2016年03月23日

もののあわれについて798

物の怪に煩ひ給ふ人は、重しと見れど、さはやぎ給ふひまもありてなむ、物おぼえ給ふ。日中の御加持はてて、阿ジャリひとりとどまりて、なほ陀羅尼読み給ふ。よろしうおはしますことと喜びて、律師「大日如来そらごとし給はずは、などてか、かくなにがしが心をいたして仕うまつる御修法に、しるしなきやうはあらむ。悪霊は執念きやうなれど、業障にまとはれたるはかなものなり」と、声はかれていかり給ふ。いと聖だち、すくずくしき律師にて、ゆくりもなく、「そよや、この大将は、いつよりここには参り通ひ給ふぞ」と問ひ申し給ふ。御息所、「さる事も侍らず。故大納言のいとよき中にて、語らひつけ給へる心たがへじと、この年ごろ、さるべき事につけて、いとあやしくなむ語らひものし給ふも。かくふりはへ、わづらふをとぶらひにとて、立ち寄り給へりければ、かたじけなく聞き侍りし」と聞え給ふ。




物の怪に煩っていらっしゃる方は、重症と見えても、気分のすっきりする合間もあり、正気にお戻りになる。日中の御祈祷が終わり、阿ジャリ一人が残り、なお、陀羅尼を読まれる。少しはよくなり遊ばしたと喜んで、律師が、大日如来がうそをおっしゃらなければ、どうして、こんな私が、心を込めて、奉仕する御修法に、験のないわけがあろう。悪霊は、執念深いようだが、業障につきまとわれた、弱いものです。と、声がかれて、荒々しくおっしゃる。




律師「いであなかたは。なにがしに隠さるべきにもあらず。けさ、後夜にまうのぼりつるに、かの西の妻戸より、いとうるはしき男の出で給へるを、霧深くて、なにがしはえ見わい奉らざりつるを、この法師ばらなむ。「大将殿の出で給ふなりけり」と、「よべも御車も返して泊り給ひにける」と、口々に申しつける。げにいとかうばしき香の満ちて、頭痛きまでありつれば、げにさなりけり、と思ひ合はせ侍りぬる。常にいとかうばしうものし給ふ君なり。この事、いとせちにもあらぬ事なり。人はいと有職にものし給ふ。なにがしらも、童にものし給うし時より、かの君の御ための事は、修法をなむ故大宮の宣ひつけたりしかば、いかうに然るべきこと、今に承る所なれど、いとやすくなし。本妻強くものし給ふ。さる時にあへる族類にて、いとやむごとなし。若君達は七八人になり給ひぬ。え皇女の君おし給はじ。又、女人のあしき身を受け、長夜の闇に惑ふは、ただかうようの罪によりなむ、さるいみじき報をも受くるものなる。人の御いかり出で来なば、長きほだしとなりなむ。もはらうけひかず」と頭ふりて、ただ言ひに言ひ放てば、御息所「いとあやしき事なり。さらにさるけしきにも見え給はぬ人なり。よろづ心地のまどひにしかば、うち休みて対面せむとてなむ、しばし立ちとまり給へる。と、ここなる御たち言ひしを、さやうにて泊り給へるにやあらむ。おほかた、いとまめやかに、すくよかにものし給ふ人を」と、おぼめい給ひながら、心の内に、「さる事もやありけむ。ただならぬ御けしきは折々見ゆれど、人の御さまのいとかどかどしう、あながちに人のそしりあらむ事ははぶき捨て、うるはしだち給へるに、たはやすく心許されぬ事はあらじと、うちとけたるぞかし。人少なにておはするけしきを見て、はひ入りもやし給へりけむ」と思す。




