2011年10月16日

もののあわれについて。536

かくて后居給ふべきを、「斎宮の女御をこそは、母宮も、御後見と譲り聞え給ひしかば」と、おとどもことづけ給ふ。源氏のうちしきり后に居給はむこと、世の人許し聞えず。「弘薇殿の、まづ人より先に参り給ひしにも如何」など、うちうちに、こなたかなたに心よせ聞ゆる人々、おぼつかながり聞ゆ。兵部卿の宮と聞えしは、今は式部卿にて、この御時にはましてやむごとなき御えぼえにておはする、御むすめ、ほいありて参り給へり。同じごと王女御にて侍ひ給ふを、「同じくは、御母方にて親しくおはすべきにこそ、母后のおはしまさぬ御かはりの後見にことよせて、似つかはしかるべく」と、とりどりに思し争ひたれど、なほ梅壺い給ひぬ。御さいはひの、かく引きかへすぐれ給へりけるを、世の人おどろき聞ゆ。




もはや、后に立つ儀があるはず。源氏は、斎宮の女御は、母宮も、陛下のお世話役にと、おっしゃっていたことだから、と、母宮のご遺言だと、主張される。
源氏から引き続き、皇后に立つことは、世間が賛成しない。
弘薇殿の女御が、誰よりも先に入内されたのは、何故だろう、などと、こちら側、あちら側に付く人々が、気を揉む。
兵部卿と申した方は、今は、式部卿で、今上の御代には、今まで以上にご信任が厚いのだが、その姫様が、望み叶い、入内された。
同様に、王女御として、お仕えしているが、同じ皇族なら、お母様の血筋で、今上に親しいはずの、こちらのほうに。お母様が、おいでにならない代わりの、お世話役ということで、よいと、それぞれに、競争される。だが、結局、梅壺が后になられた。
幸福が、お母様に打って変わって、優れていることを、皆が、驚くのである。

斎宮の女御とは、六条御息所の娘。
母宮とは、今上の母宮で、藤壺のこと。
式部卿とは、紫の上の父であり、藤壺の兄である。
梅壺が、入内したとは、その母、六条の御息所より、幸せだと、人が言うのである。




おとど、太政大臣にあがり給ひて、大将、内大臣になり給ひぬ。世の中の事どもまつりごち給ふべく、ゆづり聞え給ふ。人がらいとすくよかに、きらきらしくて、心もちいなども賢くものし給ふ。学問をたててし給ひければ、韻ふたぎには負け給ひしかど、おほやけ事にかしこくなむ。




殿様、源氏は、太政大臣になられた。大将は、内大臣になられた。
国政の実務を、処理されるように、内大臣に譲られる。内大臣は、性格が真面目で、きらきらしくて、心遣いなども、賢いのである。学問を熱心にやって、韻ふたぎには、負けたが、公の仕事、つまり、公務には、立派である。

大将だった、源氏が、太政大臣になり、その大将の位置を、内大臣に譲る。
その、内大臣の家族関係を、次に描いている。

きらきらしく
今で言えば、派手にしていた、と、なる。
きらきら、とは、輝くようなという意味でもある。現在も、そのように使われる。




腹々に御子ども十余人、おとなびつつものし給ふも、つぎつぎになり出でつつ、おとらずさかえたる御いへの内なり。女は女御と今一所となむおはしける。わかんどほり腹にて、あてなる筋はおとるまじけれど、その母君、按察使の大納言の北の方になりて、さしむかへる子どもの数多くなりて、それにまぜてのちの親にゆづらむ、いとあいなし、とて、とり放ち聞え給ひて、大宮にぞあづけ聞え給へりける。女御には、こよなく思ひおとし聞え給へれど、人がら容貌など、いとうつくしくぞおはしける。




幾人もの、妻妾に、お子様が、十数人、順々に成人していたが、次から次と、立身して、負けず劣らず、栄えている一族である。
女は、女御と、もう一人いらっしゃる。王族の方を母として、血統の点では、負けないはずなのだが、そのお母様が、あぜち大納言の北の方になり、今度の子供の数多くなり、そのお子様たちと、一緒にして、大納言に任せてはならないと、引き離し、おばあ様の、大宮に預けたのである。
女御より、軽く扱うが、人柄や、容貌などは、大変可愛らしくしていらした。





冠者の君ひとつにて生ひ出で給ひしかど、おのおの十にあまり給ひて後は、御方異にて、むつまじき人なれど、男子にはうちとくまじきものなり、と父おとど聞え給ひて、け遠くなりにたるを、をさなごこちに思ふ事なきにしもあらねば、はかなき紅葉につけても、雛遊びの追従をも、ねんごろにまつはれありきて、心ざしを見え聞え給へば、いみじう思ひ交して、けざやかには今も恥ぢ聞え給はず。御後見どもも、何かは、若き御心どちなれば、年ごろ見ならひ給へる御あはひを、にはかにも、いかがはもて離れはしたなめ聞えむ、と見るに、女君こそ何心なく幼くおはすれど、男は、さこそものげなき程と見聞ゆれ、おほけなくいかなる御中らひにかありけむ。よそよそになりては、これをぞ静心なく思ふべき。まだ片生なる手のおひさきうつくしきにて、書きかはし給へる文どもの、心幼くて、おのづから落ち散る折あるを、御方の人々は、ほのぼの知れるもありけれど、何かは、かくこそと誰にも聞えむ、見隠しつつあるなるべし。




冠者の君、つまり、夕霧の君は、同じ邸で、成長したが、どちらも十歳以上になってからは、部屋は別々で、親しい親類であるが、男の子には、仲良くするものではない、と父の内大臣が教えて、離れ離れに暮らしている。だが、子供心に、慕わしく思うこともないではない。何事もない、花や、紅葉につけて、人形遊びのご機嫌とりも、心から共にし、心の有様を、見せるもので、すっかりと、愛し合い、姫は、今も恥ずかしこともない。
お世話役たちも、小さな者同士なのだから、長年に渡り親しくしている関係を、急に離して、決まりの悪い思いをさせずともよいと、思っている。女君の方は、無邪気で、子供でいるが、男の方は、あんな子供と見ていたのに、小さいが、二人の間柄がどのようになったのか、と。
住まいが、別々になってからは、逢えないのが、気がかりでは、ないようである。
まだ、未熟ながら、将来の思われる可愛らしい筆跡で、やり取りされた、手紙も、子供だから、つい落として、人手に渡ったりし、姫君付きの女房たちは、大体察している者もあるが、どうして、このようなことを、どなたに申し上げようか。
知っていても、隠しているでしょう。

姫は、雲居雁のこと。
最後は、作者の言葉。

おほけなく いかなる御中らひにか ありけむ
身分不相応に、年に似ず・・・

静心 しずこころなく
騒ぐ心。この際は、逢えないことに、心騒ぐ。




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2011年11月10日

もののあわれについて。537

所々の大饗どもも果てて、世の中の御いそぎもなく、のどやかになりぬる頃、時雨うちして、萩の上風もただならぬ夕暮に、大宮の御方に、内の大臣参り給ひて、姫君渡し聞え給ひて、御琴など弾かせ奉り給ふ。




大臣、二人の任命披露の宴も、終わり、朝廷の御用もなく、ゆっくりとした頃に、時雨が落ちはじめて、荻の上葉を吹く風も、身に沁みて感じられる、夕暮れの時、大宮のお住まいに、内大臣が伺った。姫君も、そこへ呼んで、琴などを弾かせるのである。

