2012年03月16日

もののあわれについて。555

この町々の中の隔てには、塀ども廊などを、とかく行きかよはして、け近く、をかしきあはひにしなし給へり。
九月になれば、紅葉むらむら色づきて、宮のお前も言はず面白し。風うち吹きたる夕暮れに、御箱の蓋に、いろいろの花、紅葉をこきまぜて、こなたに奉らせ給へり。




この町々の、境には、幾重にも、塀や渡り廊下などを造り、あちらこちらと、行けるようにして、近しき仲になるように、作ってある。
九月になり、あちこちに、紅葉が色づいて、中宮のお庭先は、実に面白く、見事である。秋風が吹く夕暮れに、御箱の蓋に、色々な色の花、紅葉を取り混ぜて、こちらの方に、差し上げた。

硯入れの箱の蓋である。
こちらの方とは、紫の上である。




大きやかなる童の、濃きあこめ、紫苑の織物かさねて、赤くち葉の羅のかざみ、いといたう慣れて、廊、渡殿の反橋を渡りて参る。うるはしき儀式なれど、童のをかしきをなむ、え思し捨てざりける。さる所に侍ひなれたれば、もてなし有様、ほのかには似ず、好ましうをかし。




大柄な童女が、濃い紫のあこめを着て、紫苑の織物を重ねて、赤くち葉の薄物のかざみを着て、物慣れた様子で、廊、渡り殿の反り橋を渡ってくる。格式のある儀式なのだが、童女の可愛らしさを、見捨てることが出来ないで、お使いになる。そういう所に、いつもお仕えしているので、立ち居振る舞い、姿も、他の童女とは違い、感じが良く、風情がある。




御消息には、

中宮
心から 春待つ園は わが宿の もみぢを風に つてにだに見よ

若き人々、御使もてはやすさまどもをかし。御返りは、この御箱のふたに苔敷き、巌などの心ばへして、五葉の枝に、

紫の上
風に散る 紅葉はかろし 春の色を 岩根の松に かけてこそ見め

この岩根の松も、こまかに見れば、えならぬ作りごとどもなりけり。かくとりあへず思ひ寄り給へる、ゆえゆえしさなどを、をかしく御覧ず。お前なる人々もめであへり。




お手紙には
中宮
心から、春を待つお庭では、こちらのほうの紅葉を、せめて風の便りにでも、御覧ください。

女房たちが、お使いを、口々に誉める様子が、好ましい。
お返事は、この御箱の蓋に、苔を敷き、石で巌の感じを出して、そこに五葉の松を置き、その枝に、

紫の上
風に散る紅葉は、軽いものです。この岩根の松の、永久に変わらないように、変わらず、いつも見事な春の色を見たいものです。

この岩根の松も、良く見ると、上手にこしらえてある。こういうものを、即座に考える趣向によさを、中宮は、感心して、御覧になる。お前に控える女房たちも、皆、感嘆したのである。

えならぬ 
言うに言われぬ。素晴らしい。
これは、あはれ、の、言葉に、通じる。
えならぬ あはれにて
言うに言えない、思いである。




大臣「この紅葉の御消息、いとねたげなめり。春の盛りに、この御答は聞え給へ。このごろ紅葉を言ひくたさむは、立田姫の思はむ事もあるを、さししぞきて、花の陰に立ち隠れてこそ、強きことは出で来め」と聞え給ふも、いと若やかに尽きせぬ御有様の見所多かるに、いとど、思ふやうなる御住まひにて、聞えかよはし給ふ。




大臣、源氏は、この紅葉のお手紙は、何とも憎らしいものです。春の花の盛りに、このご返事を、差し上げることです。今秋の盛りに、紅葉を悪く言っては、立田姫がどう思うか。それもあり、ここは、譲り、花を盾にとってこそ、勝ち目のあるいい方も出来ましょう、と、おっしゃるのも、若々しく、素晴らしい姿で、ご立派であるが、この邸で、ますますお手紙のやり取りをされるのである。

立田姫
春の神様である。




大井の御方は、かう方々の御移ろひ定まりて、「数ならぬ人はいつとはなく紛らはさむ」と思して、神無月になむ渡り給ひける。御しつらひ、ことの有様劣らずして、渡し奉り給ふ。姫君の御ためを思せば、大方の作法も、けぢめこよなからず、いとものものとくもてなさせ給へり。




明石の御方は、こうして、方々の引越が終わってから、自分のような、人の数にも、入らない者は、と、密かに行おうとの思いで、十月に、引越された。部屋の飾り、引越の次第を、今までの方々に負けないようにと、引越される。姫君の将来を思い、その作法も、扱い方も、大して差をつけずに、たいそう、重々しく扱われる。

作者の思いが入る。解釈では、源氏が主語というが・・・
渡し奉り給ふ
源氏が、そのように行ったのである。

いつも、源氏なのか、作者なのかと、迷うのである。

乙女の段を、終わる。




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2012年04月30日

もののあわれについて556

玉葛
たまかづら

年月隔たりぬれど、あかざりし夕顔を、つゆ忘れ給はず。心心なる人の有様どもを見給ひ重ねるにつけても、「あらましかば」と、あはれに、口惜しくのみ思い出づ。




年月を経ても、飽きることなく、夕顔のことを、少しも忘れず、様々な人の有様を、次々と御覧になっても、生きていたらと、愛しく思い出し、悔やんでいるのである。

夕顔の回想である。
主語は、源氏。

あらましかばと、あはれに
今生きていたら、と、哀しく思うのである。




右近は、何の人かずならねど、なほその形見と見給ひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり慣れたり。須磨の御移ろひのほどに、対の上の御方に、皆人々聞え給ひしほどより、そなたに侍ふ。心よく、かいひそめたる者に、女君も思したれど、心のうちには、「故君ものし給はましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣り給はざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落しあぶさず、取りしたため給ふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列にこそあらざらめ、この御殿移りの数の内には交ひ給ひなまし」と思ふに、あかず悲しくなむ思ひける。




右近は、何ほどの者ではないが、矢張り、その形見として、愛しいものに思い、古くからの女房として、その後ずうっと、お仕えしている。須磨へ移る時には、対の上の所に、女房一同を頼みになった時から、そちらに仕えている。
人の良い、おとなしい者と、女君も思っているが、右近は、心のうちでは、亡き女君が生きていれば、明石の御方のご寵愛くらい、負けずにいたと思う。さして、深く気に入ることのなかった方さえ、打ち捨てず、お世話するという、優しい心の方なのだから、まして、亡き君なら、重い身分のお方と同列とは、ゆかないにしても、今度の転居された方々の中に、入られただろうにと、思うと、たまらなく、悲しく思うのである。

右近は、夕顔の女房である。
今は、紫の上に仕えている。
ここで、作者は、三人称で、書く。




かの西の京にとまりし若君をだに、行方も知らず、ひとへに物を思ひつつみ、また今さらにかひなき事によりて、「わが名もらすな」と、口がため給ひしを、憚り聞えて、尋ねても音づれ聞えざりしほどに、その御めのとの夫少弐になりて行きければ、下りにけり。




あの西の京に、残っていた、若君さえ、行方もわからず、あの出来事を、ひたすら胸に納め、また、今となっては、どうにもならないことで、私の名を出すなと、殿様が口止めされたので、右近は遠慮して、尋ねて、事の仔細を報告することもないうちに、若君の乳母の夫が、大宰の少弐になって、赴任したので、下っていった。

