2007年05月03日

もののあわれ71

もののあわれについての、70回にあたり、ここで、私と視点を全く異にするが、実に、よく、言霊、コトダマについてを、明確にしている、作家、井沢元彦氏の文を紹介する。

これによって、よりバランスの取れた、言霊についてを、知ることになる。

勿論、私の説を支持しても、井沢氏の説を支持しても、それは、皆の自由である。

私は、言霊を布教しているのではない。
ありのままを、述べているのである。
井沢氏の説のように、歴史学者をはじめとする、多くの、それにまつわる、学者たちが、言霊を知らない、また、知っても、無視する、重要視しないという、恐ろしい、偏狭と教養の無さに愕然とする。

日本史は、言霊を理解しなければ、真に、理解に至らない。
このような、素人の私に解って、プロの学者に解らないとは、如何なることか。実に、不思議である。
もしや、彼らは、アホなのかもしれない。
または、言霊を取り上げることに、恐怖しているのかもしれない。つまり、それを知らないからである。学者の沽券に関わることだと思っているのかもしれない。
そして、井沢氏が指摘するように、実は、彼らは、コトダマ信仰に、見事に嵌っているのである。

「言霊とは「万葉集」の基本概念であると同時に、現代の日本人をも拘束する、「信仰」でもある。
こんなことを言うと、ほとんどの人は「そんなことは信じられない」と言うだろう。
私はかつてこの問題について、そのものずばり「言霊」という本を書いたことがある。この本の副題は「なぜ日本に本当の自由が無いのか」である。お察しの通り私は「言霊がある限り、日本に本当の自由は無い」と主張しているのだ。
言霊とは何か。
簡単に言えば、言葉に霊力があるという考え方のことである。」

「だから、今でも受験生のいる家庭では「すべる」とか「落ちる」といった言葉を口にしない。
これは「すべる」という言葉を口にする、(コトアゲする)と、「受験にすべる」という「現実」が起こる、と心の底で信じているからだ。言葉の発声(コトアゲ)と「現実」の間に因果関係を認めているから、「縁起でもないこと言わないで」ということになる。」
「もしコトダマなどまったく信じていないなら、何を言われても平気なはずだ。ちなみに「縁起」はもともと仏教用語で「因果関係」の意味がある。つまり「縁起でもない」と言うこと自体、「コトアゲによってコトダマを発動させて(原因)現実に(結果)を与えるな」と、無意識に言っているわけで、これこそまさにコトダマへの「信仰告白」なのである。」

「私は日本の戦後平和は、安保(日米安全保障条約)と自衛隊という「優れた警備システム」があったからこそ保たれたのだと思う。しかし、「進歩的文化人」をはじめとして日本には「戦後平和は憲法のおかげ」という理屈に合わないことを主張する人々が、まだまだたくさんいる。
どうして、そうなのか。
もう、おわかりだろう。コトダマである。
コトダマの世界では、「平和、平和」と「一億が火の玉」になって念じていれば「平和」になるのである。つまり、「平和憲法」というものがコトダマ信仰の対象になってしまっているからである。」

そして、井沢氏は言う。
「日本国憲法は、国連憲章とは違ってあくまで日本人だけを拘束するルールである。外国人はそんなルールを守る義務も責任もない。つまり、日本の近くに、「日本を侵略してやろう」という人間(国家)がいたとしても、それに対する歯止めには成り得ないのである。」

実に、真っ当な、言霊の捉え方である。

私とは、全く別の角度から、言霊を見据えている。
これを、参考にすると、私の言霊に対するエッセイの意味も、よく解る。

ただし、井沢氏が、さらに突っ込んで言う、万葉集の意味、つまり、鎮魂歌集が、「万歳を言祝ぐ歌集」であるという。また、万葉集の四割が挽歌、すなわち、「人の死を悲しむ歌」であることも、然り。
ただ、鎮魂を、タマフリであったというのは、違う。
鎮魂は、御魂鎮めであり、タマフリは、魂振りであり、別物である。
これは、文献による研究では、解らない。故に、致し方ない。

「タマフリは、魂を体にふり憑けることである。それがさらに遊離して行かないように魂をおさえ鎮める、タマシズメの意義を持って来る。要するに鎮魂は長寿を祈る呪術である。」

これは、正しい。
しかし、古神道、私の霊学からは、鎮魂、魂鎮めと、魂振りは、意味が違う。
魂振りは、カルマ解消のための、一つの手段であり、鎮魂、魂鎮めは、心神合一の境地である。
心神合一とは、高い霊界との意識の同通である。
だが、井沢氏が、これを知る必要はない。
彼は、作家である。宗教家ではない。

そして、私も、鎮魂を求めることはない。
魂振りについては、日常生活で、やっている。生きることは、魂振りの行為行動である。
鎮魂は、死んでからやればいい。

ちなみに、井沢氏の、引用した本は、逆説の日本史3である。
古代言霊編、平安建都と万葉集の謎、である。
読むに値する、論文である。

いずれにせよ、日本人は、一度、言霊についてを知るべきである。
そこから、新しい時代や、文明に向かって行くべきだ。
そのために、日本の伝統である、言霊を学ぶべく、教育に関しても、云々すべきである。

おかしいのは、進歩的文化人とか、共産、社会主義者、等々が、このコトダマ信仰にやられていることである。
最も、日本の伝統を嫌うものどもが、コトダマ信仰にやられているということ、実に、笑う。
母屋にいて、母屋の有様を批判し、非難する様は、子供の、ダハンコキ、反抗心と同じである。
ああ、哀れ。

次回より、再び、万葉集を読み続ける。


posted by 天山 at 00:00| Comment(0) | もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月01日

もののあわれについて。491

左方「なよ竹の世々にふりにけることをかしきふしもなけれど、かぐや姫のこの世の濁りにもけがれず、はるかに思ひのぼれる契り高く、神代のことなめれば、浅はかなる女、目及ばぬならむかし」と言ふ。右は、「かぐや姫の上りけむ雲居はげに及ばぬことなれば、誰も知りがたし。この世の契りは竹の中に結びければ、下れる人のこととこそは見ゆめれ。ひとつ家の内は照らしけめど、ももしきのかしこき御光には並ばずなりにけり。安陪のおほしがちぢのこがねを捨てて、火鼠の思ひ片時に消えたるもいとあへなし。車持の親王の、まことの蓬莱の深き心も知りながら、いつはりて玉の枝に疵をつけたるをあやまちとなす」絵は巨勢の相覧、手は紀の貫之書けり。紙屋紙に唐の綺をはいして、赤紫の表紙、紫檀の軸、世の常の装なり。





左の方は、これは、なよ竹の世々を重ねた、古い物語で、別に興あることもありませんが、かぐや姫が、この世の濁りにも汚れず、はるかに、気高く天に昇った運も立派で、神代のことのようですから、浅はかな女の目では、わからないでしょう、と言う。
右は、かぐや姫が、登ったという、天は、仰るとおり、目には見えないものですから、誰にも、解りません。この世の縁は、竹の中で結んで、生まれたのですから、素性の卑しい人と、思えます。体の光で、一軒の家の中が、照らされたでしょうが、入内を拒んで、宮中の、畏れ多い、御光、つまり、天子には、並ばず、后になりませんでした。
安倍のおほしが、千金を投じて、火鼠の、かわごろもを買った切ない思いが、火に焼かれ、片時の間に、消えてしまったことも、あっけない。車持の親王が、本当の蓬莱山の、難題は、姫に深い心あってのことと、知りつつ、偽物を造り、玉の枝にも、身にも、疵をつけたことは、つまらないことです。と、言う。
竹取物語は、絵が、巨勢のおおみ。字は紀貫之が、書いている。紙屋紙に、唐の綺で、裏打ちをして、赤紫の表紙に、紫檀の軸で、ありふれた表紙である。