律師は、いや、おかしい。私に、お隠しになることはない。今朝、後夜の勤めに上がったとき、あの西の妻戸から、とても立派な男が出ていらっしゃるのを、霧が深くて、私は見分けることが出来ませんでしたが、この法師どもが、大将殿が、お出になるのだ。昨夜も、お車も返して、お泊りになった。と、口々に申しました。なるほど、とても香ばしい香りがいっぱいで、頭の痛くなるほどでしたから、本当に、そうなのだと、合点しました。いつも、とても香ばしく焚き染めていらっしゃる方です。このご縁談は、甚だびったりとも、言えない話です。人物は、とても優れていらっしゃる。私どもも、幼い頃から、あの御方のための事は、修法を亡き大宮が、お命じになり、もっぱら役に立つことは、今でも、承っておりますが、はなはだ困ったことです。
本妻は、威勢が強くていらっしやる。ああいう時勢に乗った一族で、実に、たいしたものです。お子たちは、七、八人におなりになった。皇女の君は、太刀打ちできまい。それに、女人という、罪深い身を受けて、長夜の闇に惑うのは、ただこういう罪のせいで、ご承知の報いを受けるものです。あちらのお怒りが生じたら、末永く罪障となるに違いあるまい。まったく、賛成できません。と、頭を振って、ひたすら、言い募る。
御息所は、なんとも変な話です。全く、そんな様子も、見られない方です。ひどく気分が悪かったので、大将は、一休みして、対面しようといい、しばらく留まっていらっしゃる、と、ここの女房たちが言っていました。そういう訳で、お泊りになったのではないでしょうか。いったい、とてもお固くて、真面目一方の方でいらっしゃる。と、分からない振りをしながら、心の中では、そんなことがあったのかもしれない。普通ではないご様子は、時々見えはしたが、お人柄が、とてもしっかりしている。努めて人の非難を受けるようなことは、避けて、きちんとしていらっしゃる。そうたやすく、気の許せないことなど、されないだろう。と、安心していたのだ。人が少ない様子を見て、忍び込みでも、されたのかと、お考えになる。




律師立ちぬるのちに、小少将の君を召して、御息所「かかる事なむ聞きつる。いかなりし事ぞ。などかおのれにはさなむかくなむとは聞かせ給はざりける。さしもあらじと思ひながら」と宣へば、いとほしけれど、初めよりありしやうをくはしく聞ゆ。けさの御ふみのけしき、宮もほのかに宣はせつるやうなど聞え、小少将「年ごろ忍びわたり給ひける心の内を、聞え知らせむとばかりにや侍りけむ。ありがたう用意ありてなむ、明かしもはてで出で給ひぬるを、人はいかに聞え侍るにか」。律師とは思ひも寄らで、しのびて人の聞えけると思ふ。物も宣はで、いと憂くくちをしと思すに、涙ほろほろとこぼれ給ひぬ。見奉るもいとほしう、「何にありのままに聞えつらむ。苦しき御ここちを、いとど思し乱るらむ」とくやしう思ひいたり。




律師の立ち去った後で、小少将をお召しになって、こんなことを聞きました。どうだったのですか。何故、私に、ああだ、こうだと、宮様は、お聞かせくださらないのでしょう。そんなことは、あるまいと、思いますが。と、おっしゃるので、お気の毒だが、最初からの、いきさつを詳しく申し上げる。今朝のお手紙の様子や、宮も少しは、おおせられたことなど、申し上げた。そして小少将は、長年秘めておいでになった、お胸の内を、お耳に入れようという程の事だったのでございましょう。例のないほど、気を使われて、夜明けも待たずに、お出になりました。人には、どんな風に、申し上げましたのか。律師だとは、思いも寄らず、こっそり、女房が申し上げたと思っている。
御息所は、何も、おっしゃらず、嘆かわしくも、残念にも思いになる。と、涙が、ほろほろとこぼれるのである。拝見している小少将も、お気の毒で、何故、ありのままに、申し上げたのかと思う。苦しいご気分なのに、いっそう、お心を痛めたであろう、と、悔やみつつ、控えている。




posted by 天山 at 03:56| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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