2015年04月09日

玉砕18

ノモハン事件の前後の様子を、俯瞰する。

日本は、中国との戦争により、アメリカ、イギリスとあまり良い関係ではなくなった。その代わりに、ドイツが近づいてきた。

最初は、昭和11年11月締結した、ソ連のコミンテルンの進出を防ぐという意味の、日独防共協定という、穏やかな結び付きだった。

だが、この協定は、明文化されていなかったが、アメリカ、イギリスに対抗し、民主主義国家に、一元制国家の利害をぶつけるという、意味を持っていた。

この頃、民主主義というイメージは、日本では、マイナスなものだった。
一元制国家とは、ファシズム体制というものであり、天皇におかれては、嫌うものだった。

実際、日本は、日本独自の民主主義が存在していたのである。
それが、天皇を主にした、君臨すれども、統治せずという姿勢である。

さて、日中戦争が起こると、ドイツは、蒋介石政府の、軍事顧問を引揚げるという状態だった。

更に、ドイツのヒトラーは、イタリアのムッソリーニとも、提携して、ヨーロッパの中に、ベルリン・ローマ枢軸同盟を作り上げた。

昭和12年11月に、イタリアも、日独防共協定に加わり、日独伊防共協定が、出来上がる。

この三国の、提携に対して、日本国内では、親英米派が、強く反対している。彼らは、ドイツと手を結ぶことに、ためらいを持ったのである。

それは、ゲルマン民族の優位性を掲げ、排他的なことからである。
また、天皇も、イギリス王室に、親近感をもっていることも、密かに指摘して、英米と、国交断絶を恐れた。

また、実業家たちは、アメリカの市場を失うという、懸念もあった。

そして、海軍の中にも、批判をもつ者もいたのである。

ドイツとの提携を主張したのは、陸軍の将校、外務官僚の一部、そして、知識人たちの、東亜新秩序派であり、結果は、彼らの主張が広く、国民に受け入れられたといえる。





posted by 天山 at 08:07| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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