萩の上風
秋はなほ 夕まぐれこそ ただならぬ 萩の上風 萩の下露
和漢朗詠集より




宮はよろづの物の上手におはすれば、何れも伝へ奉り給ふ。内大臣「琵琶こそ、女のしたるに憎きやうなれど、らうらうじきものに侍れ。今の世にまことしう伝へたる人、をさをさ侍らずなりにたり。何の親王、くれの源氏」などかぞへ給ひて、内大臣「女の中には、太政大臣の、山里にこめ置き給へる人こそ、いと上手と聞き侍れ。物の上手の後には侍れど、末になりて、山がつにて年経たる人の、いかでさしも弾きすぐれけむ。かの大臣、いと心ことにこそ思ひて宣ふ折々侍れ。他事よりは、遊びの方の才はなほ広うあはせ、かれこれに通はし侍るこそかしこけれ。ひとりごちにて、上手となりけむこそ、めづらしきことなれ」など宣ひて、宮にそそのかし聞え給へば、大宮「柱指すことうひうひしくなりにけりや」と宣へど、面白う弾き給ふ。




大宮は、何もかにも、上手であられるので、それをみな、お姫様に、教える。
内大臣は、琵琶は、女が弾いていると、不恰好みたいですが、見事な、音色です。今日、正しく弾き伝えている人は、まずまず、いなくなってしまいました。何々親王、何々源氏、と、数えて、女の中では、太政大臣、源氏が、山里において、いらっしゃる方が、誠の上手と、聞いております。名人の血統では、ありませんが、落ちぶれて、田舎に長年いた人が、どうして、そんなに、上手に弾くのでしょうか。あの大臣も、特別な人と、考えて、口にされることが、何度かあります。他の事とは違い、音楽の才能は、やはり、色々な人と、合奏し、あの人、この人を、精通してこそ、立派になるものです。一人で弾いていて、上手になったということは、あまり聞きません、などと、おっしゃり、宮に頼むと、大宮は、柱を押さえるのが、下手になってしまいました、と、おっしゃるが、見事に、弾かれる。

琵琶には、柱というものがある。
一般の琵琶は、四柱。琵琶法師のものは、五柱である。
その、柱を、押して、弦の強弱を調節する。




内大臣「幸にうち添へて、なほあやしうめでたかりける人や。老いの世に持給へらぬ女子をまうけさせ奉りて、身に添へてもやつし居たらず、やむごとなきにゆづれる心掟、事もなかるべき人なりとぞ聞き侍る」など、かつ御物語聞え給ふ。




内大臣は、幸運ばかりではなく、どう考えても、不思議なほどに、結構な人です。年になるまで、持たなかった、姫様を産んで差し上げ、自分の傍に置いて、みすぼらしくするのではなく、指も指されない身分のお方に、お渡しした事、咎めることも出来ない人だと、耳にします、などと、弾きつつ、お話になる。

幸にうち添へて
源氏の子を産むという、幸運である。
明石のこと。




内大臣「女はただ心ばせよりこそ、世に用いらるるものに侍りけれ」など、人の上宣ひ出でて、内大臣「女御を、けしうはあらず、何事も人に劣りては生ひ出でずかし、と思ひ給へしかど、思はぬ人におされいる宿世になむ、世は思ひの外なるものと思ひ侍りぬる。この君をだに、いかで思ふさまに見なし侍らむ。東宮の御元服ただ今のことなりぬるをと、人知れず思う給へ心ざしたるを、かういふ幸人の腹の后がねこそ、またおいすがひぬれ。立ち出で給へらむに、ましてきしろふ人あり難くや」とうち嘆き給へば、大宮「などか然しもあらむ。この家にさる筋の人いでものし給はで止むやうあらじ、と故大臣の思ひ給ひて、女御の御事をも、いたちいそぎ給ひしものを、おはせましかば、かくもてひがむる事もなからまし」など、この御事にてぞ、太政大臣もうらめしげに思ひ聞え給へる。




内大臣は、女は、気立て一つで、出世するものです、など、弾きながら、お話しになる。
そして、女御を、そうではなく、何事も誰にも負けずに、成人したと思っていましたが、思いによらない人に、負かされた不運により、この世は、案外なものと、思っていました。せめて、この人となりと、理想通りにしたいもの。東宮さまの、御元服も、もうすぐのことですし、密かに考えていたのですが、こういう幸運な人が生んだ、皇后の候補者が、また、追いついて、きました。入内されたら、一層競争相手は、いません、と嘆かれると、大宮が、どうして、そんなことがありましょう。この家に、そうなる方が、出ないで終わることは、あるまいと、亡くなった大臣が、思いになって、弘薇殿の女御の、入内にも、熱心に準備されました。生きていらしたら、こういう、酷い目に遭わなかったことでしょう、と、立后のことでは、太政大臣を、恨めしく思うのである。

思わぬ人とは、梅壺の女御のこと。
雲居雁が、大宮のところにいる。当然、こちらの姫が后になるはずと、話し合うが、梅壺が、なったことを、話し合うのである。




姫君の御さまの、いときびはにうつくしうて、筝の御琴弾き給ふを、御髪のさがり、かんざしなどの、あてになまめかしきをうちまもり給へば、恥ぢらひてすこしそばみ給へるかたはらめ、つらつきうつくしげにて、取由の手つき、いみじう作りたる物の心地するを、宮も限りなくかなしと思したり。掻き合わせなど弾きすさび給ひて、押しやり給ひつ。




姫君の、様子が、ひどく子供っぽく、可愛らしく、筝の琴を弾くのが、髪が下がるところ、髪の格好などの、品よく、美しいのを、父大臣が、じっと見つめていると、恥ずかしそうに、横を向く。その横顔の姿が、可愛らしくて、左手で、琴の緒を押える手つきが、上手に、作った人形のような感じであるのを、大宮も、この上なく、可愛いと思う。
掻き合わせなどを、軽く弾いて、姫は、琴を前に、押しやった。


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2011年11月11日

もののあわれについて。538

大臣和琴ひき寄せ給ひて、律の調のなかなか今めきたるを、さる上手の乱れて掻い弾き給へる、いと面白し。御前の梢ほろほろと残らぬに、老御達など、ここかしこの御凡帳の後に頭をつどへたり。内大臣「風の力けだしすくなし」と、うち誦し給ひて、内大臣「琴の感ならねど、あやしくものあはれなる夕かな。なほ遊ばさむや」とて、秋風楽に掻き合わせて、唱歌し給へる声いと面白ければ、皆さまざま、大臣をもいとうつくしと思ひ聞え給ふに、いとど添へむとにやあらむ、冠者の君参り給へり。




内大臣は、和琴を引き寄せて、律の調子の、今めきたる、今流行りな感じを、このような名人が、格式ばらずに、掻いたり、弾いたりするのは、実に面白いと、言う。
御前の、木の葉が、ほろほろと落ちて、年取った女房達が、あちこちの、御凡帳の後に、固まり聞いている。
内大臣は、風の力は、弱くとも、と、詩を朗詠して、琴のせいではないが、何か、泣けるような今宵です。もっと、弾きませんかと、秋風楽に調子を合わせて、唱歌している声が、非常に素晴らしいので、姫も大臣も、それぞれに、可愛いと、大宮は、思うのである。そこに、一層、興を増すためか、冠者の君、夕霧が、お出でになった。




こなたにとて、御凡帳隔てて入れ奉り給へり。内大臣「をさをさ対面もえ賜はらぬかな。などかく、この御学問のあながちならむ。才のほどよりあまりぬるもあぢきなきわざと、大臣も思し知れることなるを、書く掟て聞え給ふ、やうあらむとは思う給へながら、かう籠りおはすることなむ。心苦しう侍る」と聞え給ひて、内大臣「時々はことわざし給へ。笛の音にも古ごとはつたるものなり」とて、御笛奉り給ふ。いと若うをかしげなる音に吹きたてて、いみじう面白ければ、御琴どもをばしばしとどめて、大臣、拍子おどろしからずうち鳴らし給ひて、「萩が花ずり」などと謡ひ給ふ。




