2016年05月09日

もののあわれについて810

六条の院にもきこしめして、「いとおとなしうよろづを思ひしづめ、人のそしりどころなく、めやすくて過ぐし給ふを、おもただしう、わがいにしへすこしあざればみ、仇なる名をとり給うし面おこにし、嬉しう思しわたるを、いとほしういづかたにも心苦しき事のあるべき事。さばかりの事たどらぬにはあらじ。すくせといふもの逃れわびぬる事なり。ともかくも口入るべき事ならず」と思す。「女のためのみにこそいづかたにもいとほしけれ」と、あいなくきこしめし嘆く。紫の上にも、きし方ゆく先のこと思し出でつつ、かうやうの例を聞くにつけてもなからむのち、うしろめたう思ひ聞ゆるさまを宣へば、御顔うち赤めて、「心憂く、さまでおくらかし給ふべきにや」と思したり。




六条の院、源氏も、お耳にあそばして、源氏は、たいそう落ち着いて何につけても、心騒がず、誰も悪く言うところなく、立派に、毎日を暮らしていらしたのを、誇りに思い、自分が昔、少々浮かれすぎて、発展家と、評判をとった名誉挽回だと、嬉しく思ってきたのだが、可愛そうに、どちらに対しても、具合の悪いことと、なるだろう。他人の間でさえなくて、太政大臣なども、どのように思いになるだろう。それくらいの事が分からないはずはない。運命というものは、うまく逃げられないのだ。あれこれと、自分が口出すべきことではない。と、思いになる。また、女の身として、どちらも可愛そうなことだ。と、せん無くも、このお話をお嘆きになる。
紫の上に向かっても、院は、過去のこと、将来のことを、思い出しになりながら、このような話を聞くにつけ、死んだ後が、心配になる旨をおっしゃると、お顔を赤くして、情けないこと。そんな私を後に、残されるのか、との思いだった。




「女ばかり身をもてなす様も所せう、あはれなるべきものはなし。物のあはれ折りをかしきことをも、見知らぬ様にひき入り、沈みなどすれば、何につけてか、世にふるはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべき。そは、大方ものの心を知らず、いふかひなきものにはあらずや。心にのみこめて、無言太子とか、小法師ばらの悲しき事にかる昔のたとひのやうに、あしき事よき事を思ひ知りながらうづもれなむも、いふかひなし。わが心ながらも、よき程にはいかで保つべきぞ」と思しめぐらすも、今はただ女一の宮の御為なり。




源氏は、女ほど、身持ちが窮屈で、可愛そうな者はない。感ずべきことも、面白いことも、分からない振りで、人前に出ず、引っ込んでいたりなどするものだから、一体、何によって、生きている間の喜びも、無常の世の無為をも、紛らわせるのか。そういうことは、一切分からず、お話にならないものとなっていては、それでは、手塩にかけて、育ててくれた親も、残念に思うはずではないか。胸一つに収めて、無言太子とか、つまらない小坊主どもが、悲しい話にする、昔のたとえのように、悪いこと良いことは、きちんと分かりながら、口に出さずにいるのも、お話にならないこと。自分ながら、立派に、どうして、身を持ち続けることが、出来ようか。と、心配されるのも、今は、ただ、一に、女一の宮のためだけなのだ。




大将の君参り給へるついでありて、思う給へらむ気色もゆかしければ、源氏「御息所の忌果てぬらむなむ。昨日今日と思ふ程に、みそとせよりあなたの事になる世にこそあれ。あはれにあぢきなしや。ゆふべの露のかかる程のむさぼりよ。いかでかこの髪剃りて、よろづ背き捨てむと思ふを、さものどやかなるやうにして過ぐすかな。いとわろきわざなりや」と宣ふ。夕霧「まことに惜しげなき人だに、おのがじしは離れがたく思ふ世にこそ侍めれ」など聞えて、夕霧「御息所の四十九日のわざなど、大和の守なにがしの朝臣、一人あつかひ侍る。いとあはれなるわざなりや。はかばかしきよすがなき人は、生ける世の限りにて、かかる世のはてこそ悲しう侍りけれ」と聞え給ふ。源氏「院よりもとぶらはせ給ふらむ。かの御子いかに思ひ嘆き給ふらむ。はやう聞きしよりは、この近き年ごろ事にふれて聞き見るに、この更衣こそ口惜しからずめやすき人のうちなりけれ。おほかたの世につけて惜しきわざなりや。さてもありぬべき人の、かう失せゆくよ。院もいみじうおどろき思したりけり。かの御子こそは、ここにものし給ふ入道の宮よりさしつぎには、らうたし給ひけれ。人様もよくおはすべし」と宣ふ。夕霧「御心はいかがものし給ふらむ。御息所は、こともなかりし人の気配心ばせになむ。親しううちとけ給はざりしかど、はかなき事のついでに、おのづから人の用意はあらはなるものになむ侍る」と聞え給ひて、宮の御事もかけず、いとつれなし。「かばかりのすくよか心に、思ひそめてむこと、いさめむにかなはじ、用いざらむものから、われさかしに言いでむもあいなし」と思して止みぬ。




大将の君が参上された機会に、心の様も知りたいと思い、源氏は、御息所の忌みは、明けただろう。昨日、今日と思ううちに、三十年以上の昔になる、世の中だ。儚く、つまらないものだ。夕方の露が、草葉にかかっているぐらいの、寿命をむさぼっている。何とかして、この髪を剃って、何もかも捨て去って、と思いつつ、いかにも、のんびりした態度で、日を送っている。まことに、良くないことだ。と、おっしゃる。
夕霧は、本当に、惜しくない人でも、それぞれは、去りがたく思う、この世でございます。などと、申し上げて、更に、御息所の四十九日の法要など、大和の何某朝臣が、一人で、お世話いたしますのは、まことに奇妙なことで、ございます。しっかりとした、縁者のいない人は、生きている間だけのことで、死後は、惨めなことでございます。と、申し上げる。
源氏は、上皇様からも、ご弔問されたことであろう。あの内親王は、どんなにお嘆きになってしらっしゃることか。昔聞いていたよりは、ここ一年余り、何かに付けて、見たり聞いたりするが、この更衣は、お付き合いできる感じのよい人の一人であろう。知り合いとしてではなくとも、惜しいことだ。まずまずの人が、こうして死んで行くことだ。上皇様も、酷く驚き遊ばしたのだ。あの内親王は、こちらにいらっしゃる入道の宮の次には、可愛がっていらした。ご様子も立派で、いらっしゃるだろう。と、おっしゃる。
夕霧は、お気立ては、どのようでいらっしゃいますか。御息所は、悪い点のなかった感じの性格でいらっしゃいました。親しくお話し合いくださいませんでしたが、ちょっとしたきっかけで、いつとはなく、たしなみの程は、分かるものでございます。と、申し上げて、女二の宮の事は、口にされず、冷静である。
これほど物に動じない人が、思いつめていることは、忠告しても、役に立つまい。聞きもしないのに、いい気になって、口出ししても、つまらないと、源氏は思い、おやめになった。




posted by 天山 at 06:11| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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