それも人々わづらはしがるなり。さもあべい事なれば、さまざまになむ人知れず思ひ定めかね侍る。かうざまの事は、親などにも、さわやかに、わが思ふさまとて、語り出で難き事なれど、さばかりの御よはひにもあらず、今はなどか何事をも、御心にわい給はざらむ。まろを、昔ざまになずらへて、母君と思ひない給へ。御心に飽かざらむことは心苦しく」など、いとまめやかに聞え給へば、苦しうて御いらへ聞えむともおぼえ給はず。




源氏は、このように、色々と申すのを、不思議に思われるかと気になるが、あちらの大臣に、こうと知られるにしても、まだ若くて、何も知らない年頃で、長い間、会わずにいた兄弟の中に入るのは、どんなものかと、思案しています。やはり、普通の女の落ち着く先に落ち着いてこそ、一人前で、適当な機会もあると思うが。宮は独身でいるが、人柄が酷く浮気で、通っている女も、多いとの噂だし、召人とか、嫌な名のついた女どもも、大勢いるという、話だ。そういう風な事は、憎むことがないように、大目に見る女なら、上手に、穏便に済ませられるだろう。だが、少しでも嫉妬の気持ちがあれば、主人に嫌がられてしまう事が、いつの間にか出てくるだろうし。その点は、注意が必要だ。大将は、長年連れ添った、北の方が、ひどく年上なのを嫌がるところもあり、あなたに申し込むそうだが、それも、よく言わない人も多い。最もなことだから、私は、あれこれと、人知れず、決心しかねている。こういう事は、親などにも、さらりと、自分はこうだと、言い出しにくい事だが、それほどの年齢でもないし、今は、どんなことでも、判断がつかない事があろう。私を、昔に返ったつもりで、お母様と思ってください。ご不満があれば、辛いことだなどと、真面目な言葉なので、姫は困って、返事をする気もなくなる。

昔の源氏の行動を見ていると、源氏のこの説明が、おかしい、滑稽に思えるのである。まあ、それでも、細やかに、玉葛のことを、考えているという気持ちは、伝わる。




いと若々しきもうたておぼえて、玉葛「何事も思ひ知り侍らざりける程より、親などは見えぬものにならひ侍りて、ともかくも思う給へられずなむ」と、聞え給ふさまのいとおいらかなれば、げにと思いて、源氏「さらば世のたとひの、後の親をそれと思いて、おろかならぬ心ざしの程も、見あらはしはて給ひてむや」など、うら語らひ給ふ。思すさまの事はまばゆければ、えうち出で給はず。けしきあることばは時々まぜ給へど、見知らぬさまなれば、すずろにうち嘆かれて渡り給ふ。




あまり子供のようだと思われても嫌だと思い、玉葛は、何も解らない頃から、親など、いないものだと習慣がついてしまいまして、何とも思われません、と申し上げる様子が、実に、おっとりとしているので、最もだと思い、源氏は、それでは、世間の諺に言う、養父を実の親だと思い、そういう気持ちを見届けてくれまいか、などとおっしゃる。心の底の思いは、面映くして口には出せない。意味ありげな言葉は時々言うが、気づかない様子なので、何となく、ため息をついて、お帰りになる。

けしきあることば
心の中を示すような言葉である。

一体、源氏は、何を考えているのか・・・
玉葛をものにしようとしているのか・・・
ものにしようとしているのである。




御前近き呉竹の、いと若やかにおひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、立ちとまり給うて、

源氏
ませのうちに 根深くうえし 竹のこの おのが世々にや 生ひわかるべき

思へばうらめしかべいことぞかし」と、みすを引き上げて聞え給へば、いざり出でて、

玉葛
今さらに いかならむ世か わか竹の おひはじめけむ 根をばたづねむ

なかなかにこそ侍らむ」と聞え給ふを、いとあはれと思しけり。




お庭の呉竹が、大変青々と伸びて、風になびいている姿が、嬉しく、歩みを留めて、

源氏
家の奥で、大切に育てた娘も、それぞれ伴侶を得て、出て行くわけか。

思えば、恨めしく思うことだ、と、御簾を引き上げて申すと、玉葛が、にじり出て、

玉葛
今になり、どんな場合に、生みの親を探すことができるでしょう。

かえって、困りますことでしょう、と申し上げるのを、実に、可哀想だと思うのである。

いとあはれと思しけり
この、あはれ、は、憐れの思いである。




さるは心のうちにはさも思はずかし。いかならぬ折聞え出でむとすらむ、と、心もとなくあはれなれど、この大臣の御心ばへのいとありがたきを、おやと聞ゆとも、もとより見なれ給はぬは、えかうしもこまやかならずや、と、昔物語を見給ふにも、やうやう人のありさま、世の中のあるやうを見知り給へば、いとつつましう、心と知られ奉らむ事は、かたかるべう思す。




実のところ、姫は、心中では、そう思っていないのだ。いつになったら、おっしゃって下さるのか、と、気が気ではなく、心を痛めるのだ。この大臣のお心の、並々ならぬ思いを、実の親でも、最初から一緒ではないと、とてもこれほどに、可愛がってくれないだろうと、昔物語を見ても、次第に、人の様子も、世の中の有様も、解ってくるので、とても遠慮して、自分の方から、知っていただくことは、難しいと思うのである。