右方「俊蔭は、激しき波風におぼほれ知らぬ国に放たれしかど、なほさして行きけるかたの心ざしもかなひて、つひにひとのみかどにもわが国にもありがたき才の程をひろめ、名を残しける古き心をいふに、絵のさまももろこしと日の本とを取り並べて、おもしろきことどもなほ並びなし」といふ。白き色紙、書き表紙、黄なる玉の軸なり。絵は常則、手は道風なれば、今めかしうをかしげに、目も輝くまで見ゆ。左にはそのことわりなし。






右方は、俊蔭は、激しい波風に、もてあそばれ、異国の空に、追いやられました。だが、最初は、希望したところに行く事が出来て、とうとう外国にも、わが国にも、世に稀な音楽の才能を、知らせ、名を後世に残した、趣深い点から言うと、絵のさまも、唐と、和を取り合わせて、面白い点が、色々あり、他に、比べるものが、ありませんと、言う。
白い色紙、青い表紙、黄色の玉の軸である。
絵は、常則、字は、道風で、当世風で立派であり、目も眩いばかりに見える。
左の方には、それを、打ち負かす、理屈がなかった。





次に伊勢物語に、正三位を合わせて、また定めやらず。これも右はおもしろくにぎははしく、内わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを画きたるは、をかしう見所まさる。平内侍、

伊勢の海の 深き心を たどらずて ふりにしあとと 波や消つべき

世の常のあだごとのひきつくろひ飾れるにおされて、業平が名をやくたすべき」とあらそひかねたり。右のすけ、

雲のうへに 思ひのぼれる 心には 千ひろの底も はるかにぞ見る

中宮「兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在中将の名をば、えくたさじ」と宣はせて、宮、

見るめこそ うらふりぬらめ 年へにし 伊勢のあまの 名をや沈めむ

かやうの女言にて、乱れがはしく争ふに、一巻に言の葉をつくして、えも言ひやらず。りただあさはかなる若人どもは、死にかへりゆかしがれど、上のも宮のも片はしをだにえ見ず。いといたう秘めさせ給ふ。




次に、伊勢物語に、正三位を合わせて、今度も、中々勝負がつかない。
これも、右方が、興味深く、派手で、宮中の有様をはじめとして、近頃の世の中の、有様を描いたのも、面白く、見所も多い。
左の平内侍は、

伊勢物語の、深い、趣を考えずとも、古臭いと、けなしても、いいのでしょうか。

世間の普通の、恋愛沙汰を、面白く書いたものに、圧倒され、業平の名を、汚しても、よいのでしょうか、と、たじたじである。
右の大弐の典侍は、

宮中に上がった、正三位の心から、伊勢の海の、千尋の底も、遥かに、低く見下される。伊勢物語など、見劣りします。

中宮は、兵衛の大君の、気位の高さは、いかにも、結構だが、在五中将の、名を汚すことは、できません、と、おおせられ、

少し見たところは、古臭いだろうが、昔から、有名な伊勢物語の、名声を、けなせようか。

と、判定される。

このような、女同士の、論議で、とりとめもなく、勝負を競うので、一巻の判定に、幾首も歌を詠みあい、中々、終わらない。
ただ、心得の少ない若い女房たちは、死ぬほど、見たがるが、主上づきの女房も、中宮づきの女房も、一部さえ、見る事が出来ないほど、たいそう、秘密になさったのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月02日

もののあわれについて。492

おとど参り給ひて、かくとりどりに争ひ騒ぐ心ばへども、をかしく思して、源氏「同じくは、お前にてこの勝負定めむ」と宣ひなりぬ。「かかる事もや」とかねて思しければ、中にもことなるは選りとどめ給へるに、かの須磨明石の二巻は、思す所ありて取りまぜさせ給へり。中納言もその御心おとらず。





大臣、源氏も、参内されて、このように、各自が、論争する趣向を、興味深く思い、同じことなら、御前で、この勝負を定めようと、仰るまでになった。
源氏は、こんなこともあろうかと、前から思っていた。中でも、特別なものは、選んで、残しておいたのが、須磨と明石の、二巻は、考えがあり、この度に、加えた。
中納言も、その気持ち、源氏に負けないものがある。





この頃の世には、ただかくおもしろき紙絵をととのふることを、天の下いとなみたり。源氏「今あらため画かむことは本意なきことなり。ただありけむ限りをこそ」と宣へど、中納言は人にも見せで、わりなき窓をあけて画かせ給ひけるを、院にもかかる事聞かせ給ひて、梅壺に御絵ども奉らせ給へり。




この頃の世間では、このように、興味深い、紙絵を集めることが、世の中の風潮であった。
源氏は、今更、改めて、描かせるのは、面白くない。ただ、持ち合わせたものだけを、と、仰るが、中納言は、人にも隠して、秘密の一室を作り、描かせるのだ。そして、院におかせられても、このようなことを、お伝えして、梅壺に、絵を差し上げるのだった。


当時の、遊びが、解る。
名人の描いたものから、自分が描いたものまで。
それを、集めて、皆で、判定をするのである。



年の内の節会どものおもしろく興あるを、昔の上手どものとりどりに画けるに、延喜の御手づから、事の心かかせ給へるに、またわが御世の事も画かせ給へる巻に、かの斎宮の下り給ひし日の大極殿の儀式、御心にしみて思しければ、画くべきやうくはしく仰せられて、公茂が仕うまつれるが、いといみじきを奉らせ給へり。えんに透きたる沈の箱に、同じ心葉のさまなどいと今めかし。御消息はただ言葉にて、院の殿上にさぶらふ左近の中将を御使にてあり。かの大極殿の御腰寄せたる所の、かうがうしきに、


身こそかく しめのほかなれ そのかみの 心のうちを わすれしもせず

とのみあり。
聞え給派ざらむもいとかたじけなければ、苦しく思しながら、昔の御かんざしの端をいささか折りて、


しめのうちは 昔にあらぬ 心地して 神代のことも 今ぞ恋ひしき

とて、はなだの唐の紙につつみて参らせ給ふ。御使の禄などいとなまめかし。





一年中の、色々な節会の、面白く、興ある様を、昔の名人が、それぞれに描いたものに、延喜の帝が、自ら、説明を描きあそばしたものや、また、自分の在位中のことも、掻かせた絵巻の中に、あの、斎宮が伊勢に下った日の、大極殿の儀式を、心に沁みるように、忘れないで、構図などを、詳しく指示して、公茂が、描いた、見事なものを、差し上げた。優雅な透かし彫りの箱に、同じ趣の、飾り造花など、今流である。お使いは、ただ口上で、院の殿上にもお仕えしている、左近の中将を、お使えに立てた。
あの大極殿に、斎宮の輿を寄せた場面の、神々しい絵に、


私の身は、内裏の外にいるが、あの当時の、心持を決して、忘れはしない。

とだけあった。
ご返事を申し上げないのは、恐れ多いと、申し訳なく思いつつ、昔の、かんざしの端を、少し折り、


御所の中は、昔と変わってしまいました。神に仕えていた頃のことも、今は、恋しいものです。

と、書かれて、はなだ色の唐の紙に包んで、差し上げる。
お使いへの、禄なども、大変優美であった。




はなだの、とは、はなだいろ、の、略である。
藍色の薄い色のこと。

いと なまめかし
大変、優美、優雅である。




院の帝御覧ずるに、限りなくあはれと思すにぞ、ありし世を取り返さまほしく思ほしける。おとども「つらし」と思ひ聞えさせ給ひけむかし。過ぎにし方の御報いにやありけむ。院の御絵は后の宮より伝はりて、あの女御の御方にも多く参るべし。尚侍の君も、かやうの御好ましさは人にすぐれて、をかしきさまにとりなしつつ集め給ふ。




