2016年05月13日

玉砕124

平成25年、2013年、12月18日、天皇誕生日の会見での、お言葉

80年の道のりを振り返って・・・やはり最も印象に残っているのは先の大戦のことです。私が学齢に達したときには中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。
この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃して国土を立て直し、かつ改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。

矢部氏がこれについて、
明仁天皇は平成元年1989年1月9日、即位後の朝見の儀で、
「ここに皇位を継承するに当たり、・・・みなさんとともに日本国憲法を守り、これにしたがって責務を果たすこと」を誓いますと宣言されています。
それは右の言葉にもあるとおり、「平和と民主主義」を大切にする現在の日本国憲法を、自分は徹底して守っていくのだという強い決意の表明でした。
ここが明仁天皇と昭和天皇の最大のちがいであり、最終的に明仁天皇がたどりついた、新しい時代の天皇制の立脚点だといえるでしょう。

昭和天皇にも、立憲君主制のもとで「憲法を守る」という意識はあった。「国民と共にあること」も願っていた。それは事実です。
しかしその一方、戦前のもつ法的構造のなかで、国家の非常事態においては、自分はあらゆる制約を超えて行動することが許されるという認識を、昭和天皇がもっていたことも事実です。その非常事態とは、具体的には「三種の神器が守れなくなるような事態」、つまり天皇制が継続できなくなるような事態を意味していたということは、すでにのべたとおりです。

問題だったのは、それが戦後もつづいたことです。そのもっとも悪い例が、沖縄を半永久的に占領してほしいという意向を裏ルートでGHQに伝えた「沖縄メッセージ」でした。

この裏ルートの、沖縄メッセージは、知らない人が多い。
裏ルートであるから・・・
昭和天皇が、沖縄御訪問を切に願っていたことも、事実である。

当時、天皇は、何故、そのようなことを、メッセージとしたのか・・・

私は、当時の、昭和天皇は、実に、政治的配慮に長けた御方だと、考えている。また、そのように、考える人もいる。

沖縄の地政学的、意味を考えると、天皇は、そのままにしておくことは、大変に危険だと、考えていたのではないかと、思えるのだ。

沖縄の平和を考えれば、それが、一番の方法ではないか、ということ。
敗戦した日本が、沖縄の処置をする、術がない。
つまり、安全保障である。

単に沖縄を捨てたと、考えるのは、早計である。

荒廃した国土を見て、よくよく鑑みるに・・・
沖縄という、地域を守る術がない。
よって、米国の占領下としておけば、平和が保たれる。
そのように、考える。

さて、矢部氏の論調に対して、私から言えば、
歴代天皇が、同じ思いを持たれていたという、事実である。
天皇は、国体であり、国体とは、国土であり、国民である。
つまり、天皇は、それと、イコールなのである。

天皇は、国土と国民と、同体であるという、認識である。

平和と民主主義という言葉は、ある時代からの、価値観ではない。
日本は、その国だった。
君臨すれども、統治しないという、天皇の御姿である。

次の矢部氏の発言は、
「日本はなぜ、第二次大戦を止められなかったのか」という巨大な問題について、ここで本格的に論じることはできませんが、ひとつは戦前の憲法では軍部が天皇に直属し、軍事に関して天皇がすべての権限をもつ立場にあった。そのため軍部が暴走を始めたとき、逆にブレーキをかけられるのが天皇ひとりしかいないという構造的な弱さがあったこと。

もうひとつは、あまり知られていないことですが、とくに満州国建設から国際連盟脱退の過程で浮き彫りになる、日本の政治家や軍人たちの「国際法についての理解の欠如」があった。それは現在とまったく同じ、日本人が伝統的にもつ非常に大きな欠点なのです。

ということで・・・

国際法・・・その前身は、万国公法である。
それらは、白人世界についての、覚書である。

知らなかったということも、事実ならば、白人世界の秩序に配慮する、注意深さの欠如である。

戦争をした後での、検証は、十分すぎる程必要である。
が、私は、日本の開戦は、自存自衛の戦争と見る。

何もかもの、権益を捨てよと、言われて、一体、どうして、国を立ち行かせることが出来るのか、である。

このエッセイでも、それに多く触れた。
あのマッカーサーですら、米国上院議員会にて、日本は、自存自衛のための、戦争であったと、証言している。

死ねと、言われて、はい、と死ぬことが出来るだろうか。
そういうことである。

日本が殖民地支配をしたというなら、すでに、中国には、欧米列強が、殖民地支配をしていたのである。

ただ、彼らに、特に、アメリカに利益をもたらさないことが、大問題だった。

もし、満州に米国の鉄道を敷くという話を受けていれば・・・
米国が、あれほどまで、執拗に、日本に戦争の一発を打たせなかったと、見ている。

また、ソ連のスターリンの魂胆である。
日米戦争を望み、そり裏から、働きかけをしていた。

ハルノートを書いたのは、ハル長官の部下であった、共産主義者の者だった。
つまり、ストーリーは、出来ていたと、私は、見ている。



posted by 天山 at 06:19| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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