2015年04月14日

もののあわれについて735

源氏「この御子たちの御中に、思ふやうに生ひいで給ふ、ものし給はば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りも、とどめ奉るべき。二の宮、今よりけしきありて見え給ふを」など宣へば、明石の君は、いとおもただしく、涙ぐみて聞きい給へり。




源氏は、この御子たちの中に、思い通りに、成人される方がおいでなら、その方が、大きくなられた時には、まあ、その時まで、生きながらえるものならば、たいしたものではない私の技は、全部、お伝え申そう。二の宮は、今から、そんな感じがありそうだ。などと、おっしゃるので、明石の君は、大変光栄に思い、涙ぐんで、聞いていらっしゃる。




女御の君は、筝の御琴をば上に譲り聞えて、寄り臥し給ひぬれば、あづまをおとどのお前にまいりて、け近き御遊びになりぬ。「かづらき」遊び給ふ。はなやかに面白し。おとど折り返しうたひ給ふ御声、たとへむ方なく愛敬づきてめでたし。月やうやうさしあがるままに、花の色香ももてはやされて、げにいと心にくき程なり。




女御の君は、筝の御琴を、紫の上にお譲りして、ものに寄りかかり横になったので、和琴を源氏に差し上げて、打ち解けた演奏になった。葛城を、合奏される。明るく、愉快である。源氏が、繰り返し歌われるお声は、たとえよえもなく、味わいがある。ご立派だ。月が、次第に上がってゆくにつれて、花の色も、香も、一段と引き立てられて、いかにも、奥ゆかしい限りだ。




筝の琴は、女御の御つま音は、いとらうたげになつかしく、母君の御けはひ加はりて、ゆのねふかく、いみじく澄みて聞えつるを、この御手づかひはまたさまかはりて、ゆるるかにおもしろく、聞く人ただならず、すずろはしきまで愛敬づきて、輪の手など、すべてさらに、いとかどある御ことの音なり。かへり声に、皆調かはりて、りちの掻合ども、なつかしく今めきたるに、琴は、こかの調、あまたの手のなかに、心とどめて必ずひき給ふべき、五六のばちを、いとおもしろくすまして弾き給ふ。さらにかたほならず、いとよくすみて聞ゆ。春秋よろづのものにかよへる調にて、かよはしわたしつつ弾き給ふ。心しらひ、教え聞え給ふさま違へず、いとよくわきまへ給へるを、いとうつくしくおもだだしく思ひ聞え給ふ。




筝の琴は、女御の爪音が、大変可愛らしく、心にしみるようで、母君の弾き具合も入り、ゆの音が深く、とても澄んで聞えた。
紫の上の、弾かれるものは、また別で、様子が違い、ゆったりと趣きがあり、聞く人は、見事に、心が揺らぐほど魅力があり、輪の手など、何から何まで、すべてが、しっかりとした、弾き振りである。
かへり声に、すべての調子が変って、律の掻き合わせは、親しみがあり、現代的な中に、琴は、四個の調べ、沢山の弾き方の中で、注意して弾かなければならない、五六のばちを、見事に、澄んでお弾きになる。少しも、子供っぽくなく、十分に澄んだ音である。
春秋すべてのものに、通じる調子で、次々と、相応しい弾きぶりをされる。気の配り方は、教えられたものと、少しも違わず、大変良く理解していることを、源氏は、実に可愛らしく、名誉なことと、思うのである。




この君達のいとうつくしく吹き立てて、せちに心入れたるを、らうたがり給ひて、源氏「ねぶたくなりにたらむに。こよひの遊びは長くはあらで、はつかなる程にと思ひつるを、とどめがたき物の音どもの、いづれともなきを、聞きわく程の耳敏からぬたどたどしさに、いたく更けにけり。心なきわざなりや」とて、笙の笛吹く君に、土器さし給ひて、御ぞ脱ぎてかづけ給ふ。横笛の君には、こなたより、織物の細長に、袴などことごとしからぬさまに、気色ばかりにて、大将の君には、宮の御方より杯さし出でて、宮の御装束一領かづけ奉り給ふを、おとど、源氏「あやしや。物の師をこそ先づはものめかし給はめ。うれはしきことなり」と宣ふに、宮のおはします御几帳のそばより、御笛を奉る。うち笑ひ給ひて取り給ふ。いみじき高麗笛なり。少し吹き鳴らし給へば、みな立ち出で給ふに、大将たちとまり給ひて、いとめでたく聞ゆれば、いづれもいづれも、みな御手を離れぬものの伝へ伝へ、いと二なくのみあるにてぞ、わが御才の程ありがたく思し知られける。




この若君たちが、可愛らしく笛を高く吹いて、一生懸命に努めるのを、可愛く思い、源氏は、眠たくなっているだろうに。今夜の音楽は、長くは無く、ほんの暫くと思っていたが、やめられない楽の音が、どれもこれも、優れているのを、優劣を決めるほど、耳が良くなく、くずくずして、すっかり夜が更けてしまった。考えの無いこと、と、笙の笛を吹く君に、土器を差して、御衣を脱いで、お授けになる。横笛の君には、こちらから、織物の細長に、袴など仰々しくない程度に、形ばかりにて、大将の君には、宮の御方から、杯を出して、宮の御装束一領を、お授け申し上げるのを、源氏は、変だな。先生にこそ、第一にご褒美を下さるはずだが。情けない話だ。と、おっしゃると、宮がいらっしゃる御几帳の横から、御笛を捧げる。
お笑いになり、お取りになる。素晴らしい高麗笛である。少し吹き鳴らしされると、皆、立って出て行くところだが、大将が立ち止まり、御子が持っていらっしゃる笛を取り、とても結構に高々とお吹きになる。それが大変、見事な音色なので、どなたたちも、皆、源氏の教えを頂き、またとないほど、お上手になった方々ばかりなので、ご自身の御才能の程が、めったにないほどなのだと、お分かりになるのだった。




大将殿は、君達を御車に乗せて、月の澄めるにまかで給ふ。道すがら、筝の琴のかはりていみじかりつる音も、耳につきて恋しく覚え給ふ。わが北の方は、故大宮の教へ聞え給ひしかど、心にもしめ給はざりし程に別れ奉り給ひにしかば、ゆるるかにも弾き取り給はで、男君のお前にては、恥ぢてさらに弾き給はず。何事もただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子どもあつかひをいとまなくつぎつぎし給へば、をかしき所もなく覚ゆ。さすがに腹あしくて、もの妬うちしたる、愛敬づきて、うつくしき人ざまにぞものし給ふめる。




大将殿は、若君達を御車に乗せ、月が澄んだ所を、御退出になる。その途中、筝の琴の普通とは違う、素晴らしい音も、耳について忘れられない思いがする。ご自分の、北の方は、亡き大宮が教え申し上げなさったが、面白くならぬうちに、死に別れされたので、ゆっくりと習うことが出来ず、夫君の前では、恥ずかしがって、全然、お弾きにならない。何もかも専ら、おっとりとして、おうような方で、子供の世話を休む暇なく、次々にされるので、風情もない感じがする。それでも、怒ることがあり、焼きもちを焼くと、愛敬があり、可愛らしい人柄で、いらっしゃるようだ。











posted by 天山 at 06:49| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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