2016年03月11日

打倒・韓国69

韓国と、韓国人を理解するためには、韓国での儒教の、在り方を知らなければならないようだ。

朴氏が、
儒教は、韓国人に悲劇をもたらした。儒教も「メイド・イン・チャイナ」である。儒教は孔子を開祖にしていることから、西洋では孔子教「コンフューシャニズム」と呼ばれている。この儒教が怪物となって暴れまわり、韓国人を苦しめることになった。
と、言う。

日本の江戸時代も、儒教を持って幕府が、政治を行なったが・・・
朴氏が書く儒教は、それとは、全く違うものである。

韓国では、大学教授が学生に対してだけではなく、周囲に対して権威を繕うのは、儒教の伝統の影響をこうむっているからである。儒教といえば、徳川幕府は、儒教の教えを用いて国を治めた。しかし、日本の儒教は、韓国や中国の儒教と比べれば、生っちょろいものである。・・・


確かに、そのようである。

儒教は、韓国人の性格を捻じ曲げてしまった。儒教は、瓶の上に載った巨大な漬物石のように、韓国人の精神を押し潰してしまった。


儒教が、中国で起こり、国教のようになったのは、紀元前136年のことであり、それから、20世紀、清が滅びるまで、続いた。
現在の、共産党一党独裁政権が続く理由も、理解出来るのである。

朝鮮に儒教が、入ってきたのは、14世紀末の、武力によって、高麗王朝を倒して、王位に就き、新王朝を創建してからである。
つまり、李朝朝鮮である。

太祖と呼ばれる李成桂は、首都を開城から現在のソウルである漢陽に遷都して、名称も漢城に改めた。また、儒教を国教として定めて崇儒斥仏を建国の理念とした。儒教という精霊を壺から取り出したのだった。


韓国では、それまで、仏教が力を持っていた。
新羅、百済、高句麗の三国時代から、高麗朝に至るまで。
高麗時代は、仏教の全盛期である。
儒教も取り入れられたが、仏教と、共存していたのである。

高麗朝までの儒教は、李朝における儒教とは、全く異なっていた。

李成桂が、政権を取ると、そのクーデターを支持した、高麗の若手官僚たちが、儒教を信奉していたゆえに、儒教を国教としたのである。

李朝は、儒教を韓国の民族性に合わせて、換骨奪胎することがなかった。


それが、悲劇の始まりである。

儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした。


結果、仏教は、壊滅的状態になって行った。

李朝朝鮮は、儒教によってがんじがらめに縛りあげられた。韓国は李朝500年にわたって、儒教によって支配された。儒教は倫理説であるが、為政者のためにつくられた教えである。もとの中国でも、国家に忠実な御用学であった。


朴氏によれば、孔子の教えは、
目上の者によく服従し、古来から伝わってきた作法を、プログラムされたロボットのように守れば、天下社会の秩序が保たれるというものである。既存の秩序を守らなければならないという教学なのだから、支配者にとっては、都合がきわめてよかった。儒教は、他の教えや批判的な思考や、新しい考え方とか、人々の好奇心をいっさい封じ込めてしまった。そのために、儒教のもとでは、進歩がいっさいなかった。
と、いうことだ。

思想というものは、恐ろしいものである。
今では、この儒教の教えが、韓国人の、民族性まで、歪にし、更に、精神的に非常に不安定にさせていると、考える。

儒教は、共産主義にほんとうに似ている。これまでの共産主義国家を想像してみてほしい。共産主義を国教にして民衆を支配した国家は、みな国が本来備えているべき活力を失っている。自由がないからだ。共産主義も権力者のための御用学になってしまった。共産主義国では、旧ソ連から中国、旧ドイツ、北朝鮮、ベトナムにいたるまで、党幹部の並びかたの順番といったつまらないことが重視されたように、権威主義的な上下関係をことさらに強調してきた。


つまり、儒教は、別な形での、共産主義なのである。
厳密に考えると、そういうことになる。
それが、韓国人の精神を破壊した、ということである。

共産主義も、儒教と同じように神仏の存在を否定し、世俗的な権威を至上の権威とした。共産主義は、儒教と同じように独善的で、他の思想をすべて排斥して、批判や、新しい発想をいだくことを許さなかったから、人に備わっているもっとも大きな力である考える力を麻痺させてしまった。


韓国人は、考える力を、麻痺させたままに、今に至るとなる。
李朝時代の、500年間の、儒教が、今も存続しているのだ。

孔子は、家庭に加えて一族を重視した。孝は、儒教においてもっとも基本的な徳目である。親に孝行したり、先祖に感謝するのはよいことだが、親や、先祖の恩を途方もなく膨らませたために、人々は親や、先祖の恩という過大な債務によって押し潰されてしまった。
韓国語の「アボジ」(父)という言葉は、日本語の「父」や、英語の「ファーザー」よりもはるかに権威があって、重々しいものだ。


それが、現在まで続く。
確かに、良いことではあるが・・・
それが、極端になると、どうなるのか。

韓国社会の、停滞を招いている。

ただし、現在は、その、孝行も、廃れた。
親を捨てる韓国人たち・・・

そうすると、どうなるのか・・・
破滅である。
そして、もう、自制が効かない、社会になる。

こうして見ると、韓国の、病理が見えてくる。
悲しいことだ。



posted by 天山 at 08:06| 打倒・韓国2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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