2015年07月08日

打倒・韓国2

戦後、韓国が独立を回復した後には、日本統治時代は悪いことばかりであって、よいことは一つもなかったといわれているが、私が育った村だけとっても、日本は、多くの解放的な改革をもたらしてくれた。そのようなことがまったくなかった、という者は、李朝末期の韓国社会の状況を無知なため知らないか、故意に眼をつむっているのだ。

韓国人が言うのである。
それが、本当だろう。

村には、小学校をつくった。どこの村にも小学校があった。

と、これだけでも、凄いことである。
つまり、学校などは、無かったのである。
庶民は、読み書きが出来なかったということ。

学校では、授業が日本語を使って行われたが、私の小学校は韓国語のハングルの読み書きも教えられた。その後、ハングルの教科書がなくなって、教科書はすべて日本語になった。小学校にはオルガンがあった。音楽の時間には、日本の唱歌が教えられた。都市部の小学校には、ピアノもあった。

小学校のつぎには、公会堂が建てられた。公会堂では、昼間村民が集められて、日本の宣伝や、農村振興のための講習が行われた。夜は夜学(やはく)と呼ばれていたが、字の読めない村民には、無料でハングルと日本語が教えられていた。李朝時代にはなかったことだった。・・・

この統治時代に、爆発的に、文盲が無くなったのである。
それは、大変な、進歩だった。

ただし、
両班の子どもたちは、全員が小学校に通うことができたが、常人は貧しい家が多かったので、小学校の適齢期の少年たちのなかの五人に一人ぐらいしか、学校教育を受ける恩恵に浴することができなかった。中学生は、村の中で四、五人いただろう。高等教育や、専門学校や、大学へ進んだ者は、一人か二人しかいなかった。

常人のなかでも、小金を持つようになった者もいた。村の近くに、ソウルと釜山を結ぶ鉄道の京釜線が通っていた。日本人は、京釜線を敷くのにあたって、村の男たちを雇って、農業用水池としていくつも池を掘らせ、掘った土を用いて線路の盛り土を築いた。この仕事は、村人を大いに潤した。

地主階級と小作人の貧しさについて、書かれているが・・・
あまりの差に、愕然とする。

李朝末期までは、常人は、教育をまったく受けることができなかった。しかし、日本統治時代に入ってから、わたしの小、中学校時代には、とくに都市部では両班、中人、常人、奴婢の階級が平等化され、常人階級の子どもたちの学歴が高まるようになった。

子どもたちの間では、だれが両班の子であるとか、どの親が中人であるとか、常人であるとかをいっさい口にすることがなかった。日本人教師が、そのような差別を行なうことを固く禁じたからだった。もし私たちがそのようなことを話題にしたり、そういうことが先生の耳に入ったりしたら、厳しく罰せられた。

常人たちは、蔑視された歳月を思って、子供の教育には力を注いだ。

韓国の夜明けである。
暗い時代から、解放の明るい時代への道・・・

それが、日本統治によって、成ったのである。
日本が、奪ったものなど、一つもない。
奪うものなど、韓国には無かったのである。

ただ、日本は、与えた。
その昔、ハングルも、日本が復活させて、与えたものである。
そのハングルを受け付けなかったのは、何より、両班の知識人たちである。

今では、正しい韓国語、ハングルとなっているが・・・
その最初は、日本が、復活させたのである。

室町期に、当時、朝鮮から届いた、親書のハングルを解読して、作り上げたのである。

日本人たちは、村の振興に力を注いだ。私が小学校に入学すると、しばらくして電力会社が村まで電気をひいた。両班、常人の家に区別なしに、ほとんどの癒えには電灯がともるようになった。

ただし、
戦闘が激しくなると、電化計画が中断されたので、戦争が終わるまで農村の一部とくに僻地の村落では、電灯がともらなかったところも少なくなかった。

私が、韓国、釜山に出掛けた時である。
戦後30年を過ぎていた。
農村を見回ると、電信柱が立つが、電線が無かったのを、覚えている。
つまり、日本が敗戦してから、暫くの間、韓国では、電気の利用が出来なかったところがあるのだ。

学校の話しだが、その中には、日本人の子どもたちも、一緒に勉強していたということである。
それも、全く、差別が無い。

日本人は、農村振興運動を進めた。日本統治時代依然の韓国の農村には、河川に堤防もなかったし、水利組合も存在しなかったが、水利組合が結成されたために、河川地域が整備されて堤防が建設され、それで恒常的だった水害から、農地や農作可能な土地を守ることができるようになって、新しい農地がつくられ、多くのところで稲作が可能になった。

日本統治が始まってからの、韓国人の人口の増加は、甚だしいのである。
つまり、食べるものがあるという、時代になったのだ。
日本統治になり、人口が三倍に増えたのである。

この結果、日本人地主も増えた。また畜産が奨励され、日本人がつくった金融組合が、希望する農家ごとに子牛一頭を無料で与えてくれた。与えたというよりは、貸したものだった。牛が成長して子牛が生まれたら、一頭を組合に返すと、成長した親牛は、無償で農民のものとなるという制度だった。

それをまた、貸し、その繰り返しで、どんどんと、畜産が栄える。
日本は、与えたのである。
与えて、与えたから、現在の韓国が存在する。

日本統治時代が去ってからの、韓国の闇は、李朝時代の差別意識が、頭をもたげてきたことである。
潜在的に、差別感情が、蘇った。

現代の韓国社会の、差別には、恐るべきものである。


posted by 天山 at 06:29| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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