2015年10月15日

もののあわれについて764

宮は、この暮つ方より、なやましうし給ひけるを、その御気色と見奉り知りたる人々、騒ぎ満ちて、おとどにも聞えたりければ、驚きて渡り給へり。御心の内は、源氏「あな、口惜しや。思ひ交ずる方なくて見奉らましかば、めづらしく嬉しからまし」と思せど、人には気色もらさじ、と思せば、験者など召し、御修法は、いつとはなく不断にせらるれば、僧どもの中に、験あるかぎり皆参りて、加持まいり騒ぐ。




宮は、この日の夕方から、苦しみだしたが、お産だと分り、人々が騒いで、源氏にも申し上げた。源氏は、驚いて、こちらにお出でになったが、心の内では、ああ残念だ。疑わしい点なしに、お産のお世話ができれば、珍しく、嬉しいことだろうに。と思いになるが、他の者には、この気持ちを知られぬようにという思いがあり、験者などを呼んで、修法を、いつまでもひっきりなしにしているので、僧の中でも、しるしのある者は、全部参り、加持を大声でしている。




夜一夜、なやみ明かさせ給ひて、日さし上がる程に生まれ給ひぬ。男君と聞き給ふに、「かく忍びたる事の、あや憎にいちじるき顔つきにて、さしいで給へらむこそ、苦しかるべけれ。女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見る者ならねば安けれ」と思すに、また、「かく心苦しき疑ひ交りたるにては、心安き方にものし給ふも、いと良しかし。さてもあやしや。我、世とともに恐ろしと思ひし事の報いなめり。この世にて、かく思ひかけぬ事にむかはりぬれば、後の世の罪も、少し軽みなむや」と思す。




一晩中苦しみて、朝日が差しあがった頃に、お生まれになった。
男君とお聞きになり、このような内緒ごと、困ったことに、はっきりした顔付きで、人前に出ると言うことになると、困ることだ。女であれば、何となく目立たず、大勢の人が会うのではないから、安心なのだが。と、思うが、一方では、このような困った疑いがあると、世話のいらない男の子のほうでも、良いことだ。それにしても、変なことだ。自分が一生を通じて、恐ろしいと思っていたことの報いであろう。この世で、このような思い掛けないことで、報いがあるから、来世での罪も、少しは、軽くなることだろう。

これは、源氏の思いである。




人はた、知らぬ事なれば、「かく心殊なる御腹にて、末に出でおはしたる御おぼえ、いみじかりなむ」と、思ひいとなみ仕うまつる。
御産屋の儀式、いかめしくおどろおどろし。御方々、さまざまにしいで給ふ御産養、世の常の折敷、衝重、高杯などの心ばへも、ことさらに、心々にいどましさ見えつつなむ。




女房のほうは、知らないことなので、このように特別の方を、母君として、晩年にお生まれになったお子への、寵愛は、大変なものだろうと思い、大事にお世話する。
御産屋の儀式は、堂々として、仰々しい。六条院の婦人方が、様々な違ったされ方で、御産養は、形通りの折敷、衝重、高杯などの趣向も、わざわざそれぞれの、競争心が、見えるのだ。




五日の夜、中宮の御方より、子持ちの御前の物、女房の中にも、品々に思ひ当てたるきはぎは、公事にいかめしうさせ給へり。御粥、中食五十具、所々の饗、院の下部、庁の召次所、なにかの隈まで、いかめしくせさせ給へり。宮司、丈夫より始めて、院の殿人上みな参れり。




五日の夜、中宮の御もとから、御産婦の召し上がり物、女房の中にも、身分身分に相当する物を、公式に堂々とされる。御粥、屯食五十人前、あちこちの饗宴は、六条の院の下男や、庁の召次所のような、下々の所まで、堂々となさり、中宮職は、丈夫をはじめとして、院の殿上人も、皆、参上した。




七夜は、内より。それも公様なり。致仕の大臣など、心ことに仕奉り給ふべきに、この頃は何事も思されで、おほぞうの御訪ひのみぞありける。宮達、上達部など、あまた参り給ふ。おほかたの気色も、世に無きまでかしづき聞え給へど、おとどの御心の内に心苦しと思す事ありて、いたうももてはやし聞え給はず。御遊びなどは無かりけり。




七日の夜は、主上から、御産養が、それも、公式に行われた。
致仕の大臣などは、特別にお役を勤めるのだが、このところ、気も転倒されて、一通りのお祝いだけがあった。宮たち、上達部などが、大勢いらした。普通の感じでも、またとなく、大事に差し上げているが、源氏の心の内では、困ると思うことがあり、取り立てて、大事には、されなかった。また、管弦の御遊びも、なかった。




宮は、さばかりひはづなる御様にて、いとむくつけう、ならはぬ事の、恐ろしう思されけるに、御湯なども聞し召さず、身の心憂き事を、かかるにつけても思し入れば、さはれ、このついでにも死なばや、と思す。おとどは、いとよう人目を飾り思せど、まだむつかしげにおはするなどを、とりわきても見奉り給はずなどあれば、老いしらへる人などは、「いでや、おろそかにもおはしますかな。めづらしうさし出で給へる御ありさまの、かばかりゆゆしきまでにおはしますを」と、うつくしみ聞ゆれば、片耳に聞き給ひて、「さのみこそは、思し隔つる事も増さらめ」と、恨めしう、我が身つらくて、尼にもなりなばやの、御心つきぬ。




宮は、あれほど、か弱いお体で、大変恐ろしい、はじめての出産が、怖く思われ、御薬湯なども、お召し上がりにならず、我が身の情けないことを、このようなことにつけても、考え込み、いっそのこと、死んでしまいたいと思うのである。
源氏は、見事に、表を飾りになっているが、まだ生まれたばかりで、気味の悪い、赤子を特別には、お相手しないでいる。年を取った女房などは、まあ、冷たくていらっしゃること。珍しくお生まれになったお子様が、こんなに、怖いほど、美しくいらっしゃるのに。と、可愛がる。宮は、それを小耳にして、こういうことで、他人扱いすることも、今後は、酷くなるだろうと、恨めしく、我が身を辛く感じて、尼になってしまいたいという、気持ちになられるのだ。





posted by 天山 at 06:08| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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