若君とは、夕顔の子である。




かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して、夜昼泣き給ひて、さるべき所々を尋ね聞えけれど、つひにえ聞え出でず。「さらばいかがはせむ。若君をだにこそは、御形見に見奉らめ。あやしき道に添へ奉りて、遥かなるほどにおはせむ事のかなしきこと。なほ父君にほのめかさむ」と思ひけれど、さるべき便りもなきうちに、「母君のおはしけむかたも知らず。尋ね問ひ給はばいかが聞えむ。まだよくも見なれ給はぬに、幼き人をとどめ奉り給はむも、うしろめたかるべし。知りながら、はた、率て下りねと許し給ふべきにもあらず」など、おのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、ただ今から気高く、清らなる御さまを、ことなるしつらひなき舟にのせて、こぎ出づるほどは、いとあはれになむ覚えける。




あちらの、姫様が四つになる年に、筑紫へ下ったのだ。
母君の、行方を知ろうと、知る限りの神仏にお祈りして、夜昼と泣き慕い、心当たりの、ここかしこを、探して、回ったが、とうとう聞き出すことが出来なかった。
この上は、しょうがない。せめて若君だけでも、形見として、お世話しようと、思ったが、しかし、不便な旅、遠いところへ連れて行くのも、気の毒だ。矢張り、父君のお耳に入れようと、と、思ったが、いい機会もなく、母君のおいでになった先も、解らないが、尋ねられたら、どうしよう。まだ、良く馴染んでいないのに、幼い方を、傍に置いておくことも、心残りでしょう。我が子と知りながら、それでは、連れて行けとは、お許しされない、などと、相談がまとまり、とても可愛らしく、今から気品があり、綺麗な方を、さしたる用意もない舟に乗せて、漕ぎ出した時には、とても、愛しく思えてくるのだった。

突然、夕顔の遺児の、若君の話しである。
夕顔の巻を参照してください。

源氏物語は、それぞれ、独立した、話しとして、読むことも出来る。
前後している、巻もある。

この、玉葛は、独特の描写である。
何故・・・
突然、源氏や、その子たちの、話しではなく、夕顔の話しなのか・・・

更に、その遺児の若君に、まつわる、話しである。

他の巻とは、文の様子が異なる。つまり、筆が違う。
これは、夕顔の巻から、ヒントを得て、他の人が、書き綴ったものであろうか。

研究者は、別系統の話が、二つあると言う。
その一つは、紫の上系統であり、その一つは、玉葛系統である。

つまり、多くの人の手によって描かれたということである。

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2012年05月01日

もののあわれについて557

幼きここちに、母君を忘れず、折々に、玉葛「母の御許に行くか」と、問ふ給ふにつけて、涙絶ゆる時なく、女どもも思ひこがるるを、船道ゆゆし、と、かつはいさめけり。面白き所々を見つつ、「心若うおはせしものを、かかる道をも、見せ奉るものにもがな。おはせましかば、われらは下らざらまし」と、京の方を思ひやらるるに、かへる波もうらやましく、心細きに、ふなごどもの荒々しき声にて、「うら悲しくも遠くに来にけるかな」と、謡ふを聞くままに、二人さし向ひて泣きけり。




幼い心に、母親を忘れず、何かの時に、お母様のところへ行くのと、尋ねるにつけて、涙の絶える間もなく、娘たちも、女君を慕うのを、船旅に不吉だと、涙を抑えて叱るのだった。美しい風景をあちこち見ながら、気の若い方だった、こうした所を見せることが出来れば。生きていられれば、私どもは、筑紫などへ下りはしない、と、京のことが思いやられて、寄せては返す波までも、羨ましく、心細くなる時、舟子どもが、荒々しい声で、うら悲しくも、遠くに来にけるかな、と、歌うのを聞くなり、娘二人は、差し向かいで、泣くのだった。




船人も たれを恋ふとか 大島の うら悲しげに 声の聞ゆる

来し方も 行方も知らぬ 沖に出て あはれいづくに 君を恋ふらむ

ひなの別れに、おのがじし心をやりていひける。




船頭も、誰を恋しく思うのか。大島の浦で、裏悲しい歌声が響く。

来た方向も、行方も、分からない海原に出て、本当に、どちらに向かい、あの方を恋うているのか。

辺鄙な所に来た寂しさで、それぞれが、慰みに言う。




金の御崎過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言ぐさになりて、かしこに至り着きては、まいて、遥かなる程を思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづき物にて、明かし暮らす。夢などに、いとたまさかに見え給ふ時などもあり。同じさまなる女など添ひ給うて、見え給へば、なごりここちあしく、なやみなどしければ、なほ世になくなり給ひにけるなめり、と思ひなるも、いみじくのみなむ。




金の岬を過ぎると、私は忘れません、などと言うのが、明け暮れの言い草になり、かの地に着いてからは、ひとしお、遠く離れたことを思い、慕い泣く、この若君を主人として、日を過ごした。夢などに、稀に、女君が見えることもある。同じような姿の女の方などが、傍にいる夢を見るので、覚めた後は、気分が悪く、病気になったりするので、矢張り、お亡くなりになったらしいと、思えてくるのが、たまらいのである。

金の岬とは、現在の福岡県、玄界灘町にある。岬の向こうに、大島がある。




少弐任はてて、のぼりなむとするに、遥けき程に、ことなる勢ひなき人は、たゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬ程に、重き病して、死なむとするここちにも、この君の十歳ばかりにもなり給へるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見奉りて、少弐「われさへうち捨てて奉りて、いかなる様にはふれ給はむとすらむ。あやしき所におひ出で給ふもかたじけなく思ひ聞ゆれど、いつしかも、京に率て奉りて、さるべき人にも知らせ奉りて、御宿世に任せて見奉らむにも、都は広き所なれば、いと心安かるべし、と思ひいそぎつるを、ここながら命たへずなりぬること」と、うしろめたがる。男三人あるに、少弐「ただこの姫君京に率て奉るべき事を思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」となむ言ひ置きける。




少弐は、任期が終わり、京へ、上ろうとする。遠く離れたところで、たいした勢いもない、この人は、ぐずぐずして、すぐに出発しないうちに、重い病気にかかって、死にそうになりつつも、この若君の、十歳ばかりになった、お姿の、こわいほどに美しい様子を拝して、私まで、見捨ててしまい、どのような姿で、さ迷うことになるだろうか。片田舎で、御成人になるのも、勿体無く、思う。早く、京にお連れして、知らせるべき方に、知らせ、御運に任せて、お世話をしようと思うが、都は広く、田舎に連れたことは、わかるまいと思い、仕度をしていたのに、この地で、命が尽きてしまうとは、と、気にしている。男の子が三人いるのに、何よりも、この姫君を、京にお連れすることだけを、考えるのだ。私の葬式のことなど、気にするな、と遺言するのである。

わが身の孝
亡くなった人の、回向、葬式などのこと。




その人の御子とは、たちの人にも知らせず、ただ、孫の、かしづくべき故あるとぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづき聞ゆる程に、にはかに亡せぬれば、あはれに心細くて、ただ京の出で立ちをすれど、この少弐の、中悪しかりける国の人多くなどして、とざまこうざまにおぢ憚りて、我にもあらで年を過ぐすに、この君、ねび整ひ給ふままに、母君よりもまさりて清らかに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高く、うつくしげなり。心ばせおほどかに、あらまほしうものし給ふ。




