2015年04月13日

もののあわれについて734

源氏「げにけしうはあらぬ弟子どもなりかし。琵琶はしも、ここに口入るべきことまじらぬを、さ言へど、もののけはひ異なるべし。おぼえぬ所にて聞き始めたりしに、めづらしきものの声かな、となむ覚えしかど、その折りよりはまたこよなくまさりにたるをや」と、せめてわれがしこにかこちなし給へば、女房などは少しつきしろふ。




源氏は、いかにも、悪くは無い弟子たちだ。琵琶は、私が口出しするようなことはないのだが、そうは言っても、雰囲気が違うようだ。思いがけない所で、初めて聞いたときは、珍しい琵琶の音だ、と思ったが、そのときより、また格段に上手になった。と、無理に、自分の手柄にするので、女房たちは、少し、つっつきあうのである。




源氏「よろづの事、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれもきはなく覚えつつ、わがここちにあくべき限りなく習ひとらむことはいとかたけれど、何かは、そのたどり深き人の今の世にをさをさなければ、かたはしをなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心をやりてもありぬべきを、琴なむ、なほわづらはしく、手ふれにくきものはありける。このことは、まことに跡のままに、たづねとりたる昔の人は、天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深きものも、喜びにかはり、いやしく貧しき者も、高き世き世にあらたまり、宝にあづかり、世に許さるるたぐひ多かりけり。




源氏は、何事も、様々なその道を稽古すれば、才能というものは、すべてきりがないように思われて、自分の気持ちに満足するまで、習得するのは、大変に難しい。何の、そこまで行った人は、今の世には、めったにいないので、一部でも、無難に学んだ人は、その一面でも、満足して、いいわけだが、琴は、何と言っても、面倒で、手の出しにくいものである。この琴は、誠に伝えられたままに、習得した昔の人は、天地を自由にし、鬼神の心を和らげ、すべての楽の音が、琴の中に従い、悲しみの深いものも、喜びに変り、賎しく貧しい者も、高貴な身となり、宝を得て、世に認められる人々が、多かった。




この国に弾き伝ふるはじめつかたまで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を、知らぬ国にすぐし、身をなきにして、このことをのねび取らむと惑ひてだに、しうるは難くなむありける。げにはた、あきらかに、空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたるためし、あがりたる世にはありけり。書く限りなきものにて、そのままに習ひとる人のありがたく、世の末なればにや、何処のそのかみのかたはしにかあらむ。




我が国に、弾き伝える当初までは、深くこのことを知る者は、幾年も、見知らぬ国で過ごし、我が身はないものと、覚悟して、この道を習得しようと、さ迷い、為し遂げることは、難しかった。そして、また、確かに、空の月や星を動かし、季節はずれの霜や雪を降らせ、雲や雷を騒がせた例が、上古の代には、あったものだ。このように、きわまりないもので、伝えられた通り、習い取る人は、ほとんどいず、末の世だからか、どこに、その当時の、一部分でもあろうか。




されどなほかの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまに学びて、思ひかなはぬ類ありける後、これをひく人よからず、とかいふ難をつけて、うるさきままに、今はをさをさ伝ぬる人なしとか。いと口惜しきことこそあれ。琴の音をはなれては、何ごとをかものを整へ知るしるべとはせむ。げに、よろづの事おとろふるさまは易くなりゆく世の中に、一人いで離れて、心を立てて、唐土高麗と、この世に惑ひありき、親子を離れぬ事は、世の中にひがめるものになりぬべし。などか、なのめにて、なほこの道をかよはし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調ひとつに手をひきつくさむ事だに、はかりもなきものななり。いはむや、多くの調、わづらはしきごく多かるを、心に入りしさかりには、世にありとあり、ここに伝はりたる譜といふものの限りを、あまねく見合はせて、のちのちは師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほあがりての人には、あたるべくもあらじをや。ましてこの後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」と宣へば、大将、「げにいとくちをしく恥づかし」と思す。



されど、あの鬼神が、聞き入り、耳をかたむけた楽器であるせいか、不十分な練習では、思い通りにならないことがあってから、これを弾く人には、災いがあるという、言いがかりがあり、嫌なものだから、今では、めったに、弾き伝える人がいないようだ。実に、残念なことだ。琴の音以外に、どの弦楽器を、音律を整えるようとしようか。いかにも、何もかにもが悪くなってゆく様は、あっけないほどの、今の世だが、その中で、一人だけ、世間から離れて、志を立て、唐、高麗と、現世をうろつきまわって、親子と別れるということは、世のすねた者になるということ。どうして、程ほどで、しかも、この道をだいたい知る程度の、糸口を一応知らないで、おれようか。一つの調べを弾きこなすことすら、底知れず、難しいものだ。いわんや、多くの調べ、厄介な曲が多い。熱中していた頃には、この世に、あらん限りの、日本に伝わる、譜という譜を。ことごとく、全部調べて、とうとう、師匠として、得る者もなくなるまで、喜んで研究したいのだが、それでも、昔の名人には、到底およびもつかない。まして、これから後というと、琴が伝わるほどの子供がいないのが、寂しい。などと、おっしゃるので、大将は、お言葉通り、残念で、顔も上げられないと、思われる。



posted by 天山 at 08:18| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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