2016年05月30日

もののあわれについて814

花散里「人のいつはりにやと思ひ侍りつるを、まことにさるやうある御けしきにこそは、みな世の常のことなれど、三条の姫君の思さむ事こそいとほしけれ。のどやかならひ給うて」と聞え給へば、夕霧「らうたげにも宣はせなす姫君かな。いと鬼しう侍るさがなものを」とて、「などてかそれをもおろかにはもてなし侍らむ。かしこけれど、御ありさまどもにても、おしはからせ給へ。なだらかならむのみこそ、人はつひの事には侍めれ。さがなくことがましきも、しばしはなまむつかしう、わづらはしきやうにはばからるる事あれど、それにしも従ひ果つまじきわざなれば、事の乱れ出で来ぬる後、われも人も憎げにあきたしや。なほ南の御殿の御心もちいこそ、さまざまにありがたう、さてはこの御方の御心などこそは、めでたきものには見奉りはて侍りぬれ」など、誉め聞え給へば、笑ひ給ひて、花散里「物のためしに引き出で給ふ程に、身の人わろき覚えこそあらはれぬべう。さてをかしき事は、院の、みづからの御癖をば人知らぬやうに、いささかあだあだしき御心づかひをば、大事とおぼいて、いましめ申し給ふ、後言にも聞え給ふめるこそ、さかしだつ人の、おのがうへ知らぬやうにおぼえ侍れ」と宣へば、夕霧「さなむ。常にこの道をしもいましめ仰せらるる、さるはかしこき御をしへならでも、いとよくをさめて侍る心を」とて、げにをかしと思ひ給へり。




花散里は、誰かの、ウソなのかと、思っていましたが、本当に、そういうわけのある、ご事情だったのですね。皆、世間にいくらでもあることですが、三条の姫君のご心配が、お気の毒です。無事平穏に慣れていらして、と、申し上げる。
夕霧は、可愛らしいみたいに、おっしゃって下さる、姫君ですね。まるで、鬼みたいでございます。やかましいことを。と、おっしゃり、どうして、それを粗末に扱ったりいたしましょう。恐れ多いことですが、あなた方のことでも、ご推察ください。穏やかなのが、人間としては、結局、良いことでございます。やかましくて、仰々しいのも、しばらくは、煩くて面倒だと、遠慮するこひともありますが、最後まで、言うとおりになっているわけでもなく、ごたごたが起こった後は、お互いに、憎らしくて、嫌ですね。矢張り、南の上のなさり方が、あれこれにつけて、お見事で、それ以上では、あなた様のお気持ちが、結構だと、考えることになりました。などと、誉められると、笑いになって、
花散里は、何かの例にお引きくださるので、我が身の、聞くに堪えない評判が、はっきりしてしまいそうです。それにしても、面白いことは、院は、ご自分の女癖を、誰も知らない様子で、ちょっと女に心を動かされると、大変に思いで、お叱りになったり、蔭でも、お噂なさるのは、利口ぶる人が、自分のことは、知らないでいるという、感じがします。と、おっしゃる。
夕霧は、左様でございます。いつも、女のことでは、お叱りを受けます。実のところ、わざわざ教えいただかなくても、充分に気をつけております、私ですが。と、本当に、おかしいと、思うのである。




御前に参り給へれば、かの事は聞こし召したれど、何かは聞き顔にもと思いて、ただうちまもり給へるに、いとめでたく清らに、この頃こそねびまさり給へる御さかりなめれ。さるさまのすきごとをし給ふとも、人のもどくべきさまもしたまはず、鬼神も罪許しつべく、あざやかにもの清げに、若うさかりににほひを散らし給へり。物思ひ知らぬ若人の程にはたおはせず、かたほなるところなうねび整ほり給へる、ことわりぞかし、女にてなどかめでざらむ、鏡を見てもなどかおごらざらむ、と、わが御子ながらも思す。




夕霧が、源氏の御前に、参ると、この事件は、お耳に遊ばしていらっしゃるが、何も知ったふりをするには、及ばないと思い、ただ顔をじっと、御覧になると、とても立派で、綺麗で、今の年頃が、男盛りであろう。そういうふうな、浮気をされても、誰も悪く言える姿ではあらず、鬼神も、罪を許すに決まっているほど、飛びぬけて、綺麗な感じで、若くて、今を盛りに、溌剌としていられる。分別のつかない若者というのでもないし、何処から何処まで、成長して、完全である。無理もないことだ。女であれば、どうして立派だと、思われないでいられよう。顔を見ても、どうして自信を持たないであろうかと、自分の子ながらも、思うのである。





日たけて殿には渡り給へり。入り給ふより、若君たちすぎすぎうつくしげにて、まつはれ遊び給ふ。女君は帳の内に臥し給へり。入り給へれど目も見合させ給はず。つらきにこそはあめれ、と見給ふもことわりなれど、はばかり顔にももてなし給はず。御ぞを引きやり給へれば、雲居雁「いづことておはしつるぞ。まろは早う死にき。常に鬼と宣へば、同じくはなり果てなむとて」と宣ふ。夕霧「御心こそ鬼よりけにもおはすれ、様は憎げもなければ、えうとみ果つまじ」と何心もなう言ひなし給ふも、心やましうて、雲居雁「めでたきさまになまめい給へらむあたりに、ありあふべき身にもあらねば、いづちもちもうせなむとす。なほかくだにな思しいでそ。あいなく年ごろを経けるだに、くやしきものを」とて、起き上がり給へるさまは、いみじう愛敬づきて、にほひやかにうち赤み給へる顔、いとをかしげなり。




日が高くなってから、邸にお帰りになった。入りになる途端に、若君たちが、次々可愛らしい姿で、まつわりついて、お遊びになる。女君は、御帳台の中で、横になっていらっしゃる。お入りになったが、こちらの顔を、見ようともしない。酷いと思っているのだろうと、御覧になる。それも、無理のないことだが、遠慮する態度ではなく、お召し物を引っ張りなさると、雲居雁は、どこだと、思いになって、お出でになったの。私は、とっくに、死にました。いつも、鬼とおっしゃるから、同じことなら、成りきってしまおうと思い。と、おっしゃる。
夕霧は、お心は、鬼以上でしょう。見たところは、憎らしくもないから、とても、嫌にはなりきれない。と、何とも、思わない言葉にも、癪に障るようで、雲居雁は、結構なお姿で、じゃらじゃらしていらっしゃるお傍に、長くいられるような私ではありません。何処でも構わず、行ってしまおうと思います。私のことを、思い出さないでください。いつの間にやら、何年も過ごしたことさえ、癪でたまらないのに。と、おっしゃり、起き上がる姿は、とても可愛らしくて、生き生きとして、赤みを差している顔つきは、とても美しいのである。



posted by 天山 at 06:04| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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