2016年05月25日

もののあわれについて811

かくて御法事に、よろづとりもちてせさせ給ふ。事の聞え、おのずからかくれなければ、大殿などにも聞き給ひて、「さやはあるべき」など、女方の心浅きやうに、思しなすぞわりなきや。かの日は昔の御心あれば、君達もまでとぶらひ給ふ。誦経など、殿よりもいかめしうせきせ給ふ。これかれもさまざま劣らずし給へれば、時の人のかやうのわざに劣らずなむありける。




かくて、御法事には、何もかにも引き受けて、おやり遊ばす。
その評判は、自然に知れることなので、太政大臣の家でもお耳にされて、そんなことで、よかろうか、などと、女の側の考えが浅いように、お考えになるのは、困ったことだ。その当日は、柏木生前の気持ちが残っているので、子息たちも、ご弔問にお出でになる。
読経なども、太政大臣家からも、大変なことをなさった。誰彼も、色々負けず劣らずになさるので、時めく人の法事には、負けないほどであった。




宮はかくて住み果てなむと思し立つ事ありけれど、院に人のもらし奏しければ、朱雀院「いとあるまじき事なり。げにあまたとざまこうざまに身をもてなし給ふべき事にもあらねど、後見なき人なむ、なかなかさるさまにて、あるまじき名を立ち、罪得がましきとき、この世のちの世、中空にもどかしき咎負ふわざなる。ここにかく世を捨てたるに、三の宮の同じごと身をやつし給へる。末なきやうに人の思ひ言ふも、捨てたる身には思ひ悩むべきにはあらねど、必ずさしもやうのことと、あらそひ給はむもうたてあるべし。世の憂きにつけて厭ふは、なかなか人悪きわざなり。心と思ひとるかたありて、今すこし思ひしづめ、心すましてこそ、ともかうも」と、たびたび聞え給うけり。この浮きたる御名をぞきこしめしたるべき。さやうの事の思はずなるにつけて憂し給へると、言はれ給はむことを思すなりけり。さりとてまたあらはれてものし給はむもあはあはしう、心づきなき事と思しながら、はづかしと思さむもいとほしきを、何かはわれさへ聞きあつかはむと思してなむ、この筋はかけても聞え給はざりける。




女二の宮は、このまま、一生を送ろうとご決心されたが、上皇様に、ある方が、そっと申し上げたところ、朱雀院は、まことに、よろしくないことだ。いかにも、一人以上の男に、あれこれと、身を任せても良いことではないが、世話をする人がいない女は、かえって、出家した形で、許しがたい浮名を流し、罪を作る時は、現世も来世も、どっちつかずで、非難される失敗を犯すものだ。私がこうして、出家をしているのに、女三の宮も、同じように、出家されたのでは、子孫がなくなるように、世間が思い、言いもするのは、世を捨てたこの身には、気にすることでもないのだが、必ずしも、同じように、競争のように、出家するのも、感心できないだろう。世の中が、嫌になったからとて、出家するのは、かえって、外聞の悪いこと。自分自身、考えるところがあり、少し気を落ち着け、冷静になってからなら、どうなりとも、と、何度も、何度も、申し上げた。
今度の浮名を、お耳に遊ばしてのことだろう。大将との事が、思うようにゆかないので、気を腐らせたのだと、評判されることを、ご心配になってのことだ。だからといい、また二人が、世間の前でも、はっきりとした間になることも、浅はかな、感心しないことと、思いになる。あわす顔もないと思いになっては、可愛そうで、どうして、私までもだが、知った顔で、口出ししょうと、お考えになり、この事については、全然、口出しにならないのだった。




大将も、「とかく言ひなしつるも、今はあいなし、かの御心に許し給はむ事はかたげなめり。御息所の心知りなりけりと、人には知らせむ、いかがはせむ、なき人に少し浅き咎はおはせて、いつありそめし事ぞともなく紛らはしてむ。さらがへりて懸想だち、涙をつくしかかづらはむも、いとうひうひしかるべし」と思ひえ給うて、一条に渡り給ふべき日、その日ばかりと定めて、大和の守召して、あるべき作法宣ひ、宮の内はらひしつらひ、さこそ言へども、女どちは草しげう住みなし給へりしを、磨きたるやうにしつらひなして、御心遣ひなど、あるべき作法めでたう、壁代、御屏風、御几帳、御座などまで思し寄りつつ、大和の守に宣ひて、かの家に急ぎ仕うまつらせ給ふ。




大将は、あれこれと、言いなだめてきたが、もう駄目だ。あのお心では、聞き入れされることは、難しい。御息所の黙認だったのだと、人には思わせておこう。せん無いことだ。亡き人に、思慮が少し浅いとの罪をかぶせて、いつからの事だともなく、ごまかしてしまおう。今更、改めて口説きなおし、涙を尽くしてつきまとうのも、初心なやり方といわれる。と、思い至り、一条の御殿にお移りされる日、何日と決めて、大和の守を呼びつけて、しかるべきやり方を仰せられ、御殿の中を掃除して整え、何といっても、女同士では、草の茂るに任せて住んでいらっしゃるのを、磨き上げたように手を入れて、お心配りなどや、しかるべきやり方も立派にして、壁代、御屏風、御几帳、御座などまで、お気をつけてなさり、大和の守にお命じになり、その家で、急いでお作り、申させる。




その日、われおはし居て、御車御前など奉れ給ふ。宮は、さらに渡らじと思し宣ふを、人々いみじう聞え、大和の守も、「さらに承らじ。心細く悲しき御有様を見奉り嘆き、この程の宮仕へは、堪ふるに従ひて仕うまつりぬ。今は国の事も侍り。まかり下だりぬべし。宮の内の事も見給へ譲るべき人も侍らず。いとたいだいしう、いかにと見給ふるを、かくよろづに思し営むを、げに、このかたにとりて思給ふるには、必ずしもおはしますまじき御有様なれど、さこそは、いにしへも御心にかなはぬためし多く侍れ。ひと所やは世のもどきをも負はせ給ふべき。いと幼くおはします事なり。たけう思すとも、女の御心ひとつに、わが御身を取りしたため、かへり見給ふべきやうかあらむ。なほ人のあがめかしづき給へらむに助けられてこそ。深き御心のかしこき御おきても、それにかかるべきものなり。君たちの聞え知らせ奉り給はぬなり。かうは、さるまじき事をも、御心どもに仕うまつりそめ給うて」と言ひ続けて、左近、少将を責む。




その日は、自分でお出かけになって、座り込み、お車前駆など、差し上げる。
宮は、絶対に移るまいとお考えで、お口にされるが、人々が強くお勧め申し、大和の守も、絶対に、承服つかまつりません。心細く、悲しいご様子を拝見して、心配になり、ここの所のお世話は、できる範囲でいたしました。今は、任国の仕事もございますので、下向いたします。お屋敷のことも、お任せできる人もございません。無責任なことで、どうしたものかと、存じておりますが、こうして、大将が、すべてご配慮なさることを、確かに、結婚のお話として、考えますと、必ずあちらへお出であそばす方が、よいともできないご様子ですが、そういう風に、お心のままにならなかった例が、昔も多くございました。こちら様だけが、世間の非難をお受けなさるということでしょうか。実に、子どものようなお考えです。気強くお考えでも、女お一方のお心で、ご自身の始末をつけ、お気を配りなさる、手立てが、できましょうか。矢張り、男が大事に大事になさいますのに助けられてこそです。一方では、してはならないことも、ご自身の判断で、お取り計らい申しなさって、と、言い続けて、左近や、少将を責めるのである。




posted by 天山 at 05:08| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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