上皇陛下は、ご覧あそばして、限りなく、心が動くため、御世を取り戻したい気持ちになる。大臣、源氏のことも、酷いと思われただろう。過去の報いであろうか。
院の絵は、后の宮から伝わり、あの女御の方にも、多く集まっていることでしょう。
尚侍、ないしのかんの、君も、このような絵の趣味は、人よりすぐれて、風情に仕立てて、集められる。

作者の言葉が、多い。




「その日」と定めて、にはかなるやうなれど、をかしきさまに、はかなうしなして、左右の御絵ども参らせ給ふ。女房のさぶらひに御座よそはせて、北南かたがた別れて侍ふ。殿上人は後涼殿のすのこにおのおの心よせつつ侍ふ。左は紫檀の箱に蘇芳の花足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺なり。童六人、赤色に桜がさねのかざみ、あこめは紅の藤がさねの織物なり。姿、用意などなべてならず見ゆ。右は浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、あしゆひの組、花足の心ばへなど今めかし。童、青色に柳のかざみ、山吹がさねのあこめ着たり。皆御前にかき立つ。上の女房前後と装束き分けたり。





日取りを決めて、急ではあるが、をかしきさま、にて、趣深く、はかなうしなして、少しの準備をして、右と、左の、絵を、御前に運ぶ。
女房の詰め所の、台盤所に、玉座を設けて、北と南に、それぞれ分かれて、座に着いた。
殿上人は、後涼殿の、すのこに、銘々好きな方に、心を寄せて、控える。
左は、紫檀の箱に、蘇芳の花足、敷物に、紫地の唐の錦、打敷は、えび染めの唐の綺である。
童が六人、赤色の上衣に、桜重ねの、かざみ、あこめ、には、紅に藤重ねの織物である。
姿や、心の準備が意外である。
右は、沈の浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、机の脚を飾り結ぶ組紐、花足の輝きなどは、今風である。
童は、青色の上衣に、柳のかざみ、山吹襲のあこめ、を、着ている。
童たちは、皆々が、御前に絵の箱を、並べ据える。
帝づきの、女房は、左方が、前に、右方が、後ろに、装束の色を分けて、控えている。


何とも、優雅な遊びである。
平安期の、王朝文学であるところの、源氏物語である。

襲、かさね、とは、袷、重ね、という意味である。
葡萄染め、えびぞめ、これは、古代紫の色であろう。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月03日

もののあわれについて。493

召しありて、内の大臣権中納言参り給ふ。その日帥の宮も参り給へり。いとよしありておはする中に、絵を好み給へば、大臣の下にすすめ給へるやうやあらむ、ことごとしき召しにはあらで、殿上におはするを、仰せ言ありて、御前に参り給ふ。この判仕うまつり給ふ。




お召しがあり、内大臣と権、中納言が、参内される。その日は、帥の宮も、参内された。趣味の広い中でも、絵を特に好まれるので、大臣が、内々に、お勧めしたのか、表立ったお召しではなしに、殿上の間にいらしたのを、主上の言葉があり、御前にお上がりになった。これらの絵の、判者を勤められる。




いみじうげに画きつくしたる絵どものおもしろき事どもを選びつつ筆とどこほらず画きながしたるさま、たとへむかたなしと見るに、紙絵は限りありて、山水のゆたかなる心ばへをえ見せ尽くさぬものなれば、ただ筆の飾り、人の心に作り立てられて、今の浅はかなるも昔のあとに恥なく、にぎははしくあなおもしろと見ゆる筋はまさりて、多くの争ひども、今日はかたがたに興ある事ども多かり。




まさに、技巧の限りを尽くした絵が、多く、帥の宮も、優劣が判定できずにいる。四季の絵は、昔の名人たちが、興ある題材を選び、すらすらと、描き流した風情は、言葉にならないと、思われる。紙絵は、大きさが決まり、山水の豊かな趣を、十分に現し尽くせず、ただ、筆先の器用さ、描く人の、趣向によっていて、今時の深みの無い絵であるが、古い絵に劣らず、派手なところは、実に良いと思える。それは、古いもの以上で、多くの論争なども、本日は、両方共に、興味があることが、多いのである。





朝がれいの御障子をあけて、中宮もおはしませば、深う知ろしめしたらむと思ふに、大臣もいと優におぼえ給ひて、所々の判ども心もとなき折々に、時々さしいらへ給ひける程あらまほし。定めかねて夜に入りぬ。左はなほ数ひとつあるはてに那須の巻出できたるに、中納言の御心騒ぎにけり。あなたにも心して、はての巻は心ことにすぐれたる選りおき給へるに、かかるいみじき物の上手の、心の限り思ひすまして静かに画き給へるは、たとふべきかたなし。





朝がれいの間の、襖を開いて、中宮も、ご覧になっている。絵のことに、詳しいと思うにつけ、大臣も、ゆかしく思い、所々、判定が不足な時に、時々、意見を添えられる様子は、素晴らしい。ついに、勝負のつかないまま、夜に入った。
左方は、一番のみの、最後に、須磨の絵が出てきたので、中納言の心は、動揺した。右の方でも、心積もりして、最後の巻は、特に、優秀なものを選んでおいたが、このように素晴らしい絵の名手が、心ゆくまで思いをすまして静かに描いたものは、たとえようも、無い。





親王よりはじめ奉りて、涙とどめ給はず。その世に、心苦し悲しと思ほしし程よりも、おはしけむありさま、御心に思しけむ事ども、ただ今のやうに見え、所のさま、おぼつかなき浦々磯の隠れなく画きあらはし給へり。草の手に仮名の所々に書きまぜて、まほのくはしき日記にはあらず。あはれなる歌などもまじれる、たぐひゆかしく、誰もことごと思ほさず。さまざまの御絵の興、これに皆移りはてて、あはれにおもしろし。よろづ皆おしゆづりて、左勝つになりぬ。





親王、帥の宮をはじめ、皆、涙に咽ぶ。あの当時、皆が、気の毒だとか、哀しいと同情されたよりも、いっそうわび住まいの様子、その気持ちなどが、目の前に見えて、その地の風景、名も無い浦々、磯を、漏れなく、描き表している。
草書体に、平仮名を所々に書き混ぜて、正式の漢文の日記ではない、趣深い歌なども、書き入れて、この残りの巻も、見たいと思わせ、誰も、ほかのことは、考えないのである。今までの、色々な絵の面白さも、みな、この絵に奪われて、実に感慨深く立派である。
何もかにもが、皆、これに譲り、左方の勝ちとなった。


あはれなる歌
あはれにおもしろし
説明し得ない、深さ、見事さを、あはれ、に、託す。





夜明け方近くなるほどに、ものいとあはれに思されて、御土器など参るついでに、昔の御物語ども出で来て、源氏「いはけなき程より、学問に心を入れて侍りしに、少しも才など付きぬべくや御覧じけむ、院の宣はせしやう、「才学といふもの、世にいと重くするものなればにやあらむ、いたう進みぬる人の、命さいはひと並びぬるは、いと難きものになむ。品高く生まれ、さらでも人におとるまじき程にて、あながちにこの道な深く習ひそ」といさめさせ給ひて、本才のかたがたの物教へさせ給ひしに、つたなきこともなく、またとり立ててこの事と心得ることも侍らざりき。絵画く事のみなむ、あやしく、はかなきものから、いかにしてかは心行くばかり画きて見るべきと思ふ折り折り侍りしを、おぼえぬ山がつになりて、四方の海の深き心を見しに、さらに思ひよらぬくまなくいたられにしかど、筆の行く限りありて、心よりは事ゆかずなむ思う給へられしを、ついでなくて御覧ぜさすべきならねば、かう好き好きしきやうなる、後に聞えやあらむ」と、親王に申し給へば、