これこれの人の、お子様だとは、邸の誰にも知らせず、孫で、大切にするわけがあると、言い繕い、人には、見せず、この上なく大切に、育てているうちに、少弐が亡くなり、悲しくて、心細く、ひたすら、上京の仕度をするのであるが、この少弐と、仲の悪かった、土地の人が大勢いて、あれやこれやと、怖くて、気が気でないままに、年を送る。この姫君は、大きくなるにつれて、母君よりも、一層美しく、父大臣の血を引いているせいか、気品があり、可愛らしい。気立ても、鷹揚で、理想的な方でいらっしゃる。

姫君の乳母の目である。
いよいよ、この物語が、これから展開してゆく。
源氏物語の、もう一つの流れ、玉葛系の物語である。

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2012年05月02日

もののあわれについて558

聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ、消息がるいと多かり。ゆゆしくめざましく覚ゆれば、誰も誰も聞き入れず。乳母「かたちなどはさてもありぬべけれど、いみじきかたのあれば、人にも見せで、尼になして、わが世の限りは持たらむ」と言ひ散らしたれば、「故少弐の孫は、かたはなむあんなる。あたらものを」と言ふなるを聞くもゆゆしく、乳母「いかさまにして、都に率て奉りて、父大臣に知らせ奉らむ。いとなき程を、いとらうたしと思ひ聞え給へりしかば、さりとも疎には思ひ聞え給はじ」など言ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じける。




噂を耳にして、田舎の好き者どもが、思いを掛け、文を送りたがるのが、大勢いる。
忌々しく、癪に障るので、家の者は誰も、相手にしない。器量などは、まあまあですが、実に、困った不具のところがあるので、誰にも嫁がせず、尼にして、私の生きている間は、傍に置きます、と、言いふらしたので、亡くなった、少弐の孫は、不具だそうだ、惜しいことだ、と言うのを、耳にすることも、忌々しいのである。
乳母は、どうかして、都にお連れして、父大臣に、お知らせしよう。小さな時分、とても可愛く思っていらしたから、幾らなんでも、放ることはないし、見捨てることもないでしょう。などと、嘆くが、一方では、神仏に願いをかけて、祈りもする。




女どもも、男子どもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきにたり。心のうちにこそいそぎ思へど、京のことは、いや遠ざかるやうに隔たりゆく。物おぼし知るままに、世をいと憂きものにおぼして、年三などし給ふ。二十ばかりになり給ふままに、生ひ整ほりて、いとあたらしくめでたし。この住む所は、肥前の国とぞいひける。そのわたりにも、いささか由ある人は、先づこの少弐の孫の有様を聞き伝へて、なほ絶えずおとづれ来るも、いといみじう、耳かしがましきまでなむ。




娘たちも、息子たちも、土地相応の相手が、それぞれ出来て、住み着いてしまっている。心の内では、焦るが、京へ帰ることは、いよいよ遠退く気持ちで、隔たるのである。姫君は、物心がつきはじめると、世の中を、とても辛いものと、思い、年三などをされる。二十歳くらいになると、顔形が整い、こんな所には、惜しい美しさである。一家の住む所は、肥前の国といった。その辺りでも、少し由緒ある家の者は、第一に、この少弐の孫の様子を、噂に聞いて、今も変わりなく、次々に訪ねて来るのだが、煩くて、耳に喧しいほどである。

年三、ねんざう、とは、一年のうちで、正月、五月、九月の前半15日の間、精進して、来世を祈ることを言う。




太夫の督とて、肥後の国に族広くして、かしこにつけてはおぼえあり、勢ひいかめしき兵ありけり。むくつけき心の中に、いささか好きたる心まじりて、かたちある女を集めて見むと思ひける。この姫君を聞きつけて、督「いみじきかたはありとも、我は見隠して待たらむ」と、いとねんごろに言ひかかるを、いとむくつけく思ひて、乳母「いかで、かかる事を聞かで、尼になりなむとす」と言はせたりければ、いよいよあやふがりて、おしてこの国に越え来ぬ。




太夫の督といって、肥後の国に、一族が沢山いて、国の中でも、人望があり、大変な勢いの武士たちがいた。荒々しい心の中に、好き心があり、器量の良い女を集めて、自分の傍に置きたいと思っていた。が、この姫君のことを、聞きつけて、酷い不具でも、我が目を瞑り、世話をしようと、心を込めて、求婚するのが、気味悪く、乳母は、とても、そんなこと。こんな話は聞かずに、尼になるのだと言います。と、言わせたところ、益々心をかけて、無理矢理、この国に、押し掛けて来た。

督、げん、とは、大宰府の三等官で、五位に当る。

むくつけき心の中に
荒々しい。今では、野獣系男子であろうか。




この男子どもを呼びとりて語らう事は、督「思ふ様になりなば、同じ心に勢ひをかはすべきこと」など語らふに、二人はおもむきにけり。二人「しばしこそ、似げなく、あはれと思ひ聞えけれ、おのおのわが身のよるべと頼まむに、いとたのもしき人なり。これに悪く数まへられ奉らず、世に知られでは、何のかひかはあらむ。この人の、かくねんごろに思ひ聞え給へるこそ、今は御幸なれ。さるべきにてこそは、かかる世界にもおはしましけめ。逃げ隠れ給ふとも、何のたけき事かはあらむ。負けじ魂に怒りなば、せぬことどももしてむ」と言ひおどせば、いといみじと聞きて、中の兄なる豊後の介なむ、豊後「なほいといたいたしく、あたらしき事なり。故小弐の宣ひし事もあり。とかく構へて、京にあげ奉りてむ」といふ。




この家の、息子たちを、呼び寄せて、言うことは、思いが叶えば、仲間になり、力を貸しあおう、などと、相談を持ちかけるので、二人は、そちらに付いてしまった。
その息子の二人は、初めのうちは、身分こそ違い、気の毒だと思ったが、我々の後ろ盾とするのは、とても頼もしい男だ。これに憎まれては、この辺りでは、世渡りが出来ないだろう。貴い方の血筋だといっても、親御に認められていず、世間にも、知られていないのでは、何の役の立つのか。この方が、このように親切に思い寄せているのであるから、今となっては、幸せであろう。このような運であった以上は、負けない気で怒ると、どんな事でも、するでしょう、と、脅すのである。困ったものだと、聞いていたが、一番上の息子である、豊後の介が、矢張り、けしからん、勿体無いことだ。亡き、小弐の、ご遺言もある。何とかして、京に、お連れもうそう、と言う。

豊後は、現在の大分県。
介とは、次官のことで、従六位上相当である。

数まへられ
子として、数の中に、入れてある。子として、扱うのである。
られ、は、受身。

何やら、物語らしくなってきた。
ただ、矢張り、心情が、こんがらかっているので、よく読まなければ、解らない。

だが、物語は、面白いか、否かである。
これは、面白い。

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2012年05月03日

もののあわれについて559

女どもも泣き惑ひて、「母君の、かひなくて、さすらへ給ひて、行方をだに知らぬかはりに、人なみなみにて見奉らむとこそ思ふに、さるものの中に交り給ひなむこと」と思ひ嘆くをも知らで、「我はいと覚え高き身」と思ひて、文など書きておこす。手などきたなげなう書きて、唐の色紙かうばしき香に入れしめつつ、をかしく書きたり、と思ひたる言葉ぞ、いとたみたりける。みづからも、この家の次郎を語らひとりて、うちつれて来たり。三十ばかりなる男の、丈高く、ものものしく肥りて、きたなげなけれど、思ひなしうとましく、荒らかなるふるまひなど、見るとゆゆしく覚ゆ。色あい心地よげに、声いたう枯れてさへづり居たり。懸想人は、夜に隠れたるをこそ、よばひとは言ひけれ、様かへたる春の夕暮れなり。秋ならねども、あやしかりけりと見ゆ。