こちらへ、と、姫君が、御凡帳を隔てて、お入れした。
内大臣は、あまり、お目にかかれないことです。どうして、この御勉強が、ひどいのでしょう。学問が、身分に過ぎることは、よくないことと、大臣も、ご存知なのに、こうして、命じられるのは、訳があると思いますが、こんなに、引き籠っては、お気の毒です、と、おっしゃり、時には、別の事も、行うことです。笛の音にも、昔の聖賢の道は、伝わっているものです。と、笛を差し上げた。
若々しく、趣のある音色に吹いて、大変面白い。琴を弾くのをやめて、大臣が拍子を軽く取り、萩が花ずり、などと、お謡いになる。




内大臣「大殿も、かやうの御遊びに心をとどめ給ひて、御政どもをば、のがれ給ふなりけり。げにあぢきなき世に、心のゆくわざをしてこそ、過ぐし侍りなまほしけれ」など宣ひて、御土器まいり給ふに、暗うなれば、大殿油まいり、御湯漬くだものなど、誰も誰も聞し召す。




内大臣は、太政大臣も、こういう音楽にご熱心で、忙しい政治は、逃げてしまいます。全く、つまらない人生は、満足できることをして、日を送りたいものです、などと、おっしゃり、盃を進めるうちに、暗くなったので、灯をつけて、お湯漬けや、果物などを、どなたも、召し上がる。




姫君はあなたに渡し奉り給ひつ。しひて気遠くもてなし給ひ、御琴の音ばかりをも聞かせ奉らじ、と、今はこよなく隔て聞え給ふを、「いとほしき事ありぬべき世なるこそ」と、近う仕うまつる大宮の御方のねび人どもささめきけり。




姫君は、あちらに、移らせた。つとめて、二人の間を、遠ざけになり、お琴の音さえも、聞かせないようにして、今では、すっかり、引き離していらっしゃるので、お気の毒なことが、起こりそうな、仲が気になると、お二人に仕えている、大宮付きの年寄り達が、こそこそと、言うのである。




大臣出で給ひぬるやうにて、忍びて人に物宣ふとて立ち給へりけるを、やをらかい細りて出で給ふ道に、かかるささめ言をするに、あやしうなり給ひて、御耳とどめ給へば、わが御上をぞいふ。ねび人「賢がり給へど、人の親よ。自らおれたることこそ出でくべかめれ。子を知るはといふは、虚言なめり」などぞつきしろふ。「あさましくもあるかな。さればよ。思ひよらぬかな」と、気色をつぶつぶと心え給へど、音もせで出で給ひぬ。御前駆追ふ声のいかめしきにぞ、ねび人「殿は今こそ出でさせ給ひけれ。いづれの隈におはしましつらむ。今さへかかる御あだけこそ」と言ひ合へり。ささめき言の人々は、「いとかうばしき香のうちそよめき出でつるは、冠者の君のおはしまつるとこそ思ひつれ。あなむくつけや。しりうごとや。ほの聞し召しつらむ。わづらはしき御心を」と、わび合へり。




大臣は、邸を出られたようにして、こっそりと、女房を相手にしようと、そちらに出たのだが、そっと、小さくなり、出る際に、ひそひそ話しをしているので、変に思い、耳をすませると、自分のことを言う、陰口である。
年寄り連中は、利口ぶっていらっしゃるが、親は、あんな親だ。結局、変なことが起きる。子を知るのは、親だというのは、嘘でした。などと、言い合う。
大臣は、呆れたことだ。そうだったのか。考えつかないこともないが、子供だと思い、油断していた。何と言う、嫌な世の中だ、と、様子を一部始終、見たのである。こっそりと、抜け出した。
前駆の声が、堂々と聞えてくるので、女房達は、殿様は、今お邸から、お出で遊ばした。どこに隠れていらしたのか。今でも、こんな浮気をされるとは、と、言い合っている。
こそこそ噂をした連中は、とても良い匂いがして来たのは、冠者の君が、いらしたのだと、思いました。ああ、気味が悪い。陰口をお耳にされたのではないだろうか。煩いお方なのに、と、お互い、困っている。

何とも、面白い場面である。
人の陰口を耳にする、大臣である。
自分のことと、その娘のことを、言い合っている。
娘とは、雲居雁のことである。


posted by 天山 at 00:06| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月12日

もののあわれについて。539

殿は道すがら思すに、いと口惜しく、あしきことにはあらねど、めづらしげなきあはひに、世の人も思ひいふべきこと、大臣、しひて女御をおし沈め給ふもつらきに、わくらばに、人にまさることもやとこそ思ひつれ、ねたくもあるかな、と思す。殿の御中の、大方には、昔も今もいとよくおはしながら、かやうの方にては、いどみ聞え給ひし名残も思し出でて、心憂ければ、寝覚めがちにて明かし給ふ。大宮をも、さやうの気色は御覧ずらむものを、世になくかなしくし給ふ御孫にて、任せて見給ふならむ、と、人々の言ひし気色を、めざましうねたし、と思すに、御心動きて、すこし雄々しくあざやぎたる御心には、しづめ難し。




内大臣は、道々、考えになる。全然問題にならない、よくないこと、というのではないが、変わり映えしない、いとこ同士の結婚と、世間の人も思い、また言うだろう。大臣、源氏が、無理やりに、女御を抑えるのも、辛いが、もしかして、この姫が、あちらに、勝つこともあるかと、思ったのに、残念なことだと、思う。
源氏と、内大臣は、昔も今も、大方、とてもよくしているが、こうした、勢力争いでは、競争したことも、尾を引いて、嫌でたまらないのであり、眠れずに、夜を明かす。
大宮も、あの様子は、ご存知であろうに、またとなく、可愛がるお孫なので、好きにさせているのだろう、と、女房たちが、噂した話しを、恨めしい、憎らしいと、思うと、心穏やかではなく、少し男らしく、はっきりさせる、気性では、抑えかねるのである。




二日ばかりありて参り給へり。しきりに参り給ふ時は、大宮もいと御心ゆき、うれしきものに思いたり、御尼額ひき繕ひ、うるはしき御小ちぎなど奉りそへて、子ながらはづかしげにおはする御人ざまなれば、まほならずぞ見え奉り給ふ。大臣御気色あしくして、内大臣「ここに侍ふもはしたなく、人々いかに見侍らむと心おかれにたり。はかばかしき身に侍らねど、世に侍らむかぎり、御めかれず御覧ぜられ、おぼつかなき隔てなくとこそ思ひ給ふれ。よからぬものの上にて、怨めしと思ひ聞えさせつべき事の出で参うで来たるを、かうも思う給へじとかつは思ひ給ふれど、なほ静め難く覚え侍りてなむ」と、涙おしのごひ給ふに、宮けさうじ給へる御顔の色違ひて、御目も大きになりぬ。




二日ほどして、内大臣がお越しになった。引き続いて、お越しになる時は、大宮も、大変満足して、嬉しいことと、思うのである。
尼そぎの、額髪を手入れして、きちんとした、こうちぎ、などを重ねて、自分の子ながらも、ご立派である方ゆえ、横顔しか、見せないのである。
内大臣は、ご機嫌ななめで、こちらに、伺うのも、きまりが悪く、女房たちが、どう思うかと・・・気が引けてしまいます。甲斐性の無い私ですが、生きている限り、始終お目にかかり、親しく思い、どうしているのかと、解らないことのないようにと、思っていました。出来の悪い娘のことで、お恨み申し上げたくなることがありますので、出て来ましたのを、こんなに、恨むことはないと、一方では、思いつつ、それでも、我慢できかねるので・・・と、涙を拭く。
大宮は、化粧の顔の色が変わり、目も、大きく見開いた。