夜も明け方近くなるときに、ものいとあはれ、何となく物悲しい気持ちになり、お盃など傾けてるときを選んで、昔話の、あれこれがはじまり、
源氏は、幼いときから、漢学に心を入れていましたが、いくらか学問も、ものになりそうにご覧になられたか、院が、仰せられたのは、学問というものは、世間で重んずるものだからか、たいそうできた人で、長生きをし、幸福であるというのは、中々いないものだ。高い身分に生まれ、学問によらずとも、誰にも負けずにいられるのだから、特に深く、学問をやるではないと、お諭しがあり、漢学以外の、あれこれを、教えてくださった。出来が悪くないものの、さりとて、これこそは、と、思えるほど、やれたものも、ありませんでした。絵を描くことだけは、ほんのつまらないものながら、どうしたら、満足がゆくかと、妙に思う折々があり、思いがけない、田舎者になって、四方の海の深い趣を見まして、余すところなく、会得することができました。筆で、描くのは、限界があり、心では、思うように、ゆかないと思われましたが、機会がないのに、ご覧に入れるようなものではなく、こんな機会に、お目にかけ、物好きのようで、後日の評判も、どうかと、思います、と、宮に仰ると、

盃を、傾けつつ、の、お話しである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月04日

もののあわれについて。494

帥の宮「何の才も、心より放ちて習ふべきわざならねど、道々に物の師あり、まねび所あらむは、事の深さ浅さは知らねど、おのづから移さむにあとありぬべし。筆とる道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを、深きらうなく見ゆるおれ者も、さるべきにて書き打つたぐひも出でくれど、家の子のなかには、なほ人に抜けぬる人の、何事をも好み得けるとぞ見えたる。院の御前にて、親王たち、内親王、いづれかはさまざまとりどりの才ならはさせ給はざりけむ。その中にも、とり立てたる御心に入れて、伝へうけとらせ給へるかひありて、「文才をばさるものにて言はず。さらぬ事の中には、琴ひかせ給ふことなむ一の才にて、つぎには、横笛、琵琶、筝の琴をなむつぎつぎに習ひ給へる」と、上も思し宣はせき。世の人しか思ひ聞えさせたるを、絵はなほ筆のついでにすさびさせ給ふあだごととこそ思ひ給へしか。いとかうまさなきまで、いにしへの墨書の上手どもあとをくらうなしつべかめるは、かへりてけしからぬわざなり」と、うちみだれて聞え給ひて、えひ泣きにや、院の御事聞え出でて、みなうちしほたれ給ひぬ。




帥の宮は、どの、芸道でも、心がこもっていなくては、習えるものでは、ありません。諸道それぞれに、師匠があり、学ぶだけの価値のあるものは、深さや、浅さは、別にして、学ぶだけの事は、あるに違いありません。筆を用いることと、碁を打つことだけは、不思議に、天分が現れるようで、深く稽古を積んでいない凡人でも、その人の天分により、書いたり、打ったりする人も、出ます。良い家の、子弟の中には、やはり抜群の人がいて、何事にも、上達しますね。故院の元で、多くの親王たち、皇女たち、皆それぞれに、色々と、学ばせになりましたが、その中でも、あなたは、特別ご熱心に、教育があり、それをお受けになったかいがあり、「詩文の才能は、もとより、そのほかの中では、琴が第一で、次には、横笛、琵琶、筝の琴を、第二、第三と、習得された」と、故院も、仰っていました。世間の人も、そのように、存じ上げていました。
絵は、ただ、筆のついでに、慰めの余技と思っていましたが、実に、これほど、並外れて、昔の、墨書きの名人たちも、逃げ出すほどの、上手とは、かえって、けしからぬことです。と、申し上げる、言葉も、乱れて、酔い泣きされる。故院のことを、申し上げるので、皆、涙を流したのである。





廿日あまりの月さし出でて、こなたはまださやかにならねど、おほかたの空をかしき程なるに、ふんのつかさの御琴召し出でて、和琴、権中納言賜はり給ふ。さは言へど、人にまさりてかきたて給へり。親王、筝の御琴、大臣、琴、琵琶は少将の命婦仕うまつる。上人のなかにすぐれたるを召して、拍子賜はす。いみじう面白し。明けはつるままに、花の色も人の容貌どももほのかに見えて、鳥のさへづる程、心地ゆきめでたき朝ぼらけなり。禄ども、中宮の御かたより賜はす。親王は御衣、また重ねて賜はり給ふ。




二十日過ぎの、月が出た。こちらには、まだ光は、差してこないが、空が美しくなった頃、書司、ふんのつかさの、お琴を取り寄せて、和琴は、権中納言が頂戴する。源氏を名手というが、権中納言も、なかなか人より、巧みに弾く。帥の宮は、筝の琴を、源氏は、琴を、琵琶は、少将の命婦が勤める。殿上人の、すぐれた者を召して、拍子を命じる。たいそう、趣が深い。夜が明けてくるにつれて、花の色も、人の顔も、ほのかに見える。鳥のさえずる声も、心地よい、晴れ晴れとした、朝ぼらけである。
禄の品々は、中宮から、賜る。帥の宮は、御衣を、別に重ねて賜るのである。




その頃の事には、この絵の定めをし給ふ。源氏「かの浦々の巻は中宮にさぶらはせ給へ」と、聞えさせ給ひければ、これが初め、また残りのまき巻々ゆかしがらせ給へど、「今つぎつぎに」と、聞えさせ給ふ。上にも御心ゆかせ給ひて思し召したるを、うれしく見奉り給ふ。はかなき事につけても、かうもてなし聞え給へば、権中納言は「なほ覚えおさるべきにや」と、心やましう思さるべかめり。上の御心ざしは、もとより思ししみにければ、なほこまやかに思し召したるさまを、人知れず、見奉り知り給ひてぞ、頼もしく、「さりとも」と思されける。




その頃は、この絵の判定で、持ちきりである。
源氏は、あの、浦々の一巻は、中宮に、納めくださいと、いったので、中宮は、その初めの方や、残りの巻なども、御覧になりたいようであが、源氏が、いずれ、追々と御覧いたしましょうと、言われる。
主上も、満足に思し召したのを、嬉しく思っている。
はかなき事、少しのことでも、殿様が、このように、梅壺女御をひいきにされるので、権中納言は、結局、梅壺に、圧倒されるのではないかと、面白くないようである。しかし、主上の愛情は、元から、弘微殿に、深くしてあり、矢張りこまやかに、ご寵愛くださる様子を、人知れず、存じ上げており、心強く感じ、いくらなんでも、まさかと、思われるのである。

