2016年07月07日

もののあわれについて821

御法 みのり

紫の上いたうわづらひ給ひし御心地ののち、いとあつくなり給ひて、そこはかとなく悩みわたり給ふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月かさなれば、たのもしげなく、いとどあえかになりまさり給へるを、院の思ほし嘆くこと限りなし。しばしにてもおくれ聞え給はむことをば、いみじかるべく思し、みづからの御心地には、この世にあかぬことなく、うしろめたきほだしにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命とも思ほされぬを、年頃の御契かけ離れ、思ひ嘆かせ奉らむことのみぞ、人知れぬ御心の中にも、ものあはれに思されける。のちの世のためにと、尊き事どもを多くさせ給ひつつ、いかでなほ、本意あるさまになりて、しばしもかかづらはむ命のほどは、行ひを紛れなくと、たゆみなく思し宣へど、さらに許し聞え給はず。




紫の上は、大変な病気をなさってからは、酷く、病弱におなりになって、どこということもなく、優れないご容態が、ずっと続けている。特に、重症ということではないが、長い年月になるので、望みなさそうに、益々弱々しくなられているので、院、源氏のご心痛は、この上もない。
暫くの間でも、後に残ることを、堪え難く思いであり、ご自身は、この世の栄華を見尽くした気になる、御子たちさえない身の上ゆえ、しいて、この世に生き続けたい寿命とも、思わないのである。だが、長年のお約束を違えて、お嘆きをおかけ申すことになるのだけが、人知れぬ胸の内にも、お悲しみを誘うのである。
後の世のためと、仏事を、様々にお営みになりながらも、何とかして、矢張り出家の本意を遂げたいと、少しでも続く命の限りは、勤行一途に暮らしたいと、始終お考えであり、仰せもなさるが、院は、どうしても、お許しにならないのである。




さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば、かくねんごろに思ひ給へるついでに催されて、同じ道にも入りなむと思せど、ひとたび家を出で給ひなば、かりにもこの世をかへりみむとは思し掟てず。のちの世には、同じはちすの座をも分けむと、契りかはし聞え給ひて、たのみをかけ給ふ御中なれど、ここながらつとめ給はむほどは、同じ山なりとも峰を隔てて、あひ見奉らぬ住みかにかけ離れなむ事をのみ思しまうけたるに、かくいとたのもしげなきさまに悩みあつい給へば、いと心苦しき御ありさまを、今はと往き離れむきざみには捨てがたく、なかなか山水の住みか濁りぬべく、思しとどこほるほどに、ただうちあさえたる、思ひのまま道心おこす人々には、こよなう後れ給ひぬべかめり。




それというのも、院ご自身の、お心にも出家は、ご決心されていることなので、こう熱心にいられるのを機会に、同じ修行の道に入ろうとも、思いになるのだが、一旦、家を出て、仏門に入る以上、仮にも、この世に思いを残すことがあってはならないと、かねての覚悟なのである。
あの世では、一つの蓮の座を分かとうと、お約束なさり、それを頼みにしていらっしゃる、御仲ではあるが、この世での、修行の間は、同じ山にお入りになるにせよ、峰を隔てて、顔も見られぬ住まいに、別々に、住むものと考えるので、かように、頼りないご様子で、病の床に、臥していられると、この気の毒なお姿を、いよいよ、世を逃れて、家を出ようという場合には、捨てにくくて、かえって、清い山水の住まいが、濁るであろうと、ためらっておいでのうちに、ほんの浅い考えで、思うままに、道心を起こす人々に比べて、随分と立ち遅れてしまうことである。




御許しなくて、心ひとつに思し立たむも、さま悪しく本意なきやうなれば、この事によりてぞ、女君は恨めしく思ひ聞え給ひける。わが御身をも、罪軽かまじきにや、と、うしろめたく思されけり。




御許しなく、ご一存で、思い立ちになるのも、体裁が悪く、不本意のようでもあるので、この一事により、女君は、源氏を恨めしく思うのである。そして、ご自分をも、罪障が軽くないのではないかと、気がかりに、思うのである。




年ごろわたくしの御殿にて、書かせ奉り給ひける法花経千部、いそぎて供養じ給ふ。わが御殿と思す二条の院にてぞし給ひける。七僧の法服などしなじな賜はす。物の色縫目りはじめて、清らなること限りなし。おほかた何事も、いといかめしきわざどもをせられたり。ことごとしきさまにも聞え給はざりければ、くはしき事どもも知らせ給はざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへ通ひ給ひける御心のほどなどを、院はいとかぎりなしと見奉り給ひて、ただおほかたの御しつらひ、何かの事ばかりをなむ、営ませ給ひける。




長年の、発願で、お書かせになった、法花経千部を、急いで供養される。
ご自分の御殿と思う、二条の院で、なさった。七僧の法服など、それぞれに相応しく、お与えになる。その色合い、仕立て方をはじめとして、美しいことは、言いようもない。誰が見ても、万事たいそう厳かに仏事をされたのである。
大げさなようには、申し上げならなかったので、院、源氏は、詳しいことは、ご存知ではなかったが、女の指図としては、行き届いており、仏道にさえ通じていられる、お心のほどを、源氏は、どこまでも、出来たお方と、感じになり、ほんの少しの、飾りつけや、何かのことだけを、お世話なさった。





posted by 天山 at 05:23| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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