何とも、人の心の、微妙な状態を、こうして、延々として書くのである。
源氏物語の、大きな特徴は、これである。

心もとなくあはれなれど
実に、漠然としている語意であるが・・・
それが、物語全体を包むのである。

物語全体が、もののあはれ、なのである。
つまり、心の綾、微妙繊細な心模様なのである。

そして、それに風景が着く。
自然の風景自体も、あはれ、の中に納まるのであるから、不思議だ。

一体、源氏と、玉葛は、何を思いあっているのか・・・
それが、先に進むと、解ってくるのである。

心の綾の、推理小説である。


posted by 天山 at 03:53| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

もののあわれについて588

殿は、いとどらうたしと思ひ聞え給ひて、上にも語り申し給ふ。源氏「あやしうなつかしき人のありさまにもあるかな。かのいにしへのは、あまりはるけ所なくぞありし。この君は、物のありさまも見知りぬべく、け近き心ざま添ひて、うしろめたからずこそ見ゆれ」など、誉め給ふ。ただにしも思すまじき御心ざまを見知り給へれば、思し寄りて、紫「物の心えつべくはものし給ふめるを、うらなくしもうちとけ、頼み聞え給ふらむこそ心苦しけれ」と宣へば、源氏「など頼もしげなくやはあるべき」と聞え給へば、紫「いでや。われにても、また、忍びがたう、物思はしき折々ありし御心ざまの、思ひ出でらるるふしぶしなくやは」と、ほほえみて聞え給へば、あな心疾と思いて、源氏「うたても思し寄るかな。いと見知らずしもあらじ」とて、わづらはしければ、宣ひさして、心のうちに、人のかうおしはかり給ふにも、いかがはあべからむ、と思し乱れ、かつはひがひがしうけしからぬわが心の程も、思ひ知られ給うけり。




源氏は、益々可愛いと思い、紫の上にも、お話しする。妙に、人の心を引きつける子だ。あの昔は、あまりに明るさがなかった。この君は、物分りもよく、人なつっこい。心配ないと思う、などと、誉める。放っておけない性格を知っている紫の上は、思い当たり、分別がありますのに、すっかり任せて、頼りにしているのでは、お気の毒ですね、と、おっしやると、源氏は、どうして、頼りにならないことがあろうか、と、申し上げる。紫の上は、いいえ。私としましても、それが思い出されてしまうことも、折々ないでは、ありませんので、と、微笑むと、よく気がつくと源氏は思い、嫌なことに、気が回るものだ。とても、気づかずには、いられない人ですね、と、煩いようなので、話を切り上げて、心の中で、紫の上も、このように、推量するのだ。どのようにしたらものかと、考えがまとまらない。一方では、正しくない、よくないという、自分の考え方も、解るのであるが。

源氏の心と、行動が、紫の上に、読まれているのである。




心にかかれるままに、しばしば渡り給ひつつ見奉り給ふ。雨のうち降りたるなごりの、いとものしめやかになる夕つ方、御前の若楓、柏木などの、青やかに茂り合ひたるが、何となくここちよげなる空を見出し給ひて、源氏「和してまた清し」と、うち誦し給うて、先づこの姫君の御さまの、にほひやかげさを思ひ出でられて、例のしのびやかに渡り給へり。手習ひなどして、うちとけ給へりけるを、起きあがり給ひて、恥ぢらひ給へる顔の色あひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔思し出でらるるにも、しのびがたくて、源氏「見そめ奉りしは、いとかうしもおぼえ給はずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるる折々こそあれ。あはれなるわざなりけり。中将の、さらに、昔ざまのにほひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人の、ものし給うけるよ」とて、涙ぐみ給へり。




気になるので、しきりに渡りになっては、色々とお世話をする。一雨の後は、しっとりと落ち着いた夕方、お庭の先の楓や、柏木などの、青々と茂る様、何となく、気持ちのよい空を見上げて、源氏は、和して、また清し、と歌い、何より先に、この姫の、つやつやした美しさが思い出されて、いつものように微笑み、お出かけになる。姫は、手習いなどして、くつろいでいるが、起き上がり、恥らっている顔の色の様子が、まことに美しい。その物柔らかな態度に、昔の夕顔が、ふっと思い出されて、我慢出来なくなり、源氏は、はじめてお会いした頃は、こんなにまで、似ていると思わなかったが、この頃は、不思議なほどに、夕顔かと間違えてしまうことが、何度もある。感無量だ。中将が、まるで、葵の上の様子に似ていないのに慣れて、それほど、親子は似ないものかと思ったが、こんな方もいるんだ、と、涙ぐむのである。

中将とは、夕霧のことである。




箱のふたなる御くだものの中に、橘のあるをまさぐりて、

源氏
橘の かをりし袖に よそふれば かはれる身とも 思ほえぬかな

世とともの心にかけて忘れ難きに、なぐさむ事なくて過ぎつる年頃を、かくて見奉るは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思しうとむなよ」とて、御手をとらへ給へれば、女、かやうにもならひ給はざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにて、ものし給ふ。

玉葛
袖の香を よそふるからに 橘の みさへはかなく なりもこそすれ




お盆の上にある、くだものの中に、橘をみつけて取り
源氏
懐かしい昔の人と、思うと、別の人とは、とても思えないのである。

始終、思い続けて、忘れられず、心慰めることなく過ぎた、この歳月。このように、お世話をするのは、夢かと思うばかりであるが、夢であっても、我慢が出来ない。嫌な奴と思わないで下さい、と、手を握るので、女は、このような経験はなかったので、嫌でたまらないが、気にしない風を装う。

玉葛
懐かしい母と、思ってくださるならば、私の身まで、儚くなりませんでしょうか。

古今集より
さつき待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする

古今6帖より
たちばなは 実さえ花さへ その葉さへ 枝に霜ふれ ましてときは木




むつかしと思ひてうつぶし給へるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥え給へる、身なり肌つきのこまやかに美しげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふここちし給うて、今日は少し思ふ事聞え知らせ給ひける。女は心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるるけしきもしるけれど、源氏「何かかくうとましとは思いたる。いとよくもてかくして、人にとがめらるべくもあらぬ心の程ぞよ。さりげなくてをもて隠し給へ。浅くも思ひ聞えさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にタグひあるまじきここちなむするを、このおとづれ聞ゆる人々には、おぼしおとすべくはある。いとかう深き心ある人は世にありがたかるべきわざなければ、うしろめたくのみこそ」と宣ふ。いとさかしらなる御親心なりかし。




困ったと思い、うつ伏せたる姿は、素晴らしく懐かしく、手つきは、ふっくらとして、体つきや肌は、きめ細やかで、可愛らしいので、見ていると、かえって物思いを新たにする思いがして、今日は少し、心のうちを、話す。どうして、こんなに嫌がるのですか。上手に隠していても、誰にも気づかれないように、用心している。あなたも何気ない風に、隠していることだ。今までも、大事にしていた、親子の愛情に、夫婦の愛情が加わることになるのです。他には、例がないはずと思うし、この文を寄越す連中よりも、軽くみるはずがないでしょう。こんなに深い愛情のある者は、世間には、ないはずのことですから、他の男に任せるのが、気がかりでしょうがない、と、おっしゃる。
本当に、出過ぎた、親心です。