権中納言は、皇后には、藤原氏である、我が娘が、立つだろうと、思うのである。





さるべき節会どもにも、この御時より、と、末の人の言ひ伝ふべき例を添へむと思し、わたくしざまのかかるはかなき御遊びもめづらしき筋にせさせ給ひて、いみじき盛りの御世なり。大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、「今すこしおとなびおはしますと見奉りて、なほ世をそむきなむ」と、深く思ほすべかめる。「昔のためしを見聞くにも、よはひ足らでつかさくらい高くのぼり、世に抜けぬる人の、長くえ保たぬわざなりけり。この御世には、身の程おぼえ過ぎにたり。中頃なきになりて沈みたりし憂へにかはりて、今までもながらふるなり。今より後の栄えはなほ命うしろめたし。しつかにこもりいて、後の世の事をつとめ、かつよはひをものべむ」と、思して、山里ののどかなるを占めて、御堂を作らせ給ひ、仏、経の営み添へてせさせ給ふめるに、「末の君達、思ふさまにかしづき出して見む」と、思し召すにいかに思しおきつるにかと、いと知りがたし。





さるべき、節会などにつけても、この御代にはじまった、と、後の人が言い伝えるような、新しい例を、加えようと思い、私的な、こういうはかなき遊びにも、珍しい、趣向を凝らす。なんとも、盛んな時代である。
だが、大臣、源氏は、人生を、無常と、思い、今少し、主上が、大人になってから、出家しようと、深く思い込むようである。
昔の例を見聞きするにも、年若くして、高位高官に上り、世に抜け出るような人は、長生きできないもの。今の御代では、官位も世の中の評価も、あまりある程になってしまった。途中で、零落して、沈んだ苦しみの代わりに、今まで永らえている。今後、このまま栄華では、矢張り、命が心配だ。静かに、引き籠り、後世の勤行に励み、一つに命を、延ばしたい、と、思い、山里の閑静な土地に、御堂を造らせ、仏像や、経典の準備も、同時にされるが、幼少の子たちを、理想通りに育てたいと、思うのである。
急に、出家するのは、難しいようである。
一体、どういう、考えであるか、解らないのだ。

最後は、作者の言葉である。

当時の、仏教に対する、程度が、伺える。
紫式部本人も、熱心な、人だった。
仏教に帰依するという、心の状態により、安心を得るという。

絵合、えあはせ、を、終わる。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月05日

もののあわれについて。495

松風

東の院造りたてて、花散里と聞えし、うつろはし給ふ。西の対、渡殿などかけて、まどころ家司など、あるべきさまにし置かせ給ふ。ひんがしの対は、明石の御方と思しおきてたり。




東の院を造営されて、花散里と申した方を、お引き移らせる。西の対、渡殿などにかけて、政所、家司などを、適当に、置かれる。東の対は、明石の御方を、と、考えている。

明石を、御方と、呼ぶようになる。
以後、明石は、御方となる。



北の対は、ことに広く作らせ給ひて、かりにても、あはれと思して行く末かけて契り頼め給ひし人々、つどひ住むべきさまに、隔て隔てしつらはせ給へるしも、なつかしう、見所ありてこまかなり。寝殿は塞げ給はず、時々渡り給ふ御住み所にして、さるかたなる御しつらひどもし置かせ給へり。




北の対は、特に、広く造られて、かりにても、少しでも、あはれと思い・・・
愛情を持って、将来までもと、約束した人々が、一緒に住めるようにと、幾つも、嬉しい、なさり方で、立派な作りで、行き届く。寝殿は、女君を、置かず、時々、自分が出掛ける際の、住まいとして、それに相応しい、造り方をしている。


御しつらひどももし置かせ給へり
それらしい、設備をしている。

あはれと思して
この場合は、源氏の、愛情の様である。
皆、を、愛しいものとして、そのように、思い、なのである。




明石には御消息絶えず。今はなほのぼりぬべきことをば宣へど、女はなほわが身の程を思ひ知るに、「こよなくやむごとなき際の人々だに、なかなかさてかけ離れぬ御有様のつれなきを見つつ、物思ひ増さりぬべく聞くを、まして何ばかりの覚えなりとてかさし出交らはむ。このこの若君の御面伏せに、数ならぬ身の程こそ現れめ、たまさかにはひ渡り給ふついでを待つことにて、人わらへにはしたなき事いかにあらむ」と思ひ乱れても、また、さりとて、かかる所に生ひ出で数まへられ給はざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにもえうらみ背かず、親たちも「げにことわり」と思ひ嘆くに、なかなか心もつきはてぬ。





明石には、絶えず、お便りをされて、今となっては、是非、上京するようにと、仰るのだが、女は、やはり自分の身の程を知るので、格段と、身分の高い方々でさえ、お忘れなさりきるような、つれない様を見ては、かえって、気苦労が、増さるそうだと、聞いているものを、まして、自分のような者が、どれ程の生まれかと、思い、方々の中に出て、一緒に暮らしてゆかれようか。卑しい、我が身が、世に知られて、この姫君の、お顔汚しに、なりはしないか。たまさかにはひ渡り、時に、お出でくださるのを、待つくらいで、物笑いの種にされ、きまり悪い思いは、どんなものであろう、と、心が迷う。だが、明石のようなところで、姫君が成長し、日陰者になっては、気の毒で、怨んだり、背いたりもできず、親も、娘の苦労を、無理もないこと、と、心に嘆き、物思いの、限りを尽くすのである。




むかし母君の御おほぢ、中務の宮と聞えけるが、領じ給ひける所、おほい川のわたりにありけるを、その御のち、はかばかしうあひ継ぐ人もなくて、年頃荒れまどふを思ひ出でて、かの時より伝はりて、宿守のやうにてある人を、呼び取りて語らふ。



その昔、母君のおじい様で、中務卿でいらした方が、お持ちだった、邸が、大井川の近くにあったのを、お亡くなりになった後、相続して、住む人もなく、長年の間、荒れ果てて、酷くなっているのを、思い出し、宮の時代から、代々留守番のような、勤めをしている人を、呼び寄せて、相談する。




入道「世の中を今はと思ひはてて、かかる住居に沈みそめしかども、末の世に思ひかけぬこと出できてなむ、さらに都の住みか求むるを、にはかにまばゆき人中いとはしくたなく、田舎びけるここちも静かなるまじきを、ふるき所たづねてとなむ思ひ寄る。さるべき物は上げ渡さむ。修理などして、かたごと、人住みぬべくは、つくろひなされなむや」といふ。




入道は、世の中は、これまでだと、望みを捨てて、こんな田舎に落ちぶれて、暮らしているが、晩年になり、意外なことが起こったので、改めて、都に住まいを求めているが、急に、晴れがましい、人中に出るのは、気が引ける。田舎者になったこととて、気持ちも、落ち着かないだろうと、昔から、馴染みのあるところを、探して、住もうと考えた。必要な物は、送ろう。修理などして、どうにか、住めるならば、修繕してくれないか、と言う。




預り「この年ごろ領ずる人もものし給はず。あやしきやぶになりて侍れば、下屋にぞつくろひて宿り侍るを、この春の頃より内の大殿の造らせ給ふ御堂近くて、かのわたりなむいと気騒がしうなりにて侍る。いかめしき御堂ども建てて、多くの人なむ造り営み侍るめる。静かなる御本意ならば、それや違ひ侍らむ」入道「何かそれも、かたかけてと思ふことありて、自らおひおひに内の事どもはしてむ。先づ急ぎておほかたの事どもをものせよ」といふ。




別荘番の男は、長年、領主もおらず、酷い藪になっていますので、下屋を作り、住んでいますが、今年の春ごろから、内大臣さまの、御造営のみ堂が近く、あの辺りは、大変、騒々しくなっています。静かな場所を、お望みなら、あれでは、お気持ちにあいません。
入道は、なんの、そんなことは、構わない。あの殿の、御庇護にすがってと思うことがあって。そのうちに、追々と、内部の手入れは、する。とりあえず、急ぎ、大方の手入れをして欲しい、と言う。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月08日