娘たちも、なきうろたえて、母君が、残念なことに、家を出て行ったままに、行方さえ解らない。その報いに、人並みになって欲しいと思うのに、そんな者のところに、縁を作ろうとは、と嘆くことを、監は知らず、自分は、とても人望のある者なのだ、と思い、手紙など書いて寄こす。
字は、下手でもなく、舶来の色紙を香り高い香で、十分に焚き染め、気のきいたように書きたいと思うが、文字が、実は、とても訛りが多いのだ。自分自身も、この家の、次郎を味方に引き入れて、連れ立って来た。
三十くらいの男で、背が高く、どっしりと太って、見苦しくはないが、気のせいか、嫌な感じで、声は、酷くしわがれて、喋っている。懸想人とは、夜に紛れて来るからこそ、夜這いと言うのに、風変わりな、春の夕暮れです。秋ではないのに、人恋しいのでしょう。

最後は、作者の言葉。

秋ならねども
古今集
いつとても 恋しからずは あらねども 秋のゆふべは あやしかりけり




心を破らじとて、祖母おとど出で会ふ。監「故少弐のいと情けび、きらきらしくものし給ひしを、いかでかあひ語らひ申さむ、と思ひ給へしかども、さる心ざしをも見せ聞えず侍りし程に、いと悲しくて、かくれ給ひにしを、そのかはりに、いかうに仕うまつるべくなむ、心ざしをはげまして、今日はいとひたぶるに強ひて侍ひつる。このおはしますらむ女君、筋ことに承れば、いとかたじけなし。ただなにがしらが、私の君と思ひ申して、いただきになむささげ奉るべき。おとどもしぶしぶにおはしげなることは、よからぬ女どもあまたあひ知りて侍るを、聞し召し疎むななり。さりとも、すやつばらを、ひとしなみにはし侍りなむや。わが君をば、后の位におとし奉らじものをや」など、いとよげに言ひ続く。




機嫌をそこねまいと、祖母が出て会う。監は、故少弐は、とても情け深く、まぶしいほど、立派でありましたので、なんとか、お近づきを得たいと、存じておりました。その願いも、申し上げないうちに、残念にも、お亡くなりになってしまったので、その代わりに、心を尽して、姫に、お仕え申すために、気を出して、今日は、精一杯にして、やってきました。こちらに、おいで遊ばす、姫君は、貴いお血筋と賜わっておりますので、まことに勿体無いこと。ただもう、拙者の、ご主人と思い申し上げて、頭の上に、おしい抱きましょうぞ。祖母君も、しぶり気味でいる様子を、それは、いやしい女どもを、沢山世話して、いることを、聞いて、嫌っているとのこと。そうとしても、そんな者どもを、どうして、同じように、扱いましょうか。わが姫君をば、后の位にも負けさせないない積もりなのに、などと、ひどくうまい話しを喋り続ける。

よからぬ女どもあまた知りて
知る、とは、所有するという意味。




乳母「いかがは。かく宣ふを、いと幸ありと思う給ふるを、宿世つたなき人にや侍らむ。思ひ憚ること侍りて、いかでか人に御覧ぜられむと、人知れず嘆き侍るめれば、心苦しう、見給へわづらひぬる」と言ふ。監「さらにな思し憚りそ。天下に目つぶれ、足折れたまへりとも、なにがしは仕うまつりやめてむ。国の内の仏神は、おのれになむ靡き給へる」など誇り居たり。その日ばかりといふに、「この月は季の果なり」など、田舎びたる事を言ひのがる。下がりて行くきはに、歌よままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、


君にもし こころたがはば 松浦なる 鏡の神を かけて誓はむ

この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひ給ふる」と、うち笑みたるも、世づかずうひうひしや。




乳母は、どういたしまして。こんなにおっしゃって下さることは、とても幸せだと、存じますが、運の悪い子なのでしょうか、人並みではない事がありまして、どうして、人に嫁いだり出来ようと、一人静かに、嘆いておりました。可愛そうで、私も、困っているのです、と言う。
監は、決して、遠慮されるな。目が潰れ、足が折れていようとも、それがし、お世話申して、治しましょう。国中の神仏が、自分について下さっています、などと、自慢している。これこれの日に、お迎えにと言うので、今月は、季節の終わりゆえ、など、田舎びた事を行ってごまかす。帰る間際に、歌を詠みたくなったので、やや長く思案して、


姫君に対して、私が心変わりしましたら、どんな罰でも、受けますと、松浦の鏡の明神にかけて、誓います。

この和歌は、うまく詠めたと存じます。と、にっこりとしているのが、女の相手をしたことがなく、初心なものだ。

世づかずうひうひしや
世、とは、男女の仲をいう。
ここでは、男女のやり取りに慣れていないというのである。
作者の言葉である。

乳母、監、作者の思い、こもごもと入り、まともな文章ではない。
だが、これから、日本の文学が始まるのである。

推理小説にように、楽しむ読み方もあるかもと、思う。
これは、誰の心境か・・・

前後の、文の間を見て、納得する場合もあり、それでない場合もある。

玉葛は、別の作者であることが、よく解る段である。

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2012年05月04日

もののあわれについて560

あれにもあらねば、返すべくも思はねど、女どもに詠ますれど、女「まろはまして物も覚えず」とて居たれば、いと久しきに思ひわびて、うち思ひけるままに、

乳母
年をへて 祈る心の たがひなば 鏡の神を つらしとや見む

と、わななかし出でたるを、監「待てや、こはいかに仰せらるる」と、ゆくりかに寄り来るけはひに、おびえて、おとど色もなくなりぬ。女たち、さは言へど心強く笑ひて、女「子の人の様ことにものし給ふを、ひき違へ侍らば、つらく思はれむを、なほほけほけしき人の、神かけて聞えひがめ給ふなめりや」と説き聞かす。監「おい、さりさり」とうなづきて、監「をかしき御口つきかな。なにがしら田舎びたり、といふ名こそ侍れ、口惜しき民には侍らず。都の人とても何ばかりかあらむ。みな知りて侍り。な思しあなづりそ」とて、また詠まむと思へれども、堪へずやありけむ、往ぬめり。




乳母は、おろおろして、返歌できそうにないと思うが、娘たちに詠ませようとしても、私は、なお更に、気が遠くなりそうです、と、言って動かず、あまり長引くのに、困り果てて、心に浮かんだままに、