いとさかしらなる・・・
とは、作者の言葉である。

作者が主人公を、突き放して見ているのである。

posted by 天山 at 00:05| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月25日

ものあわれについて589

雨はやみて、風の竹に鳴る程、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに、人々は、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、け近くも侍はず。常に見奉り給ふ御なかなれど、かくよき折しもありがたければ、言に出で給へるついでの御ひたぶる心にや、なつかしい程なる御衣どものけはひは、いとよう粉はしすべし給ひて、近やかにふし給へば、いと心憂く、人の思はむ事もめづらかに、いみじうおぼゆ。まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ち給ふとも、かくざまの憂き事はあらましやと悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御けしきなれば、源氏「かう思すこそ辛けれ。もて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、皆許すわざなめるを、かく年へぬるむつまじきに、かばかり見え奉るや、何のうとましかるべきぞ、これよりあながちなる心は、よも見せ奉らじ。おぼろけに忍ぶるにあまる程を、なぐさむるぞや」とて、あはれげになつかしう聞え給ふこと多かり。




雨がやんで、風が竹の葉に音を立てる頃、華やかに差す月の光は、素晴らしい夜の気配も、しめやかで、女房達は、差し向かいの話しに遠慮して、お傍近くに、控えていない。いつもお会いする二人だが、こんなに良い機会はないようで、口に出したついでの、一途さからか、柔らかい御衣の衣擦れの音は、上手にごまかして、お脱ぎになる。姫のすぐ傍で、お休みになったので、姫は、ぞっとして、女房たちも、変に思うだろうと、たまらなく思う。本当の親であれば、冷たく放っても、このような酷い目に合わすことはないと、悲しく、隠そうとしても、涙が溢れる。それを気の毒と思い、源氏が、こんなに、嫌になられると、辛い。まるで、赤の他人でも、世の習いで、女は誰にでも、身を任せることなのに、このように、年を重ねて、親しくしているものなのに、これくらい、して差し上げるのを、何の嫌がることがあろうか。これ以上、無理な事をする気持ちは、決してありません。堪えている気持ちを、更に堪えて、心をなだめる、と、心を込めて、やさしくお話になることが、多い。

とんでもない、養父である。
だが、この時代の、恋愛の様子が解るというもの。

まあ、紫の上でさえ、幼女の頃から育てて、我が妻にする程である。
もののあはれ・・・
その実態には、実に、滑稽な様子もある。

これを、喜劇の物語としても、面白い。

いと心憂く
ああ、嫌だ・・ぞっとする・・・

あはれげになつかしう
これも、物語の得意技である。
とてもとても、優しく・・・非常に大切に・・・可愛くてしかたがない・・・




ましてかやうなるけはひは、ただ音のこことちして、いみじうあはれなり。わが御心ながらも、ゆくりかにあはつけきことと思し知らるれば、いとよく思しかへしつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜もふかさで出で給ひぬ。源氏「思ひうとみ給はば、いと心憂くこそあるべけれ。よその人は、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。限りなく、底ひ知らぬ心ざしなれば、人のとがむべきさまにはよもあらじ。ただ昔恋しきなぐさめに、はかなきことをも聞えむ。同じ心にいらへなどし給へ」と、いとこまやかに聞え給へど、われにもあらぬさまして、いといと憂しと思いたれば、源氏「いとさばかりには見奉らぬ御心ばへを、いとこよなくも憎み給ふべかめるかな」と、嘆き給ひて、源氏「ゆめけしきなくてを」とて出で給ひぬ。




特に、このような時は、夕顔そのままの気持ちがして、酷く心が痛む。自分ながらも、呆れて、身分に相応しくないと思うので、反省し、女房も変だと思うだろうと、夜の深くないうちに、お出ましになられた。源氏は、嫌がっては、辛い気持ちになりましょう。ほかの人は、これほど、夢中にならないものです。限りなく、底の無い思いだから、人が批難するようなことは、しません。ただ、昔恋しい心の慰めに、取り留めない事を、お話ししましょう。あなたも、そのつもりで、ご返事などしてください、と心を込めて、申し上げるが、姫は取り乱した様子で、とても辛いと思っている。源氏は、これ程とは、思いませんでした。これは、また、酷く憎んでいますね、と嘆き、決して人に気づかれないように、と、おっしゃり、お出ましになられた。




posted by 天山 at 00:07| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月05日

もののあわれについて590

またのあした御文とくあり。なやましがりて臥し給へれど、人々御硯などまいりて、御かへりとくと聞ゆれば、しぶしぶ見給ふ。白き紙の、うはべはおいらかに、すくずくしきに、いとめでたう書い給へり。
源氏「たぐひなかりし御けしきこそ、辛きしも忘れ難う。いかに人見奉りけむ。

うちとけて ねも見ぬものを わか草の ことあり顔に むすぼほるらむ

をさなくこそものし給ひけれ」
と、さすがに親がりたる御ことばも、いと憎しと見給ひて、御かへりごち聞えさせらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥紙に、ただ玉葛「承りぬ。乱りここちのあしう侍れば、聞えさせぬ」とのみあるに、かやうのけしきはさすがにすくよかなり、と、ほほえみて、うちみ所あるここちし給ふも、うたてある心かな。




翌朝、お便りがあった。気分が悪いと、横になっていたが、女房達が、硯などを差し上げて、お返事をと促すので、しぶしぶ御覧になる。白い紙に、表面は穏やかに、生真面目な感じであるのに、見事に書いてある。
源氏は、またとない、なさりようが辛くて、それがかえって、忘れられない。どように、皆が思いましたでしょう。