もののあわれについて。498

入道「世の中を捨てはじめしに、かかる人の国に思ひ下り侍りしことも、ただ君の御ためと、思ふやうに明け暮れの御かしづきも心にかなふやうもや、と、思ひ給へ立ちしかど、身のつたなかりける際の、思ひ知らるること多かりしかば、さらに、都に帰りて古受領の沈めるたぐひにて、まづしき家の、よもぎむぐらどもの有様あらたむる事もなきものから、おほやけわたくしにをこがましき名を広めて、親の御なき影を恥づかしめむことのいみじさになむ、やがて世を捨てつるかどでなりけりと、人にも知られにしを、その方につけては、よう思ひ放ちてけりと思ひ侍るに、君のやうやうおとなび給ひ、物思ほし知るべきに添へては、などかう口惜しき世界にて錦を隠し聞ゆらむと、心のやみ晴れまなく嘆きわたり侍りしままに、神仏を頼み聞えて、さりとも、かうつたなき身に引かれて山がつのいほりには交り給はじと思ふ心一つを頼み侍りしに、思ひ寄り難くて、うれしき事どもを見奉りそめても、なかなか身の程をとざまかうざまに悲しう嘆き侍りつれど、若君のかう出でおはしましたる御宿世の頼もしさに、かかるなぎさに月日を過ぐし給はむもいとかたじけなう契り異におぼえ給へば、見奉らざむ心まどひは静め難けれど、この身は長く世を捨てし心侍り、君たちは世を照らし給ふべき光しるければ、しばしかかる山かづの心を乱り給ふばかりの御契りこそはありけめ、天に生まるる人のあやしき三つの途に帰るらむ一時に思ひなずらへて、けふ長く別れ奉りぬ。命つきぬと聞し召すとも、のちの事おぼし営むな。さらぬ別れに御心うごかし給ふな」と言ひ放つものから、入道「けぶりともならむ夕べまで、若君の御事をなむ、六時のつとめにも、なほ、心ぎたなくうちまぜ侍りぬべき」とて、これにぞうちひそみぬる。






入道は、出世を諦めた際に、このような田舎に下る気になったのも、ただ、あなたのため。思うように、朝晩のお世話も満足にできるのだろうかと思いつつ、決心したのです。自分の運に、恵まれない生まれが悪いのかと、思い知らされることも、多かった。絶対に、都に帰り、昔の国守の、落ちぶれた一人として、雑草の生い茂った家を、修繕することも、出来ぬまま、政界でも、私生活でも、馬鹿だという、評判を得て、今は亡き親の名前を、辱めることになっては、堪らないと、都を出て、出家したということで、誰もが、思ったことです。出世を諦めたことでは、よくぞと、思ったと、思いますが、あなたが、だんだんと、大人になり、物事が分かるようになって、どうして、こんなと、話しにもならない、田舎で錦を隠しているのかと、親の心は、晴れ間もなく、嘆いていました。神仏に、御願いして、いくらなんでも、自分のような、つまらない親のせいで、田舎で、一生過ごしてはなるまいと、信じる心を頼りにしていたところ、思いもよらず、嬉しいことを、見て以来、かえって、我が生まれの、賎しさを嘆いていましたけれど、姫君が、生まれたという、運の頼もしさ。このような、浜辺で、月日を送るのは、勿体無いと、この運は、格別のことと思われる姫君です。その、お顔を、拝することができないとなると、抑え切れない思いがします。でも、私は、この世を、永遠に捨ててしまった覚悟です。あなた方は、この世を照らされる光となることは、確かなこと。ほんの暫くの間、このような田舎者の心を騒がせる、宿縁があったのでしょう。
天上界に生まれる人が、三悪道に、帰するという、あの瞬間のつもりになって、今日、永久にお別れします。私が、死んだとしても、後世の冥福など、考えることなく、必ず来るべき、死別にも、心を動かしてはなりません。
と、言うが、
灰となる、その夕方まで、若君のことを、六時の勤めのときにも、未練がましく、お祈りの中に、込めましょうと、言い、この言葉で、涙を流すのである。

むすめを、あなたと、敬語で呼び掛けて、話しをする、父親、入道である。

六時の勤めとは、一日、六回、勤行をするという意味である。





御車はあまた続けむも所せく、かたへづつ分けむもわづらはしとて、御供の人々も、あながちに隠ろへ忍ぶれば、「船にて忍びやかに」と定めたり。
辰の時に船出し給ふ。



お車を、連ねて行列を作るのは、仰々しい。また、一部分を、分けるのも、面倒だと、御供の人々と、目立たぬようにと、船で、ひそかに行くことにした。
朝の、七時頃に、船出する。



昔の人も、あはれといひける浦の朝霧へだたり行くままに、いともの悲しくて、入道は、心すみはつまじく、あながれながめいたり。
ここら年を経て今さら帰るも、なほ思ひつきせず、尼君は泣き給ふ。
尼君
かの岸に 心よりにし あま船の そむきしかたに 漕ぎかへるかな

御方
いくかへり 行きかふ秋を 過ぐしつつ 浮き木にのりて われかへるらむ




昔の人も、あはれ、と言った、明石の裏の、朝霧の中に、遠ざかる、船に、何とも、悲しくて、入道は、思いを断ち切れそうにない。茫然と船を見送る。
長年住み慣れて、新しく、都に帰るにつけて、尼君は、泣くのである。

尼君
彼岸の浄土を願い、尼になったが、いったん、捨てた都に、船で、帰ることよ。

御方
幾年も、幾年も、この裏で過ごしてきた。今さら、心細い船で、都に帰るとは。

いくかへり 行きかふ秋を 過ぐしつつ
幾度も、この浦の秋を過ごしてきた。

昔のひとも、あはれといひける
古今集
ほのぼのと 明石の浦の あさぎりに 島がくれゆく 舟をとぞ思ふ

心すみはつまじく
澄む、住むと、掛け言葉。

あくがれながめいたり
魂が、体から、抜けるような、気持ちである。

別れのシーンが、また、あはれ、である。

また、物語は、複雑に推移するのである。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月09日

もののあわれについて。496

思ふかたの風にて、限りける日たがへず入り給ひぬ。人に見とがめられじの心もあれば、道の程もかろらかにしなしたり。




思うように、風が吹く。予定通りに、都に着いた。人に気づかれないようにとの気持ちがあり、陸路も、質素にしたのである。




家のさまもおもしろうて、年ごろ経つる海づらにおぼえたれば、所変へたる心地もせず。昔のこと思ひ出でられて、あはれなること多かり。つくり添へたる廊など、ゆえあるさまに、水の流れもをかしうなしたり。まだ細やかなるにはあらねども、住みつかば、さてもありぬべし。




邸の造りも、趣深くして、長年住んだ、明石の海岸に似ているようで、転居したという、感じではない。
尼君は、昔のことを、思い出して、あはれなること多かり。感慨深く思うこと多いのである。
新たに建て増した渡殿など、ゆえあるさま、深い意味がある如く、造ってあり、遣水も、面白く造ってある。まだ、十分とは、いえないが、住み慣れることで、さてもありぬべし、と、ある。
住んでみれば、慣れてくるのである。





親しき家司に仰せ給ひて、御まうけの事、せさせ給ひけり。渡り給はむことは、とかうおぼしたばかる程に、日ごろへぬ。なかなか物思ひ続けられて、捨てし家居も恋しうつれづれなれば、かの御かたみの琴を掻き鳴らす。折のいみじうしのびがたければ、人離れたる方にうちとけて少し弾くに、松風、はしたなく響き合ひたり。





