2016年06月10日

生きるに意味などない8

恐怖症の患者がその恐怖の対象を抑圧しようとすればするほど恐怖が強まるのも、また、強迫神経症の患者が気にすまいと努めれば努めるほどますます強迫観念が頭にこびりつくのもそのためである。
かくして対象の不在と現前、否定と肯定との妥協形成としてイメージが成立する。
そして対象そのものから遮断され、抑圧された本能は今やイメージと結びつき、イメージによって支えられて欲望に変質する。
欲望とはつねに過去の欲望である。欲望とはまずイメージに向かうのであって、イメージを介してしか対象に向かわない。
そしてイメージは対象そのものではなく、つねに対象から多かれ少なかれずれており、イメージを介する欲望はつねに空振りの危険にさらされている。
岸田 改行は私

ここでイメージは、私に言わせると、意味ともなる。
欲望とは、つねに過去の欲望・・・

そして、イメージに向かう。
そのイメージから、意味を見出そうとする人間である。

岸田氏の、論調を勝手に解釈して、私の言い分を言う。
意味意識とは、まさに、イメージなのである。
私は、それを妄想だと言う。

イメージが、人間に意味意識を持たせるのである。

だが、そのイメージとしての、妄想なくば、生きられぬ人間である。

わたしの考えによれば、エスは本能やリビドーの貯蔵庫ではなく、むしろイメージの貯蔵庫である。
イメージとは私的幻想であり、エスとは私的幻想の世界である。イメージは、一方において否定した不在の対象を他方において幻覚的に現前させようとする試みであり、決して対象の忠実なコピーではない。すなわち、われわれの想像力が生み出した幻想以外の何ものでもない。
岸田 改行、省略は私

岸田氏は、幻想と言う。
日本の心理学では、フロイトなどを崇拝するが・・・
岸田氏は、自分の考えを述べている。

人は、このイメージを固定するために、意味付けを行う、動物である。

人間に与えられた、大脳化ゆえの、悲劇である。

イメージはわれわれと現実とのあいだに立ちはだかる。このイメージが現実の対象の忠実なコピーではないということは、われわれを耐えがたく不安にする。
それは、不動の大地の上に立っているつもりでいたところ、実は薄氷の上であることを知ったときのような不安であろう。というのも、このことを認めれば、われわれが現実との直接的接触を失っていること、われわれが現実と思っているところのものは実は擬似現実でしかないことを認めざるを得なくなるからである。
岸田 改行は私

擬似現実・・・
現実と思っていたが、擬似とは、哀れである。

ましてや、我が身、我というものも、擬似だとしたら・・・
我という意識が、幻想、妄想であることも、考えられるのである。

その我が、意味を見出す・・・
冗談ではない。
我も、まともでなくば、その我が、意味付けするものは・・・
単なる、妄想に過ぎなくなる。

だから、生きるに意味などない、と、私は言うのである。

この不安を避けるためであると思うが、原始的思考においては、イメージの具象化であるシンボルと現実の対象との区別が否定される。
というより、シンボルが対象そのものと見なされる。・・・
岸田 改行、省略は私

シンボルが対象そのもの・・・
実に、恐ろしい蒙昧である。
しかし、生きるためには、そのようにしてきた。

未開人の信仰と、現代人の信仰に差は無いという、驚きである。
イメージを現実と、信じる行為が、信仰である。

岸田氏は、更に、深く掘り下げる。

フェティズムということもあるから、われわれだってこの種の誤信と縁が切れているわけではないが、普通われわれはシンボルを実物と間違えたりはしない。
しかし、一歩しりぞいて、イメージが現実の対象の忠実なコピーであるという線は執拗に守ろうとする。イメージあるいはシンボルが現実の対象そのものではないのなら、せめてその忠実なコピーであると思いたいのである。
かずかずの反証があるにもかかわらず、古典的な認識模写説や唯物論的な反映説が根強いのはここに理由がある。
だが、さらにもう一歩、この線からしりぞかなければならない。そして、われわれが現実との直接的接触を失っており、現実の対象からずれたイメージ、幻想としてのイメージを介して間接的にしか現実に戻り得ないこと、しかも間接的にすら戻り得るとはかぎらないことを認めなければならない。
岸田 改行は私

このことを、喝破した人がいる。
仏陀である。
現実、大地は、いつも、揺れている。

実は、存在していたものは、無いものだった。
何一つ、確実なものはない。
そして、何を信ずる行為も、何の役にも立たないのである。

それは、妄想だからである。



posted by 天山 at 06:24| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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