2015年05月14日

玉砕27

フィリピンである。
開戦当日の、12月8日のうちに、勝敗が決した。

比島米英軍に対する、航空撃滅戦は、日本軍が一日をもって、西太平洋の制空、制海権を、おおむね手中におさめた。
これは、マレー上陸軍と時を同じくした。

香港攻略軍も、同様である。

フィリピンは、大小様々な、おびただしい数の島からなる。
大本営、南方軍が指向していた、フィリピン攻略作戦の主たる目的は、最大のルソン島にある、首都マニラの陥落と、第二のミンダナオ島のダバオの占領である。

マニラは、アメリカの極東支配の根拠地であり、フィリピン全土の政治、経済、軍事の中枢である。
ダバオもまた、南フィリピンの、政治、経済、軍事の中心である。

この二つの要塞をおとせば、各地は、残敵掃討程度の戦闘で終わると見ていた。

昭和16年12月8日の朝、南部台湾一帯に、濃霧が垂れ込めた。
これにより、未明に予定されていた攻撃隊の発進時刻が、大幅に遅れた。
しかし、これが、後で幸いしたことが分る。

その長い時間待ちの間に、第十一航空艦隊司令部は、当日の作戦の手直しをした。

当初は、ニコススフィールドなど、マニラ周辺の基地を叩く予定だったが、その手前の、クラークフィールドと、イバ両基地に集中するようにした。

ここで、ゼロ戦の優秀さが、証明されたという。
米陸軍の最新鋭兵器として知られた、P40との空戦が、持続力ばかりではなく、空戦性能においても、格段に優れていることが、証明された。

ルソン島の、敵航空基地には、大型爆撃機の、B17が配備されていたが、ゼロ戦の機銃により、その大半が、地上で炎上し、破壊されたのである。

日本軍は、米比軍が、後退などせず、マニラに留まり、迎え撃つだろうと予想していたが・・・
マニラを空にして、バターン半島に、避退したのである。

日本軍の部隊は、バターン半島より、北方の多くの基地を攻略した。

敗戦後、喧伝された。バターン死の行進、というのは、コレヒドール島の降伏に先立ち、4月9日、バターン半島が陥落した際に、俘虜の護送の途中で起きた悲劇である。

バターン半島の目の前にある、コレヒドール攻撃のため、俘虜を現在地に留めておくわけにいかず、バターン半島南端の、マリベレスからクラークフィールド北方にあったオドンネル基地まで、護送しようとしたのである。

その数、米兵1万2千、フィリピン兵6万4千、難民2万6千という記録である。
その大半がマラリアにかかり、乏しい食料は、底をついた。
予定していたトラックの台数が、不足して、やむなく、マリベレスからサンフェルナンドまでの、88キロの行程を歩かせることになった。
だが、炎天下のもと、疲弊した俘虜たちは、バタバタと倒れた。

多くの死者が出たのである。
だが、この行軍じたいが、敗戦後、米軍側が弾劾したような、事前の組織的計画のものに実行されたものではなかったのである。

戦争には、このような不幸が当然にしてある。
戦勝国が敗戦国を裁くのだから・・・
何とでも、言う。

結果、バターン島は、敵の抵抗を受けることなく、5月6日、島内を掃討した。
ウェンライト中将は、全在比米軍の無条件降伏を申しでて、マニラ放送局を通じて、投降命令を発し、各地に幕僚を派遣して、自分の意見を伝達させた。

次に、香港を見る。
香港は、イギリス領である。つまり、植民地である。

香港島と、九龍半島からなる。
城門貯水池以南の九龍半島と、香港島とが、ビクトリア港をはさんで向かい合い、一連の要塞をなしていた。

香港島は、全島がおおむね山地であり、海正面における、堅固な要塞であり、陸正面に対して、最後の複郭陣地をなしていた。

当時守備するイギリス軍兵力は、マーク・ヤング総督以下、陸軍一万名と少数の海空軍部隊である。
12月13日、日本軍の降伏勧告を拒絶した。
そこで、砲爆撃を開始する。
そして、香港島に上陸。

翌日、九龍半島すべての掃討を完了した。

最後に島西部の復郭陣地で抵抗していたイギリス軍の中から、白旗が掲げられ、12月25日、香港島を攻略するのである。

兎に角、日本軍の最初の進軍は、成功裏に終わっている。

この強さは、何か・・・
軍の統制のとれた兵士たちの、軍規であったと、考える。
勿論、その戦いに勝った後の、意識の相違と学びが、日本軍の弱点となるが・・・

ここで、この日米両軍の戦略構想の相違を見ると、戦争全体の決着をどうつけるかという、戦争終末促進案の違いとも関連する。

アメリカは、実に固い意識で、参画したのであり、限定戦争ではなく、無限戦争の意識である。
相手国の息の根を完全に止めるまで、止めないという意識。
ゆえに、中途半端な形での、講和などは、有り得なかった。

日本の意識は、ある程度占領地を広げて、重要な局地戦に大勝し、講和に進めるという意識である。

つまり、大東亜戦争、第二次世界大戦とは、日本とアメリカの戦いが主たるものである。
連合国軍・・・
実際は、アメリカ軍との戦闘なのである。

昭和天皇の本心、御心は、いかがなものだったのか・・・
それは、民主主義のアメリカやイギリスと戦争はしたくないのである。
逆に、ドイツ、イタリアという、成り上がり者の、独裁者の国を嫌った。

民主主義という形は、日本の歴代天皇が持っていた、精神である。
敗戦後に、アメリカから、民主主義を学んだのではない。
それは、日本に元から存在した精神である。

勿論、それも、日本流にして存在していたのである。





posted by 天山 at 07:26| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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