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2011年11月13日

もののあわれについて。540

大宮「いかやうなる事にてか、今さらの齢の末に、心おきては思さるらむ」と聞え給ふも、さすがにいとほしけれど、内大臣「たのもしき御蔭に、幼き者を奉りおきて、自らはなかなか幼くより見給へもつかず、先づ目に近きが、まじらひなどはかばかしからぬを見給へ嘆き営みつつ、さりとも人となさせ給ひてむ、と頼みわたり侍りつるに、思はずなることの侍りければ、いと口惜しうなむ。まことに天の下並ぶ人なき有職にはものせらるめれど、親しき程にかかるは、人の聞き思ふ所も、あはつけきやうになむ、何ばかりの程にもあらぬ中らひにだにし侍るを、かの人の御為にも、今めかしうもてなさるるこそをかしけれ。ゆかりつび、ねぢけがましきさまにて、大臣も聞き思すところ侍りなむ。さるにても、かかる事なむと知らせ給ひて、殊更にもてなし、すこしゆかしげある事をまぜてこそ侍らめ。幼き人々の心に任せて御覧じ放ちけるを、心憂く思う給ふる」など聞え給ふに、夢にも知り給はぬことなれば、あさましう思して、




大宮は、いったい、どんなことで、この年寄りに、水臭い考えをするのでしょう、と、おっしゃるのも、気の毒である。
内大臣は、頼もしい方と思い、幼い者を、御願いしました。私は、かえって、小さい頃から、何の世話をせずに、とりあえず、身近な娘が、宮仕えなどうまくゆかないことを心配し、あれこれ、苦労しながら、それでも、雲居雁を、立派な娘にしてくださるだろうと、頼りに、していました。でも、思いもかけないことがありまして、実に残念で、なりません。実際に、天下に、またとない有職ではいらっしゃるが、いとこ同士が結婚するのは、世間が聞けば、簡単すぎると、大した身分ではない連中も、考えております。あちらのことを、考えても、見苦しいことです。全くの他人で、裕福で、近づきでない所で、派手に、扱ってもらってこそ、よろしいのです。縁者同士では、感心できないことで、大臣も、お耳にして、不快に思いでしょう。それはそれとして、こういうことがあると、話してくださり、改まる待遇をし、少しは、人から見ても、いいなと思われるようなことを、しての事にしたいのです。小さい二人の思うままに、放っておくのは、心外に思います。などと、おっしゃるが、大宮は、全く知らないことなので、呆れてしまう。




大宮「げにかう宣ふも道理なれど、かけてもこの人々の下の心なむ知り侍らざりける。げに口惜しきことは、ここにこそまして嘆くべく侍れ。もろともに罪を負せ給ふは、うらめしき事になむ。見奉りしより、心殊に思ひ侍りて、そこに思し至らぬことをも、すぐれたるさまにもてなさむとこそ、人知れず思ひ侍れ。ものなげなき程を、心の間の惑ひて、いそぎものせむとは思ひよらぬことになむ。さても、誰かはかかる事は聞えけむ。よからぬ世の人の言につきて、きはだけしく思し宣ふも、あぢきなく、空しきことにて、人の御名や穢れむ」と宣へば、内大臣「何の浮きたる事にか侍らむ。侍ふめる人々も、かつは皆もどき笑ふべかめるものを。いと口惜しく、安からず思う給へらるるや」とて、立ち給ひぬ。




大宮は、それうですか、お言葉は、もっともなことですが、全く、あの二人の気持ちは、知りませんでした。本当に残念なことは、あなた以上に、嘆きたいほどです。二人と同罪のように考えられるのは、恨みます。雲居雁を、引き受けてから、特に可愛く思い、あなたの気がつかないことも、立派にしてやりたいと、私一人で考えていました。お話しにならない子供を、可愛いあまり、目が眩み、急ぎ結婚させようとは、考えもしません。それにしても、誰が、こんな事を、お耳に入れたのでしょう。身分の低い者たちの噂話で、大袈裟に考えて、口にされるのは、感心しません。でたらめな話で、雲居雁の名を傷つけないでしょうか。と、おっしゃる。
内大臣は、どうして、いい加減なことをいいましょう。お傍にいる、女房たちも、内々では、笑っているらしい様子。本当に、残念で、不快です。と、申して、お立ちになった。




心知れる人は、いみじういとほしく思ふ。一夜のしりうごとの人々は、まして心地もたがひて、何にかかる睦物語をしけむと、思ひ嘆きあへり。




事情を知る女房は、実に可哀想だと、思う。そして、あの夜の、陰口の連中は、それ以上に、仰天して、どうしてあのような噂話をしたのかと、一同、後悔しているのである。




姫君は、何心もなくておはするに、さしのぞき給へれば、いとらうたげなる御さまを、あはれに見奉り給ふ。内大臣「若き人といひながら、心幼くものし給ひけるを知らで、いとかく人なみなみにと思ひける、われこそまさりてはかなかりけれ」とて、御めのとどもをさいなみ給ふに、聞えむ方なし。




姫君は、無邪気でいらっしゃる。
内大臣は、部屋を覗かれたが、まことに可愛らしい様子で、胸篤く御覧になる。
内大臣は、若いといっても、特に子供ぽくしている様子に、気づかず、何とか、一人前にと思った私のほうが、しっかりしていなかった、と、思い、乳母たちに、責任を求めるが、乳母たちは、返事のしようがないのである。

あはれに見奉り
とても、可愛く見たのである。

われこそ まさりて はかなかりけれ
我こそ、まして、儚いものだ




乳母「かやうの事は、限りなき帝の御いつき女も、さるべき隙にてこそあらめ。これは、明け暮れ立ち交じ給ひて年頃おはしましつるを、何かはいはけなき御程を、宮の御もてなしよりさし過ぐしても、隔て聞えさせむと、うちとけて過ぐし聞えつるを、一昨年ばかりよりは、けざやかなる御もてなしになりにて侍るめるに、若き人とてもうち紛ればみ、いかにぞや、世づきたる人もおはすべかめるを、ゆめに乱れたる所おはしまさざめれば、更に思ひよらざりけること」と、おのがどち嘆く。




乳母は、こういうことは、陛下の大事な姫君でも、いつの間にか、間違いをする例は、昔物語にもあるようです。二人の気持ちを知り、仲介する女房が、隙をうかがって、引き合わすことがあって起きるのでしょう。お二人は、朝に晩に、ご一緒で、長い年月を過ごされましたから、どうして、小さなお二人を、大宮の扱いより、でしゃばって、隔てましょう。安心して、日を送っていましたが、一昨年ごろから、はっきりと、お二人を分ける扱いに変わりました。子供だと思っていた方も、人目を誤魔化して、どうしたことか、変なまねをする方も、おいでですが、若君は、けっして、ふざけた事もありません。まるで、思いもかけないことです。と、それぞれに、嘆くのである。


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2011年11月14日

もののあわれについて。541

内大臣「よし、しばしかかること漏らさじ。隠れあるまじきことなれど、心をやりて、あらぬ事とだに言ひなされよ。今かしこに渡し奉りしてむ。宮の御心のいとつらきなり。そこたちは、さりとも、いとかかれとしも思はざりけむ」と宣へば、いとほしき中にも、うれしく宣ふと思ひて、めでたきにても、ただ人の筋は何のめづらしさにか思う給へかけむ」と聞ゆ。姫君はいと幼げなる御さまにて、よろづに申し給へども、かひあるべきにもあらねば、うち泣き給ひて、いかにしてか徒になり給ふまじきわざはすべからむ、と、忍びてさるべきどち宣ひて、大宮をのみうらみ聞え給ふ。




