2016年06月13日

生きるに意味などない9

人類の文化は、ずれてしまったイメージと現実との隔たりを何とかして縮めようとした努力の集積であると考えられる。その努力には二つの方向がある。一つは、現実をできるかぎりイメージに近づけようとする方向、もう一つはその逆で、イメージをできるかぎり現実に近づけようとする方向である。いずれにせよ、イメージと現実との隔たりを何とかしなければ、誤った地図に頼る登山家と同じように、人類は道に迷ってしまうであろう。
岸田

と、いうことで・・・
それは、我という、イメージにも言えるのである。

我という、意識と、そのイメージを、現実に合わせるのか、現実を、イメージに近づけるのか。

いずれにせよ、危うい行為である。

何とか、どちらかに方向を寄せて、間に合わせる程度のことしか、出来ないのが、事実である。

そんな中で、生きる意味・・・など、考えられるはずがない。

それ以前に、我という意識との、折り合いである。

そして、その我という意識が、幻想、妄想だとしたら・・・
終わっている。
終わっている意識の中を、生きる人間というもの。

辛うじて、生きている存在が、人間である。
勿論、何も考えることなく、無為自然で生きられれば、それでも、いい。

限りなく動物に近い存在として・・・

本能とその対象とが密着している動物の場合には、本能の表現形式、刺激と反応のパターンは一致している。
しかし、本能が対象から切り離されて欲望に変質し、まずイメージに向かうようになった人間の場合には、刺激と反応とのこの自然な結びつきは失われてしまった。
同じ対象に関して各個人が抱くイメージはおのおの独特の歪みを背負っており、無限に多種多様である。
そして、イメージを介さなければ対象へ向かうことができない欲望の表現形式も一定したものではなくなり、潜在的にはどのような形式も可能となった。
岸田 改行、省略は私

離婚の相談にのると、必ず、価値観の違いという問題が出てくる。
本当のところは、互いに、あるいは、一方が飽きているという状態なのだが・・・

問題を複雑にするために、価値観の違い、である。

価値観などというもの自体が、ウソなのだが・・・
価値観を持つことなど、大半の人は出来ないのである。

それは、単なる、好みの問題程度のこと。

それこそ、教育により、価値観らしきものを、得たと勘違いしているだけである。

同じ対象に関して各個人が抱くイメージはおのおの独特の歪みを背負っており、無限に多種多様である・・・
全く、その通りである。

人間は、同じ思いというものを、持つことが出来ないのである。
例えば、共感という心的状態は、単なる勘違いなのである。
勿論、それを商売にしている人たちがいるから、あまり言わないでおくが。

病人が、医者にかかって、治療なることをしているが・・・
大半が、勘違いである。
医者は、患者を、検査により、辛うじて、知ったと思って、投薬を決めているだけである。全く、違った病気でも、暗示効果によって、治るということも、多々ある。

この共感能力について、日本語では、もののあはれ、という、心象風景を言う言葉がある。とても、いい言葉である。
つまり、最初から、分からないということが、前提にある。

あはれ、の風景は、それぞれが違うという、前提である。

人間は、互いに、解る、ということの出来ない生き物である。
つまり、動物なのである。
しかし、大脳化ゆえに・・・

とんでもない、大事を抱えてしまった。

言語を発明する以前の人類(まだ人類と言えないかもしれないが)がどのような表現形式をもっていたかは知らないが、特定の本能、特定の行動には特定の発声が伴っていたであろう。この結びつきがこわれてしまい、発声は、それ自体、無意味な錯誤となった。このままでは人類は、第一に現実に適応できず、第二に他の個人とのコミュニケーションができない。この窮状を打開するために、苦しまぎれに言語が発明されたのであろう。
岸田

まことに、恐ろしい分析である。

実は、私は、発生のみか、言語でも、無意味な誤差となったと、思っている。

生きるに、意味があると、思わざるを得ない、人間の悲しい性である。

西洋文化は、語り尽くすという、文化である。
だから、トコトン彼らは、言語を駆使して、語り続ける。
実に、虚しい行為である。

しかし、頭脳を鍛えるために、語れないことでも、語ることだと、思い込む。
賢い馬鹿の多くが、それである。

そして、その行為こそが、人間の証明のように、思う。
勘違いである。

本当は、語らずとも、いいのである。
語れば語るほど、よく解らなくなるということを、知らない。
あるいは、狂う。


posted by 天山 at 06:44| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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