2016年01月14日

もののあわれについて785

鈴虫

夏ごろ、はちすの花の盛に、入道の姫宮の御持仏どもあらはし給へる、供養せさせ給ふ。このたびは、おとどの君の御心ざしにて、御念誦堂の具ども、こまかにととのへさせ給へるを、やがてしつらはせ給ふ。幡のさまなどなつかしう、心ことなる唐の錦を運び縫はせ給へり。紫の上ぞ、いそぎせさせ給ひける。花机のおほひなどをかしき目染もなつかしう、清らなるにほひ、染めつけられたる心ばへ、目なれぬさまなり。夜の御帳のかたびらを、四面ながらあけて、うしろの方に法花の曼荼羅かけ奉りて、しろがねの花瓶に、高くことごとしき花の色をととのへて奉れり。




夏の頃、蓮の花の盛りに、入道された、女三の宮の、御持仏の、数々を開眼されて、供養をあそばす。今回は、源氏の御発願で、御念誦堂のいろいろな道具を、心をこめて、おろそかになっていたものを、この持仏開眼のために、お飾りになる。幡の出来など、優しい雰囲気で、特に立派な舶来の錦を選ばれて、縫わせになった。
これは、紫の上が、ご準備した。花机の被いなど、結構な鹿の子絞りも、優しい感じで、綺麗な色艶、染め上げられた趣向は、またとない、出来栄えである。夜の御帳台の帷子を、四方とも上げて、後の方に、法花の曼荼羅をかけて、銀で作った花瓶に、蓮の花を、背の高い立派な色ばかりを揃えて、挿してある。




名香には、唐の百歩の薫衣香を焚き給へり。阿弥陀仏、脇侍の菩薩、おのおの白檀して作り奉りたる、こまかにうつくしげなり。あかの具は、例のきはやかにちひさくて、青き、白き、紫の蓮をととのへて、荷葉の方を合はせたる名香、蜜を隠しほほろげて、焚きにほはしたる、ひとつ薫ににほひあひて、いとなつかし。




仏様のお香には、唐風の百歩の、薫衣香を焚いている。阿弥陀仏、脇侍の菩薩、それぞれ白檀でお作り上げたのが、繊細で美しい。仏様のお水の道具は、いつも通り、きわだって小さく、青や白、紫の蓮の花を綺麗に飾り、荷葉香を調合して、蜜を少しにし、ぼろぼろして焚いたのが、蓮の花の匂いと一緒になり、とても優しく、懐かしい香りがする。




経は六道の衆生のために、六部書かせ給ひて、みづからの御持経は、院ぞ御手づから書かせ給ひける。これをだにこの世の結縁にて、かたみに導きかはし給ふべき心を、願文に作らせ給へり。さては阿弥陀経。唐の紙はもろくて、朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋の人を召して、ことに仰言賜ひて、心ことに清らに漉かせ給へるに、この春の頃ほひより、御心とどめていそぎ書かせ給へるかひありて、はしを見給ふ人々、目も輝き惑ひ給ふ。




経典は、六道に迷う人々のために、六部お書かせになり、女三の宮ご自身の御持経は、院ご自身が、お筆をおろした。せめて、このご自筆のお経を、この世の結縁として、お互いに、導き交わすとの、気持ちを願文に、お書き遊ばす。それ以外は、阿弥陀経を、唐の紙はもろくて、朝晩お使いになるのは、どんなものかとあり、紙屋院の役人を召して、特別のご命令を下され、別誂えで、綺麗にお作りにならせた紙に、この春の頃から、念を入れて、急いで書き遊ばしただけのことがあり、ほんの一部分を、ご覧になる方々も、眩しく思われる程の、美しさである。




罫かけたる金の筋よりも、墨つぎの上に輝くさまなども、いとなむめづらかなりける。軸、表紙、箱のさまなど、いへばさらなりかし。
これはことに沈の花足の机にすえて、仏の御おなじ帳台の上に飾らせ給へり。




罫に引いてある、金泥の線よりも、お筆の跡が紙の上に輝いている美しさは、実によいものである。お経の軸や、表紙、箱の様子なども、申すまでもないこと。
ご自筆の阿弥陀経は、特別に、沈の花足の机に載せて、仏様と同じ御帳台の上に、飾られた。




堂飾りはてて、講師参うのぼり、行香の人々参り集ひ給へば、院もあなたに出で給ふとて、宮のおはします西の廂にのぞき給へれば、狭きここちする仮の御しつらひに、所せくあつげなるまで、ことごとしく装束きたる女房、五六十人ばかり集ひたり。北の廂、簀子まで童べなどさまよふ。




お堂を飾り終わり、講師が上堂し、行香の人たちも、お集まりになった。院、源氏もそちらに、お出でになる途中、宮のいらっしゃる、西の廂に顔を出されると、狭い仮の御座所に、ぎっしりと、暑苦しいまでに、仰々しい装束の女房たち、五、六十人が、集っている。北の廂や、簀子まで、女童などが、はみ出して、うろうろしている。




火取どもあまたして、けぶたきまであふぎ散らせば、さし寄り給ひて、源氏「空に焚くは、いづくの煙ぞと思ひわかれぬこそよけれ。富士の峰よりもけに、くゆり満ち出でたるは、本意なきわざなり。講説の折りは、大方の鳴りをしづめて、のどかに物の心も聞きわくべき事なれば、はばかりなき衣の音なひ、人のけはひ、しづめてなむよかるべき」など、例のもの深からぬ若人どもの用意、教へ給ふ。宮は人気におされ給ひて、いとちいさくをかしげにて、ひれ臥し給へり。源氏「若君らうがはしからむ、抱き隠し奉れ」など宣ふ。




香炉を沢山使い、煙たくなるほど、あおぎ散らすので、傍に寄り、源氏は、どこで焚いているかわからぬほどがよい。富士山以上に、煙が立ち込めているのは、感心しないが。お経の、講義の時は、他の音はしないようにして、静かに、お話の意味がわかるように。衣擦れの音や、人のいる様子は出さないようにするのがよい。と、いつも通り、思慮の足りない若い女房たちに、心遣いを教える。
宮は、大勢の人たちに圧倒されて、小柄で美しい姿で、臥せられていた。源氏は、赤ん坊は、やかましいだろう。抱いて、あちらに、お連れ申せ、などと、おっしゃる。



posted by 天山 at 07:15| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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