2016年03月22日

もののあわれについて797

かやうのありき、ならひ給はぬ心地に、をかしうも心づくしにもおぼえつつ、殿におはせば、女君の、かかる濡れをあやしと咎め給ひぬべければ、六条の院の東のおとどにまうで給ひぬ。まだ朝霧もはれず、ましてかしこにはいかにと思しやる。女房「例ならぬ御ありきありけり」と人々はささめく。しばしうち休み給ひて、御衣脱ぎ替え給ふ。常に、夏冬といと清らにしおき給へれば、香の御唐弼りとうでて奉り給ふ。御粥などまいりて、御前に参り給ふ。




このような、出歩きは、されない方とて、面白いとも、気を使うことだとも感じながら、お屋敷にいらしては、女君が、このような濡れ姿を怪しいと、疑うにきまっていると、六六条の院の、東の御殿に参上された。まだ朝霧も、晴れない。まして、あちらでは、どんなことだろうと、想像された。例にない、忍び歩きだったと、女房たちは、ささやく。しばらくお休みになって、お召し物を脱がれて、替える。いつも、夏物、冬物と、とてもきれいに用意しておられるので、香の御唐櫃から取り出して、差し上げる。お食事など、召し上がって、院の御前にお上がりになる。




かしこに御文奉り給へれど、御覧じも入れず。にはかにあさましかりし有様、めざましうも恥づかしうも思すに、心づきなくて、御息所のもり聞き給はむこともいと恥づかしう、又、かかる事やとかけて知り給はざらむに、ただならぬふしにても見つけ給ひ、人の物言ひ隠れなき世なれば、おのづから聞き合はせて、へだてけるとおぼさむがいと苦しければ、「人々ありしままに聞えもらさむ。憂しと思す。親子の御中と聞ゆるなかにも、つゆ隔てずぞ思ひかはし給へる。よその人はもり聞けども、親に隠す類こそは、昔の物語にもあめれど、さはた思されず。




あちらに、お手紙を差し上げたが、御覧になろうとしない。思いがけず、いやな目にあったもあの出来事を、腹立たしくも、恥ずかしくも思い、不愉快で、御息所がお耳にされても、恥ずかしいし、逆に、こんな出来事があったとは、少しもご存知ないのに、いつもと違うことでも、お見つけなさり、人のうわさの、伝わらないはずはないから、自然に、わかってしまう。隠し立てしたと思われては辛いので、女房たちが、ありのままに、お耳に入れてくれたらよい、困ったことをと思っても、しようがないと、お考えになる。親子の御中と申すことでも、何一つ隠さず、打ち明けあっていらっしゃる。他人は、漏れ聞いても、親には、隠す例ならば、昔の物語にもあるようだが、そんな風には、考えない、身やである。




人々は、「何かは、ほのかに聞き給ひて、事しもあり顔に、とかく思し乱れむ。まだきに心苦し」など言ひ合せて。いかならむと思ふどち、この御息所のゆかしきを、引きもあけさせ給はねば、心もとなくて、女房「なほ、むげに聞えさせ給はざらむもおぼつかなく、若々しきやうにぞ侍らむ」など聞えて、広げたれば、「あやしう、何心もなきさまにて、何心もなきさまにて、人にかばかりなかりにても見ゆるあはつけさの、みづからの過に思ひなせど、思ひやりなかりしあさましさも、慰めがたくなむ。え見ずとをいへ」と、ことのほかにて寄りふさせ給ひぬ。




女房たちは、なんの、お耳になさって、仔細ありげに、何かとご心配されるだろうか。取り越し苦労は、いらぬこと。などと、言い合わせて、黙っている。何が書いてあるのかと思う者たちは、このお手紙が見たいけれど、開ける様子もなく、じれったくて、矢張り、まったくご返事なさらないのも変なことで、子供っぽいことになりましょう。などと、申し上げて、手紙を広げたので、宮は、思いもかけず、うっかりしていて、男の人に、あの程度であっても、見られた至らなさは、わが身の過ちと思いますが、無遠慮なひどい仕打ちは、諦められなくて。拝見できませんと、おっしゃい、と、そっけない態度で、横になり遊ばした。




さるは、にくげもなく、いと心深う書い給うて、
夕霧
魂を つれなき袖に とどめおきて わが心から まどはるるかな

ほかなるものはとか、昔も類ありけりと思う給へなすにも、さらに行くかた知らずのみなむ」など、いと多かめれど、人はえまほにも見ず。例のけしきなるけさの御文にもあらざらめれど、なほえ思ひはるけず。人々は、御けしきもいとほしきを嘆かしう見奉りつつ、「いかなる御事にかはあらむ。何事につけてもありがたう、あはれなる御心ざまは、程へぬれど、かかるかたに頼み聞えては、見劣りやし給はむと思ふも、あやふく」など、むつまじう候ふ限りは、おのがどち思ひ乱る。御息所もかけて知り給はず。




実のところ、大将、夕霧は、憎まれぬよう、とても心をこめて、お書きになり、

魂を、つれないあなたの袖の中に、残したままで、わが心からとはいえ、どうしたらいいのか、わかりません。

思うに任せないものは。とか、昔にも同じような人がいたと思っても、一向に、どうしたものか、わからない有様で、などと、長々と書いてあるが、女房は、全部を見ることはできない。
普通の、後朝らしい、今朝のお手紙ではないらしいが、矢張り、すっきりせず、女房たちは、宮の様子もお気の毒で、心を痛めて、拝しながら、どういう事なのだろう。何事につけて、珍しいほど、思いやりのあるお気持ちは、長年続いているけれど、ご結婚相手として、お頼り申すとは、期待ほどでないかもしれない。と思うのも、不安で、などと、親しくお仕えしている者は、皆、それぞれ心配している。御息所は、少しもご存じないのである。



posted by 天山 at 06:46| もののあわれ第14弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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