乳母
長年に渡り、願いをかけていましたが、叶わぬことになったら、鏡の明神をお恨み申すことでしょう。

と、声を震えさせて、返事をしたところ、監は、待てよ、これは、何とおっしゃる、と不意に近づいて来る。その気配に、怯えて、祖母の顔色が変わった。
娘たちは、そのように言ったが、強気で笑い、この姫君は、困ったことがありますので、もし、この話しが壊れたら、恨めしく思うでしょう。何としても、耄碌した人で、神様を出して、変なことを、申したのでしょう、と説明する。監は、ああそうか、と頷き、結構な歌です。私などは、田舎くさいと言われていますが、つまらない、百姓では、ありません。都の方とて、どれほどのことがあろうか。歌くらいは、皆知っています。馬鹿になさっては、なりません、と、言い、もう一首を詠もうと思ったが、中々出来ずに、帰って行くようだ。

ひき違へ侍らば
ひきたがへ、とは、姫の幸を祈ってきたが、それが、無駄になる、期待とは、違うという、意味。

乳母は、こんな男に娶られるなどとは・・・との、歌であるが、娘たちは、いえいえ、ほけほけしき人、呆けた人の言うことと、誤魔化すのである。




次郎が語らひとられたるも、いと恐ろしく心うくて、この豊後介をせむれば、豊後「いかが仕うまつるべからむ。語らひ合はすべき人もなし。まれまれの兄弟は、この監に同じ心ならずとて、仲違ひにたり。この監にあたまれては、いささかの身じろきせむも、所狭くなむあるべき。なかなかなる目をや見む」と思ひわづらひにたれど、姫君の人知れず思いたる様のいと心苦しくて、生きたらじ、と思ひ沈み給へる、ことわりと覚ゆれば、いみじき事を思ひ構へて、出で立つ。妹たちも、年頃経ぬるよるべを棄てて、この御供に出で立つ。あてきと言ひしは、今は兵部の君といふぞ、添いて、夜逃げ出でて舟に乗りける。




次郎が、あちら側に着いていることも、恐ろしく情けなく思えて、この豊後の介を責めると、どのようにして、差し上げたらいいのだろう。相談できる人もいない。数少ない、弟は、私が監に賛成しないと言い、仲違いしてしまった。監に、睨まれては、少しの身動きも出来ない。何かしようものなら、かえって、酷い目に遭うかもしれない。と、心配するのだが、人に隠れて、悲しんでいる、姫君の様子が、とても辛く、生きていまいと、沈みこんでいるのも、当然のことと思い、思い切った決心をして、その地を出発する。妹たちも、長年連れ添った夫を捨てて、この姫君のお供に、出発する。あてき、といっていたのは、今は、兵部の君というが、それが付き添って、夜に、逃げ出して、舟に乗ったのである。

いよいよ、船出の場面である。




大夫の監は、肥後に帰り行きて、四月二十日のほどに、日取りて来むとするほどに、かくて逃ぐるなりけり。姉おもとは、類広くなりて、え出でたたず。かたみに別れ惜しみて、あひ見むことの難きを思ふに、年経つる古里とて、ことに見棄て難きこともなし。ただ松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。

浮島を 漕ぎ離れても 行く方や いづくとまりと 知らずもあるかな

ゆく先も 見えぬ波路に 船出して 風にまかする 身こそ浮きたれ

いとあとはなかき心地して、うつぶし伏し給へり。




大夫の監は、肥後に帰り、四月二十日頃に、日を決めて、迎えに来ようというので、こうして、逃げるのだった。姉君は、子供が多くて、出発する事が出来ない。互いに別れを惜しみ、再び会うことも、難しいと思うと、長年住んだ土地だから、去りがたいということはないが、ただ松浦の宮の渚と、この姉君に別れるのが、ついつい振り返り見ることで、悲しく思うのだった。

浮き島を漕いで、離れたものの、この先、どこへ泊まり、どうなるのか、解らない。

行く先も見えず、この広い海に船出して、風に行方を任せる私の身の上こそ、辛いものです。

とても、不安な気持ちで、姫君は、うつぶせに、臥している。

姉おもと
おもと、とは、敬意や、親しみを示して、言う。

類広く、とは、一族、家族、知人を言う。

この辺りは、物語らしい雰囲気である。
わくわくさせるのである。
物語の作り方が、練られて行く過程である。



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2012年05月27日

もののあわれについて561

かく逃げぬる由、自ら言ひ出で伝へば、負けじ魂にて追ひ来なむ、と思ふに、心も惑ひて、早船といひて、様異になむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、あやふきまで走りのぼりぬ。ひびきの灘もなだらかに過ぎぬ。「海賊の船にやあらむ、ちひさき船の、飛ぶやうにて来る」などいふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにや、と思ふに、せむ方なし。

憂きことに 胸のみ騒ぐ 響きには ひびきの灘も さはらざりけり




こうして、逃げたことが、誰言うとなく、伝わるならば、負けん気を起こして、追って来るだろうと思うと、心うろたえ、早舟といい、特別に造ったものなので、その上、思い通りの風が吹き、不思議なほどに、走るのである。ひびきの灘も、何事もなく、過ぎた。海賊の船かもしれぬ。小さな船が、飛ぶように追って来るなどと言う者がいる。海賊の欲深さのある者よりも、あの恐ろしい、監が追ってくるのではないかと思うと、どうしてよいのか、解らない。

この憂き事で、胸が騒ぐ動悸には、ひびきの灘の響きほど、応えることもしない。

ひびきの灘、とは、播磨、兵庫県である。




川尻といふ所近づきぬ、といふにぞ少し生き出づる心地する。例の船子ども「唐泊より川尻おすほどは」と、謡ふ声のなさけなさも、あはれに聞ゆ。豊後の介、あはれになつかしう謡ひすさみて、豊後「いとかなしき妻子も忘れぬ」とて、思へば、「げにぞみなうち棄ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。われを悪しと思ひて追ひまどはして、いかがしならむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで出でにけるかな」と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。「胡の地の妻児をば空しくすててつ」と誦するを、兵部の君聞きて、「げにあやしのわざや、年頃従ひ来つる人の心にも、にはかにたがひて、逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」と様々思ひ続けらる。




川尻というところに、近づいたという、声を聞いて、少し生き返った気持ちがする。あの、船子どもの、唐泊また川尻と漕ぐうちは、という謡う声の、荒々しいのも、しんみりと、聞える。豊後の介も、感動して心に沁みる歌いようで、本当に、愛しい妻子も忘れた。歌い、考えてみると、よくも、皆を捨てて来たものだ。どうしているだろう。しっかりして、頼りになる、郎等どもは、皆、自分が連れて来た。監は、私を憎らしく思い、妻子を追い回して、どんな目に遭わせることだろう、と、思うと、年甲斐もなく、妻子を捨てて、飛び足したものだと、少し落ち着いた頃になり、分別の無いことだったと、次々と思われ、いくじなくも、つい泣いてしまう。
胡の地の妻児をば空しく捨てすてつ、と、詠ずるのを、兵部の君が耳にして、本当に変なことをしたものだ。長年従ってきた夫の気持ちにも、急に背いて、逃げ出したのを、どう思っているのか、と、あれこれ、次々に、心に浮かんでくる。

川尻、とは、淀川が生みに流れ出る場所。

胡の妻児をば空しく捨てすてつ
白氏文集より。




かへる方とても、その所と行き着くべき古里もなし、知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人も覚えず。ただ一所の御為により、ここらの年月住みなれつる世界を離れて、浮かべる波風に漂ひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにし奉らむとするぞ、とあきれて覚ゆれど、いかがはせむとて、いそぎ入りぬ。