内大臣は、しかたがない、暫くの間、ふたりの事は、人に知らせずにおこう。隠し切れないだろうが、何気ない風に、嘘だと、せめて言ってくれ。早速、私の方へ、お引取りしよう。宮のなさりようが、恨めしい。お前たちは、それでも、こんなになって欲しいと、思わなかっただろう、と、おっしゃる。可哀想だが、嬉しいことをおっしゃると、思い、乳母など、とんでもないこと、大納言さまのお耳に入ることを考えますと、結構な方でも、ただの臣下では、どの点をかって、ご結婚を願いましょうぞ、と、申し上げる。姫君は、見た目にも、大変子供の様子で、内大臣が、色々と注意されるが、何もわからないらしく、ほろりとされて、どうしたら、傷物にならずに済むことだろう、と、こっそりと、乳母たちと、相談されて、ひたすら、大宮を恨むのである。

大宮はそこまで、気が回らないのである。




宮はいといとほしとおぼす中にも、男君の御かなしさは優れ給ふにやあらむ、かかる心のありけるも、うつくしう思さるるに、情なくこよなき事のやうに思し宣へるを、などかさしもあるべき、もとよりいたう思ひつき給ふことなくて、かくまでかしづかむとも思したらざりしを、わがかくもてなしそめたればこそ、東宮の御事をも思しかけためれ、とりはづして、ただ人の宿世あらば、この君よりほかに勝るべき人やはある、容貌ありさまよりはじめて、等しき人のあるべきかは、これより及びなからむ際にも、とこそ思へ、と、わが心ざしのまさればにや、大臣を恨めしう思ひ聞え給ふ、御心の中を見せ奉りたらば、ましていかに恨み聞え給はむ。




大宮は、大変可愛いと思う、二人の中でも、男君、夕霧への愛情が、勝っていらして、このような気持ちを持っていたことというのも、可愛く思うが、内大臣が、思いやりもなく、酷い事のように思う、口ぶりであるゆえ、どうしてなのだろうか。もともと、それ程に、可愛がっていたわけでもなく、これほど大事にしようとも、思っていなかったはずなのに。自分が、こんなに世話をしてきたからこそ、東宮へのことも、考えるようになったのだ。思い通りに行かず、臣下に嫁ぐ運命なら、この君より、立派な人があろうか。容姿、姿をはじめ、並ぶことのできる人があろうか。この姫以上に、内親王とでも、結婚させようかとまで思うのに、と、我が愛情の強いゆえか、大臣を恨めしく思う。その御心を、見せたら、一層、酷く恨むだろうと、思うのである。

夕霧と、雲居雁のことで、人々が悩む様子である。




かく騒がるらむとも知らで、冠者の君参り給へり。一夜も人目しげうて、思ふことをもえ聞えずなりにしかば、常よりもあはれに覚え給ひければ、夕つ方おはしたるなるべし。宮、例は言ひ知らずうち笑みて、待ちよろこび聞え給ふを、まめだちて物語など聞え給ふついでに、大宮「御事により、内の大臣の怨じてものし給ひにしかば、いとなむいとほしき。ゆかしげなきことをしも思ひそめ給ひて、人に物思はせ給ひつべきが心苦しきこと。かうも聞えじ、と思へど、さる心も知り給はでや、と思へばなむ」と聞え給へば、心にかかれる事の筋なれば、ふと思ひよりむ。面赤みて、夕霧「何事か侍らむ。静かなる所に籠り侍りにし後、ともかくも人にまじる折なければ、うらみ給ふべきこと侍らじ、となむ思う給ふる」とて、いと恥づかしと思へる気色を、あはれに心苦しうて、大宮「よし、今よりだに用意し給へ」とばかりにて、他事に言ひなし給うつ。




騒がれているとは、知らず、夕霧が大宮の所に、上がった。先夜も、人目が多く、心の内を申し上げることが、できずに終わったので、いつもより、慕わしく思われたゆえ、夕方に、お出でになったのであろう。
大宮は、いつものように、嬉しくニコニコして、よく来ましたと言う。だが、今日は、真面目な顔で、お話しされるうちに、大宮は、あなたの事で、内大臣が恨みことを言いましたので、本当に、気の毒です。人が耳にして、感心しないことなどを望みになり、私に心配をかけるのが、辛いのです。こんなことを、お耳に入れまいと思いますが、そういう、事情も、知っておかれたほうがと、思いまして、と、おっしゃると、夕霧が心配していたことなので、すぐに気づいた。
顔が赤くなり、夕霧は、何事でございましょうか。静かな場所に籠もりましてからは、どのような交際もすることが、なくなりました。お恨みになるようなことは、ないだろうと思いますが、と、大宮の顔も、見られぬ様子で、可愛くもあり、可哀想でもあり、大宮は、よろしい。せめて、これからは、注意することです、とだけ言い、他の話しにしてしまったのである。

ゆかしげなこと
人が聞いても、面白くないことで、ここでは、いとこ同士の結婚を暗示する。

さる心も知り給はでや
内大臣が、二人の恋愛に、酷く立腹しているということをいう。

あはれに心苦しうて
可愛い、可哀想だ・・・
大宮の、心模様を、そのように、言う。

言葉にする、許容範囲を超える、心境をこそ、あはれ、となる。

人の心の、機微を、明確にして、表現することは出来ない。そこで、あはれ、という言葉を、縦横無尽に使い、それを、表現すると言う、日本文学の、最初である。

もののあはれ、について、を、書こうとすれば、こうして、延々として、書き続けことしかないのである。

仔細に、言葉の跡を辿ることを、放棄しては、堕落する。

日本人の、心象風景が、あはれ、という言葉を、支えて成り立つのである。


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2011年12月10日

もののあわれについて。542

いとど文なども通はむことの難きなめり、と思ふに、いとなげかし。物まいりなどし給へど、さらにまいらで、寝給ひぬるやうなれども、心も空にて、人しづまる程に、中障子を引けど、例はことに鎖し固めなどもせぬを、つと鎖して、人の音もせず。いと心細く覚えて、障子によりかかりて居給へるに、女君も目をさまして、風の音の竹に待ちとられて、うちそよめくに、雁の鳴きわたる声のほのかに聞ゆるに、幼きここちにも、とかく思し乱るるにや、雲居雁「雲居の雁もわがことや」と、ひとりごち給ふけはひ、若うらうたげなり。




今まで以上に、文のやり取りも、難しくなると思うと、まことに悲しい。大宮は、夕食を召し上がるが、君は、何も食べられず、休むようにしていたが、心は落ち着かない。皆が、寝静まる頃に、中の障子を引いてみると、いつもは特別に鍵をかけることもしないのに、しっかりと鍵がかかって、女房の声も聞えない。一人ぼっちの気持ちがして、障子に寄りかかると、女房も目を覚まして、吹く風が竹を震わせて、音を立てる。その一方で、雁が鳴きながら空を渡って行く、声が聞える。子供心にも、あれこれと、悩み、空飛ぶ雁も、私のように、悲しいのか、と、つい、独り言が漏れる様子で、若く可愛らしい。

最後は、作者の言葉である。

幼い心の恋である。




いみじう心もとなければ、夕霧「これあけさせ給へ。小侍従や侍ふ」と宣へど、音もせず。御めのと子なりけり。ひとりごとを聞え給ひけるも恥づかしうて、あいなく御顔も引き入れ給へど、あはれは知らぬにしもあらぬぞ憎きや。めのと達など近く臥して、うちみじろくも苦しければ、かたみに音もせず。

