2015年06月26日

玉砕41

それでは、欧州の状態を見る。

昭和18年、1943年、1月末。
それまでヨーロッパ全土を席巻してきたドイツが、初めて大敗を喫し、大軍をもって、降伏した。

スターリングラードにおける、ドイツ軍9万の降伏である。

北アフリカ戦線では、1942年11月、アルジェリアとモロッコに上陸した、米英連合軍は、翌年春、チュニジアに進入し、独伊軍に、痛打を与えた。

その後、北アフリカ所在の、連合軍は、アイゼンハワーの統一指揮下に、4月22日から、ロンメン軍団に対して、総攻撃を開始し、5月下旬、ついにチュニジア全土を攻略し、25万以上を捕虜にした。

チュニジア全土の陥落を最後に、独伊軍は、北アフリカから、駆逐され、地中海の南岸は、ことごとく連合軍の手中に落ちた。

1943年5月を機に、日本軍がそれまで抱いていた、ドイツ軍とインド洋で手を結ぶという、願望は、実現不可能となったのである。

更に、地中海が、連合軍の支配下におかれたということは、海軍にも、心理的な圧迫を与えた。

南方占領地の西域に対して、海と空より、新たな脅威が加わることになった。

北アフリカに続いて、米英連合軍は、7月10日、イタリアのシチリア島に、東南部から上陸を開始した。
激戦の後、独伊軍は、しだに背後連絡線にあたる、メッシナ方面へと圧迫され、7月下旬には、大勢が決した。

この情勢下の中で、突如として、イタリアに一大政変が起こる。
イタリア国内では、厭世気分が高まり、連合軍のシチリア島上陸で、特に民心の動揺が激しく、チアノ外相および、ファシスト党幹部デイノ・グランディらが中心となり、ムッソリーニ政権転覆の謀議が、進められていた。

その後、ムッソリーニは、軟禁され、ピエトロ・バドリオ首相兼参謀総長に任命され、ファシスト党は、解散された。

8月17日、独伊軍は、シチリア島から撤退し、9月3日、連合軍が、イタリア全土に上陸するにおよび、バドリオ政府は、9月8日、無条件降伏を行なった。

つまり、ここに、日独伊三国同盟、共同戦争遂行の基本構想は、崩壊するのである。

この頃になると、日本も、敗戦への道を、転がるように進む。

日本政府は、9月30日、御前会議を奏請して、
絶対国防圏の設定を含む、今度採るべき戦争指導の大綱
を、採択するに至る。

国内において、益々の持久戦態勢確立のための諸施策が、政治、産業、経済および、国民生活の各分野にわたり、行われた。
戦時体制の一層の強化である。

それが、昭和18年に入ると、企業整備、衣食生活簡素化、学徒動員、地方行政の総合運営、軍需省、農商省、および、運輸通信省の創設などである。

昭和18年6月25日、閣議において、学徒戦時動員体制確立要領が、決議されたが、同年10月、中等学校以上の学生生徒に対する、勤労動員が義務づけられた。
更に、徴兵予備兵となった法文科系学徒の壮行会が、明治神宮外苑競技場において、雨中決行された。

さて、絶対国防圏とは、その外周は、カムチャッカ半島南端から、サイパンを中心として、マリアナ諸島、カロリン諸島、西部ニューギニアのヘルビンク湾、更に、チモール、ジャワ、スマトラの各島から、ベンガル湾を北に縦断して、ビルマに至る、約7000浬にもおよぶ長大な、防衛線であった。

しかし、この構想も、時既に遅く、米軍の反抗勢力は、日本陸海軍の航空機増徴などの兵備充実はおろか、その新防衛線への、兵力の配備すら、整っていなかった。

つまり、絶対国防圏の危機である。

大本営が、絶対国防圏の命令をしたのは、9月30日であるが、それより以前の、22日、ダグラス・マッカーサー大将の指揮する、米壕連合軍が、国防圏の前衛最右翼の要衝にあたる、東部ニューギニアのフォン半島の、フィンシュハーフェン北方アント岬に上陸してきた。

このフィンシュハーフェンは、東部ニューギニアのラエ、サラモア攻略作戦の時期には、後方補給のための、基地だった。
五月以来、第一船舶団司令部があった。
海軍警備隊約4000名の善戦にもかかわらず、10月1日、敵の手に渡ったのである。

更に、連合軍は、飛行場の整備を開始し、10月4日には、飛行機の離着陸が認められた。

これが、敗戦の序曲である。

10月12日、連合軍航空機は、大挙して、ラバウルを空襲した。
日本軍前衛線に対する、本格的攻撃の、前触れだった。

そして、11月19日、マキン、タワラ、およびナウルに対し、大規模な空襲が始まった。
連合軍は、20日、空襲を反復し、21日の早朝、マキン、タワラ島に上陸を開始した。

わずか、700名の守備兵員しかいない、マキン島との無線連絡は、途絶した。
タワラ島は、激戦となった。だが、22日、無線連絡が、途絶える。

のちに、連合軍側の放送により、マキンは24日、タワラは、25日、それぞれ全滅したものと、認められた。
つまり、玉砕である。

こうして、玉砕が続くことになる。

悲しいことだが・・・
戦争を追い詰めれば、日本軍が、敗戦して行く様が、見て取れる。

何にも増して、敵の物量の圧倒さである。
日本軍は、武器、食糧も失い・・・
ただ、精神力で、戦いを続けていたのである。
その先が、玉砕である。



posted by 天山 at 06:24| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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