帰る先といっても、どこそこに、落ち着くことの出来る家もない。知り合いとして、頼りになる人も、浮かばない。ただ、この方お一人のために、長年住み慣れた土地を離れて、長い波路を風に任せて、越えてきた。思案のしようもない。このお方をも、どのようにして差し上げようとするのか、と、途方に暮れる。今更、どうしようかと思って、急ぎ、都に入った。

古里もなし
住む家も無い。




九条に、昔知れりける人の残りたりけるを、とぶらひ出でて、その宿りをしめおきて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女商人の中にて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先悲しき事多かり。豊後の介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれに、ならはぬ有様のたづなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類にふれて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。




九条通りに、昔知り合いだった人が残っていたのを、捜し出して、一同の宿と決めたが、都の中とは、いいながら、相当の身分の人の住んでいる所ではなく、卑しい物売りの女や、商人の中にいて、うっとうしく、世間を思いつつ、秋になるにつれて、これまでのこと、これからのことと、何かと、悲しくなるのである。
豊後の介という、頼りにする男も、全く、水鳥が陸に上がって、戸惑うような気がして、何もすることのないままに、慣れない生活の難しさを思うと、帰ろうにも、具合が悪くて、年甲斐もなく、飛び出してきたことが、悔やまれるばかりである。付いて来た、従者たちも、縁故を求めて、逃げ去り、元の国、筑紫にぽつりぽつりと、帰ってしまった。

これは、乳母の長男の思いであろう。
乳母は、大弐の妻である。

何とも、心もとない心境である。
だが、物語は、これから急展開を見せる。

八幡参詣、長谷参詣と、続き、そして、右近と出会うのである。
そして、右近によって、源氏へと報告される。

この展開は、物語らしくなってくる。


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2012年05月28日

もののあわれについて562

住みつくべきやうもなきを、母おとど明暮嘆きいとほしがれば、豊後「何か、この身はいとやすく侍り。人ひとりの御身に代へ奉りて、いづちもいづちも罷り失せなむに咎あるまじ。われらいみじき勢ひになりても、わが君を、さる者の中にはふらし奉りしては、何心地かせまし」と語らひ慰めて、豊後「神仏こそは、さるべき方にも導き知らせ奉り給はめ。八幡の宮と申すは、かしこにても、参り祈り申し給ひし松浦・箱崎同じ社なり。かの国を離れ給うとても、多くの願立てて申し給ひき。今、都にかへりて、かくなむ御験を得て、罷り上がりたると、早く申し給へ」とて、八幡にまうでさせ奉る。そのわたり知れる人に言ひ尋ねて、五帥とて、早く親の語らひし大徳残れるを、呼びとりて、まうでさせ奉る。




都に住む手立てのないことを、母が朝に夕に嘆き、申し訳ないと、気の毒がるので、豊後が、なあに、私は何とも思いません。姫君御一人にお代わりして、どこへなりと、流れて行き、行方も知れずになっても、誰も何も言いません。私たちが、豪奢な身になっても、姫君を、あんな者どもの中に置いては、どんな気持ちがしましょうか、と、言葉を尽して語り、安心させる。神仏こそは、こんな時に、良いようにしてくれるでしょう。近い所で、八幡宮と申すのは、向こうでも、参ってお祈りした松浦と箱崎と、同じ神社です。あの国を離れる時も、沢山の願いを立てて、お祈りいたしました。今、都に帰り、そのお陰を頂いて、都に上れましたと、早くお礼をおっしゃいませ、と言って、八幡に、お参りさせるのである。
その辺りのことを知る人に、色々と尋ねて、五帥の中に、ずっと以前に付き合いのあった、高僧が、まだ生きているので、呼んで来て、お参りさせる。

まうでさせ奉る
お参りを申し上げる。
つまり、敬語の複雑な言葉になるので、お参りさせて差し上げる・・・とか・・・
今では、使えない、敬語のあり様である。

さる者の中にはふらし奉り
さる者とは、監ような者で、はふらす、とは、落ちぶれるという意味で、その中にいれば、落ちぶれるというのである。

八幡の宮とは、石清水八幡宮のこと。




豊後「うち次ぎては、仏の御中には、長谷なむ、日の本の中には、あらたなる験あらはし給ふと、唐土にだに聞えあんなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、年経給ひつれば、わが君をばまして恵み給ひてむ」とて出だし立て奉る。ことさらに、徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地にいとわびしく苦しけれど、人のいふままに、物も覚えで歩み給ふ。「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世になくなり給へりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひ給へ。もし世におはせば、御顔見せ給へ」と仏を念じつつ、ありけけむさまをだに覚えねば、ただ親おはせましかば、とばりの悲しさを嘆きわたり給へるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、とりかへしいみじく覚えつつ、からうじて、椿市という所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着き給へり。




豊後は、次に、み仏の中では、長谷が、日本のうちで、あらたかなご利益を得られると、唐土まで評判になっています。わが国のうちで、遠い辺鄙な所といえ、長年過ごしていらっしゃるのだから、姫君は、一層の、お助けがありますでしょう。と言い、初瀬に立たせて差し上げる。
わざと、歩いて行く事に決めた。慣れない身には、とても情けなく、苦しいが、人の言うままに、夢中でお歩きになる。
姫は、どのような罪深い身で、こうした辛い世間をさ迷っているのだうろか。母様は、この世に、いないとしても、私を可哀相だと思うなら、居られる所に、お連れ下さい。もし、生きているならば、お顔を見せてください、と仏に祈りつつ、昔の面影さえ思い出せず、ただ、母様がいればと、悲しく思い続けているが、この、差し当って、今の難儀に、改めて辛く思いつつも、やっとのことで、椿市という所に、四日目の、巳の刻頃に、生きた心地もせず、辿り着いたのである。

突然、姫が、主語の文になるのである。




歩むともなく、とかく繕ひたれど、足の裏動かれず、わびしければ、せむ方なくて休み給ふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三四人、女ばらある限り三人、壺装束して、ひすましめく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。いとかすかに忍びたり。大御明の事など、ここにてしくはへなどする程に、日暮れぬ。家あるじの法師、「人やどし奉らむとする所に、何人のものし給ふぞ。あやしき女どもの、心に任せて」とむつかるを、めざましく聞く程に、げに人々来ぬ。




歩くのでもなく、あれこれと、手当てをしたが、足の裏が傷み、動かれない。我慢できずに、仕方なく、お休みになる。
この頼りにしている、介と、弓矢を持った者二人、それに下男や童などが、三、四人、女たちは、皆で、三人、壺装束をして、ひすまし風の者のほか、年寄ったはした女二人ばかりが、一行である。
とてもひっそりと人目を避けて、来ている。お灯明の準備などを、ここで予定以上に整えているうちに、日が暮れた。宿の主人の法師は、他の方を泊める積もりなのに、どなたがおいでいなのか。けしからぬ女どもが、勝手なことをして、と文句を言うのを、嫌な気持ちで、聞いていた。そうすると、人々がやって来た。





これも徒歩よりなめり。よろしき女二人、下人どもぞ、男女かず多かんめる。馬四つ五つ牽かせて、いみじく忍びやつしたれど、清げなる男どもなどあり。法師は、せめてここに宿さまほしくして、頭掻き歩く。いとほしけれど、また宿りかへむも様あしく、わづらはしければ、人々は奥に入り、外に隠しなどして、かたへは片つ方に寄りぬ。軟障など引き隔てておはします。この来る人も恥づかしげもなし。いたうかいひそめて、かたみに心使ひしたり。