夕霧
さ夜中に 友呼びわたる かりがねに うたて吹きそふ 萩のうは風

身にもしみけるかな」と思ひ続けて、宮の御前にかへりて嘆きがちなるも、御目さめてや聞かせ給ふらむ、とつつましく、みじろき臥し給へり。




男君は、気が気でない。夕霧は、戸を開けて下さい。小侍従はいないのか、と、おっしゃるが、音もしない。小侍従とは、乳母の子である。独り言を言うのも、恥ずかしくなり、訳もなく、顔を衾の中に入れてしまった。恋心は、知らないでもないことは、憎いこと。乳母たちなどが、すぐに傍に寝ていて、少し動いても、大変である。
お互いに音も、立てない。

夕霧
真夜中に、友を呼びながら、飛んでゆく雁の声に、萩の葉ずれの音が、更に、吹き加えること。

身に沁みること、と、思い続けて、大宮の御前に戻り、すぐため息が出るが、大宮が目を覚まして、耳にされると思うと、遠慮して、もじもじと、横になっていらした。

身にもしみけるとは、
古今
吹きくれば 身にもしみける 秋風を 色なきものと 思ひけるかな
からである。




あいなくもの恥づかしうて、わが御方にとく出でて、御文かき給へれど、小侍従にもえ会ひ給はず、かの御方ざまにもえ行かず、胸つぶれて覚え給ふ。女はた、騒がれ給ひし事のみ恥づかしうて、わが身やいかがあらむ、人やいかが思はむとも深く思し入れず、をかしうらうたげにて、うち語らふさまなどを、うとましとも思ひ離れ給はざりけり。またかう騒がるべき事とも思さざりけるを、御後見どももいみじうあばめ聞ゆれば、え言もかよはし給はず。おとなびたる人や、さるべききひまをも作り出づらむ、男君も、今すこしものはかなき年の程にて、ただいと口惜しとのみ思ふ。




むやみに、顔を見られたくないと思い、自分の部屋に早くから入り、手紙を書いているが、小侍従にも、会うことができないのである。
雲居雁の部屋に、行くことも出来ず、辛くてたまらない。女は女で、騒ぎのもとになった事が、顔も赤くなる思いで、自分は、どうなるのか、世間がどう思うだろうかとは、別に気にしていない。美しく、可愛らしいのである。
女房たちが、噂する話しを聞いても、いやな人たちと、嫌いになることもない。それに、こんなに、大騒ぎするとは、思いもなかった。
世話役たちも、酷いことと、お叱りを受けるので、手紙を差し上げることもできない。もっと、大人なら、適当に機会を作り出せるが、男君も、まだ、心細い年頃で、ただ、残念だと、思うばかりである。

随所に、作者の思いが、入る。

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2011年12月11日

もののあわれについて。543

大臣はそのままに参り給はず、宮をいとつらしと思ひ聞え給ふ。北の方には、かかることなむと、気色も見せ奉り給はず。ただ大方いとむつかしき御気色にて、内大臣「中宮のよそほひことにて参り給へるに、女御の世の中思ひしめてものし給ふを、心苦しう胸いたきに、まかでさせ奉りて、心やすくうち休ませ奉らむ。さすがに、上につと侍はせ給ひて夜昼おはしますめれば、ある人々も心ゆるびせず、苦しうのみわぶめるに」と宣ひて、にはかにまかでさせ奉り給ふ。




内大臣は、あれ以来、こちらには来られず、宮を酷い方だと、思っている。
北の方には、こういうことがあったと、顔色にも、出さない。何となく、この頃は、ご機嫌の悪い様子なので、内大臣は、中宮は、大変な御仕度で、宮中にお入りでしたが、女御は、これからのことを心配して、お気の毒で、胸が痛むので、里下がりを願い、ゆっくりと、休ませて、上げましょう。何といっても、主上のお傍に、ずっと着かれて、夜昼と、おいでのようだから、お傍の女房たちも、気楽に出来ず、堪らないと、嘆いているようだ、とおっしゃり、急に、里に下がらせる。

中宮は、梅壺のこと。
内大臣は、雲居雁を、引き取ることにしたのである。

女御とは、弘薇殿の女御である。




御いとまもゆるされ難きを、うちむづかり給うて、上はしぶしぶに思しめしたるを、しひて御迎へし給ふ。内大臣「つれづれに思されむを、姫君わたして、もろともに遊びなどし給へ。宮にあづけ奉りたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよずけたる人立ちまじりて、おのづから気近きも、あいなき程になりたればなむ」と聞え給ひて、にはかに渡し聞え給ふ。




お許しは、難しいが、無理をいい、主上はしぶしぶだったが、無理やり、邸に連れてきた。内大臣は、お暇では、嫌だろうから、姫君をこちらに、お連れして、ご一緒に音楽でも、されるがいい。宮に預けていると、安心だが、ござかしくませた人が一緒にいて、どうしても、親しくする。それも、困る年頃になった、と、おっしゃり、急に自分の方へ、引き取ったのである。

さくじりおよずけたる人
作事る・・・
こざかしく振舞う。さしでがましい、との、意味。
これは、夕霧のことである。





宮いとあへなしと思して、大宮「ひとりものせられし女なくなり給ひて後、いとさうざうしく心細かりしに、うれしうこの君をえて、生ける限りのかしづきものと思ひて、明け暮れにつけて、老いのむつかしさもなぐさめむとこそ思ひつれ。思ひのほかに隔てありて思しなすも、つらくなむ」と聞え給へば、うちかしこまりて、内大臣「心にあかず思う給へらるる事は、しかなむ思う給へらるる、とばかり聞えさせしになむ。深く隔て思う給ふる事はいかでか侍らむ。うちに侍ふが、世の中うらめしげにて、この頃まかでて侍るに、いとつれづれに思ひて屈し侍れば、心苦しう見給ふるを、もろともに遊びわざをもしてなぐさめよ、と思う給へてなむ。あからさまにものし侍る」とて、内大臣「はぐくみ、人さなさせ給へるを、おろかにはよも思ひ聞えさせじ」と申し給へば、かう思し立ちにたれば、とどめ聞えさせ給ふとも思しかへすべき御心ならぬに、いと飽かず口惜しう思されて、大宮「人の心こそ憂きものはあれ。とかく幼き心どもにも、われに隔ててうとましかりける事よ。また、さもこそあらめ、おとどの、物の心を深う知り給ひながら、われを怨じて、かくいて渡し給ふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」とうち泣きつつ宣ふ。




大宮は、張り合いのない気持ちになり、一人だけいた姫が亡くなってからは、手持ち無沙汰で頼りなかったが、嬉しいことに、この姫を預かり、自分の生きている間中、お世話をしようと思い、朝な夕なに、年寄りの憂さ辛さを、慰めようと思っていたのに。意外に、冷たい心をお持ちなのが、辛いと、おっしゃると、内大臣は、恐縮して、心中不満であることを、このようにと、申し上げただけです。冷たくすることなど、どうしてありましょうか。宮中に仕える者が、御寵愛が失せたと、辛がりまして、近頃、里下がりをいたしましたが、する事もなく、塞いでおりましたので、気の毒に思い、一緒に遊び事でもして、気を紛らわせるのがよいと思い、ほんの暫く、引き取るものです、と、申して、育ててくださり、一人前にして下さった恩を、いい加減には、決して思うことは、ありません、と、おっしゃると、こう思い立った以上は、止めさせようとしても、思い直す性質ではないから、まことに、不愉快で残念に思い、大宮は、嫌なものは、人の心です、あれこれにつけて、幼い二人も、私に冷たくて、嫌なことでした。それに、子供は、そんなものであろうと、大臣は、物の道理が十分に解っているはずながら、私を怨んで、このように連れて行くとは、あちらでは、こちらより、安心なこともあるまい、と、泣きながら、おっしゃるのである。

