2016年06月22日

玉砕131

4月6日、16時5分、
各隊、予定順序に出港、との旗艦信号旗が、旗艦大和の前しょうに揚がった。

軽巡洋艦矢矧を先頭に、駆逐艦、冬月、涼月、雪風、磯風、浜風、朝霜、初霜、霞が、一列縦隊で出発した。

大和は、殿艦となり、16時45分、動き出した。

明けて7日、上空は暗雲に閉ざされ、洋上はうねりが高い。

午前8時15分、突如雲間を縫って、米機三機が、姿を現した。
この三機は、すぐに飛び去ったが、入れ替わるように、飛行艇二機が出現し、触接を開始した。

威嚇のため、大和が、三式弾三発を放った。だが、執拗に、食い下がる。

以後、艦隊は、迂回航路をやめて、目的の沖縄までの、最短距離を進むことにした。
米機に発見されたからである。

その間に、駆逐艦朝霜から、
ワレ主機械ニ故障
との連絡あり、停止した姿が見えなくなった。
米機に撃沈されたのである。

全員、玉砕である。
一人も、生き残りがいないので、仔細はわからない。

頭上の米偵察機が、刻々と報告する電報が、傍受される。

そして、昼である。
大和から、旗ゆう信号により、
開距離3000メートル
第五戦闘速力トナセ
との、下令である。

レーダーが、おびただしい数の黒点を捉えていた。

その後の、大和の戦いは、省略する。

生存者は、269名てある。
玉砕である。

4月6日の「菊水」一号作戦に参加した陸海軍機の総数は、海軍機391機、陸軍航空部隊は、第六航空軍133機、総数、524機である。

6日、午前10時15分から、12時30分までの間、九州各基地から、次々に発進した。
制空隊のゼロ戦104機は、四波に分かれて、沖縄の制空に任じ、陸軍戦闘機は、奄美大島附近の上空で、往復運動を行う。

その他の、陸海軍機は、すべて特攻隊である。
沖縄の海上に、ひしめく米艦船郡目掛けて、突入した。

この日の、特攻は、渡り鳥の大群のように、後から後から、尽きることなく、防御砲火の爆幕をものともせずに、突っ込んできたと、米側資料が言う。

たいていの特攻機は、撃ち出された近接信管に触れて、目標の上空に達するまでに、空中に飛散した。
だが、米兵に与えた精神的打撃は、深く大きかった。

沖縄を守るために、命を賭けた若者たちである。

大挙して決行された特攻の、効果はあった。

つまり、撃ち落されるのを覚悟の特攻機に対して、米軍の戦闘機は、酷く困難であったのだろう。

陸上の第三十二軍は、米側の悲鳴に近い電報が、打電されるのを、傍受していた。

だが、それも、今は虚しい。
「菊水」一号作戦も、玉砕で終わる。

本来は、4月6日の第一号で、中止にしたかった、宇垣航艦長官は、断続的に、6月22日まで、続けたのである。
それは、沖縄島上で、陸軍が戦闘を続けている。
海軍として、手をこまねいている訳には行かないのであった。

大本営は、6月25日、沖縄作戦、「天」号作戦の終焉を公表した。

ここで、悲劇の地上戦に、触れる。

沖縄の県民を戦闘に、巻き込んだことである。

様々な、戦記を読んだが・・・
部分的に、旅日記などで、紹介した。

この世の地獄である。

その事実に関して、様々な、そして、色々な意見がある。
その本質は、戦争というものの、有様である。

米軍は、市民を攻撃しなかった。
しかし、兵士混在している中で、結局、県民も大きな犠牲を強いられたのである。

沖縄南部戦跡を私は、廻った。
一つ一つの、ガマ、洞窟に籠った人々・・・

ひめゆり、白梅隊という、女学生の献身的な、兵士たちへの、看護姿勢は、ただ、涙する。

特攻機は、2393機であり、玉砕である。

結果、沖縄も、玉砕である。
その傷は、今なお深い。

沖縄の 地にて斃れた 人々の 悲しみの魂 今はいずこに
                 天山

沖縄は、日本の慰霊の聖地である。

posted by 天山 at 05:52| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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