2016年02月03日

もののあわれについて788


十五夜の夕暮に、仏の御前に宮おはして、端近うながめ給ひつつ念誦し給ふ。若き尼君たち二三人花奉るとて、鳴らすあか杯の音、水のけはひなど聞ゆる、さま変はりたるいとなみに、そそきあへる、いとあはれなるに、例の渡り給ひて、源氏「虫の音いとしげう乱るる夕べかな」とて、われも忍びてうち誦じ給ふ。阿弥陀の大呪、いと尊くほのぼの聞ゆ。げに声々聞えたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。源氏「秋の虫の声いづれとなき中に、松虫なむすぐれたるとて、中宮の遥けき野辺を分けて、いとわざと尋ねとりつつ、放たせ給へる、しるく鳴き伝ふることこそ少なかれ。名にはたがひて、命の程はかなき虫にぞあるべき。心にまかせて、人聞かぬ奥山、遥けき野の松風に、声惜しまぬも、いとへだて心ある虫になむありける。鈴虫は心やすく、今めいたるこそらうたけれ」など宣へば、
宮、

女三の宮
大かたの 秋をば憂しと 知りにしを ふり捨て難き 鈴虫の声

と忍びやかに宣ふ。いとなまめいて、あてにおほどかなりる。源氏「いかにとかや、いで思ひのほかなる御言にこそ」とて、

源氏
心もて 草のやどりを いとへども なほ鈴虫の 声ぞふりせぬ

など聞え給ひて、琴の御琴召して、めづらしく弾き給ふ。宮の御数珠ひきおこたり給ひて、御琴になほ心いれ給へり。月さし出でて、いとはなやかなる程もあはれなるに、空をうちながめて、世の中さまざまにつけて、はかなく移り変はる有様、思し続けられて、例よりもあはれなる音に、掻き鳴らし給ふ。




八月十五夜の夕方、仏前に、女三の宮が、お座りになり、簀子近く、物思いのうちに、念誦される。若い尼君、二、三人が仏前に、花を差し上げると申して、鳴らすあか杯の音、見ずの音が聞こえるのは、普通と違う仕事であるが、忙しくしているのは、とても、あはれを感じる。そこへ、いつものように、源氏がお出でになり、虫の音が、ひどく鳴き乱れる今宵だ。と、ご自分も、念誦を低く唱える。阿弥陀の大呪が、尊く、かすかに聞こえる。実際、多くの虫の音が聞こえる中で、鈴虫が声を張り上げたのは、派手で、綺麗である。源氏は、秋の虫の音は、皆いいが、松虫が特にいいとおっしゃり、中宮が、遠い野原に人をやり、わざわざ、良い声のものを捜して、捕らえてきて、お放しになったが、はっきりと、野原での声を聞かせるのは、少ないようだ。名と違い、あまり長生きしない虫のようだ。思う存分、誰も聞かない、奥山や、遠い野原の松原で、声を惜しまず鳴き、こちらでは、鳴かないものも、隔て心のある虫なのだ。鈴虫は、気安く、賑やかに鳴くのが、可愛い。などと、おっしゃるので、宮は、

女三の宮
何事がなくても、秋は、辛いものと分かっていますが、やはり、あの鈴虫の声は、飽きずに、聴き続けたい気がします。

と、低くおっしゃる。その声は、まことに美しく上品で、おっとりしている。源氏は、なんとおっしゃる。いや、思いもかけないお言葉だ、と、

源氏
ご自分から、進んで、この家をお捨てになったのに、やはり、お声は、鈴虫と同じ、変わらず、美しい。

などと、申し上げて、琴のお琴を取り寄せて、珍しく、お弾きになる。宮は、お数珠を繰るのも忘れて、弾き方に、注意を凝らしている。
月の光で照らし、明るくなったのも、心打つことだが、空を振り仰いで、物思いにふける。人が、それぞれの理由で、出家したことが、胸に浮かび、いつもより、あはれな音色に、お弾きになられるのである。

いとあはれ・・・
例よりも、あはれ・・・
色々と、意味付け出来る、あはれ、である。




今宵は、例の、御遊びにやあらむと、おしはかりて、兵部卿の宮渡り給へり。大将の君、殿上人のさるべきなど具して参り給へれば、こなたにおはしますと、御琴の音をたづねてやがて参り給ふ。源氏「いとつれづれにて、わざと遊びとはなくとも、久しく絶えにたる、めづらしき物の音など聞かまほしかりつるひとりごとを、いとようにたづね給ひける」とて、宮も、こなたにおましよそひ入れ奉り給ふ。内の御前に、今宵は月の宴あるべかりつるを、とまりてさうざうしかりつるに、この院に人々参り給ふと聞き伝へて、これかれ上達部なども参り給へり。虫の音の定めをし給ふ。




今宵は、いつもの通り、音楽会だろうと思い、兵部卿の宮が、お出でになった。
大将の君、夕霧も、殿上人の適当な者などを連れて、参上されたが、こちらにお出でだと、お琴の音をたよりに、まっすぐにいらした。源氏は、することもないまま、特に音楽会というわけではないが、長い間、聞かずにいて、珍しくなった楽の音などを、聞きたいと、ひとり弾いていたが、よく、聞きつけて、来てくださった。と、おっしゃり、兵部卿の宮にも、お席を作り、お入れ申し上げる。主上の御前で、今夜は、月の宴があるはずだったが、中止になってしまい、つまらない気がしていたが、六条の院に、大勢の方がおいでになると、次々に耳にして、誰彼や上達部なども、参上なさった。御一同でご一同で、虫の音の評価をなさった。




御琴どもの声々掻き合わせて、面白きほどに、源氏「月見る宵のいつとてもものあはれならぬ折りはなき中に、こよひのあらたなる月の色には、げになほわが世のほかまでこそ、よろづ思ひ流さるれ。故権大納言、何の折々にも、なきにつけていとどしのばるること多く、おほやけわたくし、物の折りふしのにほひ失せたるここちこそすれ。花鳥の色にも音にも思ひわきまへ、いふかひある方の、いとうるさかりしものを」など宣ひ出でて、みづからも掻き合わせ給ふ御琴の音にも、袖ぬらし給ひつ。御簾の内にも、耳とどめてや聞き給ふらむと、片つ方の御心には思しながら、かかる御遊びの程には先づ恋しう、内などにも思し出でける。源氏「今宵は鈴虫の宴にて、明してむ」と思し宣ふ。




あれこれと、弦楽器を合奏されて、興が乗ってきたころに、源氏は、月を見る宵は、いつでも、胸迫る気持ちのしない時はないもの。特に、今夜の出たばかりの月の色を見ると、昔から言う通り、やはり、死後の世界のことまでも、何もかもが、つい、想像してしまう。亡き権大納言は、何かの場合に、死んだと思うと、一層、思い出されることが多く、公私共に、何かの時々の、輝きが無くなった気がする。花の色や、鳥の音など、美しいものをわきまえて、話ができるということでは、至れり尽くせりだった。などと、口にお出しになる。
ご自分のお弾きの琴の音にも、感じ入り、涙に袖を濡らされた。御簾の中で、宮が注意して聞いているだろうと、亡き人を偲ぶ一方では、悪く思うが、こんな音楽会には、誰よりも、恋しく、主上におかせられても、思い出されるのだった。
源氏は、今夜は、鈴虫の宴で、夜を明かそう、と思いになり、お口にもされる。

権大納言とは、亡き、柏木のこと。



posted by 天山 at 06:43| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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