2016年06月29日

玉砕135

聖断を受けて、外務省は、日本の宣言受諾意思を、海外、特に連合軍将兵に、早く知らせる必要があると、同盟通信および日本放送協会首脳の同意を得て、10日夜、ひそかに、海外に向け放送した。

この海外向け放送は、発信後二時間たらずで、まず米国の反響を得て、数時間後には、全世界に波及したことが、認められた。

8月12日午前零時45分頃、外務省、同盟通信および、陸海軍の海外放送受信所は、米国の回答を傍受した。
そのなかで、
天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のためその必要と認める措置をとる連合軍司令官の制限のもとに置かれるものとす
と、あり、および、その他の個所が、政府および軍首脳のあいだに、再び、波紋を投げかけた。

当初は、外務省ですら、連合国側の回答を、明確なる意思表示を避けて、解釈、および推測を受け取る側に任せた点が多いとみた。
しかし、結局は、すべての条件を呑むしか術はなかった。

であるから、陸海軍両統帥部の反応は、いうまでもなく、強硬であった。
即時、受諾反対を決めて、梅津参謀総長、豊田郡司令部総長は、12日午前、国体護持の見地から、受諾不能を、列立上奏した。

阿南陸相も、同日午前、鈴木首相に、妥協反対を申し入れ、更に、平沼枢密院相も鈴木首相に、同様の主張をした。

ついに、異例中の異例である、二回目の御前会議が開かれる。

問題は、
天皇及び日本政府の国家統治の権限は・・・連合国軍最高司令官に制限の下におかれるものとする・・・最終的な日本国の政府の形態は・・・日本国民の自由に表明する意志により決定すべきものとする・・・
である。

天皇の存続に関しては、触れずに、国民の自由な意志で決める、としていること、天皇は、総司令官に従属するという言葉だった。

政府は、従属を、制限の下におく、と、和らげて訳していたが、陸相、両総長は、
これは日本を属国とすることである。国体に変更を加えないことを絶対条件にせよ
と、譲らないのである。

天皇は、阿南陸相に、
阿南、心配するな、朕には確信がある
と、優しく宥めた。

アメリカは、日本の天皇の存在を知らない。
国民が敗戦後に、天皇を見捨てると考えたのだろう。
白人の、浅はかなところである。

統治形態を国民の自由な意志で決めるという点に関しても、天皇は、
たとい、連合国が天皇統治を認めてきても、人民が離反したのでは、しょうがない。人民の自由意志によって決めてもらって、少しも差し支えないと思う
との、お言葉である。

この、お言葉に、歴代天皇の御心がある。
人民が離反する・・・
それは、天皇には、考えられないのである。
いつも、人民の側に立って、為政者に意見してきた天皇の、歴史である。
力によって、天皇の地位が成り立ったのではない。

見えざる権威が、天皇を天皇たらしめたのである。

二度目の御前会議には、新たに、陸海軍省の軍務局長、内閣書記官長らも加わり、首相以下、11名である。

ここに重ねて聖断をわずらわし奉るのは罪軽からずと存じますが、反対の者の意見も親しくお聞き取りの上、重ねて何分の御聖断を仰ぎたく存じます。
首相の言葉に、抗戦派は、最後の機会と、必死になり、涙さえ交えて、訴えた。

特に、阿南陸相は、溢れる涙を拭きもせず、ときに慟哭して、降伏反対を唱えた。
なみいる一同は、寂として、声なく、天皇もたびたび眼鏡を持ち上げて、白手袋を目蓋にあてた。

陸相発言のあと、静まり返る席上を見渡して、天皇は、決然と語り始めた。

ほかに別段の発言がなければ、私の考えをのべる。これ以上、戦争の継続は無理だと考えている・・・国体についての不安はもっともなことだが、先方も相当好意をもつと解釈し、そう疑いたくない・・・自分はいかようになろうとも国民の生命を助けたい。

この際、私になすべきことがあれば、何でもいとわない。私はいつでもマイクの前に立つ。将兵の動揺は大きいだろうが、陸海軍大臣は努力して、よく納めてほしい。

諄々と説く天皇に、一同は、嗚咽しつつ、聞き入っていた。
そして、
自分がいかようになろうとも・・・
と、声を震わせた天皇が目頭を押さえると、全員、号泣して、天皇の声が、かき消されるほどだった。

ここで、再度言うが、日本の天皇とは、君臨すれども、統治せず、なのである。
つまり、日本の民主主義の、あり方である。

天皇は、国民の様々な意見を取り入れて、そこで決定したことを、承認されるという、形である。

アメリカにより、民主主義が輸入されたと、考えるものではない。
日本が持っていた、民主主義なのである。

天皇を、テンノウと読むのは、漢語である。
すめらみこと、と、大和言葉では、読む。

すめら、とは、頭、かしら、である。
であるから、その前身は、大政頭、おほまつりごとかしら、である。
それでは、民の代表は、政頭、まつりごとかしら、である。

また、すめら、とは、統べる、すべる、とも意味する。
みこと、とは、お言葉を発する人である。

御言、みこと、である。

政頭が、揃って話し合い、決まったことを、承認し、伝える御立場が、天皇の姿である。

王でも、皇帝でもない、天皇なのである。
大和言葉によって、はじめて、日本のことが、解るのである。

posted by 天山 at 06:09| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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