許しあい、寝たいのでない。若草は、どうして意味ありげに、塞いでいるのだろうか。

子供のようです。と、それでも、親めいた言葉遣いであり、憎らしいと思い、しかし、返事を差し上げなければ、皆が不審に思うと、厚いみちのく紙に、ただ、
玉葛は、拝見いたしました。気分が優れませんので、お返事は、申し上げません、とだけあるのを、源氏は、こういうやり方は、さすがにしっかりしたものだと、微笑み、口説きがいがある気持ちになるのも、困ったことである。

最後は、作者の言葉である。
つまり、作者は、十分の余裕を持って、物語を書き続けているのである。




色に出で給ひて後は、「おほたの松の」と思はせたる事無く、むつかしう聞え給ふこと多かれば、いとど所せきここちして、おき所なき物思いつきて、いとなやましうさへし給ふ。かくて事の心知る人は少なうて、うときも親しきも、むげの親ざまに思ひ聞えたるを、かうやうのけしきの漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな、父大臣などの尋ね知り給ふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待ち聞き思さむこと、と、よろづに安げなう、思し乱る。




一端、口に出してからは、大田の松、と思わせることもなく、煩く言うことが多いので、姫は益々、動きが取れない気がして、身の置き所のない、悩みの種になり、病気にまでなった。
こういうことで、真相を知る人も少なく、他人も、身内も、この上ない、父親だと思っているのに、このような事情が、外に漏れたら、物笑いになり、嫌な評判が立つだろう。父の内大臣などが、尋ねてくれても、親身な気持ちではないから、他人以上に、考えの無い女だと、お耳にして、思うだろう、と、何から何まで心配になり、心は静まらないのである。

おほたの松
恋ひわびぬ 大田の松の おほかたは 色に出でてや 逢はむと言はまし

いとあはつけう
とても、浮ついている。




宮、大将などは、殿の御けしき、もて離れぬさまに伝へ聞き給うて、いとねんごろに聞え給ふ。この岩もる中将も、大臣の御ゆるしをみてこそかたよりにほの聞きて、まことの筋をば知らず、ただひとへに嬉しくて、おりたちうらみ聞えまどひありくめり。




兵部卿の宮、右大将などは、殿の気持ちが、問題にならないと思うわけでもない、と、人伝に聞いて、酷く熱心に、言い寄るのである。あの、岩もる中将も、殿様の許しがあったと、小耳にはさんで、本当のことを知らず、ただ一筋に、嬉しくて、熱心に口説き、うろうろしている様子である。

岩もる大将、とは、柏木のことである。

まことの筋
本当のことである。つまり、玉葛と、実の兄妹であるということ。

玉葛を、終わる。


posted by 天山 at 06:49| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月06日

もののあわれについて591



今はかく重々しき程に、よろづのどやかに思ししづめたる御有様なれば、頼み聞えさせ給へる人々、さまざまにつけて、皆思ふさまに定まり、ただよはしからで、あらまほしくて過ぐし給ふ。対の姫君こそ、いとほしく、思ひのほかなる思ひ添ひて、いかにせむと思し乱るめれ、かの督が憂かりしさまには、なづらふべきけはひならねど、かかる筋に、かけても人の思ひより聞ゆべき事ならねば、心ひとつに思しつつ、さま異にうとましと思ひ聞え給ふ。何事をも思し知りたる御よはひなれば、とざまかうざまに思し集めつつ、母君のおはせずなりにける口惜しさも、またとりかへし惜しく悲しく覚ゆ。大臣も、うち出でそめ給ひては、なかなか苦しく思せど、人目をはばかり給ひつつ、はかなき事をもえ聞え給はず、苦しくも思さるるままに、繁く渡り給ひつつ、お前の人遠く、のどやかなる折りは、ただならず気色ばみ聞え給ふごとに、胸つぶれつつ、けざやかにはしたなく聞ゆべきにはあらねば、ただ見知らぬさまにもてなし聞え給ふ。




今は、こうして、重々しい身分で、何事も騒がずにいられる生活ゆえ、頼りにする方々も、それぞれ身分に応じて、残らずに、希望通り、落ち着いて不安も無く、望み通りに日を送っている。対の姫君だけは、可哀想に、思いもかけない苦労が一つ増えて、どうしようかと、困っている様子。あの丈夫の督の、いやらしい様子に比べれられるものではないが、こんなこととは、まさか誰も気づくまいから、一人で悩み、変なこと、嫌な話と、殿を思うのである。何もかも解る年頃なので、あれやこれやと、考えて、お母様がいらっしゃらないせいと、残念に、改めて、事新しく口惜しく、悲しく思われる。源氏の大臣も、一度口にしてからは、かえって苦しく思うのに、足しげく、お出でになり、お付の者も離れて、静かな時に、我慢できず、意中を打ち明ける、そのたびに、姫は、どきりとするが、きっぱりと、拒絶して、恥をかかせる訳にはゆかないので、ただただ、気づかぬ振りをして、お相手している。

これは、作者の情景描写である。
三人称で、語るのである。

対の姫とは、玉葛である。その心の苦しみを言う。

かかる筋に
養父の源氏が、養女の玉葛に、言い寄ることを言う。

のどやかなる折りは
人の来ない時間が、長い時である。




人ざまのわららかに、気近くものし給へば、いたくまめだち、心し給へど、なほをかしく愛敬づきたるけはひのみ見え給へり。兵部卿の宮などは、まめやかにせめ聞え給ふ。御労の程はいくばくならぬに、さみだれになりぬる憂へをし給ひて、宮「少し気近く程をだに許し給はば、思ふ事をも、片端はるけてしがな」と聞え給へるを、殿御覧じて、源氏「なにかは、この君達のすき給はむは、見所ありなむかし。もと離れてな聞え給ひそ」と教えて、源氏「御返り時々聞え給へ」とて、教えて書かせ奉り給へど、いとどうたて覚え給へば、玉葛「みだりごちあし」とて聞え給はず。




