2015年10月13日

もののあわれについて762

御心、本性の、強くづしやかなるにはあらねど、はづかしげなる人の御気色の、折々にまはならぬか、いと恐しうわびしきなるべし。されど御硯などまかなひて責め聞ゆれば、しぶしぶに書い給ふ。取りて、忍びて、宵の紛れに、かしこに参りぬ。




この方の、お気持ち、性質は、強く、重々しくしていらっしゃるという、わけではないが、ご立派だと思う、源氏のご機嫌の悪いさが、何かの時に、思い出されるのが、怖くてならないのだろう。それでも、小侍従は、硯などを整えて、是非にと、勧めると、しぶしぶながら、お書きになる。それを取って、こっそりと、夕方の騒がしい時を狙い、あちらに、伺った。




おとど、かしこきおこなひ人、葛城山より請じいでたる、待ち受け給ひて、加持まいらせむとし給ふ。御修法読経なども、いとおどろおどろしう騒ぎたり。




源氏は、優れた修験者、葛城山から頼み、出て来てもらったことを、お待ちになり、加持してあげようとされる。御修法や読経など、大声でやっている。




人の申すままに、さまざまひじりだつ験者などの、をさをさ世にも聞えず、深き山に籠もりたるなどをも、弟君達を遣はしつつ、尋ね召すに、け憎く心づきなき山伏どもなども、いと多く参る。わづらひ給ふ様の、そこはかと無く、ものを心細く思ひて、音をのみ時々泣き給ふ。陰陽師なども、多くは女の霊とのみ占ひ申しければ、さる事もやと思せど、さらに物怪の現れいで来るも無きに、思ほしわづらひて、かかるくまぐまをも尋ね給ふなりけり。




誰彼の言うがままに、色々聖めいた修験者などで、いっこうに世間にも名前が聞えず、深い山に籠もっている者でも、弟の若さま方を、遣わして、探し出して、呼び寄せになると、憎らしげな、面白くない感じの、山伏連中が、大勢やって来る。ご病状は、どこがどうと、はっきりするのではなく、何か心細く思い、声を上げて、時々、泣かれる。
陰陽師なども、多数は、女の霊だと占い、そういうこともあるかもしれないと、思うが、全く、物の怪で、名乗り出てくるものがないので、途方に暮れてしまいになり、このように人の知らない所までも、お捜しになるのである。




この聖も、たけ高やかに、まぶしつべたましくて、荒らかにおどろおどろしく陀羅尼読むを、柏木「いで、あな、憎や。罪の深き身にやあらむ。陀羅尼の声高きは、いとけ恐ろしくて、いよいよ死ぬべくこそ覚ゆれ」とて、やをらすべりいでて、この侍従と語らひ給ふ。




この聖も、背が高くて、目つきも、気味が悪く、荒っぽく、大声で陀羅尼を読むのを、柏木は、ああ、嫌なことだ。罪深い身なのだろう。陀羅尼を声高く読むのを聞くと、気持ちが悪く、ますます、死にそうな気がする、と、そっと床を抜けて、この侍従と話し込む。




おとどはさも知り給はず。「うち休みたる」と、人々して申させ給へば、さ思して、忍びやかにこの聖と物語し給ふ。おとなひ給へれど、なほ花やぎたる所つきて、もの笑ひし給ふおとどの、かかる者とせもと向かひいて、このわづらひそめ給ひし有様。何とも鳴くちにたゆみつつ、重り給へる事、「まことにこの物怪あらはるべう。念じ給へ」など、こまやかに語らひ給ふも、いとあはれなり。




父の殿様は、それとは、知らず、お休みになられました、と女房たちに申させたので、そう思い、小声で、この聖とお話をされる。年は取ったが、それでも、賑やかなところがあり、よく笑う殿様が、こんな連中と対座して、病気になってからの様子を、特に何ともなく、時々、良くなりながらも、結局、重くなることと、殿は、本当に、この物の怪が姿を現すように、お祈りしてくださいと、心を込めて、頼むことも、実にあはれである。

いとあはれなり
実に、気の毒である。




柏木「かれ聞き給へ。何の罪とも思しよらぬに、占ひよりけむ女の霊こそ、まことにさる御執の身に添ひたるならば、いとはしき身をひきかへ、やむごとなくこそなりぬべけれ。さても、おほけなき心ありて、さるまじき過ちを引きいでて、人の御名をも立て、身をもかへり見ぬ類、昔の世にも無くやはありける、と思ひなほすに、なほ、けはひ煩はしう、この御心に、かかるとがを知られ奉りて、世に長らへむ事もいとまばゆく覚ゆるは、げに、殊なる御光なるべし。深きあやまちも無きに、見合はせ奉りし夕のほどより、やがてかき乱り、惑ひそめにし魂の、身にも返らずなりにしを、かの院に内にあくがれありかば、結び留め給へよ」など、いと弱げに、殻のやうなる様して、泣きみ笑らひ給ふ。




柏木は、あれをお聞きください。何の罪とは、お気づきにならないが、占いの言った、女の霊こそ、本当に、女三宮の、憎しみが、この身についているならば、嫌でたまらない身が、逆に、恐れ多いものになるでしょう。それにしても、身分不相応なことを考え、してはならない、過ちを犯して、相手の評判も悪くして、自分のことを、捨て去った例は、昔もないではなかったと、考え直すが、どうしても、嫌な男として、六条の院に、こういう罪を知られてしまったということで、この世に、生き続けようというのも、顔を上げられない思いがするのは、いかにも、ご威光なのだろう。大きな罪でもないが、目と目を合わせた、あの夕方から、すぐにそのまま心が収まらず、迷い出した魂が、我が身にも、帰らなくなってしまった。あの院で、うろうろとしていたから、下前の結びを留めて、魂を止めてください。など、いかにも、弱々しく、抜け殻のように、泣いたり、笑ったりして、お話される。

柏木が、小侍従と話している様子である。










posted by 天山 at 06:45| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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