ひとりものせられし女
葵の上のことである。




折しも冠者の君参り給へり。もしいささかの隙もやと、この頃は繁うほのめき給ふなりけり。内のおとどの御車のあれば、心の鬼にはしたなくて、やをら隠れて、わが御方に入りい給へり。内の大殿の君達、左の少将、少納言、兵衛の佐、侍従、丈夫などいふも、皆ここには参りつどひたれど、御簾の内は許し給はず。左衛門の督、権中納言なども、異御腹なれど、故殿の御もとなしのままに、今も参り仕うまつり給ふ事ねんごろなれば、その御子どももさまざま参り給へど、この君に似るにほひなく見ゆ。大宮の御心ざしも、なずらひなく思したるを、ただこの姫君をぞ、気近くうらうたきものと思しかしづきて、御かたはらさけず、うつくしきものに思したりつるを、かくて渡り給ひなむが、いとさうざうしきことを思す。




そこへ、丁度、冠者の君、夕霧がやってきた。
もしや、少しの隙でもないかと、この頃は、しきりに顔を出される。内大臣のお車があり、良心が咎めて、具合が悪く、こっそりと、隠れて、自分の部屋に入られた。内大臣の若い君達の、左少将、少納言、兵衛佐、侍従、丈夫なども、皆、こちらにご一緒に入られた。だが、御簾の中に、入ることは、許されなかった。今も、大宮の所に伺い、心から御用を頼まれているので、そのお子様たちも、それぞれに上がられるが、この君ほどの、美しさはない。大宮の愛情も、ひとしおだったのに、夕霧の移転の後は、この姫君一人を、身近な可愛い者と思い、大事にされて、いつもお傍に置き、可愛がっていらした。こんな事で、引き移るとは、と、寂しくて、堪らない、気持ちである。

この辺りは、一つの名場面である。
人の心の、綾が、見事に描かれている。

心の鬼には したなくて
気が咎める、のである。
幼い心の恋であるが、果たして、幼い心の恋が、ニセモノであるわけではない。

恋心は、一生のものである。

あはれ、とは、また、喜怒哀楽だけではなく、思い込みいの辛さ、儚さ、片恋、片思いの辛さなどなど・・・

内大臣の心、大宮の心、そして、夕霧の心、雲居雁の心、それぞれの心の綾を読み取るのである。


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2011年12月12日

もののあわれについて。544

殿は、「今の程に内に参り侍りて、夕つ方むかへに参り侍らむ」とて出で給ひぬ。いふかひなき事を、なだらかに言ひなして、さてもやあらまし、と思せど、なほいと心やましければ、人の御程のすこしものものしくなりなむに、かたはならず見なして、その程心ざしの深さ浅さのおもむきをも見定めて、ゆるすとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ、制しいさむとも、一所にては、幼き心のままに、見苦しうこそあらめ、宮もよもあながちに制し宣ふことあらじ、と思せば、女御の御つれづれにことづけて、ここにもかしこにもおいらかに言ひなして、渡し給ふなりけり。




内大臣は、少し参内して、夕方迎えに来ますと、ご挨拶して、出掛けた。今更言っても、しようがないことだから、穏便に言い、二人を一緒にしようか、と、思うが、やはり、癇に障るので、夕霧の身分が、少し、きちんとしたものになってから、一人前になったと、見てから、その時、姫への愛情が深いか、浅いかの様子を見極めて、許すにしても、きちんとした形にしてからにしよう。厳しく言っても、一緒にいては、子供だから、見ていられないことを仕出かすかもしれないし、宮も、まさか強く止めないだろうと、思い、女御の寂しがっていることを理由に、大宮にも、北の方にも、穏やかに、話をして、お連れになるのだった。

物語は、一人称だったり、三人称だったりと、混乱するが、これが、最初の物語の書き方である。というより、手本がないのであるから、物語の原型である。

原文のままに、人の心の機微に、触れるのが、いい。
ここにも かしこにも おいらかに 言ひなして
気配りである。

源氏物語は、気配りの勧めである。
もののあはれ、と、歌の道、そして、心の機微、気配りの、物語である。




宮の御ふみにて、「大臣こそ恨みもし給はめ、君は、さりとも心ざしの程も知り給ふらむ。渡りて見え給へ」と聞え給へれば、いとをかしげに引き繕ひて渡り給へり。十四になむおはしける。かたなりに見え給へど、いと児めかしう、しめやかに、うつくしきさまし給へり。大宮「傍さけ奉らず、明け暮れのもてあそび物に思ひ聞えつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残り少なき齢の程にて、御有様を見はつまじき事と、命をこそ思ひつれ。今更に見捨ててうつろひ給ふやいづちならむ、と思へば、いとこそあはれなれ」とて泣き給ふ。




大宮は、お手紙で、内大臣は、恨むでしょうが、あなたは、こうなっても、私の気持ちは、解るでしょう。いらして、顔を見せてください、と、おっしゃる。
姫は、見事に、装束を整えて、お出でになった。十四歳におなりになる。成熟し切ってはいられないが、鷹揚で、しとやかに、可愛らしい様子である。大宮は、そばを離れず、朝晩と、お世話をしてきましたのに、お別れすると、寂しくてたまらないことでしょう。余命のない私ですから、あなたの将来は、見届けることは、できないと、つくづく、寿命を考えます。今になって、私を見捨ててゆく先が、どこかと思うと、可哀想でなりません、と言い、泣くのである。





姫君は恥づかしきことを思せば、顔ももたげ給はで、ただ泣きにのみ泣き給ふ。男君の御乳母、宰相の君出で来て、宰相「同じ君とこそ頼み聞えさせつれ。口惜しくかく渡らせ給ふこと。殿はことざまに思しなることおはしますとも、さやうに思しなびかせ給ふな。など、ささめき聞ゆれば、いよいよ恥づかしと思して、物も宣はず。大宮「いで、むつかしき事な聞えられそ。人の宿世宿世、いと定め難く」と宣ふ。宰相「いでや、ものげなし、と、あなづり聞えさせ給ふに侍るめりかし。さりとも、げに、わが君や人におとり聞えさせ給ふ、と、聞し召し合はせよ」と、なま心やましきままに言ふ。





姫君は、何ゆえ恥ずかしいかと、思うので、顔も上げない。ひたすら、泣いてばかりである。男君の、御乳母の宰相の君が出てきて、同じく、ご主人様と思っておりました。惜しいことに、このように、お引き移り遊ばすこと。お父様は、他へ縁付けようとされましても、仰せの通りには、なりませんように。などと、小声で申し上げる。
いよいよ、顔も上げられない思いで、何も言わない。大宮が、さあさあ、面倒なことを、申し上げるでない。人の運命は、誰も、とうてい定めることのできないもの、と、おっしゃる。
宰相は、いいえ、いいえ。若様を一人前でないと、馬鹿にしているのでございます。今はそうでも、そちらの思い通り、若様が、負けるはずはないでしょう。どなたにでも、お聞きになってくださいませ、と、癪に障って言うのである。





冠者の君、物の後に入り居て見給ふに、人のとがめむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おしのごひつつおはする気色、御乳母いと心苦しう見て、宮にとかく聞えたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面せさせ給へり。かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、物もいはで泣き給ふ。夕霧「大臣の御心のいとつらければ、さばれ思ひ止みなむと思へど、恋しうおはせむこそ理なかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日頃、よそに隔てつらむ」と宣ふさまも、いと若うあはれげなれば、雲居雁「まろも然こそはあらめ」と宣ふ。夕霧「恋しとは思しなやむ」と宣へば、すこしうなづき給ふさまも、幼げなり。