この人たちも、歩いて来たようだ。卑しからぬ女が二人、供の者も男女数多くいるらしい。馬を、四、五ひかせて、特に目立たぬようにしているが、身綺麗な男などもいる。法師は、どうにかして、ここに泊まらせたい様子で、頭を撫でつつ、おろおろしている。気の毒に思うが、宿を変えるのは、大変で、面倒なので、人々は、奥に入ったり、他の部屋に隠れたりして、残りは、隅のほうに寝る。襖などを間に仕切り、姫がいらっしゃる。新しく来た人も、気を使うような相手でもない。とても、ひっそりとして、互いに、遠慮しているのである。

ここが、名場面となるのである。
この、相手が、姫の母である、夕霧に仕えた、右近である。
玉葛の一つのクライマックスなのだ。


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2012年05月29日

もののあわれについて563

さるは、かの世と共に恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はしたなきまじらひの、つきなくなり行く身を思ひなやみて、この御寺になむ、度々詣でける。例にならひければ、かやすく構へたりけれど。徒歩より歩み堪へ難くて、寄り臥したるに、この豊後の介、隣の軟障のもとに寄り来て、参りものなるべし、折敷手づから取りて、豊後「これは御前に参らせ給へ。御台などうちあはで、いとかたはらいたしや」といふを聞くに、わがなみの人にはあらじ、と思ひて、物のはざまよりのぞけば、この男の顔、見し心地す。




実は、あのいつまでも、涙と共に、姫君を慕っていた右近なのである。
年月のたつにつれて、生半可な奉公が居心地悪くなってゆくわが身を案じて、このお寺に、度々、御参りするようになった。幾度も来て、慣れているので、身軽に、してきたのだが、歩いて来たので、我慢できず、横になっていると、豊後の介が、隣の障子のところにやって来て、召し上がるものなのだろう、お盆を手に持ち、これは、姫君に差し上げてください。お膳などなく、誠に恐縮です。と言うのを聞いて、自分などのような身分の人ではないと、思い、障子から覗くと、この男の顔に見覚えがある、気がする。

ドラマであれば、名場面である。
つまり、ドラマ性が出て来たのである。
紫式部の手ではないことは、確かである。

物語作りが、進化してきたのである。




誰とは覚えず。いと若かりし程を見しに、太り黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分かぬなりけり。豊後「三条、ここに召す」と、呼び寄する女を見れば、また見し人なり。故御方に、下人なれど、久しく仕うまつりなれて、かの隠れ給へりし御住処まで、ありし者なりけり、と見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、「この女に問はむ。兵藤太といひし人も、これにこそあらめ。姫君のおはするにや」と思ひよるに、いと心もとなくて、この中へだてなる三条を呼ばすれど、食物に心入れて、とみにも来ぬ、いとにくし、と覚ゆるもうちつけなりや。




右近は、誰だとは、思い出せない。若い頃を知っていたのに、今は、太り、色が黒くなって、みすぼらしい身なりであり、長年見ないでいた目には、すぐに見分けがつかないのである。豊後は、三条、こちらに、お呼び遊ばすと、呼び寄せる女を見ると、これも、知った顔である。亡き御方さまに、下々ながら、長く仕えていた、あの、お隠れされた御住まいまで、お供した者である。と気付いて、本当に夢のようだ。
主人と思える人は、誰か知りたくてたまらないが、見えそうにないのである。思い余って、この女に尋ねよう。兵藤太といったのも、この男に違いない。もしや、姫君がいらっしゃるのではないか、思うと、じっとしてはいられない。この仕切りのところにいる、三条を呼ばせたが、食べ物に気を取られて、すぐには、来ない。
本当に、憎らしい、と思う。とは、勝手なものです。

最後は、作者の言葉である。
兵藤太とは、豊後のむかしの名前であり、三条とは、下女のことである。

そして、いよいよ、出会いの名場面となる。




からうじて、三条「覚えずこそ侍れ。筑紫の国に、二十年ばかり経にける下衆の身を、知らせ給ふべき京人よ。人違にや侍らむ」とて寄り来たり。田舎びたるかいねりに、衣など着て、いといたう太りにけり。わが齢もいとど覚えて恥づかしけれど、右近「なほさしのぞけ。われをば見知りたりや」とて、顔さし出でたり。この女の、手を打ちて、三条「あが御許にこそおはしましけれ。あなうれしともうれし。何処より参り給ひたるぞ。上はおはしますや」と、いとおどろきおどろきしく泣く。若きものにて見なれし世を思ひ出づるに、へだて来るける年月かぞへられて、いとあはれなり。




ようやく、三条は、思いもかけぬことです。筑紫の国に、二十年ばかりも、暮らしていた、賎しい者を、見知ってくださるような、都の方がおられるなど。人違いでは、ありませんか。と言って、寄って来た。田舎びた、かいねりに、衣など着て、とても酷く太っていた。自分の年も、ひとしお思われて恥ずかしいが、右近が、よく見なさい。私を知っているか。と言い、顔を差しだした。この女は、はたと手を打ち、あなた様でしたか、ああ、嬉しい、嬉しい。どちらから、御参りなさっているのです。奥様は、おいで遊ばすのですか。と、大声を上げて泣く。若い姿を見慣れていた頃の事を思い出すと、過ぎ去った過去の年月の数も思われて、胸が熱くなる。

年月かぞへられて、いとあはれなり
年月を思うと、感無量である。

いと あはれ
とても、大変に、あはれ、なのである。

この、あはれ、で、すべてを語る。

かいねり、とは、練って柔らかくした絹である。





右近「先づおとどはおはすや。若君はいかがなり給ひにし。あてきと聞えしは」とて、君の御事は言ひ出でず。三条「皆おはします。姫君も大人になりておはします。先づおとどにかくなむと聞えむ」とて入りぬ。皆驚きて、「夢の心地もするかな。いとつらく、言はぬ方なく思ひ聞ゆる人に、対面しぬべきことよ」とて、この隔てにより来たり。気遠く隔てつる屏風だつもの、名残なくおしあけて、先づ、言ひやるべき方なく泣きかはす。




右近は、何より、乳母さまは、いらっしゃるのか。姫君は、どうなりました。あてき、と言った方は、と言い、女君のことは、言わない。三条は、皆、おいで遊ばします。姫君も、大人になって、おいでです。何よりも、乳母さまに、これこれだと、申し上げます。と言い、奥へ入った。
皆、驚き、夢のような気持ちがする。酷いと、言いようもないと、お恨みしている人に、対面することになるとは、と言い、仕切りに寄って来た。よそよそしく、仕切っていた屏風のようなものを、すっかり押し開けて、まず、言葉も交わせず、共に泣きあうのである。

