2015年05月11日

もののあわれについて743

女宮の御もとにまうで給はで、大殿へぞ忍びておはしぬる。うちふしたれど目も合はず、見つる夢のさだかにあはれむ事もかたきをさへ思ふに、かの猫のありしさま、いと恋しく思ひいでらる、「さてもいみじきあやまちしつる身かな。世にあらむ事こそまばゆくなりぬれ」と、恐ろしくそら恥づかしきここちして、ありきなどもし給はず、女の御ためはさらにもいはず、わがここちにもいとあるまじき事といふ中にも、むくつけくおぼゆれば、思ひのままにもえ紛れありかず。帝の御めをも取りあやまちて、事の聞えあらむに、かばかり覚えむことゆえは、身のいたづらにならむ、苦しく覚ゆまじ。しかいちじるき罪にはあたらずとも、この院に目をそばめられ奉らむことは、いと恐ろしく恥づかしく覚ゆ。




女宮、つまり、女三の宮の姉、女二の宮のところにも、お出でにならず、父大臣邸に、こっそりお出でになった。横になったが、目も合わず、見た夢が、当るかどうかと、考えると、夢の中の猫の様子が、恋しく思い出される。
それにしても、大変な間違いをしたものだ。この世に、生きていくことが恥ずかしくなった。と、怖くて、何となく顔も上げられない気がして、出歩きもされない。
あちらの御身については、言うまでもなく、自分自身を考えても、けしからぬ事というばかりか、恐ろしいほどの事だから、自由に歩くことも出来ない。帝の后を誘惑して、それが評判になった場合でも、こんなに苦しむならば、この院に、睨まれるのが、恐ろしく恥ずかしく、思われるのである。




限りなき女と聞ゆれど、すこし世づきたる心ばへまじり、うへはゆえあり子めかしきにも、従はぬしたの心そひたるこそ、とあることかかることにうちなびき、心かはし給ふ類もありけれ、これは深き心もおはせねど、ひたおもむきに物おぢし給へる御心に、ただ今しも人の見聞きつけたらむやうに、まばゆく恥づかしく思さるれば、あかき所にだにえいざりいで給はず、「いと口惜しき身なりけり」と、みづから思し知るべし。




身分の高い婦人とは、申しながらも、少しは、訳知りもあり、表面は、教養があり、鷹揚でも、そうばかりではない気持ちもあるから、男の出方次第によって、言うとおりになり、愛し合うという、そういう方もいたが、この方は、深い考えもあるわけではないが、ただ一途に、怖がる性質で、丁度、今誰かが見つけたり、聞きつけたりしたかのように、目も上げられず、顔も合わせられない気持ちになるので、明るい所に出てお出でになることも出来ず、なんと情けない身なのだと、自分ながら、お分かりになる。

女三の宮の、心境である。




なやましげなむとありければ、おとど聞き給ひて、いみじく御心をつくし給ふ御事にうちそへて、また、いかにと驚かせ給ひて、渡り給へり。そこはかと苦しげなる事も見え給はず、いといたく恥ぢらひしめりて、さやかにも見あはせ奉り給はぬを、久しくなりぬる絶えまをうらめしく思すにや、といとほしくて、かの御ここちのさまなど聞え給ひて、源氏「いまはのとぢめにもこそあれ。今更におろかなるさまを見えおかれじとてなむ。いはけなかりし程よりあつかひそめて、見放ちがたければ、かう月ごろよろづを知らぬさまに過ぐし侍るぞ。おのづから、このほど過ぎば、見なほし給ひてむ」など聞え給ふ。かく気色も知り給はぬも、いとほしく心苦しく思されて、宮は、人知れず涙ぐましく思さる。




具合が悪いと、女三の宮が、申し上げたので、源氏は、聞きつけて、紫の上のことで、酷く心配していることの上に、更に、どういうことになるのかと、驚き、起こしになった。
どこが、どう苦しいとといふうに見えず、酷く恥ずかしがって、沈み込んで、顔も見せることをしないのを、長くなった、途絶えを、恨めしく思っているのかと、可愛そうで、あちらの病状などを、申し上げて、源氏は、これが最後かもしれない。今になって、薄情者と、思われたくないと思っている。小さな時から、育ててきて、今更、放っては、おけないから、このように、幾月も、何もかも捨てて、あちらの看病をしている。この時が終われば、お分かりになるでしょう。などと、申し上げる。
このように、何もご存知でないのも、お気の毒にも、心苦しくも思われて、宮は、人知れず、涙を流されるのである。




かんの君はまして、なかなかなるここちのみまさりて、おきふし明かし暮らしわび給ふ。祭の日などは、物見あらそひ行く君達かきつれて来て、言ひそそのかせど、なやましげにもてなして、ながめふし給へり。女宮をば、かしこまりおきたるさまにもてなし聞えて、をさをさうちとけても見え奉り給はず、わが方に離れいて、いとつれづれに心細くながめい給へるに、童の持たる葵を見給ひて、

柏木
くやしくぞ つみをかしける あふひ草 神のゆるせる かざしならぬに

と思ふもいとなかなかなり。世のなか静かならぬ車の音などを、よそのことに聞きて、人やりならぬつれづれに、暮らしがたく覚ゆ。




かんの君、柏木は、それ以上に、逢わないほうがよかったという、気持ちが強くなるばかり。寝ても覚めても、明けても、暮れても、嘆き暮らしているのである。
祭りの当日などは、物見に、先を争う、若殿達が連れ立って誘うが、気分が優れないと言い、物思いに耽って臥せていらっしゃる。女宮を大事にしているふうな態度はしていて、いっこうに、仲良くされず、自分の部屋に引き籠って、する事もなく、心細く、物思いに沈んでいるが、女の童が、持っている葵を御覧になり、

柏木
悔しいことだ。神がお赦しになったものでもないのに、葵を摘んで罪を犯してしまった。

と、思うのも、辛いもの。世間が、静かで、車の音が聞えるのを、人事として、我から招いた、つれづれに、一日を過ごしにくい感がする。

この、女宮は、女二の宮のこと。つまり、柏木の妻のことである。






posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。