2016年06月07日

玉砕130

第八十四師団の、追走打ち切りが、第三十二軍首脳を動揺させた。
そして、海軍の不満を大いに買った。

何故か・・・
すでに海上部隊の、大半を失った海軍にとって、残された戦力は、航空機だけである。
歩兵を重視する陸軍と違い、本土決戦に海軍は、見切りを付けたともいえる。

そして、沖縄こそが、帝国海軍の、死に花を咲かせる、最後の戦場となったのである。

ここでは、もう、勝敗の有無ではない。
帝国海軍の有様を、後世に残すという、心意気である。

後世の人たちは、言う。
当時の軍部には、戦争の仕方が明確ではなかったかのように・・・
だが、実際、私は、調べていて、現場では、精一杯戦ったと、思われる。

勿論、多くの軍人の中には、臆病者もいたが・・・

さて、第三十二軍は、第九師団を引き抜かれるという、事態に応じて、従来の海岸地帯における決戦方針から、持久戦へと転向する。

それは、問題の、北、中飛行場地区を放棄して、南部地区においては、持久戦態勢をとることに、決したのである。

大本営は、この作戦変更を不満として、台湾にあった第十方面軍司令官安藤大将は、再三にわたり、北、中飛行場の確保を要求したが、三十二軍は、頷かなかった。

当時、第三十二軍戦闘指令所は、首里山上にあり、首里前面に、第六十二師団、知念半島は、第四十四旅団、南部に、第二十四師団を配置し、小禄半島は、海軍根拠地隊が、守った。

4月1日、米軍が上陸してからも動かぬ、第三十二軍の態度は、大本営軍部のみならず、航空決戦を目指す海軍の意にも染まなかった。
特に、連合艦隊司令部は、草鹿龍之介参謀長名を持って、
ここ約10日間、敵の北、中飛行場の使用を封しするため、あらゆる手段を尽くし右目的を達成せられたし・・・幾多の困難あるは想察するに難からざるも、以上全般の状況をおもんばかり失礼を顧みず、意見を具申する次第なり
との、打電である。

だが、八原参謀は、持久戦の堅持をなお、主張したのである。

これは、沖縄南部の戦跡を見ると、その悲劇の状況が、よく解る。
軍隊だけの、持久戦ならば、良かったが・・・
多くの市民を、巻き添えにした。

米軍が、沖縄本島の飛行場使用を開始する前に、陸軍第三十二軍の反攻と呼応して、航空の総力を上げて、反撃に転ずるという連合艦隊の作戦は、「菊水」一号作戦と、呼称された。

豊田長官は、この作戦の一環として、残存の水上部隊主力である、戦艦大和以下、巡洋艦、駆逐艦八隻をもって、海上特攻攻撃を編制し、沖縄米軍泊地に突入させる決心を固めた。

豊田長官の、訓電を読むと、勝敗は念頭になく、後世に帝国海軍の栄光を伝えるための、最後の一戦を挑むという、心意気である。

だが、当初は、出撃する全員が、納得したわけではない。
特に、旗艦矢矧以下の、水雷戦隊司令部、および各艦隊長の中に、反対の声が多かった。

この海上特攻は、ごく短期間のうちに、決まった。
引き金になったのは、この祖国存亡の時に、航空部隊が連日孤軍奮闘しているのに、残存の水上部隊は、何をやっているのか、という声である。

昭和20年3月末、戦艦大和は、その六万四○○○トンの巨体を、呉港内沖の大型浮標に繋留していた。

3月24日、連合艦隊から、出撃準備命令を受ける。
行く先は、知らされていない。

26日、米軍が、慶良間列島に上陸の報が、届く。

大和以下、艦隊は、29日、出航した。
瀬戸内海西部、三田尻沖で、待機する。

大和乗組員は、3332名、うち過半数は、20代の若者で、20歳以下の少年も、100名近くいた。

4月9日、突如、連合艦隊司令部から、機密電、
第二艦隊大和以下は、水上特別攻撃隊として沖縄の敵泊地に突入し、所在の敵輸送船団を攻撃、撃滅
である。

大和艦長有賀幸作大佐から、連合艦隊命令が伝えられる。
出撃に際し、いまさらあらためていうことはない。全世界がわれわれの一挙一動に注目するだろう。ただ全力をつくして任務を達成し、全海軍の期待にそいたいと思う
との、訓示である。

10日未明、燃料の補給作業を行う。
大和は、片道燃料で出撃したといわれるが、約6000トンの燃料を積んだ。
一応、往復の燃料は搭載したのである。

その日、14時30分、連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将が、飛来した。このたびの、大和特攻の意図について、直接説明するためだった。

草鹿参謀長が、伊藤長官に反問されて、窮したあげく吐いた言葉、
一億総特攻の魁となっていただきたい
である。

本土決戦も鑑みての言葉だったのだろうが・・・
今となれば、本土決戦をしなくて、本当に、良かったと、思う。

軍人の中には、本当に、一億総玉砕を求めていた人たちもいた。



posted by 天山 at 06:57| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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