殿、源氏は、親しい家司に命じて、到着を祝う、用意をさせる。
ご自分が出る事は、あれこれと、口実を考えているうちに、何日も経てしまった。
御方は、物思いが絶えず、捨てた明石の家も、恋しく思われる。する事もないままに、殿の、残された琴を、弾いてみる。
その時は、耐え難い気持ちのときであり、人の来ないところで、気を許して弾いてみると、松風が、実に妙に、音を合わせるのである。





尼君、もの悲しげにて寄り伏し給へるに起きあがりて、

身をかへて ひとりかへれる 山里に 聞きしに似たる 松風ぞ吹く

御方
ふる里に 見し世の友を 恋ひわびて さへづることを たれかわくらむ

かやうにものはかなくて明かし暮らす。





尼君は、もの悲しげに、寄りかかり横になっていたが、起き上がり、

以前とは、別の姿になって、一人帰ってきた、この山里に、明石の浦で聞いた、松風が吹くことです。

御方
古里で、親しんだ人々を慕い、調子のはずれたように響く琴の音を、誰が聞き分けてくれましょう。

このように、頼りない気持ちで、日々を過ごしていた。




大臣、なかなかしづ心なく思さるれば、人目をもえはばかりあへ給はで渡り給ふを、女君には「かくなむ」とたしかに知らせ奉り給はざりけるを、例の聞きもや合わせ給ふとて、消息聞え給ふ。源氏「桂に見るべき事侍るを、いさや、心にもあらでほど経にけり。とぶらはむと言ひし人さへかのわたり近く来居て待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも飾りなき仏の御とぶらひすべければ、ニ三日は侍りなむ」と聞え給ふ。




大臣、源氏は、今更になって、落ち着かない気持ちである。人の見る目も、我慢できずに、出掛けるのだが、女君には、はっきりと、知らせていないのである。いつものように、よそから、耳にされるだろうと、言葉を掛ける。
桂に用事があって、なにやら、心ならずも、日が過ぎてしまったこと。訪ねると約束した人まで、あの近くで、待っているとのこと。気にかかっている。嵯峨野の御堂にも、飾りつけていない仏像のことなど、色々とあります。ニ、三日は、いることでしょう。と、おっしゃる。




「桂の院といふ所俄かにつくろはせ給ふと聞くは、そこにすえ給へるにや」と思すに、心づきなければ、紫の上「斧の柄さへ改め給はむ程や。待ち遠に」と心ゆかぬ御気色なり。「例のくらべ苦しき御心、いにしへの有様なごりなし、と世人もいふなるものを」
何やかやと御心とり給ふ程に日たけぬ。



桂の院というところを、急に、修繕させるということを耳にするのは、そこに、明石の人を置くのであろうと、思うと、不快な気分になるゆえ、紫の上は、斧の柄を付け替えることになるのでしょうか。待ち遠しいこと、と、不満な様子。
例により、調子を合わせにくい御心である。昔の、浮気心は、なくなったと、世間も、言っているようなのに。
あれこれと、ご機嫌を取るうちに、日が高くなってきた。

斧の柄さへ改め給はむ
嫌味を、言うのである。
述異記に、出ている話しである。

紫の上は、おおよそ、事情が分かっている。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月10日

もののあわれについて。500

しのびやかに、御前うときはまぜで、御心づかひして渡り給ひぬ。たそがれ時におはし著きたり。
狩りの御衣にやつれ給へりしだに世に知らぬここちせしを、ましてさる御心してひきつくろひ給へる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆきここちすれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。




人目を忍んで、前駆も親しい者ばかりになさり、十分に気をつけて、お越しになった。夕暮れ時に、お着きになった。
粗末な、狩衣装だった、明石の姿さえ、世に、またとない、気がしたのである。まして、十分に、気を利かせての、直衣姿は、この上もなく、美しく、眩くて、拝することが出来ない気がする。嘆き悲しんでいた、御方の心も、晴れるようだった。




めづらしうあはれにて、若君を身給ふも、いかが浅く思されむ。今まで隔てける年月だに、あさましく、くやしきまで、思ほす。大殿ばらの君を「うつくしげなり」と世人もて騒ぐは、なほときよによれば人の見なすなりけり。「かくこそしすぐれたる人の山口はしるかりけれ」と、うち笑みたる顔の何心なきが愛敬づきにほひたるを、「いみじうらうたし」と思す。



久しぶりと、あはれにて、心打たれて、感激して・・・
姫君をご覧になる。どうして、浅い心で、あろうか。
今まで、離れて暮らしてきた、年月さえ、悔しい気持ちである。大臣家の若君を、可愛らしい方と、世間の人が、噂をするのは、時世によって、人が、そのように見るものである。このように、美人の生い立ちは、初めから、はっきりしていると、笑う無邪気な笑顔の、愛敬の、にほいたる、匂いたる・・・そのように、素晴らしい笑顔である。
とても、とても、可愛らしいと、思うのである。




めのとの下りし程はおとろへたりしかたち、ねびまさりて、月ごろの御物語など慣れ聞ゆるを、あはれに、さる塩屋のかたはらに過ぐしつらむ事を、思し宣ふ。
源氏「ここにも、いと里離れて、渡らむことも難きを、なほかのほいある所にうつろひ給へ」と宣へど、明石の上「いとうひうひしき程過ぐして」と夜一夜、よろづに契り語らひ明かし給ふ。




乳母の明石に、下った時は、痩せていて、衰えた器量が、立派になり、何ヶ月の間のことを、恐れずに、言上するのを、あのような漁村で、日々を送ったことを、憐れに思い、お言葉を、賜る。
源氏は、ここも、京から離れて、来ることも、難しい。やはり、いらして欲しいと、思う所へ、引き移られるように、と、仰るが、明石は、もう少し慣れましてからに、と、申し上げるのである。
夜一夜、一晩中、色々な事を語り、明かされる。

あはれに・・・過ぐしつらむ事を・・・思し
過ごしていたことを、あはれ、と思う、つまり、不憫である、申し訳なかった・・・などという意味になるのだろう。

契る、とは、肉体関係も、含まれる。




つくろふべき所、所の預り、いま加へたる家司などに仰せらる。「桂の院に渡り給ふべし」とありければ、近き御庄の人々集まりたりけるも、みなたづね参りたり。前栽どもの折れ伏したるなどつくろはせ給ふ。源氏「ここかしこの立て石どもも皆まろび失せたるを、なさけありてしなさば、をかしかりぬべき所かな。かかる所をわざとつくろふもあいなきわざなり。さても過ぐしはてねば、たつ時もの憂く、心とまる。苦しかりき」など、きし方の事も宣ひ出でて、泣きみ笑ひみうちとけ宣へる、いとめでたし。




手入れをする所を、番人や、新しい家司などに、命じる。
桂の院のお出ましになるご予定と、御触れがあり、付近の御料地の人々は、桂に集まった。皆、捜し求めて、やってきたのである。
あちこちの前栽の、草木の折れ伏したものなど、直させる。源氏は、あちこちの庭石も、転がったり、無くなったりとているが、風流に造れば、見栄えの良い所になるだろう。でも、こんなところを念入りに、手入れするのも、つまらないこと。ここで、一生を終わるわけではないから、出る時に、出る気にならず、心が残り辛かったこと、などと、以前のことなども、お話しになり、泣いたり、笑ったりと、気を許した、お話し振りである。まことに、美しい。





