2015年03月08日

神仏は妄想である。517

言葉で語りえないものを、語り尽くすという、ナーガールジュナの言葉の数々を眺めてきた。

更には、言葉も、実は幻であるというのであるから、恐れ入る。

合理的、論理的に十分に、その勤めを果たしたと言って、よい。
何せ、ブッダは、一切、そのような議論を好まず、無視したのである。

特に、仏教以外の、外道と呼ばれる、考え方には、全く組しなかった。
しかし、時代性である。

ことばの仮構を超越した不壊なるブッダをことばで仮構する人々はみな、ことばの仮構によってそこなわれて如来を見ることがない。
如来の本性であるもの、それをこの世間の人々も本性とする。如来は本体なきものであり、この世間の人々も本体なきものである。
ナーガールジュナ

自分も、言葉で仮構しているのに・・・
だから、言葉で、語りえないことを、語ったことが、偉いのだ。

如来も、世間の人も、本性は、同じ。
更に、その本体も無いものと言う。

大した根性である。
如来も、世間の人も、同じ・・・

これが、後に、煩悩即菩提などいう、言葉の、遊びになったという。

この世間と区別され、この世間と離れたところに如来を求めてもむだである。とナーガールジュナはいう。ものの空性を見ることのほかに悟りはないし、その空性とは世間の人々、世間の事物のありのままの姿である。それを見ないで世間と如来を区別するのは、ただことばの上のことだけである。
専門家

専門家も、宗教家のようなことを、言う。

涅槃に入れば、このすべて(の輪廻の原因)は存在しないだろう。と説かれても、あなたは恐れない。この世において、それらは存在しない、と説かれてあなたはどうして恐れを生ずるのか。
解脱したときには自我もなく、身心も存在しない。もし解脱がそのような好ましいものであるならば、自我と身心を除去することが、この世においてだけ、どうしてあなたに好ましくないのか。
ナーガールジュナ

ここまで行けば、どうして、神仏は妄想である、と言わないのか、不思議。
それを言っては、お終いなのか。

要素の存在を立ててその後にこれから離れる、という考え方は、恒常的な自我を主張する非仏教者が誤っているのと同じように誤りである。
専門家

ならば、何故、日本仏教の愛好家たちは、それを言うのか・・・
曰く、
この世は苦しみである。それは欲望に執着するからである。
欲望が満たされなければ、苦しみ、満たされると、楽しむ。

だが、
そのような苦楽が真実に人を救うものでないことは誰にでもわかっている。
と、専門家は言う。

人を救う・・・
本当に、人を救えると、思っているのか・・・

それなら、アホである。
この世に、人を救うものなど、何一つない。
あるとすれば、自分だけである。
更に、救いとは、何からの、救いか・・・
何故、救われなければならないのか・・・

愛着を滅して悟る、ということもこれと変わらない。初めから愛着に本体のないことを知るに及ばないのである。
専門家

神仏を想定して、何かからの救いというものを、求めるとは、洗脳である。
生まれたことが、罪であるとか・・・
煩悩の凡夫であるからとか・・・

更に、自虐である。

人を支配するなら、自虐的にすることである。
すると、自ら、救いを求めて、神仏に祈る。
勿論、そんな存在は無いが。

霊学から言えば、相手は、霊である。
その霊の、存在レベルの差だけである。

自我と、身心を除去すること・・・
こんな恐ろしいことが、出来るのか。

不浄に執着することが顛倒「てんどう」であるならば、浄に執着することも顛倒である。そのような執着も執着されるものもないと知ることによって顛倒そのものもなくなる。空性とはそういうことである。そこでは分けられた二つの対立する世界が、本体がない、ということをとおして一つになる。
ナーガールジュナ

顛倒とは、逆さま、誤った考え方のこと。

それは、般若経の哲学者たちが見た、不二の世界と同じものである。
神仏と人は、同じ本体を持つということだ。

我は、神であり、仏であると、思えば良い。

この世が幻であり、夢である、ということは、実は、この世を、一義的に固定したことばによって理解しようとすると、断滅でも恒常でもない幻としかいえなくなる、ということではなくてはならない。だからナーガールジュナが、世界は幻だ、といったことは、ことばは幻である、といったことになるのである。夢であり、幻であるものは、真実である不二の、空の世界でなくて、ことばの世界である。
専門家
と、専門家も、言葉で、解説するのである。

ちなみに、日本人は、古来から、言葉は、神であると、認識した。
言霊とは、まさに、言の霊として、対処してきた。
言葉は、日本人の場合は、幻ではなく、霊、神、カムである。

これから、ナーガールジュナの教えを整理して見ることにする。



posted by 天山 at 07:18| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。