姫は、人柄が、快活で人なつっこくしていられるので、酷く真面目に構えて、用心されるが、それでも、可愛く愛敬のある様子である。兵部卿の宮などは、熱心に口説くのである。名のりを上げてから、まだそれほど経ていないのに、五月雨になったと、泣き言をおっしゃり、もう少し、お傍近くに寄ることを、許して下さるなら。心のうちを少しは、晴らしたいものです、と言って寄越すのを、殿が御覧になり、なに、構わない、この方々が懸想されるところは、見るだけの事はあるだろう。あまり、素気無い扱いはしないように、と諭して、お返事は、時々上げなさいと教えて、書かせるが、益々、不愉快に思うので、玉葛は、気分が悪いと、書かないのである。

五月雨になった
つまり、当時は、五月は結婚を忌むという風潮があった。




人々も、ことにやむごとなく寄せ重きなどもをさをさなし。ただ母君の御叔父なりける。宰相ばかりの人の女にて、心ばせなど口惜しからぬが、世に衰へ残りたるを、尋ねとり給へるぞ、宰相の君とて、手などもよろしく書き、おほかたもおとなびたる人なれば、さるべき折々の御返りなど書かせ給へば、召し出でて、言葉など宣ひて書かせ給ふ。ものなど宣ふさまを、ゆかしと思すなるべし。正身は、かくうたてあるもの嘆かしさの後は、この宮などはあはれげに聞え給ふ時は、少し見入れ給ふ時もありけり。何かと思ふにはあらず、かく心憂き御気色見ぬわざもがな、と、さすがにされたる所つきて思しけり。




女房達も、特に家柄がよいとか、勢力のある家の者はいない。ただ一人、母君の叔父に当る、宰相程度の人の娘で、性質など悪くないが、落ちぶれて暮らしていたのを、探し出した、女が、宰相の君といい、字なども、みっともなくない程度に書き、すべてに行き届いている人なので、適当な相手に御返事などを書かせるので、呼び出して、言葉などを教えて、書かせるのである。宮が口説くところを見たいと、思うようである。
ご本人は、あの泣きたいような事件の後は、兵部卿などが、情を込めた手紙を寄越すと、少し気を入れて、御覧になる時もある。宮に対して、どう思うということはなく、こんなたまらない、源氏の様子を見ないでいることは、出来ないかと、それでも、女らしさができて、思うのである。

されたる所つきて
女らしさの現れる・・・




少し説明すると、父親の頭中将に知らせもせずに、源氏は、玉葛を、東北の御殿に入れて、育てるのである。
紫の上の状態に、似ている。

そして、娘としてはいるが、自分も恋心を燃やして、言い寄るという・・・
他の、若い貴族たちに、見せびらかし、求婚させておいて・・・

以後、玉葛系の話しが続くのである。
物語の構成云々は、しない。
ただ、当時としては、玉葛系は、物語としては、巧みであるといわれる。
これから、暫く、玉葛の物語である。

posted by 天山 at 10:12| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月07日

もののあわれについて592

殿はあいなくおのれ心げさうして、宮を待ち聞え給ふも知り給はで、よろしき御返りのあるをめづらしがりて、いとしのびやかにおはしましたり。妻戸の間に御褥参らせて、御凡帳ばかりを隔てにて、近き程なり。いといたう心して、そらだきもの心にくき程ににほはして、つくろひおはするさま、親にはあらで、むつかしきさかしら人の、さずがにあはれに見え給ふ。宰相の君なども、人の御いらへ聞えむことも覚えず、恥づかしくて居たるを、源氏「うもれたり」とひきつみ給へば、いとわりなし。夕やみ過ぎて、おぼつかなき空の気色の曇らはしきに、うちしめりたる宮の御けはひも、いとえんなり。内よりほのめく追ひ風も、いとどしき御にほひのたち添ひたれば、いと深くかほり満ちて、かねて思ししよりもをかしき御けはいひを、心とどめ給ひけり。うち出て、思ふ心の程を宣ひ続けたる言の葉おとなおとなしく、ひたぶるにすきずきしくはあらで、いとけはひことなり。大臣、いとをかし、と、ほの聞きおはす。




源氏が、酷いことに、一人意気込んで、兵部卿の宮を待ち構えていることも知らず、宮様は、悪くない返事が来た事を喜び、こっそりとお出でになった。妻戸の間に、座布団を差し上げて、凡帳だけを中の隔てにして、姫に近い所である。源氏は、大変心を配り、空薫物を、奥ゆかしいほどに匂わして、世話を焼く様子は、親ではなく、困ったおせっかい者の、それも、まあこれまでもと、お見えになる。宰相の君なども、宮への御返事の申し上げようも解らずに、恥ずかしがるのを、源氏は、しっかりと、つねるので、困っている。夕闇も終わり、淡い月の出た空は、曇りがちで、物静かな宮の様子も、実に美しい。内からの、ほのかな追い風に、更に、優れた源氏の香の匂いが加わり、ひとしお深い香りが、部屋に満ちた。宮は、予想以上に、素晴らしい姫の様子に、心を引かれた。口に出して、思い心のさまをおっしゃる言葉は、落ち着いて、好き心というよりも、どこか違うのである。源氏も、これは、素晴らしいと、聞いている。




姫君は、東面に引き入りて大殿籠りにけるを、宰相の君の御消息つたへにいざり入りたるについて、源氏「いとあまりあつかはしき御もてなしなり。よろづのこと事さまに従ひてこそめやすけれ。ひたぶるに若び給ふべきさまにもあらず。この宮達をさへ、さし放ちたる人伝に聞え給ふまじきことなりかし。御声こそ惜しみ給ふとも、少し気近くだにこそ」など、いさめ聞え給へど、いとわりなくて、ことつけてもはひ入り給ひぬべき御心ばへなれば、とざまかうざまにわびしければ、すべり出でて、母屋のきはなる御凡帳のもとに、かたはら臥し給へり。




姫君は、東座敷に引き込んで、お休みになっている。宰相の君が、お言葉の取次ぎに、入ったのに、源氏がついてきて、どうも、好意のない扱いです。何事も、時と場所に応じたることです。もう子供のような年ではないのです。この宮にまでも、遠く隔てをおいた人伝の挨拶など、されるべきではありませんよ。直接お話しせずとも、せめて少し近くに、などと、お叱りがある。だが、姫は、途方に暮れる。お叱りにかこつけて、こっそりと、入り込みそうな源氏のことゆえ、どちらにしても、辛いことで、そっと出て、母屋の傍の御凡帳の元で、横になっていた。