尼君、のぞきて見奉るに、老いも忘れ物思ひも晴るる心地してうちえみぬ。
東の渡殿の下より出づる水の心ばへ、つくろはせ給ふとて、いとなまめかしきうちぎ姿うちとけ給へるを、「いとめでたううれし」と見奉るに、あかの具などのあるを見給ふに思し出でて、源氏「尼君はこなたにか。いとしどけなき姿なりけりや」とて、御直衣召し出でて奉る。





尼君が、覗いて、拝すると、年も忘れ、物思いも、晴れる気がして、微笑んだ。
東の、渡殿の下から流れ出る、遣水の具合を手入れさせようと、やさしいうちぎ姿に、打ち解けた様子である。その姿に、素晴らしい、美しいと、拝するのである。
源氏は、仏の道具などがあるのをご覧になり、思い出して、尼君は、こちらにおいでか。まことに、だしない格好だった、と、直衣を取り寄せて、お召しになる。




凡帳のもとに寄り給ひて、源氏「罪かろくおほし立て給へる人ゆえは、御おこなひの程あはれにこそ思ひなし聞ゆれ。いといたく思ひすまし給へりし御住みかを捨てて、憂き世に帰り給へる心ざし浅からず。またかしこには、いかに止まりて思ひおこせ給ふらむと、さまざまになむ」と、いとなつかしう宣ふ。




凡帳のもとに寄りかかり、源氏は、姫を落ち度なく、養育されたのは、あなたの勤行のおかげと、ありがたく思います。すっかりと、悟り、住んでいらした、明石を捨てて、嫌な所に、お帰りになられた、お心、深く感謝します。入道には、どのように、お一人で、こちらを思っているかと、お二人の心を思います、と、大変優しく仰る。

あはれにこそ思ひなし
この場合の、あはれ、とは、尼君の、行為に対する、思いである。
ありがたい、と、思う心も、あはれ、となる。

いとなつかしう
大変、なつかしく・・・
この、なつかしう、とは、やさしい言葉を言う。
懐かしいと、いう言葉が、懐古の思いとしてではなく、今、現在の心境として、表現された時代もあるということ。

なつかしうあはれに
となれば、とても、やさしく、深く思う心、なのである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月11日

もののあわれについて。501

尼君「捨て侍りにし世を今さらに立ち帰り思ひ給へ乱るるを、おし量らせ給ひければ、命長さのしるしも思ひ給へ知られぬる」と、うち泣きて、尼君「荒磯かげに心苦しう思ひ聞えさせ侍りし二葉の松も、今は頼もしき御生ひ先きと祝ひ聞えさするを、浅き根ざしゆえやいかがと、かたがた心つくされ侍る」など聞ゆるけはひよしなからねば、昔物語に親王の住み給ひける有様など語らせ給ふに、つくろはれたる水の音なひ、かごとがましう聞ゆ。

尼君
住み慣れし 人はかへりて たどれども 清水ぞ宿の あるじ顔なる

わざとはなくて言ひ消つさま、みやびやかによしと聞き給ふ。

源氏
いさらいは はやくの事も 忘れじを もとのあるじや 面がはりせる

あはれ」と、うちながめて立ち給ふ姿にほひを「世に知らず」とのも思ひ聞ゆ。





尼君は、一度捨てた、世の中に、立ち返り、心が静まりませんでした。それをお察しくださいましたので、長生きした、甲斐があると思います。と涙をこぼし、海辺で、勿体無く思っていた、姫君も、今は、将来が楽しみと、お祝い申し上げます。ただ、母の身分が低いゆえ、どんなものかと、心配いたします。などと、申し上げる様子は、教養のある風情で、昔物語に、中務の親王が、御住みだった頃の、様子などを話させていると、手入れの出来た、遣水の音が、ここに私もいますというように、聞えるのである。

尼君
昔、ここに住み慣れた私は、帰って来ましたが、遣水は、宿の主人のような顔をしています。

わざとらしくなく、謙遜している様子を、源氏は、上品で、立派だと、聞いている。

源氏
遣水は、昔のことも、忘れないが、もとの主は、尼になってしまった。

あはれ、悲しいことだ。と、外を見て、お立ちになる姿は、美しさを、この世に一人の方と、尼君は、拝するのである。





御寺に渡り給うて、月ごとの十四五日つごもりの日、行はるべき普賢講、阿弥陀釈迦の念仏の三昧をばさるものにて、またまた加へ行はせ給ふべき事、定め置かせ給ふ。堂の飾り、仏の御具など、めぐらし仰せらる。
月の明きに帰り給ふ。




お寺に出かけて、毎月、十四、十五日と、月末に行うはずの、普賢講、阿弥陀と釈迦の念仏三昧のことは、いうまでもなく、さらにまた、別に、お勤めすることを、お決めになる。
御堂の飾りや、仏具などを、めぐらし、人々に命じる。
めぐらしとは、廻らしである。
月明かりに、乗じて、大井の邸に、お帰りになる。




ありし夜のこと思し出でらるる折り過ぐさず、かの琴の御ことさし出でたり。そこはかとなくものあはれなるに、え忍び給はで掻き鳴らし給ふ。まだ調もかはらず、ひきかへしその折り今のここちし給ふ。




あの夜のことを、思い出している、その時を見て、御方は、あの形見の琴を差し出した。
そこはかとなく、ものあはれなるに、とても、深く、感ずることがあるという、心境である。
そして、え忍び、とても、我慢が出来ず、お弾きになる。
調子も、元のままで、あの時のことが、今のように、思われる。

思い出の、心境が、そこはかとなく、ものあはれ、なのである。
原文そのままを、感じ取るしか、ないのである。




源氏
契りしに かはらぬ琴の しらべにて 絶えぬ心の ほどは知りきや


かはらじと 契りしことを 頼みにて 松のひびきに 音をそへしかな

と聞えかはしたるも、似げなからぬこそは、身に余りたる有様なめれ。こよなうねびまさりにけるかたちけはひ、え思ほし捨つまじう、若君はた、つきもせずまもられ給ふ。「いかにせまし、隠ろへたるさまにて生ひ出でむが心苦しう口惜しきを、二条の院に渡して、心のゆく限りもてなさば、後のおぼえも罪まぬかれなむかし」と思ほせど、また思はむ事いとほしくて、えうち出で給はで、涙ぐみて見給ふ。




源氏
約束したように、琴の音が変わらぬうちに、お会いした。私の心が変わらないこと、解りましたか。


変わらないと、約束してくださった、お言葉を頼みとして、松風に、泣き声を加えておりました。

と、答えた、風情は、不釣合いではない様子。御方にとっては、身に余る幸せ。
すっかりと、立派になられた、器量、雰囲気、とても、見捨てることは、出来ない。姫君も、飽きずに、見守っていらっしゃる。
源氏は、どうしたものだろう。日陰者として、成長するのは、可哀想で、残念なこと。二条の院に連れて、思い通りに育てたら、後になり、世間から、非難されないはずと、思うが、また、御方の心が、可哀想にも、思う。それを、口に出来ないので、涙ぐんで、見ている。



幼きここちにすこし恥ぢらひたりしが、やうやううちとけて、物いひ笑ひなどして睦れ給ふを見るままに、にほひまさりてうつくし。いだきておはするさま。見るかひありて、すくせよなしと見えたり。



姫君は、幼な心に、恥ずかしがっていたが、次第に打ち解けて、物を言ったり、笑ったりして、懐いている。それをご覧になり、ますます、あどけなく、可愛い。
源氏が、姫を抱いているところを拝するのは、嬉しく、姫の将来は、この上ないものと、思われた。

にほひまさりてうつくし
幼子の、可愛らしさが、勝り・・・
この場合は、愛しい、である。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。