おとど
一家の主人のこと。これは、夕霧の乳母、大宰少弐の妻のこと。

名残なくおしあけて
隔てていた気配も、残さず・・・

まさか、こんな所で、右近と、乳母たちが、再会するとは・・・
物語である。

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2012年05月30日

もののあわれについて564

老人は、ただ、「わが君はいかがなり給ひにし。ここらの年頃、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、遥かなる世界にて、風の音にても、お聞き伝へ奉らぬを、いみじく悲しと思ふに、老の身の残りとどまりたるもいと心憂けれど、うち棄て奉り給へる若君の、らうたくあはれにておはしますを、よみぢのほだしに、持てわづらひ聞えてなむ、またたき侍る」と言ひ続くれば、昔、その折、いふかひなかりし事よりも、答へむ方なくわづらはしと思へども、右近「いでや、聞えてもかひなし。御方は早う亡せ給ひにき」と言ふままに、三人ながらむせかへり、いとむつかしくせきかねたり。




老人、おいびと、ただ、御方様は、どのようになりましたのか。この長年、夢にでも、おいで遊ばす所を見たいと、大願を立てますが、遥か離れた田舎で、風の便りにさえ、聞く事が出来ないのを、酷く悲しく思うので、老いた、この身が後に残り、情けなく、残された、若君の、可愛くて、いとおしくいらっしゃるのが、あの世へ行く、妨げになり、どうして上げたらよいのかと、困り果て、目を閉じらずにいます。と、言い続ける。当時、話しをした時より、答えようもなく、困ったことだが、右近は、いえいえ、申し上げても、何にもなりません。御方さまは、もうお亡くなりになりました。と言うなり、三人が、涙にむせ返り、溢れる涙を抑えかねている。

老人とは、大弐の妻、姫君の乳母である。




日暮れぬ、といそぎたちて、御明かしの事どもしたためはてて、急がせば、なかなかいと心あわただしくして立ち別る。右近「もろともに」といへど、かたみに供の人のあやしと思ふべければ、この介にも、事の様だに言ひ知らせあへず。われも人もことにはづかしくもあらで、皆おり立ちぬ。右近は、人知れず目とどめて見るに、中にうつくしげなるうしろでの、いといたうやつれて、卯月のひとへめくものに、着こる給へる髪のすき影、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しう悲しと見奉る。




日が暮れてしまうと、あわてて、灯明の用意など整えて、人々が、急がせるので、再会したために、かえって、せわしない感じで別れる。右近は、一緒に行きましょうと言うが、お互いに、供の者が、変だと笑うであろうから、この豊後の介にも、事情さえ説明することも出来ずに、お互いが、気兼ねもなくなり、一同、外に出た。
右近は、そっと注意して見ると、人々の中に、美しい後姿で、とても忍んだ姿で、四月の頃の、単衣のようなものの下に、着込めて、髪の透けて見えるのを、勿体無いほど、立派に見えるのである。それを、たまらない思いで、いたわしいと、拝するのである。

着こめ給へる髪のすき影
長い髪を垂らして、その上から、薄物を着ているが、下の髪が透けて見えるのである。




すこし足なれたる人は、疾く御堂に着きにけり。この君をもてわづらひ聞えつつ、初夜行ふ程にぞ上り給へる。いとさわがしく、人詣でこみてののしる。右近が局は、仏の右のかたに、近き間にしたり。この御師は、まず深からねばにや、西の間に遠かりけるを、右近「なほここにおはしませ」と、尋ね交し言ひたれば、男どもをばとどめて、介にかうかうと言ひ合わせて、こなたに移し奉る。




少し歩き慣れている、右近は、早く御堂に着いた。乳母たちは、この姫君を介抱するのに、困りつつ、初夜の勤行の頃に、寺へ上がった。とても騒がしく、人々の御参りで、混雑している。右近の局は、本尊の右のほうで、近くにいる。一行の御師は、まだ地位が高くないせいか、西の間で、遠くだったのを、右近が、構いません、こちらへ、と捜しあってて、言うので、男たちは、そこに置いて、介にこれこれだと、打ち合わせして、こちらに移して上げるのだ。




右近「かくあやしき身なれど、ただ今の大殿になむ侍ひ侍れば、かくかすかなる道にても、らうがはしき事は侍らじと、頼み侍り。田舎びたる人をば、かやうの所には、よからぬ生者どもの、あなづらはしうするも、かたじけなきこと」とて、物語いとせまほしけれど、おどろおどろしき行ひのまぎれに、騒がしきにもほされて、仏をがみ奉る。右近は心の中に、「この人をいかで尋ね聞えむと申し渡りつるに、かつがつかくて見奉れば、今は思ひのごと、大臣の君の、尋ね奉らむの御心ざし深めるに、知らせ奉りて、幸あらせ奉り給へ」など申しけり。




右近は、こんなつまらない者ですが、今の大臣の御宅にお仕えしていますので、こんな少人数の道中でも、変な目に遭う事もありませんと、心丈夫に思っています。田舎めいた人を、このような所では、たちの良くない者どもが、小ばかにするのは、勿体ないことです、と言い、話しをもっとしたいが、やかましい勤行の声に紛れ、騒がしい辺りの様子に、混じり、仏を拝むのである。右近は、心の中で、このお方を、なんとかして探し出そうと、御願いしてきたところ、やっとのことで、こうして、お会いする事が出来たので、今は思いの通り、ご主人さまの、探し出そうとする御心が強いゆえ、お知らせして、御幸せにして、差し上げたいと、祈るのである。




国々より、田舎人多く詣でたりけり。この国の守の北の方も詣でたりけり。厳しく勢ひたるをうらみて、この三条がいふやう、「大悲者には他事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方ならずは、当国の受領の北の方になし奉らむ。三条らも、随分にさかえて、かへり申し仕うまつらむ」と、額に手をあてて念じ入りて居り。右近、いとゆゆしくも言ふかな、と聞きて、右近「いといたくこそ田舎びにけれな。中将殿は、昔の御おぼえだに如何におはしましし。まして今は、天の下を御心にかけ給へる大臣にて、いかばかりいつしき御中に、御方しも、受領の妻にて、品定まりておはしまさむよ」といへば、三条「あなかま、給へ。大臣たちもしばし待て。大弐の御館の上の、清水の御寺、観世音寺に参り給ひし勢ひは、帝の御幸にやは劣れる。あなむくつけ」とて、なほさらに手をひき放たず、拝み入りて居り。



国々から、田舎の人が、多く参っている。この国の、守の北の方も、参っているのだった。大した勢いなのを羨んで、この三条の言うことは、観音様には、他の事は、御願いしません。私の、姫様を、大弐の北の方でなければ、この国の受領の北の方して差し上げますように。三条らも、それなりに、出世して、お礼いたします。と、額を手に当てて、一心に祈るのである。
右近は、縁起でもないことを言うと、酷く田舎じみてしまったようですね。中将さまは、昔の御声望でも、どんなにしていらっしゃったか。今は、それ以上に、天下を御心のままに、なさっている大臣さまです。親子であられるのに、こちらさまが、受領の妻になるなんて。と言うと、三条は、いえいえ、止めてください。大臣とかも、暫く、置いてください。大弐の御宅の奥方が、清水のお寺、観世音寺に御参りなさったときの勢いは、帝の行幸に劣っていましたでしょうか。本当に嫌なことと、言って、一層、手を下ろさずに、一心に祈るのである。

大悲者
大慈悲者という意味で、観世音菩薩をいう。

ここで言う、中将とは、昔の源氏の位である。
いつかはしき御中、とは、いかめしい御間柄、親子であるということ。

ここでは、下女である、三条の心意気が、書かれている。
大臣などという、位は、信じられない、想像できないのだ。


posted by 天山 at 00:41| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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