冠者の君、夕霧は、物陰にいて、姫を御覧になっているが、人が見咎めるにせよ、普通の時は、辛くもあったが、今は、心細くて、たまらず、涙を拭いている様子を、御乳母が見て、気の毒に思い、大宮が、夕方で皆ざわめいている際に、姫に会わせた。
互いに、何やら恥ずかしく、胸が騒ぐばかりで、何も言わず、ただ泣くのである。
夕霧は、大臣のお考えが厳しいので、もういい、諦めてしまおうと、思いますが、矢張り、あなたを恋しく思うことでしょう。それが、たまらないのです。どうして、少し自由のある間、会う事無く、離れていたのか、と、おっしゃる様子も、見た目も、可哀想である。雲居雁は、私も同じこと、と、おっしゃる。
夕霧が、恋しいと、思って下さるのか、と、問うと、少し頷く姿も、幼い感じである。

いと 若う あはれげ なれば
とても若くて、あはれ気である。
初めて、あはれげ、という言葉が、出て来た。
あはれ、ではなく、あはれげ、なのである。
可哀想だ・・・

されば、とは、さもあらばあれ、である。
そうならば、そうしろ・・・
もう、どうでもいい・・・

現代に使用される言葉の、原型がある。

posted by 天山 at 00:13| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれについて。544

殿は、「今の程に内に参り侍りて、夕つ方むかへに参り侍らむ」とて出で給ひぬ。いふかひなき事を、なだらかに言ひなして、さてもやあらまし、と思せど、なほいと心やましければ、人の御程のすこしものものしくなりなむに、かたはならず見なして、その程心ざしの深さ浅さのおもむきをも見定めて、ゆるすとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ、制しいさむとも、一所にては、幼き心のままに、見苦しうこそあらめ、宮もよもあながちに制し宣ふことあらじ、と思せば、女御の御つれづれにことづけて、ここにもかしこにもおいらかに言ひなして、渡し給ふなりけり。




内大臣は、少し参内して、夕方迎えに来ますと、ご挨拶して、出掛けた。今更言っても、しようがないことだから、穏便に言い、二人を一緒にしようか、と、思うが、やはり、癇に障るので、夕霧の身分が、少し、きちんとしたものになってから、一人前になったと、見てから、その時、姫への愛情が深いか、浅いかの様子を見極めて、許すにしても、きちんとした形にしてからにしよう。厳しく言っても、一緒にいては、子供だから、見ていられないことを仕出かすかもしれないし、宮も、まさか強く止めないだろうと、思い、女御の寂しがっていることを理由に、大宮にも、北の方にも、穏やかに、話をして、お連れになるのだった。

物語は、一人称だったり、三人称だったりと、混乱するが、これが、最初の物語の書き方である。というより、手本がないのであるから、物語の原型である。

原文のままに、人の心の機微に、触れるのが、いい。
ここにも かしこにも おいらかに 言ひなして
気配りである。

源氏物語は、気配りの勧めである。
もののあはれ、と、歌の道、そして、心の機微、気配りの、物語である。




宮の御ふみにて、「大臣こそ恨みもし給はめ、君は、さりとも心ざしの程も知り給ふらむ。渡りて見え給へ」と聞え給へれば、いとをかしげに引き繕ひて渡り給へり。十四になむおはしける。かたなりに見え給へど、いと児めかしう、しめやかに、うつくしきさまし給へり。大宮「傍さけ奉らず、明け暮れのもてあそび物に思ひ聞えつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残り少なき齢の程にて、御有様を見はつまじき事と、命をこそ思ひつれ。今更に見捨ててうつろひ給ふやいづちならむ、と思へば、いとこそあはれなれ」とて泣き給ふ。




大宮は、お手紙で、内大臣は、恨むでしょうが、あなたは、こうなっても、私の気持ちは、解るでしょう。いらして、顔を見せてください、と、おっしゃる。
姫は、見事に、装束を整えて、お出でになった。十四歳におなりになる。成熟し切ってはいられないが、鷹揚で、しとやかに、可愛らしい様子である。大宮は、そばを離れず、朝晩と、お世話をしてきましたのに、お別れすると、寂しくてたまらないことでしょう。余命のない私ですから、あなたの将来は、見届けることは、できないと、つくづく、寿命を考えます。今になって、私を見捨ててゆく先が、どこかと思うと、可哀想でなりません、と言い、泣くのである。





姫君は恥づかしきことを思せば、顔ももたげ給はで、ただ泣きにのみ泣き給ふ。男君の御乳母、宰相の君出で来て、宰相「同じ君とこそ頼み聞えさせつれ。口惜しくかく渡らせ給ふこと。殿はことざまに思しなることおはしますとも、さやうに思しなびかせ給ふな。など、ささめき聞ゆれば、いよいよ恥づかしと思して、物も宣はず。大宮「いで、むつかしき事な聞えられそ。人の宿世宿世、いと定め難く」と宣ふ。宰相「いでや、ものげなし、と、あなづり聞えさせ給ふに侍るめりかし。さりとも、げに、わが君や人におとり聞えさせ給ふ、と、聞し召し合はせよ」と、なま心やましきままに言ふ。





姫君は、何ゆえ恥ずかしいかと、思うので、顔も上げない。ひたすら、泣いてばかりである。男君の、御乳母の宰相の君が出てきて、同じく、ご主人様と思っておりました。惜しいことに、このように、お引き移り遊ばすこと。お父様は、他へ縁付けようとされましても、仰せの通りには、なりませんように。などと、小声で申し上げる。
いよいよ、顔も上げられない思いで、何も言わない。大宮が、さあさあ、面倒なことを、申し上げるでない。人の運命は、誰も、とうてい定めることのできないもの、と、おっしゃる。
宰相は、いいえ、いいえ。若様を一人前でないと、馬鹿にしているのでございます。今はそうでも、そちらの思い通り、若様が、負けるはずはないでしょう。どなたにでも、お聞きになってくださいませ、と、癪に障って言うのである。





冠者の君、物の後に入り居て見給ふに、人のとがめむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おしのごひつつおはする気色、御乳母いと心苦しう見て、宮にとかく聞えたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面せさせ給へり。かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、物もいはで泣き給ふ。夕霧「大臣の御心のいとつらければ、さばれ思ひ止みなむと思へど、恋しうおはせむこそ理なかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日頃、よそに隔てつらむ」と宣ふさまも、いと若うあはれげなれば、雲居雁「まろも然こそはあらめ」と宣ふ。夕霧「恋しとは思しなやむ」と宣へば、すこしうなづき給ふさまも、幼げなり。




冠者の君、夕霧は、物陰にいて、姫を御覧になっているが、人が見咎めるにせよ、普通の時は、辛くもあったが、今は、心細くて、たまらず、涙を拭いている様子を、御乳母が見て、気の毒に思い、大宮が、夕方で皆ざわめいている際に、姫に会わせた。
互いに、何やら恥ずかしく、胸が騒ぐばかりで、何も言わず、ただ泣くのである。
夕霧は、大臣のお考えが厳しいので、もういい、諦めてしまおうと、思いますが、矢張り、あなたを恋しく思うことでしょう。それが、たまらないのです。どうして、少し自由のある間、会う事無く、離れていたのか、と、おっしゃる様子も、見た目も、可哀想である。雲居雁は、私も同じこと、と、おっしゃる。
夕霧が、恋しいと、思って下さるのか、と、問うと、少し頷く姿も、幼い感じである。

いと 若う あはれげ なれば
とても若くて、あはれ気である。
初めて、あはれげ、という言葉が、出て来た。
あはれ、ではなく、あはれげ、なのである。
可哀想だ・・・

されば、とは、さもあらばあれ、である。
そうならば、そうしろ・・・
もう、どうでもいい・・・

現代に使用される言葉の、原型がある。

posted by 天山 at 00:14| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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