とざまかうざま
黙っていても、源氏が何をするのか、といっても、宮の傍に行くのも、どちらにしても・・・である。




何くれとこと長き御いらへ聞え給ふこともなく、思しやすらふに、寄り給ひて、御凡帳のかたびらをひとへうちかけ給ふにあはせて、さと光るもの、紙燭を差し出でたるか、とあきれたり。蛍を薄きかたに、この夕つ方いと多く包みおきて、光をつつしみ隠し給へりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて、にはかにかくけちえんに光れるに、あさましくて、扇をさし隠し給へるかたはらめ、いとをかしげなり。「おどろかしき光見えば、宮ものぞき給ひなむ。わがむすめと思すばかりのおぼえに、かくまで宣ふなめり。人ざま容貌など、いとかしくも具したらむとは、え推し量り給はじ。いとよくす給ひぬべき心、惑はさむ」と構へありき給ふなりけり。まことのわが姫君をば、かくしも、もて騒ぎ給はじ。うたてある御心なりけり。こと方より、やをらすべり出でて渡り給ひぬ。




あれこれと、長い物語に、お返事することもなく、考え込んでいると、源氏が寄ってきて、御凡帳の帷子を一枚、上げると共に、ハッと光るものがある。紙燭を差し出したのかと、驚く。蛍を薄い布に、今日の夕方、沢山包んでおいて、光が漏れぬように隠していたのだ。そうと解らないように、そこらを整えるようにして、急に、明るく光ったので、びっくりして、扇で顔を隠された、その横顔は、実に美しいと、見える。源氏は、驚くほどの光が射したなら、宮も覗かれるだろう。自分の娘だと思う、それだけのことで、こんなにも熱心にしている。人柄や器量などが、これほど、整っているとは、まさか思わないであろう。十二分に、女に熱心な宮の心を、迷わせてやろうと、源氏は、趣向を凝らして、動き回っているのだ。
実の自分の姫君は、こんなに、大袈裟な騒ぎはしないだろうと思う。困ったものである。
源氏は、別の戸口から、そっと抜け出て、行ってしまったのである。

最後は、作者の心である。




宮は、人のおはする程、さばかりと推し量り給ふが、少し気近きけはひするに、御心ときめきせられ給ひて、えならぬ羅の帷子の隙より見入れ給へるに、一間ばかり隔てたる見わたしに、かくおぼえなき光のうちほのめくを、をかしと見給ふ。程もなく紛らはして隠しつ。されどほのかなる光、えんなる事のつまにもしつべく見ゆ。ほのかなれど、そびやかに臥し給へりつる様体のをかしかりつるを、飽かず思して、げに案のごと御心にしみにけり。


鳴く声も 聞えぬ虫の 思ひだに 人の消つには きゆるものかは

思ひ知り給ひぬや」と聞え給ふ。かやうの御返しを、思ひまはさむもねぢけたればときばかりぞ。

玉葛
声はせで 身をのみこがす 蛍こそ 言ふよりまさる 思ひなるらめ

などはかなく聞えなして、御みづからひき入り給ひにければ、いと遥かにもてなし給ふ憂はしさを、いみじく恨み聞え給ふ。




宮は、姫の居るのは、あの辺と推測し、その場所がわりに近いので、つい胸がドキドキする。美しい薄物の帷子の隙間から覗き込むと、柱一間一つ隔てた先に、思いがけない、光がちらつくのを、綺麗だと御覧になる。まもなく、女房達が取り囲み、見えなくなった。だが、このほのかな光は、話のきっかけになると思う。微かではあるが、すらりとした、身を横にしている姿が美しいので、もっと見たいと思い、矢張り、心に深く留まる。


鳴く声も聞えぬ、蛍の光でさえ、人の力では、消せないもの。人の心の火が、どうして消すことができるでしょう。

お解かりくださいましたか、と、申し上げる。これくらいの御返事に、思案していては、変だと、ただ早くと思い、

玉葛
鳴きもせず、ただ身を焦がす、蛍のほうが、口に出すより、もっと深い思いでいるでしょう。

など、あっさりと、御返事をして、引き籠ってしまった。随分と、疎ましい扱いを、辛いと、延々と、恨みことを言う。

はかなく聞えなして
何でもないことのように・・・扱うのである。


posted by 天山 at 00:09| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月08日

もののあわれについて593

すきずきしきやうなれば、居給ひもあかさで、軒の雫も苦しさに、ぬれぬれ、夜深く出で給ひぬ。時鳥などかならずうち鳴きけむかし。うるさければこそ聞きもとどめね。御けはひなどのなまめかしさは、いとよく大臣の君に似奉り給へり。と人々もめで聞えけり。昨夜いと女親だちて、つくろひ給ひし御けはひを、うちうちは知らで、あはれにかたじけなしと皆言ふ。




熱を上げすぎたことになると思い、座り込んだまま、軒の雫の苦しさに濡れつつ、夜遅くお出でになった。ホトトギスなども、きっと鳴いたでしょう。
面倒なので、聞きませんでした。
ご様子などの美しさは、とてもよく殿様に似ていらしたと、女房達も誉める。昨夜は、すっかり、女親のように、お世話を焼いたことを、詳しいことは知らないので、しみじみとありがたいと、一同が言う。

この部分は、三人称で書かれている。
作者の言葉、思いが多い。

あはれにかたじけなし
しみじみと、ありがたい、と訳すが・・・
これ以上の、形容詞は中々無いのである。
切々と、ありがたい・・・

しみじみと思うことを、あはれ、であるとすると、あはれ、の風景が狭まる。




姫君は、かくさすがなる御けしきを、「わがみづからの憂さぞかし。親などに知られ奉り、世の人めきたるさまにて、かやうなる御心ばへならましかば、などかはいと似げなくもあらまし。人に似ぬ有様こそ、つひに世語りにやならむ」と、起き臥し思し悩む。さるは、まことにゆかしげなきさまには、もてなしはてじ、と、大臣は思しけり。なほさる御心癖なれば、中宮なども、いとうるはしくやは思ひ聞え給へる。ことに触れつつ、ただならず聞え動かしなどし給へど、やむごとなき方のおよびなさにわづらはしくて、おり立ちあらはし聞え寄り給はぬを、この君は、人の御さまも、気近く今めきたるに、おのづから、思ひ偲び難きに、折々人見奉りつけば疑ひおひぬべき御もてなしなどは、うちまじるわざなれど、あり難く思し返しつつ、さすがなる御仲なりけり。




