2016年06月28日

玉砕134

天皇は、報告に来た東郷外相に、
このような新兵器が使われるようになっては、もう戦争を続けることはできない。不可能である。有利な条件を求めては時期を失するから、速やかに終戦に向けて努力せよ
と、厳命した。

そして、9日のソ連参戦である。

精強を誇り、暴戻を極めた関東軍も、相次ぐ南方への兵力送出で、抜け殻となっていた。
各前線において、ひとたまりもなく、消え去り、満州は、たちまち、ソ連の手の中に入った。

将兵の大半は、ソ連へ拉致され、劣悪な条件化で歳月を重労働に駆り出された。
また、一般人も、掠奪され、婦女子は暴行を受け、母子は、離散した。

これは、民族のある限り、語り継ぐべき汚辱であり、悲劇である。

ソ連、現在のロシアは、その謝罪も、一切していない。

私は、その一般人が受けた様々な、悲惨な状況を知るが、ここに書くことは出来ない。それは、あまりに、残酷、無残であるからだ。

信じられないような、悲劇が繰り広げられたのである。

一体、ソ連にそこまでされる、理由は無い。

ソ連以前の、ロシアという国柄は、ただ、ただ、侵略を国是とする国である。
絶対に、油断できない、国であり、相手である。

鈴木首相は、最高戦争指導会議を招集して、ポツダム宣言への、対処を討議した。
総勢六名である。
三時間に渡る白熱の議論だったが、意見の一致を見ないのである。

天皇の地位を変更しない、即ち、国体護持を条件として受諾する、という点では一致するが、陸相と、両総長は、更に、三点の条件をつけると、主張したからである。

占領軍が日本に上陸しない、在外の日本軍は、無条件降伏の形ではなく、自発的に撤兵する。
戦犯の裁判は、日本側が行う。

東郷外相は、そんな虫のよいことが通る段階ではないと、反対したが、条件派は、譲らない。

条件派の面々は、敵がそれを飲まぬのは、百も承知であり、結局、徹底抗戦派なのである。

なお、安南陸相は、死中に活を求め、本土決戦で一億が火の玉となって戦えば、敵側の出血も多くなり、我が方がチャンスを捉えることもできる。その時に、和平を持ち込めば、少なくとも、条件和平が可能であるとの、意見である。
両総長も、それに賛同する。

結局、首相、外相、海相が、無条件派で、他の三人が、反対するという。

今度は、閣議で同じ議題をはかったが、矢張り、陸相の反対で、紛糾し、決着がつかない。閣議は、二時半から、夜十時まで、一時間の夕食をはさみ、六時間半にも、及んだが、堂々巡りであった。

首相と、陸海相は、午前十時からはじまった、最高戦争指導会議から、続いての会議であり、延べ十二時間に近く、鈴木首相は、疲労困憊のきわみにあった。

しかし、なお、気力を絞り、夜十一時五十分からの、御前会議に移った。

新たに、平沼枢密院議長が加わり、七人が、御文庫付属の地下防空室で、天皇の前に列座した。

鈴木首相は、それに先立ち、閣議の様子を天皇に報告していたが、陸相と、両総長の頑固さから、通常の手段では、これまでの二の舞必至と見極めて、御前会議では、一応意見が出尽くしたところで、首相がすかさず立ち上がり、天皇に決をとっていただくという、戦法を編み出して、天皇の内意を求めた。

天皇は、この日一日、会議や閣議が紛糾しているので、四度も、木戸を呼んで、その模様を報告させ、焦燥を深くしていた。
故に、首相の提案で、決をとる以外に、道がないことを、悟った。

御前会議は、東郷外相が、ポツダム宣言受諾のほかにない旨を、述べる。
すると、阿南陸相は、本土決戦を唱えて、譲らない。

平沼枢密院議長も、外相に賛成したが、作戦上の理由があるなら、なお戦争継続も可として、明確ではない。

両総長は、陸相に与して、結果は、予想通り、三対三であり、侃々諤々として、いつ果てるとも、知れない。

そこで、首相が立ち上がり、天皇の前に立ち、
すでに二時間半近くになりますが、いまだに、議決にいたりません。もはや事態は、一刻の猶予もない状況にあります。まことに異例で恐れ入りますが、かくなる上は、聖慮によりて、会議の決定といたします。
と、深々と頭を下げた。

六名は、意外な展開に、唖然として、凝視していた。
天皇は、待っていたかのように、
それでは、自分の意見を言うが、自分は外務大臣の意見に賛成する。
との、お言葉である。

更に、
本土決戦というが、肝腎な九十九里浜の防備も、決戦師団の武装さえも不十分である。飛行機の増産も予定のごとく進まず、計画はいつも実行がともなわない。
これで戦争に勝てるだろうか。忠誠な軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰等のことを思うと、実に忍び難いものがあるが、いまは忍び難きを忍び、耐え難きを耐えねばならない。明治天皇の三国干渉のさいのご心中を偲び、自分は涙を飲んで外相案に賛成する。
そして、
自分一身のこと、皇室のことを心配しなくてもよいとのお言葉である。

鈴木首相は、椅子から立ち上がり、
ただいまの有りがたい思し召しを拝し、これをもって会議の決定といたします。
と、有無をいわせぬように、宣言した。
一同は、天皇に向かい、深く頭を垂れた。

8月10日午前2時20分である。

これが、日本の民主主義である。
天皇は、皆々の意見を聞いて、その裁決に任せ、そして、決定したことを、承諾するのである。

この、裁決は、例外中の例外であった。

posted by 天山 at 05:44| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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