2015年08月14日

玉砕58

南方といえば椰子が実り、バナナ、パパイヤなどの果物が野生していて、喰うに困らない所と思うが、このニューギニアでは大変な見当ちがいである。野性の果物など全然ない。ましてこんな所だ、食糧になるようなものは、何一つない。

こうして、戦記を書写しているうちに、自然に、作者の心境に近づいてゆく。
ような、気がするだけかもしれないが・・・

先発した私は、この昼過ぎ、木に刻んだ斧の跡を見つけてたちどまった。蛮刀の跡だ。
「原住民の目じるしだろう」
その切り跡には、もう苔が生えているが、私はほっとした。
「ヤカチ本流が近いのだろう。その本流に沿って下れば、この斧の跡をつけた原住民の集落がある。恐らくシンヨリだろう」
今までは、人はおろか鳥も通わぬ所だったが、もう大丈夫、これからは人の跡が残っている土地だ。地形はやがて低地に変った。いよいよ河だろう。励まし合って歩いていると、夕暮れ近くになって、やっと河の音が聞えてきた。
「ヤカチ河だ」
私たちは、ジャングルの木立をぬって、その音に引かれていった。河の響きは次第に大きくなってきた。

この夜、加賀候補生が一握りだけ残していた米を、三人で喰った。これで、明日からは三人とも、手当たり次第の拾い喰いだ。
生活には、衣食住の調和が必要で、その一つが欠けても理性を失いがちである。シャツもズボンも汗と泥にまみれているが、それでも私たちの肌を守ってくれている。また夜は、私たちを休ませてくれる一枚の天幕があるし、寒さを防いでくれる一着の雨外套もある。
このように、衣と住は、今の私たちにふさわしい物を持っているが、食の危険はどうにもならない。一本の野草にも目を光らせ、またそれを手にしても味など感じる余裕もない。ただむさぼり喰うだけで、もう私たちはすっかり野獣の性格に変ってしまった。

世界には、飢えで苦しむ人たちが、何十億人もいる。
その人たちのことを、思い出す人は、いるだろうか。
満腹に食べている国の人たち・・・

私は、何度も、空腹で倒れそうになっている、子供たちを見た。
フィリピンの島々では、今も、そのような子供たちがいる。
戦地ではなくても、そのような状態にある、人たちがいる。

この椰子は、普通の椰子とちがって幹がない。根元から長い葉が何本も出ていて、その間に、沢山の実をつけている。この葉は、枯れても余り縮まない。雨に濡れると平べったく伸びるので屋根には都合がよい。原住民を見習って我々も宿舎の屋根や壁かわりによく使ったものだ。
ただし今は、そんな葉に用はないが、この実を喰うのは初めてだった。実は拳ほどで早速、口にしてみたがその堅いこと、また味のまずいこと、まったく蠟をかむ味とはこのことだろう。それでも我慢して喰ったが、何としても堅くて、歯が折れそうだ。それに、
「こんな物でも、栄養になるかな」
と言われては仕方ない、とうとう喰うのもやめてしまった。私はこの夕方から、一番気にしていた下痢になってしまった。それが一時間おきぐらいになった。

「この下痢が、俺の命とりかな」
と思いながら、じっと火を見つめていた。
人の生命は不滅であるという、親を通じて無限の祖先につながり、また子供を通じて永遠の子孫につづく一つの鎖の輪が、いま生きている我々である。
子供があれば今ここで死んでも、私の心と肉体が子供に残っていくだろうが、私にはそれもない。私が受け継いできた人間の、永い歴史の一本の鎖は、私の命と共に、このジャングルの中で断絶するかもしれない。
後続の私の隊も、もう米を食い尽くしている。私たちの命もいよいよ時間の問題だ。そう思うと、なかなか寝られない。そして、この静寂の中に、私の目だけがぎらぎら光っているのだと思うと、不気味でなおさら眠られない。

そして、時に、ジャングルの中で、食べられる物に出会い、歓喜する。
それは、絶望の中の歓喜である。
しかし、そこに、留まってはいられないのだ。

そして、食べ物と、情報の無い状態である。

ようやく、食糧のある、シンヨリまで到着した。
しかし・・・

この時の私には、これから後の惨状など夢想もできなかったのである。
と、作者が書く。

戦記は、まだ、終わることがない。
戦争の様を、俯瞰することは、出来るが、個人の兵隊たちの、思いを知るのは、生き残った方々の、戦記である。

八月十三日昼前、「副官おるか」と伊藤大尉の大きな声がきこえてきた。意外に元気な声だ。
「先発の者は元気か」
「大丈夫だ。本隊の米はすぐに受け取られるように手配してある」
「じゃあすぐ川を渡る。何しろ米の味を忘れそうだ」
伊藤大尉も思ったより元気だ。でも全員の野たれ死にを恐らく覚悟していたのだろう。私の耳もとに口をよせて、「米はほんとうだろうな」ともう一度念を押し、ギラリと光る目で今度は私の目をじっと見つめた。
「大丈夫。落伍者の分も用意してある」
上村主計もやっときた。
「すまなんだ、すまなんだ。軍司令部の経理部は誰が来ている。俺たちにこんな苦しみをさせて、どなりつけてやる」
皆は、私たちの立ち話をきいてほっとしたのだろう。目を輝かせながら川を渡り始めた。
今までは、野たれ死にを気にしながら、目を皿にして、喰う物を探しながら歩いてきたのだ。今の私たちには、ただ米が貰えるだけで有難かった。この上に、どれだけなどと欲を言う者はなかった。・・・

「部隊の名は」
後ろ向きでズボンをつけている参謀の身体の白いこと。
「軍通信隊、只今シンヨリに着きました」
「皆、無事か」
「シンヨリまでに八名落伍です。現在員百四十名、落伍者をここで待ちたい」
「よく来てくれた。早速、食糧を受けてくれ。ここで一日休養して、ヤカチへ出発し、そこで落伍者を待つように、ヤカチまで一日だ。そこはサゴ椰子地帯、その椰子を倒せばサゴ澱粉はいくらでもある。二十年や三十年は大丈夫喰える。そこで自活しながら、別命を待て」
「別命というと、イドレへの転進は」
「ヤカチで別命を待て」
イドレへすぐ出発と思っていた私には、これは意外だった。シンヨリまでの飢えの行軍、これは転進計画の無謀による、一言その恨みも言わねば気持ちが納まらないのだが、それどころではない。
サゴ椰子は湿地に繁る。サゴで自活することは、その湿地で生活すること、これは大変なことだ。

軍隊における、命令は、絶対的なものだ。
それに逆らうことが出来ない。
戦争の、悲惨さは、それも原因も一つである。







posted by 天山 at 06:58| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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