姫君は、このように、うわべを繕う殿様の様子に、自分の不運なのだ。親などにも知ってもらい、世間並みの人として、このような気持ちを見るのだったとしたら、どうして、不釣合いだろう。普通でない、わが身の状態こそが、情けない。結局、噂の種になるかもしれないと、昼夜、思い悩むのである。
実は、殿様、源氏は、人聞きの悪い扱いにはしないと、思っていた。が、やはり例の性分なので、中宮なども、きれいに思い切ったりするものですか。何かにつけて、普通ではない言いようで、気持ちを引いたりなどするが、身分が高くて、手が届かないゆえに面倒で、自信があって、言い寄ることはしないのだが、この姫君は、様子も親しみやすく、今風なので、ついつい、我慢できずに、時々、人が見つけたら、疑われそうな態度などもある。感心なことには自制はするが、危なっかしい御仲である。

作者の、独白のような書き方である。
玉葛に思いを寄せつつも、親らしくもするという、源氏の様子である。




五日には、馬場の大殿に出で給ひけるついでに、渡り給へり。源氏「いかにぞや。宮は夜やふかし給ひし。いたくも慣らし聞えじ。わづらはしき気添ひ給へる人ぞや。人の心やぶり、物の過すまじき人は、難くこそありけれ」など、活けみ殺しみ戒めおはする御さま、つきせず若く清げに見え給ふ。艶も色もこぼるばかりなる御衣に御直衣はかなく重なれるあはひも、何処に加はれる清らにかあらむ、この世の人の染め出したると見えず、常の色もかへぬ綾目も、今日はめづらかに、をかしく覚ゆるかをりなども、思ふことなくは、をかしかりぬべき御有様かな、と姫君思す。




五日に、馬場の御殿に出掛けたついでに、玉葛の元に立ち寄った。源氏は、どうでしたか。宮は、夜更けまでいらしたか。あまり、近づけないように。厄介な癖を持つ人ですからね。女の気を害したり、何か失態をしない男は、めったにいませんよ。などと、誉めたり、けなしたり、注意をする様子は、言いようも無く、美しく見える。艶々と華やかに見える御衣に、御直衣が、無造作に重なる色合いも、どこから湧き出した美しさなのか。この世の人が染めたものとは思われないようで、いつもと色も変わらぬ衣装の模様も、今日は特に見事で、素晴らしく感ずる匂いなども、物思いがなければ、素晴らしいお姿だと、姫君は、思うのである。




宮より御文あり。白き薄様にて、御手はいと由ありて書きなし給へり。見る程こそをかしかりけれ、まねび出づれば、ことなることなしや。


今日さへや 引く人もなき 水隠れに 生ふるあやめの ねのみなかれむ

例にもひき出でつべき根に、結びつけ給へれば、源氏「今日の御返り」などそそのかし置きて出で給ひぬ。これかれも、女房「なほ」と聞ゆれば、御心にもいかが思しけむ、

玉葛
あらはれて いとど浅くも 見ゆるかな あやめもわかず なかれけるねの

若々しく」とばかり、ほのかにぞあめる。手を今少しゆえづけたらば、と、宮は好ましき御心に、いささか飽かぬことと見給ひけむかし。薬玉など、えならぬさまにて、ところどころより多かり。思し沈みつる年頃の名残なき御有様にて、心ゆるび給ふ事も多かるに、同じくは人の傷つくばかりのことなくても、止みにしがな、と、いかが思さざらむ。




宮から手紙があった。白い薄様で、筆跡は素養の見える書きぶりである。見たときは、素晴らしかったが、今、口にすると、たいしたことがない。


今日さえ、引く人のない、水に隠れて生える菖蒲の根だけ、流れましょう。私も音を上げて、人に隠れて泣きます。
後々まで、例に引かれそうな、長い菖蒲の根に結びつけたので、源氏は、今日のお返事をしなさいと、催促して、出て行かれた。誰彼も、そうおっしゃらないで、と、申し上げるので、何を思ったのか、

玉葛
すべてを見せてくださり、いっそう、浅く思われます。わけもなく流れる根です。わけもなく泣けるという、あなたが・・・

幼くしていらっしゃる、とだけ、薄墨で書いてある。筆跡が、もう少し立派だと、宮が風流な心ゆえ、少々不満に思ったでしょう。薬玉など、立派に作り、あちこちから、沢山届く。情けない暮らしだった、長い年月の跡形もない様子で、心にゆとりのあることも多く、同じことなら、源氏が傷つくまでのことなしに、何とか、おしまいにしたいと、どうして思わないことがありましょう。

これも、三人称である。
作者の思いで書かれる。

後に、付け足された物語であるということが、解るというもの。

posted by 天山 at 05:47| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月09日

もののあわれについて594

殿は、東の御方にもさしのぞき給ひて、源氏「中将の今日のつかさの手結のついでに、をのこども引き連れてものすべきさまに言ひしを、さる心し給へ。まだ明き程に来なむものぞ。あやしく、ここにはわざとならず忍ぶる事をも、この親王達の聞きつけて、とぶらひものし給へば、自らことごとしくなむあるを、用意し給へ」など聞え給ふ。馬場の大殿は、こなたの廊より見通す、程遠からず。源氏「若き人々。渡殿の戸あけて物見よや。左のつかさにいと由ある官人多かる頃なり。せうせうの殿上人に劣るまじ」と宣へば、物見むことをいとをかしと思へり。




