2015年03月10日

玉砕8

昭和天皇は、敗戦後の回想で、
自分が、民主的に振舞おうとつとめたため、かえって、軍をつけあがらせることになった。
と、回想している。

しかし、私が言いたいことは、軍部に対しての、国民の支持は、圧倒的だったということだ。
大衆というものを、疎かにできないのである。

天皇の平和希求の願いが、軍部によって、破られたが、国民は、軍部を支持したということを、覚えて欲しい。

そ後も、クーデター騒ぎが、幾つか発生した。
神兵隊事件、三月事件、十月事件・・・・
国内は、騒然としたのである。

だが、世論は、将兵たちを英雄視したということ。

であるから、満州国に対しても、国民は大歓迎したのである。

昭和7年3月、満州国が発足した。
執政には、溥儀を就任させた。元首である。
溥儀とは、清国の最後の皇帝である。

それを世界に、発表した。
中国国民政府は、当然反発する。
そして、国際連盟に、提訴する。

そこで、国際連盟は、リットン調査団を派遣する。
英、米、仏、独、伊の五名からなる。
すでに、侵略していた国も入っているから、笑う。

更に、加えて言うと、米などは、満州の権益を狙っていたのである。
それが、後々で、解ってくる。

その調査報告では、
満州国は、日本の侵略で生まれたが、中国の日本排斥の動きも、そのひとつの原因になっているというものだ。

当然といえば、当然である。

そして、国際連盟は、対日勧告案を42対1、棄権シャム、現在のタイであるが、可決した。
日本は、国際連盟の決定に従えということになる。

日本だけが、反対した。当然だ。
それにより、日本は、国際連盟から、脱退したのである。
昭和8年3月のことである。

脱退を天皇は、承認しなければならない。
それを、詔書を発するという。
その際に、天皇は、次の二点を挿入した。
脱退のやむなきに至ったのは、誠に遺憾であること。
脱退後も国際間の親交と、協調を保つこと。

だが、軍部は、更に、中国本土まで派兵しようとする暴論が出たのである。
天皇は、参謀総長、首相、陸相らに対して、再三、中止を要請したが、出先機関の軍は、従わずである。

天皇に対する崇敬と、軍部に対する支持。
一体、何故、相反することが、起こるのか。
それは、天皇の御心は、公にされないからである。

君臨しても、統治せず、という、大前提に立って、天皇は、渋々と、承認しなければならないのである。

もし、昭和天皇が、親政を行い、平和を求めたなら・・・
きっと、暗殺されたはずだ。
それは、大東亜戦争開戦にも言える。

さて、当時の状況について・・・
世界の政治体制は、第一次世界大戦の戦勝国により、決まっていた。
国際連盟も、平和を訴えていたが、世界の権益は、米英を中心にした国に、分割されている。
それを維持するために、ベルサイユ条約、ワシントン条約、ロンドン海軍軍縮条約などの、国際法上の、補完が行われていた。

日本は、その世界分割には、加わっていない。
更に、アジアは彼らが、思うままである。

海軍軍縮条約では、日本の力が削がれていた。

世界最低最悪の国である、イギリス、そして、準じて、アメリカである。
侵略を欲しいままにしているのである。

植民地がなければ、イギリスの経済は、破綻したのである。
更に、豊かになる為に、植民地を欲する。

日本が唯一、アジアの中で、独立国として存在していた。
ちなみに、タイも、独立国であるが・・・
列強諸国に対する挑戦は、日本のみである。

列強は、世界恐慌以来、自国を中心に、ブロック経済体制を作り、他国との通商には、莫大な関税をかけて、締め出しを図っている。

日本は、満州、朝鮮などの資源を開発して、ブロック経済体制を作り、それに対抗しようとしていた。

ところが、列強は、中国支援という形で、その権益を守ろうとしていた。
そして、日本に対しては、条約違反を持ち出し、非難するという、形である。

それが、以後の日本の開戦へと続く思いになる。

米英は、日本も植民地にしたかったのである。
アジア全域をその手に治めたかった。

現在でも、世界史といえば、欧米の歴史である。
様々な歴史を無視して、西洋史を中心にしている。

冷静に見ても、おかしいのである。
白人主義、更に、白人キリスト教が、最も、おかしいのである。
人種差別も、そこからのものである。

軍部の横暴を言うが、米英の横暴を言わないのは、不公平である。



posted by 天山 at 07:09| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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