2016年01月12日

もののあわれについて783

女御の御方におはします程なりけり。三の宮三つばかりにて中にうつくしくおはするを、こなたにぞ又とりわきておはしまさせ給ひける。走りいで給ひて、三宮「大将こそ。宮抱き奉りて、あなたへ率ておはせ」とみづからかしこまりて、いとしどけなげに宣へば、うち笑ひて、夕霧「おはしませ。いかでか御簾の前をば渡り侍らむ。いと軽々ならむ」とてねいだき奉りて居給へれば、三宮「人も見ず。まろ、顔は隠さむ。なほなほ」とて、御袖してさし隠し給へば、いとうつくしうて、率て奉り給ふ。こなたにも、二の宮の若君とひとつに交りて遊び給ふを、うつくしみておはしますなりけり。隅の間の程におろし奉り給ふを、二の宮見つけ給ひて、「まろも大将に抱かれむ」と宣ふを、三の宮「あが大将をや」とて、ひかへ給へり。




源氏は、女御の部屋においで遊ばす時だった。
三の宮が、三歳ばかりで、兄弟の中でも、特に可愛らしくているが、紫の上でも、特別に、お手元に住まわせていた。その宮が走り出て、大将よ、宮をお抱き申し上げて、あちらに連れて行ってください。と、自分に敬語をつけて、聞き苦しい話し方をされるので、笑いつつ、夕霧は、おいで遊ばせ。でも、どうして御簾の前を通れましょうか。まことに無作法ですと、お抱きして、腰を下ろすと、三宮が、誰も見ていないし、私が顔を両手で、隠そう。ぜひぜひ、と、お袖で顔をお隠しになったので、可愛らしくて、お連れ申し上げる。
女御の方でも、二の宮が、若君とご一緒で、遊んでいられるのを、源氏が、可愛がっていた。隅の間に、下し申し上げるのを、二の宮が、見つけて、私も大将に抱かれようと、おっしゃるのを、三の宮が、私の大将だよ、と、つかまえている。




院も御覧じて、源氏「いとみだりがはしき御有様どもかな。おほやけの御近きまもりを、わたくしの随身に領ぜむとあらそひ給ふよ。三の宮こそいとさがなくおはすれ。常に兄にきはひましう給ふ」といさめ聞えあつかひ給ふ。大将も笑ひて、「二の宮は、こよなく兄心に所さり聞え給ふ御心深くなむおはしますめる。御年の程よりは、おそろしきまで見えさせ給ふ」など聞え給ふ。うち笑みて、いづれほねいとうつくしと思ひ聞えさせ給へり。源氏「見苦しく軽々しき公卿の御座なり。あなたにこそ」とて渡り給はむとするに、宮たちまつはれて、さらに離れ給はず。「宮の若君は、宮たちの御列にはあるまじきぞかし」と御心の中に思せど、なかなかその御心ばへを、母宮の、御心の鬼にや思ひよせ給ふらむと、これも心の癖にいとほしう思さるれば、いとらうたきものに思ひかしづき聞え給ふ。




それを、源氏もご覧になり、なんと、行儀の悪い、お二方だろう。陛下の身近な軍人を、自分の家来にしようと、取り合いされるのだな。三の宮が、よろしくなくて、いらっしゃる。いつも、お兄様に負けまいとなさる。と、お叱りになり、仲裁される。大将も、笑って、二の宮は、大変、お兄様らしく、聞き分けのよいご性質の方で、おいであそばすようです。お年の割に、怖いほどご立派に見られます。などと、申し上げる。源氏は、にっこりとして、どちらも、とても可愛らしく思っている。
源氏は、公卿には、見苦しく軽々しいお席だ。あちらへ。と、東の対の方へ、おいでになろうとすると、宮たちが、すがりついて、お離れにならない。宮の、若君は、皇子たちとご一緒にいるべきではない、と、御心の中では、お考えだが、かえって、そういう気持ちを、母宮が、心に咎めて、ひがまれるかもしれないと、これもまた、持って生まれた性格で、大変可哀想になるので、とても、かわいがり、大切にして、差し上げる。




大将は、「この君をまだえよくも見ぬかな」と思して、御簾のひまよりさしいで給へるに、花の枝の枯れて落ちたるを取りて、見せ奉りて招き給へば、走りおはしたり。




大将は、この君を、まだゆっくりと見ていないと、思い、若君が御簾の隙から顔を出したところへ、花の枝の枯れて、落ちているのを手に取り、お見せしてお傍に、お呼びになると、走って、いらした。




二藍の直衣の限りを着て、いみじう白う光りうつくしきこと、皇子舘りもこまかにをかしげにて、つぶつぶと清らなり。なま目とまる心も添ひて見ればにや、眼居など、これは今すこし強うかどある様まさりたれど、まじりのとづめをかしうかをれる気色など、いとよくおぼえ給へり。口つきの、ことさらに花やかなる様して、うち笑みたるなど、わが目のうちつけなるにやあらむ。おとどは必ず思し寄すらむと、いよいよ御気色ゆかし。宮達は、思ひなしこそ気高けれ。世の常のうつくしき児どもと見え給ふに、この君は、いとあてなるものから、さま異にをかしげなるを、見くらべ奉りつつ、「いであはれ。もし疑ふゆえもまことならば、父大臣のさばかり世にいみじく思ひほれ給うて「子と名のりいでくる人だになきこと。形見に見るばかりの名残をだにとどめよかし」と泣きこがれ給ふに、聞かせ奉らざらむ罪得がましさ」など思ふも「いで、いかで然はあるべき事ぞ」となほ心得ず思ひ寄るかたなし。心ばへさへなつかしうあはれにて、むつれ遊び給へば、いとらうたく覚ゆ。




二藍の、直衣だけを着て、大変色白で、つやつやして可愛らしいことは、皇子方よりも、上品で、立派で、まるまると太り、綺麗だ。何か、そう思って見るせいもあるのか、目つきなどは、少しきつく、才走っているのは、衛門の督以上だけれど、目尻の切れが、美しく輝いている様子は、とても似ている。口元が、特に華やかな様子をしていて、にっこりしたところなどは、自分が、ふっと見るだけのせいか、そっくりだ。
源氏は、きっと、気づいているだろうと、思うと、益々、ご心中が知りたいと思う。宮達は、皇子だと、思うからこそ、気高くもあるが、世間普通かの可愛らしい子供と、見えるが、この君は、とても品があり、特別に、美しいのを、皇子方と比較申し上げて見ながら、なんと、可哀想な。もし、自分の疑いが本当なら、故人の父大臣が、あんなにまで、気の抜けたように悲しんでいらっしゃり、子供だと、名乗り出てくる人さえ、いない。せめて、形見として、世話する者でも、残しておいてくれろ、と泣いて焦がれていらっしゃるのに。実の子がいると、教えないのは、罪になりはしないか、などと思うが、いやいや、どうして、そんなことがあり得よう、と、やはり、納得出来ず、推測のしようがない。気立てまで、優しく、おしなしくて、仲良く、お遊びになるので、大変、可愛らしく思われるのである。

夕霧の、柏木の子に対する、思いである。

いであはれ
何とも言えぬ思い、である。
説明し尽くすことが出来ない、心情を言う。





posted by 天山 at 07:12| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。