源氏は、東の御方にも、顔を出して、中将が今日の、左近衛府の競射のついでに、友人を連れてくるようなことを言ったので、そのつもりで頼む。まだ明るいうちにやって来るだろう。どういうものか、ここでは、内輪の話で隠しておくことでも、例の親王たちが、かぎつけて、わざわざやって来るので、ついつい大袈裟になるものだが。用意をしてくれ、などと、申し上げる。馬場の御殿は、こちらの渡廊から見通せる。それほど離れていない。源氏は、若い女房たちに、渡殿の戸を開けて、物見せよ。左近衛府は、大変立派な官人たちが多いこの頃だ。なまじ、殿上人などに負けないだろう、と、おっしゃるので、女房達は、見物を大変楽しみにしている。




対の御方よりも、童べなど物見に渡り来て、廊の戸口に、御簾青やかに懸け渡して、今めきたる裾濃の御凡帳ども立て渡し、童下仕などさまよふ。菖蒲のあこめ、二監の羅のかざみ着たる童べぞ、西の対のなめる。好ましく慣れたる限り四人、下仕はあふちの裾濃の裳、なでしこの若葉の色したる唐衣、今日のよそひどもなり、こなたのは濃き単襲に、なでしこ襲のかざみなどおほどかにて、おのおのいどみ顔なるもてなし、見所あり。若やかなる殿上人などは、目をたてつつ気色ばむ。




西の対の方からも、童女などが見物にやって来て、渡殿の戸口に、御簾を青々として掛け渡して、今流行りの、裾濃の御凡帳を立て並べて、童や、下仕などが、あちこちとしている。菖蒲重ねの、あこめ、二監の羅のかざみを着た、童女が、西の対の者らしい。感じの良い、物慣れた童女ばかり四人、下仕は、おおちの裾重ねの裳に、なでしこの若葉の色をした唐衣で、皆、端午の今日の装いである。
こなたの、花散里の童女は、濃い紅の、単重ねに、なでしこのかざみなどを、おっとりとして着て、互いに競争しているらしい、立ち居振る舞いは、見ていて面白い。若い殿上人などは、目をつけて、気取っている。




未の時に、馬場の大殿に出で給ひて、、げに親王達おはしつどひたり。手結の、公事にはさま変はりて、すけたちかき連れ参りて、さまことに今めかしく遊び暮らし給ふ。女は、何のあやめも知らぬ事なれど、舎人どもさへえんなる装束をつくして、身を投げたる手惑はしなどを見るぞ、をかしかりける。南の町もとほして、遥々とあれば、あなたにもかやうの若き人どもは見けり。だきょうらく、落蹲など遊びて、勝負の乱声どもののしるも、夜に入りて、何事もみえ見えずなりはてぬ。舎人などの禄しなじな賜はる。いたく更けて、人々皆あかれ給ひぬ。




午後一時頃、馬場の御殿においでになると、なるほどに、親王達が集まる。競技も公式のものとは趣が違う。中将、夕霧たちも、連れ立って参加している。一風変わって、華やかに、暗くなるまで遊ぶのである。女は、玉葛は、何も解らないことなのだが、舎人たちまで、見事な装束を着飾り、命懸けの、秘術を尽しているのを見るのは、面白い。馬場は、南の紫の上の御殿まで通して、続いている。あちらでも、このような若い人たちが、見物している。だきゅうらく、落蹲などを奏でて、勝ち方の楽隊などで大騒ぎするうちに、すっかり夜になって何も見えなくなった。舎人どもが、色々と禄を頂戴する。ひどく夜が更けてから、人々が皆、帰ったのである。




大臣は大殿籠りぬ。物語など聞え給ひて、源氏「兵部卿の宮の人よりはこよなくものし給ふかな。容貌などはすぐれねど、用意気色など、由あり、愛敬づきたる君なり。忍びて見給ひつや。よしと言へど、なほこそあれ」と宣ふ。花散里「御弟にこそものし給へど、ねびまさりてぞ見え給ひける。年ごろかく折り過ぐさず渡り睦び聞え給ふと聞き侍れど、昔の内わたりにてほの見奉りし後、おぼつかなしかし。いとよくこそ容貌などねびまさり給ひにけれ。帥の親王よくものし給ふめれど、けはひ劣りて、大君けしきにぞものし給ひける」と宣へば、ふと見知り給ひにけり、と思せど、ほほ笑みて、なほあるをば、よしともあしともかけ給はず。人の上を難つけ、おとしめざまのこと言ふ人をば、いとほしきものにし給へば、右大将などをだに、心にくき人にすめるを、何ばかりかはある、近きよすがにて見むは、飽かぬ事にやあらむ、と見給へど、言にあらはしても宣はず。




大臣、源氏は、花散里の元で、休まれた。お話などされて、兵部卿の宮は、人より、ずっと立派でいられる。お顔は、それほどでもないが、身だしなみや態度は、教養が見えて、愛すべき方です。そっと御覧になりましたか。立派だといえるが、もう一息だ。とおっしゃる。花散里は、弟君でいらっしゃいますが、お年上に見えます。ここ何年か、このように、折りあるごとに、お出でになっては、親しくされていると聞きますが、昔、宮中でお見受けしてからは、よく存じ上げません。たいそう、ご立派に、お顔立ちなどは、お年と共に、おなりになりました。帥の親王は、ご立派ではいらっしゃいますが、どうも品が落ちて、王族程度のようです。と、おっしゃる。一目で見抜いていると、源氏は思ったが、微笑んで、それでも今に生きている人は、良いとも悪いとも、おっしゃらない。他人のことは、難癖をつけ、悪口をいう人を、困った者だと考えているので、右大将などをも、世間では、立派だと言うらしいが、何のたいしたことがあろうか。身内の者として見るには、不十分だと思うが、口に出しては言わないのである。

右大将とは、黒髭右大将のこと。

心にくき人にすめる
世間で言うこと。

近きよすが、とは、身内の事。ここでは、玉葛の婿になる者をいう。

遊びの後に、源氏が花散里の部屋に渡り、休むのであるが、二人の話は、何気なくも、物語の核心を突くような話しをしている。

構成されているような雰囲気である。
それが、また、面白い。


posted by 天山 at 06:22| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。